2014年1月10日 (金)

よくある質問

Q.戦没者について調べてほしい
 
戦史調査をしていると、たびたび血縁者、ご遺族から

の問い合わせを頂くことがあります。
戦闘概要をお調べすることは可能ですが、個人の経歴
追うためには膨大な名簿を探るには時間がかかります。
そのため、そういった折は
   
 
◆陸軍の場合は管轄県庁の恩給援護局

海軍の場合は厚生労働省へ
問い合わせ頂き、軍歴照会をお願いしますとお伝えしています。

手順は以下の通りです。
 
 
◆戦死された方の本籍地がある県庁(海軍は厚労省)へ連絡し
軍歴を取り寄せる方法

 
おおむね入営から戦死(もしくは復員)まで
詳細記録を保管してあります。
私も同じ方法で祖父の軍歴を
取り寄せました。時間がかかりますが
無料です。
個人情報となりますので、当該の人物より
三等親(ひ孫)まで請求可能です。

  
 
なお、請求には、

戦死された方の本籍地(当時は村だったかもしれませんが
新しい住所でも同じ場所だとわかればOKです)、生年月日
が必須です。そのほか、必要書類として、
請求なさる方と戦没者の関係が証明できる戸籍抄本などの提出が必要です。
親切に対応してくれますので、気軽に問い合わせだけでもなさっては
如何でしょうか。
 
Q.零戦パイロットの連絡先を教えてほしい
  
個人情報保護の観点から、マスコミ関係者、個人問わず、
記事に登場する人物の紹介は原則的にお断りしています。

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

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今年もよろしくお願い致します


2013年12月31日 (火)

2013年

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今年も様々な出来事がありました。
多くの方々にお世話になり、また支えられた一年でした。
感謝申し上げます。
 

今年は西日本の戦跡をすべて巡礼すべく走り回り
概ね目標達成を致しました。兎角
四国の素晴らしいおもてなしの心、九州の人柄に
感動しました。どれもこれも思い出深いのですが
ひとつあげるとするなら、二度の硫黄島派遣です。
生まれて初めて航空自衛隊の軍用機に乗せてもらいました。
 

硫黄島は想像していたのと違って、実に美しい島でした。
内地は真冬でも硫黄島では初夏のような風が心地よく、
深い緑と群青の海が広がっていました。
 

ところが遺骨収集の現場に於いては
言葉に表せない悲しみがあり、
ぜひとも、この気持ちを持って帰って、戦争を知らない
若い世代に伝えたいと、改めて強く決心しました。

 
ご遺骨を抱いて輸送機が内地の基地へ着陸して、久しぶりに
街の姿をながめたとき
ケータイに触れながら行き交う人々を見て
違和感を覚えるのと同時に、
日本は元来、こんなに豊かな国ではない。
いつかツケがまわってくるのではないか、と
不安に襲われました。

 
高齢の方も、櫛の歯が欠けるように
この世を去って行きました。

 
来年も出来る限り、そういった方々の気持ちを
残し続けるのと同時に、若い世代へのバトンを渡す
役割を担えれば幸いと考えております。

 
バトンはただ渡すだけではダメなんです。
上手に渡さなければ。

 
来年もそうぞよろしくお願い致します。

2013年12月29日 (日)

飛行場が無い小笠原の急患対応

小笠原には飛行場がありません。
 
内地への唯一の交通手段は定期船
「おがさわら丸」で25時間かかります。
 
幻の小笠原飛行場
「戦時中は洲崎に軍用飛行場があった」と、当時
小笠原で働いていた方が教えてくれました。お話によれば
一式陸攻が滑走路いっぱいを使って離発着したそうですが
記録によれば小笠原の飛行場は小さいものだったので、軽量の
戦闘機を運用するくらいが精一杯で
大型の一式陸攻を飛ばすにはだいぶ無理があります。

  
一式陸攻の謎
それにしても、なぜそんな話が生まれたのか疑問です。
実は、戦後しばらくの間、滑走路近くに一式陸攻の残骸が残されておりました。

(現在は撤去されています)
 
