2019年6月28日 (金)

「戦鳥(いくさどり)~帝国陸海軍航空機総覧」

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お待たせいたしました。『戦鳥』通販開始しました。
下記の説明文を熟読・ご理解の上のお求めをお願いいたします。
   
拙著は試作版となります。小部数を発行し
専門家の方のみにお配りし、再検証を行う為の
本でございましたが、予想以上の反響を頂き
僅かではございますが、一般の方にも頒布する運びとなりました。
 
また、拙著の刊行にあたりまして、当初
商用誌のお誘いがございましたが、
自由に書き(描き)たかったため、私家版となりました。
 
何卒ご理解、ご協力を
賜りましたら堪能でございます。
 

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2018年9月24日 (月)

『零式戦闘機の全て』デジタル素材頒布開始

零戦(ゼロ戦)フリー素材

「零式戦闘機の全て」デジタル素材集の頒布を開始しました。
商用利用OKです!
  
※イラスト・デザインは原則ベクターデータで
テキストのみラスタライズ埋め込みとなります。
 
https://booth.pm/ja/items/1021863

2018年9月11日 (火)

大谷地下空間に存在した戦闘機「疾風」工場と秘密基地計画(宇都宮市)

宇都宮市の大谷地下空間(大谷資料館)と四式戦闘機「疾風」

昭和19年後半から終戦にかけて
宇都宮市の大谷・城山地区の採石場地下空間は、
世界でも例を見ない広大な地下飛行機工場として稼働していた。
 
この地下工場で製造されていたのは大東亜戦争後半に登場した
四式戦闘機「疾風」である。(▲写真は地下工場で製造された疾風の胴体)

   
◆四式戦闘機「疾風」とは
「疾風」は中島飛行機が開発・生産を行った
重戦闘機で、「隼」や「ゼロ戦」の倍近くのパワーを発揮し、
速度、運動性、武装と防備、航続距離など いずれも優れ、
昭和19年4月の正式採用後、 陸軍は最も重要な
航空機として位置付け、大戦における運命を託した。
 
こうして 日本国民の総力を注いで送り出された
「疾風」は終戦迄の短い期間におよそ3,500機が生産され
(紫電改は約400機)大陸戦線、ビルマ戦線、フィリピン戦線、
および本土防空戦において活躍。
戦局の悪化に伴う部品の品質低下により、充分な性能が
発揮できず、苦戦を強いられたが、敢闘し、多くの敵戦闘機やB-29を
撃墜、あるいは 特攻機として出撃、 御楯となり 南溟に散った。
 
戦後、「疾風」を接収した米軍は品質の良い高オクタン価の燃料と、
プラグ交換等の整備を施しテスト飛行させたところ、
高度6,096mにおいて687km/hを記録。
P-51Dを上回るスピードだったため、
日本戦闘機の最高傑作と評価した。
 
◆大谷地下工場概要
「疾風」の製造は
中島飛行機太田製作所と中島飛行機宇都宮製作所
(現・宇都宮市陽南のスバル工場)で行われていた。
太田製作所では多くの機種が生産ライン上にあったが
宇都宮製作所は「疾風」を専門に製造するための
工場として稼働していた。

中島飛行機宇都宮製作所に並ぶ四式戦「疾風」 
▲中島飛行機宇都宮製作所に並ぶ四式戦「疾風」
(現・宇都宮市陽南のスバル工場)

  
昭和19年後半に入ると、宇都宮製作所も空襲の
リスクが高まった為工場疎開が決定。疎開先に選ばれたのが
大谷・城山地区の採石場地下空間であった。
 
大谷地区の地下空間は
総床面積7,387平方メートルの地下建物が五棟、
これに加え、宿舎や食堂などその他設備の総床面積
103,968平方メートルの分散した
七棟の建物群から構成されていた。
 
地下空間に続く縦坑は上空から秘匿するため、覆いが設けられ
連絡用の斜坑が、海軍の設営隊によって新たに掘削された。
 
地下工場は最も浅い場所でも地下55メートルにあって、爆撃から
守られていたが、その存在が終戦まで知られることなく、爆撃目標に
なることは無かった。また、崩落事故も一度も無かった。
 
昭和20年3月頃より、宇都宮製作所の「疾風」機体組立生産ラインの全部と
武蔵野製作所のエンジン生産ラインの一部疎開が開始され
大谷では6月に最初のエンジンが製造された。
  
◆城山地下工場概要

城山地下工場は前述の大谷工場と連携して稼働した。
城山工場は19区画、総床面積197,508平方メートルの
計画のうち8区画101,232平方メートルが完成した。
この区画に宇都宮製作所の「疾風」生産ライン全てを移す
計画であったがスペース不足により
一部は宇都宮製作所に残されていた。
最大の作業空間は御止山工場と呼ばれる
31,768平方メートルの区画で
板金部品の製造が行われた。
 
