2016年8月19日 (金)

テープ起こし(2)

テープ起こしについてヤホーで調べて、勉強しています。
なるほど、USB接続のフットスイッチというのがあるようです。
ペダルで音声データのストップ&ゴーができる、両手はタイピングに
集中できるという訳です。
さっそくこれを買って試してみよう。
うまくやればお絵かきにも応用できるかもしれない。 
 

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単語も登録数を多くしていくと効率が上がります。
これは逐次進めております。
 
いちこうかん→一航艦
いっぴそう→一飛曹
かんばく→艦爆 
 
などなど、専門用語はもともとパソコンに登録されていないワードが多いので
その都度、言語バーから「単語の追加」を選択し、面倒でも登録して
パソコン様に覚えてもらっています。パソコン様は優秀なので
一度覚えたことは忘れない。
 

F

 
パソコンは覚える事が尽きません。

2016年8月18日 (木)

空母「翔鶴」の零戦パイロット

今回は、前回の「瑞鶴(ずいかく)」に引き続き
空母「翔鶴(しょうかく)」の零戦パイロットだった方の取材です。
 


YouTube: 零戦パイロットが語る航空母艦「翔鶴」への着艦・発艦方法

 
空母への着艦訓練は
非常に厳しいもので、着艦訓練を10日間連続で行うのですが
そのうちの一割は着艦に失敗して殉職すると言っても言い過ぎではないそうです。
戦死より事故が多かった。そうして残った搭乗員が出撃していくわけなのです。
ですから「瑞鶴」のときも書きましたが、マリアナ沖海戦の搭乗員が
練度不足などというのはデタラメなのです。
 
翔鶴はマリアナ沖海戦で沈みましたが、生き残った搭乗員は
次の空母へ乗り込むべく、機会を待っていました。
そんな虎の子の航空母艦搭乗員さえ、特攻を命じられます。
 
そこで、この分隊長であった大尉は
真っ先に自分の名前を編成表に書き、部下を連ね、参謀に
提出するのですが、
実際に受けた特攻命令では、自分だけがはずされ
部下だけが特攻に行くという事態になりました。
 
「なんでえらい奴が特攻行かないんだ!」と戦後批判を受けることも
ありましたが、実際はこういった事例も多くあったことを
知っておいてほしいものです。
 
この内容も『帝国陸海軍航空戦史』(仮)に収録予定です。

2016年8月16日 (火)

テープ起こし

ブログがなかなか更新できず、すみません。
 
零戦パイロットの方に
インタビューした内容は全てレコーダーで録音して
文字に起こします。これがなかなか大変で、
2時間の内容であれば、その3、4倍の6~8時間かかります。 
読みやすいよう編集(といっても話の内容が変わらないように
努めます)作業や、時代考察、調査を含むとさらに時間がかかります。
現在のところ、これがもっとも負担の大きな作業です。
 
このテープ起こしは
専門の業者さんがあって、安価にできるそうなのですが
それはやはり、失礼でもありますし、内容が理解不足となります。
 
やはり、元パイロットの方が、私のだけのために渾身となって
話してくださった事ですから、より深く理解するため、
自分自身でやるようにしています。

2016年8月 9日 (火)

パラオの電話帳に記載された人名が興味深い

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パラオの電話帳が手元に一冊あると便利だからと
仲間にお願いしたら、現地で貰ってきてくれました。
 
これで一冊でパラオ全国民の電話番号と住所を網羅しています。
パラオの人口は1万強ですから、これ一冊で足りるのです。
 

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パラオは海の国なので、満潮干潮の時刻と、月齢が書かれています。
お月様はパラオ国旗にも描かれている通り、パラオの人々にとって、
特別な存在で、信仰の対象ですので、とても重要視される訳です。
 
そして、何といっても興味深いのが人名です。
日本時代の名残で、日本由来の人名が多いです。

A4全てファーストネーム(名前)です。
サトーさん、タナカさん、サクライさん、ナカムラさん、ヤマモトさんなど、
親しかった日本人から取ってつけたのがはじまりだと云われています。

A4xイチローさん、ジローさん、サブローさん、シローさん、

A4f_2イシドーローさん(石灯籠の意)、キンタローさん、など。
 
ほんの一部を紹介しました。これだけでも、日本人との繋がりの深さが
理解できると思います。日本人とパラオ人は80年前から本当に
仲が良かったんですね

2016年8月 6日 (土)

大洗視察

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大人気アニメ映画「ガールズ&パンツァー」の影響で
茨城県大洗町がたいへん賑わっていると聞き、
早速、大洗へ視察へ参りました。
 

アニメ映画で使用された風景が大洗町のあちこちにあるとのことです。
今回は大洗マリンタワーへ。
 

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昔からある観光名所ですが、このたび大洗マリンタワーの2階が

「ガルパン」カフェとしてオープンし、平日の昼間にもかかわらず、
大盛況でございました。
店内の様子はあまりに混雑ぶりに撮影を
戸惑ってしまいましたので
1階だけでもアップします。
エレベーター前にあんこうさんチームの等身大パネルが迎えます。
 
マリンタワーの2階とはいっても、最上階の展望台すぐ下です。
通常の2階の感覚で行ってしまったら、驚きました。
最上階の展望台は有料ですが、ガルパンカフェの利用者は
2階までは無料です。

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こちらは大洗のアウトレット。アニメの中でも使われているようです。
実在する建物のコラボは面白いです。

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こんな感じで大洗町全面バックアップであります。
アニメの影響で戦車に詳しい若者が増えたのが確実ですね。
艦これもそうなのですが、アニメをきっかけに、旧軍の艦船や飛行機に
興味をもってくれたら
嬉しいです。

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ファンの方々、ぜひ大洗町へお出かけください。

2016年8月 3日 (水)

赤井照久氏『徹底抗戦・アンガウルの戦い』月刊『丸』掲載のお知らせ

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戦史研究家の赤井照久さんの執筆された、長編読物
『徹底抗戦・アンガウルの戦い』が8月27日発売の

月刊『丸』10月号に掲載となります。
赤井さんと私は、調査の過程でこのブログを通じて
ご縁がありました。赤井さんがアンガウルの戦記を送り出して
くださるということで、採用になるかどうか、ドキドキして
待っておりましたが、無事採用となり、非常に嬉しく
ここに報告する次第であります。
 
赤井さんは米陸軍第81師団の資料を調査し
アメリカ軍がどのようにアンガウル島を攻略していったか、
1200名のアンガウル守備隊を相手に、どれだけの犠牲を払ったか、
詳しく述べられています。 米陸軍81師団からの視点を
扱った書物は今まで無かったので、貴重な内容です。
 
同時に、書かれた日本側の視点では
不死身の分隊長と呼ばれた船坂弘軍曹を主軸に
書かれています。不死身と呼ばれる所以もこれを読めば
理解できるでしょう。守備隊がいかにして、徹底抗戦を
貫いたのか、戦闘の描写から窺い知ることができます。
わずか1200名の守備隊が2万人以上の米軍兵力
(および戦車・艦砲射撃・航空機)を相手に1ヶ月以上も持ちこたえた
事実は、世界中探しても極めて希な例であります。
 
船坂氏はアンガウル島から生還された後、渋谷の
大盛堂書店を設立。数々の手記を発表し

その売上で、パラオ各地へ慰霊碑の建立や遺骨収容を
積極的に行いました。戦友の弔いに最も心血を注いだ人物であります。 
 
赤井さんの本では、その船坂氏の数々の著書から
わかりやすく記事を抜粋してまとめてありますので、興味を持たれた方は
そこから個々の戦記をお読み頂いてもベストかと思います。
  
