富安俊助中尉とエンタープライズ
◆実在した「永遠の0」宮部久蔵のモデル
映画『永遠の0』最後のシーンを見た私は即座に
これは実在した富安俊助中尉のエピソードとそっくりだ!
富安中尉をモデルにしたのではないか?そう確信した。
以下、ネタバレを含む。映画『永遠の0』ラストシーンで
宮部久蔵は特攻隊として爆弾を抱いて敵空母へ突入する。
遂に横っ腹に突入するという寸前、90度急上昇し、敵空母の直上から
機体を真っ逆さまにして甲板へ突っ込むという壮絶なものであった。
ここまでは『永遠の0』の内容であり、フィクションである。
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◆以下、ノンフィクション
以下はノンフィクション。富安俊助という実在した零戦搭乗員の物語である。
富安俊助中尉は私が運営を務める第二師団の戦友会でお世話になっている
元第二師団第二連隊の陸軍大尉、水足氏(陸士56期)のポン友(親友)であり
家も向かいだったということで、思い出話をよく聞いていた。
そのエピソードを紹介する。
◆富安 俊助(とみやす しゅんすけ)
大正十一年、長崎県に生まれ、まもなく東京へ引っ越した。幼少期
は「メバチ」のあだ名で呼ばれた。早稲田大学に進学、大学では柔道
部に所属した他、全てのスポーツに長けており、また音楽を愛した。
在学中はハーモニカバンドを結成しコンサートを行うほどであった。
水足氏によれば「富安は兎に角、運動神経が抜群で、中学の鉄棒で
大車輪を何度もやっていた」という光景をよく覚えているそうだ。
昭和十七年九月、早稲田大学政治学と経済学の学士号を取得卒業後
満州鉄道に就職したが、僅か一年後の昭和十八年九月、学徒出陣を受
け海軍へ入隊。飛行専修予備学生として、筑波海軍航空隊へ配属され
僅かばかりの期間、訓練に励んだ。
◆鹿屋進出
昭和二〇年 四月二十二日
出撃を控え海軍鹿屋航空基地に移動。
◆神風特別攻撃隊「第六筑波隊」出撃
同年 五月十四日 午前五時三〇分
第六筑波隊の爆装零戦隊十五機は、五〇〇キロ爆弾を抱いて鹿屋飛行場を
飛び立った。滑走路の端一杯まで滑走して、ようやく機体が浮いたという。
途中、一機がエンジントラブルで引き換えし十四機となったが、同じく鹿屋を
発進した第十一建武隊、第八七生隊、第六神剣隊の爆戦十二機と合流し、
合計二十六機となって南方の米機動部隊を目指した。これを察知した機
動部隊はただちに迎撃隊を発進させた。特攻隊のうち十九機が迎撃戦闘
機により撃墜され、六機が対空砲火によって突入前に撃墜された。
◆富安機の突入
午前六時五十六分
戦友の犠牲のもと、ただひとり生き残った富安俊助中尉は、対空砲火
を避けて一旦雲に身を隠した。そして時折雲間から顔を出してはエン
タープライズの位置を確認しつつあった。一方のエンタープライズは
20分前からレーダーで富安機を捉えていたが、雲に隠れた富安機に
効果的反撃ができずにいた。エンタープライズが回頭し艦尾を向けた
瞬間、富安機は満を持して急降下突撃を敢行。エンタープライズは集
中砲火を浴びせたが、横滑りを駆使する富安機に致命弾を与えられぬ
まま、ついに懐への進入を許した。
そのまま横っ腹に突っ込むかと思われた刹那、富安機は五〇〇キロ爆弾
を抱いたまま、一気に引き起こし、艦の真上へ上昇した。雲間から射した
日光を浴びてゼロ戦の腹が輝いていた。富安機は一八〇度左旋回すると
揚力を抑えた背面飛行のまま、艦直上より前部エレベーターに突入した。
突入時の衝撃により前部エレベーターは上空およそ一二〇メートルまで
吹き上げられたエンタープライズは大破し、沈没こそまぬがれたが、航空機の
運用は不可能となり、戦線離脱を余儀なくされた。
▲エンタープライズ直上より背面飛行のまま突入を敢行せし富安俊助中尉機
◆艦上で富安中尉を称える式典が行われる
エンタープライズ艦上ではこの攻撃で死亡した空母クルーの水葬を
行ったのち、別の式典が行われた。これは敵であった富安中尉を称え
る名誉式典で、同式典により富安中尉の遺体は米水兵と同様に手厚く
水葬された。
米本土へ回航されたエンタープライズは入渠修理のまま終戦を迎える。
修理完了後は兵員引揚船として僅かに運用されたが空母としての
戦線復帰は果たせぬまま除籍。「ビッグE」栄光の歴史に幕を閉じた。
▲富安機突入の瞬間。上空120mまで吹き上げられたエレベーターが確認できる。
戦艦ワシントンより撮影。
◆犠牲となった特攻隊員
この攻撃で犠牲となった特攻隊員全員をここに記す。
以下昭和二十年五月十四日海軍鹿屋基地出撃。
機種はいずれも爆戦(爆装零式戦闘機)である。
氏名、出撃時の階級、出身都道府県、出身大学もしくは
予科練期別、生年の順。
第六筑波隊
富安 俊助 中 尉 東京 早稲田大 大正十一年生まれ
大木 偉央 少 尉 埼玉 宇都宮高農 大正十二年
大喜田久男 少 尉 徳島 日本大学 大正十年
小山 精一 少 尉 東京 中央大学 大正十年
黒崎英之朗 少 尉 福岡 慶応義大 大正十二年
時岡 鶴夫 少 尉 兵庫 京都帝大 大正十一年
藤田 暢明 少 尉 徳島 東京農大 大正十二年
中村 恒二 少 尉 茨城 早稲田大 大正十一年
高山 重三 少 尉 愛知 同志社大 大正十二年
荒木 弘 少 尉 愛知 東洋大学 大正九年
本田 耕一 少 尉 兵庫 法政大学 大正十一年
西野 実 少 尉 石川 拓殖大学 大正十一年
折口 明 少 尉 長崎 専修大学 大正十一年
桑野 実 少 尉 京都 慶応義大 大正十二年
第十一建武隊
楠本二三夫 中 尉 長 崎 久留米高工 大正十三年生まれ
日裏啓次郎 中 尉 東 京 法政大学 大正十年
花田 尚孝 一飛曹 北海道 飛練十二期 昭和二年
古田 稔 一飛曹 広 島 特乙一期 昭和二年
鎌田 教一 一飛曹 広 島 特乙一期 昭和二年
第八七生隊
藤田 卓郎 中 尉 愛 媛 拓殖大学 大正九年
橋本 貞好 一飛曹 富 山 乙飛十八 大正十五年
荒木 一英 二飛曹 新 潟 特乙三期 大正十五年
第六神剣隊
牧野 カイ 少 尉 石 川 明治大学 大正十二年
川野 忠邦 上飛曹 宮 崎 甲飛十期 大正十二年
淡路 義二 二飛曹 群 馬 乙飛十八 大正十四年
斉藤 幸雄 二飛曹 宮 城 乙飛十八 大正十四年
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