2014年1月22日 (水)

3月にパラオへ行きます

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TOP画像を撮影し直し、更新しました。
 
お知らせ
3月に戦跡調査でパラオへ参ります。
もし現地で会う機会がありましたらよろしくお願い致します。

2014年1月18日 (土)

長崎造船所などを世界遺産へ推薦

◆政府が長崎造船所などを世界遺産へ推薦
 
政府は17日の閣議で、8県の施設で構成する
「明治日本の産業革命遺産 九州・山口関連地域」を
ユネスコの世界文化遺産に推薦することを了解した。
2015年の登録を目標に推薦書を提出する。
 
ユネスコが今年夏から秋に現地調査に入り
同年開催の世界遺産委員会で登録の可否が決定する。
 
推薦の名目は重工業を発展させ
日本が初めて産業国家としての地位を確立した
「世界史的意義」を強調した。
 

◆韓国は「強制労働時代の施設」と反対
これに反対しているのが韓国で
「対象施設の一部は植民地時代に強制徴用された朝鮮人が
働かされた経緯がある」との意向を示している。
 
これに対し、文部科学省下村大臣は
「今回の推薦は1910年までの産業遺産としての普遍的価値に
注目している。
日本が徴用を行ったのは1944年以降の話で、個別の問題」
とコメントした。
 
記事元と推薦施設一覧
http://www.mlit.go.jp/common/001003803.pdf
 

◆推薦予定の長崎造船所第三船渠
(1905)明治35年建設
 
◆同上ジャイアントカンチレバークレーン
(1909)明治38年建設
 

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去年夏に行ってきました三菱重工長崎造船所
戦艦武蔵の故郷
もご覧ください。
 
ここからは私の感想を記して置きます。
 
韓国の反対は非合理です。
機械は機械で、それ以上でもそれ以下でもありません。 
純粋な機械、建造物だからこそ残す価値は高いと考えています。
 
私は日本人ですが、たとえばB-29。
B-29を単なるメカとして見たとき、当時の飛行機としては
洗練されたものがあり、技術、世界情勢を顕著に反映しており
歴史家にとっては実にニュートラルな
対象であり、研究対象として価値の高いものです。
 
エノラ・ゲイを保存することに対して、もちろん日本人として
あまり良い気持ちはしませんが、決して反対はしません。

ゼロ戦Tシャツ

ゼロ戦Tシャツデザインを一新し、再入荷しました。
僅かですので早めにお求めください。
 
「この色とサイズが欲しい!」という要望はたいへん
ありがたいのですが
毎度少ロッド生産ですので一種類でも売れてしまうと
しばらくお作りすることができません。何卒お許しください。
 
また、商品を置いてくださる小売店様も探しております。 
お気軽にご連絡ください。

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ネイビー ブラック ブルー アイビーグリーン(機体色)

2014年1月15日 (水)

永遠の0ゼロを観て

映画『永遠の0ゼロ』を観ました。
 
一番の危険性は何か
映画だけを観て、全てを把握したと思い込むこと、
現代の物差しだけで結論を出すことです。
 
昨今の教育において、命の尊さは最重要視されていますが、
この概念は残念ながら平和な時代でこそ成り立ちます。潔く散る術こそが
美徳といった当時の概念も丁寧に教え説かなければならないでしょう。
 
結論を出すことは重要でない
命を奉げても国へ尽くす。あるいは
卑怯者の汚名を着せられても生き残る。
どちらが優れているか結論を出すことは重要でなく
必要なのは両論をフェアに提示することです。
 
特に、原作ではカミカゼと自爆テロの違いについて
深く言及していましたが(この点が私が原作でもっとも
好印象だったところです)映画では有耶無耶のうちに
終わってしまいましたので残念でした。
 
戦争を知らない多くの世代が、近代史に興味を持つ
きっかけとしては、素晴らしい映画でしたが
フィクションですので、あくまで
きっかけに過ぎず、真実に迫るためには自ら 
別の書物などと照らし合わせる必要があると感じました。

2014年1月12日 (日)

岩本徹三の戦後2

以前、書きました岩本徹三の記事
貴重なコメントを頂きましたので
紹介させて下さい。(勝手にすみません)
 
以下、旅好きなおっさん様のコメントより

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ちょっと岩本さんの故郷、島根県益田市に
旅してきました(生まれは樺太です)
 
戦後岩本さんが勤めていたというダイワレーヨンの工場を
ちょこっとのぞいたりしてきました。工場は戦後を忍ばせる
古い建物も残っており、あの撃墜王がこんな所でひっそりと
勤めていたのかと思うと少し悲しかった。
 
地域掲示板から、益田市横田町にお墓があるらしいという
情報があり 電車の中からですが、大津川を見下ろす山手に
墓地を視認して、あぁ故郷の美しい山里と川を
見下ろしながら眠っているのかなと思った次第です。 
 
----------
 
以上です。
旅好きなおっさん様、貴重なコメントをどうもありがとうございます。
私も近くを通った折にはお墓参りしたいと考えています。

2014年1月10日 (金)

