2018年6月14日 (木)

陸軍飛行戦隊全部描いた

Hikousentai 
陸軍飛行戦隊の部隊概要と
イラスト、全部描上げました。
陸軍飛行戦隊は第1戦隊から第248戦隊までありますが
欠番等あるので、総数100ほどになります。
 
イラストだけでなく、部隊史とキャプション(説明書き)も
簡単に書こうと思ったのですが、思った以上に熱が入ってしまい
長く書いてしまい、時間がかかっています。
 
次は教導飛行師団と独立飛行中隊、錬成飛行隊に着手します。
夏コミまでには気合で完成させます。
   
陸軍飛行戦隊一覧

2018年1月17日 (水)

錬成飛行隊

Rensei1

第1錬成飛行隊/戦闘機隊(紺第520)
使用機種 一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
昭和19年7月31日相模において編成。
一式戦、四式戦により錬成教育を実施

 
◆歴代飛行隊長
内徳隆幸少佐、江原英雄少佐
 
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第2錬成飛行隊/戦闘機隊(宙第521)
使用機種 一式戦闘機(隼)
 
昭和19年7月22日、京城において編成。
一式戦により錬成教育を実施。
20年5月27日水原飛行場に移駐
 
◆歴代飛行隊長
高梨辰夫少佐、泊重愛少佐、渥美二郎少佐
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第3錬成飛行隊/戦闘機隊(誠第522)
使用機種 二式複座戦闘機(屠龍)
 
昭和19年4月28日、滋賀県八日市において編成
6月15日八日市出発、6月24日台中着。
7月20日台中出発桃園着。二式複戦により特操第一期生の錬成教育を実施。
10月10日~10月17日間台湾並びに南西諸島に於ける防衛戦闘に参加。
12月23日転地訓練のため桃園出発同日彰化着。
20年5月21日桃園着20年3月26日~6月20日台湾並びに南西諸島に於ける天号航空作戦参加
 
◆歴代飛行隊長
山下美明少佐、杉本明少佐、永岡良一少佐
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第4錬成飛行隊/戦闘機隊(羽第16634)
一式戦闘機(隼)
 
昭和19年、5月30日新京にて編成。
19年6月15日新京出発6月18日三江省佳木斯着第七、八、九幹部候補生(転科)
特別操縦見習士官第一期生等を一式戦により錬成教育を実施。

一部は9月18日浜江省平房着10月20日深井子に移駐、11月末北飛行場移駐、
12月4日特別攻撃隊玄武隊編成出陣。

20年3月一部原隊より佳木斯に分遣。20年6月分遣隊佳木斯より老連に移駐
奉天に移動中、一部ハルピンにおいて終戦。主力は終戦と同時に
奉集堡に集合。隊長、林少佐以下要員三百名は捕虜でなく
軍人として処遇され、中国共産党軍が選抜した中国軍人に操縦、整備の教育を
牡丹江周辺にて実施。中国共産党空軍の発展に寄与。
 
◆歴代飛行隊長
石川貫之少佐、林弥一郎少佐
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第5錬成飛行隊/戦闘機隊(隼第16635)
使用機種 一式戦闘機(隼)、九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)
九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機

 
19年5月編成。6月26日空中部隊主力孫家飛行場出発6月27日南京大校飛行場着。
7月下旬一部を抗州飛行場に派遣、教育の準備。
9月下旬南京本隊に復帰、10月上旬一部を徐州に派遣。
20年1月26日徐州派遣隊は西郊派遣隊となる。
1月30日西郊派遣隊は南苑に到着。2月1日主力河北省揚村に到着
◆歴代飛行隊長
野口伍郎少佐、杉本明少佐
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第6錬成飛行隊/司偵隊(空第523)
百式司令部偵察機(新司偵)
 
昭和19年7月31日兵庫県三木にて編成。錬成実施。

◆歴代飛行隊長
羽根俊平少佐、角田雄三少佐
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 第7錬成飛行隊/司偵隊(昭第18432)
使用機種 九七式戦闘機、九八式直接協同偵察機、三式戦闘機(飛燕)、九九式襲撃機

19年6月台湾屏東において編成。7月14日高雄出発7月19日マニラ上陸デルカルメンに展開。
9月21日マニラクラークフィールド上空戦闘に参加。
10月17日マニラ港出発11月3日シンガポール上陸。ビルマタボイ飛行場に展開。
20年5月20日飛燕戦闘隊編成に着手、スマトラ島パレンバンに於て編成完結
 
◆歴代飛行隊長

内田源次郎大尉(戦死)、近藤明邦少佐
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第8錬成飛行隊/戦闘機隊(昭第18433)
使用機種 四式戦闘機(疾風)
 
昭和19年5月31日会寧において編成。8月シンガポールに移駐。
9月23日佛印サイゴンに移駐。20年1月13日第五飛行師団指揮下に入る。
8月1日サイゴンにて高戦闘隊編成。8月8日コンポンクーナンに移駐、
同地区にて反攻邀撃々破作戦に従事
◆歴代飛行隊長
中野猪之八少佐、仲光博文少佐

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第9錬成飛行隊/戦闘機隊(富第11080)
使用機種 一式戦闘機三型(隼)

19年ビルマ、メイクテイラにおいて編成
6月9日メイクテイラ出発、シンガポール経由7月スマトラ島ラハト着。

7月10日~12月15日同地に於て、反攻邀撃作戦に参加。錬成教育に従事。
20年1月25日パレンバン英機動部隊来襲邀撃戦闘。
5月28日ラハト発パレンバン着
◆歴代飛行隊長
勝村五郎少佐(戦死)、高野国彦少佐
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第10錬成飛行隊/戦闘機隊(空第524)
使用機種 四式戦闘機(疾風)、一式戦闘機三型(隼)

19年11月30日京都府由良において編成。
錬成教育を実施。併せて京阪神地区防空哨戒に従事

◆歴代飛行隊長
三宅輝彦少佐、奥山清蔵中佐
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第11錬成飛行隊
使用機種 三式戦闘機(飛燕)
 
昭和19年11月30日、目達原において編成。
特別操縦見習士官の錬成教育。

特別攻撃隊を編成、並びに北九州八幡地区防空哨戒に従事
◆歴代飛行隊長
山口栄少佐成飛行隊/戦闘機隊(空第525)
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第12錬成飛行隊/戦闘機隊(宙第526)
使用機種 二式複座戦闘機(屠龍)、一式双発高等練習機
 
19年京城金浦において編成。10月9日群山に移駐、錬成教育を実施。

20年5月15日群山出発。5月17日新義州着、錬成教育
◆歴代飛行隊長
三浦敏威少佐、中井清少佐、田中芳蔵少佐
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第13錬成飛行隊/戦闘機隊(羽第16663)
使用機種 一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
19年9月15日満洲公主嶺において編成。11月10日一部新京に移駐、20年
4月5日主力新京に移駐。
錬成操縦訓練を実施。
7月20日主力公主嶺に移駐、一部孤店子に展開。
8月9日出動準備。20年8月10日空中勤務者を含む百数十名開原に移駐、
8月12日興安南省五叉溝方面に攻撃。8月13日トウ南にて戦車部隊を攻撃。
8月14日老爺廟および白城子北方にソ連機械化部隊攻撃のため進撃
◆歴代飛行隊長
田口長蔵少佐、大高勲少佐
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 第14錬成飛行隊/戦闘機隊(羽第16664)
使用機種 一式戦闘機(隼)
  
19年8月20日満洲龍江省衛門屯において編成。
◆歴代飛行隊長

野口久七少佐
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第15錬成飛行隊/司偵隊(昭第11092)
一式双発高等練習機、百式司令部偵察機(新司偵)

19年11月30日マレークアラルンプールにおいて編成着手。
スマトラ島クアラに移駐編成完結。

錬成教育実施並びに英機動部隊の海上捜索警戒に任ず
◆歴代飛行隊長
佐藤繁雄少佐
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第16錬成飛行隊/(富第11095)
使用機種 不明
 
19年7月25日シンガポールにおいて編成。
  
◆歴代飛行隊長
佐々木茂少佐
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第17錬成飛行隊/戦闘機隊(昭第11093)
使用機種 一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
19年10月3日、シンガポールにおいて編成。
特別操縦見習士官錬成教育の実施と共に警備に任ず。

12月21日ボルネオ島ミリ上陸、同地の防衛に従事。
20年3月1日ミリ出発3月12日シンガポール上陸同地の防衛に従事
◆歴代飛行隊長
榊政行少佐、井上重俊少佐
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 第18錬成飛行隊/戦闘機隊(昭第11094)
 使用機種 三式戦闘機(飛燕)
 
19年10月30日ジャワ島バンドンにおいて編成。
20年4月スマトラ島パレンバンに移駐。
5月25日第七錬成飛行隊と共に飛燕戦闘隊を編成、
パレンバンの防空に任ず

◆歴代飛行隊長
原強少佐、山下一助少佐、近藤明邦少佐
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第19錬成飛行隊/戦闘機隊(隼第17327)
使用機種 一式戦闘機(隼)
 
昭和19年10月7日河北省南苑において編成
10月2日河北省唐山に前進。同地附近警備勤務並びに要員教育に従事。

10月14日~20年2月3日大場鎮派遣隊を編成。
19年12月1日~20年8月14日錬成教育を実施
◆歴代飛行隊長
下村義雄少佐
------------
 
第22錬成飛行隊/戦闘機隊(羽第16664)
使用機種一式戦闘機(隼)
 
19年8月20日龍江省衛門屯において編成第十四錬成飛行隊を改編。

0月3日公主嶺に移駐、11月5日本隊三十里堡移駐、分屯隊奉天省熊岳城に移駐、20年7月20日綏化へ移動、本隊分屯隊合流。
20年8月10日綏化より東豊に移駐。8月13日四平へ移駐
◆歴代飛行隊長
野口久七少佐、笠村諭少佐
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第23錬成飛行隊/襲撃機隊(宙第527)
使用機種 九九式軍偵察機
 
昭和20年1月31日平壌において編成
第十三教育飛行隊を改編。錬成教育を実施

◆歴代飛行隊長
西ヶ谷武夫少佐
--------------
第24錬成飛行隊/重爆機隊(空第528)
使用機種 不明 
 
19年12月31日
浜松において編成。第五教育飛行隊を改編。
熊谷稜威原飛行場に移駐。重爆の錬成教育を実施
◆歴代飛行隊長
大島良三少佐、桑原七郎少佐

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第25錬成飛行隊/重爆機隊(宙第529)
使用機種 不明
 
19年12月27日咸鏡南道宜徳において編成。
第五教育飛行隊を改編。熊谷稜威原飛行場に移駐。
重爆の錬成教育を実施

◆歴代飛行隊長
大島良三少佐、桑原七郎少佐
-------------
第26錬成飛行隊/戦闘機隊(富第11097)
使用機種 不明

20年2月28日
ジャワ島マランにおいて編成
  
◆歴代飛行隊長
不明 

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第27錬成飛行隊/襲撃機隊(昭第11098)

使用機種 不明

昭和20年2月28日、
マライケダー州ケチルにおいて編成。
◆歴代飛行隊長
不明 

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第28錬成飛行隊/重爆機隊(昭第11099)

使用機種 不明
 
20年2月25日
マレーイポイにおいて編成。
◆歴代飛行隊長
不明 
 
以上

陸軍飛行戦隊一覧データベース

陸軍飛行戦隊のデータベースを作っています。
海軍航空隊の情報は充実しているのですが、陸軍飛行戦隊は
ほとんど検索しても出てこないので、興味を持って調べられた方の
きっかけになりたいと願っております。
 
陸軍の航空機運用は、歩兵の支援機関であり、古くは明治42年に発足した
気球研究会が始まりです。
 
固定翼機が活躍した大東亜戦争時の基本部隊編成を役割ごとに分けると
戦闘機隊・軽爆撃機(襲撃機)隊・重爆撃機隊・偵察機隊・輸送飛行隊があります。
海軍と比較して部隊が規模が小さい代わり数が多いのが特徴です。
陸軍の歩兵中隊をベースに考えるとわかりやすく、
陸軍飛行戦隊は3機~4機を一個中隊(飛行隊と呼ぶ場合も)として
第一から第三、第四中隊で一個の飛行戦隊となり、おおむね16機程度となります。
 
飛行戦隊以外に
師団司令部直轄飛行隊、独立飛行中隊、教育飛行隊、飛行学校、教導飛行師団、
航空廠等も揃えて参ります。
 
部隊名のみ記入し、概要と航空機のビジュアル等は
完成次第、追加して行きます。
 
ちょっと多すぎるので、ページを分けます。
部隊名など、文字検索の方法
(win)Ctrl+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
ページ内部検索ができます。
(Mac)command+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
ページ内部検索ができます。

1sentai 
飛行第1戦隊/戦闘機隊(威第8301)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
日本陸軍最初の戦闘隊として最も古い伝統を誇る。
その前身は大正4年10月に所沢で編成された航空大隊で
気球一個中隊、飛行機一個中隊、材料廠より成る。
当初の使用機はモーリス・ファルマンであった。
ノモンハン事件では飛行第十一戦隊とともに活躍し、
大東亜戦争では一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」
を使用しニューギニア・大陸戦線を転戦したのち、
フィリピン決戦に全戦力を投入。通常任務のほか、
特攻隊を編成、戦力の全てを失った。埼玉県の高萩で戦力復帰し
第十飛行師団隷下で本土防空戦を行いつつ終戦を迎えた。
 
◆編成と復帰
昭和13年7月5日各務原において編成。
埼玉県高萩飛行場において復帰
 
◆部隊史
飛行第一連隊を改編。
14年6月1日満州孫家へ移駐、第一飛行集団隷下。6月21日満州徳伯斯へ展開。
7月2日満州採塩所へ展開、この間第二次ノモンハン事件に参加、第五飛行集団隷下。
10月10日孫家に帰還。
16年3月呂号特別演習参加。6月勃利にて警備。11月19日孫家出発、第三飛行集団隷下。
12月8日シンゴラ着マレー作戦参加、船団援護、泊地援護。
17年2月17日パレンバンに進出同地防空。4月7日レグ進出ビルマ作戦参加。
17年5月~7月三重県明野にて機種改変。8月第十二飛行団隷下、パレンバン進出同地防空。
17年10月3日ハノイ着、雲南、昆明攻撃参加。10月20日一部を二十一戦隊に転属。
18年1月9日ラバウル進出、ソロモン、ニューギニア、ガダルカナル作戦参加。
18年8月2日明野において機種改変、満州佳木斯へ展開。
11月内地に転進、千葉県柏着以後帝都防空に従事。
19年10月23日比島クラークフイルドに展開、第十二飛行団長の隷下に入り、レイテ総攻撃作戦参加。
19年11月7日戦力回復のため茨城県下館に帰還。12月27日ポーラックに進出、比島航空作戦参加。
20年2月台湾に移動。4月30日第十二飛行師団隷下、埼玉県高萩へ移駐、戦力回復。
地上残置隊はルソン島カガヤンにおいて臨時歩兵第二十四大隊(長は安倍大佐)に編入。
イザベラ州サンタクルーズ付近の討伐警備に任す。
20年9月2日停戦により武装解除、米軍収容所に入る。
 
◆歴代戦隊長
加藤敏雄中佐、原田文雄少佐、吉田直少佐、竹田金四郎中佐、
沢田貢少佐、松村俊輔少佐、橋本重治大尉、四至本広之蒸大尉
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

2sentai 
飛行第2戦隊/偵察機隊(威第11614)
◆仕様機種

九二式偵察機、九四式偵察機、九七式司令部偵察機、
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第二連隊を改編。
7月18日第六・七直協飛行隊を編成、第一飛行集団隷下。
18年8月31日チチハルに移駐、独立飛行第五十三中隊を編合、9月20日佳木斯へ移駐。
19年5月25日クラークに展開、海軍連合艦隊司令長官の指揮下に入り、
6月16日ペリリユウに前進、海上捜索。
19年7月9日クラークに帰還、第二飛行士団長の指揮下に復帰、ハルマヘラ方面、
比島航空作戦に参加、
機動部隊捜索、攻撃部隊誘導、戦果確認等に活躍。
11月21日第四航空軍司令官より感状授与。
20年1月12日戦力回復のため空中勤務者及び、基幹人員ヘイ東へ転進
(地上勤務者の大部は臨時歩兵第十五大隊及び航空通信隊編入)
2月16日第六航空軍司令官の隷下に入り、3月6日から逐次千葉県八街へ帰還。
3月24日福岡県蓆田(板付)に前進、飛行第百六戦隊、独飛第十九中隊、
第四独立飛行隊を指揮下に入れ(4月20日独飛第十九中隊を除き編合)、
菊水及び天号航空作戦に参加、沖縄方面養生作戦に任じた。
7月15日第十二独立飛行隊に改編復帰。
 
◆編成と復帰
昭和13年7月31日、各務原において編成
昭和20年7月15日、福岡において復帰
 
◆歴代戦隊長
沼田英治中佐、小林孝知大佐、今津正光中佐、沢井光二中佐、鈴木剛一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

3sentai

飛行第3戦隊/軽爆・偵察・襲撃隊(誠第18967)
◆仕様機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、
百式司令部偵察機(新司偵)、キ百二双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
飛行第三連隊を改編、第一飛行集団隷下。

17年3月青森県八戸に移駐。17年6月樺太落合飛行場に移駐。19年3月北千島占守島に移駐。
19年6月沖縄嘉手納に展開。10月台中に移駐、台湾防衛戦闘参加。
10月下旬クラークに展開、比島航空作戦参加、
11月20日戦力回復のため埼玉県所沢へ帰還、戦力再編成、第二十六飛行団隷下、
20年6月秋田県能代に移駐。
 
◆編成と復帰
昭和13年8月31日八日市において編成
昭和20年9月1日、能代復員
 
◆歴代戦隊長
東榮治大佐、志方光之大佐、鈴木京中佐、木村修一中佐(戦死)、鈴木武男少佐、並木好文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

4sentai_2
飛行第4戦隊/偵察・戦闘機隊(天風第35001)
◆使用機種 
九四式偵察機、九五式戦闘機、九七式戦闘機、
九七式司令部偵察機、二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆概略
北九州地区におけるB-29邀撃戦闘で著名な飛行戦隊。
夜間、対重爆撃機に対する邀撃に最も早くから着目し
鹵獲したB-17を目標機に使用して高高度戦闘訓練を実施。
二式複戦屠龍のほか、武装した百式司偵を加え、
成都から飛来するB-29梯団の邀撃任務に就く。
昭和十九年十二月には空対空体当たり専門の「回天隊」を編成したほか
フィリピンへ数名の特攻要員を送り出している。
  
◆部隊史
飛行第四連隊を改編、第一飛行集団隷下。

15年3月山口県小月に移駐。16年10月10日台南屏東に展開、防空及船団援護。
11月11日小月に帰還、第十二飛行師団隷下、北九州の防空に従事。
 
◆編成と復帰
昭和13年8月31日、芦屋において編成
昭和20年8月15日、小月において終戦
 
◆歴代戦隊長
近藤時習大佐、立松芳次郎大佐、林三郎中佐、岡本修一中佐、長野綱男少佐、
黒田武文少佐、阿部勇雄少佐、小林公二少佐、町田久男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

5sentai

飛行第5戦隊/戦闘機隊(天鷲第15310)
  
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機屠龍、五式戦闘機
 
◆概略
二式複戦「屠龍」を用いて
名古屋地区の本土防空戦で活躍したことで著名な戦隊。
二式複戦のほかに、終戦までに五式戦30機が配備された。
終戦の詔勅ののち
戦隊は18日未明を期して伊勢湾南方の米機動部隊に爆装した
五式戦二十五機で強襲する計画をたてていたが、情報が洩れ
飛行師団司令部の説得で中止された。
南方戦線では昭和19年5月
高田勝重戦隊長がビアク上陸の当日、ソロン・エフマン基地に
あった二式複戦、四機を爆装して出撃。海面から100メートルの
超低空飛行で敵駆逐艦を強襲し全機未帰還となった。
高田隊の壮挙は特攻の先駆けと称えられ南方総軍司令官から
感状を授与された。
 
◆部隊史
飛行第五連隊を改編し、第一飛行集団隷下となる。
14年6月千葉県柏に移駐。
18年7月マランに展開し、船団掩護と防空任務に服す。
18年5月27日高田勝重戦隊長は4機をもってピアクの敵艦船に突入。
19年9月愛知県小牧に移駐し、第二十三飛行団隷下となる。
 
◆編成復帰 
昭和13年8月31日立川において編成
昭和20年8月15日、清州で終戦

◆歴代戦隊長
近藤兼利大佐、恩田謙蔵大佐、小松原虎男中佐、
高田勝重少佐、松山武夫少佐、山下美明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

6sentai

飛行第6戦隊/軽爆機隊(隼魁第9102)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式軽爆撃機、九八式軽爆撃機、九九式襲撃機
  
◆部隊史
飛行第六連隊を改編、第二飛行団隷下。
16年8月14日関特演のため朝鮮会寧に移動。10月18日満州佳木斯に移動。
18年8月東京城へ展開。19年1月31日支那に転用され編成改正。
5月19日中支南京へ展開。5月29日主力(本部主力及び第一・第三中隊)
白螺磯へ展開、長沙攻略作戦。衡陽攻撃に参加、
6月7日一部(本部の一部及び第二中隊)南支へ展開、衡陽攻撃に協力。
20年4月海州を経て朝鮮大邱へ展開、20年8月23日東京都調布へ移駐。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日平壌において編成
20年8月調布において復帰

◆歴代戦隊長
平田勝治大佐、佐藤吉直中佐、広田一雄中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

7sentai

飛行第7戦隊/重爆機隊(靖第21202)
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)
四式重爆撃機(飛龍)
 
◆概略
陸軍重爆撃機隊として最も古い歴史を誇る。
昭和19年6月以降、四式重爆機「飛龍」をもって
海軍連合艦隊の指揮下に入り
鹿屋、大分等の海軍基地へ展開。98戦隊とともに陸軍機としては初となる
雷撃隊となる。空母「鳳翔」を敵艦にみたて、雷撃訓練を実施した。
比島・クラークに進出し、巡洋艦撃沈等の戦果を記録。
年末には千葉県香取基地よりサイパン島を爆撃。そのうちに
陸軍より「爆撃に使用するくらいなら陸軍に返せ」と問題になり
約三週間実施した爆撃を中止し、宮崎へ帰投する。
  
◆部隊史
飛行第七連隊を改編し、第一飛行集団隷下となる。

16年7月11日航空兵団長隷下に入り、関特演参加のため満州公主嶺に移駐。
17年9月第三航空軍指揮下に入りカリジヤチに前進、パンダ海方面海域の哨戒。
18年4月静岡県浜松に於て機種改変。18年8月ニューギニア航空作戦参加。
19年1月戦力回復のため浜松に集結。19年2月鹿児島県鹿屋に移駐。
19年2月22日編成改正、第一航空軍司令官の隷下に入り四式重爆撃機(飛龍)に機種改変。
19年6月海軍連合艦隊の指揮下に入り雷撃訓練。
19年10月比島クラークに展開、比島、沖縄航空作戦参加。
19年12月千葉県香取に展開、サイパン攻撃。
20年3月宮崎に集結、九州東方海面航空作戦及沖縄艦船攻撃に参加、第二十七飛行団隷下となる。
20年6月29日本部は兵庫県伊丹に、各中隊は公主嶺、福島県郡山、鳥取県美保、
三重県亀山基地に展開。
20年8月15日各中隊伊丹に集結。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日浜松において編成
20年8月15日伊丹において終戦

◆歴代戦隊長
塚田理喜智大佐、三成省三大佐、深井英一大佐、大西豊吉中佐、高橋猛少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

8sentai

飛行第8戦隊/司偵・軽爆隊(誠第9913)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第八連隊を改編、第四飛行団隷下。
16年3月30日臨時編成下令。16年4月15日台北に集結、南支方面軍司令官の指揮下に入り福州作戦参加。
4月29日屏東帰還。16年5月11日臨時出動下令支那派遣軍總司令官の指揮下に入り淅東作戦に参加。
5月27日屏東帰還。16年7月機種改編。12月8日~12月21日比島航空撃滅戦参加、
12月比島ツゲガラオに展開マニラ攻略戦参加。17年1月9日次期作戦準備のため屏東へ移駐。
1月22日ドムアンに展開、飛行第五師団隷下、ビルマ航空作戦参加、
バンコック、ミンガラドン、モールメン、トングーに基地前進。
18年8月岐阜に於て機種改編(九九式双発軽爆撃機)
18年11月タイに転進、ビルマ北方遮断作戦及びインパール作戦参加。
19年7月仏印プノンペン、クツクリ等に於て艦船及び飛行場攻撃に参加。
20年7月屏東に移駐、第八飛行師団に編入。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日編成
 
◆歴代戦隊長
山中繁茂大佐、本多三男大佐、塩田要中佐、釘宮清重中佐、肱岡直少佐、長屋勝重中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

9sentai

飛行第9戦隊/戦闘機隊(隼魁第9103)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗) 
 
◆概略
支那事変・ノモンハン事件以来、大東亜戦争終結まで
大陸戦線で敢闘を続けた戦闘機隊。昭和18年5月
明野で二式単戦に機種転換し東満の団山子飛行場へ移駐し
各地で空戦を重ねた。また、当初成都から出撃するB-29の編隊を
攻撃した。
 
◆部隊史 
飛行第九連隊を改編。
13年7月12日蒙古力に移駐。
18年9月9日牡丹江省団山子に移駐。
19年2~12月の間、支那に派遣され、安慶、新郷、漢口に展開。
19年中期、後期、中支航空作戦に参加。
19年12月8日~20年3月8日広東に前進、南支航空作戦ならびにと号作戦参加。
20年8月14日南京に展開。
 
◆編成復帰
昭和13年7月1日会寧において編成
南京において終戦
  
◆歴代戦隊長
難波清作大佐、秋田熊雄中佐、高梨辰雄少佐、役山武久少佐、平家輔少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

10sentai_2

飛行第10戦隊/偵察・軽爆機隊(誠第9624)
◆使用機種
九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九八式軽爆撃機、百式司令部偵察機(新司偵)
 

◆部隊史
飛行第十連隊を改編、第二飛行集団隷下。
14年5月1日、ノモンハン事件参加。
16年7月28日第十独立飛行隊本部、独立飛行第七十、七十四、七十六中隊に改編。
18年6月10日ラバウルにおいて第十独立飛行隊、独立第七十六中隊を復帰し、
飛行第八十一戦隊より、一個司偵中隊を転入して戦隊再編成。
18年8月ニューギニア、ウエワクに前進、ニューギニア、東部・南部の捜索に任ず。
19年6月5日ミンダナオ島ダバオに展開。19年7月戦力回復のため千葉県下志津へ移動。
19年11月台北に展開、台湾及び南西諸島、航空作戦参加。
20年3月26日~6月20日天号航空作戦参加。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日嫩江において編成
台北にて終戦
 
◆歴代戦隊長
田副登大佐、白銀重二大佐、土田兵吾大佐、下村兵一中佐、新沢勉中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

11sentai

飛行第11戦隊/戦闘機隊(燕第8311)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)

 
◆概略
ノモンハンで勇名を馳せた陸軍戦闘機隊。
飛行第一戦隊と共にもっとも古い伝統を誇り
篠原弘道など数多のエースを輩出。大東亜戦争では
フィリピンでの激戦、本土防空戦に従事した。
11を象った電光マークは最もよく知られている。
 
◆部隊史
飛行十一連隊を改編。
14年5月13日第一次ノモンハン事件参加のため満州採塩所に展開。
14年10月20日より支那事変参加、南京、武昌、漢口において防空ならびに諸作戦に従事。
15年12月17日ハルピンに帰還。
16年6月関特演参加のため、満州勃利に展開、第三飛行集団隷下となる。
16年11月14日南方転進、フコク島クーカンに展開し船団掩護。
その後シンゴラ、パタニ、クワンタン、スンゲイバタニ、パトバハ、パレンバンと移動し、
マレー、ジャワ作戦に参加。
17年3月ビルマ派遣、レグへ展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
17年7月3日機種改編のため三重県明野に移駐。9月16日シンガポール帰還。
12月21日南東方面に転用されラバウルへ展開、ニューギニヤ方面の作戦に参加。
18年8月12日内地帰還。明野で機種改編後、ハルピンに移動し戦力回復。
12月17日中支武昌へ展開。一号作戦参加。
19年3月東京都福生に移動、四式戦に機種改編。10月宜蘭に前進し、台湾防空。
19年11月2日比島ポーラックに展開、捷一号作戦参加。
20年2月26日第六航空軍に編入。茨城県下館、埼玉県高萩にて戦力充実。
 
◆歴代戦隊長
野口雄次郎大佐、岡部貞中佐、杉浦勝次少佐、森下清次郎少佐、金谷祥弘少佐、溝口雄二少佐
 
◆編成/昭和13年8月31日ハルピン
◆復帰/昭和20年埼玉県高荻飛行場
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

12sentai

飛行第12戦隊/重爆撃機隊(誠第9122)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
飛行第十二連隊、第一大隊を改編、航空兵団隷下。
13年9月北支派遣、漢口攻略その他作戦、重慶、蘭州等奥地進攻作戦参加。第二飛行集団隷下。
14年2月公主嶺帰還。14年6月19日~7月14日ノモンハン事件参加。
16年8月北支派遣、重慶、蘭州に進攻。
9月23日広東へ展開、第三飛行集団隷下、プノンペンに前進、マレー航空撃滅戦参加。
12月25日ビルマ航空撃滅戦参加。
17年1月シンガポール攻撃、2月16日~3月16日北部スマトラ作戦参加。
4月24日ビルマ、ミンガラドンに展開、第二次ビルマ航空作戦参加。
9月10日武装改装のため内地帰還。9月20日現地に帰還。第七飛行団隷下。
17年11月18日ジャワ、スラバヤに展開、ジャワ周辺航空作戦参加。
18年5月レグー展開ビルマ航空撃滅戦参加、
19年7月15日比島、クラークに集結。11月4日ケンダリー、モロタイ攻撃。
20年1月11日比島マラバンに展開、戦力回復。此の間第二次濠北作戦、比島作戦参加。
20年7月10日第八飛行師団隷下、屏東に移動。
 
◆歴代戦隊長
原田宇一郎大佐、山本健児大佐、北島熊雄大佐、吉井宝一大佐、野本重男少佐、浜田益生少佐
 
◆編成/昭和13年8月31日公主嶺
◆復帰/ヘイトウ
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

13sentai

飛行第13戦隊/戦闘機隊(誠第11703)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式司令部偵察機、九七式戦闘機、
一式戦闘機(隼)、二式複座戦闘機(屠龍)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概要
日米開戦とともに加古川で、阪神地区の防空任務を主として
編成された戦隊。京城派遣、室蘭防空ののち二式複戦に
機種改編し昭和18年3月、南方進出の命が下る。
B-17攻撃用として37ミリ戦車砲が搭載された機体を含め
フィリピンを経由しラバウルへ進出。空母「雲鷹」「沖鷹」
で横須賀を出港した部隊はトラック春島飛行場へ立ち寄った
のちラバウルへ進出し、主として対重爆機戦闘の要として
戦果を上げた。
 