このアンガウル戦記は
精査に精査を重ねられた、最新版かつ、概要を知るにも
とてもわかりやすい内容となっています。
 
なお、『丸』8月号には、同じく赤井さんの書かれた 
『UボートU66vs護衛駆逐艦バックレイ』が掲載中ですので
ぜひとも合わせてお読みください。

2016年8月 2日 (火)

戦友の思い出を聞かせてください

四式戦闘機「疾風」

 
「戦友の思い出を聞かせてください」

 
これが一貫した私の取材テーマであります。
 
たとえばゼロ戦パイロットの取材のときは、
可能な限り、
部隊の名簿を作ってから行きます。
そして、そのお一人、お一人の戦友に目を通してくださると
今まで家族にも話したことが無かった、戦友の思い出、そして
散り際、特攻を見送った話などがでてくるのです。
 
こうした戦友の方々の記憶をひとつでも多く残して
おきたいと、考えています。
 
先日、百式のパイロットだった方のインタビューを行ったと
書きましたが、以前から陸軍機にも力を入れており、九七式戦闘機から
一式戦「隼」、二式単戦「鍾馗」、三式戦「飛燕」「五式戦」で終戦迄戦われた方の
インタビューを継続的にコツコツと取材を重ねております。
かなりのご高齢なので、体調を考えて一度のインタビューは30分程度と決めて
その都度、ご自宅の神奈川県に足を運んでコツコツと取材を重ねてきました。
 
そして海軍の花形であるゼロ戦も忘れてはいません。
8月だけでも5名のゼロ戦パイロットの方のインタビューを
岡山、兵庫などを回り行う予定です。
 
取材費がかかりますが、もう砂時計の砂は、残り僅か!
後になって会いたいと願っても!
一千万積んだって、一億積んだって、無理なのです!
 
そして最近、心強い仲間ができまして、交渉の下手な私に代わって、
ゼロ戦パイロットとの取材交渉を、
全て段取りしてくれて、アポイントを取ってくださっています。
本当にありがたいです。
 
いつか日の目を見ることを信じて!

2016年7月25日 (月)

戦争経験者の取材に関して

私は、
戦争証言を後世に残すため、全国津々浦々を訪問し、
取材を続けて参りました。
 
戦争経験者の方のお宅にお邪魔して録音機を回し、
証言を聞き取っていくというものです。
自宅に戻ってから、聞き取った内容を文字に起こしていきます。
最近は自宅で書き起こす時間よりも、取材に出かけている
時間の方が、圧倒的に増えました。
もはやタイムリミットは
刻々と進み、待ってはくれないのです。
 
お金もかかります。飛行機代等、全て自費です。
もし、うまく本の出版等やれば、活動費用が捻出できるかもしれません。
しかし、今申し上げました通り、証言を聞き取るだけで
文字に起こすまでが、追いつかないのです。
仕事もしていますので、全ての時間を使えるわけではありません。
理想を言うならば、活動に専念できる時間と資金が欲しいところです。
 
多くの方々の支援を受けて、現在がありますが、明確な
成果をお約束できるものでないので、難しいところです。
出来ることといえば、現状を報告するといったところでしょうか。
 
私は本来は表に出るのが得意なタイプではないのです。
じゃあなんで、ここに本名で顔写真まで載せているのか?
という疑問が出てくるかもしれません。
 
もし、このブログが匿名で書かれていたら、
ご覧になる方はどう思うでしょうか?
やはり、身分と顔がわかって初めて信用してもらえますし
私自身も責任を持って取り組めます。
自分などは何を言われても
構いません。
しかし、後世に歴史を伝える事は我々世代の責務だと
強く思うのです。
 
思う事を書いてみました。

百式の元パイロットへインタビュー

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今日は、百式司偵のパイロットだった方(大尉)に
インタビューをさせて頂きました。
 
百式司偵は、海軍の偵察機とは大きく役割・運用方法が異なります。
百式司偵の任務は敵無線の傍受、友軍同士の中継連絡、敵陣偵察など
多岐に渡り、それらで得たあらゆる情報を集約し

上空から直接陸上作戦の司令を行う、空飛ぶ作戦司令部です。
 

また、百式は日本陸海軍の中で最も速力に優れた機体でした。
敵陣上空へ強行偵察へ行っても敵戦闘機が追い付けないので

ゆうゆう振り切って逃げてきた話なども多く聞いてきました。
速さだけは自信があったそうです。
 
フィリピン戦線に於いては、百式のほとんどを海軍に貸してしまっていたそうで
海軍さんに操縦方法を教えたそうです。
 
このインタビュー内容も、
『帝国陸海軍機空戦記(仮)』に収録予定です。

2016年7月17日 (日)

旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(稚内市)

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◆「ニイタカヤマノボレ」や「硫黄島決別電文」を中継した海軍通信所
北海道稚内市の戦跡を見学する。

この赤レンガの建物は海軍さんの通信所で
昭和6年に開設。
海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所と呼称した。
平屋の送信所施設、そして隊舎を備えた大規模な施設で
当時は鉄塔のアンテナが立っていた。それらを周囲の樹木に隠蔽されるように
なっている。現在でも周囲は深い森で、その面影は残したままだ。
 

有名な電文「ニイタカヤマノボレ」は、ここから択捉島、単冠湾の
南雲機動部隊へ中継された。真珠湾攻撃の歴史がここ稚内にもある。
 
その他には昭和20年、3月17日の硫黄島玉砕の際、最後の突撃および決別
電報を栗林中将から傍受するなど、最北の無線基地として
重要な電文連絡を行った歴史的価値の高い戦跡・史跡である。
 
◆深い森の中から突然現れる廃墟群
近年、赤レンガの老朽化が激しく、積雪により屋根は崩壊している。
現在は危険のため、立ち入り禁止となっており
見学にはガイドを伴う事前予約が必要。
 

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事前予約し、稚内市のガイドさんに
門を開けてもらい、中へ入る。

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深い森の中を進んでいくと、突然、目の前に廃墟群が現れる。
異世界へ迷い込んだような、
この雰囲気は当時のままだ。
 
◆所在地・アクセス
北海道稚内市声問村
稚内空港から道道121号線を南におよそ3キロ
恵北集落へ入り、1119号線を左折して間もなく
入口がある。
 
◆見学の問い合わせ先 
教育委員会教育部教育総務課
稚内市中央3丁目13番15号
総務管理グループ
23-6518(直通) 文化振興グループ 23-6056(直通)
 

2016年7月14日 (木)

猿払電話中継所跡

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猿払電話中継所跡
宗谷岬から南におよそ30キロ、
猿払村の浜猿払(漁港)付近に
猿払電話中継所跡が残されている。
  
この場所から五本の海底ケーブルが
樺太、真岡まで伸びており、北海道と樺太を繋ぐ中継拠点であった。
現在も海底ケーブルは残され、
ここ猿払では、埋め込まれた一部を見ることができる。

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昭和二十年、八月十五日、終戦。その五日後の二十日。
ソ連軍が樺太は真岡(まおか)に上陸を開始した。
民間人をも無差別に殺傷するソ連軍の進攻に対し、
日本軍守備隊ならびに取り残された民間人は徹底抗戦を
貫き玉砕した。
 
その際、真岡郵便局に交換手として勤めていた、若き女性9人が
いた。女性たちは北海道との通信を保持するため、自主的に残ること
決断し、最後の瞬間まで通信を続けた。
 
女性たちは刻々と迫るソ連軍の進攻に対し、最後まで
職務を全うし、ある者はソ連軍の攻撃で戦死、
そして、郵便局のすぐそばまでソ連軍が迫ると、残った者は全員
青酸カリで自決する。北海道、内地へ向けて行った
最後の通信が、ここ猿払の石碑にも刻まれている。
 