もしかしたら機体トラブルか被弾などで

やむをえず不時着を敢行した事があったのかもしれません。
それでないまぜになっている可能性があるなと感じました。
 
夢のある話だとは思います。
 
急患発生時の対応
さて、話を現代に戻して、もし
小笠原の住民に急患が発生した場合、
海上自衛隊に協力を要請することとなります。
 
要請を受けた海自は硫黄島基地に待機中のヘリコプターを
父島へ派遣します。急患を乗せたヘリは、一旦硫黄島基地へ
Uターンし、基地で飛行機に乗り換えて、内地へ向かいます。
この場合、東京までの合計所要時間は3時間ですが
仮に、父島から東京から直行しても、ヘリは速度が遅いので
4時間もかかってしまいます。Uターンしても
飛行機に乗り換えたほうが1時間も早く到着するのです。
 

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ひとつ合理的な手段があります。
V-22オスプレイの運用です。V-22オスプレイは現用ヘリより
スピードが速いので、内地へ直行することが可能です。
 
災害時やその他緊急時にも役立つでしょう。
自衛隊にオスプレイ導入の動きがあるので
近い将来実現するかもしれません。
 
最後に蛇足ながら
船で25時間かかるから価値があるし、世界遺産の
自然も残っている。この先も飛行場は作らないほうが
小笠原にとっていいのかもしれません。





2013年11月22日 (金)

覚書

いつもご覧くださる皆様へ
 
いつも当ブログをご覧くださってありがとうございます。
少しずつ書き溜めた記事ですが、気付けば膨大な量となり
ご遺族による調査、あるいは戦史研究をなさる方のきっかけ等
何かのお役に立てれば幸いと思います。
 
そこで、ふと思い立ったので、念の為、記して置くことと致します。
 
当ブログは有料契約のサービスを利用しており
毎年、契約更新をしています。
 
万が一、不測の事態が起きたとき
(たとえば私が突然交通事故で命を落とすとか)
契約更新が出来ませんので、ここにある全ての記事と写真が削除されます。
 
個人情報の兼ね合いで公開できない記事や、
まだまだ未整理で公開に至らない情報も多くございます。
 
これらを埋もれさせておきのはもったいないので
もし、万が一の際は、何かしらの手段でバックアップを
お願いしたいのです。
情報を後世に残してくださると有り難く思います。
 
さらに、主にパラオ戦跡で未公開の写真も数多くあり
簡単でもよいので写真集を出したいのですが、
未だ実現しておりません。
お力添えくださる方を募集しております。
なお、この当該企画は非営利であり
貴重な情報を後世に残すことを純粋な目的としております。
 
何卒よろしくお願い致します。

2013年11月21日 (木)

台風30号の被害

先の台風30号によりパラオは大きな被害を受けました。
レメンゲサウ大統領は国家非常事態宣言を発令。
 
日本外務省の発表によると

カヤンゲルではほとんどの家屋が全壊し
コロール、バベルダオブ島においても瓦礫が道路を
ふさいでおり、インフラは大きなダメージを受けています。
ペリリュー、アンガウルの被害状況は不明です。
 
東日本大震災が発生した際、私はパラオに居ました。
これはそのとき撮影した写真です。
パラオは小さな国ですが
一人あたりの募金額割合としては、非常に多額な寄付金を
窮地の日本に寄せてくださいました。
しかし、その善意はまったく日本では報道されず
私がこうしてブログにアップする程度です。
  
今度は日本がパラオを救済する番です。
平成25年11月21日
 

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Zero&B-29

B29

 
最近はゼロ戦の絵を描いています。

ついでに同じスケールでB-29を描きました。

2013年11月13日 (水)