◆部隊史
飛行第十三連隊を改編、第一飛行集団隷下となる。
16年12月8日~17年12月31日柏に移駐、帝都防衛。
17年3月二式複戦屠龍に機種改編。
18年5月11日ラバウルに展開、防空任務。ウエワクに前進、海上輸送掩護。
12月31日ハルマヘラ島ガレラに展開、対潜哨戒、船団掩護。
19年4月一式戦隼に機種改編。12月3日比島ポーラック進出、比島航空作戦参加。
20年3月15日サイゴンに移動、戦力回復。第八飛行師団隷下となる。
20年7月15日台湾屏東に展開。
 
◆歴代戦隊長
神谷正男大佐、近藤三郎中佐、立山武雄大佐、秋田熊雄中佐、
長野綱雄少佐、町田久雄少佐、中野和彦少佐、丸川公一少佐
 
◆編成復帰
昭和13年8月30日加古川
昭和20年8月15日ヘイトウにて終戦

◆戦死者・殉職者追悼
 

14sentai

飛行第14戦隊/重爆撃機隊(燕第9906)
◆使用機種
九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
飛行第十四連隊を改編、第四飛行団隷下。
15年7月海南島海口に展開。
16年4月福州上陸作戦のため台北へ展開、5月浙江作戦のため中支大場鎭へ転進。
5月下旬台湾嘉義帰還。
7月13日南部仏印進駐作戦のため海南島、海口に展開。8月30日嘉義帰還。
12月8日北部比島攻撃。12月16日香港攻撃、12月23日ルソン島、ツゲガラオに展開、比島作戦参加。
17年1月6日嘉義帰還。1月20日タイ・ドムアンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
5月1日機種改変のため浜松へ移動。6月26日マレー、ケチルに展開、
第七飛行団隷下、ビルマ周辺地区航空作戦参加。
18年3月1日ラバウルに展開ニューギニア、ソロモン航空作戦参加。
19年1月15日~3月チモール島、モロタイ島、パラオ島各飛行場に展開、対潜哨戒。
3月下旬~4月クラーク、アンヘレス飛行場に展開、輸送船団掩護。
7月~10月嘉義に於て海上哨戒。10月20日クラークフィールドに展開。
11月セレベス島・ピンランに展開、モロタイ島攻撃。12月22日ジャワ島、マランに展開。
20年1月16日機種改変のため福岡県新田原に移動。2月4日茨城県水戸へ移駐。
第十六飛行団隷下、20年5月群馬県新田へ移駐。
 
◆歴代戦隊長
弘中孫六大佐、井戸田勇大佐、遠藤操中佐、朝山小二郎中佐、吉田大八少佐
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日嘉義
新田にて終戦
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

15sentai 
飛行第15戦隊/偵察機隊(威第8315)
◆使用機種
九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十五連隊を改編、航空兵団隷下。
13年9月23日北支作戦参加の為、南苑に展開、第二飛行集団隷下。
14年4月満州新京に帰還。6月27日ハイラルに展開、ノモンハン事件参加。
9月30日新京帰還。15年3月直協中隊支那方面派遣。16年3月編成改正、司偵二個中隊となる。
16年7月1日第二中隊広東へ展開、第二十五軍指揮下に入る。
7月29日戦隊を第十五独立飛行隊・独立飛行第五十、五十一中隊に改編。
19年1月31日新京に於て、第十五独立飛行隊本部、独立飛行第五十、五十一中隊を復帰。
19年5月比島クラーク進出、海軍第二十三航空部隊の指揮下に入り南東方面の捜索。
19年10月内地帰還、大阪府大正にて戦力回復、機種改変。
11月比島サンマルセリノに前進、レイテ方面捜索、比島航空作戦参加。
20年2月第三航空軍に転属、サイゴンに転進。
  
◆編成昭和13年8月31日新京
◆復帰 昭和20年5月 サイゴン
 
◆歴代戦隊長
安倍克己大佐(戦死)、山本辰雄大佐、中浜吾祐中佐、高橋勝夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

16sentai

飛行第16戦隊/軽爆撃機隊(隼魁第9142)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機(屠龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第十六連隊を改編、第二飛行団隷下。
14年7月17日~9月22日第2次ノモンハン事件に参加のため満州採塩所に展開。
9月26日海浪へ帰還。
16年11月30日台湾佳冬に展開。第5飛行集団隷下。
16年12月10日~17年1月11日アパリ・ツゲガラオに展開、北部比島作戦に参加。
17年3月~4月コレヒドール攻略作戦に参加。17年5月鉾田に於て機種改変。
17年6月北支彰徳に展開。17年7月~11月河南・湖南作戦に協力。
17年12月~19年6月武昌・漢口・南京・上海展開、各航空作戦に参加、地上戦闘に協力。
19年10月奥地進攻。20年1月~4月上海に移駐、地上作戦に協力。
20年5月朝鮮平壤に移駐。第八飛行団隷下。
20年6月一部をもって福岡県大刀洗を補給地として沖縄作戦に参加。
 
◆編成/昭和13年8月31日海浪
◆復帰/平壌
 
◆歴代戦隊長
下山琢麿大佐、大塚寅雄大佐、久米精一大佐、梁瀬建吾中佐、川守田庄次郎中佐、
甘粕三郎中佐、森桂中佐、佐藤三郎少佐、林正博少佐、佐藤大六少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

17sentai

飛行第17戦隊/戦闘機隊(誠第15351)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和19年2月、各務原で三式戦闘機「飛燕」をもって
編成。フィリピン戦線へ進出し戦闘を繰り返した。
フィリピンで全戦力を損耗した戦隊は回復の為
小牧へ帰還。名古屋地区へ飛来するB-29の邀撃任務に就く。
昭和20年3月、天号作戦発令とともに特攻隊を編成。石垣島へ前進。
慶良間列島沖の米艦船に対し第一次特攻攻撃を敢行した。
その後、第二次特攻隊、台湾に転進したのち第三次
特攻隊を編成出撃した。6月、台湾では唯一となる五式戦が配備されたが
操縦資料がなく、高田戦隊長自らが空輸者から要領を聞き教育にあたった。
昭和20年8月9日、ソ連が参戦の日、戦隊は内地転進の
命を受け、上海を経由し熊本の健軍飛行場へ転進する計画途中
終戦の詔勅を受けた。
 
◆部隊史
第二十二飛行団隷下。
19年3月~6月愛知県小牧に移駐、訓練および防空任務。
6月11日マニラに展開、マニラ防空任務。
19年10月ネグロス島へ展開、レイテ作戦参加。空中勤務者の大半戦死。
20年1月小牧に帰還、戦力回復。
20年3月5日台湾花蓮港に展開、台湾および南西諸島、天号航空作戦参加。
  
◆編成/昭和19年2月10日各務原
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
荒蒔義次少佐、高田義郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

18sentai

飛行第18戦隊/戦闘機隊(天翔第19190)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
  
◆概略
昭和18年12月に三式戦「飛燕」をもって編成された
戦闘機隊。編成時は帝都防空任務を担う計画であったが
錬成が間に合わず、次第に戦力を向上した。大刀洗に
派遣し北九州防空任務に就いたのち、比島派遣が
下令され、アンヘレスへ進出した。レイテをめぐる航空決戦で
米艦載機との空戦、落下傘部隊の掩護、爆装し夜間の
船団襲撃等で敢闘するも、損耗を続けた。
一方で、小宅光男中尉以下の内地残置隊は第10飛行師団の隷下で
帝都防空にあたった。第六震天制空隊を編成。
小三中尉自身が体当たりし生還しB-29を撃墜した。
なお、18戦隊は59戦隊や244戦隊と並んで
もっとも早くに五式戦に機種改編が行われた。
フィリピン残置隊は機体を全耗したのち、ルソン島で
臨時歩兵第20大隊に配属。終戦時の生存者は僅かに6名であった。
 
◆部隊史
19年11月18日比島アンヘレスへ展開、同地航空作戦に参加。
12月10日ネグロス島バコロドに展開、レイテ航空作戦参加。航空機殆ど全滅。
20年2月千葉県柏に帰還、第十飛行師団隷下となる。20年5月千葉県松戸に移駐。
 
◆編成/昭和19年2月10日調布
◆復帰/松戸
 
◆歴代戦隊長
磯塚倫三少佐、黒田武文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

19sentai

飛行第19戦隊/戦闘機隊(誠第15352)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
  
◆概略
昭和19年2月、明野飛行学校で
編成された三式戦闘機「飛燕」部隊。伊丹にて
3月、海軍零戦部隊とともに阪神地区の防空任務に就く。
5月、比島進出が下令され、マニラ・ニルソンへ進出。
米艦載機との空戦、海軍中攻隊の護衛、レイテ湾艦船
攻撃等を行い、次第に戦力全耗、瀬戸戦隊長は地上で敵機の
爆撃を受け戦死。遠藤正博中尉以下三機は、瀬戸内元戦隊長の
分骨を抱き特攻掩護に出撃したまま未帰還となった。
中司准尉も戦死。比島作戦中止とともに台湾へ転進し
同じく比島から転身した55戦隊生存者を編入し
戦力回復を図る。戦隊は僅かな稼働機をもって
練度の高い操縦者は爆装による艦船攻撃を、未成熟の
操縦者には特攻を命じ、沖縄に散った。
 
◆部隊史
第二十二飛行団隷下。
19年3月16日兵庫県伊丹に移駐、京阪神防空。6月2日マニラに展開。
19年8月アンヘレスに展開、船団掩護、防空および機動部隊攻撃。
19年10月ネグロス島ラカルロタに展開、航空総攻撃の出撃掩護。
11月8日戦力回復のため愛知県小牧へ帰還。
20年1月7日台中へ展開、一部特別攻撃隊としてアンヘレスへ展開。
1月8日敵船団に対し特攻直掩、全機未帰還。1月12日ツゲカラオ展開。
20年2月台中展開、沖縄方面敵艦戦への特攻攻撃。
6月21日花蓮港に展開、天号航空作戦に参加。
 
◆編成/昭和19年2月11日明野
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
瀬戸六郎少佐、中島凡夫少佐、本田辰造少佐、吉田昌明大尉、
深見和雄少佐、栗山美春大尉
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

20sentai
飛行第20戦隊/戦闘機隊(誠第18968)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和18年12月、伊丹において編成され
台湾へ転出した246戦隊のあとをうけて大正飛行場
(現在の八尾市柏原)に移駐。阪神地区の防空を務めつつ
錬成を行った。19年2月、20戦隊は北方軍に編入されたため
耐寒準備を行った後、千島へ進出した。
6月、台湾へ移駐し台湾防空任務に就く。
昭和19年10月、比島戦線への進出が下令され
ルソン島バンバンへ進出した。
万朶隊、八紘隊の直掩任務、高千穂空挺隊降下の掩護
を行う。丹心隊掩護ではP-38、16機のの妨害を排しつつ
丹心隊の特攻機6機全機を命中させた。昭和20年2月
台湾に戻った戦隊は一式戦隼三型に機種改編したが
南方空輸中の四式戦を無断で流用し、戦隊長が
憲兵隊に呼び出される一幕もあった。
沖縄決戦開始後は石垣島、宮古島を前進基地として
度々特攻隊の掩護を行い、損耗した。
7月末、沖縄飛行場へ強行着陸する計画が準備されたが
実現に至らぬまま終戦を迎えた。8月15日の夜には
操縦者の中には自決者もあり、沖縄へ突入しようという
空気もあったが、幹部の説得で平穏に帰した。
沖縄北飛行場に残留していた滝平次郎少尉以下、
地上勤務者は地上戦に移行し玉砕した。
 
◆部隊史
第一飛行師団隷下。
18年12月6日大阪府柏原に移動、阪神防衛。
19年5月23日千島得撫島移駐。
8月25日南方転用のため台北へ展開、台湾および南西諸島防衛戦参加。
10月20日一部カロカンに展開、比島作戦参加。
12月20日戦力回復のため台湾の小港に移動し本隊と合流。
20年4月17日天号航空作戦参加。特攻攻撃を行う。
 
◆編成/昭和18年12月1日伊丹
◆復帰/小港
 
◆歴代戦隊長
山本五郎中佐、村岡英夫少佐、深見和雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

21sentai

飛行第21戦隊/戦闘機隊(誠第11050)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機(屠龍)
  
◆概略
飛行第64戦隊の人員を基幹として編成された独立飛行第84中隊が
その前身である。64戦隊がノモンハン進出の折、南支方面の航空作戦
を担った。日米開戦後は、戦隊はハノイにあり、支那・ビルマ・比島と転戦し、
昭和17年末には、パレンバン等油田地帯に移駐し防空・船団護衛任務を行った。
B-24攻撃では、二式複戦の37ミリ砲装備機で空中分解させるなど、
威力を発揮したが、随行するP-51に苦戦し、牟田戦隊長が撃墜寸前
のところ、64戦隊の黒江大尉に救われたこともあった。戦隊主力はその後
台湾へ移駐。一部はパレンバンに残り、終戦を迎える。
 
◆部隊史
独立飛行第八十四中隊と飛行第一戦隊の一部をもって編成。
17年12月4日~18年4月パレンバン防空。
18年4月~19年1月マライ、ビルマにて船団掩護、ラングーン防空。
19年11月~12月セレベス島アムランに前進、モロタイ島攻撃。第八飛行師団隷下。
20年7月12日主力は台湾桃園へ展開。
  
◆編成/復帰昭和17年10月20日ハノイ
◆復帰/主力・桃園 一部スマトラ
 
◆歴代戦隊長
牟田弘国少佐、佐藤熙少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

22sentai

飛行第22戦隊/戦闘機隊(隼第18913)
◆使用機種
二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
東京・福生の陸軍飛行実験部より派生した
初の四式戦闘機「疾風」装備部隊。尾翼に菊水を描いた
決戦部隊として、その期待は大きく
初代戦隊長には陸軍戦闘機隊の至宝、岩橋譲三少佐を任命、
操縦者も老練の者を多く集め、虎の子としての
処遇が与えられた。満を持して大陸戦線、フィリピン決戦へと
送られたが、激戦の末、その多くが損耗し、終戦に至る。
 
◆部隊史
19年5月東京都福生より東京都中津に移動。
19年8月19日支那漢口へ展開、桂林作戦参加。
19年10月神奈川県中津へ帰還。
19年10月18日マルセリノへ展開、レイテ作戦に参加。
20年1月戦力回復のため中津帰還。
3月25日徐州に展開、第一飛行団隷下となり、同地区防衛に従事。
8月2日朝鮮京城に移駐。
  
◆編成/昭和19年3月5日福生
◆復帰/晋州
 
◆歴代戦隊長
岩橋讓二少佐、難波茂樹少佐、坂川敏雄少佐、上原重雄少佐、
神保進所少佐、北島栄一少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

23sentai

飛行第23戦隊/戦闘機隊(天翔第19026)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
昭和19年10月、太田の中島飛行機で編成。新設された
11月、新設の印旛飛行場へ移駐した。
戦隊の一部は硫黄島へ進出し、海軍の指揮下に
編入。船団護衛、三号爆弾をもって海軍戦闘機とともに
米軍機を邀撃したが、全機消耗し印旛に帰還。
その後戦隊は戦力回復しB-29邀撃戦に従事。
その後は芦屋飛行場へ移駐し再びB-29邀撃任務にあたる。
終戦時の保有機は二式単戦約20機、一式戦三型約15機
のほか一式戦の特攻機(神鷲隊)18機であった。
 
◆部隊史
関東地区防空。
19年12月~20年1月一部硫黄島に派遣、掩護任務に服す。
3月29日福岡県芦屋に展開、北九州防空。4月12日千葉県印旙に帰還。
第十飛行団隷下。関東地区防空。
 
◆編成/昭和19年10月11日印旛
◆復帰/印旛
 
◆歴代戦隊長
藤田重郎少佐、谷口正義少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

24sentai

飛行第24戦隊/戦闘機隊(誠第9602)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和13年9月にハルピンの飛行第11戦隊を母体として編成。
ノモンハン航空戦に参加した。昭和16年11月比島攻略作戦への
参加が決定すると、機種は九七式戦闘機のままであったが
士気は高く、開戦当日の12月8日、ビガンへ上陸する
菅野支隊の上空を掩護を行った。その後、一式戦に機種を
変え、昭和18年にはパレンバンへ移駐して防空任務に就く。
さらにニューギニアへ前進した戦隊は、B-17、B-24等の
重爆機と交戦。特にマ弾(マ-102炸裂弾)
による前方攻撃を実施し、戦果を挙げている。
その後も戦隊はニューギニアへ上陸する船団護衛にあたり
P-38、P-39、P-40等の戦闘機と交戦。熱帯不健康地での
疲労から倒れるものも少なくない状況において
戦闘を継続し、損耗した。昭和18年8月2日には
18軍司令、安達二十三中将は第51師団の作戦指導に
あたるため、軍偵に搭乗しアレキシスを離陸。
戦隊は9機をもって直衛にあたったが、
フィンシュハーヘン周辺で
敵戦闘機と交戦状態に入り、安達中将機は
離脱に成功したが、40歳の大ベテランだった戦隊長
横山中佐が、この空戦により惜しくも犠牲となった。
11月末に北九州の芦屋に帰還した戦隊は防空任務に就く。
戦力の回復を行った後、比島へ派遣され海軍連合艦隊の
指揮下に入ったが、一式戦は零戦と比べ運用方法が
異なっていたため、海軍の指揮下では作戦上苦戦を強いられた。
この間、操縦者20名、飛行機40機を失い、全耗。
その後も戦力回復を進めつつ、各地を転戦。
一式戦、四式戦の混成部隊となって、比島決戦後は
台湾へ後退。特攻隊を編成して来たるべき台湾決戦に備えたが
終戦を迎えた。
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下

13年9月22日ハイラルに移駐。
14年5月12日~6月10日第一次ノモンハン事件に参加。
6月19日~9月15日第二次ノモンハン事件に参加。
16年12月5日屏東に展開、比島作戦参加。ビガン前進泊地掩護、航空撃滅戦。
12月16日ルソン島ラオアグに展開。
17年1月ハイラル帰還。明野にて機種改編。7月広東進出、夏季航空作戦参加。
18年5月ブーツに展開。ニューギニヤ航空作戦参加。
11年6月福岡県芦屋に移駐。戦力回復。
19年5月15日クラークに展開。ビアク島攻撃。比島航空作戦に参加。
20年1月台湾嘉義に移動、戦力回復。2月広東に展開。船団護衛と防空任務。
3月28日宮古島に進出。天号航空作戦に参加。
6月21日~8月15日台湾宜蘭に展開、同地防空ならびに戦力回復。
 
◆編成/昭和13年9月1日ハルピン
◆復帰/宜蘭
 
◆歴代戦隊長
松村黄次郎中佐、檮原(ゆすはら)秀見少佐、高橋武少佐、
横山八男少佐、佐田代正一少佐、庄司孝一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

25sentai

飛行第25戦隊/戦闘機隊(隼魁第2387)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和17年11月、独立飛行第10中隊を基幹として漢口で編成された
陸軍戦闘機隊屈指の名門である。支那戦線において、こちらも
急降下爆撃隊の名門飛行第90戦隊の掩護など、在支米軍機との空戦を行う。
昭和20年3月まで支那戦線各地で在支米軍の重爆撃機および戦闘機との
攻防を繰り返した。この間、主力の機体は一式戦二~三型で、
四式戦に機種改編が済んだのは同年5月頃であった。京城で終戦を迎える。
 
◆部隊史

独立飛行第十中隊を改編。
17年10月~19年3月漢口、南京にて要地防空および地上作戦協力。
4月運城、新郷に展開、河南作戦協力。
5月白螺磯(はくらぎ)に展開。湖南作戦協力および防空。
20年1月上海へ移動。2月南京へ移動。5月北京へ移動。
第一飛行団隷下。7月朝鮮水原に移駐。
 
◆編成/昭和17年10月20日漢口
◆復帰/水原
 
◆歴代戦隊長
坂川敏雄少佐、別府競少佐、松山武夫少佐、向谷克己少佐、金沢知彦少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

26sentai

飛行第26戦隊/戦闘・軽爆隊(誠第8399)
◆使用機種
九七式戦闘機、九七式軽爆撃機
九九襲撃機、一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和17年10月、衙門屯において編成された。
当初は戦闘機と軽爆撃機の混成隊であった。
編成とともに比島クラークへ進出。この頃の比島は
戦火から離れていたため、襲撃隊二個中隊はニューギニアへの前進し
ダンピール海峡の夜間哨戒、薄暮あるいは夜間の敵陣地、飛行場
攻撃を行ったが次第に戦力を損耗した。一方、戦闘機隊は
内地へ帰還し隼二型に機種改編を実施。パレンバン防空任務に就く。
時折来襲するモスキートを撃墜したほか、石川清雄曹長は船団護衛中
敵潜水艦の発射して魚雷に体当たりして松川丸(陸兵1300人乗船)を救った。
比島へ後退し、比島決戦を戦う。内地へ帰還後は隼三型に機種変換を行う。
シンガポール等で作戦を行った後、台湾へ転進、特攻隊を編成し
二度にわたり沖縄へ出撃。間もなく終戦。
 
◆部隊史

第二飛行団隷下。
17年11月20日比島クラークに展開。
18年10月29日軽爆隊はニューギニヤ・ブーツへ展開。
戦闘中隊はパレンバン、ハノイ、アンダマンへ展開。
19年3月戦隊スマトラ、ゲルンバン集結。戦闘分科に改編。
10月10日主力比島に転進。レイテ航空作戦参加。12月戦力回復のため
三重県明野へ移駐。
20年3月シンガポールへ展開。ペトン残置隊と合流。
第八飛行師団隷下。7月6日台東に展開。所在の誠第二十六戦隊と合流。
比島残置隊は地上戦闘に参加。
  
◆編成/昭和17年10月2日衙門屯
◆復帰/台東
 
◆歴代戦隊長
島谷亨中佐、太田鉚吉中佐、坂口唯雄少佐、永田良平少佐
 

27sentai

飛行第27戦隊/軽爆隊(威第9123)
◆使用機種
九四式偵察機、九八式軽爆撃機、九九式襲撃機、二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。北支方面地上作戦協力。
9月広東に展開。広東攻略作戦協力。
14年8月満州延吉に移駐。
16年2月1日広東に展開、福建省方面の作戦協力。7月南部仏印進駐、第三飛行集団隷下。
12月コンポンクーナン展開、開戦第一日占領直後のシンゴラ進出マレー作戦に密接に協力。
17年2月パレンバンに進出、ジャワ作戦に参加。3月テンガーに展開。
4月トングーに展開、ビルマ作戦に参加。10月22日延吉に帰還。
18年8月31日衙門屯に移駐。
19年7月9日ネグロス島サラビヤに展開。
20年2月戦力回復のため内地帰還。3月第六航空軍隷下に入り埼玉県所沢に移駐。 
 
◆編成/昭和13年8月1日石家荘
◆復帰/7月15日所沢にて復帰
 
◆歴代戦隊長
須藤榮之助大佐、広田豊大佐、櫻井肇大佐、
黒田久文中佐、田尻清少佐、高橋安夫少佐、後藤清敏少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

28asentai

28bsentai 
飛行第28戦隊/偵察・戦闘機隊(天翔第9160) 
◆使用機種
九七式偵察機、九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆概略
昭和14年6月に満州で編成された偵察戦隊。
ニューギニアへ前進し偵察を行う。
昭和19年12月に内地へ帰還士、千葉県東金飛行場へ
移駐した司偵隊は機種に20ミリ砲二門を装備した武装百式司偵で
訓練を開始し、本土防空戦に備えた。
20年6月より、新型の高高度防空戦闘機キ102が
配備されたが、出動の機会なく、7月15日
戦隊は第28独立飛行隊に改編され終戦となる。 

 
◆部隊史

第二飛行団隷下。
16年3月編成改正、司偵戦隊となる。
16年7月30日第二十八独立飛行隊本部、独立飛行第六十三、八十一中隊に改編。
19年4月温春に於て第二十八独立飛行隊本部、独立飛行第六十三、
八十一中隊は編成を解き第二十八戦隊を再編。
7月第一中隊を満州鞍山に派遣。
19年11月千葉県東金に移駐、機関砲装備百式司偵で高々度戦闘任務につく。
 
◆編成/昭和14年6月1日新京
◆復帰/昭和20年7月10日東金にて復帰
 
◆歴代戦隊長
北川潔水大佐、松沢恭平大佐、河村孝三郎大佐、上田秀夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

29sentai 
飛行第29戦隊/偵察・戦闘・司偵隊(誠第9163)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機、
九九式襲撃機、二式単座戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
  
◆概略
昭和19年2月、戦闘機隊の増勢計画の一環として
偵察分科から戦闘分科に改編された戦隊の一つで
当初は台湾防空を担ったが、8月以降中支戦線へ
派遣されたのち、10月、台湾へ戻る。
11月、レイテ決戦の激化にともない、戦隊も進出
命令が下ったが、川田戦隊長がデング熱で倒れており
土橋飛行隊長(のち戦隊長)指揮する20機が
クラークへ進出した。8月13日、戦隊は
「富嶽隊」をはじめ、特攻隊の掩護を行う。
四式戦闘機に機種改編を行うが一部は二式単戦のまま
防空任務に就く。12月7日、土橋戦隊長以下五機は
特攻隊「勤皇隊」を直掩したまま全機未帰還となった。
昭和20年1月、戦隊は台湾へ後退。沖縄戦の激化により
戦隊も四機編成の特攻隊を四隊を編成、浅野史郎少尉以下
12名が出撃し散った。6月にはさらに二隊の編成命令が
下ったが、沖縄戦が終結に近付くと、台湾防空のため
戦力温存を図った。終戦時の保有機は37機、操縦者は
44名と充実していたが、燃料不足により十分な飛行が
できないままであった。
 
◆部隊史
航空兵団隷下。
14年8月朝鮮会寧に移駐、ノモンハン事件参加。
16年3月編成改正により、軍偵、直協の戦隊となる。
16年7月29日、第二十九独立飛行隊本部、独立飛行第六十六、
八十七中隊に改編。8月北支中支各地で作戦に参加。
17年10月満州海林に展開。
19年2月5日第二十九独立飛行隊本部、独立飛行第八十七、
九十中隊を満州海林にて飛行第二十九戦隊(戦闘隊)に改編。
19年3月5日満州杏樹に移駐。19年7月台中に展開、台湾防空。
19年8月26日中支武昌に展開、8月26日~10月26日後期航空作戦に参加。
19年11月8日比島派遣、クラークに展開、第二次比島及び濠北作戦に参加。
20年3月15日台中に展開、3月26~6月20日天号航空作戦に参加。 

◆編成/昭和14年7月15日各務原
◆復帰/台中
 
◆歴代戦隊長
森本秀応大佐、光岡明中佐、川田武雄少佐、土橋正次少佐(戦死)、小野勇(大尉)
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

30sentai

飛行第30戦隊/襲撃・戦闘機隊(高第9198)
◆使用機種
九九式襲撃機、一式戦闘機(隼)、試作複座戦闘機
 
◆概略
昭和18年10月に編成され、
当初は九九式襲撃機を備えた襲撃隊であったが
昭和18年11月より、九七戦、ついで一式戦の
教育を実施。19年5月、南方進出が決定し
比島・アンヘレスへ進出した。
9月、在ネグロス島戦闘隊選抜者による機動部隊強襲が
下令(カン作戦)されると30戦隊からは
藤本勝美中尉らが爆装した一式戦二機で
出撃し巡洋艦に命中弾を与えたが中野恒雄軍曹は
未帰還となる。以降、ネグロス島邀撃戦において
戦隊は損耗。ルソン島に残る戦隊は
30戦隊のみとなったが、戦闘を続け、爆装した
一式戦で敵船団を襲撃した。
昭和20年1月16日、第四航空軍司令の冨永恭次中将は
エチアゲから台湾への脱出をはかったが
悪天候で引き換えし、翌日の17日未明、今度は
ツゲガラオから九九式襲撃機に搭乗して離陸。
30戦隊の四機が富永機を護衛して台湾へ到着。
第四航空軍解散後も30戦隊は引き続き
残留しリンガエン湾の敵船団に攻撃を継続した。
 
◆部隊史
第13飛行団隷下。
18年10月25日敦化移駐、戦闘隊に分科変更。
19年8月15日比島マナベラに展開、ネグロス島邀撃作戦に参加。
19年9月14日クラークに転進、同地防空。
19年10月台湾沖航空作戦参加。19年11月戦力回復のため大刀洗帰還。
20年1月6日ツゲガラオに展開、リンガエン湾作戦に参加。
20年1月24日台湾屏東に転進し戦力回復。
 
◆編成/昭和18年10月1日東京城
◆復帰/昭和20年5月2日?東にて復帰
 
◆歴代戦隊長
神崎清中佐、佐藤眞一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

31sentai

飛行第31戦隊/軽爆・襲撃・戦闘機隊(威第9623)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式襲撃機、一式戦闘機(隼)

◆概略 
29、30戦隊とともに戦闘機隊へ改編された
31戦隊は、操縦者の大部分が襲撃機出身であった。
一式戦に機種改編後の昭和19年5月以降、
逐次比島へ派遣され、日々来襲する米機動部隊の艦載機と
空戦を展開した。昭和20年1月9日、リンガエンに上陸する
米軍に対し、このときマバラカットにあった31戦隊の
一部は8日以降、特操出身者を中心とする特攻隊「精華隊」
に編入され、リンガエン湾へ出撃、散華した。
 
◆部隊史

第一飛行団隷下。
13年8月~14年8月中支漢口攻略、広東攻略、海南島攻略、各作戦に協力。
14年8月満州嫩江に移動、ハイラルに於てノモンハン事件参加。第九飛行団隷下。
9月嫩江に移駐、第三飛行集団隷下。
16年12月4日仏印シエムレアに展開、第十五軍のタイ進駐に協力。
12月23日ビルマ・ピサンロークに展開、ビルマ作戦に参加。
17年4月27日マグエに展開。第十五次戡定作戦参加。
17年7月嫩江に帰還。17年10月18日満州敦化に移駐。九九式襲撃機に改変。
18年12月一式戦闘機(隼)に改変。
19年7月30日ネグロス島ファブリカに展開し、レイテ作戦、マニラ防衛戦に参加。
20年4月主力戦力回復のため内地帰還。
 
◆編成/昭和13年8月南苑
◆復帰/昭和20年5月30日シンガポールにて復帰
 
◆歴代戦隊長
高橋常吉大佐、佐藤正一大佐、長谷川正雄中佐、林順二中佐、加島誠輝中佐、西進少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

飛行第32戦隊/軽爆隊(鏑第9142)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式襲撃機

◆部隊史
第二飛行集団隷下。
16年4月24日北支南苑に展開、第百号作戦参加。
5月20日満州杏樹に帰還。
19年2月22日北海道計根別に移駐、松輪島、占守島に前進、船舶掩護、対潜警戒。
12月比島ラオアグに展開、呂宋(ルソン)島航空作戦参加。
20年3月25日計根別に帰還、南千島方面哨戒及び対潜掃蕩
 
◆編成/昭和14年10月5日杏樹
◆復帰/計根別
 
◆歴代戦隊長
川上清志大佐、相京正夫大佐、宇佐神正捷少佐、岡村正義少佐、安原勤少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