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」
 
その最期の声を伝えたケーブルの一部がこれである。

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ここ猿払の海岸から、いまは異国となった樺太の望み、
殉じた九名の女性たちに哀悼の意を捧ぐ。

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猿払電話中継所跡へのアクセス
国道238号線から浜猿払の漁港・集落方面へ入る。
漁港の北側、「海王食品」に面する道を挟んだ反対側にある。
 

2016年7月13日 (水)

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48「彗星」ファインモールド製です。
機番号311-212は空母大鳳の彗星艦爆隊で
平原政雄大尉の二番機だった小松幸男飛曹長と国次萬吉上飛曹ペアの
機体です。
ll-212と表記する説もありますが、写真が残っていないので
どちらだったか解明されていません。この彗星の敢闘を目撃した
藤本さん(インタビューした内容の一部)の話をまとめます。

  
◆魚雷に対し自爆した彗星
時は昭和19年6月19日、
マリアナ沖海戦、一航戦は、零戦、彗星、天山による
編隊を組み、米機動部隊へ向け進撃を開始つつあった。
そのとき、米潜水艦より発射された魚雷が二本、大鳳に向かう。
 
「私の600メートルくらい前、彗星艦爆が一機、横切ったんですよ。
彗星が編隊を離れて、250kg爆弾を抱いたまま魚雷に向けて
ザバーンと、雷跡に突っ込んで行きました」
 
瑞鶴零戦隊の藤本速雄氏の証言によれば、この彗星は大鳳から発艦した

彗星艦爆隊長、平原政雄大尉の二番機だったという。
 
資料によれば、この平原大尉の二番機は、
小松幸男飛曹長(甲7)と国次萬吉上飛曹(乙11)の機体だった。
 
彗星は大鳳を守るため、魚雷へ自爆を敢行したと云われるが、実のところ、
雷跡の存在(あるいは敵潜水艦の位置)を大鳳へ知らせる為に
咄嗟に取った行動で、急降下によってスピードがつきすぎた為、
そのまま海面へ衝突してしまったのではないか?
とも藤本氏は推測している。小松上飛曹、国次上飛曹ペアは
戦死したので現在となっては謎である。

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

2016年7月10日 (日)

知床へ行ってきました

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知床(しれとこ)に行ってきました。
元「雷電」搭乗員のインタビューであります。この方は、厚木の三〇二空で
多くのB-29を撃墜したことから、戦後、GHQによる処刑から逃れる為、
昭和20年8月、直ぐに北海道開拓団に参加、現在に至ります。
(是非はともかく戦勝国であれば英雄だったでしょう)
 
この辺りの土地は痩せており、大変な苦労があったと話を伺いました。
「開墾した分だけいくらでも自分の土地になる」という文句で参加したものの、
満州や樺太からの引き揚げ者で溢れ、実際は僅かしかもらえませんでした。
 
空いた時間を利用して、北海道の戦跡も見学してきましたので
少しずつ紹介していきます。
 
上の写真、奥に見えるのは国後島です!

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2016年7月 6日 (水)

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羽田から飛行機で北海道へやってきました。

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釧路空港上空を通過して、女満別まで飛びました!
女満別空港は旧美幌海軍航空隊第二航空基地跡です。
プリンスオブウェールズ、レパルスを撃沈し
有名を馳せた一式陸攻の基地です。
 









2016年7月 4日 (月)

「雷電」パイロットへのインタビュー

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今週は「雷電」のパイロットだった方へインタビューを行います。
今回インタビューする方は、厚木の第三〇二海軍航空隊で
赤松貞明中尉の二番機を務め、B-29やP-51と空戦を経験されました。
(下記の動画4分33秒辺りで登場する指導役の搭乗員が赤松さんです)
 
最後の空戦では頭部に被弾、負傷し、片目の見えない状態で
不時着成功しました。「雷電」での不時着は難しく
事前に電話でお話しした際、
 
「雷電で不時着することは、これはもう殉職と同じですから」
と語ってくださいました。
 
「雷電」の着陸速度は87ノット(大凡時速162キロ)です。
ゼロ戦二一型の着陸速度64.5ノット(同119キロ)と比較しても
高速であることがわかります。この速度が着陸時における難度を上げ、
訓練時間の短い搭乗員には恐れられました。
速度だけの問題ではありません。雷電は翼面荷重がゼロ戦に比べて
恐ろしく低く、不安定な飛行機でありました。
 
とはいえ、戦後、「雷電」を鹵獲しテストした連合軍には好評価でした。
機体にトラブルを抱えず、きちんと訓練時間を重ねていれば
問題の無い着陸速度でした。
 
当時から「殺人機」「欠陥機」などと不名誉な噂が払拭できない
「雷電」ですが、数ある海軍戦闘機の中で
最も多くのB-29を撃墜した機体です。形はズングリムックリで
お世辞にもスタイルが良いとは言えませんが、
パワーだけは飛び抜けており、他を寄せ付けない
迫力がありました。そうした魅力から「雷電」に
根強いファンがいるのも確かです。
 
「雷電」について、今回は掘り下げて行きたいと考えています。
 
※画像は352空の雷電
 


YouTube: [日本軍] 局地戦闘機"雷電(らいでん)" Mitsubishi J2M"Jack"

2016年7月 1日 (金)

憧れの樺太

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来週、北海道に行くので
ついでに樺太へ行けないかと考えていた。(画像は樺太庁立博物館)
樺太へは稚内からフェリーが出ているほか、函館、新千歳から
航空便も就航している。

 
樺太(からふと)はかつて日本領土であった。
年配者の話を伺っていると、樺太の出身者は予想以上に多い。
北方領土同様、
故郷を無くした者の気持ちは察するに堪えがたい。
現在はロシアの支配下にあり、極東サハリン州となっている。
 
さて、戦前戦中まで
樺太には樺太庁の置かれた最大の都市、豊原(とよひら)市、
国境の町、敷香(しすか)町、そして真岡(まおか)町などがあった。
ユーラシア大陸との境を我が国は間宮海峡と呼称し、ポーツマス条約により
樺太島の南半分、すなわち南樺太を領土として
発展を遂げてきた。

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昭和20年8月20日、ソビエト連邦軍が
真岡に上陸。北海道を奪うべく南進を開始した。
(占守島の戦いとは区別される)
 
この戦闘により陸海軍人2000人、
民間人3000人以上が死亡したとされる。
逃げ遅れた民間人はソ連軍の迫害を恐れ、自害した。
 
同年2月に行われたヤルタ会議でソ連は
北海道の全部、妥協して、旭川から北半分の割譲を主張したが
英米がこれを許さなかった。ソ連にしてみれば
太平洋の要衝である北海道と宗谷海峡は是が非でも欲しかった。
ヤルタ会談で主張が通らなかったので、終戦直後、
日本が弱りきったところに
武力で奪いにかかったのだ。
 
しかし、真岡の徹底抗戦により、日本軍民は
ソ連の進攻から樺太および北海道への進路を死守。
樺太は奪われたが、後世日本に北海道を残した。

 
ここでもう一度、写真を見てみよう。
樺太庁立博物館は壊されず残り、現在も博物館として利用されている。
(写真はRFより購入)
戦前日本の建築物はなんと厳壮なる佇まいであろうか!
 