日本の戦跡一覧

日本各地の戦跡、平和資料館、零戦の見られる場所一覧
随時更新

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地図の拡大版はこちら  

 
◇青森県
◆八甲田山・雪中行軍遭難資料館
冬は大豪雪地帯だが通年営業。
雪中行軍で亡くなった兵士の墓が並ぶ。
夏は十和田湖へ至る八甲田の山々の緑が美しい。
温泉ファン憧れの「酸ヶ湯温泉」近く。
 
◆三沢航空科学館
十和田湖より引き上げられた陸軍練習機を展示
そのほか多数の航空機を展示。航空ファン必見。

 
◇新潟県
◆山本五十六記念館(長岡市)
ブーゲンビル島より慰霊団が持ち帰った一式陸攻の左翼、長官の座席を
展示。そのほか山本の多くの品を展示
近くの寺には山本の墓所があり、また
山本五十六公園には山本の生家が残されている。 


◇栃木県
◆四式戦闘機「疾風」地下工場その2
カッパドキアより凄い!採石場跡は世界最大級の巨大地下空間。

◆疾風地下工場(大谷資料館)外観とその周辺

◆宇都宮飛行場

◆洞窟戦車工場(那須烏山市) 

 
◇茨城県
◆予科練平和記念館

◇山梨県
◆河口湖自動車博物館
零戦二一型と零戦五二型を展示。ただし夏季のみ営業
現在世界唯一となる一式陸攻機を製作中。
 
◇長野県
◆松代大本営
長野県長野市。戦況の悪化とともに
大本営の移設を意図して掘り進められた壕。
当時の「徹底抗戦」という概念を理解できる。
 
◇東京都
◆靖国神社・遊就館
零戦五二型展示
 
◆小笠原戦跡
須崎飛行場(作成中)
 
◇千葉県
◆房総半島戦跡群

◆館山航空隊地下壕

◆「震洋」基地

◆「桜花」カタパルト基地
完成間際、終戦を迎えた陸上発射型桜花
カタパルト(発射基地)跡がある。 

◇神奈川県
◆横須賀鎮守府
 
◇静岡県
◆航空自衛隊浜松基地広報館(エアパーク)
ジェット戦闘機の操縦席に実際に座れるのは日本でここだけ。
ラダーを動かせる。その他歴代の自衛隊機多数をハンガーに
展示。航空ファン必見。零戦五二型。
 
◇愛知県
◆三菱重工小牧南工場史料室
三菱重工工場併設の資料館。見学は平日のみで要予約。
ロケット戦闘機「秋水」復元機のほか零戦五二型展示。
敷島隊の五機と秋水に携わった整備兵のお話し
 
◇京都府
◆舞鶴鎮守府
 
◇広島県
◆呉鎮守府
レンガ造りの呉鎮守府が残っており
週末は見学が出来る。
 
◆戦艦大和ドック(歴史の見える丘)
戦艦大和を建造したドックは現在も健在で
丘の上から望む

◆からすこじま公園
日本一、潜水艦を近くで見られる公園。
 
◆大和ミュージアム
呉の誇り、戦艦大和のテクノロジーを
紹介したミュージアム。零戦六三型展示。

◆てつのくじら館
退役した潜水艦を丸々、そのまま陸揚げ。
中を見学できる。実物の潜望鏡や潜水艦の操縦席に
座れ、舵を握れるのは全国でここだけ。

◆海軍墓地
呉の市街地を見下ろす丘に、先の大戦で
活躍した特務艦、駆逐艦から戦艦航空母艦まで
多くの戦没艦船の慰霊碑が並ぶ。

◆江田島
海軍兵学校の建物は現在も残る。

◇山口県
◆大津島・回天基地
人間魚雷「回天」の基地。徳山からフェリーで渡る。
透き通った海が実に美しい場所。

◆徳山プラント群
連合艦隊の燃料補給基地である
徳山の燃料庫は今も健在。西日本屈指のプラント群は
工場夜景スポットとして有名。各種夜景ツアーを催行。
 
◆柱島・周防大島の戦艦陸奥記念館
瀬戸内海の穏やかで青く美しい海が魅力。
柱島沖には戦艦陸奥が沈む。資料館は一見の価値あり。
 
◇愛媛県
◆楢本神社
(ならもとじんじゃ)
伊予西条は関大尉の出身地である。関大尉をはじめとする
特攻隊「敷島隊」の五人それぞれの慰霊碑は、
250kg爆弾を模した衝撃的なものだった。
 
