万世特攻平和祈念館
有名な子犬を抱いた少年飛行兵の写真です。
この飛行兵は荒木幸雄さんという方で
群馬県桐生市出身の陸軍少尉、17歳です。
子犬を抱いて、自分の飛行機に爆弾を取り付けている
様子を見ている、といわれています。
昭和20年、5月27日
荒木さんはこの写真が撮影された直後、陸軍特別攻撃第72振武隊として
沖縄へ出撃、戦死しました。
(第72振武隊は10名中7名が10代の飛行兵でした)
知覧を訪ねたのなら、ぜひとも万世も
知覧の特攻平和会館は実に有名ですが
同じ鹿児島県内に、同様に特攻隊員の遺書を展示した
施設があります。鹿屋(かのや)と万世(ばんせい)です。
今回は、そちらの、あまり知られていない
万世特攻平和祈念館へ行って参りました。
こちらは知覧と比べると規模は小さいのですが
展示内容は決して引けを取らないものです。
万世飛行場は吹上浜をならした急造の飛行場で
荒木さんが出撃したのは、この万世飛行場だったのです。
荒木さんの遺書、遺品は二階フロアに展示してあります。
▲海軍零式三座水上偵察機
本来、海軍の飛行機はここ陸軍の記念館にはミスマッチであるが、
吹上浜の沖から引き揚げられたのでその縁もあり、展示していると、
新人ガイドさんの話。なお、この機体の搭乗員三名は無事生還、
その経緯も記してあります。
▲慰霊碑自体は沖縄の方角を向いているが
搭乗員は東を向いている。これは再会を誓った九段の方角だという説
もうひとつは鹿児島は日本の西端なので、故郷の方角すべてを
向いているという説があります。
▲ベテランのガイドさんに案内して頂き、飛行場跡へ。
この側溝の板は当時からあり、画面右側が飛行場滑走路跡。
▲駐機場。荒木さんの写真の背景には松林が写っているので、
現在もそのまま松林である、記念館からこの辺りのどこか駐機場で撮影したの
ではないか、という説があります。
飛行場跡は直線道路。
特攻隊員の方々が、この神社を通りがかりに
ちょうど桜の花が咲く頃だったので、その枝を持って
コクピットに飾った。その桜の木は今はないのですが、
神社の石柱は当時のまま残されています。
飛行場跡地の海浜公園から吹上浜を望む。
万世特攻平和記念館 アクセス
鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3
大人300円、小人200円
9:00~16:30(閉館17:00)
無休(12月31日~翌1月1日休)
初めまして、いつも興味深く読ませて頂いております。
よくぞここまで研究、調査され頭の下がる思いです。
さて私も一度、万世を訪れたことがあるのですが、その時記念館でたぶん関係者と思われる人達
の会話を耳にはさみました。
その内容は、近くの吹上浜の砂の中には、かなりの数の旧軍機が埋められていると言うものでした。人の話ですので本当かどうか分りませんが、篠原さんはどう思われるでしょうか。
投稿: 相浦 封哉 | 2015年5月 3日 (日) 18:28
相浦様
いつもありがとうございます。
拙いものですが、恥ずかしくないよう勉強して参ります。
終戦後の武装解除に伴い、航空機を埋めたというのは
よく聞く話です。数が多いですし、民間の方も作業に加わったでしょう。
地元で年配の方に聞き込みをすれば何かわかるかもしれません。
吹上浜、折口の砂浜から僅か数十メートルのところに
343空の林大尉の機体が沈んでいて、今でも素潜りで
確認できるそうです。
以前、私の友人や地元有志がこの機体を引き揚げる計画があったのですが
いいところまでいったのですが自治体の気が変わり、頓挫してしまいました。
自治体の協力を得るのは大変なことですね。もっと関心を持ってもらいたいものです。
投稿: 篠原 | 2015年5月 5日 (火) 12:38
>この飛行兵は荒木幸雄さんという方で
群馬県桐生市出身の陸軍少尉、17歳です<
荒木さんの等身大のパネルが太刀洗平和記念館にありますね。
知覧平和会館には行きましたが、万世特攻平和記念館には行っていませんので機会があれば鹿屋、万世にも行きたいと思います。
知覧では会館に入り、隊員の遺影、遺書を見ているうちに悲しいという感情を通り越し、慟哭で胸が締め付けられる思いがし、暫く立ちすくんでしまいました。
会社に行く途中、高校のグラウンドの横を通るのですが、野球に興じている彼等の元気を見て、平和のありがたさ、そして17、18歳で散華された彼等を重ね合わせて見てしまいます。
飛行場後の道路、、、胸が痛みます。
若い方に知っていただきたいですね。
投稿: | 2016年2月 5日 (金) 21:42