ぜひ、樺太へ足を運んでこの目で見たい。

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もし、北海道へのソ連軍が進攻していれば
現在、北海道は南北で分断され、戦後のベトナム、東西ドイツ
南北朝鮮のように
分断されていたであろう。
こんにち存在する北海道の安泰は、
樺太の人々犠牲の上
成り立っているものだと
肝に銘じておきたい。

零戦画像集その1

ゼロ戦画像まとめです。
 
記事で使用しました零戦の画像・写真・イラストの一覧を作りました。
優美な姿を多くの方にご覧になって
ゼロ戦を好きになって頂ければと
思います。
 
私自身が作成した他、ライセンスを得る等、お借りしている画像もありますので
利用希望の方は必ずお問い合わせください。
 
逐次追加していきます。

52型と21型

零戦21型岩本徹三機

零戦52型

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零戦21型レプリカ(テキサン)

二式水戦

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零戦型式一覧零戦21型と52型の違い

零戦21型「赤城」進藤三郎大尉機

零戦64型(54型丙)

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零戦52型

零戦52型

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零戦52型

零戦52型(261空)

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零戦中島三菱塗装の違い

▲南溟の桜(当サイト)

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四式戦「疾風」

艦上爆撃機「彗星」一二型

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百式司令部偵察機三型

雷電(青木機)

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紫電改(菅野直機)

飛燕(244戦隊)

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2016年6月25日 (土)

サークルカット(震電)

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7月末に開催されるイベント用サークルカットを製作しました。
今回は震電です。実際はモノクロになるのですが
カラーで出力してみました。
 
イベントで実際にお客さんと話していると、
零戦を知らない若い女の子が、
なぜか震電だけは知っている不思議。
ややSFの要素があるのだろか、人気の飛行機です。

2016年6月22日 (水)

九六式艦上戦闘機(紙飛行機)

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先日、販売致しました紙飛行機おじさんの紙飛行機、
1/48九六式艦上戦闘機です!(お陰様で完売致しました!) 
 
この品は単なるペーパークラフトでなく、紙飛行機なので
飛ばして遊ぶことができる上、模型として
棚に飾っても遜色ないスタイリング・精度となっております。
九六式独特の尾翼形状、赤の保安塗装と、マニアにも垂涎ものであります。
  
他には赤とんぼ、二式水戦、彗星などがラインナップされております。
如何でしょうか。
  
さて、明日木曜日は、恒例の戦友会で東京、市ヶ谷へ参ります。

2016年6月21日 (火)

ブルーホーネット

ブルーホーネットの展示飛行を早速アップされている方が
いらっしゃいましたので掲載します。


YouTube: ブルーホーネット飛行展示 北宇都宮駐屯地 開設43周年記念行事

北宇都宮駐屯地記念行事無事終了

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北宇都宮駐屯地記念行事、無事終了致しました。
梅雨の最中でありましたが、晴天に恵まれ、ブルーホーネットによる
飛行展示も行われました。
 
店番をしておりましたので、展示飛行の写真を撮ることは
できませんでした。大迫力でしたので
他の方の画像や動画を探してみてください。
必見であります。
 

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▲TH480と各ヘリコプターの展示、格納庫の解放などなど
 

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▲航空機よりも人気だったストライカー(消防車)
特撮もののマシンみたいでかっこいい!
 

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▲でかい!!ラジコン雷電!
時速200キロ出るらしいです。 
  

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当方がデザイン致しました
ブルーホーネットTシャツ、100着を当日限定で
販売致しました。
 
なんと、開門から1時間半で完売!肝心の
ブルーホーネットが飛ぶ前に終了となってしまいました。
ありがとうございます。
多くの問い合わせを頂戴しましたが、

朝早くから並んで求められた方がいらっしゃいますので
再販はせず、これ限りとさせて頂きます。
 
また、四式戦闘機の展示とポスターの配布を行いました。
「これはいくら?」と何度も
聞かれる程の人気でした。
子供さんにさわられまくって壊れましたが100パー想定内です。
何より多くの方に見て頂いたので満足であります。
これを機会に宇都宮と四式戦闘の関連を知って頂ければ
幸いであります。
  
また、紙飛行機おじさんの1/48紙飛行機を販売。
こちらも一機を除いて完売致しました。
 

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当日は
遠くからお越し下さった方もいらっしゃいまして
また「いつもブログ見てます」という方も結構いらして
とても嬉しかったです!
 
来て下さった方、本当にありがとうございました!
 

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2016年6月13日 (月)

6月19日は北宇都宮駐屯地記念行事2016

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2016年6月19日(日曜日)は、陸上自衛隊
北宇都宮駐屯地にてイベント
「北宇都宮駐屯地記念行事」が行われます。
概要が発表されましたのでお知らせします。
   
目玉はなんといっても航空ショーで、
自衛隊、ヘリコプター唯一のアクロバットチーム
「ブルーホーネット」
TH-480B(6機編隊)による展示飛行が行われます。

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機
 
基地の内部、エプロンおよび格納庫解放し
普段はお目にかかれない基地の内部を見学できます。
自衛隊さんの売店も面白いですよ。
限定グッズを販売しております。
ぜひ6月19日は北宇都宮飛行場へおいでださい。
 
なお、チラシにはヘリの地上滑走体験と書いてありますが・・・
それは建前であります!申し上げたい意味は
おわかりになりますでしょうか!ぜひいつもの街を
空から眺めてみてください!

 
お車で来場の方へ
駐車場は無料ですが、一般道から長い順番待ちができますので
なるべく公共交通機関をご利用になるか、早めに到着されることを
おすすめします。

2016年6月12日 (日)

模型製作

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療養中ということにして久々に本気で模型製作。
 
1/48のゼロ戦丙型であります。
鳴尾の332空仕様。機番号は推定であります。
雷電隊が100番台を付与されているのに対し、零夜戦隊は
40番台。332空では雷電とゼロ戦の丙型が同じく局戦と位置付けられ
B-29の邀撃を行いました。機番号の付与は零夜戦と昼間用の零戦は
別ではないかと考えまして今回は120番台としました。
 
完成品はひどいものですが(笑)観賞用でなく
講演会などで説明用程度には使えるだろうと思います。

2016年6月11日 (土)

Z旗翻るマリアナの空へ

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撮影・加工しました。
瑞鶴の飛行甲板より出撃する零戦52型です。
他のバージョンも製作中です。

2016年6月10日 (金)

YS-11宇都宮へ飛来 ♯151

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今日6月10日
入間の飛行点検隊のYS-11が北宇都宮に飛来しました。
自宅のベランダから撮影。今回も151号機でした。
 
前回目撃したのは10月5日だったかなと思います。
北宇都宮の飛行場まで見に行きましたから。
そのときの記事です。
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2015/10/--8a0e-1.html
 
おおむね3ヶ月ごとに飛来しているようです。

2016年6月 8日 (水)

市ヶ谷の釣り堀と江戸城の外濠

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偕行社に通っているので総武線市ヶ谷の駅をよく利用します。
少し時間があったので
ボケっとベンチに座って釣り堀を見ていました。
 

右側は江戸城のお堀の一部ですよね。東京もこうしてみると史跡が多く
面白いです。江戸城(皇居)のお堀には推定200歳の鯉が棲んで
いるとか。巨大な鯉を見たという報告は多いですね。
 

いつもカメラを持っているのですが、撮りだすのが面倒で
けっこう素通りしてしまいます。
これからはもっと日常風景を撮影していこうと思います。

2016年6月 7日 (火)

鹿対策にヘッドライトを交換

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都会に住んでいる方にはわからないと思いますが、栃木の田舎では
真っ暗な道が多く、昨今特に鹿の出没が増えています。
夜中に鹿と衝突して窓ガラス貫通し、運転席に飛び込んできた鹿が
運転手に突き刺さり、死亡事故になった例も
あります。通常の保険はききません。(車両保険はききます)
 
