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2016年7月14日 (木)

猿払電話中継所跡

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猿払電話中継所跡
宗谷岬から南におよそ30キロ、
猿払村の浜猿払(漁港)付近に
猿払電話中継所跡が残されている。
  
この場所から五本の海底ケーブルが
樺太、真岡まで伸びており、北海道と樺太を繋ぐ中継拠点であった。
現在も海底ケーブルは残され、
ここ猿払では、埋め込まれた一部を見ることができる。

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昭和二十年、八月十五日、終戦。その五日後の二十日。
ソ連軍が樺太は真岡(まおか)に上陸を開始した。
民間人をも無差別に殺傷するソ連軍の進攻に対し、
日本軍守備隊ならびに取り残された民間人は徹底抗戦を
貫き玉砕した。
 
その際、真岡郵便局に交換手として勤めていた、若き女性9人が
いた。女性たちは北海道との通信を保持するため、自主的に残ること
決断し、最後の瞬間まで通信を続けた。
 
女性たちは刻々と迫るソ連軍の進攻に対し、最後まで
職務を全うし、ある者はソ連軍の攻撃で戦死、
そして、郵便局のすぐそばまでソ連軍が迫ると、残った者は全員
青酸カリで自決する。北海道、内地へ向けて行った
最後の通信が、ここ猿払の石碑にも刻まれている。
 
「皆さん これが最後です さようなら さようなら」
 
その最期の声を伝えたケーブルの一部がこれである。

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ここ猿払の海岸から、いまは異国となった樺太の望み、
殉じた九名の女性たちに哀悼の意を捧ぐ。

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猿払電話中継所跡へのアクセス
国道238号線から浜猿払の漁港・集落方面へ入る。
漁港の北側、「海王食品」に面する道を挟んだ反対側にある。
 

コメント

自衛力を持たないという事がどういう事なのか?
日本のすぐ隣の国々は何をしてきたのか。
なぜ政府はこの事を国民に教えないのでしょう。
亡くなった彼女たちを含む先人たちを「悪」と捉えて、自国の利益のために性悪商人と化した日本国。
なんとかしなければいけません。

ふらんか~さん
仰る通りです。歴史の教科書に載せ、しっかりと教えるべきですね。
近代史のもっとも大切な部分だと感じております。

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