◆小島・芸予要塞
フェリーで渡る。芸予要塞は110年までの
ほぼ原形をとどめた稀な要塞の戦跡。島の自然が美しく、
潮風が心地よい。復元された旅順攻城砲を展示。対岸は今治造船
  
◆松山第343海軍航空隊
空港周辺に掩体壕が点在する。

◆佐田要塞・未机湾(真珠湾九軍神の碑)
三机湾は別名東洋のパールハーバーと呼ばれる。
真珠湾に突入した特殊潜航艇九軍神が訓練を行った
場所として有名。伊方原発近く。
 
◆由良要塞
 
◆南レク「紫電改」
日本唯一「紫電改」の見学できる場所。
紫電改のほか343空搭乗員の遺品の数々を展示している。 
入場無料。
 
◆宿毛湾・宿毛泊地
戦艦大和の有名な写真はここで撮影された。
 
◇高知県
◆高知航空隊
高知竜馬空港周辺には掩体壕が点在。
 
◆三魂之塔
「彩雲」がエンジントラブルから帰還を諦め
敵機に体当たり、刺し違えた後、この地に墜落した。
慰霊碑とともに機体の一部が残されている。
 
◆番外編~素晴らしい四国
 
◇福岡県
◆大刀洗平和記念館
(たちあらい)陸軍大刀洗飛行場の歴史を紹介。
特攻隊の遺書を展示。零戦三二型を展示。
 
◇熊本県
◆ペリリュー島守備隊長中川大佐の墓所
 
◇大分県
◆大分飛行場跡(宇垣特攻の地)
現在は大洲運動公園。その一角に宇垣特攻の慰霊碑があり
彗星で散華した全員の名と経緯が記されている。
 
◆宇佐海軍航空隊(永遠のゼロ) 
映画「永遠の0ゼロ」で使われたゼロ戦のセットを展示。
また、航空母艦の甲板を再現し、自由に歩ける。
映画のセットであるが、ゼロ戦のコクピットに座って記念撮影が出来る。
桜花の風防ガラスを展示。
 
◇長崎県
◆佐世保鎮守府
レンガ造りの佐世保鎮守府は現在の海上自衛隊佐世保地方総監部。
 
◆SSKドック(旧佐世保海軍工廠)
潜水母艦「伊四〇二」、航空母艦「伊吹」、など誕生の地。
 
◆セイルタワー
ペリー来航から、日本海海戦、太平洋戦争まで
模型やジオラマなど、ビジュアルを重視したわかりやすい展示が魅力。
七階からの展望は、佐世保の街と、停泊中の海上自衛隊、アメリカ海軍の艦艇を一望。
 
◆大村海軍航空隊

◆海軍針尾通信所(巨大通信塔)
世界が動いたあの日「ニイタカヤマノボレ」発信の地。
丘の上から巨大な塔を異世界のような眺め。
 
◆三菱重工長崎造船所(戦艦武蔵ドック)
 
◇鹿児島県
◆万世特攻記念館
知覧を訪れたなら、こちらも是非 
 
◆知覧特攻平和会館
 
◆海上自衛隊鹿屋資料館(海軍特攻資料館)

知覧と合わせてこちらも一生に一度は見て置くべき場所。
特攻隊員の遺書を数多く展示。 
 
◆神雷部隊「桜花」別杯の地

桜花を抱いた一式陸攻の飛び立った場所。 
 
◇沖縄県
◆南部戦跡

2013年11月 7日 (木)