明るめのヘッドライトを装備し、街中ではフォグは消灯しますが
山道では常に点灯し、鹿を避けるよう運転しています。

そこで梅雨に入る前にヘッドライトを交換しました。今までは

国産(PIAA)製のHIDを使っていたのですが、
最近のLEDは遜色ない品質だと聞き、早速交換したところ
IPF(国産品で2万円くらい)HIDと同じくらいの明るさでした。
バラストも必要ないのでスッキリしています。
 
ついで黄色のフォグランプを取り付けました。頑丈さが売りの三菱車です。
バンパー外さないといけないのでややしんどいですが
無事終了。

2016年6月 6日 (月)

ギンヤンマの羽化成功

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今年は、庭のビオトーブでクロスジギンヤンマのヤゴ(幼虫)を
飼育していました。ピンセットで生餌をやったりと、世話が
大変なのですが、この神秘的な光景は一生ものの価値があります。
未明に水から這い出して、羽化に成功。無事一部始終を見守りました。
明け方に飛んで行ってしまいました。
 
クロスジギンヤンマのヤゴは
ため池などに棲んでいて水流に弱いので
エアレーションは使えませんが、汲み置きのビオトーブで
なんとかなりました。一昨年の夏はオニヤンマの羽化にも
成功していたので、同じような要領で飼育した結果、成功でした。
 
黄緑色と水色が特徴の綺麗なトンボです。
そして私が一番好きなトンボです。

2016年6月 5日 (日)

原田要さんお別れの会

善光寺で行われた原田要さんお別れの会へ参列致しました。
原田さんの御霊前に手を合わせ、また参列された方々と
思い出話をしまして、ご遺族ともお目にかかってきました。
 
原田さん、残念です。もっと長生きしてほしかった。
本当にありがとうございました。原田さんが遺された
不戦の誓いを果たすべく頑張ります。 

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2016年5月27日 (金)

たくさんのお申込みありがとうございました

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来たる5月29日(日曜日)に開催されます
磯部喜一憲兵曹長の講演会、たくさんのお申込みを
ありがとうございました。
 
98歳の磯部氏も
「自分の体験を一人でも多くの若い世代に伝えたい」
との
意気込みで臨まれます。
 
当日配布される分厚い資料も磯部氏が自ら一冊一冊
手作りしてくださいました。
 
ご参加の皆様、

当日は気を付けてお越しください。皆様と
お目にかかれます事を心待ちにしております。

2016年5月26日 (木)

願ってやまず

先日、お目にかかったのは第55戦隊の飛燕のパイロット
A少尉のご遺族でした。A少尉の

第55戦隊は第244戦隊とともに知覧の防衛と
特攻機の掩護を担った部隊です。
 
昭和20年、A少尉は知覧上空で、空襲にやってきた
シャングリラ隊のシコルスキーコルセアF4U-Dを2機撃墜後、
さらに体当たりし、結果的に3機を撃墜しております。
 
体当たりののち、A少尉は落下傘降下に成功しましたが
それを見ていた僚機米軍パイロットも
頭にきたのでしょう。
降下中を狙い、落下傘を切断。少尉は地上に激突戦死したようです。
市街地上空だったため、目撃者が多くおりました。
 
ご遺族はなぜ落下傘を切断したのか、また
最期の瞬間何を思っていたのか、そればかりを考えているようでした。
戦争ですからね・・・としか私は申し上げられませんでした。
 
しかしながら、こうして70年経過した今も
武勲を讃え、後世に語り継ぐことを大切になさっています。
そうした思いを誰もが忘れず、ずっと残していきたいと
願ってやみません。

2016年5月25日 (水)

原因不明の症状

私はどちらかというと普段から健康に留意し、体力には自信があるほうで
有酸素運動と筋力トレーニングをバランス良く
組み合わせ、体脂肪率も8パーセントを
保持するよう努めております。
食生活は栄養バランスを考え、腹八分を心掛けています。

しかし、ここ二週間ほど
原因のわからない体のだるさが続いており
立って歩くのがやけにしんどい状態でした。
 
それでも昨日は遺族と面会の約束をしていたので
東京の立川市へ行ってきました。
用が済んで、帰りの電車は運よく座ることができたので
2時間位、ずっと座っていました。
 
最寄駅に到着して立ち上がったところ、心臓が激しく動き、
やや意識が遠のきまして、これはまずいと思い、
救急車を呼んでもらおうか、そんな考えが頭を過りましたが
こんな程度で救急車を要請しては、恥ずかしいような、
申し訳ないような気持ちになり、
とりあえず、しばらく座って休んでいたところ、収まりましたので
駅から車を運転して帰宅した次第です。
 
かかりつけの内科で大苦手の血液検査をしたところ
どこも悪いところはありませんと言われました。
  
内科医に「きちんと水分補給はしていますか?」と聞かれましたが
私はパラオや硫黄島で
「水分は小便が透明になるまでシッカリ飲め」と
教わっていましいたので欠かすことはありませんでした。
 
検査結果はよかったのですが、未だ原因不明で
動悸やめまいがするので、今は自宅で安静にしています。

2016年5月22日 (日)

扇風機を改造してみた

零戦扇風機

当ブログの画像をまとめサイトへ転載することは禁止しております。
利用料金を請求させて頂きます。
 
最近、特にまとめサイト等で文章を転載したり
画像を無断で掲載されるケースが多くなってきました。
まとめサイトで行われている行為は引用でなく、転載と見なします。 
 
第一条第六項
まとめサイト・二次配布・商用・アフィリエイト等の目的で転載が確認された
場合は、80,000円をお支払い頂きます。(削除の有無にかかわらず)
 
当サイトを訪問し、画像を無断転載された場合は
規約に同意されたものと見なします。
 
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浴室の脱衣所の扇風機が古くなっていたので再塗装。

元々は白だったのですが経年劣化でかなり黄ばんでいました。
ちなみに20年もの。
思いつきで零戦カラーにしてみました。
 
サーフェイサーも吹かずにやっつけ仕事です。モーターの開口部を
マスキングしてエアブラシでおおまかに塗って、細かいところは筆塗り。
余っていたデカールを適当に貼って完成。
 
浴室は家族以外誰も来ないし、まあこんなモンでいいかなと、
しかしながら空は飛べません。

2016年5月21日 (土)

炎天下で曲がってしまった

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今日はイベントでした。

お客さんや子供さんが喜ぶので
なるべく商品の見本を躊躇なく開封して組み立てて
展示してるんですが、
 
アクリルケースに密閉したのがよくなかったか!
炎天下で湾曲してしまい、破損を招いてしまった。
仕方ない。またつくろう!