33sentai

飛行第33戦隊/戦闘機隊(高第9144)
◆使用機種
九四式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
33戦隊はアジア、太平洋のほとんどを戦域として健闘した戦隊である。
海狼にあった飛行第16連隊がその前身で、ノモンハン事件に参加、
昭和17年、桂林、零陵飛行場攻撃など在支米軍との攻防、武漢上空でのB-24邀撃、
ハノイへ移動し、ビルマ戦線で戦う。昭和18年にはインパール攻撃の直掩
カルカッタ初攻撃に参加しスピットファイア7機を撃墜している。
チタゴン、昆明攻撃に参加、19年になるとニューギニアし、劣勢の中、
ブーツ、ウエワク、ホランジアで邀撃にあたる。
比島決戦では33戦隊にも参加命令が下りニルソン飛行場へ展開した。
11月12日、特攻隊「万朶隊」の九九双軽4機をレイテ湾まで掩護し
敵戦闘機の妨害を排し、戦果確認後、全機が帰還した。その後は
マニラ防空、特攻隊の直掩、12月にはレイテに降下する
高千穂空挺隊を低空で直掩。山浦戦隊長が戦死した。スマトラ帰還命令とともに
飛行機を特攻隊に引き渡し、操縦者は輸送機で台湾へ渡り、シンガポールを経由して
スマトラ島ベトンへ到着。戦力回復を行う。6月2日付で33戦隊の廃止が決まり
部隊はそのまま第九飛行師団直属の翔忠戦闘隊となる。翔忠戦闘隊は
全機特攻を目指して待機していたが、7月26日北スマトラ出動の命が下り
敵飛行場、艦船を攻撃しつつ、終戦となる。
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。
14年8月28日平安鎮へ前進、ノモンハン事件参加。
17年9月1日広東へ展開、支那大陸航空作戦参加。
18年7月武昌に展開、支那十八年度中期航空作戦参加。
9月仏印ハノイに展開、支那十八年度中期航空作戦参加。
10月パレンバン展開、防空任務。
18年11月3日ビルマ、マウビに展開しビルマ航空作戦参加。
19年1月3日タイ、ドムアンに展開。2月ホランジアに展開しニューギニア航空作戦に参加。
5月シンガポール移動。戦隊再編。6月6日パレンバン展開、要地防空。
10月25日クラークに展開、比島航空作戦参加。
20年1月13日パレンバンに帰還、要地防空および戦力回復。5月15日メダンに展開。
 
◆編成/昭和13年8月1日杏樹
◆復帰/昭和20年6月20日メダンにて復帰
 
◆歴代戦隊長
青木正三中佐、原田潔中佐、水谷勉少佐、渡辺啓少佐、
福地勇雄少佐、山浦浩少佐、生井清少佐、勝田悦夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

34sentai

飛行第34戦隊/軽爆隊(洋第11051)
◆使用機種
九九式双発軽爆撃機

◆部隊史
独立飛行第八十二中隊を改編。第四飛行団隷下。
18年3月3日タイ・チェンマイに展開、第三十一号作戦参加。
6月25日アロールスターに展開。10月7日チエンマイに帰還しビルマ航空作戦参加。
19年2月9日ニューギニア・ホランジアに展開し同方面作戦参加。
同地戦闘に於て殆ど戦力を喪失、一部マニラに派遣。
19年7月31日残存部隊、ルソン島リバ・に展開。
8月20日同戦隊はニューギニヤに於て復帰。比島残存人員は飛行第二百八戦隊に転属。
 
◆編成/昭和17年10月15日プノンペン
◆復帰/昭和19年8月20日、ニューギニヤ

◆歴代戦隊長
田中祐晴中佐(戦死)
 
◆戦死者・殉職者追悼 

38sentai

飛行第38戦隊/司偵隊(鏑第19342)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第一飛行師団隷下。
18年9月26日~10月24日カムチャッカへ隠密捜索。
18年11月3日北海道札幌に移駐。19年4月7日北海道帯広に移駐、
北千島占守島にて洋上捜索。
19年9月19日~10月10日アッツ島捜索。
19年10月24日クラークフイルドに展開、比島作戦に参加。
20年3月20日帯広に帰還。
比島移駐に当り一部帯広に残置されたる隊は
19年12月~20年3月千葉県八街に転地訓練。
20年4月帯広に帰還主力に合流。
 
◆編成/昭和18年4月15日樺太大谷
◆復帰/帯広
 
◆歴代戦隊長
木村拙郎中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼 

44sentai

飛行第44戦隊/偵察機隊(隼魁第2376)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九八式軽爆撃機、九九式軍偵察機(九九式襲撃機)
 
◆部隊史
14年7月第三飛行団隷下。
飛行第三大隊と独立飛行第十八中隊と飛行第四十五戦隊より選抜されたる
人員機材に依り編成。
15年4月~7月宜昌作戦参加。
15年9月編成改正、独立飛行第十八中隊を再編転出させ、
独立飛行第十七中隊を編入、軍偵一隊、直協三隊となる。
9月5日中支漢口に展開。16年7月30日第二次長沙作戦参加。
11月30日広東に展開、香港攻略作戦参加。
17年8月杭州に展開淅かん作戦に協力。
18年2月南昌、蒲折に展開、江北殲滅作戦。
18年8月漢口に展開、中南支飛行場攻撃、揚子江船舶攻撃。
19年3月新郷に展開、京漢、湘桂作戦参加。6月漢口に帰還、粤漢作戦参加。
20年5月5日唐山に展開。6月1日主力朝鮮大田移駐。
軍偵中隊、第三直協隊は常州残置。 
 
◆編成/昭和14年7月漢口
◆復帰/大田
 
◆歴代戦隊長
森玉徳光大佐(ニューギニヤにて飛行団長で戦死)、大坪清大佐、
福沢丈夫中佐、広瀬茂中佐、沢山義治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

45sentai

飛行第45戦隊/軽爆隊(威第10654)
◆使用機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機(屠龍)、
キ百二双発襲撃機(五式双発襲撃機)(試作襲撃機)
 
◆部隊史
独立飛行第六中隊を改編、第三飛行団隷下。
13年8月~10月武漢作戦参加。
14年9月12日ハイラルに展開、第二次ノモンハン事件参加。
9月25日満州嫩江に移駐。
16年12月6日広東に展開、香港攻略戦に参加。
17年1月13日機種改変のため埼玉県所沢へ移動。
4月24日満州白城子へ移動。
18年1月22日ラバウルに展開、ガダルカナル作戦に参加。
5月ブーツに展開、ニューギニア作戦参加。
18年12月10日機種改変のため茨城県鉾田へ移動。
19年2月10日クラークに展開、船団掩護第三次比島戡定作戦、
濠北作戦、第三次ニューギニア作戦に参加。
8月20日ネグロス島タリサイに展開、同地に於て防空、
船団掩護、レイテ作戦に参加。
20年2月機種改変のため鉾田に移駐、第二十六飛行団隷下。
 
◆編成/昭和13年7月27日安慶
◆復帰/鉾田
 
◆歴代戦隊長
吉田定雄大佐、下田竜衛門大佐、土生秀治大佐、浜田竜太郎中佐、
佐内不二生中佐、高橋賢一少佐、竹下福寿少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

47sentai 
飛行第47戦隊/戦闘機隊(天風第34212)
◆使用機種
二式戦闘機(鍾馗)四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
開戦から終戦まで鍾馗一筋で通したかわせみ部隊。
昭和16年11月立川の航空審査部で試作段階にあった
二式単戦「鍾馗」によって臨時編成された独立飛行第47中隊が
改編された。二式単戦は一式戦に慣れた操縦者には必ずしも
歓迎されなかったが、英空軍スピットファイアに対抗する新鋭機として
増加試作機9機をもって急遽一個中隊を編成し鍾馗の審査主任だった
坂川敏雄少佐を隊長として南方軍の直轄部隊に編入した。
隊名は赤穂義士にあやかって命名され、「新選組」あるいは
「かわせみ部隊」と呼ばれた。胴体には山鹿の陣太鼓を描いた。
以降、ビルマ戦線において重戦の威力を遺憾なく発揮した。
内地に帰還した独飛47中隊は飛行第47戦隊と改称され東京・成増飛行場に展開。
調布の244戦隊と並んで関東地区の防空の要となる。
第十飛行師団により震天制空隊に任命された47戦隊は鈴木、坂本曹長
永崎、見田伍長の四名を指名。体当たり機は武装・防弾装備を取り外し
高度110000メートルまで上昇可能となった。昭和20年1月9日の
B-29邀撃戦では震天制空隊による凄惨な体当たり戦となった。
隊員らは「ただいまより体当たり!バンザーイ!」との叫びを無線にのせて
次々突入。幸万寿美軍曹は成増飛行場上空でB-29に体当たりし
機体は四散。左外側エンジンを吹き飛ばされたB-29は黒煙を吐きつつ
脱落。真崎大尉の編隊によってとどめが刺された。
 
◆部隊史
第十九飛行団隷下年
18年10月3日成増に移駐。独立飛行第四十七中隊を編入。帝都防空。
20年3月第三十戦闘飛行集団長の隷下に入る。
20年5月9日宮崎県都城西に展開、天号作戦参加。
7月25日第十二飛行師団長の隷下に入り、山口県小月にて機種改編。九州防空。
 
◆編成/昭和17年5月30日柏

◆復帰/小月
 
◆歴代戦隊長

下山登令中佐、奥田暢少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

48sentai

飛行第48戦隊/戦闘機隊(隼魁第16618)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)
  
◆概略
昭和18年7月、77戦隊と教導飛行204戦隊を基幹として
臨時編成された部隊。昭和19年5月末、初陣では
湘桂作戦に参加。多大な犠牲を払いつつ、在支米軍と空戦を展開。
連日、戦場上空までの3~400kmを往復する
戦いが続いた。8月8日の瀋陽陥落の日も全稼働機の九機で
戦闘に上がり7機を撃墜したが、我が方は3機を失い戦隊長も
重傷を負った。後任の鏑木戦隊長はただちに補充の
一式戦三型3機を率いて内地を飛び立った。
その途中、B-29撃墜という戦果が報告されている。
これは8月20日のB-29北九州来襲時、鏑木編隊の中島中尉が
高度6000メートルにおいて単機、B-29の5機編隊に正面攻撃を加え
1機を撃墜した。新聞誌上で「行きがけの駄賃」と大々的に報道された。
戦力回復後、桂林飛行場攻撃制空で鏑木戦隊長がP-51撃墜等の戦果を挙げたが
その後、瀋陽飛行場が敵100機以上の波状攻撃を受け壊滅。稼働機は3機となり
武昌へ後退した。この頃、戦隊の機種は一式戦二型と三型であったが
三型をもってしてもP-51との戦闘は劣勢におかれた。
12月18日、漢口はB-29とP-51戦爆連合の大空襲を受け灰塵に帰した。
昭和20年1月、漢口はふたたに敵戦爆連合の波状攻撃を受けたが
48戦隊は全戦力をもって邀撃。中国大陸における最後の大空戦となった。
戦隊創設以来の木村増吉中尉がP-51撃墜後自爆。多数の損害を出した。
48戦隊は9戦隊とともに最後の在支戦闘機隊となっていた。
5月に南京に移動。8月13日、48戦隊は張家口付近を南下する
ソ連機甲部隊を攻撃するため、北京転進の命が下ったが
悪天候により待機中、終戦となる。
 
◆部隊史

第五航空軍隷下。第十二飛行団編入。
18年11月5日満州間島省・間島に移駐。
19年4月29日武昌に展開、九江上流航路掩護。
19年7月中支白螺磯。19年11月衝陽。19年12月漢口、南京。
20年5月土山鎮と転戦し、諸作戦続行。終戦とともに上海集結。
 
◆編成/昭和18年7月30日牡丹江
◆復帰/昭和20年8月15日、泰県
 
◆歴代戦隊長
松尾政雄少佐、鏑木健夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

50sentai

飛行第50戦隊/戦闘機隊(誠第9914)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
飛行第64戦隊と並んでビルマ航空戦で勇名を馳せた
飛行第50戦隊は昭和15年9月、台湾において編成された。
比島戦線においては、九七式戦闘機でB-17を撃墜した記録を持つ。
ビルマでは、九七式戦闘機をもって
米義勇軍のP-40や英空軍のホーカー・ハリケーンと対峙し苦戦を
強いられた。
一式戦一型に機種改編が行われたのは昭和17年6月、
二型への改編は18年3月で、石川戦隊長指揮のもとビルマを転戦。
ラングーン邀撃戦では、穴吹軍曹が単機でB-24を3機(うち一機は体当たり)
撃墜、P-38を2機撃墜している。
昭和18年10月、戦隊はマウントバッテン連合軍司令官がインドから中国へ訪問する
との情報を得て、ミートキーナへ前進。戦隊の選抜者8機で
輸送機数機を撃墜したが、マウントバッテン搭乗機はこれを逃れ
無事中国に到着していた。カルカッタ進攻参加、最後のインパール進攻を
実施したが、P-51、スピットファイア50機と交戦。
永島中尉、五十嵐軍曹ら三機が未帰還となった。
19年7月、サイゴンへ後退ののち
第8錬成飛行隊の保有機20機に加え、空輸機の10機をもって
四式戦に機種改編。ラングーンへ戻り防空任務、
英機甲師団攻撃、インパール撤退作戦の掩護にあたる。
12月のシエボ付近の攻撃では四式戦13機をもって
敵戦車と車両、100両以上に打撃を与える戦果を挙げた。
20年1月にふたたびサイゴンへ後退した戦隊は同地防空にあたり
B-24、B-25などと交戦。4月にモールメンへ進出すると
ビルマ方面軍司令官だった木村 兵太郎大将のラングーン脱出掩護にあたる。
7月、台湾へ後退し、戦力温存の命令を受けたまま終戦に至る。
 
◆部隊史 

16年11月26日台湾恒春に移駐、開戦にあたり比島攻略船団の掩護。第四飛行団隷下。
12月20日比島ビガンに展開、泊地掩護。
16年12月8日~17年1月7日マニラ攻略戦参加。
1月10日タイ・ナウンサワンに展開、ビルマ航空撃滅戦に参加。
17年4月埼玉県所沢にて機種改編。
17年5月モールメンに展開、ビルマ、印度、昆明、作戦参加。
18年10月へホに展開。
18年10月~19年6月印支空路遮断作戦、インパール作戦参加。
19年10月19日ビルマ、ミンガラドンに展開、インパール撤退作戦参加。
12月マウビに展開、ビルマ地上作戦協力。
20年1月サイゴン展開。
1月~6月同地にありて敵機動部隊攻撃、一部特攻隊となる。
7月主力台中に展開、第八飛行師団隷下。地上部隊主力は仏印残置。
残置部隊は第八錬成飛行隊に転属。
 
◆編成/昭和15年9月10日台中
◆復帰/嘉義
 
◆歴代戦隊長
吉田直中佐、牧野靖雄少佐、石川正少佐、新田重俊少佐、藤井辰次郎少佐、河本幸喜少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

51sentai

飛行第51戦隊/戦闘機隊(威第18424)
 
◆概略
昭和19年4月、小月で編成され、同時期に大阪で編成された
52戦隊とともに四式戦装備の第16飛行団を構成。
北九州に飛来したB-29を2機撃破している。
第四航空軍に転属ののち、比島、デルカメンへ前進。
52戦隊とともに激戦を重ねた。12月に内地へ帰還後は
下館においてB-29邀撃にあたる。
 
◆使用機種

◆部隊史
◆編成/昭和19年4月28日小月
◆復帰/下館

◆戦死者・殉職者追悼
  

52sentai

飛行第52戦隊/戦闘機隊(威第18425)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年4月、大阪で編成された四式戦部隊である。
成都を出撃したB-29の北九州空襲が開始されると
これに呼応して邀撃戦を展開。昭和18年8月20日の戦闘では
15機が出撃(夜間行動可能な8機)し、59戦隊と協力して
B-29一機を撃墜。41歳だった飛行団長の進藤常右衛門中佐
も単機八幡上空で一機を撃墜した。
第四航空軍に転属ののち、比島、デルカメンへ前進。
激戦を重ねる。下館帰還後は関東地区の防空任務に就いた。
しかし新鋭の四式戦をもってもB-29に随伴するP-51の撃墜は困難を極めていた。
52戦隊は戦力温存のため、邀撃を実施せずにいた。
8月15日特攻機掩護のため熊本建軍飛行場へ前進準備中に終戦。
終戦時の保有機は約30機で、8月24日に全力で納め飛行を行ったのち
28日、解散した。

◆部隊史
19年5月7日福岡県芦屋移駐。
9月27日比島デルカメンに展開。ルソン島沖、台湾沖、
クラーク航空作戦参加。10月24日サラビヤに展開。
11月10日迄レイテ作戦参加。一部サルビヤに残置。
地上要員は大博丸、大彰丸にてデルカメンに向うも
10月26日バシー海峡にて雷撃を受け海没。
生存隊員は11月5日デルカメンに到着。
11月13日デルカメン残置の空中勤務者は千葉県下館に移動、戦力回復。
第十六飛行団隷下。帝都防空任務。20年7月東京都調布へ移動。
20年2月~4月整備員はレイナマルセデスに移動。
2月一部ツゲガラオに移動させるも空輸不能のため、
レイナマルセデス残置隊は第六、第七野戦補充隊に編入。地上戦闘参加。
20年9月18日アンケブロにて停戦。
サラビヤ残置隊は19年11月13日~20年1月23日
飛行第七十一戦隊、飛行第二百戦隊に協力。
9月2日サンパブロにおいて米軍に収容。
ツゲガラオ残置隊は20年2月アパリに移動。ラロー地区地上戦闘参加。
9月14日モンテンルパに収容。
 
◆編成/昭和19年4月28日防府
◆復帰/調布
 
◆歴代戦隊長
桑原信彦少佐、内徳隆幸少佐、沢山義隆少佐、坂内士郎少佐、高野明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

53sentai

飛行第53戦隊/戦闘機隊(天翔第18426)
◆使用機種
二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆概略
昭和19年3月、所沢で編成され、直ちに
関東地区防空を担当する第十飛行師団に編入された
二式複戦の夜間戦闘機隊である。戦隊長は重爆出身の
児玉少佐で操縦者は午後起床し、夕方から訓練を開始。
夜明けに就寝した。視力増強のためビタビンA錠を服用し
「猫の目部隊」「ふくろう部隊」と称され
第一飛行隊を「まつうら隊」第二飛行隊を「こんごう隊」第三飛行隊を
「さざなみ隊」と改めた。11月7日、師団命令により
震天制空隊が編成されている。また、実戦前に終戦となるが
53戦隊は百式司偵四型が配備されていたほか、二式複戦には
タキ2号機上レーダーを装備するため2機の機種を改造して
レドームを製作、実験飛行を行った。
戦力温存が命令され、20年7月の戦力は二式複戦およそ34機
を保有。来たるべき決戦に備えていた。
 
◆部隊史

19年5月千葉県松戸に移駐、夜間防空先任。
20年千葉県藤ヶ谷に移駐、第十飛行師団隷下。
 
◆編成/昭和19年4月3日所沢
◆復帰/藤ヶ谷
 
◆歴代戦隊長
児玉正人少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

  

54sentai 
飛行第54戦隊/戦闘機隊(鏑第19272)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
北海道・北千島防衛の要となった戦隊で
千歳飛行場を要に北千島、札幌丘珠、苫小牧、室蘭の
防空を担当。アリューシャンから飛来する敵機に備えた。
しかし冬季の防空は極めて困難で12月から1月にかけての空襲や
艦砲射撃には反撃できず、竹田勇大尉(244戦隊竹田五郎大尉の兄)を
長とする苫小牧残置隊で錬成を行った。比島決戦では
一部を札幌に残置し、主力を一式戦三型に機種改編を行った後
マニラ近郊のサブランに展開した。
20年1月7日早朝、バコロド沖の艦船偵察に偵察に出動した
杉本明准尉はファブリカ飛行場上空でアメリカの撃墜王、
マクガイア少佐の率いるP-38、4機と空戦となり
71戦隊の福田軍曹と協同してマクガイアおよび僚機の
リトメイア少佐機を撃墜した。マクガイアは戦死。
しかし杉本機も被弾。不時着に成功したが、ゲリラの襲撃を
受け戦死した。特攻隊「万朶隊」直掩では
渡辺史郎伍長が特攻機とともにレイテ湾の敵艦船に突入し散華した。

札幌へ帰還した戦隊は部隊の回復を行った後
南樺太進出を決定。竹田戦隊長以下24機が
爆装して離陸したが宗谷海峡の悪天候により引き返し
、再度出撃準備中に終戦となった。ホロムシロ島に
残留した中島大尉以下14機の北千島派遣隊は
19年10月末、占守島の片岡飛行場へ移動し
連日飛来するB-24、B-25重爆の邀撃にあたりつつ
越冬。20年夏に札幌へ復帰している。
 
◆部隊史

第一飛行団隷下。
16年12月2日中支漢口へ展開、武漢地区防空。
17年1月7日白螺磯に展開、戦場上空制空。
8月7日まで南京、杭州地区防空。第二次せ號航空作戦参加。
17年10月北海道千歳に移駐。18年1月帯広に移駐。
18年4月大阪大正に移駐。6月7日帯広帰還。
8月12日幌莚島に展開、一部残置。B~24邀撃作戦に参加。
19年2月29日第一中隊は独立飛行第24中隊に改編。
19年11月10日ネグロス島ファブリカに展開、レイテ航空作戦に参加。
20年5月戦力回復のため北海道帰還。
9月札幌にて主力は復員。幌莚島残置者は8月末ソ連に抑留さる。
 
◆編成/昭和16年7月26日柏
◆復帰/札幌9月主力復員

◆歴代戦隊長
島田安也少佐、黒川直輔少佐、竹田勇少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

55sentai

飛行第55戦隊/戦闘機(鷲第18427)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年3月に編成された三式戦装備部隊。
編成当初、小牧に駐留して中京地区防空にあたる。
レイテ決戦がたけなわになるとルソン島アンヘレス、ついで
ネグロス島タイサイに展開。レイテ第二次航空総攻撃に参加。
20年1月にはリンガエンに上陸する米軍に対する特攻隊掩護、
払暁、薄暮の爆装攻撃を行う。飛行機は終戦までに全耗。
地上勤務者はネグロス島、ルソン島の山中に取り残され
終戦までに全滅した。
小牧に駐留する部隊は引き続き中京地区の防空を担い
20年1月3日の夜間戦闘では代田中尉がB-29に体当たりして
撃墜、特操一期の安達武夫少尉は12月から1月の間、
B-29、4機を撃墜したが、1月19日に戦死。
戦隊のうち8機は沖縄作戦参加の為、芦屋、万世に進出し
特攻隊掩護にあたる。沖縄作戦中、三式戦二型への機種改編が
行われた。 

 
◆部隊史

第十一飛行師団隷下。
19年5月25日愛知県小牧に移駐。11月18日比島アンヘレスに展開、
クラーク地区防空、
比島航空作戦参加。一部は小牧に残置。
20年1月3日マナブラに展開、同地区の戦闘に於いて全機喪失。
2月空中勤務者と基幹整備員ネグロス島脱出以後不明。
20年3月1日第十六航空地区司令官の指揮下に入り地上戦闘参加。
 
◆編成/昭和19年4月26日大正
◆復帰/伊丹
 
◆歴代戦隊長
岩橋重夫少佐、矢野武夫代理大尉、小林賢二郎少佐

 

56sentai

飛行第56戦隊/戦闘機隊(天鷲第18428)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年3月に編成された三式戦部隊。当初、三式戦の稼働率も低く
事故が頻発。殺人機と嫌われたが、5月に小牧へ移駐し
中京地区の防空にあたる。阪神中京地区へ飛来するB-29邀撃の要として
活躍。昭和20年3月27日の防空戦では飛行隊長の緒方醇一大尉が
B-29に体当たり戦死。緒方大尉は77戦隊時代、ビルマ戦線で
爆撃機3機、内地でB-29を4機撃墜、5機を撃破している。
摩耶山山頂に落下したB-29の残骸からは緒方機の破片が発見された。
56戦隊は第12飛行師団に編入され、芦屋へ移動し北九州地区の防空、
海軍の佐伯へ移動してB-29邀撃にあたる。5月に伊丹へ帰還し
三式戦二型への機種改編を行った。
 
◆部隊史

19年5月兵庫県伊丹移駐、阪神防空。
8月28日済州島に展開、同方面洋上撃滅戦闘参加。
11月15日第十一飛行師団隷下。伊丹に帰還、防空戦闘。
 
◆編成/昭和19年4月26日大正
◆復帰/伊丹
 
◆歴代戦隊長
古川治良少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

58sentai 
飛行第58戦隊/重爆隊(誠第9145)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機
 
◆部隊史
飛行第十二連隊第二大隊を改編。第二飛行集団隷下。
14年6月満州佳木斯に移駐。15年8月広東に移動、桂林等攻撃。
9月12日佳木斯に帰還。
18年2月スマトラ島メダンに展開、印度洋の哨戒、船団掩護。
18年7月支那大場鎭に展開、中期航空作戦参加。
10月メダンに展開、同地に在りて船団掩護。
19年6月20日独立飛行第三十一中隊を編成。
20年1月13日仏印コンポンクーナンに展開、
7月25日迄敵機動部隊攻撃、ビルマ敵基地攻撃、第八飛行師団隷下。
20年8月台湾草屯に移動。

◆編成/昭和13年8月31日公主嶺
◆復帰/草屯
 
◆歴代戦隊長
小川団吉大佐、滝昇大佐、高品朋大佐、坪内剛直大佐、辻本隼三少佐、中嶌隆弘少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

59sentai

飛行第59戦隊/戦闘機隊(天風第2377)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
 
◆概略
中支作戦、ノモンハン事件、大東亜戦争開戦直後の
南方作戦等で活躍。ジャワ駐留を経てパレンバン防空
ポードダーウィン攻撃ののちニューギニア各地を転戦したが
一式戦二型ではP-38相手に苦戦を強いられるようになる。
昭和19年1月23日には、南郷茂男大尉が戦死。戦力を失って
内地に帰還した後、明野で三式戦に機種改編を行い
北九州防空の任務に就く。昭和19年7月18日、59戦隊は
第12飛行師団隷下となり、12月には体当たり専門の
第二回天隊を編成。11月末からは戦隊の一部を済州島に
昭和20年1月には主力を芦屋から蓆田へ移動する。2月。
南朝鮮の群山へ。4月1日、知覧へ前進した。その後
知覧にあって特攻機の掩護、防空任務に就いた後
芦屋に後退した戦隊は五式戦に機種改編を行い、終戦まで
北九州防空にあたった。
 
◆部隊史

飛行第一連隊より編成。第九飛行団隷下。
13年8月満州、延吉に展開。9月安慶前進、漢口攻略作戦参加。
11月漢口に展開、ノモンハン事件参加。
15年広東に展開、仏印進駐作戦参加。
16年1月漢口に帰還。5月~10月機種改編のため東京都立川に移動。
第三飛行集団隷下。
12月7日コンポントラッシュに展開、第一撃参加、
マレー作戦に従事。
12月25日マレー・イポーに展開、
シンガポール作戦に参加。
17年1月クアラルンプールに展開、
パレンバン、スマトラ、ジャワ作戦参加。
3月10日バンドンに展開。5月マラヤンに展開、
小スンダ作戦参加。
18年2月ジャワにて防空任務。第三飛行団隷下。
6月20日~6月22日ポートダーウィン進攻。
7月11日ブーツ東に展開、ニューギニア作戦参加。
19年3月福岡県芦屋に移駐、戦力回復。3~10月北九州、阪神地区防空。
20年1月福岡県蓆田(むしろだ)に展開。北九州、京阪神地区防空。
2月芦屋に帰還。3月知覧に展開、沖縄地区航空作戦に参加。
第三十戦闘飛行集団隷下。6月芦屋に帰還。
 
◆編成/昭和13年7月1日各務原
◆復帰/芦屋
 
◆歴代戦隊長
今川一策大佐、土井直人中佐、谷村礼之助少佐、中尾次六少佐、福田武雄少佐、
佐藤猛夫少佐、本田辰造少佐、木村利雄少佐、西進少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

60sentai

飛行第60戦隊/重爆隊(威第2378)
◆使用機種
九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第六大隊を飛行第六十戦隊に改編。第四飛行団隷下。
14年1月より支那運城へ前進、第三飛行集団隷下。重慶、蘭州、成都に進攻。
15年3月9日南苑に移駐。飛行第九十八戦隊第三中隊編入。
3月17日~4月28日南京、彰徳地上作戦協力竝に要地攻撃。
4月29日~9月4日漢口、運城第四次航空進攻作戦参加。
16年4月1日~6月20日仏印ハノイ基地。印、緬、支、遮断進攻作戦参加。
9月20日機種改変のため静岡県浜松に移動。12月5日プノンペンに展開、
マレー・ビルマ作戦参加。
17年3月6日クラークに展開、バタアン半島、コレヒドール攻撃。
5月16日器材整備のため浜松帰還。7月6日北満、拉林に移駐、同地警備。
18年2月20日アエルタワルに展開、印度洋哨戒。7月22日武昌に展開、
重慶、昆明進攻作戦参加。
9月19日ハノイに展開。12月17日メダンを経てヘホに前進、第二次昆明攻撃。
19年1月メダンに展開、2月11日ホランジアに展開、濠北作戦に参加。
5月マバラカットに移動、7月7日水戸に移駐、戦力回復。
8月24日南京に展開、中国奥地B29基地攻撃参加。10月11日浜松移駐。
20年2月硫黄島攻撃参加。第六航空軍隷下。
20年3月8日熊本健軍飛行場に展開、沖縄攻撃参加。
◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/熊本
 
◆歴代戦隊長
中薗盛孝大佐、田中友道大佐、小川小二郎大佐、花本盛孝大佐、
大岩三男中佐、渥美光少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

61sentai

飛行第61戦隊/重爆隊(誠第9604)
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。
14年5月31日ハイラルに展開、ノモンハン事件参加。
16年11月~12月山下兵団上陸掩護のため一部仏印に出勤。
17年9月25日メダンに展開、印度洋哨戒。18年3月14日スラバヤに展開。
6月19日ラウテンに進出、ポートダーウイン進攻、
8月15日機種改変のため浜松に移動。10月13日ニューギニア島ワクデに展開、
19年3月25日迄第三次ニューギニア戦闘に参加。5月6日ナムレアに展開、ピアク、モロタイ攻撃。
10月16日機種改変のため浜松へ移動。
20年2月9日コンポンクーナンに展開、3月1日~7月10日反攻邀撃々碎作戦に参加。
7月16日台湾嘉義に展開、地上部隊主力シンガポールに残置
8月11日第三航空軍司令部に転属、一部コンポンクーナンに残置。
8月10日第四十五教育飛行隊に転属。

◆編成/昭和13年8月31日チチハル
◆復帰/嘉義

◆歴代戦隊長
志方光之大佐、三上喜一大佐、藤崎茂大佐、小川一郎大佐(殉職)、
八木斌中佐、堀川正三郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