大谷資料館 宇都宮の巨大地下空間~採石場跡(四式戦闘機「疾風」地下工場)見学その2

大谷採石場跡(大谷資料館)01

大谷採石場跡(大谷資料館)02

大谷採石場跡(大谷資料館)03

大谷採石場跡(大谷資料館)04

 
採石場跡内部へ
大谷資料館採石場跡内部へ階段を下って行きます。

夏場は寒いので上着をお持ちください。
  
年間を通じて気温湿度とも一定しており
天然の冷蔵庫として酒造会社の酒蔵にもなっています。
 

大谷採石場跡(大谷資料館)05


地上から注ぐ青い自然光
青いのは電気ではありません。自然の光です。

地上から注ぐ太陽の光がここでは青く見えるんです。
時間帯や季節によって光の見え方が異なります。


壁には昭和初期につけられたツルハシの跡が残ります。
 
四式戦闘機「疾風」地下工場
ここでは昭和19年から20年、空襲を避けるため
中島飛行機の地下工場として稼働しました。女学生が動員され
四式戦闘機「疾風」のエンジンと機体が製造されました。
 
撮影に使われたドラマ、PV、映画など
さまざまな撮影に使われています。個人での坑内の撮影は自由ですが
2時間を超える撮影、三脚の持ち込みは事前の許可が必要です。 
 

映画
セーラー服と機関銃/東映/1981年/薬師丸ひろ子
19/東映/1987年/少年隊
ウルトラマンティガ/2000年/V6 長野博
オトシモノ/松竹/2005年/沢尻エリカ・若槻千夏
魍魎の匣/2007年/松竹/堤真一・阿部寛・椎名桔平・黒木瞳・田中麗奈
LIAR GAME FINAL STAGE/2009年/松田翔太・戸田恵梨香
ほか
 
テレビドラマ
青春牡丹燈篭/NHK/1993年/宮沢りえ
らせん/フジテレビ/1999年/岸谷五郎
アナザーヘブン/テレビ朝日/2000年/大沢たかお
金田一少年の事件簿/日本テレビ/2001年/松本潤
潜入探偵トカゲ/TBS/2013年/松田翔太・松岡昌宏
 
PV
長淵剛/ハングリー/1985年
GLAY/SOUL LOVE/1998年※
工藤静香/BLUE ZONE/1999年※
DA-PUNP/I wonder/2000年※
B'z/MAY/2000年※
野猿/太陽の化石/2000年※
島谷ひとみ/赤い砂漠の伝説/2003年※
JUJU/明日がくるなら/2009年※
Do As Infinity/生まれゆくものたちへ※
takiamiy(高見沢俊彦)/雷神の如く/2013年
ほか 
 
※YOUTUBEで視聴可能作品

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ステージがあり、コンサートが行われたり
幻想的な地下教会での結婚式プランもあります。
 
大谷資料館・住所
〒321-0345
栃木県宇都宮市大谷町909
028-652-1232

老若男女入場600円。
JAF割引(会員証提示)で500円。
 
なお、PVや各種撮影のためにお休みすることが
ありますので、見学の際は要確認です。
 
宇都宮にお越しのさいはぜひ大谷資料館を
見学されることをおすすめします。
 

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▲地下工場で生産された四式戦闘機「疾風」
 
主にエンジンをこの地下工場で生産し
機体組立を地上の宇都宮製作所と群馬県太田製作所で生産し、前線へ送り出した。
  
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【大谷地下空間に存在した戦闘機「疾風」工場と秘密基地計画】
(個別ページへ)

昭和19年後半から終戦にかけて
宇都宮市の大谷・城山地区の採石場地下空間は、
世界でも例を見ない広大な地下飛行機工場として稼働していた。
 
この地下工場で製造されていたのは大東亜戦争後半に登場した
四式戦闘機「疾風」である。

  
◆四式戦闘機「疾風」とは
「疾風」は中島飛行機が開発・生産を行った
重戦闘機で、「隼」や「ゼロ戦」の倍近くのパワーを発揮し、
速度、運動性、武装と防備、航続距離など いずれも優れ、
昭和19年4月の正式採用後、 陸軍は最も重要な
航空機として位置付け、大戦における運命を託した。
 