2016年5月16日 (月)

知覧の隼

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私の全国零戦巡りの旅(正確には陸海軍機巡りですが)
写真を整理していて色々と出てきました。
 
知覧の隼、これが残念です。
細かい部分までよく再現されているのですが
汚すぎます。元々の色が何色なんだかわからなくなっています。
ひとつ前の記事のゼロ戦と比べるとあんまりな状態です。 

  
文字通り風化しているではないですか。
まずは、この機体を綺麗してほしいと願っています。
 
この隼三型は、特攻機仕様で、左翼下に増槽、右翼下に爆装と、
その佇まいを眺めているだけで、涙が出てきます。
 
一般的な胴体下(中央)に爆装でなく、片翼に増槽と爆弾をひとつずつ、
というアンバランスな組み合わせが涙もんなのです!
展示機で爆装しているのはこの機体だけです。
説明書きはなくとも、自然と感じるものがある筈です。

零戦巡りの旅ゴール

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日本に現存するゼロ戦を巡ってきましたが
このたび名古屋でコンプリートし、ゴールとなりました。
 
巡ったのは以下の通りで、全て写真も自分で撮影しました。
これからそれぞれの特徴をまとめていきたいと考えています。
  

◆鹿児島県
知覧特攻会館(零戦52型、隼、飛燕、疾風)
海上自衛隊鹿屋資料館(零戦52型)
 
◆大分県
宇佐市平和資料館(零戦52型レプリカ)
 
◆福岡県
大刀洗平和記念館(零戦32型)
 
◆広島県
大和ミュージアム(零戦62型)
 
◆愛知県
三菱重工名古屋航空宇宙システム
製作所史料室(零戦52型、秋水)
 
◆静岡県
航空自衛隊浜松基地広報館(零戦52型)
 
◆山梨県
河口湖自動車博物館(零戦21型、52型、一式陸攻)
 
◆東京都
靖国神社遊就館(零戦52型)
上野国立科学博物館(零戦21型)
 
◆青森県
青森県立三沢航空科学館(21型レプリカ)

2016年5月15日 (日)

戦友会の行方

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昨日は靖国神社で私が代表事務を代行する戦友会の慰霊祭でした。
部隊の創設日に合わせて例年開催しています。
 
今年は戦友四名、親族遺族五名、有志四名が
集まり、昇殿参拝を行いました。
靖国神社の本殿は木洩れ日と心地よい風に包まれ
時折、柏手を打つ音が遠くから聞こえる程度で
都心とは思えない静かな雰囲気でありました。
 
94歳の元大尉は
「今年も戦友に会う事が出来て本当に嬉しかった。戦死した者
先に逝ったもの、それに我々も、これからそちらへ
行くだろうから待っていてください」と言いました。
 
戦友会員の最年長は98歳です。
九段下の駅を降りて、大鳥居をくぐり、長い参道をゆっくり40分かけて
歩いてくるのです。まだ五月で心地よい気候ですが
八月ともなれば堪えることと思います。
 
戦友会は毎月開催していますが、先月も会員に不幸がありました。
毎月、今月もちゃんと来てくれるだろうか、とヒヤヒヤしております。
 
戦友会を見てきて、私が感じる健康長寿の秘訣を書きます。
言葉を選ばずに書きますとボケ防止と健康の秘訣は
おおきく二つ。歩くことと、コミュニケーションをとることです。
 
出掛けた先で家族以外とコミュニケーションをとることが何より
脳への刺激となります上、楽しみも増えます。
それには、歩いて出かけようという意思がなければ
叶いません。先ずは健脚を保持。
 
体力が無くて億劫だからと家に居てばかりではいけないでしょう。
新しい事が無いと、ボケが急激に進みます。もちろん無理は禁物ですが
適度な負荷は必要です。付添いのご家族も、何をやるにも
「甘やかせないでなるべく本人にやらせてください」と言います。
 
健康で長生きされる方に共通して言えることは
常に探究心と好奇心を持っています。綺麗な女性が好きです。
タバコも好きですし、歌も歌います。
 
先日は94歳の方が
「コレ買ったんだけど、使い方を教えてくれ」
とタブレット端末を持ってきたので驚きました。
 
運営当初は高齢者を大事にするあまり
結構、恐縮していたのですが最近は割合、言いたいことを
言えるようになりました。
 
ともかく、我々は最後の一兵まで
お付き合いするつもりです。

2016年5月13日 (金)

フライング・ダイナソー搭乗

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私は無類の絶叫マシーンマニアであります。
この度は大阪へ行ったついでにウニバーサルスタジオを訪園し
念願だった新作、フライング・ダイナソーに搭乗致しました。
 
このマシーンの感想を書きます。
富士Qのように高度がないので、あまりスリルはありませんが
宙返りと疾走に伴う爽快感は充分に楽しめます。 背面飛行のまま
宙返りするので、レッドアウトが体感できる国内では貴重なマシーンです。
飛行機好きはぜひ!
 
ディズニーと比べたらかなりいいです。ハリーポッターも搭乗しましたが
こちらはほとんどがバーチャル映像で テレビCMのような鮮明さは
ありませんでしたし、乗り物のカゴが ゴトンゴトン動いているだけなので
それなりでした。

不動産投資勧誘の電話がかかってくる。
「私、〇〇の者ですが、今度新しく出来るマンションがありまして
〇〇まで歩いて数分という好立地ですし、ナンタラカンタラ」
東京の一等地にマンションができるから、購入しないかという旨らしい。
一方的な電話を聞いていれば、こちらの名前も住所も知らないようだ。
 
「どちらへおかけですか?」と尋ねても言葉を濁す。
 
それで
「どうしてこの電話番号知っているのですか?」と尋ねると
 
「東京データシステムというところから購入していまして・・・」
 
と、なんとも正直すぎるほどの回答。
この会社に連絡して、何とか削除してもらえないだろうか。

アンガウル島の調査派遣

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今年はアンガウル島の遺骨調査へ参ります。
 
現段階でアンガウル島の遺骨収集は、
まだ調査段階にあります。大勢を引率しての
行動は難しい為、先ずは私を含む島の地形を知る経験者
2、3名での少数精鋭が派遣となりました。

 
まず、台風で多くの木が倒木したので、それを伐採して、玉砕地点への
道を作らねばなりません。それからGPSで洞窟の場所などを
入念に調査していきます。地図をイチから作らねばなりません。

 
なるべく早く、遺族や学生などの収集団体の
受け入れ体制を整えるべく、行って参ります。

2016年5月12日 (木)

北宇都宮駐屯地記念行事2016

2016年6月19日(日曜日)は、陸上自衛隊
北宇都宮駐屯地にてイベント
「北宇都宮駐屯地記念行事」が行われます。
 
目玉はなんといっても航空ショーで、
自衛隊、ヘリコプター唯一のアクロバットチーム
「ブルーホーネット」
TH-480B(6機編隊)による展示飛行が行われます。
ヘリコプターに特化した航空ショーでは日本一です。
ブルーインパルスも真似できない機動がここにある!
 
そのほか、地上には外来機の展示、
基地の内部、エプロンおよび格納庫解放し
普段はお目にかかれない基地の内部を見学できます。
 
自衛隊さんの売店も面白いですよ。
限定グッズを販売しております。
 
ぜひ6月19日は北宇都宮飛行場へおいでださい。

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機 
▲▼宙返りを行うTH-480B機と編隊飛行を行うTH-480B機(予行訓練なので観客が居ない)
 

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

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なお、チラシにはヘリの地上滑走体験と書いてありますが・・・
それは建前であります!申し上げたい意味は
おわかりになりますでしょうか!ぜひいつもの街を
空から眺めてみてください!