62sentai

飛行第62戦隊/重爆隊(灘第9908)
◆使用機種
九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第三集団隷下。
16年12月6日カンボチヤ・クラコールに展開、マレー作戦第一撃参加。
12月15日タイ・ドムアンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
17年4月26日クラークフイルドに展開、パターン半島攻撃参加。
4月27日南京に展開、せ号航空作戦参加。
18年8月11日北海道帯広に移動。
12月22日第四十五戦隊南方先発のための人員器材をクラークに輸送、
19年1月13日静岡県浜松に帰還。2月20日スンゲイバタニ展開、ビルマ航空作戦参加。
5月28日サバニ島付近哨戒。8月19日シンガポールに展開。
7月1日~10月22日ニューギニア、セレベス、モロタイ、レイテ作戦参加。
スンゲバダニ残置者100名(その後の行動不詳)。
12月15日シンガポールに展開(同地残置者は200名。
20年3月5日ルソン島カガヤンに於て臨時独立歩兵第十五大隊に編入)
20年1月東京都福生で機種改変。2月西筑波に移動。第六航空軍隷下。
4月8日福岡県大刀洗に展開、沖縄作戦参加。6月西筑波に帰還。
 
◆編成/昭和16年11月14日帯広
◆復帰/西筑波
 
◆歴代戦隊長
波多野魁夫大佐(戦死)、大西洋大佐、堀場一雄大佐、芳賀政信中佐(戦死)、
石橋輝志少佐、新海希典少佐(戦死)、沢登正三少佐(戦死)、小野祐三郎少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

63sentai 
飛行第63戦隊/戦闘機隊(洋第15378)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
北海道、千島列島防空の要として活躍した63戦隊は
昭和18年4月、札幌に在り、室蘭防空のため、新設された
苫小牧飛行場へも一個中隊が派遣された。9月には
アリューシャンから飛来する米軍機邀撃のため
北千島ホロムシロ島へ派遣。11月、一転してニューギニア派遣の
命令が下る。北千島に残留した一個中隊は敵襲こそなかったが
厳しい自然と戦いつつあった。北海道へ帰還して間もなく
本隊合流の命令によってウエワクへ移駐。敢闘を続けたが
稼働機を失い、飢餓と病気に倒れるものが多く、原戦隊長も戦病死した。
終戦時までサルミで自活生活に入り、生還者は僅か3名であった。
 
◆部隊史

第一飛行師団隷下。
18年4月25日北海道札幌及び苫小牧に移駐。9月第一中隊北千島幌莚に派遣。
19年1月14日ニューギニア島ウエワクに展開。
北千島派遣隊は2月28日ホランジアにて本隊と合流。
3月ホランジア展開、一部ウエワク残置。
19年1月16日~4月21日同地にて進攻、邀撃作戦。この作戦で飛行機全耗。
6月27日サルミに移動、途次戦闘により大部分は戦死。
19年7月25日サルミにおいて復帰。その後21年6月まで現地にて自活活動。
ウエワク残置隊は20年10月ポイキンにて武装解除。
21年1月19日神奈川県浦賀上陸復員。

◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/8月22日クラコール
昭和21年4月25日サンジャック出発5月4日大竹上陸復員
 
◆歴代戦隊長
原孫治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

64sentai

飛行第64戦隊/戦闘機隊(高第9124)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
加藤隼戦闘隊として、戦中戦後を通して最も名高い飛行戦隊である。
加藤隼戦闘隊は映画化され、戦意高揚に大いに寄与した。
陸軍航空総監部兼陸軍航空本部部員の加藤健夫戦隊長は一式戦隼の採用に
反対の立場であったが、64戦隊に赴任し、隼の
採用が決定すると、隼の特性と弱点を研究し
その性能を最大限に活かせる方法を模索し続けた。
特に海上航法、熱帯地方での飛行に重点を置いて猛烈な訓練を重ね、
大東亜戦争開戦直後、南方作戦で勝利をおさめる。
 
◆部隊史

飛行第二大隊を改編。第四飛行団隷下。
13年8月中、支二套口に展開、漢口作戦参加。
12月広東に展開、海南島攻略作戦参加。
14年2月独立飛行第九中隊を編入。
14年8月5日満州ハイラルに展開。ノモンハン事件参加。のち、朝鮮東京城移駐。
15年1月8日広東に展開、同地防空、北部仏印進駐に協力。
16年9月1日一式戦に機種変更。12月3日第三飛行集団隷下。
南部仏印、フコク島に展開、船団掩護、マレー作戦参加。
12月25日ドムアン前進、ラングーン航空撃滅戦参加。
17年1月10日イポーに前進、シンガポール作戦参加。
17年2月カハンに前進、パレンバン作戦参加。
2月16日パレンバンに前進、ジャワ作戦参加。
3月26日チェンマイに展開。4月23日トングーに展開。
17年4月~20年4月5日アキヤブ、レグ、マウビ、ヘホ等にて
ビルマ周辺地区航空撃滅戦および反攻作戦参加。第三航空軍隷下。
20年5月バンコクに展開。7月13日クラコール集結。
8月22日クラコール。
21年4月25日サンジヤツク出発。5月4日広島県大竹上陸。復員。
 
◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/8月22日クラコール昭和21年4月25日サンジャック出発5月4日大竹上陸復員

◆歴代戦隊長
寺西多美弥中佐、横山八男中佐、佐藤猛夫少佐、加藤建夫少佐、
八木正己少佐、彰樂武世少佐、広瀬吉雄少佐、江藤豊喜少佐、宮部英夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  
 

65sentai

飛行第65戦隊/襲撃・軽爆隊(威第9104)
◆使用機種
九四式偵察機、九八式軽爆撃機、一式戦闘機(隼)、
二式複座戦闘機(屠龍)、九九式襲撃機
 
◆部隊史
飛行第九連隊と独立飛行第四中隊を改編、第二飛行団隷下。
14年9月9日ハイラルに展開、ノモンハン事件に参加。
16年8月満州敦化に移駐、
17年5月12日支那大場鎭に展開、淅かん作戦参加。
9月16日機種改変のため岐阜県各務原に移動。
10月23日朝鮮咸興に移駐、18年9月4日海浪に移駐。
19年7月7日ルソン島リパに展開、比島作戦参加(飛行機の大半損耗)。
20年1月2日戦力回復のため福島県原ノ町へ移動。
3月27日鹿児島県知覧に展開、第六飛行団隷下、沖縄作戦参加。

◆編成/昭和13年7月27日会寧
◆復帰/目達原
 
◆歴代戦隊長
藤塚止才夫大佐、寺田済一大佐、桑塚城中佐、椙村隆良中佐、
石原政雄中佐、吉田穆少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

66sentai

飛行第66戦隊/襲撃機隊(鷲第9150)
◆使用機種
九九式襲撃機
 
◆部隊史
17年4月29日満州間島省東盛湧に移駐。
17年10月27日三江省湖南営に移駐。
18年9月一部周水子に展開、対潜警戒。
19年7月8日ルソン島リパに展開。
19年9月~19年11月リパを基地としてレイテ作戦に参加。
20年2月戦力回復のため茨城県鉾田に移動。整備員リパ・クラークに残置。
20年4月鹿児島県万世に展開、第六飛行団隷下。
20年7月福岡県大刀洗に展開、沖縄作戦参加。
 
◆編成/昭和17年3月31日平壌
◆復帰/大刀洗

◆歴代戦隊長
小森田親玄大佐、田村重夫少佐(戦死)、藤井權吉少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

67sentai

飛行第67戦隊/襲撃機隊(誠第18969)
◆使用機種
九九式襲撃機、二式複座戦闘機(屠龍)

◆部隊史
第一飛行師団隷下。
19年4月千島へ移駐。主力得撫島東雲、一部天寧にて哨戒任務。8月28日沖縄に展開。
9月26日アパリに展開。10月24日ネグロス島バコロドに展開、レイテ作戦参加。
飛行機損耗の為、空中勤務者及び地上勤務者若干名はラオアグに残置。
20年2月27日ザンボアンガに移動。
  
◆編成/昭和18年2月25日八戸
◆復帰/昭和20年5月30日ザンボアンガに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
佐藤辰男中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

68sentai

飛行第68戦隊/戦闘機隊(真第9151)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)

◆概略
初の三式戦「飛燕」配備部隊。三式戦は
未だ正式採用前であったが、南東方面への新鋭戦闘機の
配備が待ち望まれており、昭和18年3月、不十分なまま
戦隊の九七戦から三式戦への改編が完了した。
4月4日、空母春日丸に搭載された三式戦は
トラックへ進出。春島飛行場で整備と訓練を進め、
トラックからは自力でラバウルへ向け離陸したが、エンジンの不調と
天候の悪化で全機が引き返した。戦隊は再度整備を行い、27機がふたたびラバウルへ
向かったが、ラバウルに無事到着したのは中川鎮之助中尉、ただ一機のみで
その他は誘導の司偵機とはぐたれた上に、コンパスが狂っていたため
多くが不時着する事態となった。このとき操縦者二名が未帰還となり、
稼働機の多数を失った。海上航法の弱さが露呈する形となり、新鋭戦闘機に
かける期待は失望へと変わった。三式戦の初陣は5月17日で
数機が14戦隊のウワ爆撃を掩護した。その後も航法の誤りで
阿部少尉以下3機が未帰還になったほか、整備も冷却器や燃料ポンプの
故障が多発。南方戦線での三式戦運用は、故障、マラリア等による
多大なる犠牲と困難がともなう形での幕開けとなったが、過酷な環境の中、
戦隊はよく敢闘し多くの敵戦闘機・重爆機を撃墜している。
19年1月2日、連合軍がマダン南方のグンビ岬に上陸したさいは
木村戦隊長は衰弱した体に注射を打ち、他戦隊機を含む60機を
率いて同地に進出し、空戦で未帰還となっている。
その後、補給も絶え、稼働機を失った戦隊は自活に入ったが
次々に飢餓と病に倒れ、全滅した。
 
◆部隊史

第十四飛行団隷下。
17年4月ハルピンに移駐。12月23日機種改編のため三重県明野に移動。
18年4月24日ラバウルに展開、船団輸送作戦に参加。
8月11日ウエワクに展開、同地に於いて進攻作戦および船団掩護。飛行機大半損耗。
19年4月22日サルミに移動。5月一部ハルマヘラ島ワシレの防空。
19年8月20日サルミにおいて復帰。
 
◆編成/昭和16年7月29日会寧
◆復帰/昭和19年8月20日サルミに於て復帰
 
◆歴代戦隊長
下山登令中佐、木村清中佐、貴島俊男少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

70sentai

飛行第70戦隊/戦闘機隊(天翔第8370)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)
二式複座戦闘機(屠龍)、四式戦闘機(疾風
 
◆概略
大陸、内地双方でB-29の邀撃を行った重戦隊。
昭和19年7月、成都を基地とするB-29が鞍山へ来襲するようになり
二式戦闘機「鍾馗」二型を用いて対超重爆機訓練を実施。
9月8日、B-29、100機が大挙して来襲した際、これを邀撃したが
二式戦二型の上昇力をもっても高高度を飛来するB-29撃墜は
困難を極めた。11月5日、内地帰還命令によって70戦隊は
柏へ帰還し、第10飛行師団隷下となる。震天制空隊を
編成したほか、通常の飛行隊は40ミリ砲を用いて
相当の戦果を挙げた。昭和20年6月頃からは
四式戦が僅かずつ配備されたが実戦に使用されず
、ロケット戦闘機「秋水」(陸軍名「火龍))の装備が計画され
7月には操縦者全員が秋水搭乗のための身体検査を
航空審査部へ受けに行ったが実戦に至らず終戦となる。
 
◆部隊史
第五飛行集団隷下。
17年9月満州杏樹に展開日対ソ作戦準備および満州重要都市防空。
19年2月25日千葉県松戸に移駐日東部地区防空。
8月4日南満鞍山に展開日同地防空。
11月8日松戸に移駐日第十飛行師団隷下日東部地区防空。
 
◆編成/昭和16年3月5日杏樹
◆復帰/杏樹
 
◆歴代戦隊長
江山六夫少佐、長縄克己少佐、坂戸篤行少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

71sentai

飛行第71戦隊/戦闘機隊(誠第18429)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年9月に編成完結した、四式戦部隊である。

雁ノ巣において北九州防空任務にあたる。
比島派遣の命令が下ると、デルカメンへ進出。
錬成の間に合わなかった未熟操縦者十数名は
防府に移駐し錬成を続けた。進出早々に
米艦載機の波状攻撃を受け、離陸前に多数を消失した。
人員は無傷だったのが幸いで、若干の補充を受けたのちに
ネグロス島マナプラへ前進し、レイテ湾に出撃する
友軍機の掩護に当たる。20年1月7日早朝、
71戦隊の福田瑞則軍曹はマラリアで39度の熱があったが
僚機の三浦軍曹とともにリンガエン湾上陸に向かう敵船団を求め
出撃したが発見に至らず、単機で帰投中、バコロド上空で
54戦隊の杉本明准尉機(隼三型)と合流した。三浦軍曹はスコールの中、
マナプラ飛行場への着陸進路に入った。杉本准尉は
ファブリカ飛行場に向かったが、超低空で偵察に飛来した
マクガイア少佐のP-38、4機編隊と遭遇。先頭のリトメイア少佐機を
撃墜した。福田軍曹はその直後、高度300メートルで残りの3機と
正面から遭遇し爆弾と落下タンクを着けたまま撃ちあって、
先頭のマクガイア機を撃墜した。残る2機と巴戦に入り
1機に煙を博士たが自らも被弾して不時着した。杉本准尉も
被弾し不時着したが現地ゲリラによって襲撃され戦死している。
内地へ帰還した71戦隊は防府の残置隊と合流し北九州防空についたのち
20年5月には義烈空挺隊出発掩護のため隈之庄へ移駐。8月13日知覧へ移駐
準備中に終戦となる。
 
◆部隊史

19年9月21日山口県小月に移駐。北九州防空。
11月14日比島デルカメンに展開。
12月上旬マナブラに展開日レイテ第二次総攻撃参加。
地上部隊は一部デルカメンに残置。
20年2月ボルネオ島サンダカンに展開。一部はネグロス島に残置。
20年4月1日クチン日サイゴン日ツーランを経て防府に移駐日第十二飛行師団隷下。
残置隊は20年9月2日停戦に伴い収容所に入る。

◆編成/昭和19年9月17日亀山
◆復帰/防府
 
◆歴代戦隊長
綾部逸雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

72sentai

飛行第72戦隊/戦闘機隊(威第18430)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
  
◆概略
昭和19年5月、明野飛行学校北伊勢文教所で編成された四式戦部隊。

12月に比島へ派遣され、バンバンへ向かったが敵戦闘機に奇襲され
バンバンへ到着したのは7機のみとなっていた。ミンドロ島進攻作戦で損耗を重ね
20年1月、第30戦闘飛行集団長の命令で戦闘隊は全機特攻隊に転じることになり
71、72、73戦隊、200、1、11戦隊の混成で精華隊を編成。250kg爆弾2個を
翼下に吊り下げてリンガエン湾へ2機ずつ出撃(うち1機は戦果確認機)し散華した。
 
◆部隊史
19年9月1日第二十一飛行団隷下日兵庫県伊丹に展開日阪神地区防空。
12月16日比島バンバンに展開日リンガエン上空戦闘。
ルソン東方船団攻撃日クラーク上空邀撃作戦参加。
20年2月1日レイナマルセデスに展開。
ルソン島残置部隊編成日アリタオ付近特別斬り込み作戦参加。
2月15日アパリに転進。3月2日カマルンガヤンに展開。
3月15地上整備要員内地輸送待機のためアパリに転進。
4月25日臨時歩兵第二十五大隊編成。第二中隊駿兵団長の指揮下に入る。
サンビセンテに展開。
5月15日アリタオ付近の地上決戦に参加。
20年5月30日部隊復帰。内地帰還予定人員8月15日ナトニンに集結。
9月2日戦闘行動停止。カビサヤンにおいて収容所に入る。
 
◆編成/昭和19年5月16日北伊勢
◆復帰/昭和20年5月30日部隊復帰
 
◆歴代戦隊長
津崎英介少佐、移野道雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

73sentai

飛行第73戦隊/戦闘機隊(威第18431)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年5月、明野飛行学校北伊勢文教所で編成された。
斜め三本線の戦隊マークは隊員で画家の山本鶴丘氏がデザインした。
19年9月、所沢へ移駐し防空任務につく。12月、比島派遣命令により
マバラカット東へ前進。特攻機掩護、ミンドロ島サンホセ攻撃に出撃するなど
戦闘を重ねたが、20年1月、第30戦闘飛行集団長の命令で
特攻隊が編成され、元オリンピック選手の吉田喜一少尉ら3名が散華した。
 
◆部隊史

第二十一飛行団隷下。
19年9月埼玉県所沢に移駐。
12月14日ルソン島マバラカット東飛行場に展開、
ルソン島航空作戦に参加、航空機全機損耗。
20年3月オロラに移動。
4月10日オロラ残留者臨時歩兵第二十五大隊に編入。
5月30日オロラにおいて復帰。
南方残置隊は20年9月2日戦闘停止、収容所に入る。 
  
◆編成/昭和19年9月17日柏原
◆復帰/昭和20年5月30日オロラに於て復帰
 
◆歴代戦隊長
三隈輝男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

74sentai

飛行第74戦隊/重爆隊(威第9132)
◆使用機種
九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)

◆部隊史
第五飛行集団隷下。
17年12月~19年2月満州公主嶺にて警備。
一部を以って東京都立川-マニラ間の空輸業務。
19年4月7日北海道計根別に展開、千島、オーツク海、太平洋上哨戒。
11月15日デルカルメンに展開、レイテ作戦参加。
20年1月~2月嘉義空輸作戦。
20年4月熊本に移駐、第五飛行団隷下。地上部隊デルカメン残置。
7月樺太・落合移駐。8月12日松本移駐。
 
◆編成/昭和17年12月20日公主嶺
◆復帰/松本
 
◆歴代戦隊長
河島慶吾中佐、笹尾宏中佐、上沼利清中佐、丹波多四郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

75sentai

飛行第75戦隊/軽爆隊(輝第2379)
◆使用機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、キ102双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
第三飛行団隷下、飛行第七大隊を改編。漢口作戦、
宜昌作戦協力及敵航空基地攻撃。
15年9月中支武昌に展開、淅東作戦、奥地進攻。102号作戦参加。
16年12月5日コンポントラツシユ展開、マレー作戦参加。
12月15日スンゲイバタニに前進、地上部隊協力、
シンガポール航空撃滅戦参加。
17年2月21日パレンバンに展開、ジャワ作戦参加。
3月2日カリジヤチに展開、バンドン攻略戦参加。
8月18日バンドンに展開。18年11月セレベス島アマハイに展開。
ハルマヘラ島、ニューギニア沿岸の哨戒船団掩護。
19年2月ホランジアに展開、マダン、ウエワク方面作戦参加。
3月アマハイに展開、西部ニューギニア作戦参加。
9月セレベス島アンベシヤに展開、ハルマヘラ島付近の戦闘に参加。
10月ボルネオ島サンダカンに展開、レイテ作戦参加。
12月リパに展開、比島作戦参加。
20年1月ツゲガラオに集結。3月機種改変のため茨城県鉾田に移動。
5月青森県八戸に移駐。
 
◆編成/昭和13年8月1日北京
◆復帰/八戸
 
◆歴代戦隊長
秋山豊次大佐、今西六郎大佐、小野門之助大佐、亀山主計中佐(殉職)
徳永賢治大佐、安岡光衛中佐、土井勤中佐、中川範治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

77sentai 
飛行第77戦隊/戦闘機隊(翔第9625)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和12年7月、盧溝橋事件に端を発して大刀洗から北支に派遣。
九五式戦闘機で地上作戦に協力する。中支戦線でソ連機との戦闘を
続け、ノモンハン事件もは参戦せず終結後に満州へ移駐した。
昭和16年11月、開戦に備え、一挙南方へ進出。マレー上陸船団の
掩護を行った。12月8日の朝にはタイに進駐する第15軍地上部隊の
掩護に出撃。当初、外交交渉により平和進駐を目指していたが、
タイ国首相より回答が届かず、やむなくタイ国領内へ侵入。
小競り合いとなり、タイ国空軍機3機を撃墜している。
ドムアン、ついでラーへ展開した戦隊主力はラングーン航空撃滅戦
に参加。英空軍および米義勇軍戦闘機と交戦、ミンガラドン飛行場を
攻撃した。このとき機材は九七式戦闘機で全機が帰還したが
重爆5機を失い、64戦隊に支援を要請した。第二次ラングーン航空撃滅戦
南部ビルマ航空撃滅戦に参加、英米空軍のほとんどを撃滅し
マグエへ前進し、6月に竜鎮に帰還した。10月に斉斉哈爾へ移駐し
一式戦二型に機種改編。18年10月、南方への派遣命令で
ニューギニア、ホランジアへ前進。ブーツ、ウエワクを前進基地として
航空作戦にあたった。しかしホランジア大空襲で稼働機の殆どを失い、
松元戦隊長も邀撃戦で戦死。ホランジアに連合軍が上陸し
飛行機を失った戦隊はサルミを目指して陸路で転進を試みたが、
地上勤務者を含めても、終戦後生還できた者は僅か5名で
操縦者は全滅した。
 
◆部隊史
第一飛行団隷下。飛行第八大隊を改編。
13年8月湖北省二套口に前進、漢口作戦参加。
14年6日南昌に移駐。9月満州龍鎭に移駐。第五飛行集団隷下。
16年12月20日タイ・ランバンに展開、ビルマ作戦参加。
17年6月朝鮮東京城に移駐。18年10月ビルマに展開、同地作戦参加。
19年2月ホランジアに展開、ニューギニア作戦参加。
19年8月20日ホランジアにおいて現地復帰。
 
◆編成/昭和13年7月30日南京
◆復帰/昭和19年8月20日ホランジアに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
武田惣次郎大佐、川原八郎中佐、吉岡洋中佐、
森本重一中佐、松本邦男中佐、井上重俊少佐

◆戦死者・殉職者追悼
  

78sentai

飛行第78戦隊/戦闘機隊(真第9152)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)
  
◆概略
68戦隊とともに初の三式戦闘機「飛燕」装備部隊として編制された。
先に68戦隊がラバウルへ派遣されたが、故障、事故、海上航法未熟による
未帰還が相次いだため、この失敗を教訓に78戦隊は明野で十分な訓練を重ねた。
ラバウルに到着した68戦隊の三式戦は1機のみであったが
6月16日、78戦隊の三式戦は満を持して明野を離陸。洋上航法の練度向上と
新航空路の開発により途中の落伍機は12機に達したものの、33機がラバウルへ無事到着した。
新航空路はトラック経由を廃して、島伝いの大迂回路をとることとし、
新田原、那覇、台湾の嘉義、マニラ、ダバオ、メナド、バボ、ホランジア、ウエワクを
経てラバウルへ到着するコースであった。
その後も第二陣が空母雲鷹に搭載され横須賀を出港。15機がラバウルへ到着。
間もなく重爆の掩護を行った。しかしニューギニアにおける諸所の航空戦は
非常に厳しく損耗を重ねつつあった。17機撃墜のエース高宮敬司中尉もここで
戦死。稼働機を失った戦隊は昭和20年11月まで自活生活を続け、生還者は
22名。操縦者は全滅した。 
 
◆部隊史
第十四飛行団隷下。
17年4月8日満州孫家に移駐。
18年4月~6月三重県明野において機種改編。
7月2日ラバウル前進、ホランジアに展開。
7月22日ウエワクに展開、ニューギニア航空作戦参加。
19年3月ホランジアに移動。4月22日サルミに移動、飛行機全機損耗。
地上勤務者はウエワクに残置。
19年8月20日サルミにおいて現地復帰。残置者サルミにおいて終戦。
 
◆編成/昭和17年3月31日杏樹
◆復帰/昭和19年8月20日サルミに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
安部勇雄少佐、高月光少佐、泊重愛少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

81sentai

飛行第81戦隊/司偵隊(高第2380)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
キ102双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
独立飛行第十六中隊改編。飛行第三集団隷下。
16年11月~12月プノンペン前進、マレー作戦準備捜索。
マレーに前進、ボルネオ、スマトラ、ジャワ上陸作戦の為の上陸点捜索。
17年3月ジャワに前進、濠北作戦、占領地戡定作戦参加。
マレー、スマトラ、西部ジャワ作戦参加。
7月ビルマに展開、東部印度、印度洋哨戒作戦に協力。
7月24日~11月30日第一次ビルマ地区航空撃滅戦。
7月24日~18年1月31日第二次ビルマ地区航空撃滅戦。
2月1日~4月30日第三十一号作戦協力竝に第三次ビルマ地区航空撃滅戦参加。
第三航空軍隷下、5月1日~9月30日ビルマ周辺航空作戦竝に地上作戦協力。
10月1日~19年12月15日反攻邀撃々碎作戦。
20年6月南部仏印に移動、ビルマ、アンダマン捜索、哨戒、地上作戦協力。 
 
◆編成/昭和19年9月20日彰徳
◆復帰/レグー
 
◆歴代戦隊長
柳本榮喜中佐、森正光少佐、岩崎正一中佐、鈴木正雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

82sentai

飛行第82戦隊/司偵隊(隼魁第2383)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第五航空軍隷下、漢口に於て独立飛行第十八中隊及び
独立飛行第五十五中隊を基幹として編成。
11月1日~12月31日 19年度後期航空作戦参加。
20年3月主力支那南京に展開、一部青島に派遣、
20年度第一期航空作戦参加。
20年6月朝鮮京城に移駐、第八飛行団隷下、第二中隊主力南京に残置。
 
◆編成/昭和19年10月31日漢口
◆復帰/京城
 
◆歴代戦隊長
出口敦少佐、奥村房夫少佐、真木洋大尉(南京派遣隊長)
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

83sentai

飛行第83戦隊/偵察隊(灘第11070)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機、九九式襲撃機
 
◆部隊史
航空兵団隷下。
5月北支運城に展開、中原会戦に協力。
6月満州海林へ帰還。
7月29日第八十三独立飛行隊本部、
独立飛行第七十一、七十三、八十九中隊に改編。
19年3月31日ラングーンにて、第八十三独立飛行隊本部、
独立飛行第八十九・九十一中隊を飛行第八十三戦隊に改編。
4月15日ボルネオ島ラグアンに展開、
飛行第五十八戦隊長の指揮下に入り、同地付近の海上交通保護作戦に従事。
6月9日第五十八戦隊長の指揮を脱す。
6月9日主力はラグアンに展開、沿岸哨戒。
6月末一部ビルマ方面軍配属となり拉孟守備隊に空輸補給。
12月10日ネグロス島シライに展開、
12月10日~20年1月8日ネグロス島に在りて比島捷号作戦参加。
1月8日クチンに展開。
 
◆編成/昭和16年3月1日海林
◆復帰/昭和20年5月30日クチンにて復帰
 
◆歴代戦隊長
二田原憲次郎大佐、綾部節夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

85sentai

飛行第85戦隊/戦闘機隊(隼魁第8385)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和16年3月、満州、孫家において飛行第1戦隊と第64戦隊の人員を基幹として
編成された。大東亜戦争開戦後も関東軍戦闘機隊の精鋭として満州に置かれ、
昭和17年末頃から18年初めにかけて二式戦闘機への機種改編が行われた。
同年7月、戦隊は広東へ展開し中南支航空戦に参加。零陵、桂林に進攻し
在支米軍との戦闘、邀撃を繰り返した。当初より重戦を用いた一撃離脱戦法により
在支米軍P-40に対して優勢であった。19年10月、二式戦、四式戦混合部隊となる。
12月18日、正午頃からB-29、B-24、B-25、P-51の戦爆連合百数十機が漢口に来襲し
十数回の波状攻撃で市街地は火の海と化した。85戦隊も空襲の合間を縫って
邀撃したが、地上機も破壊され、邀撃機もP-51に対しては苦戦を強いられた。
稼働機が2、3機となった戦隊は20年1月、南京へ後退。戦隊の回復を行いつつ
防空任務および特攻による艦船攻撃訓練を実施した後、朝鮮の金浦へ移駐し
本土決戦に備え終戦となる。最後の戦闘は8月13日、P-51との空戦で、中村
守男少佐以下5名が戦死している。生還した操縦者は15名。
  

◆部隊史
第五飛行集団隷下。
16年3月21日八面通に移駐。12月1日海浪に移駐。
18年7月広東に展開、夏季航空作戦参加。湘桂作戦参加。
19年2月漢口に移駐、武漢防空。
20年2月南京に展開、一部広東に残置。第一飛行団隷下。
5月30日朝鮮京城に移駐。広東残置隊は8月3日京城に移動し本隊と合流。
10月7日仙崎上陸復員。 
 
◆編成/昭和16年3月7日孫家
◆復帰/京城
 
◆歴代戦隊長
山本五郎中佐、斉藤籐吾少佐
  

87sentai

飛行第87戦隊/戦闘機隊(冨第8387)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
昭和16年3月、編成され、大東亜戦争開戦後も対ソ作戦に備え、
満州に駐留し、錬成を続けた。昭和17年末から18年初めに
かけて二式戦二型に機種改編を実施。半数は40ミリ砲二門を備えた丙型で
7月、柏へ転進した戦隊は、間もなくパレンバン製油所の防空を命じられた。
静穏で燃料に恵まれた戦隊は錬成を続けたが、昭和19年5月、一時期
ビルマへ転用。P-51等との戦闘で稼働機四分の一を失い戦死者6名を出した。
パレンバンへ戻った戦隊は再び暫くの静穏の中、戦力回復に努め
8月末頃には52機を保有した。19年秋の比島決戦に他戦隊は次々投入されたが
87戦隊はパレンバンに残り製油所防空にあたる。いよいよと思われる
戦局が動いたのは20年1月、セイロン島を出港した英艦隊の艦載機に
よる空襲であった。87戦隊は英空母四隻から発艦した百数十機のアベンジャー、
ヘルキャット、コルセア、シーファイアとの空戦を展開した。
阻塞気球、高射砲で強固に守られた空の陣地へ勇敢にも侵入した英艦載機は
爆撃を繰り返し製油所は大損害を受けた。戦隊も全力で邀撃。高射砲隊と
協同し50機を撃墜した。(英軍側記録によれば41機を失っている)
 
◆部隊史

第五飛行集団隷下。
16年3月26日牡丹江省団山子に移駐。
18年5月22日千葉県柏に移駐。帝都防空。
12月ゲルンバンに展開、パレンバン防空。
19年5月メイクテイラに展開。第三航空軍隷下。インパール作戦参加。
5月27日ゲルンバン帰還、6月20日~8月一部スマトラ島タンジユンプーラに派遣。
20年3月8日タンジユンバトに移駐。7月チヤンギーに展開、シンガポール防空。
8月ダンジユンバトに帰還。一部チヤンギーに残置。
21年5月31日広島県大竹港上陸復員。
 
◆編成/昭和16年3月1日ハルピン
◆復帰/タンジユンバト
 
◆歴代戦隊長
新藤常右衛門中佐、山田邦雄中佐、中野猪之八少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