◆宇都宮大空襲による影響
7月13日の未明、宇都宮上空にB-29の梯団133機が姿を現した。
このときの爆撃目標は中央小学校で、市街地の無差別爆撃を行った。

当初、最も狙われると予想された陽南の中島飛行機宇都宮製作所への爆撃は無く
ほとんど無傷の状態で稼働が継続された。
ただし、人的被害による影響で工員の出動率は低下した。

なお、航空機塗料の「黄緑第七号」であるが、塗装のノリが非常に悪かった。
戦後、残っていた塗料で犬小屋を塗ったという証言があるが、
一日立たず、剥がれてしまったという。
よって、宇都宮で製造された「疾風」は塗装を省略した全てジュラルミン剥き出しの
銀色をしていた。
 
◆地下工場の総員と勤務体制
 
地下工場を支える工員の総員は8月に最も多く、
軍人、常勤、学生等、合わせて5,702名が在籍し、
軍人と常勤者は一日10時間勤務の二交代制、
学生は一日10時間勤務で就労した。
 

宇都宮市の大谷地下空間(大谷資料館)と四式戦闘機「疾風」 
▲地下工場で製造された疾風の主翼
  

◆大谷・城山工場で完成した疾風
元工員の証言によれば大谷・城山工場で
「終戦までに疾風は2機が完成した」とされているが
2機分のユニットが大谷・城山から宇都宮製作所へ
陸送され、最終組み立てを
実施したと考えるのが妥当であろう。
 

本西小学校北端の滑走路より離陸する「疾風」 
▲岡本西小学校北端の滑走路より離陸する「疾風」(想像図)

 
◆秘密飛行場計画
地下工場からロールアウト(完成)した「疾風」を直接発進させる計画が存在した。
この秘密飛行場計画は、現・国本西小学校を北端にして
国道293号線沿いを南側に向かって離陸専用の滑走路を敷設。離陸した「疾風」は一旦
清原飛行場に着陸し最終艤装を行ったのち前線へ送られる。この計画は、
滑走路要地に杭打ちを行ったところで終戦となったが、
将来的には、決戦に備えて、地下工場と飛行場を合わせた大規模な
秘密航空基地として運用されたであろうと想像できる。
 
出典

米国戦略爆撃調査団報告書(太平洋戦争)第15巻 経済分野の調査、航空機部門
「日本の航空機工業」(第15巻)
第1部 中島飛行機会社の地下工場
 
US. National Archives and Records Administration

2018年8月28日 (火)

ジオラマ製作

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イラストの背景として使う為、ジオラマ製作を行いました。
汎用のトンネルです。開口部と砂利道の道路は1/24自動車や
1/35戦車、1/72飛行機が収まる大きさとなっています。

2018年6月 1日 (金)

緑のトンネル

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緑のトンネルを作りました。航空機ジオラマ以外にも、
フィギュアや可愛いもののディスプレイにも向いていることが
わかりました。

Imgp4549 そして、こちらはネコバスです。
もうちょっと工夫して疾走感を出せたらいいなと
思ってます。雨のバス停とかでも雰囲気出ていいのかな?
時間ができたら作ってみます。
 
現在はグリーンのみですが、切った色紙を散りばめると、緑にお花が
咲いたように見えて、アレンジも楽しめます。

2018年5月21日 (月)

ミューンス水上基地

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こちらは実在したアラカベサン・ミューンス水上基地です。
  
本に載せようと製作しておりましたが、造作にアラが出てしまったのと
スケールが狂ったので、もう一度、作り直します。
地底空母を含め、こちらも欲しい方にお譲りします。(大きいです)

地底空母

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『紫電改のタカ』『エリア88』で有名な地底空母を作成しました。
作品中では崖の藪に突っ込むと、実は秘密基地で、という設定ですが、
若干アレンジして開口部に離陸用の橋梁を設けました。
離陸寸前の機体は紫電改のタカ仕様の黒い紫電改です。

2018年5月18日 (金)

アクアジオラマベース

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アクアジオラマベースを量産中です。
これはカクテルグラスの中に砂浜を表現しました。
 
水位を低く設定してあるので、お客様が購入後、
ご自身がお持ちの好きな水上飛行機や船を浮かべて
透明シリコンを流し込むことでオリジナルが完成します。
海面はほとんど透明になりますから、二層に分けてあるのがコツです。
リアルで透明感の高い綺麗なジオラマが完成します。


1/144スケールに最適です。

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▲こちらは通常バージョンのアクアベースです。この状態で納品されます。
 
▼そのベースを使った完成品(作例)です。飛行機は1/144です。

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