疾風ミニポスター

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航空祭で配布予定のB5サイズのミニポスター(資料)です。
裏側は資料となっております。とはいっても疾風の戦記でなく
生産側の視点が主となっています。

 
戦中、宇都宮では疾風の製造工場がありました。
疾風の製造工場で必死に働く
16,7歳の女学生の話など
当時の証言をもとに記載しました。
大東亜決戦機、それはまさに国民の
総力が注ぎ込まれ
前線に送り出された、飛行機でありました。
 
少女が重労働に従事し、最前線では同じく16,7の少年が特攻へ行く、
これは悲劇ではありますが、同時に、
本当に日本の為に頑張ってくれてありがとうございますと、
そういった気持ちを周知したいと願うものであります。

2016年5月 9日 (月)

零戦六四型

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

幻の零戦64型です。
終戦間際に三機のみ製造されたモデルで、試作機を54型丙、
量産型を64型と称します。
ゼロ戦の最終型のひとつで
 
三菱「金星」エンジンの搭載に伴い、大型化したエンジンカウルと
プロペラ・スピナー、上部のエアインテークが特徴です。
エンジンは彗星三三型と同じとの説があります。
 
「もう格闘性能は時代遅れだ!」「モアパワーだ!」ということで
出力と一撃離脱に特化。剛性を強化したモデルです。
 
ゼロ戦の優美なフォルムが失われている反面、
いかにも改造機といった造りになっており
好みが分かれるところです。
 
胴体内機銃を撤廃。
零戦52型丙と同じくロケット弾搭載用レール、
左右両翼下に増槽を搭載可、胴体下に爆装可とし
昭和20年、横須賀と青森県の三沢にありましたがGHQの進駐に伴い
破壊されてしまいました、幻の機体です。
 

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

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零戦六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
 
零戦64型/五四型丙 
【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

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21型 32型 22型 52型 52型甲 52型乙 52型丙 53型丙
54型丙 62型 63型 
64型 二式水戦

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

自衛隊グリーンフェスタ2016宇都宮

来たる5月21日は自衛隊グリーンフェスタです。
10時30分より15時迄。
 
第12音楽隊による演奏、車輌展示、ユニフォームセレクションなどなど
終了後は、自衛隊と一般女性のお見合いパーティ(今年もやるのかな?)
プログラムに載らず行われるのでわかりませんが、毎年大人気です。
 
今年は餃子祭りと同日開催です。
メインに、オリオン通り、バンバ広場、城址公園に
自衛隊車輌を展示します。普段は駐屯地内で行われることの多い
自衛隊イベントですが、この日は市民に理解を深めるべく
市街地で行います。
 
自衛隊好きの方で、撮影される方、
狙い目は朝一番、自衛隊車輌の搬入と終わった後の搬出です。
アーケードを背景に走る装甲車を撮影できます。
 
昨年は、平和団体の方が開催中、抗議にやってきまして
少し開催が危ぶまれたのですが
今年も無事開催の運びとなりました。
 
私もバンバ広場(二荒山神社前広場)に居りますのでぜひお出かけください。
 
公式チラシ
http://www.mod.go.jp/pco/tochigi/event/gf_tirasi.pdf

 
追記
2016年6月19日は北宇都宮駐屯地イベントです!

2016年5月 8日 (日)

講演会

今年も講演会の依頼を随分と頂いております。
本当にありがとうございます。今年はなんと関西からも
ご依頼くださいました。
終戦の日前が多いのですが
それ以外の日も行っております。
 
講演会の魅力は、ブログや本に書けないような裏話が
たくさんできることです。
案内は、随時更新していきますので
よろしくお願い致します。

2016年5月 6日 (金)

藤本速雄さんインタビュー

 
元ゼロ戦パイロットで空母「瑞鶴」戦闘機隊だった藤本速雄さんに
インタビューしてきました。藤本さんはマリアナ沖海戦で一航戦
「瑞鶴」に乗組み、奇跡的に生還された搭乗員です。
 
第一次攻撃隊128機のうち、帰還できたのは
戦闘機隊(零戦)が
藤本さんを含む5機のみ
(内3機の搭乗員は大鳳に着艦し、沈没戦死した。)
彗星艦爆は2機、艦攻(天山隊)は全滅。

 
篠原
「藤本さんは彗星艦爆の護衛でしたね」
 
藤本氏
「みんなやられてしもうた」
 
藤本さんは上方より敵機が降ってくる仕草をして
悲しそうな表情を浮かべる。
 
ここで兎に角伝えたいのはマリアナ沖海戦の評価で流布されている
大きな誤解「搭乗員の練度不足」である。これを藤本さんは
真っ向から否定する。
 
藤本さんは
「練度不足、そんなものは作戦本部の言い逃れだ」
「空母への着艦は簡単だった」とも語っており、
経験の浅い搭乗員は発艦はできるが着艦はできない、といった説も
嘘になる。では、帝国海軍がマリアナ沖海戦で敗北した一番の要因は何か。
 
日本とアメリカの戦力が違いすぎる!
 
帝国海軍機動部隊の飛行隊は一、二、三航戦全て合わせても約400機。
これは戦闘機、爆撃機、雷撃機全てを含めた数だ。
主力である一航戦は149機。それに対し、米機動部隊は
15隻の空母から戦闘機だけで450機。爆撃機、雷撃機を合わせると
約950機。日本を遥かに凌ぐ勢力である。
 
藤本さんの所属する一航戦の戦闘機は

僅か48機で、彗星と天山合わせて80機を護衛した。
 
藤本氏
「九死に一生どころじゃない。千死に一生やと思う。
もし、逆なら、私は敵を一機も帰さん」
 
技量云々の問題ではない。多くの熟練搭乗員も未帰還となっている。
マリアナ沖海戦の話、そのほか
雷跡に突っ込んでゆく彗星艦爆を見た話、
前衛の艦隊に誤射を受けた話、
その後フィリピンで特攻の
護衛を行った話など、伺った。

 
このインタビュー内容も少しずつ書いていきたいと思う。
 
 
追記
先日お会いした笠井さんも、紫電改はグラマンよりも優れた
戦闘機であったが、どんなに高性能でも数が違う。これではダメだ、そう
仰っていた。
  
なお、一航戦の生還者である藤本さんは『今日の話題』で
手記を発表している。NHKアーカイブスでもネット視聴可(無料)
もう一人の白浜芳次郎さんは
『不屈の海軍戦闘機隊―苦闘を制した者たちの空戦体験手記』
(光人社NF文庫)で手記を発表している。書店、amazonで入手可。
 
追記
藤本速雄さんは
2016年12月28日にご逝去されました。

2016年5月 4日 (水)

原田要さんご逝去99歳

零戦パイロットの原田要さんが3日、ご逝去されました。99歳でした。
100歳の誕生日にはお祝いに行こうと、友人と話していたのですが
残念です。言葉にならない悲しみがあります。
 
ご高齢の方と多くお付き合いがあると、
もう次は会えないかもしれないと、一応に覚悟はしているのですが、そうはいっても
何度経験しても身を引き裂かれるような悲しみと辛さは変わりありません。
こんなことなら、もう、やめてしまいたいと思う事が何度もありました。
そうして研究をやめていった者も居ります。
しかし、やめるわけにはいかんのです。やめるわけにはいかんのです。
 
最後にお会いしたのは昨年でした。原田さんが
「どうぞ、また来てください」と、手を振ってくださって
にっこりと、穏やかな表情で言ってくださったことを思い出します。
忘れません。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
原田要さんのお話 撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない

2016年5月 3日 (火)

青木義博中尉(稲妻の雷電) パイロットデータベース

青木義博中尉の雷電

青木義博中尉の雷電


稲妻マークが描かれた雷電、その格好よさから

プラモデルのパッケージなどにも描かれ有名な機体であるが
搭乗員の青木義博中尉の人物や戦歴について言及した資料は
殆ど残されていない。この頁では青木中尉の調査を重ね、少しずつ
完成に近付けていこうと考えている。

 
青木義博(あおきよしひろ)中尉は
予備学生11期出身で大学在学途中から海軍に入隊。
青木予備中尉とも呼ばれる。青木中尉の所属した
第352海軍航空隊は予備学生出身の指揮官が多い
特異な航空隊でもあった。
 