90sentai

飛行第90戦隊/軽爆撃機隊(隼魁第2381)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
 
◆部隊史
飛行第九大隊を改編。第三飛行集団隷下。
13年8月~12月4日北支太原、運城、包頭にて第二期第三期粛清作戦、
ならびに第二次航空進攻作戦参加。
14年12月5日~15年7月31日北支路安、太原、石門、運城、包頭にて
地上作戦直接協力ならびに要地攻撃参加。一部を以って宜昌作戦参加。
8月1日~12月1日北支太原、南支広東、欽州にありて南支第一次作戦参加。
16年1月仏印ハイフォンに展開、地上作戦直接協力ならびに要地攻撃に参加。
6月21日~11月14日済南にて地上作戦協力、第102号航空作戦参加。
12月21日ハイフォンを経てスンゲイバタニに展開。
17年3月31日まで南支要地攻撃マレー作戦、南部スマトラ西部ジャワ作戦等に参加。
3月18日~4月24日クルアンにて占領地戡定作戦に参加。
4月25日広東に展開、地上作戦航空進攻作戦に従事。
7月28日南苑に展開。
17年後期18年前期・中期・後期各航空作戦ならびに地上作戦に直接協力。
19年2月19日徐州に展開、
19年前期航空作戦ならびに「ト」及び「コ」号作戦19年中期作戦参加。
19年8月11日~12月31日徐州、虹橋にて19年後期航空作戦参加。
21年1月1日~20年8月14日中支虹橋、
北支済南にて20年第一期第二期航空作戦、天一号作戦に参加。
 
◆編成/昭和13年8月1日南苑
◆復帰/虹橋・済南
 
◆歴代戦隊長
山瀬昌雄大佐、山口槌夫大佐、瀬戸克己中佐、三木了中佐
平松健二少佐、鈴木武男少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼

 
教導飛行第95戦隊/重爆隊(満洲第950)
◆使用機種
百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
第五飛行団隷下。
95戦隊に記載
 
◆編成/昭和17年12月18日鎭東
◆復帰/昭和19年1月30日拉林にて飛行第95戦隊と改称
◆戦死者・殉職者追悼
   

95sentai 
飛行第95戦隊/重爆隊(威第9132)
◆使用機種
百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
教導飛行第九十五戦隊を飛行第九十五戦隊と改称。第五飛行団隷下。
19年2月16日茨城県鉾田に移動。4月26日北海道帯広に移駐、北東海上哨戒任務。
5月択捉島天寧移駐。8月11日計根別移駐。11月19日クラークに展開。
11月24日~12月31日第二次比島作戦参加。
12月14日菊水特攻隊に丸山義正大尉以下49名出動。
20年1月4日嘉義に移動、一部クラーク残置。
3月9日一部をマレーに派遣、一部をクラーク残置。4月帯広に移駐。
 
◆編成/昭和19年1月30日拉林
◆復帰/昭和20年5月10日帯広に於て復帰
 
◆歴代戦隊長
山本邦麿中佐、久保木巌少佐(戦死)、大沢進一中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

 

98sentai 
飛行第98戦隊/重爆隊(靖第21203)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
第四飛行団隷下。上海、王賓にて独立飛行第三、十五中隊を改編。
13年<2項より補足>11月10日漢口に移駐、奥地進攻作戦。
14年3月18日杭州に移駐、編成改正により
第三中隊を飛行第六十戦隊に転出。
7月10日奉天に移駐。14年11月敦化に移駐、機種改変。
15年3月改編により一個中隊増強。
8月海口を基地として桂林攻撃及び海上航法訓練。
15年10月敦化に帰還。16年8月南苑に展開、
運城を前進基地とし重慶、蘭州攻撃。
16年12月4日サイゴンに展開、第三飛行集団隷下、
船団掩護、マレイ爆撃、ラングーン航空撃滅戦参加。
17年1月10日マレイ、ケチルに展開、マレイ、パレンバン作戦参加。
3月タイ国ナコンサワンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
8月装備改変のため一部岐阜に移駐。
9月タイ国ドムアンに展開、一個中隊をビルマ、タボイに展開、
12月マレイ・スンゲイパタニに移動、カルカッタ進攻。
一部をドムアンに残置。
18年5月ランバン移動、ビルマ航空撃滅戦参加。
10月スンゲイパタニに集結、カルカッタ爆撃戦参加。
19年2月鹿屋に移駐。2月22日海軍第五航空艦隊の指揮下に入る。
雷撃訓練。
6月豊橋海軍基地にて機種改変。7月鹿屋帰還。
10月10日~10月14日台湾沖航空作戦参加、部隊の全戦力を失う。
20年2月大刀洗に移動、第二十七飛行団隷下、
3月沖縄作戦参加のため大刀洗、
宮崎、鹿屋、新川、小松、大邱、郡山に移動或は展開。
7月1日第五航空艦隊の指揮を脱し、
第二十一飛行団司令部の指揮下に入り、主力児玉に移動
  
◆編成/昭和13年8月15日上海
◆復帰/主力・児玉
 
◆歴代戦隊長
服部武士大佐、吉田喜八郎大佐、林勇藏大佐、臼井茂樹大佐(戦死)、大阪順次中佐
楢崎五百刀中佐、前野榮吉中佐、松村靜馬中佐、高橋太郎少佐、宇木素道少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

101sentai

飛行第101戦隊/戦闘機隊(靖第18920)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
20年3月より都城東へ移動し、稼働機20機で沖縄決戦に参加。
徳之島、喜界島へ前進し特攻機掩護を行う。第一次、第二次
総攻撃参加。16日の第三次総攻撃においては沖縄北、中飛行場へ
超低空で接近しタ弾による挺身攻撃を実施。
児玉正美中尉以下8名が未帰還となる。
児玉中尉は不時着し最後まで地上部隊と共に奮戦したと
伝えられている。その後、戦力補充を受けつつ
第六次航空総攻撃まで参加し特攻隊を掩護する。
7月10日、戦隊は解散。残った人員は第百飛行団として
高松へ後退。間もなく終戦を迎えたが、飛行団長、秋山紋次郎大佐は
以前、戦闘態勢を維持。8月16日夕方、米艦隊が土佐湾へ侵入との
情報を受け、夜半に特攻隊12機へ編成し、出撃したが
目標を発見できず帰投した。
 
◆部隊史
第百飛行団隷下。
20年2月大阪府柏原に移駐。3月宮崎県都城東に展開。
5月熊本県隈之城へ移駐。6月東京都成増に移駐、戦力回復。
8月2日埼玉県高萩へ移駐。

◆編成/昭和19年11月10日北伊勢
◆復帰/高萩
 
◆歴代戦隊長
代永兵衛少佐、末永正夫大尉、坂本美岳少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

102sentai

飛行第102戦隊/戦闘機隊(靖第18921)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
20年3月、稼働機40機を揃えた戦隊は都城西飛行場へ前進。
喜界島を中継基地として特攻掩護を行う。
4月6日の第一次総攻撃においては第百飛行団の稼働機
48機をもって特攻機掩護のため、奄美大島付近の制空戦闘に参加。
102戦隊から20機が参加したが帰途、針路を失い
九州、四国へ不時着する機が多発した。20年6月、
成増へ後退し再建中に終戦。
 
◆部隊史

第百飛行団隷下。
19年11月10日宮崎県都城西に展開。
20年4月から6月沖縄作戦参加。6月末、東京都成増に移動。
洋上迷彩の施された機体が特徴。
 
◆編成/昭和19年7月25日北伊勢
◆復帰/昭和20年7月30日 成増にて復帰
 
◆歴代戦隊長
垣見馨少佐、林岩男大尉
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

103sentai

飛行第103戦隊/戦闘機隊(靖第18922)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
昭和20年3月、熊本県隅ノ庄飛行場へ前進したが、戦隊の四式戦は
定数の半分程度で、東条道明戦隊長は、宇都宮航空廠と中島飛行機へ
行き、ひざ詰め談判で十数機を四式戦を手に入れ、計30機を揃えた。
天号作戦発令と共に、103戦隊は第6飛行団に配属となり
65、66戦隊とともに知覧から徳之島へ前進し、両襲撃隊の特攻隊
掩護を行った。徳之島が艦載機の銃爆撃で使用不可能となると
知覧へ後退し、第八次総攻撃では、小川倶治郎大尉以下11機が
悪天候の中、超低空で沖縄北飛行場を銃撃。10機が未帰還となり
小川大尉機のみが帰還した。損耗した戦隊は淡路島の由良飛行場へ
後退し、戦力回復に努めたが終戦となる。 

 
◆部隊史

三重県北伊勢にて19年10月まで本土防空作戦に従事。11月兵庫県伊丹に移駐。
20年1月熊本県隅之庄に移駐、沖縄作戦に従事。2月28日鹿児島県知覧に前進。
3月鹿児島県徳之島に移動。3月下旬知覧に帰還。4月宮崎県都城に移動。
6月東京都成増に移駐、戦力回復。第百飛行師団隷下。
7月飛行第百二戦隊の人員、資材を転入して編成改正。8月兵庫県淡路島に移駐。
 
◆編成/昭和19年7月25日北伊勢
◆復帰/由良
 
◆歴代戦隊長
東條道明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

104sentai

飛行第104戦隊/戦闘機隊(羽第18923)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆部隊史
第二航空軍隷下。
19年9月満州の奉天深井子。10月奉集堡に移駐、戦力整備。
11月鞍山移駐。第十五飛行団隷下、第二次編成完結。同地防空任務。
8月22日ソ連により武装解除。昭和製鋼所解体作業に従事。
 
◆概略
昭和19年8月、小月で編成された防空戦闘機隊。
奉天を拠点に、満州防空を担う。B-29への体当たり専門の
「菊水攻撃隊」が編入。昭和20年8月9日、ソ連が参戦すると
10日、ソ連軍機甲部隊を攻撃。11日にも機甲部隊をタ弾をもって攻撃し
約20両を炎上させたほは、独飛25中隊、独飛81中隊と協同して
満州防空を続けた。昭和20年8月17日、竹田宮恒徳王が終戦の聖旨
伝達に来満したさい、その乗機を護衛した第26教育飛行隊の
鎌田正邦大尉以下4機が奉天上空に帰還したところ、既にソ連軍の
手に落ちたことを知るや、全機密集編隊のまま滑走路へ自爆した。
 
◆編成/昭和19年8月15日小月

◆復帰/鞍山
 
◆歴代戦隊長
滝山和少佐、岡崎弥助少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

105sentai

飛行第105戦隊/戦闘機隊(誠第19102)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年11月に編成完結された三式戦部隊。
台湾の防空を担う。間もなく独立飛行第23中隊が
沖縄から台湾へ後退し、指揮下に入る。
2月、23中隊は石垣島へ前進し3月26日
伊舎堂用久大尉の指揮する最初の特攻隊
「誠」第17飛行隊の4機を105戦隊が掩護して
出撃。直掩機の阿部久作少尉も後を追い散華した。
3月25日、105戦隊主力も決戦参加の為、宜蘭へ移動。
4月1日石垣島へ前進し、三式戦による特攻、特攻掩護を
繰り返した。
 
◆部隊史

第八飛行師団隷下。
19年10月10日~17日台湾ならびに南西諸島防衛戦闘に参加。
20年3月24日台湾宜蘭に移動。4月主力石垣島に前進。
4月26日~6月20日天号作戦参加。8月15日宜蘭に帰還。
21年2月24日和歌山県田辺港に上陸復員

◆編成/昭和19年7月15日台中
◆復帰/宜蘭

◆歴代戦隊長
吉田長一郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

106sentai

飛行第106戦隊/司偵隊(靖第18924)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第十二飛行師団隷下。
19年12月8日マニラに展開。
20年1月10日戦隊長以下10名ツゲガラオに移動。
19年12月~20年2月マニラ、マリキナ、ツゲガラオにて比島作戦参加。
20年1月下旬~2月台湾小港に集結。地上勤務者マリキナ残置。
第百六戦隊長以下4名宮崎県新田原へ移動。
他の台湾所在人員は飛行第二戦隊の指揮下に入る。
3月9日一部八街に集結。
20年3月26日福岡県蓆田飛行場に移動、沖縄作戦参加。
20年3月残置者は広島県宇品へ帰還。福岡へ移動。
 
◆編成/昭和19年10月24日各務原
◆復帰/昭和20年4月20日
 
◆歴代戦隊長
須子正雄中佐(戦死)
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

107sentai

飛行第107戦隊/防空戦闘・重爆隊(燕第18925)
◆使用機種
四式重爆撃機(飛龍)、キ109特殊防空戦闘機
 
◆部隊史
第五十一教育飛行団長の隷下に入り、内地防空。
20年6月朝鮮大邱移駐、朝鮮海峡哨戒。
 
◆編成/昭和19年11月10日浜松
◆復帰/昭和20年7月30日浜松に於て復帰 
 
◆歴代戦隊長
道盛清中佐、吉田大八少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

108sentai

飛行第108戦隊/輸送機隊(誠第19103)
◆使用機種
一式双発高等練習機、九七式重爆撃機二型
九九式双発軽爆撃機、百式輸送機(MC輸送機)

  
◆部隊史
第八飛行団隷下。
19年10月~12月主力を以って数次にわたり比島クラーク地区への輸送。
12月10日台湾塩水に移駐。
20年1月沖縄、新田原、上海、宮古島への空中輸送。3月台北に移駐。
3月26~6月20日台湾ならびに南西諸島における天号航空作戦参加。
20年5月26日第三中隊を基幹として飛行第百八戦隊爆撃飛行隊を編成。
7月1日主力は台湾樹林口に、一部は台湾彰化に移駐。
 
◆編成/昭和19年8月下旬嘉義
◆復帰/樹林口
 
◆歴代戦隊長
古川日出夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
飛行第109戦隊/輸送機隊(威第11091)
◆使用機種
百式輸送機(MC輸送機)、一式輸送機
 
◆部隊史
第三航空軍隷下。
19年11月15日スマトラ島バカンバルに移駐。
12月6日タイ国アロールスターに移駐、ビルマに対する人員資材輸送。
20年3月28日仏印フーミに移駐。
8月7日南方航空輸送部隊第一・第二輸送隊を編合。
 
◆編成/昭和19年10月8日シンガポール
◆復帰/仏印
 
◆歴代戦隊長
高梨稔中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

110sentai

飛行第110戦隊/重爆機隊(靖第19027)
◆使用機種
四式重爆撃機(飛龍
 
◆概略
昭和19年10月。浜松教導飛行師団第三教導飛行隊を基軸として編制。
長距離爆撃と合わせて雷撃訓練を実施する。19年12月7日
浜松~サイパンを飛行し攻撃を敢行。ついで20年2月、
硫黄島緊急空輸任務、天号作戦では熊本県健軍飛行場を前進基地として
沖縄本島の飛行場攻撃ならびに艦船攻撃を行った。
 
◆部隊史
19年12月7日教導航空軍隷下、静岡県浜松を基地としてサイパン攻撃。
20年2月第六航空軍隷下、東京都立川を基地として硫黄島に対する空輸。
2月浜松を基地として硫黄島周辺艦船攻撃。
3月福岡県大刀洗に前進、3月中旬~3月下旬沖縄周辺艦船攻撃。
第七飛行団隷下。4月熊本県隈之庄に移駐。5月23日義号作戦、沖縄中飛行場攻撃。
 
◆編成/昭和19年10月浜松
◆復帰/隈之庄
 
◆歴代戦隊長
草刈武男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

111sentai

飛行第111戦隊/戦闘機隊(帥第34217)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和20年7月、明野教導飛行師団から名称を
改め、111戦隊となる。112戦隊と並んで、
最後の陸軍飛行戦隊となった。装備機は最新鋭の
五式戦で、4個中隊から成り、主力は大阪の佐野飛行場、のち小牧
展開し、一個中隊のみ四式戦で淡路島の由良飛行場にあった。
編隊長以上には老練の助教クラスを置いたが
列機は航士57期、特操などの練度不足の者を主体とし、
最新鋭の五式戦を多数保有しながら、燃料不足で飛ぶことも
ままならなかった。温存する作戦となり、終戦となるが
編成早々の6月には数回にわたってB-29を邀撃している。
7月16日、江藤豊喜少佐の率いる五式戦12機と、加藤隼戦闘隊の生き残り、
檜与平少佐の率いる五式戦12機が出撃。松坂上空で
P-51、12機と空戦となる。義足のエースと
その列機は11機(不確実5)を撃墜した。
 
◆部隊史

第二十三飛行団隷下。
20年8月13日愛知県小牧に移駐。
 
◆編成/昭和20年7月10日明野
◆復帰/小牧
 
◆歴代戦隊長
石川正中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

112sentai

飛行第112戦隊/戦闘機隊(帥第34218)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和20年7月、常陸教導飛行師団から名称を
改め、112戦隊となる。111戦隊と並んで、
最後の陸軍飛行戦隊となった。最後の決戦部隊として温存策がとられ
111戦隊と同様、通常の飛行戦隊の倍の戦力を保有したが
その実態は燃料不足により飛行訓練すら満足に実施できなかった。
操縦者は航士57期、特操などの練度不足の者を主体とし
装備機は最新の五式戦であったが1~2回のみの飛行しか
許されなかった者も多い。唯一の戦闘は8月10日
早乙女栄作大尉の率いる4機が八街の潜伏飛行場からB-29を
房総沖に追撃し、撃破したのみであった。
 
◆部隊史

第一航軍隷下。第二十三飛行団隷下。
鹿島灘の哨戒。
 
◆編成/昭和20年7月28日新田
◆復帰/新田
 
◆歴代戦隊長
擣原秀見中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

144sentai 
飛行第144戦隊/戦闘機隊(帥第34213)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)
 
◆部隊史
16年9月東京都調布に移駐。11月飛行第二百四十四戦隊に改編。
 
◆編成/昭和16年7月30日豊岡
◆復帰/昭和16年11月、調布
◆戦死者・殉職者追悼
 

200sentai

飛行第200戦隊/戦闘機隊(威第19028)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年10月、明野教導飛行師団で編成された
明野の精鋭を選抜した決戦部隊として期待されたが
航士57期など、明野の乙課程を終わったばかりの者も含まれていた。
編成直後に比島進出の命令が下され、4個中隊、50機が明野を離陸。
しかしテスト飛行を省略したため、航空総攻撃の前日にあたる23日、
ルソン島ポーラックに到着したのは12機にすぎなかった。
翌24日、35機が追及してきたので、戦隊主力はネグロス島サラビア基地へ
前進。後発の第五、第六中隊は21機で10月30日クラーク基地へ到着した。
200戦隊にかける期待は大きく「皇戦隊」と命名したが、続発する
四式戦の故障と、飛行場不良による事故によって、10月末までに
老練宮丸大尉以下11機が未帰還となっていた。11月、ネグロス島へ
移動し22戦隊と合流。レイテ制空、タ弾による飛行場夜襲等を実施。
12月中旬より戦隊はマバラカット東へ後退。邀撃戦に移行する。
20年1月8日、米軍のリンガエン上陸とともに戦隊は残った稼働機で
特攻隊を編成。散華した。
 
◆部隊史

第30戦闘飛行集団隷下。
19年10月24日ルソン島ポーラックに展開し、レイテ作戦参加。
12月マバラカットに展開、一部ネグロス島に残置。
ルソン島航空作戦および特攻作戦参加。
20年1月31日台湾潮州に移動。地上勤務者はアパリに残置。
2月28日埼玉県所沢に移動。
 
◆編成/昭和19年10月12日明野
◆復帰/昭和20年5月16日所沢にて復帰
 
◆歴代戦隊長
高橋武中佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

204sentai 
教導飛行第204戦隊/戦闘機隊(誠第11071)
飛行第204戦隊/戦闘機隊(誠第11071)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和17年4月、西満州の白城子付近の鎮西で編成された
教導飛行第204戦隊がその前身である。軽爆機の
教導飛行第208戦隊とともに白城子教導飛行団を構成する。
昭和18年9月、ビルマへの派遣が決定。一式戦二型へ機種改編を
行ったのち、ラングーン郊外のミンガラドンへ前進した。
11月下旬、連合軍爆撃機によるラングーン昼夜爆撃が熾烈となり
戦隊もこの邀撃にあたる。重爆機を撃墜する戦果を挙げた。
12月、カルカッタ爆撃に参加、テンスキア攻撃、中部ビルマヘホへ
前進ののち33戦隊、64戦隊とともに60戦隊の重爆機を掩護して
昆明を攻撃。アキャブ、モンドー攻撃、
2月9日、コックスバザー付近の戦闘で田淵戦隊長が戦死。
2月22日付で教導飛行第204戦隊から飛行第204戦隊へ改称。
ラングーンに対する夜間防空戦闘、インパール作戦参加。
タイのドムアンに後退したのち、比島方面への派遣が決定。
マニラ郊外のニルソンへ展開。マニラ地区防空と
船団掩護にあたる。ネグロス島ファブリカへ前進し
レイテ湾の米艦船を爆装し強襲。損耗を重ね
水戸へ帰還した。水戸で航士57期、特操1期を中心とする
空勤者を補充し、一式戦三型へ改編。再度サイゴンへ
派遣された。天号作戦では台中から特攻隊四隊を編成出撃させている。
 
◆部隊史
第四飛行団隷下、同地にて教育訓練。
18年9月15日満州孫家に移駐。11月6日仏印、サイゴンに展開。
12月ラングーンに展開。カルカッタ、ケンスキヤ、チタゴン攻撃。
19年2月22日ラングーンにて人員を増強し、飛行第二百四戦隊と改称。
ビルマにおいて航空作戦、インパール作戦協力。
8月1日バンコックに展開。10月11日マニラに展開、比島航空作戦に参加。
12月15日戦力回復のため茨城県常陸に移動。地上勤務者クラークに残置。
20年2月28日サイゴンに展開、仏印作戦参加。
第八飛行師団隷下、4月一部台北に展開、沖縄作戦に参加。一部サイゴンに残置。
7月4日主力は台湾花蓮港に移動。台北展開組と合流し沖縄作戦参加。
21年3月5日主力は田辺港上陸復員。
マニラ残置隊はネグロス付近に残留所在部隊に協力。
20年9月2日停戦、収容所に入る。
20年8月10日サイゴン残置者は第百二十六飛行場大隊及び飛行第六十四戦隊に転属。
 
教導204戦隊
◆編成/昭和17年3月満洲・竜江省・鎭西
◆復帰/昭和19年2月22日ラングーンにて人員を増強し飛行第204戦隊と改称

204戦隊 
◆編成/昭和19年2月22日ラングーン
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
田淵宗少佐、相沢寅四郎少佐、村上浩少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

206sentai 
教導飛行第206戦隊/軽爆・偵察隊(満洲第8326)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
白城子教導飛行団隷下。
16年3月下旬満州白城子に移駐。
 
◆編成/昭和16年3月1日新京
◆復帰/昭和16年7月23日臨時編成下令
 
◆歴代戦隊長
安西秋男中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
飛行第208戦隊/軽爆隊(靖第8328)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
  
◆部隊史
16年<2項より補足>3月下旬トウ<さんずいに兆>南に移駐、
白城子教導飛行団の編組に入る。
第六飛行団隷下。18年2月12日トラツク島に展開、南太平洋作戦参加。
5月28日ブーツに展開、第二次ニューギニア作戦参加。
19年3月10日ホランジアに展開、一部ブーツに残置。第三次ニューギニア作戦参加。
4月3日飛行機受領のため嘉義へ移動、一部ホランジア残置。
4月マニラに展開、5月8日ダバオに展開。5月16日ガレラに展開。
7月リパに展開。8月20日リパに於て飛行第三十四戦隊の人員、器材を編入。
11月28日カロカンに移動。
20年1月10日ツゲガラオに移動。約200名マニラ地区に残置。
1月屏東に移駐。3月13日所沢に移動

◆編成/昭和16年3月31日牡丹江
◆復帰/昭和20年5月復帰
 
◆歴代戦隊長
於田秋光中佐、田中昇藏少佐、加島誠輝中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

244sentai

飛行第244戦隊/戦闘機隊(帥第34213)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)五式戦闘機
 
◆概略
昭和16年7月、埼玉県豊岡の航空士官学校で関東地区の防空部隊として
編成された144戦隊が前身で、当初は九七式戦闘機二個中隊から成る
部隊であった。144戦隊は調布に移動し12月の開戦時には
九七戦19機と、地上勤務者の多くは予備役の召集であった。
昭和17年4月15日付で244戦隊と改称され、調布にあって、当時としては
唯一の防空戦隊として備えた。19年3月、サイパン陥落後、本土空襲の
危機が迫る中、飛行第十師団が新編成され、244戦隊はその隷下で
主戦力を担う。帝都上空にB-29が飛来するようになると、邀撃を繰り返し
たが高度一万を飛来するB-29の撃墜は困難であった。間もなく体当たり専門の
震天制空隊が編成され、初代隊長の四宮徹中尉をはじめ
体当たり撃墜に成功している。名古屋に来襲するようになってから
浜松と調布を行きし、帝都と中部地区の防空を兼任する。
この頃にはB-29は爆撃精度を高めるため、犠牲を覚悟で3000~5000メートルで
飛来しており、戦隊も多くの撃墜戦果を挙げている。
昭和20年5月、五式戦闘機に機種改編した戦隊は知覧へ前進し、
特攻隊掩護と知覧の防空にあたる。沖縄作戦の一段落とともに
八日市へ後退し、最後の温存部隊として、飛行禁止が命令されたが
小林戦隊長は演習の名目で艦載機を邀撃。戦果を挙げた。
 
◆部隊史

飛行第百四十四戦隊を改称。第十七飛行団隷下。内地防空専任。
19年3月第十飛行師団の編組に入る。
20年3月第三十戦闘飛行集団の隷下に入り、調布、浜松、鹿児島、八日市等にて
防空ならびに特別攻撃隊の直掩を行う。

◆編成/昭和16年11月調布
◆復帰/八日市
 
◆歴代戦隊長
泊重愛少佐、村岡信一少佐、藤田隆少佐、小林照彦少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

246sentai

飛行第246戦隊/戦闘機隊(天鷲第19196)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和17年8月、加古川で13戦隊を基幹として編成された。
18年4月、一式戦二型に機種改編。
18年11月、台湾へ進出し高雄地区の防空にあたる。
19年3月に大正飛行場へ復帰。8月、石川貫之少佐、戦隊長に着任。
この頃より二式単戦をもって錬成にあたり、台湾へ前進し
台湾南部の防空にあたる。11月より比島戦線へ派遣。
クラーク中飛行場へ前進した。11月24日、特攻隊「富嶽隊」の
掩護にあたる。防空戦闘にあたっては、劣勢の状況下、敢闘を続けた。
比島から帰還ののち、本土防空戦闘隊として大正飛行場にあって
中部地区のB-29邀撃にあたる。20年1月より四式戦配備。二式単戦、
四式戦混合部隊となって中部、京阪地区の防空任務を継続。
7月以降は温存部隊となり終戦。
 
◆部隊史
第十八飛行団長の隷下に入り、阪神地区防空。
一個中隊は北海道千歳に派遣。主力は兵庫県尾上に移駐。
18年12月主力は台湾屏東に派遣、台湾防空。
19年3月屏東に派遣の主力、大阪府柏原に移駐。
19年11月比島に前進、比島作戦参加。第十一飛行師団隷下。
20年2月15日大阪移駐。中部地区防空。
 
◆編成/昭和17年6月30日加古川
◆復帰/加古川
 
◆歴代戦隊長
宮本武夫中佐、石川貫之少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

248sentai 
飛行第248戦隊/戦闘機隊(洋第15389)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和17年8月、小月の4戦隊を基幹として福岡県雁ノ巣で
編成された。18年10月。ニューギニア・ウエワクへ展開。
11月上旬、マサブ飛行場攻撃、マラサワ、フィンシュハーヘン攻撃
ならびにウエワク防空戦闘にあたる。19年4月、全機を損耗した戦隊は
保有機を持たず、米軍のホランジア上陸を迎える。
黒田戦隊長以下は徒歩でサルミへ撤退するが、途中次々と倒れ
9月30日、イドレへ到着した操縦者は黒田戦隊長以下3、4名であった。
 
◆部隊史
第十九飛行団長の隷下に編入。
17年8月15日福岡県芦屋に移駐、北九州防空。
10月25日ニューギニアに転用となり、ホランジアに展開。
11月30日地上勤務員主力の二百一名はてらごあ丸に乗船し呉出港。
土佐沖において敵潜水艦の魚雷攻撃を受け海没。
生存者五名。第二百四十八飛行場大隊に転属。
11月2日ウエワクに展開。ラム、マーカム河谷航空撃滅戦参加、
サラモア地上作戦協力。
ニューギニア島における各種航空作戦参加。
2月15日飛行第六十六戦隊より六十六名転入。
3月11アイタベ移駐。一部ウエワク残置。
3月15日ホランジアに移駐。一部アイタベ残置。その後全員戦死。
3月16日~8月19日ニューギニア島における各種作戦参加。
ホランジア、サルミ間転進作戦およびサルミ地区守備作戦参加。航空機全耗。
8月20ホランジアにて現地復帰。
19年7月25日空中勤務者は第一航空軍に、
その他の人員資材は管理官の定むる部隊に転属。
生存者は一部内地帰還。
他は所在の地点にて地上部隊の指揮下に入り、自活しつつ地上作戦に参加。
停戦後収容所に入る。
 
◆編成/昭和17年8月10日小月
◆復帰/8月20日ホランジアにて現地復帰
 
◆歴代戦隊長
牧野靖雄少佐、村岡信一少佐、黒田武文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
集成飛行戦隊
◆使用機種
◆部隊史
◆編成/昭和20年1月ルソン島
◆復帰/昭和20年3月復帰

◆戦死者・殉職者追悼

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◆◆独立飛行隊◆◆
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第16631
(2)昭和19年4月30日
(3)敦化
(4)
(5)昭和20年5月15日平壌にて復帰
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第34219
(2)昭和20年6月
(3)八街
(4)
(5)8月15日八街
 
(1)第二独立飛行隊 重爆、帥第34223
(2)昭和19年10月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年2月浜松にて復帰
 
(1)第二独立飛行隊 司偵、帥第19029
(2)昭和20年7月18日
(3)大阪
(4)
(5)8月15日小牧
 
(1)第三独立飛行隊 司偵
(2)昭和19年1月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年調布にて復帰
 
(1)第三独立飛行隊 重爆、帥第19030
(2)昭和19年10月31日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年6月熊本にて復帰
 
(1)第四独立飛行隊 司偵、帥第19031
(2)昭和19年10月31日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年5月2日、鹿屋
 
(1)第十独立飛行隊 偵察、高第9640
(2)昭和16年7月28日
(3)嫩江(満洲)
(4)
(5)昭和18年6月10日
 
(1)第十二独立飛行隊 司偵、靖第11614
(2)昭和20年7月15日
(3)福岡(蓆田)
(4)
(5)昭和20年8月15日、福岡
 
(1)第十五独立飛行隊 司偵、威(信)第8315
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)第十六独立飛行隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年9月15日
(3)児玉
(4)
(5)昭和20年7月5日児玉にて復帰
 
(1)第十七独立飛行隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月15日調布にて復帰
 
(1)第十九独立飛行隊 司偵、靖第21204
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月30日調布にて復帰
 