こうして 日本国民の総力を注いで送り出された
「疾風」は終戦迄の短い期間におよそ3,500機が生産され
(紫電改は約400機)大陸戦線、ビルマ戦線、フィリピン戦線、
および本土防空戦において活躍。
戦局の悪化に伴う部品の品質低下により、充分な性能が
発揮できず、苦戦を強いられたが、敢闘し、多くの敵戦闘機やB-29を
撃墜、あるいは 特攻機として出撃、 御楯となり 南溟に散った。
 
戦後、「疾風」を接収した米軍は品質の良い高オクタン価の燃料と、
プラグ交換等の整備を施しテスト飛行させたところ、
高度6,096mにおいて687km/hを記録。
P-51Dを上回るスピードだったため、
日本戦闘機の最高傑作と評価した。
 
◆大谷地下工場概要
「疾風」の製造は
中島飛行機太田製作所と中島飛行機宇都宮製作所
(現・宇都宮市陽南のスバル工場)で行われていた。
太田製作所では多くの機種が生産ライン上にあったが
宇都宮製作所は「疾風」を専門に製造するための
工場として稼働していた。

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▲中島飛行機宇都宮製作所に並ぶ四式戦「疾風」
(現・宇都宮市陽南のスバル工場)

  
昭和19年後半に入ると、宇都宮製作所も空襲の
リスクが高まった為工場疎開が決定。疎開先に選ばれたのが
大谷・城山地区の採石場地下空間であった。
 
大谷地区の地下空間は
総床面積7,387平方メートルの地下建物が五棟、
これに加え、宿舎や食堂などその他設備の総床面積
103,968平方メートルの分散した
七棟の建物群から構成されていた。
 
地下空間に続く縦坑は上空から秘匿するため、覆いが設けられ
連絡用の斜坑が、海軍の設営隊によって新たに掘削された。
 
地下工場は最も浅い場所でも地下55メートルにあって、爆撃から
守られていたが、その存在が終戦まで知られることなく、爆撃目標に
なることは無かった。また、崩落事故も一度も無かった。
 
昭和20年3月頃より、宇都宮製作所の「疾風」機体組立生産ラインの全部と
武蔵野製作所のエンジン生産ラインの一部疎開が開始され
大谷では6月に最初のエンジンが製造された。
 

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▲地下工場で製造された疾風の胴体
 
◆城山地下工場概要

城山地下工場は前述の大谷工場と連携して稼働した。
城山工場は19区画、総床面積197,508平方メートルの
計画のうち8区画101,232平方メートルが完成した。
この区画に宇都宮製作所の「疾風」生産ライン全てを移す
計画であったがスペース不足により
一部は宇都宮製作所に残されていた。
最大の作業空間は御止山工場と呼ばれる
31,768平方メートルの区画で
板金部品の製造が行われた。
 
◆宇都宮大空襲による影響
7月13日の未明、宇都宮上空にB-29の梯団133機が姿を現した。
このときの爆撃目標は中央小学校で、市街地の無差別爆撃を行った。

当初、最も狙われると予想された陽南の中島飛行機宇都宮製作所への爆撃は無く
ほとんど無傷の状態で稼働が継続された。
ただし、人的被害による影響で工員の出動率は低下した。

なお、航空機塗料の「黄緑第七号」であるが、塗装のノリが非常に悪かった。
戦後、残っていた塗料で犬小屋を塗ったという証言があるが、
一日立たず、剥がれてしまったという。
よって、宇都宮で製造された「疾風」は塗装を省略した全てジュラルミン剥き出しの
銀色をしていた。
 
◆地下工場の総員と勤務体制
 
地下工場を支える工員の総員は8月に最も多く、
軍人、常勤、学生等、合わせて5,702名が在籍し、
軍人と常勤者は一日10時間勤務の二交代制、
学生は一日10時間勤務で就労した。
 

