中島飛行機ロゴマーク
中島飛行機のロゴを復元作成しました。(著作権失効済意匠)
中島飛行機は終戦とともに解体され幻となった航空機会社です。
その恐るべきマスプロ力によって帝国陸海軍の兵器製造を担い
国家繁栄に大きく寄与しました。
しかし夢幻の如く、
戦後、これを恐れたGHQは財閥の解体と、航空産業の一切を禁止し
惜しくも中島飛行機はここに消滅します。以後、富士重工業(スバル)や
日産自動車などへ技術や人員が引き継がれました。原則的に中島飛行機と
富士重工は別の組織ですが、その歴史を調べてみるととても面白いものです。
中島飛行機の開発・生産能力は日本一でした。
代表的な零式戦闘機は三菱重工の開発した飛行機ですが、
中島飛行機がライセンス生産を行い、最終的には三菱を大幅に
超える生産数を誇りました。しかもこの間に、四式戦闘機を四千機以上、
大型重爆、水上機なども並行して生産していたので、そのマスプロ力は
強大なものでした。
中島飛行機宇都宮製作所では糸川英夫博士の一式戦闘機「隼」をはじめ
四式戦闘機「疾風」、百式重爆「呑龍」など多くの機体が生産されました。
※四式戦闘機は宇都宮と太田の二カ所で製造されましたが
昭和20年2月の太田空襲で太田製作所は大きな損害を受けました。
宇都宮ではこれを回避すべく、四式戦闘機のエンジン工場を
宇都宮大谷地区の地下へ移しましたが、機体の組み立ては地上で行いました。
~地下工場へ行ってみる
昭和20年7月の宇都宮空襲で生産は大幅に落ち込みましたが
それでも終戦まで稼働し、終戦時にも宇都宮製作所の生産ラインには
ピカピカの武装された四式戦闘機が乗っていたそうです。
生産の背景には女子挺身隊(女子学生)の活躍など
多くの国民の心血が注がれたことは特筆すべき点であり
決して忘れてはならない事実であります。
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ホワイト)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ブラック)
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