(1)第二十一独立飛行隊 戦隊・爆撃、司第
(2)昭和14年7月6日
(3)廣東
(4)
(5)昭和17年10月15日ハノイにて復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 司偵、鷲第
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月温春にて飛行第28戦隊に復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 戦闘、帥第
(2)昭和20年7月15日
(3)東金
(4)
(5)8月15日、東金
 
(1)第二十九独立飛行隊 軍偵、栄第9163
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)第三十八独立飛行隊 司偵、鏑第19342
(2)昭和20年7月10日
(3)帯広
(4)
(5)8月15日、帯広
 
(1)第八十三独立飛行隊 軍偵、司第9172 
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)第二百六独立飛行隊 直協・対潜、靖第21201
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)8月15日、海雲台
 
◆◆独立飛行中隊◆◆
 
(1)独立飛行第一中隊 対潜
(2)昭和19年7月20日
(3)海雲台
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第三中隊 戦闘
(2)昭和7年2月
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和7年5月、事変終結により帰還
 
(1)独立飛行第三中隊 重爆
(2)昭和12年7月8日
(3)浜松
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓飛行場
 
(1)独立飛行第四中隊 偵察、満洲第691
(2)昭和12年7月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第六中隊 偵察 
(2)昭和12年7月23日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第七中隊 偵察
(2)昭和2年5月17日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和4年5月17日原隊復帰
 
(1)独立飛行第八中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日、平壌
 
(1)独立飛行第九中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)承徳
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第10大隊に編入
 
(1)独立飛行第九中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)平壌
(4)
(5)昭和14年2月、彰徳
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第11大隊第4中隊に編入
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月20日、漢口
 
(1)独立飛行第十一中隊 爆撃
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第十四中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)?東
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十五中隊 爆撃
(2)昭和12年9月28日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓
 
(1)独立飛行第十五中隊 戦闘
(2)昭和19年10月
(3)台中
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和16年9月20日、彰徳
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年7月30日
(3)大阪
(4)
(5)昭和19年9月15日、児玉
 
(1)独立飛行第十七中隊 直協
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和15年9月3日飛行第44戦隊に編入
 
(1)独立飛行第十七中隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年3月31日
(3)調布
(4)
(5)昭和19年9月15日、調布
 
(1)独立飛行第十八中隊 司偵、隼第2383
(2)昭和13年2月
(3)中国
(4)
(5)昭和19年10月31日、漢口
 
(1)独立飛行第十九中隊 司偵(防空)、靖第21204
(2)昭和19年7月30日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年9月15日、小月
 
(1)独立飛行第二十中隊 輸送、威第15382
(2)昭和18年5月15日
(3)
(4)
(5)5月30日比島にて復帰
 
(1)独立飛行第二十三中隊 戦闘、誠第41
(2)昭和19年1月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)9月2日花連港にて停戦
 
(1)独立飛行第二十四中隊 戦闘、誠第16500
(2)昭和19年2月29日
(3)広東
(4)
(5)8月15日宜蘭にて終戦
 
(1)独立飛行第二十五中隊 戦闘、羽第16682
(2)昭和19年8月25日
(3)鞍山
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)独立飛行第三十一中隊 重爆、威第18902
(2)昭和19年6月20日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月30日比島復帰
 
(1)独立飛行第四十一中隊 襲撃・対潜、誠第16683
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲
(4)
(5)9月2日宜蘭にて停戦
 
(1)独立飛行第四十二中隊 対潜、誠第19104
(2)昭和19年10月30日
(3)潮洲
(4)
(5)8月15日、台北
 
(1)独立飛行第四十三中隊 対潜、誠第19108
(2)昭和19年10月30日
(3)恒春
(4)
(5)8月15日、宜蘭
 
(1)独立飛行第四十四中隊 対潜、(冀)(台)第18970
(2)昭和19年6月10日
(3)郡山
(4)
(5)昭和20年6月23日、ケニンゴー
 
(1)独立飛行第四十五中隊 対潜、翼第18971
(2)昭和19年10月20日
(3)比島
(4)
(5)8月15日、比島にて終戦
 
(1)独立飛行第四十六中隊 対潜、誠第19170
(2)昭和19年10月20日
(3)東京
(4)
(5)9月2日、台湾にて停戦
 
(1)独立飛行第四十七中隊 戦闘
(2)昭和16年9月5日
(3)福生
(4)
(5)昭和18年10月3日、柏
 
(1)独立飛行第四十七中隊 対潜、誠第9910
(2)昭和19年10月20日
(3)台東
(4)
(5)昭和20年8月15日、台東にて終戦
 
(1)独立飛行第四十八中隊 対潜、誠第9911
(2)昭和19年10月30日
(3)花連港
(4)
(5)8月15日、台中にて終戦
 
(1)独立飛行第四十九中隊 対潜、誠第9912
(2)昭和19年10月30日
(3)台北
(4)
(5)9月2日、台北にて停戦
 
(1)独立飛行第五十中隊 司偵、隼第8350
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十一中隊 司偵、隼第8351
(2)昭和16年7月29日
(3)広東
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十二中隊 軍偵、威第10655
(2)昭和16年7月29日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年9月16日、ヨネスにて解散
 
(1)独立飛行第五十三中隊 軍偵、翼
(2)昭和17年3月31日
(3)衙門屯
(4)
(5)8月31日、佳木斯
 
(1)独立飛行第五十四中隊 直協、隼魁第8354
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日、杭州にて終戦
 
(1)独立飛行第五十五中隊 司偵、隼第2386
(2)昭和17年3月31日
(3)ドムアン
(4)
(5)昭和19年10月31日、南京
 
(1)独立飛行第六十三中隊 司偵、鷲
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第六十六中隊 軍偵・対潜、靖第9171
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第七十中隊 司偵、司第9641
(2)昭和17年7月28日
(3)チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ジャワにて終戦
 
(1)独立飛行第七十一中隊 軍偵・戦闘、誠第9180
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年8月15日、一部アロールスターにて終戦
 
(1)独立飛行第七十三中隊 軍偵、司第9181
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年9月2日、ジャワにて停戦
 
(1)独立飛行第七十四中隊 直協・司偵、翔第9643
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日、ゲルンバンにて終戦
 
(1)独立飛行第七十六中隊 司偵、洋 高第9642
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和18年6月10日、ラバウル


(1)独立飛行第八十一中隊 司偵
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第八十一中隊 司偵、羽第9162
(2)昭和19年4月1日
(3)温春
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京にて終戦
 
(1)独立飛行第八十二中隊 軽爆
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月15日飛行第34戦隊に改編
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵
(2)昭和17年12月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年10月29日内地帰還
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵(防空)、天鷲第19529
(2)昭和20年2月25日
(3)大正
(4)
(5)昭和20年8月10日第28独立飛行隊に編入
 
(1)独立飛行第八十三中隊 軍偵、天風第19530
(2)昭和14年8月1日
(3)彰徳
(4)
(5)昭和19年7月25日、現地復帰
 
(1)独立飛行第八十三中隊 司偵(防空)
(2)昭和20年2月25日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月30日
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月20日、ハノイ
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘、翔
(2)昭和20年2月25日
(3)パレンバン
(4)
(5)昭和20年5月30日
 
(1)独立飛行第八十五中隊 司偵、鷲
(2)昭和17年秋
(3)温春
(4)
(5)昭和19年1月31日
 
(1)独立飛行第八十七中隊 軍偵、満洲
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第八十九中隊 直協・軍偵、司偵
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十中隊 軍偵
(2)昭和17年4月
(3)太原
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第九十一中隊 直協、(司)(高)(灘)
(2)
(3)
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十六中隊 直協
(2)昭和16年7月25日
(3)
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第百一中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)調布
(4)
(5)昭和17年4月21日、調布
 
(1)独立飛行第百二中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)加古川
(4)
(5)昭和17年4月21日、加古川
 
(1)独立飛行第百三中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)小月
(4)
(5)昭和17年4月21日、小月
 
◆直協飛行隊
 
(1)第一直協飛行隊 直協
(2)昭和13年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和14年5月30日、内地復帰
 
(1)第六直協飛行隊 直協、誠第171
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月20日、台東
 
(1)第七直協飛行隊 直協、誠第172
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、花連港
 
(1)第八直協飛行隊 直協、誠第173
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、台北
 
(1)東部軍直協飛行隊 直協、東部第125
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年10月20日、東京
 
(1)中部軍直協飛行隊 直協
(2)昭和17年8月10日
(3)帯広
(4)
(5)昭和19年10月30日、恒春
 
(1)西部軍直協飛行隊 直協、西部第127
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年6月10日、郡山
 
(1)北部軍直協飛行隊 直協、北部第89
(2)昭和17年5月30日
(3)
(4)
(5)昭和19年10月30日、潮洲
 
(1)朝鮮軍直協飛行隊 直協、朝第102
(2)昭和17年5月20日
(3)京城
(4)
(5)昭和19年10月20日、比島
 
(1)第八方面軍飛行隊 直協、剛第11254
(2)昭和20年4月15日
(3)ラバウル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ラバウル
 
◆独立・直轄飛行隊
 
(1)砲兵協力飛行班 教育
(2)昭和18年頃
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年8月15日、銚子
 
(1)海燕第一飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月25日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月15日、蔚山
 
(1)海燕 対潜
(2)昭和20年8月1日
(3)新潟
(4)
(5)昭和20年8月15日、新潟
 
(1)北辰飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月1日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月1日、新潟
 
(1)関東軍第一航空写真隊、洋第9316
(2)昭和18年3月8日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)第一写真作業隊、師第34224
(2)昭和20年7月20日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
◆輸送飛行隊
 
(1)航空本部(航空総監部)飛行班 輸送
(2)昭和14年5月
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月9日、所沢
 
(1)陸軍航空輸送部 輸送、師第34201
(2)昭和16年9月
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月4日、東京他
 
(1)陸軍航空輸送部 第一飛行隊 輸送、輝第4333
(2)昭和19年1月17日
(3)宇都宮
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第二飛行隊 輸送、威第4334
(2)昭和19年1月17日
(3)太田
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第三飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第四飛行隊 輸送、第4336
(2)昭和19年1月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年8月15日、浜松
 
(1)陸軍航空輸送部 第五飛行隊 輸送、第4337
(2)昭和19年1月31日
(3)小牧
(4)
(5)昭和20年8月15日、小牧
 
(1)陸軍航空輸送部 第六飛行隊 輸送、第4338
(2)昭和19年1月31日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年8月15日、八日市
 
(1)陸軍航空輸送部 第七飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第八飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第九飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第十飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)特設第十三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)特設第十五輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)南方航空輸送部 輸送、威第9326
(2)昭和17年9月15日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日、
 
(1)南方航空輸送部 第一輸送飛行隊 輸送、威第9326
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)南方航空輸送部 第二輸送飛行隊 輸送、信第1160
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)第一輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年8月15日、嘉義
 
(1)第二輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年9月2日、嘉義
 
(1)第三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)
 
(1)第七輸送飛行隊 輸送、師第9987
(2)昭和16年6月30日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日、各務原(主力)
 
(1)第八輸送飛行隊 輸送、師第18904
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和20年8月15日、立川
 
(1)第十一輸送飛行中隊 輸送、師第6611
(2)昭和16年6月30日
(3)新京
(4)
(5)昭和16年6月30日、ビルマ
 
(1)第十二輸送飛行中隊 輸送、師第9350
(2)昭和16年7月7日
(3)八日市
(4)
(5)昭和18年6月30日、昭南
 
(1)第十三輸送飛行中隊 輸送、師第18905
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和19年11月2日、岐阜
 
(1)第十四輸送飛行中隊 輸送、師第18906
(2)昭和19年6月
(3)西筑波
(4)
(5)昭和20年9月2日、坂戸
 
(1)第十五輸送飛行中隊 輸送、師第18907
(2)昭和19年8月20日
(3)唐瀬原
(4)
(5)昭和20年8月15日、松戸
 
(1)第百一輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)独立第二十輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)関東軍輸送飛行隊 輸送、羽第4335
(2)昭和20年8月9日
(3)新京
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京
 
(1)第十四軍飛行隊
(2)昭和17年1月5日
(3)?東外
(4)
(5)昭和17年4月2日
 
(1)誠補充飛行隊、誠第19122
(2)昭和20年7月7日
(3)台湾
(4)
(5)昭和20年9月2日、台湾
  
◆教育・錬成飛行隊
 
(1)第百一教育飛行連隊 戦闘、東部第104
(2)昭和16年9月30日
(3)原ノ町
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百二教育飛行連隊 重爆、北部第74
(2)昭和17年4月31日
(3)八戸
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百三教育飛行連隊 偵察、中部第115
(2)昭和17年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百四教育飛行連隊 軽爆、中部第94
(2)昭和17年4月31日
(3)八日市
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百五教育飛行連隊 遠爆、中部第113
(2)昭和16年4月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百六教育飛行連隊 戦闘、西部第108
(2)昭和19年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百七教育飛行連隊 挺進、西部第110
(2)昭和16年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百八教育飛行連隊 戦闘、台湾第37
(2)昭和17年4月22日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年1月15日
 
(1)第百九教育飛行連隊 重爆、台湾第38
(2)昭和17年4月22日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十教育飛行連隊 司偵、中部第133
(2)昭和17年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十一教育飛行連隊 戦闘、朝鮮第100
(2)昭和18年3月5日
(3)仙台
(4)
(5)昭和19年2月29日
 
(1)第百十二教育飛行連隊 戦闘、台湾第100
(2)昭和18年3月5日
(3)恒春
(4)
(5)昭和19年3月15日
 
(1)第百十三教育飛行連隊 軽爆、朝鮮第101
(2)昭和17年8月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十四教育飛行連隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和18年8月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月7日
 
(1)第百十五教育飛行連隊 司偵、隼第15302
(2)昭和18年8月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十六教育飛行連隊 重爆、昭第1106
(2)昭和18年8月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十七教育飛行連隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和18年8月31日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十八教育飛行連隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和17年8月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第一練習飛行隊、治第18995
(2)昭和19年8月22日
(3)熊谷飛行学校、児玉分教場
(4)
(5)終戦
 
(1)第二練習飛行隊、昭第18996
(2)昭和19年10月30日
(3)マレー分散地(クラン、クアンタン、アロルスター、クアラカンサル、ポートセッテンハム)
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第三練習飛行隊、昭第18997
(2)昭和20年3月31日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年5月15日

(1)第五練習飛行隊 特攻訓練、羽第16675
(2)昭和19年12月15日
(3)綏中
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第六練習飛行隊、紺第540
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月29日熊谷、八雲に於て復員
 
(1)第七練習飛行隊、空第541
(2)昭和20年2月20日
(3)京都府久世郡御牧
(4)
(5)昭和20年9月3日御牧飛行場にて復員
 
(1)第八練習飛行隊 空第542
(2)昭和20年2月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第九練習飛行隊 宙第543
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月25日
 
(1)第一教育飛行隊 戦闘、空第230
(2)昭和19年3月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二教育飛行隊 重爆、昭第15314
(2)昭和19年3月31日
(3)リンガエン
(4)
(5)終戦レンバン島収容昭和21年5月17日同島出発5月29日名古屋港上陸、復員
 
(1)第三教育飛行隊 軍偵、昭第15315
(2)昭和19年3月31日
(3)リパ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第四教育飛行隊 軽爆、紺第531
(2)昭和19年2月25日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第五教育飛行隊 重爆、中部第113
(2)昭和19年3月31日
(3)浜松第105教育飛行連隊を改称
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六教育飛行隊 戦闘、台湾第36
(2)昭和19年3月31日
(3)台中
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第七教育飛行隊 挺進、朝鮮第110
(2)昭和19年2月25日
(3)朝鮮咸興
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第八教育飛行隊 戦闘、誠第532
(2)昭和19年1月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年7月6日
 
(1)第九教育飛行隊 重爆、台湾第38
(2)昭和19年2月25日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十教育飛行隊 偵察、空第533
(2)昭和19年2月29日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十一教育飛行隊 戦闘、宙第534
(2)昭和19年2月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第十二教育飛行隊 戦闘、昭第15316
(2)昭和19年3月31日
(3)デルカルメン
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十三教育飛行隊 襲撃、朝鮮第161
(2)昭和19年3月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年1月15日
 
(1)第十四教育飛行隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和19年3月7日
(3)南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十五教育飛行隊 偵察、隼第15302
(2)昭和19年3月31日
(3)済南
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十六教育飛行隊 重爆、昭第11066
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島カリジャチ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十七教育飛行隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十八教育飛行隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和19年3月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十九教育飛行隊 戦闘、宙第533
(2)昭和19年3月31日
(3)朝鮮会寧
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十教育飛行隊 戦闘、台湾第42
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾花連港
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十一教育飛行隊 戦闘、台湾第43
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾佳冬
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十二教育飛行隊 戦闘、台湾第44
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾潮州
(4)
(5)昭和19年11月
 
(1)第二十三教育飛行隊 軽爆、羽第15353
(2)昭和19年3月1日
(3)朝鮮宜徳
(4)
(5)横道河子に於て昭和20年9月2日停戦
 
(1)第二十四教育飛行隊 重爆、羽第15354
(2)昭和19年3月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年9月8日
 
(1)第二十五教育飛行隊 戦闘、羽第16615
(2)昭和19年3月31日
(3)遼陽
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十六教育飛行隊 戦闘、羽第16616
(2)昭和19年3月10日
(3)満洲龍江省白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七教育飛行隊 戦闘、羽第16617
(2)昭和19年3月25日
(3)満洲錦州省興城
(4)
(5)昭和19年12月15日
 
(1)第二十八教育飛行隊 戦闘、隼第17303
(2)昭和19年3月31日
(3)河北省石家荘石門
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十九教育飛行隊 戦闘、隼第17304
(2)昭和19年3月7日
(3)河北省唐山
(4)
(5)昭和19年7月2日
 
(1)第三十教育飛行隊 襲撃、宙第536
(2)昭和19年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十一教育飛行隊 戦闘、威第10610
(2)昭和19年3月31日
(3)ルソン島デルカルメン
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十二教育飛行隊 戦闘、富第15355
(2)昭和19年2月25日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十三教育飛行隊 戦闘、威第15356
(2)昭和19年2月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十四教育飛行隊 戦闘、昭第11068
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十五教育飛行隊 戦闘、岡第11069
(2)昭和19年3月31日
(3)シンガポール、臨時編成
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十六教育飛行隊 戦闘、昭第15357
(2)昭和19年2月29日
(3)朝鮮連浦
(4)
(5)昭和20年2月28日
 
(1)第三十七教育飛行隊 戦闘、治第15358
(2)昭和19年2月25日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十八教育飛行隊 挺進、昭第11099
(2)昭和19年2月29日
(3)比島タルラック
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)第三十九教育飛行隊 戦闘、紺第537
(2)昭和19年7月31日
(3)千葉県横芝
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十教育飛行隊 戦闘、空第538
(2)昭和19年4月8日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第四十一教育飛行隊 重爆、宙第539
(2)昭和19年4月29日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十二教育飛行隊 司偵、羽第16642
(2)昭和19年7月31日
(3)満洲チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十三教育飛行隊 戦闘、威第10618
(2)昭和19年6月7日
(3)タルラック
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第四十四教育飛行隊 戦闘、岡第11081
(2)昭和19年5月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十五教育飛行隊 司偵、岡第11082
(2)昭和19年7月31日
(3)マレー、スンゲイバタニ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十六教育飛行隊 偵察、昭第11083
(2)昭和19年5月31日
(3)マレー、ケチル
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第一錬成飛行隊 戦闘、紺第520
(2)昭和19年7月31日
(3)相模
(4)
(5)昭和20年8月24日
 
(1)第二錬成飛行隊 戦闘、宙第521
(2)昭和19年7月22日
(3)京城
(4)
(5)昭和20年9月14日
 
(1)第三錬成飛行隊 戦闘、誠第522
(2)昭和19年4月28日
(3)滋賀県八日市
(4)
(5)昭和20年7月19日
 
(1)第四錬成飛行隊 戦闘、羽第16634
(2)昭和19年5月30日
(3)新京
(4)
(5)?
 
(1)第五錬成飛行隊 戦闘、隼第16635
(2)昭和19年5月31日
(3)浜江省孫家
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六錬成飛行隊 司偵、空第523
(2)昭和19年7月31日
(3)兵庫県三木
(4)
(5)終戦。昭和20年9月3日復員
 
(1)第七錬成飛行隊 司偵、昭第18432
(2)昭和19年6月20日
(3)?東
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第八錬成飛行隊 戦闘、昭第18433
(2)昭和19年5月31日
(3)会寧
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第九錬成飛行隊 戦闘、富第11080
(2)昭和19年4月30日
(3)ビルマ、メイクテイラ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十錬成飛行隊 戦闘、空第524
(2)昭和19年11月30日
(3)京都府由良
(4)
(5)終戦、昭和20年9月3日復員
 
(1)第十一錬成飛行隊 戦闘、空第525
(2)昭和19年11月30日
(3)目達原
(4)
(5)終戦。昭和20年8月28日復員
 
(1)第十二錬成飛行隊 戦闘、宙第526
(2)昭和19年9月15日
(3)京城金浦
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十三錬成飛行隊 戦闘、羽第16663
(2)昭和19年9月15日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十四錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和19年8月20日
 
(1)第十五錬成飛行隊 司偵、昭第11092
(2)昭和19年11月30日
(3)マレークアラルンプール
(4)
(5)昭和20年6月30日
 
(1)第十六錬成飛行隊、富第11095
(2)昭和19年7月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和19年11月復帰
 
(1)第十七錬成飛行隊 戦闘、昭第11093
(2)昭和19年10月3日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第十八錬成飛行隊 戦闘、昭第11094
(2)昭和19年10月30日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月1日
 
(1)第十九錬成飛行隊 戦闘、隼第17327
(2)昭和19年10月7日
(3)河北省南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十二錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十三錬成飛行隊 襲撃、宙第527
(2)昭和20年1月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十四錬成飛行隊 重爆、空第528
(2)昭和19年12月31日
(3)浜松
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第二十五錬成飛行隊 重爆、宙第529
(2)昭和19年12月27日
(3)咸鏡南道宜徳
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十六錬成飛行隊 戦闘、富第11097
(2)昭和20年2月28日
(3)ジャワ島マラン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七錬成飛行隊 襲撃、昭第11098
(2)昭和20年2月28日
(3)マライケダー州ケチル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十八錬成飛行隊 重爆、昭第11099
(2)昭和20年2月25日
(3)マレーイポイ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一野戦補充飛行隊、司第9915
(2)昭和16年11月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一飛行教育隊、中部第92
(2)昭和12年12月10日
(3)各務原
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第二飛行教育隊
(2)昭和12年12月10日
(3)平壌の飛行第6連隊にて本部及び2個中隊編成
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第三飛行教育隊、西部第99・空第571
(2)昭和12年12月10日
(3)台湾嘉義
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第四飛行教育隊、東部第102・紺第572
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第五飛行教育隊、空第573
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第七飛行教育隊、中部第98・空第576
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第八飛行教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲牡丹江省海浪。第八飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第九飛行教育隊、空第577
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省チチハル。第9飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第十二飛行教育隊、紺第578
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省ハルピン
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第一航空教育隊、中部第92・宙第570
(2)昭和13年7月5日
(3)各務原
(4)
(5)終戦昭和20年10月15日仁川港出発10月20日佐世保上陸10月23日復員
 
(1)第二航空教育隊
(2)昭和13年7月5日
(3)平壌
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第三航空教育隊、空第571・西部第99
(2)昭和13年7月5日
(3)嘉義。第3飛行教育隊を第3航空教育隊と改称
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第四航空教育隊、紺第572・東部第102
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第五航空教育隊、空第573
(2)昭和13年7月5日
(3)大刀洗。第5飛行教育隊を第5航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦昭和20年8月30日戦後処理業務に従事し復員
 
(1)第六航空教育隊、空第574・北部第79
(2)昭和15年9月1日
(3)福島県原ノ町
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第七航空教育隊、空第576・中部第98
(2)昭和13年7月5日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第八航空教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和13年7月5日
(3)牡丹江省海浪。第8飛行教育隊を第8航空教育隊と改称。
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第九航空教育隊、空第577
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲龍江省チチハル
(4)
(5)終戦業務を終え復員
 
(1)第十航空教育隊、誠第39
(2)昭和18年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年6月8日
 
(1)第十一航空教育隊、東部第103
(2)昭和16年3月1日
(3)茨城県水戸
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第十二航空教育隊、紺第578・東部第111
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲ハルピン。第12飛行教育隊を第12航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦、復員
 
(1)第十三航空教育隊、師第579
(2)昭和19年1月10日
(3)新潟県高田南本町
(4)
(5)終戦昭和20年9月1日復員
 
(1)第十四航空教育隊、宙第580・西部第104
(2)熊本県菊池
(3)昭和19年1月24日
(4)
(5)終戦昭和20年10月23日釜山港出発山口県仙崎港上陸、復員
 
(1)第一航空軍教育隊、帥第581
(2)昭和17年12月3日
(3)岐阜
(4)
(5)終戦復員
 
(1)第二航空第一教育隊、羽第16613
(2)昭和18年8月15日
(3)吉林省公主嶺
(4)
(5)昭和18年8月15日
 
(1)南方軍第一航空教育隊、昭第11056
(2)昭和18年8月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)支那派遣軍第一航空教育隊、隼第1622
(2)昭和18年9月30日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第一航空教育隊、空第563
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第二航空教育隊、空第564
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)奈良陸軍航空教育隊、空第565
(2)昭和20年2月25日
(3)奈良
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空教育隊、紺第561
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)所沢陸軍航空教育隊、紺第560
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)八戸陸軍航空教育隊、紺第562
(2)昭和20年2月25日
(3)青森県八戸
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
◆陸軍直轄飛行隊・研究飛行隊等
 
(1)陸軍航空本部、風第29651
(2)大正14年5月1日
(3)東京?町区隼町
(4)
(5)昭和20年11月30日、東京
 
(1)陸軍航空総監部
(2)昭和13年12月10日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年4月18日
 
(1)陸軍航空技術研究所
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)第一陸軍航空技術研究所、風第29661
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所甲府
 
(1)第二陸軍航空技術研究所、風第29662
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所高山・岡谷
 
(1)第三陸軍航空技術研究所、風第29663
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所阿字ヶ浦
 
(1)第四陸軍航空技術研究所、風第29664
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、八王子
 
(1)第五陸軍航空技術研究所、風第29665
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所屋代
 
(1)第六陸軍航空技術研究所、風第29666
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、立川
 
(1)第七陸軍航空技術研究所、風第29667
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部青梅・出張所甲府・秩父
 
(1)第八陸軍航空技術研究所、風第29668
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所新潟
 
(1)陸軍飛行実験部
(2)昭和14年12月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)陸軍航空審査部、風第29653
(2)昭和17年10月15日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、本部福生・出張所京都・水戸・松本
 
(1)陸軍航空工廠
(2)昭和15年4月1日
(3)東京府北多摩郡昭和村(現昭島市)
(4)
(5)昭和20年11月14日、昭和村
 
(1)陸軍航空適性検査部
(2)昭和19年1月31日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年9月15日、調布
 
(1)多摩陸軍技術研究所、風第29669
(2)昭和18年6月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部国立・出張所青梅・久我山・藤岡・上諏訪・関西
 
(1)南方軍航空技術部、司第9312
(2)昭和16年11月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)大本営航空通信保安長官部
(2)昭和17年9月1日
(3)東京(市ヶ谷)
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営野戦航空兵器長官部
(2)昭和12年11月20日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営陸軍航空通信隊
(2)昭和17年8月
(3)東京
(4)
(5)20年3月

◆飛行学校 

(1)陸軍航空士官学校
(2)昭和13年12月10日
(3)豊岡
(4)
(5)昭和20年9月1日、豊岡
 
(1)仙台陸軍飛行学校
(2)昭和18年10月9日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年8月27日、仙台
 
(1)東京陸軍航空学校
(2)昭和12年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)東京陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)村山町
(4)
(5)昭和20年8月27日、村山町
 
(1)大津陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)大津
(4)
(5)昭和20年8月27日、大津
 
(1)大分陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和19年5月15日
(3)大分
(4)
(5)昭和20年8月27日、大分
 
(1)陸軍航空学校
(2)大正8年4月15日
(3)所沢
(4)
(5)大正13年5月16日
 
(1)所沢陸軍飛行学校
(2)大正13年5月16日
(3)所沢
(4)
(5)昭和12年10月1日
 
(1)熊谷陸軍飛行学校
(2)昭和10年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)宇都宮陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和19年10月
 
(1)大刀洗陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)岐阜陸軍飛行学校
(2)昭和15年8月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)下志津陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)千葉県千葉郡都村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)三重県度会郡明野村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校分校
(2)昭和18年8月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)浜松陸軍飛行学校
(2)昭和8年8月1日
(3)静岡県浜名郡神久呂村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)白城子陸軍飛行学校
(2)昭和14年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)鉾田陸軍飛行学校
(2)昭和15年12月1日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)水戸陸軍飛行学校
(2)昭和13年7月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和18年10月9日
 
(1)陸軍航空技術学校
(2)昭和10年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年10月10日
 
(1)陸軍航空整備学校
(2)昭和13年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和18年8月1日
 
(1)立川陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)福生
(4)
(5)昭和19年6月30日
 
(1)所沢陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)岐阜陸軍航空整備学校
(2)昭和18年4月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)陸軍航空通信学校
(2)昭和15年8月1日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月3日
 
◆教導飛行師団

(1)教導航空軍司令部、靖第19500
(2)昭和19年8月8日
(3)東京
(4)
(5)昭和19年12月26日
 
(1)下志津教導飛行師団、下志津陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)明野教導飛行師団、明野陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)浜松教導飛行師団、浜松陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)宇都宮教導飛行師団、宇都宮陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)鉾田教導飛行師団、鉾田陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)常陸教導飛行師団、常陸陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)前渡
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)教導飛行師団、風第1000
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
◆教導飛行隊
 
(1)第一教導飛行隊、明野飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年8月29日、明野
 
(1)第二教導飛行隊、常陸飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)常陸
(4)
(5)昭和20年8月29日、新田
 
(1)第三教導飛行隊、鉾田飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年8月29日、那須
 
(1)第四教導飛行隊、浜松飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月29日、富山・三国
 
(1)第五教導飛行隊、下志津飛行隊
(2)昭和20年7月24日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月29日、壬生
 
(1)第六教導飛行隊、宇都宮飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
(1)立川教導航空整備師団、立川陸軍航空整備部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、福生
 
(1)水戸教導航空通信師団、水戸陸軍航空通信部隊
(2)昭和20年5月3日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年8月29日、水戸
 
(1)加古川教導航空通信団、加古川陸軍航空通信部
(2)昭和20年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月29日、加古川
 
(1)三方原教導飛行団、三方原陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月28日、浜松
 
(1)陸軍電波兵器練習部、東部第92
(2)昭和19年2月
(3)立川(多摩研)
(4)
(5)昭和20年8月29日、小平
 
◆航空廠
 
(1)陸軍航空本廠
(2)昭和10年8月1日
(3)東京
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)立川陸軍航空支廠
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大刀洗陸軍航空支廠
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)平壌陸軍航空支廠
(2)昭和11年4月1日
(3)平壌
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)?東陸軍航空支廠
(2)昭和12年4月1日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)満洲陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)帯広陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)帯広
(4)
(5)昭和17年5月31日
 