台南海軍航空隊時代
青木中尉の実戦は台南航空隊時代から始まる。

ここで記す台南海軍航空隊(以下台南空)は
南方へ進出した有名な台南空でなく二代目となる。
 
昭和18年4月に開隊した二代目台南空は
艦上機の実用機教程を担当する部隊に防空用の
乙戦隊(雷電)と丙戦隊(彗星)が必要となった。
台湾は陥落したマリアナに次ぐ決戦場のフィリピンの
後方基地にもかかわらず、実戦用ナンバーの航空隊が置かれていなかった。
(土地の名称がついた航空隊は訓練航空隊で、番号のみは実戦部隊となる)
 
台湾および北九州は、既に支那大陸の成都に配備されつつあった
超空の要塞B-29が爆撃可能な距離にあり、支那大陸南部からは
B-24の行動半径にも含まれた。そこで零戦のほか雷電の派遣が
決定された。
 
青木中尉、雷電との出会い~P-38との初空戦
昭和19年7月初旬、台南空の戦闘機隊分隊長だった青木中尉と
高橋茂上飛曹ら三名は厚木基地へ赴き雷電の講習を受ける。
講習終了後に鈴鹿基地へ移動し、雷電二一型3機を受領。
先ずは、この雷電3機を台湾へ空輸すべく鈴鹿基地を離陸した。
 
ところが、この内1機は鈴鹿で片脚が出ずに破損。
代機をもらったが、追浜と沖縄で1機ずつ破損したため
台南基地へ空輸できた雷電は1機のみであった。
この1機に青木中尉が搭乗し、台南で飛行訓練を行った。
 
昭和19年9月頃、青木中尉は、台南空で雷電の
訓練飛行中、大陸から飛来したP-38と遭遇、空戦に入った。
この空戦は青木中尉が急操作で横転降下したため
未決着に終わった。
 
同年10月中旬の台南沖航空戦で台南空の零戦隊は
邀撃戦に参加したが
青木中尉の雷電は出撃せずに終わった。※3
 
第352海軍航空隊へ
昭和19年12月下旬、台南空(二代目)が解散。青木中尉は台湾より
長崎県大村へ移動し、第352海軍航空隊乙戦隊第三分隊長となった。
 

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▲青木義博中尉と雷電

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▲昭和20年冬、青木分隊長機を背に針路を検討する予学出身搭乗者。
左から菊地少尉、山本少尉、星野少尉、金子少尉。
 
 

稲妻の雷電


▲小隊長機の稲妻マーキングは写真が残っていないので推定。
 
稲妻マークの雷電誕生

第352海軍航空隊乙戦隊では、青木分隊長の着任後
雷電にユニークな塗装を施した。分隊長機には2本、小隊長機には
1本の太い稲妻を胴側に描いた。※1
 
「雷電だから、稲妻でいこう」
と言い出した栗栖幸雄飛長(特乙一期)の発案とされる。
おしゃれな青木中尉はずいぶん気に入ったようだ。※1
 
昭和20年1月6日、大陸・成都基地より北九州へB-29が来襲。

第352海軍航空隊の主力、雷電隊はこれを迎撃したが
このとき青木中尉が出撃したかは不明。さらに
4月末より約三週間、第352海軍航空隊は雷電集成部隊
(他航空隊と協同した雷電隊)に編入されB-29邀撃にあたる。
稲妻マークのアイディアを出した栗栖飛長もB-29を一機撃墜している。
   
二本の稲妻が描かれた352-20号機は、青木中尉が搭乗する以前から
士官に主用されており、乙戦分隊長杉崎直大尉、先任分隊士の
沢田浩一中尉が搭乗し、青木中尉に引き継がれた。
 
青木中尉が稲妻マークを描いた機体に搭乗したのは

大村時代までで、鹿屋進出後は、目立ち過ぎを考慮したのか
明確な理由は定かでないが、稲妻マークなしの352-37号機に
乗り換えとなった。※2
 
昭和19年6月8日、第352海軍航空隊空乙戦隊は

岡本俊章大尉の指揮で鳴尾(兵庫県)へ後退。
搭乗員は第332海軍航空隊へ編入される。
岡本大尉は築城(福岡県)の203空に転じた。
 
このとき、青木中尉は航空神経症にかかる。
航空神経症は気圧調整の無い航空機で高高度の飛行を続けることにより
過度の気圧変化や酸素不足となり、頭痛、めまい、吐きけ、だるさ
記憶力減退、呼吸困難などの症状を引き起こす病。疾病により
青木中尉は夜戦隊付の身分で大村に残留。終戦を迎えた。

 
青木中尉の戦後
下記サイト「旧軍戦史雑想ノート」様に依れば
青木中尉は復員時に大尉。生きて終戦を迎える。

 
戦後、海上自衛隊に入隊しヘリコプターに搭乗したが

昭和37年、事故によりヘリコプター事故により殉職したと記されている。
これを見て、海上自衛隊の事故記録を探ったが、当該の記録が
見当たらないので今後もよく調査を続けることにする。
※4
 
戦中は雷電でB-29邀撃に身を挺し、戦後国の為に殉じた青木中尉を
忘れない。
 

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追記!こちらの本
『局地戦闘機「雷電」―海軍インターセプターの実力』の中に
青木中尉ご本人が書かれた手記が掲載されています。
昔、丸に掲載されたもののようです。
興味がある方はぜひ!

 
出典
※1渡辺洋二著『異貌の海鷲局地戦闘機「雷電」』284頁
※2『世界の傑作機No.61海軍局地戦闘機雷電』70頁
※3同53頁
※4旧軍戦史雑想ノートhttp://ameblo.jp/pico3298/entry-10000309129.html

2016年5月 1日 (日)

元近衛歩兵連隊、宮城警備のお話し

先日は元近衛歩兵第二連隊で100歳の方にお会いし
インタビューしてきました。
近衛歩兵というのは、天皇陛下の親衛隊です。
当時から皇宮警察はありましたが、それとは別に
日本陸軍二個連隊が宮城の警備を行っておりました。
周知の通り、現在の自衛隊は皇居の警備は行いません。
 
タイトルは「みやぎ」ではありません。宮城(きゅうじょう)と呼称します。
昔の皇居の呼び名です。
 
この方は
先の大戦時にも宮城の警備を担い、終戦の日もクーデター側の

将校から玉音放送のレコード盤を奪還せよとの命令を受け
宮城内を探し回ったと、お話しくださいました。
 
このときは兵卒として上官の命令に従っただけなので、
罪には問われませんでした。クーデター終結し、
戦後しばらくは奥日光の南間ホテルで
皇太子の警備にあたりました。(今上陛下であります)
  
近衛歩兵は通常の歩兵とどう違うのですか?との質問には
訓練内容は通常の歩兵と変わらないが、
ハクをつけるため、戦地(この方の場合は北支)に派遣され
歩哨を行ったとのことでした。
 
近衛歩兵になるには、特に身辺調査が厳しく、
曽祖父の代までさかのぼって、家柄、純粋な日本人であるか、または
知り合いに共産思想の者が居ないか、調べつくされ
合格した者だけがなれました。大変な調査ですから、
一番、手っ取り早い採用方法は土地土地の名家の若者を
選ぶことでした。
 
日本が戦争に敗れ、GHQが新しい日本を作る迄、
元首は天皇と明確にされていました。
現在の日本国憲法でも、建前上
天皇が総理大臣を任命する形にはなっていますが
元首である旨はGHQによって削除されています。
 

この辺りの取材内容も書きたいのですが
仕事の合間にやっているもので、なかなか進みません。
 
いまは来年のカレンダーの製作しております。
デザイン業はかなり先々のものをやるので、季節感が
麻痺します。

百式司令部偵察機(三型)

百式司令部偵察機(三型)

デジラマ撮影しました。