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2013年6月13日 (木)

桜花カタパルト ロケット特攻機という悲しい歴史

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千葉県南房総市(旧三芳村)にロケット特攻機「桜花」の
カタパルト跡があります。
 
「カタパルト」というのは打ち上げ発射台のことです。
ロケット特攻機「桜花」はその名の通り、パイロットが搭乗し、
打ち上げられた機体は、
燃料尽きるまで飛び、敵艦に突っ込み、
二度と帰ってきません。
 
画面奥に向けて発射される造りで、完成間際で終戦を迎えた為
実際に使われることはありませんでしたが、本気でこのような
計画があったことがうかがい知れます。
 
発射台から射出された桜花は、ジェット推進により、200kmの
航続距離があり、
房総半島沖の敵機動部隊に肉弾となって
突入、自爆します。

 

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▲桜花の模型を合成し再現してみました。
戦時中は画面奥の木は伐採され、
開けていたのでしょう。
見据える先は太平洋です。
  

当時を記憶する地元の神職の女性(77)にお話を聞くことができました。
終戦間際(8月)突然、大勢の人たちがやってきて工事が始まりました。
カタパルトの直下に神社があり、立ち退きを命じられたということです。
「神様に立ち退きを命じるなんて、もうこの戦争はダメだね」
と当時を回想されていました。

 

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▲カタパルト直下にある神社は立ち退き、現在は小さな祠(ほこら)として
地元の方が綺麗に守っています。
 
カタパルト建設と並行して進められたのが壕を用いた格納庫の建設で、
掘削、発破作業とか
危険な仕事は朝鮮労働者が従事しました。
無理な工事がたたり事故も多く、現場からむしろがかかったご遺体が
運び出されるのを
何度か見てしまったとも仰っていました。
 
土地や財産は全て軍に接収され、土地の境界線に関しては
戦後の混乱もあり
現在でも所有権が有耶無耶のままだそうです。
畑の真ん中に作られたカタパルトもそのままです。

 

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▲コンクリートの土台のみ残っています。
ここにレールが敷設される予定でした。

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▲少し離れた山中にレールも残っています。

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▲横から撮影しました。画面中央、緑の土手の上にカタパルトが
敷設されています。

 

Photo

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▲桜花一一型の模型です。ゼロ戦と同じスケールです。

靖国神社の遊就館の売店で購入できます。


「桜花」四三型とは
このカタパルトで運用される予定だった
「桜花」四三型、乙について記す。
同機は桜花の初期型である一一型(一式陸攻に吊り下げて
敵艦隊の近くまで接近し、発進させるタイプ。実際に使用)
の改良型で、重量は1.15トン。一一型のおよそ二倍。しかし爆薬は
三分の二しか積めず、800キロだった。主翼の面積を
広げてグライダー的要素を強くした。
 
機体は名古屋市の愛知航空機および九州、大分の第十二航空技術廠で
生産され、エンジンは「橘花」と同じ20型ターボジェットを採用した。
 
カタパルトは巡洋艦用「呉式二号」の5倍の長さがあって
ここ南房総のほか、比叡山にも設ける予定があった。
なお、横須賀の武山では発射テストに成功している。
 
第725海軍航空隊は、昭和20年7月に開隊された
桜花部隊である。搭乗員を浦戸、三保空の甲飛14期生で
編成し、5機を1グループとして長野県の野辺山農場にて
まずグライダー訓練を行い、その後、練習機で操縦技術を
養ったが、実戦に至る前に終戦を迎えた。
 
※桜花四三型の出典
『別冊「丸」 太平洋戦争証言シリーズ15 終戦への道程』446頁

 「桜花」パイロット生き残りの証言

当時、桜花のパイロットで、出撃直前に終戦を迎えたため

生き残った鈴木英男さんのお話しはこちらに掲載しました。

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