(1)宇都宮陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大阪陸軍航空支廠
(2)昭和16年8月1日
(3)大阪
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)東京陸軍航空補給廠、師第34208
(2)昭和19年10月20日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月14日、立川
 
(1)大阪陸軍航空補給廠、師第34209
(2)昭和19年10月20日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪
 
(1)関東軍航空廠、羽第16680
(2)昭和20年5月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空廠、師第34202
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月4日、立川・分廠の所在地柏・成増・相模・出張所の所在地熊谷
 
(1)各務原陸軍航空廠、師第34203
(2)昭和17年10月15日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年11月14日、各務原・分廠の所在地浜松・亀山・小牧
 
(1)大阪陸軍航空廠、師第34204
(2)昭和17年10月15日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪・分廠の所在地八日市・伊丹・加古川・出張所の所在地京都・明石
 
(1)大刀洗陸軍航空廠、師第34205
(2)昭和17年10月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年11月14日、大刀洗・分廠の所在地芦屋・下関・菊地・新田原・防府・福岡・知覧
 
(1)宇都宮陸軍航空廠、師第34206
(2)昭和17年10月15日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年11月14日、宇都宮・分廠の所在地八戸・出張所の所在地大田・新田・太田南
 
(1)平壌陸軍航空廠、師第34207
(2)昭和17年10月15日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日、平壌・分廠の所在地咸興・郡山・京城
 
(1)?東陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年10月25日
 
(1)満洲陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年5月1日
 
(1)マニラ陸軍航空廠、威第15311
(2)昭和18年8月15日
(3)マニラ
(4)
(5)昭和20年3月現地復帰
 
(1)奉天野戦航空廠
(2)昭和13年7月
(3)奉天
(4)
(5)昭和15年4月1日
 
(1)第七野戦航空廠
(2)昭和15年4月1日
(3)威興
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第八野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第九野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)楡樹屯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十野戦航空廠
(2)昭和15年8月1日
(3)佳木斯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十一野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)四平
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十二野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)ハルピン
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十五野戦航空廠
(2)昭和13年5月15日
(3)北京
(4)
(5)昭和19年2月
 
(1)第十六野戦航空廠
(2)昭和16年4月12日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年5月30日
 
(1)第五野戦航空修理廠、誠第19023
(2)昭和19年10月25日
(3)?東
(4)
(5)昭和21年3~21・12復員
 
(1)第六野戦航空修理廠、鏑第19250
(2)昭和17年5月31日
(3)帯広
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第七野戦航空修理廠、靖第8316
(2)昭和16年7月31日
(3)咸興
(4)
(5)昭和20年10月7日、仙崎
 
(1)第八野戦航空修理廠、隼第8331
(2)昭和16年7月31日
(3)蘭崗
(4)
(5)昭和21年2月24日、佐世保

教導飛行師団データベース

下志津教導飛行師団
下志津陸軍飛行学校を改編、司令部、第一~第四教導飛行隊、教導整備隊、通身隊からなる。
19年11月以降特別攻撃隊(石腸隊、進襲隊)編成出陣、
20年5月海燕隊、北辰隊編成出陣、
20年7月第一、第二独立飛行隊編成
歴代師団長
古屋健三少将
 
明野教導飛行師団

明野陸軍飛行学校を改編、19年10月第三十戦闘飛行集団司令部、第二百戦隊編成出陣。
20年7月決号作戦準備のため第二十戦闘飛行集団司令部、第百十一。第百十二戦隊を編成
歴代師団長
青木武三少将、今川一策少将
  

400hamamatu 
浜松教導飛行師団
浜松陸軍飛行学校を改編、司令部、教導第一隊、教導第三隊、研究飛行隊を基幹とする、
19年10月教導第一隊から富嶽隊、第二独立飛行隊、教導第三隊から飛行第百十戦隊の作戦部隊を編成
歴代師団長
星駒太郎少将
 
宇都宮教導飛行師団

白城子陸軍飛行学校を改編、司令部、教導飛行隊、教導航測隊、教導整備隊からなる
歴代師団長
小川小二郎少将
 
鉾田教導飛行師団
鉾田陸軍飛行学校を改編、司令部、教導飛行隊、教導整備隊からなる。
19年10月21日陸軍最初の特攻隊、万朶隊を編成
歴代師団長
高品明少将
 
常陸教導飛行師団
明野陸軍飛行学校分校を改編、司令部、第一、第二教導飛行隊、教導整備隊からなる。
20年4月司令部は前橋、教導飛行隊は新田に移駐
歴代師団長
加藤敏雄少将

2017年11月 3日 (金)

航空母艦搭載機ステッカー




  

試験販売を開始しました。
一枚一枚、ピンセットとデザインナイフを駆使した巧が
作製しております。

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機データ見本

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利用規約
 
【通常ライセンスでご利用頂ける範囲】
〇SNS、ブログ・ウェブサイト素材としての利用
〇動画素材としての利用
〇教育・講演、プレゼンテーション
〇書籍(同人・商用問わず)資料・デザイン・表紙等への利用
〇プロモーション・宣伝・広告・チラシ等の利用
 
【商用ライセンスでご利用頂ける範囲】
●デザインそのものを販売する企画全般
●グッズ製作(例:Tシャツ・マグカップ等)
 
◆その他注意事項
×データの二次配布は一律禁止とさせて頂きます。
 
PNGデータについて
コンピュータの環境をご確認の上、ご利用ください。
 
ai型式データ(ベクターデータ)について
動作環境はアドビ社・イラストレータCS4以上推奨です。
ソフトや操作方法についてのサポートは行っておりませんので
ご了承ください。
 
購入はこちらからお願いします。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

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イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。

2016年12月15日 (木)

「探してます」→「知ってます」情報共有掲示板

この頁は調査をされている方の情報共有掲示板と致します。
各種調査にお使いください。検索エンジンから多くの方が訪れますので
何か手がかりがつかめるかもしれません。
 
書込みむ際のお願い
・身内の方で戦没者の調べ方についてはコチラをご覧ください。
・無記名・匿名はご遠慮ください。
・他の閲覧者に配慮が頂けない書込みは予告なく削除します。
・連絡先交換等は自由ですが、個人間のやりとりは当サイトで責任は負いかねます。

2016年10月 8日 (土)

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦)52型

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦52型)

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零戦をはじめとした陸海軍大戦機のフリー素材アイコンを作りました。
PNG形式でダウンロードできます。
画像一段目、ゼロ戦21型上、52型上
二段目、21型横、52型横
 
マーキングを省き素の状態ですので、
各自機番号等ペイントツールで入れてお使いになれます。
 
機番号やマーキングを入れてほしい方は
こちらでお入れすることもできますので、ご連絡ください。
 
21型のほかに、11型、22型、32型、52型甲、52型乙、52型丙、53型丙
62型、64型(試製54型丙)、零式練戦、二式水戦など、
全ての型式をご用意しておりますのでご希望の方は
別途お問い合わせください。三菱製、中島製がお選び頂けます。

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シルエット1、2段目、ゼロ戦52型。
3段目、晴嵐、疾風、流星
4段目、飛燕、震電となっています。
 
非営利に限り、無料でご利用になれます。
商用の場合は有料となりますがアウトラインデータも
提供できますのでお問い合わせください。 
 

必ずこちらに従ってご利用ください。
画像使用についての決まり

以下写真画像

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

2016年7月 1日 (金)

零戦画像集その1

ゼロ戦画像まとめです。
 
記事で使用しました零戦の画像・写真・イラストの一覧を作りました。
優美な姿を多くの方にご覧になって
ゼロ戦を好きになって頂ければと
思います。
 
私自身が作成した他、ライセンスを得る等、お借りしている画像もありますので
利用希望の方は必ずお問い合わせください。
 
逐次追加していきます。

52型と21型

零戦21型岩本徹三機

零戦52型

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零戦21型レプリカ(テキサン)

二式水戦

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零戦型式一覧零戦21型と52型の違い

零戦21型「赤城」進藤三郎大尉機

零戦64型(54型丙)

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零戦52型

零戦52型

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零戦52型

零戦52型(261空)

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零戦中島三菱塗装の違い

▲南溟の桜(当サイト)

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四式戦「疾風」

艦上爆撃機「彗星」一二型

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百式司令部偵察機三型

雷電(青木機)

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紫電改(菅野直機)

飛燕(244戦隊)

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2016年6月25日 (土)

サークルカット(震電)

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7月末に開催されるイベント用サークルカットを製作しました。
今回は震電です。実際はモノクロになるのですが
カラーで出力してみました。
 
イベントで実際にお客さんと話していると、
零戦を知らない若い女の子が、
なぜか震電だけは知っている不思議。
ややSFの要素があるのだろか、人気の飛行機です。

2015年1月31日 (土)

零戦の型式雑学 21型から52型、64型まで

零戦(ゼロ戦)型式一覧 21型から52型までの違い

零戦(ゼロ戦)型式一覧 21型から52型までの違い

零戦21型と52型の違い

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は
三菱重工が設計開発を行った日本海軍の主力戦闘機である。
和14年3月初飛行、翌15年、正式採用を待たず中国(支那)
戦線で初陣。
16年12月
の真珠湾攻撃以来、昭和20年8月の終戦までに
三菱重工、中島飛行機の両企業により
総計1万機以上が生産された。
 
日本国民の総力を注いだこの戦闘機は、西はセイロ
ン島、東はギルバート、
ハワイ諸島に至るまで地球のほとんど半分近くを戦域とし
連合軍と対峙、
あるいは国土防衛に尽くした。
 
昨今、永遠の0や、堀越二郎を元に描いたアニメ映画『風立ちぬ』
で注目を浴びる機会も多くなった。
この頁ではそれぞれの違いと特徴、時代背景なども追って紹介する。

 
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコンはこちらのリンクから

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

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零式艦上戦闘機(ゼロ戦)

型式について

零戦の形式は一桁目を機体形状、二桁目がエンジン形式を表す。
甲、乙、丙等が付随する場合は火器類の違いを示す。
原則、形式番号が同じであれば同様と考えて良いが
例えば、52型と32型であれば、機体のデザインは異なる(翼の形)が
エンジンは同じものが搭載されている。マフラーの形状が違うので
まったく同じとは言えない。このほか戦時下において細かな変更点は
限りなくあるだろうし、諸説存在する。勉強中故、お許し願いたいが
同時に零戦好きの方が集う場所でありたいと願うので、意見などあれば
どうぞ遠慮なく書いてください。
 
書き込む前に必ずこちらをご覧ください。

零戦は同時期に製造された飛行機でも、個体差が激しく
クセの強い飛行機などは舵をいっぱいに切って離陸したりと
難があった。

  

専用機(愛機はあったのか)

専用機(愛機)はあったのか
書物や証言を照合するとおおむね以下のとおりである。
 
通常であれば、搭乗員はその出撃の都度、割り当てられた機体に
搭乗する。従って、愛機は存在しない。緊急発進では尚更であった。
ただし、指揮官(分隊長クラス)になると機体に帯(イラスト参照)
が入り専用機が与えられる。
 
人によっては「彼の機体はスペシャル仕様だった」などと
証言されるがこれは、特に改造を施したということではなくて、
指揮官クラスがべらぼうにコンディションの良い機体を占有していた、
という意味合いではなかろうか。
 
専用機に関して例外もある。
航空母艦の搭載機(艦載機)では士官、下士官ともに
専用機であった説が有力である。機体それぞれにクセが
あるので実に細かい着艦技術が要求されるため。
  
一方で陸上、艦載機ともに、整備員は担当する機体が必ず
決まっており、それぞれの担当機を責任を持って整備した。
零戦の尾翼等に〇〇一整曹などと整備責任者の名が記されて
いるのはこのため。
 
なお、同様の機体整備責任者を陸軍では「機付長」と称した。
機付長の制度は現在の航空自衛隊に継承されている。 
 

型式一覧

型式一覧図(十二試艦戦・二一型から五二型、六四型まで)
 

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十二試艦上戦闘機【十二試艦戦諸表】A6M1
  
ゼロ戦のプロトタイプである十二試艦上戦闘機。昭和14年4月に
初号機が初飛行。三菱重工の堀越博士
をリーダーとする開発チームが
九六艦戦の後継機とし
て開発に尽力した。二号機までは三菱製瑞星一三型
ンジンを搭載したため、最高速度は488km/h と海軍の要求
届かなかったが、その他性能は概ね良好であった。
 

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零戦11型 
【零戦一一型諸表】A6M2-a
  
中島飛行機供給の栄エンジン搭載により大幅な馬力向上を実現した
一一型は正式採用を待たず、漢口
基地へ送られ、航続距離の短い九六
艦戦に代わり重
慶爆撃陸攻隊の掩護に就いた。昭和15年の初陣以
支那事変における空戦では一機の損害もなく終
始無傷であった。
機体は第十二航空隊山下小四郎機。

  

零戦二一型/21型

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零戦21型 【零戦二一型諸表】A6M2-b
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/6000m/7分27秒
最高速度/533km/h 巡航速度/300km/h 航続距離/2,530km
自重/1,754kg 全備重量/2,410kg 燃料搭載量/525+330L
全幅/12.00m 全長/9.060m 全高/3.530m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/107kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
生産機数/約3,500機
 
◆零戦二一型(21型)は、零戦初の量産モデル。空母搭載を前提とした
翼端折
畳み構造を追加したほか、 着艦フックを装着。昭和16年12月、
真珠湾攻撃で実戦に参加。
昭和19年初めまでに三菱740機、中島が
2,821機を
生産し、大戦初期において海軍機動部隊の要となった。
参考画像は昭和17年、空母瑞鶴所属、岩本徹三機。
  

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二式水上戦闘機(二式水戦)

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二式水上戦闘機 【二式水戦諸表】A6M2-N
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/3000m/3分57秒
最高速度/439km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/926km
自重/1,921kg 全備重量/2,460kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.50m 全長/10.248m 全高/4.305m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/109kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年7月 生産機数/377機
 
◆二式水上戦闘機は零戦二一型にフロートを装着した水上戦闘機。
川西航空機が開発中の十五試水上戦闘機「強風」が遅れていたため
水上飛行機の技術が豊富であった中島飛行機が急きょ、傑作機
零戦を
ベースに開発と生産を行った。開発陣必死の努力により僅か11ヶ月という
短期間で実用化に至り、戦線に就いた。主脚、尾輪(タイヤ)を撤去し
フロートを取り付けたほか、防水加工や水上飛行機としての安定を得るため
垂直尾翼の形状等を変更した。
重量と抵抗の増加に伴い運動性と
最高速度は低下(96.3km/h)したが
水上戦闘機としては申し分ない性能で
大戦初期に
おける島嶼攻略、防衛(アリューシャン、ソロモン、
中部太平洋戦線等)で活躍した。
 

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K

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零式練習戦闘機一一型 【零式練戦諸表】A6M2-K
  
二一型をベースに複座化したゼロ戦の練習機。
主な変更点は翼内機銃を撤去し風防を延長。前部の訓
練生席は解放型
となった。尾輪を固定化し、前部引
き込み脚カバーの撤去、射撃用ターゲット
の吹き流
しを翼下に備えた。零式練習戦闘機一一型と称して航空廠、
日立航空機で製造された。

 

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ゼロ戦(零戦)32型/三二型

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零戦32型 【零戦三二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,134km
自重/1,807kg 全備重量/2,535kg 燃料搭載量/470+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.54㎡ 翼面荷重/118kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年4月 生産機数/343機
 
◆零戦三二型(32型)は
エンジンを栄二一型(二速過給器 / スーパーチャージャー付き)に換装。
離昇1130馬力に向上し運動性能と最高速度を得た。翼端を50cmカット
した
唯一の角型デザインで343機を三菱でのみ生
産した。航続距離は低下。
昭和17~18年、主にソロモン諸島の戦線で
活躍。
画像は昭和18年/台南空所属機。
  

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ゼロ戦(零戦)22型/二二型

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零戦22型 【零戦二二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分19秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,863kg 全備重量/2,679kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.530㎡ 翼面荷重/119kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年1月 生産機数/560機
 
◆零戦二二型(22型)二二型は三二型の弱点を補うべく、翼端を二一型と
同様
丸型へ戻し折り畳み構造を復活させたモデルで航続距離と運動性能を
取り戻した。武装を強化した
二二型甲を含めると、昭和17年末より翌18年
8月までに560機を三菱でのみ生産。のち五二型へ移行する。
 

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ゼロ戦(零戦)52型/五二型

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零戦52型 【零戦五二型諸表】A6M5
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/564km/h 巡航速度/330km/h 航続距離/2,560km
自重/1,876kg 全備重量/2,733kg 燃料搭載量/570+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/128kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年8月 生産機数/約6,000機
 
◆零戦五二型(52型)
ゼロ戦を象徴する最も一般的なモデル。翼折畳み
構造を撤廃し翼端を50cmずつ
短縮。推力式
単排気管(マフラー)を採用し、馬力を向上した。昭和18年8月より
三菱、同年12月より中島が生産を開
始し終戦までおよそ6000機が生産された。
中部
太平洋戦線で活躍。参考画像は昭和19年3月、第261海軍航空隊所属機。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型甲/五二型甲

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零戦52型甲 【零戦五二型甲諸表】A6M5-a
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/559km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,894kg 全備重量/2,743kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約391機(中島不明)
 
◆五二型甲(52型こう)は、五二型の武装・装甲を強化したモデルの
ひとつで携行弾数を
増やしたほか、主翼装甲の厚さを0.2ミリ強化し
急降下制速度を740.8km/hに引き上げた。このほかに増槽を
木製化し形状も変更。容量は300リットルとなった。プロペラ・スピナーが
大型化され、機体重
量(自重)は18kg増加した。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型乙/五二型乙

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零戦52型乙 【零戦五二型乙諸表】A6M5-b
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/554km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,921kg 全備重量/2,765kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約400機(中島不明)
 
◆五二型乙(52型おつ)は五二型の武装、装甲強化モデル。五二型との違いは
右側胴体銃を7.7ミリから13.2ミリ
に換装したほか、両翼下に150リットル
増槽を
各一個ずつ搭載可能に改造した。後期生産機は座席後方の防弾を
強化し風防正面を防弾ガラスに変
更し、防御力を増加。昭和19年10月
正式採用され三菱で470機が生産された。


 

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ゼロ戦(零戦)52型丙/五二型丙

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零戦52型丙 【零戦五二型丙諸表】A6M5-c
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,970kg 全備重量/2,955kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148kg/㎡
兵装/翼内20mm機銃×2 13.2mm×2 爆弾60kg×2、ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約470機(中島不明)
 
◆五二型丙(52型へい)は五二型甲・乙を踏襲しさらなる火力と装甲強化
を施したモデルで胴体左の7.7ミリ銃を廃止し両翼に13.2ミリ機銃を追加。
両翼下にレールを設け
ロケット弾(三式弾等)を搭載可とした。格闘性能は
犠牲となったが、燃料タンクの防弾化し主翼
と操縦席外側の装甲も強化して
防御力を高めた。
 
 

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ゼロ戦(零戦)53型丙/五三型丙

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零戦53型/53型丙 【零戦五三型丙諸表】A6M6-c
発動機/栄三一型 離昇出力/1,300馬力 上昇力/8000m/9分53秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,145kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/---kg/㎡
兵装/翼内13mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 30kg×4 ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産中止
 
◆五三型丙または五三型(53型へい)は、五二丙に次ぐ改良型で、エンジンを
水メタノール噴射式の栄三一型に換装し、自動防漏式燃料タンクを施した。
期待したほどの性能向上が見込めなかったことから量産化は中止され、
まもなく六二型、五四型丙/六四型へ開発生産が移行されたモデルである。
仕様はいずれも予定値。
  

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ゼロ戦(零戦)63型、63型/六二型、六三型

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零戦62型/63型 【零戦六二型諸表】A6M7
発動機/栄三一型甲 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分58秒
最高速度/542km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,155kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/141.0kg/㎡
兵装/胴体13mm機銃×1 翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 500kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年5月 生産機数/800機(推定)
 
◆六二型(62型)/六三型(63型)
ゼロ戦の最終型Ⅰ。五三型の胴体下に500kg爆弾
の懸吊架を追加した
爆撃戦闘機、爆戦と略称。跳弾爆撃、急降
下爆撃に対応し機体構造を強化した。
生産数は不
明だが、昭和20年4月頃より終戦まで 三菱、中島合わせて6
00~1,000機が生産されたと推定さ
れる。栄三一型を搭載した機体を
63型と称すが、殊に当該機種のエンジンは栄三一型や二一型もあり、
52型との明確な違いは不明瞭で諸説あり。
 

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ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

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零戦64型/五四型丙 【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 
◆六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
  

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なぜゼロ戦と呼ぶのか
我が日本には暦が3つある。平成、西暦、そして皇紀である。
皇紀は神武天皇が即位した(日本が始まったとされる年)から
数えた年号で、本年2015年(平成27年)は皇紀2675年にあたる。
 
零戦が正式採用された昭和15年は、皇紀2600年ちょうどにあたり
その末尾をとって零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)
通称零戦と呼ばれるようになった。海軍は皇紀の末尾を冠するのが
通例でほかに九六式艦上攻撃機、一式陸上攻撃機などがある。
 
ゼロは英語で敵性語であるから「れいせん」と呼ばなければならなかった
というのは俗説で、当時から海軍ではゼロ戦と呼んでいたし
(予科練の試験の答案用紙でもわかるように英語は必須であった)
一般にもゼロ戦と呼ばれていた。
   

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搭乗員(パイロット)になるには
ゼロ戦搭乗員は例外なく文武両道であった。
搭乗員を志すための過程はいくつかあるが、いずれも厳しく
狭き門であった。いうまでもなく飛行機乗りは全て志願兵である。
 
過程1、指揮官
海軍兵学校で幹部としての教育課程を修了後、
航空を専修する。
東大の10倍難しいと言われる海軍兵学校を
受験し、二年間の教育期間を
経て少尉候補生となったのち
航空機を専修する。ただし、幹部と雖も敵性が
認められない場合は搭乗員にはなれない。
 
過程2、下士官(昭和15年まで)
海軍(海兵団)に志願入隊し、艦隊勤務などを経て下士官となり敵性ありと
認められた場合、操縦練習生(操練)の受験資格を得る。
 
過程3、予科練習生(昭和12年から)
満14歳以上20歳未満の若者に限っては予科練習生の制度が設けられた。
筆記試験問題(入試に使われた問題が予科練記念館に展示されている)
視力、体力測定をパスすると
晴れて入隊。3年間(のちに短縮)の教育・訓練
課程を経て搭乗員となる。
 
いずれの過程でも国語、数学、物理科学、英語などの成績が優秀で
体力も抜群でなければ試験突破は叶わなかった。このほか実戦を想定し
モールス信号の符号の暗記、航法、気象についても学ぶ。
試験に合格した後でも、訓練中不適格と判断された者は元隊に戻された。
 
また、初期の頃(操練時代)においては、最終試験で「手相」「骨相」が見られ
占いで「貴様は短命だ」と判断されると元隊に戻された。
 
操縦員・偵察員にわかれる
訓練課程では教官が敵性を見て操縦員・偵察員のいずれかに分けられる。
操縦員はパイロットであるが、偵察員は後席に座り、通信、見張り、航法
を担当し、操縦員に逐次伝達する。GPSなど無い時代。偵察員の仕事は
非常に重要な役割であった。パイロットのほうが偉いかというと
それは大きな誤解である。真珠湾攻撃に参加したある偵察員は
「操縦員は操縦に専念してればええ。偵察員はいろいろ仕事やるし
操縦員を叩いて飛ばすほうが大変や」と回想する。(個人の見解です)
 
それぞれの機種を専攻する
さらに戦闘機・艦爆・艦攻の専修別となる。
艦爆とは艦上爆撃機の略で、急降下爆撃を敢行する二人乗りの
飛行機である。度胸が求められる。
 
艦攻とは艦上攻撃機の略で3人乗りの雷撃機である。水面すれすれに飛行し、
敵艦の横腹に魚雷を叩きつけるのだが、
もっとも損耗(戦死)率が高い。
肝が据わったどっしりとした
性格かつ協調性が求められた。
 
零戦(戦闘機)は一人乗り。ぜんぶ一人でやる
戦闘機乗りは花形である。希望は一応出せるものの
希望叶わず艦爆や艦攻を命じられた者も多い。
戦闘機は一人乗りであるので、すべての任務を一人でこなさねばならない。
膝の上にバインダーに挟んだ紙を置き
コンパスと太陽の位置などを
見ながら、航法を計算しながら飛ぶから
大変だ。この間も敵の襲撃に備え、
見張りを厳とする必要があった。
 
自動車で高速道路を一時間走るのは何てことはないが、
一人乗りの戦闘機で空を一時間飛ぶことがいかに至難であったか、
その疲労も極めて著しい。
 
こうして艱難辛苦乗り越えて練習航空隊を卒業した者は
実戦航空隊へ配備され
一人前となる。
 

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ゼロ戦は強かったのか
高校生の頃、世界史の授業で担当教師が
「米軍は不時着したゼロ戦を徹底的に調べ上げその優れた設計を真似して
F6Fヘルキャットという新鋭戦闘機を作った。それ以降、ゼロ戦の優位は失われた」
と教えてくれた。そのころは「ふんふん、そうなのか」と教師の教えを真剣に
聞いていたが後で調べてみると、この説はどうもインチキくさいことがわかった。
 
結論から
ゼロ戦は無敵だった。ただし、一対一の戦いならば。
 
支那戦線においては無敵で、ほとんど全ての敵機を撃墜した。
また、真珠湾攻撃以来、最初の一年ほどは
米英に対し圧倒的優勢で勝利を重ねた。
 
米英にいずれは負ける運命
一対一。これは我が国古来からのサムライの戦い方である。
 
敵の数が圧倒的に多いなら、いずれは損耗を続け、負ける。
開戦当初、日本の搭乗員は防御や退却を恥とした。
サムライとして潔く戦って散ろうというものである。
「生きて虜囚を辱めを受けず」という言葉もある。
 
一方で米英のパイトットは勝ち目がないと判断すると
命を守ることを第一に撤退し、次の戦いに備えた。
 
サムライであり続けた
「防弾板がついとったが、わしはあんなもの恥ずかしいと思って取っ払ってしまった」
「落下傘はどうせ使わんから、座席に敷いておった」
などと回想する元搭乗員も多い。
 
ここで「命を粗末にするから日本は戦争に負けたんだ」などと言うのは
おかしい。それは我々が戦後に後出しだから言えることで決して
現代の物差しで語ってはならない。当時とは価値観が全然違うのだ。
 
米英軍にしてみれば、日本は決して降参しない、勝ち目がないのに
最後の一人まで戦うという概念が理解できなかった。
 
ゼロ戦の弱点を突け
確かに米軍はアリューシャンに不時着したゼロ戦を鹵獲し徹底的に調べた。
(鹵獲=ろかく。敵の兵器などを戦利品として原則無傷で得る事)
ここまでは世界史の先生に教わった通り、事実であった。
鹵獲された機体は、古賀忠義一等飛行兵搭乗の零戦二一型で
昭和17年6月、ミッドウェー作戦の陽動として行われた
アリューシャン列島、ダッチハーバー空襲へ参加した古賀一等飛行兵は
対空砲火で被弾し、アクタン島への不時着を試みた。
 
古賀一等飛行兵は着陸時の衝撃で頭部を強打し戦死したが
機体は無傷に近い状態であった。一か月後、機体は米軍によって回収され、
徹底的な分析調査が行われた。そして僅か三ヶ月後の9月には
飛行可能な状態に修復し、テスト飛行まで行われた。
 
これによって、米軍はゼロ戦の弱点を徹底的に暴いた。
このとき、後のライバルとなるグラマンF6Fヘルキャットは既に
完成間際にありゼロ戦の設計思想が反映されることは無かったし
もとより、米軍の戦闘機設計思想は戦後まで一貫するもので
いずれもゼロ戦とは相反する。
 
ゼロ戦の弱点は剛性不足であった。スピードも出ない。
低速度域での巴戦では群を抜いた性能を誇ったが
高速度での戦闘には不向きで、遂に脆弱性を露呈した。
 
このため、米軍は急降下等を駆使し、ゼロ戦から逃れる術を
発見したほか、米軍機二機以上が一組となり、ゼロ戦の機動力の隙を突く
サッチ戦法により、無敵といわれた零戦を確実に仕留めていった。
日本機のパイロットは古来からの一騎打ちが未だ戦術の
主流であるのに対し、米軍は必ず二機以上の編隊で襲い掛かり
スピードを生かした一撃離脱戦法で、ゼロ戦に勝利した。
この戦法は大戦終結まで変わることなく、日本機の戦術はすでに
時代遅れとなる。
  
日本機の搭乗員は熟練者が多く、その腕をもって米軍と対峙し
開戦以来、圧倒的な勝利をものにしてきたが、このサムライの
伝統とも言える戦い方は、合理的といえるものではなく
到底米軍との兵力差は埋められるものではない。
戦争末期ともなれば熟練搭乗員は皆戦死し、補充された
飛行時間の僅かな飛行兵の戦いは満足といえるものでなかった。
  

日米で異なった戦闘機の設計思想 
先述の通り、日米では航空機の基本的設計思想が異なった。
米軍は飛行機は重いが頑丈で、小回りが利かない代わりに
物凄いスピードが出る。いくら、日本機が真っ向勝負しろと挑んでも
雲間から突如、襲い掛かってきて、一撃を加えたのち
消えてしまう。日本機は追い付けない。そんなに熟練した腕があろうとこれでは
勝負にならない。多くのゼロ戦パイロットがその旨、証言を戦後に残している。
 
本土防空戦で敢闘したあるゼロ戦搭乗員は
「映画で見るような空戦を想像しているだろうけど、ありえない。
敵さんは、上空から物凄い速さでいきなり襲ってきてこちらが
反撃する前に追い付けないスピードで逃げていくんだ。一瞬だよ。
戦いも何もあったもんじゃない」と回想する。

 
大戦後期、日本もようやくこの戦法に対応するよう
重戦闘機の開発を重視したが、時すでにおそく、終戦を迎えた。
多くのサムライが刃を抜いて奮戦したが、銃弾には勝てずほとんどが戦死した。
 
零戦のライバルたち

零戦とスピットファイア

零戦とP-51

Photo 
▲英空軍スピットファイア(左)と米陸軍P-51(右)
 

零戦とF4Uコルセア

零戦とP-38ライトニング

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▲米海軍F4Uコルセア戦闘爆撃機(左)と米陸軍P-38ライトニング戦闘機(右)
   

SBDドーントレス艦上爆撃機グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機

SBDドーントレス艦上爆撃機

グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機 
▲米海軍の名機、グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機と
SBDドーントレス艦上爆撃機。F6Fはもっとも多くのゼロ戦を撃墜し、
ドーントレスは最も多くの日本艦船を撃沈したといわれる。 
 

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高度1万メートルの戦い
大戦末期、ゼロ戦は高度1万メートルで爆撃に来る
B-29相手にも果敢に戦った。B-29は当時ボーイング社最新の技術で
気密されているから、搭乗員はTシャツ一枚でコーヒー飲みながら
ゆうゆうやってくる。 
 