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▲地下工場で製造された疾風の主翼
  

◆大谷・城山工場で完成した疾風
元工員の証言によれば大谷・城山工場で
「終戦までに疾風は2機が完成した」とされているが
2機分のユニットが大谷・城山から宇都宮製作所へ
陸送され、最終組み立てを
実施したと考えるのが妥当であろう。
 

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▲岡本西小学校北端の滑走路より離陸する「疾風」(想像図)

 
◆秘密飛行場計画
地下工場からロールアウト(完成)した「疾風」を直接発進させる計画が存在した。
この秘密飛行場計画は、現・国本西小学校を北端にして
国道293号線沿いを南側に向かって離陸専用の滑走路を敷設。離陸した「疾風」は一旦
清原飛行場に着陸し最終艤装を行ったのち前線へ送られる。この計画は、
滑走路要地に杭打ちを行ったところで終戦となったが、
将来的には、決戦に備えて、地下工場と飛行場を合わせた大規模な
秘密航空基地として運用されたであろうと想像できる。
 
出典

米国戦略爆撃調査団報告書(太平洋戦争)第15巻 経済分野の調査、航空機部門
「日本の航空機工業」(第15巻)
第1部 中島飛行機会社の地下工場
 
US. National Archives and Records Administration

宇都宮の大谷採石場跡(巨大地下空間)その1

宇都宮 採石場 大谷資料館 巨大地下空間
中島飛行機四式戦闘機「疾風」地下工場を行く
 

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栃木県宇都宮市の巨大地下空間大谷採石場の特集です。
※戦時中は中島飛行機四式戦闘機「疾風」地下工場
 
採石場跡へ入る前に周辺も素晴らしい景色と史跡がありますので
まずそちらを散策します。
 

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大谷石の採石は現在も行われており、採石や加工会社が軒を
連ねています。加工がし易く使い勝手の良い大谷石は
ここ宇都宮で採石、加工され全国へ出荷されています。
 

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採石して切り開いた道路です。地層がはっきりとわかります。
現在、建設の主役はコンクリートとなり、石が用いられる機会も
少なくなりました。大谷石の最盛期である昭和初期から中期にかけて
ここ石の街大谷は繁栄を極めましたが、現在は人口も減り静かです。
 

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平和観音を拝観します。なむなむ。
日本最大の磨崖仏(※まがいぶつ 石を掘り削ってつくった大仏様)で
です。この通路も迫力があります。
 
なお、この辺りは
ジブリのアニメ映画「茄子2 スーツケースの渡り鳥」のシーンにも
登場し、美しく描かれています。
 

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大仏様のお顔付近まで階段で登ってこられます。
景色も良いのでぜひエクササイズ兼ねて登りましょう。 
 

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大谷寺(おおやじ)を見学します。
大谷寺はせり出した崖の下に建てられたといにしえのお寺です。
ここには日本最古といわれる(なんと1200年前)
磨崖仏が掘られています。弘法大師の作と伝えられています。
中は撮影できないので、パンフレットを載せました。
 
大谷へ来たらぜひ訪れると良いでしょう。
こちらの千手観音を拝観すると1200年分の時空を体感
でき、言葉で表せない感動が味わえます。
それにしても我々の一生は実に儚いものであります。 
 

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お庭も素敵です。
背後の山は御止山といって、昔は宮様しか入ることができませんでした。
現在は庶民も登れます。
 
ではいよいよ大谷資料館(採石場跡)へ向かいます。
 

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到着しました。
砂利道を抜けた先が駐車場です。
 
駐車場入り口に展示されているレトロなボンネットトラックは必見。
 

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トラックの搬入口。
中からここからの光が見えますので、覚えて置いてくださいね。
ひんやりした空気が流れてきます。
 
それからカフェとお土産屋さん、無料休憩所などが揃っています。
※木曜休み
 

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受付のおねえさん(ときどきおばちゃん)から
入場切符を買い求め
いよいよ中へ入ります