一方で我が方の迎撃機は高高度においては酸素も薄く、極寒で
判断力は低下する。高い山に登ったことがある人なら幾ばくかでも
その気持ちがわかると思う。高度1万メートルまで上るのは
ゼロ戦では30分近くかかる。
 
時間がかかっても一万メートルまで上昇し待機できる、と思うのは
ぜんぶ地上の考えである。酸素が薄いので、常に機種を上に向けて
エンジンを全開にしていなければ高度を保持できない。
水泳で顔を水面から出して、ひたすら沈まないようにバタバタと
もがいている状態に近い。燃料はあっという間に底を尽きる。
B-29に攻撃のチャンスを得るだけでも至難であった。

  

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ゼロ戦のカラーリングについて なぜ緑なのか?
ゼロ戦はなぜ緑色なのだろうか。赤や青じゃダメなのか。
ゼロ戦のカラーリングは上の絵でも描いたが、おおむね
緑色、それも暗緑色である。大戦初期では灰色(もしくは飴色)であった。
空に溶け込むようにと意図されているといった見方が強いが
今となっては彩色配合も謎である。

零戦二一型(ラバウル離陸)

▲南方の陸上基地から発進する零戦二一型。
 
緑色に塗装するようになったのは昭和17~18年くらいからで
型式でいえば、32型で両方の色が見られる。残っていた21型も
多くが緑色に再塗装された。(有名な関大尉の敷島隊は21型である)
これは南方など、ジャングルの多い地域で戦うようになってからで、上空から
見たとき、カモフラージュされるし、基地で木々の間に隠すにも都合がよい。
というのはおおむねの見解のようである。

零戦三二型(ジャングル)

▲ジャングルの中に佇む零戦三二型。
 

日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。
あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 

零戦の日の丸

▲ラバウル近隣で回収された零戦二二型の外板。だいぶ退色してはいるが
塗装はオリジナルのようだ。日の丸と縁が塗りつぶされた様子がわかる。
2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
 
関連記事
「桜花の機体には日の丸が描かれなかった」

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 

機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは
暗緑色が胴体の斜めに入っているのが
中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である
海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も
同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
  
中島飛行機のロゴを復元製作した。無料素材として配布しているので
以下の画像をクリックしてダウンロード可。 
 

中島飛行機ロゴ

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零戦五二型丙種、昭和20年、302空(厚木)にて

▲零戦五二型丙。昭和20年、厚木の第302海軍航空隊所属機。
 
五二型丙を写した中ではもっとも鮮明な写真。両翼の20ミリ機銃に加え、
13.2ミリ機銃(外側)が追加され重武装となったモデル。翼下のレールに
三式弾(ロケット弾)を吊り下げ可能。フラップが出ている様子がわかる。
この機種は主に本土防空戦で敢闘した。
 

カウルフラップ

推力式単排気管

Photo_50

▲五二型のカウルフラップ「開」状態。五二型の特徴である
推力式単排気管(マフラー)は効率的な排気によって馬力が向上し
最高速度が20km/h程度増大した。
カウルフラップは操縦席にあるハンドルをグルグル回すことによって
開閉する。エンジンが冷えているときは「閉」、高音となったさいは
「開」にしてエンジン温度を調節する。
写真は第261海軍航空隊所属機で、プレーンズオブフェイムが
戦後レストアした機体。2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
  

栄二一型エンジン(鹿屋の五二型零戦)

▲鹿屋資料館に展示中の零戦五二型と栄二一型エンジン。
2速過給器(スーパーチャージャー)付き離昇出力1,130馬力を発生し
最高速度564km/hをたたき出した。
 

零戦のコクピット内部

永遠のゼロのロケセット

Photo_8

宇佐平和資料館で展示中の映画『永遠のゼロ』撮影に使われた
コクピットの模型。 実際に座ってコクピットの狭さを体験できる。 

09_4

エース(撃墜王)という概念
日本海軍はエースという概念を設けず、敵を何機やっつけたという

個人成果は記録しなかった。
強いて言うならば、零戦搭乗員全員をエースと呼ぶ。
国の為に戦い、あるいは命を捧げたのだから当然と言えるだろう。
よって、零戦搭乗員の生き残りに「何機落としましたか」と尋ねるのは
失礼にあたるし、最大のタブーとなっている。
戦争で命の駆け引きをしてきたのだから、戦後現代を生きる
我々に決して理解できないことが多くあるに違いない。
 
それでも撃墜数(スコア)に執念を燃やす搭乗員も
存在した。岩本徹三や赤松貞明などである。
殊に赤松中尉は戦後においても自身の記録を世界記録と主張している。
 
零戦搭乗員の原田要氏によると、岩本は自らたくさんの撃墜マークを
機体に描いていて、個人成果主義を否定する周りのパイロットたちは当初、
あまりよく思っていなかったが、 確実に多くの敵を撃ち落とし生還し続けた
ことは間違いないので、次第に認めるように なっていたという。
赤松も同様だった。
 

岩本徹三

赤松貞明中尉

Photo_2

▲左、岩本徹三中尉/右、赤松貞明中尉
 
関連記事
岩本徹三の戦後
赤松中尉の戦後
 
そして、それぞれの撃墜数をまとめて本にしたものまで出版され
売っている。確実に言えることは岩本徹三や坂井三郎より
凄いパイロットは数多くいただろう。これは間違いない。
けれどもそういったエースは皆、戦死してしまったので、
歴史に名が残らず、語り継がれることもなく消えて行ってしまった。
 
彼らはどんなことを考えていたのか、
最後に、ぜひこの動画と記事もあわせてご覧頂きたい。
 
黎明の蛍(ある特攻隊員と少年の実話)

少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)
YouTube: 少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)

Photo_18

作成中

支那戦線から真珠湾、ソロモンの戦い、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、
特攻、終戦まで
 

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

▲B-24爆撃機にロケット弾(三号爆弾)を発射する零戦五二型丙
 
 
富安俊助

富安俊助の突入後

▲エンタープライズ直上より背面飛行でエレベーターに突入する富安機 
 
関連記事
富安俊助中尉とエンタープライズ
 

Photo_19

航空自衛隊浜松広報館の尾崎伸也大尉機

◆航空自衛隊浜松広報館(静岡県浜松市)
零戦五二型(第三四三海軍航空隊/尾崎伸也大尉機)
 
昭和38年、グアム(大宮島)で発見され
日本へ返還輸送、復元された機体。
海軍第343航空隊(初代,通称隼)の飛行隊長尾崎伸也大尉の搭乗機と
推測される。昭和19年
6月19日、大宮島(グアム島の旧称)上空において
尾崎大尉と他一機が哨戒中、米戦闘機2機と交戦となり1機を撃墜、もう一機に
追尾された尾崎大尉機は
海面直前まで急降下し、敵追撃機を海面に激突させ
たが
自らも被弾し、飛行場に着陸したが、病院に向かう途中に息を引き取った。
 
展示状態
ハンガーの天井に吊って展示されているので
近寄って見ることはできないが、飛行状態で展示されている唯一の
機体という点では最も美しく貴重。
 
浜松広報館レポート
 

零戦と秋水

◆三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室は
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。
(現在改装作業に伴い休館中)

 

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も

月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
 
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室レポート
 

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館

◆海上自衛隊鹿屋航空基地資料館(鹿児島県鹿屋市)
零戦五二型

知覧の特攻平和会館は有名だが、鹿屋市には
同様に海軍部隊の特攻隊員の遺書を展示した施設がある。
展示内容はいずれも貴重で決して知覧に引けを取らない。
鹿屋は海軍の特攻基地としてもっとも多くの海軍特攻機が出撃した。
二階フロアには鹿屋から出撃した海軍搭乗員の遺書(案内の人によると
集められる限り全てと言っていた)敷島隊から梓特別攻撃隊、
神雷部隊「桜花」、宇垣中将の特攻まで資料、展示も充実。
世界唯一の二式大艇もここにあり。(屋外)
 
零戦は吹上浜から引き揚げられた機体を復元したもので
数あるゼロ戦の中でもオリジナルに近い。エンジンは近くで
見られるし、コックピットの様子も近くで見ることができる。
ボランティアガイドがラダーや操縦桿を動かして説明してくれる
方向舵や翼が動く様子は零戦や航空機ファン必見。 
 
余談であるがここの食堂で食べられる「鹿屋海軍カレー」は
美味。
 
鹿屋航空基地資料館へ行ってみる

大刀洗平和祈念館の零戦三二型

◆大刀洗平和祈念館(福岡県筑前町)
零戦三二型(第二五二海軍航空隊柳村義種少将機)
 
昭和53年、マーシャル諸島タロア島より帰還した機体で
2013年、第252海軍航空隊の柳村義種少将の機体と判明した。
世界で唯一の三二型(翼が角ばっている)を展示している。
 
ここは震電の展示が充実しているほか
B-29実物大オブジェが天井から吊り下げられている。
 
大刀洗平和祈念館へ行ってみる

大和ミュージアムの零戦六二型

◆大和ミュージアム(広島県呉市)
零戦六二型
 
大和ミュージアムに海軍のシンボルとして展示されている。
大戦末期に製造された重武装の六二型。爆戦ともいう。この機体の 
搭乗員は広島へ原爆が投下された日、琵琶湖上空を飛んでいたと
証言している。
 
大和ミュージアムへ
戦艦大和ドックはいま 歴史の見える丘へ
 

2015082710410000 
河口湖自動車博物館飛行館
国内唯一の零戦21型と一式陸攻を所蔵する。
夏季のみ開館。
 
河口湖自動車博物館飛行館へ

 
パラオの零戦 

◆南方戦跡として残る零戦
(画像:パラオ)
 
当サイトでは南方各地に戦跡として残る零戦を調査し
掲載しています。右の記事一覧からぜひご覧ください。
 
-------------- 
 
靖国神社遊就館(東京)
上野国立科学博物館(東京)
 
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零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改

最後までご覧くださりありがとうございました。
当記事はこれから、まだまだ完成度を高めて参ります。
  

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2015年1月 7日 (水)

震電

震電02

震電03

震電04

【震電諸表】J7W1
局地戦闘機震電 全幅11.114m 全長9.76m 全高3.92m
主翼面積20.5㎡ 自重3,525kg 全備重量4,950kg 翼面荷重210kg/㎡
離昇出力2030馬力 最高速度750km/h 巡航速度444km/h
VDM式定速6翅プロペラ 30mm機銃×4

Photo_4

震電局地戦闘機 J7W1
「震電」(しんでん)は海軍航空技術廠が主導し
九州飛行機が開発を担当した日本海軍の局地戦闘機である。
 
インターセプター(迎撃機)の重要性を認めた海軍は
昭和19年、前例のない重戦闘機の開発に着手した。
 
開発の計画・推進役は空技廠の鶴野正敬博士(技術少佐)で
十八試局地戦闘機「震電」と呼称されたこの戦闘機は
最大速度405ノット(750km/h)と30ミリ機銃4挺の搭載が求められた。
 
この時、最新鋭であった零戦五二型は564km/hで20ミリ2挺であるから
その数値がいかに困難なものであったか理解できる。最高傑作の
レシプロ戦闘機と称されるP-51でも昭和20年に最高速度は704km/h。
 
エンジンは三菱「ハ四三」四二型(MK9D改)を搭載し
公称出力1660馬力、離昇2030馬力を発する。
 
機体デザインは独自のエンテ翼・前翼式(後方にエンジンとプロペラ)に
よって重武装を前方に集中できるメリットがあったほかエンジンが防弾の
役割を担うので、被弾しても搭乗員の命を守ることが可能であった。
 
ただし、緊急脱出時にパイロットが巻き込まれる恐れが非常に高い。
殊に震電は対B-29用戦闘機として敵爆撃機の編隊に突っ込み、
集中砲火を受けるので、一撃離脱したものの被弾後の脱出が想定される。
これについて、テストパイロットを務めた山本重久大尉(この人は紫電改で
空母信濃にも着艦成功している)が空技廠の推進(プロペラ)部の
技術大尉との間で大激論になったと戦後回想している。
 
山本重久大尉 
「集中砲火を受けて撃ち合うパイロットの身にもなって
設計してください」
 
某技術大尉 「できないですねえ」
 
「プロペラ・ボス(プロペラ付け根以下の意)全体を破壊しなくてもプロペラブレード
一枚を飛ばすことができたら、残り五枚はアンバランス
になり、瞬間的に全ブレードが
スッ飛ぶであろう。それもできないのか」

  
「技術的に不可能だ」
 
「不可能を可能にするのが科学で、それをやるのが技術者だ」 
 
「無茶を言うな」
 
「何が無茶だ。なぜやろうとしないのか」
 
「こいつ」
 
山本は憤慨し、自分よりずいぶん古参であろう技術大尉の横っ面を
いやというほどぶんなぐってしまった。 
その後、プロペラを吹き飛ばす技術が開発され 試作が進められた。  
 
震電の翼には22ミリの防漏ゴムを施し
風防ガラス前方は70ミリの防弾仕様となった。
 
この仕様からも震電は汎用性や格闘性能を無視し、対爆撃機用
重戦闘機として誕生し、歩みを始めたといって間違いない。本土領空に
侵入せし敵爆撃機(のちのB-29)に対し、緊急発進、その大馬力を活用して
一気に上昇し、直上より強力な火力を浴びせるものだった。
 
震電プロトタイプ(試験機)の完成・初飛行は昭和20年8月6日
広島へ原爆投下の日だった。九州飛行機、雑餉隈(ざっしょのくま)
製作所から蓆田飛行場(現在の福岡空港)へ運ばれ、
試験飛行を実施。8月8日と合わせて45分間、飛行した。
この飛行の様子は動画フィルムに撮影されており、現在も
市販のDVDなどで見ることができる。
 
エンジンが故障し、製造元である三菱重工に連絡をとっている
間に終戦を迎えた。

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Photo_5 
震電はプロペラが後ろに位置する「エンテ翼」と呼ばれる機体です。
九州飛行機が機体デザインを担当し、エンジンは三菱製を搭載しました。
30ミリ火砲と上昇力を備え、B-29邀撃用戦闘機としての活躍が期待されて
いました。
昭和20年、8月、福岡県、雑餉隈(ざっしょのくま)で製造され
近くの陸軍席田飛行場(現・福岡空港)から離陸に成功しましたが、
実戦配備される前に終戦を迎えました。
この機体も史実通り、
雑餉隈仕様を再現して頂きました。

 
SF映画やアニメ、空想戦記で多く登場するため

女性や、幅広い年代に認知度が高く、人気の飛行機であります。
 

※周りのジオラマ素材は篠原が製作したものです。室内撮影のため、背景の青空は
エアブラシで描いたものです。

その独特な形状から震電は人気が高く、架空戦記やSFなど
多くの漫画などに昇華した形で描かれている。
 
震電Tシャツ販売中
  

震電Tシャツ震電Tシャツ02

スカイ・イクリプス

Photo

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

2014年7月10日 (木)

震電

要望があり震電Tシャツを商品化しました。
既にアマゾンで販売中です。
震電好きな方の熱烈なアイデアで実現しました。
 

B

B_2

B_3

「震電」販売ページへ(ブルー)
「震電」販売ページへ(ブラック)

「震電」販売ページへ(ネイビー)

震電は大戦末期に九州飛行機が開発した
日本海軍の迎撃戦闘機(インターセプター)です。
主にB-29の迎撃を任務として運用が検討されました。
 
しかし、その登場が遅すぎました。革新的な高高度性能と
火力を備えていましたが、
初飛行は昭和20年8月3日のことで
実戦配備に至ることなく終戦を迎えました。
 
映画「スカイクロラ」によく似た機体が登場しますね。
 
商品化の要望がありましたらお寄せください!
  


 

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

2014年4月14日 (月)

紫電改Tシャツ

紫電改Tシャツ再入荷しました。
 

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Ist02

Tde

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魂を込めて描き上げました。
B-29の爆撃から日本を守った松山の343空モデルです。
よろしければご覧ください。
  
紫電改アマゾン販売ページ(ネイビー)へ
紫電改アマゾン販売ページ(ブラック)へ
 
また「こんな機種があったら欲しい!」というアイデアも引き続き募集しています。

飛行機でなくでもOKです。先日は
「陸軍ものが少ないので欲しい」といったご意見を頂戴しました。
 
お待ちしております。

零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改

2014年1月18日 (土)

ゼロ戦Tシャツ

ゼロ戦Tシャツデザインを一新し、再入荷しました。
僅かですので早めにお求めください。
 
「この色とサイズが欲しい!」という要望はたいへん
ありがたいのですが
毎度少ロッド生産ですので一種類でも売れてしまうと
しばらくお作りすることができません。何卒お許しください。
 
また、商品を置いてくださる小売店様も探しております。 
お気軽にご連絡ください。

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Zerro

A4d

A4

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amazon販売ページへ
 

ネイビー ブラック ブルー アイビーグリーン(機体色)

2013年11月13日 (水)

日本の戦跡一覧

日本各地の戦跡、平和資料館、零戦の見られる場所一覧
随時更新

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地図の拡大版はこちら  

 
◇青森県
◆八甲田山・雪中行軍遭難資料館
冬は大豪雪地帯だが通年営業。
雪中行軍で亡くなった兵士の墓が並ぶ。
夏は十和田湖へ至る八甲田の山々の緑が美しい。
温泉ファン憧れの「酸ヶ湯温泉」近く。
 
◆三沢航空科学館
十和田湖より引き上げられた陸軍練習機を展示
そのほか多数の航空機を展示。航空ファン必見。

 
◇新潟県
◆山本五十六記念館(長岡市)
ブーゲンビル島より慰霊団が持ち帰った一式陸攻の左翼、長官の座席を
展示。そのほか山本の多くの品を展示
近くの寺には山本の墓所があり、また
山本五十六公園には山本の生家が残されている。 


◇栃木県
◆四式戦闘機「疾風」地下工場その2
カッパドキアより凄い!採石場跡は世界最大級の巨大地下空間。

◆疾風地下工場(大谷資料館)外観とその周辺

◆宇都宮飛行場

◆洞窟戦車工場(那須烏山市) 

 
◇茨城県
◆予科練平和記念館

◇山梨県
◆河口湖自動車博物館
零戦二一型と零戦五二型を展示。ただし夏季のみ営業
現在世界唯一となる一式陸攻機を製作中。
 
◇長野県
◆松代大本営
長野県長野市。戦況の悪化とともに
大本営の移設を意図して掘り進められた壕。
当時の「徹底抗戦」という概念を理解できる。
 
◇東京都
◆靖国神社・遊就館
零戦五二型展示
 
◆小笠原戦跡
須崎飛行場(作成中)
 
◇千葉県
◆房総半島戦跡群

◆館山航空隊地下壕

◆「震洋」基地

◆「桜花」カタパルト基地
完成間際、終戦を迎えた陸上発射型桜花
カタパルト(発射基地)跡がある。 

◇神奈川県
◆横須賀鎮守府
 
◇静岡県
◆航空自衛隊浜松基地広報館(エアパーク)
ジェット戦闘機の操縦席に実際に座れるのは日本でここだけ。
ラダーを動かせる。その他歴代の自衛隊機多数をハンガーに
展示。航空ファン必見。零戦五二型。
 
◇愛知県
◆三菱重工小牧南工場史料室
三菱重工工場併設の資料館。見学は平日のみで要予約。
ロケット戦闘機「秋水」復元機のほか零戦五二型展示。
敷島隊の五機と秋水に携わった整備兵のお話し
 
◇京都府
◆舞鶴鎮守府
 
◇広島県
◆呉鎮守府
レンガ造りの呉鎮守府が残っており
週末は見学が出来る。
 
◆戦艦大和ドック(歴史の見える丘)
戦艦大和を建造したドックは現在も健在で
丘の上から望む

◆からすこじま公園
日本一、潜水艦を近くで見られる公園。
 
◆大和ミュージアム
呉の誇り、戦艦大和のテクノロジーを
紹介したミュージアム。零戦六三型展示。

◆てつのくじら館
退役した潜水艦を丸々、そのまま陸揚げ。
中を見学できる。実物の潜望鏡や潜水艦の操縦席に
座れ、舵を握れるのは全国でここだけ。

◆海軍墓地
呉の市街地を見下ろす丘に、先の大戦で
活躍した特務艦、駆逐艦から戦艦航空母艦まで
多くの戦没艦船の慰霊碑が並ぶ。

◆江田島
海軍兵学校の建物は現在も残る。

◇山口県
◆大津島・回天基地
人間魚雷「回天」の基地。徳山からフェリーで渡る。
透き通った海が実に美しい場所。

◆徳山プラント群
連合艦隊の燃料補給基地である
徳山の燃料庫は今も健在。西日本屈指のプラント群は
工場夜景スポットとして有名。各種夜景ツアーを催行。
 
◆柱島・周防大島の戦艦陸奥記念館
瀬戸内海の穏やかで青く美しい海が魅力。
柱島沖には戦艦陸奥が沈む。資料館は一見の価値あり。
 
◇愛媛県
◆楢本神社
(ならもとじんじゃ)
伊予西条は関大尉の出身地である。関大尉をはじめとする
特攻隊「敷島隊」の五人それぞれの慰霊碑は、
250kg爆弾を模した衝撃的なものだった。
 
◆小島・芸予要塞
フェリーで渡る。芸予要塞は110年までの
ほぼ原形をとどめた稀な要塞の戦跡。島の自然が美しく、
潮風が心地よい。復元された旅順攻城砲を展示。対岸は今治造船
  
◆松山第343海軍航空隊
空港周辺に掩体壕が点在する。

◆佐田要塞・未机湾(真珠湾九軍神の碑)
三机湾は別名東洋のパールハーバーと呼ばれる。
真珠湾に突入した特殊潜航艇九軍神が訓練を行った
場所として有名。伊方原発近く。
 
◆由良要塞
 
◆南レク「紫電改」
日本唯一「紫電改」の見学できる場所。
紫電改のほか343空搭乗員の遺品の数々を展示している。 
入場無料。
 
◆宿毛湾・宿毛泊地
戦艦大和の有名な写真はここで撮影された。
 
◇高知県
◆高知航空隊
高知竜馬空港周辺には掩体壕が点在。
 
◆三魂之塔
「彩雲」がエンジントラブルから帰還を諦め
敵機に体当たり、刺し違えた後、この地に墜落した。
慰霊碑とともに機体の一部が残されている。
 
◆番外編~素晴らしい四国
 
◇福岡県
◆大刀洗平和記念館
(たちあらい)陸軍大刀洗飛行場の歴史を紹介。
特攻隊の遺書を展示。零戦三二型を展示。
 
◇熊本県
◆ペリリュー島守備隊長中川大佐の墓所
 
◇大分県
◆大分飛行場跡(宇垣特攻の地)
現在は大洲運動公園。その一角に宇垣特攻の慰霊碑があり
彗星で散華した全員の名と経緯が記されている。
 
◆宇佐海軍航空隊(永遠のゼロ) 
映画「永遠の0ゼロ」で使われたゼロ戦のセットを展示。
また、航空母艦の甲板を再現し、自由に歩ける。
映画のセットであるが、ゼロ戦のコクピットに座って記念撮影が出来る。
桜花の風防ガラスを展示。
 
◇長崎県
◆佐世保鎮守府
レンガ造りの佐世保鎮守府は現在の海上自衛隊佐世保地方総監部。
 
◆SSKドック(旧佐世保海軍工廠)
潜水母艦「伊四〇二」、航空母艦「伊吹」、など誕生の地。
 
◆セイルタワー
ペリー来航から、日本海海戦、太平洋戦争まで
模型やジオラマなど、ビジュアルを重視したわかりやすい展示が魅力。
七階からの展望は、佐世保の街と、停泊中の海上自衛隊、アメリカ海軍の艦艇を一望。
 
◆大村海軍航空隊

◆海軍針尾通信所(巨大通信塔)
世界が動いたあの日「ニイタカヤマノボレ」発信の地。
丘の上から巨大な塔を異世界のような眺め。
 
◆三菱重工長崎造船所(戦艦武蔵ドック)
 
◇鹿児島県
◆万世特攻記念館
知覧を訪れたなら、こちらも是非 
 
◆知覧特攻平和会館
 
◆海上自衛隊鹿屋資料館(海軍特攻資料館)

知覧と合わせてこちらも一生に一度は見て置くべき場所。
特攻隊員の遺書を数多く展示。 
 
◆神雷部隊「桜花」別杯の地

桜花を抱いた一式陸攻の飛び立った場所。 
 
◇沖縄県
◆南部戦跡

2013年7月27日 (土)

「震電」のプロペラ

スカイ・クロラ | The Sky Crawlers [OP] [HD]
YouTube: スカイ・クロラ | The Sky Crawlers [OP] [HD]

Sanka

 
映画『スカイクロラ』
震電とそっくりの戦闘機が出ています。原作の小説を書いた作家、
森博嗣は工学博士でもあります。動画の26秒あたりのプロペラ
を吹き飛ばすメカニカルな描写に注目。
あまりフィクションの映画は見なかったのですが
とてもよくできているので、載せました。ティーチャーがP-51にも見える。

 
ここからは史実。 
局地戦闘機「震電」の特徴として 後方プロペラであるが
もっとも、これは緊急脱出の折 パイロットが巻き込まれる恐れが高い。
殊に「震電」は対B-29用戦闘機として 敵爆撃機の編隊に突っ込み、
集中砲火を受けるので 被弾後の、脱出という想定が高い確率でされる。
 
これについて、テストパイロットを務めた山本重久氏が
航空技術工廠、推進(プロペラ)部の技術大尉との間で大激論になったと
戦後回想している。
 
山本重久大尉
「集中砲火を受けて撃ち合うパイロットの身にもなって設計してください」
 
某技術大尉
「できないですねえ」
 
「プロペラ・ボス(プロペラ付け根以下の意)全体を破壊しなくても
プロペラブレード一枚を飛ばすことができたら、残り五枚はアンバランス
になり、瞬間的に全ブレードがスッ飛ぶであろう。それもできないのか」
 
「技術的に不可能だ」
 
「不可能を可能にするのが科学で、それをやるのが技術者だ」
 
「無茶を言うな」
 
「何が無茶だ。なぜやろうとしないのか」
 
「こいつ」
 
山本は憤慨し、自分よりずいぶん古参であろう技術大尉の横っ面を
いやというほどぶんなぐってしまった。※1
その後、プロペラを吹き飛ばす技術が開発され 試作が進められた。 
 
※1 『別冊丸15巻 終戦への道程~本土決戦記』82頁



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パラオの零戦/誇り高きサムライ~吉田久光上飛兵
ご遺族と共に最後に飛び立ったペリリュー飛行場へ
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帝国海軍から航空自衛隊へ~指宿正信大尉の見た空
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1/144航空母艦「飛龍」大ミッドウェイジオラマを作ろう
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彩雲パイロット杉野さんのお話
飛燕戦闘機隊々歌完成
雷電 伊藤進中尉機
彗星と航空戦艦日向
西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる
真珠湾攻撃隊零戦隊マーキング
マリアナ沖海戦航空母艦一覧
海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編
「彗星」小松幸男飛曹長機
赤城(ミッドウェイ作戦時艤装)
ゼロ戦(零戦)21型と52型の違い


【原田要さんの話】
(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

【紫電改パイロット笠井智一さんのお話】
零戦と中部太平洋戦線
紫電改と第343海軍航空隊

【「翔鶴」「隼鷹」零戦隊パイロット増山保雄さんのお話】
航空母艦への着艦・発艦方法を語る(動画)

【一式陸攻搭乗員天野さんのお話】
(1)一式陸攻のイロハ(クルーの役割)
(2)東京初空襲とミッドウェイ海戦
(3)ソロモン海戦水面スレスレでの雷撃敢行

【飛燕パイロット竹田五郎さんのお話】
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(1)
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(2)

【中島又雄さんのお話し】
零戦52型丙 B-29との戦い

【池田武邦さんのお話し】
新鋭巡洋艦「矢矧」航海士が見たマリアナ、レイテの回想


【ペリリュー島第二連隊生還者 永井敬司さんのお話】
ペリリュー島のラストサムライ

【日本の戦跡一覧】
旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(稚内市)
猿払電話中継所跡(遥かなる樺太・真岡)
八甲田山・雪中行軍隊の足跡を辿る
四式戦闘機「疾風」地下工場その2
カッパドキアより凄い!採石場跡は世界最大級の巨大地下空間
疾風地下工場(大谷資料館)外観とその周辺
洞窟戦車工場(那須烏山市)
「桜花」カタパルト基地
航空自衛隊浜松基地広報館(エアパーク)
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学
戦艦大和ドックは健在(歴史の見える丘)
からすこじま公園
大和ミュージアム
てつのくじら館  柱島・周防大島の戦艦陸奥記念館
人間魚雷「回天基地」大津島
楢本神社
小島・芸予要塞
松山第343海軍航空隊
佐田要塞・未机湾(真珠湾九軍神の碑) 
南レク「紫電改」
宿毛湾・宿毛泊地
高知航空隊
三魂之塔(彩雲)
大刀洗平和記念館
ペリリュー島守備隊長中川大佐の墓所 大分飛行場跡(宇垣特攻の地)
宇佐海軍航空隊(永遠のゼロ) 
佐世保鎮守府
SSKドック(旧佐世保海軍工廠
セイルタワー
大村海軍航空隊
海軍針尾通信所(巨大通信塔)
三菱重工長崎造船所(戦艦武蔵ドック)
万世特攻記念館
海上自衛隊鹿屋資料館(海軍特攻資料館)
鹿児島空港(陸軍国分第二飛行場)
四式戦闘機「疾風」と中島飛行機宇都宮製作所
神雷部隊「桜花」別杯の地

【四方山話】
富士山の空撮
人形供養のお焚き上げへ行ったら・・・
故人の人権は誰のものか?
バブル遺産巡り
自衛隊お見合いパーティー2015
吹上浜での拉致の一部始終を普通に話す人
東京オートサロン2015ガールズ
リバティウォークのランボルギーニ(ゼロ戦仕様)
宇都宮ヘリコプターアクロバットチーム「ブルーホーネット
エヴァンゲリオン新幹線500系見学
フライング・ダイナソー搭乗
みかんを知ろう
憧れの樺太
扇風機を改造してみた
アメリカ軍の騒音対策を真似してみた
航空幕僚副長を表敬
いろは坂の深夜
ガルパン(大洗)こんな凄い町おこし見たことない!
西住みほコスプレ撮影
ネットアイドルの杏樹ちゃん撮影
興津の海と鵜原八坂神社
20XX年 応急夜戦滑走路
1/48 B-29完成


【Tシャツ製作記録】
ゼロ戦Tシャツ
伊400と晴嵐Tシャツ
紫電改Tシャツ
三式戦「飛燕」Tシャツ
10式戦車とIV号戦車Tシャツ新発売

【フリー素材・写真/イラスト集】
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン
10式戦車 90式戦車 74式戦車 フリー
IV号戦車 フリー素材画像
航空自衛隊 F-2 戦闘機 フリー
戦艦大和・武蔵
伊400
飛龍
ゼロ戦の形式一覧
艦上爆撃機「彗星」形式
満州鉄道伊ロゴ作成
中島飛行機ロゴ作成
ステンシルフォントの作成(漢字・和文)
陸軍飛行戦隊データベース


パラオ全図島
■パラオ全図(各島詳細)