故人の人権を考える

ひとつ前の記事で、戦没者の軍歴調査について
ご案内しましたが、最近、イレギュラーな出来事が
ありましたので
少し書いておきます。
 
問い合わせを頂いたのは40代の女性でしたが
内容は次のようなものです。
 
女性
「19〇〇年〇月〇日ごろ、呉の飛行場から特攻で

沖縄方面へ飛んで亡くなった人のことを教えてほしい」
 

「そうですか。その方とはどんなご関係ですか」
 
女性
「私の前世なんです!」
 
私「うーむ」

私は前世や生まれ変わりという概念を持っておりませんので
研究調査にも加味したことはありません。
実にイレギュラーな例でしたが、女性は真剣でしたので
私は一旦、回答を保留し、後日、本に載っている
特攻隊の名簿をお見せしますということになったのですが
これでよかったのかと、今でも考えてしまいます。
 
女性は今流行のスピリチュアルに精通しており
時間や空間などの概念を超越してものを考えることができるそうです。
 
「なるほど。貴方の前世は調べた結果、この人ですよ」
とお答えすれば、自身に誇りを持って暮らしていけたのでしょうか。
しかし故人の意思はどうなるのか?乱暴な物言いではありますけれど
勝手に前世に認定されて迷惑ではないのか?とも思いました。
(すみません。スピリチュアルを否定するつもりは一切ありません)
 
そもそも故人の人権は何処にあるのか?
誰かが持っているとするならそれは一番近い遺族ではありますが・・・
遺族はあくまで遺族であり、故人の思惑や意向と異なる部分は
当然あるでしょう。亡くなった人をアレコレ評価するのは
実に難しい問題であります。
 
※注
なお、呉には飛行場はありません。(昭和17年に於いて)
呉海軍航空隊は岩国に飛行場を有しました。

よくある質問

Q.戦没者について調べてほしい
 
戦史調査をしていると、たびたび血縁者、ご遺族から

の問い合わせを頂くことがあります。
戦闘概要をお調べすることは可能ですが、個人の経歴
追うためには膨大な名簿を探るには時間がかかります。
そのため、そういった折は
   
 
◆陸軍の場合は管轄県庁の恩給援護局

海軍の場合は厚生労働省へ
問い合わせ頂き、軍歴照会をお願いしますとお伝えしています。

手順は以下の通りです。
 
 
◆戦死された方の本籍地がある県庁(海軍は厚労省)へ連絡し
軍歴を取り寄せる方法

 
おおむね入営から戦死(もしくは復員)まで
詳細記録を保管してあります。
私も同じ方法で祖父の軍歴を
取り寄せました。時間がかかりますが
無料です。
個人情報となりますので、当該の人物より
三等親(ひ孫)まで請求可能です。

  
 
なお、請求には、

戦死された方の本籍地(当時は村だったかもしれませんが
新しい住所でも同じ場所だとわかればOKです)、生年月日
が必須です。そのほか、必要書類として、
請求なさる方と戦没者の関係が証明できる戸籍抄本などの提出が必要です。
親切に対応してくれますので、気軽に問い合わせだけでもなさっては
如何でしょうか。
 
Q.零戦パイロットの連絡先を教えてほしい
  
個人情報保護の観点から、マスコミ関係者、個人問わず、
記事に登場する人物の紹介は原則的にお断りしています。

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

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今年もよろしくお願い致します


2013年12月31日 (火)

2013年

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今年も様々な出来事がありました。
多くの方々にお世話になり、また支えられた一年でした。
感謝申し上げます。
 

今年は西日本の戦跡をすべて巡礼すべく走り回り
概ね目標達成を致しました。兎角
四国の素晴らしいおもてなしの心、九州の人柄に
感動しました。どれもこれも思い出深いのですが
ひとつあげるとするなら、二度の硫黄島派遣です。
生まれて初めて航空自衛隊の軍用機に乗せてもらいました。
 

硫黄島は想像していたのと違って、実に美しい島でした。
内地は真冬でも硫黄島では初夏のような風が心地よく、
深い緑と群青の海が広がっていました。
 

ところが遺骨収集の現場に於いては
言葉に表せない悲しみがあり、
ぜひとも、この気持ちを持って帰って、戦争を知らない
若い世代に伝えたいと、改めて強く決心しました。

 
ご遺骨を抱いて輸送機が内地の基地へ着陸して、久しぶりに
街の姿をながめたとき
ケータイに触れながら行き交う人々を見て
違和感を覚えるのと同時に、
日本は元来、こんなに豊かな国ではない。
いつかツケがまわってくるのではないか、と
不安に襲われました。

 
高齢の方も、櫛の歯が欠けるように
この世を去って行きました。

 
来年も出来る限り、そういった方々の気持ちを
残し続けるのと同時に、若い世代へのバトンを渡す
役割を担えれば幸いと考えております。

 
バトンはただ渡すだけではダメなんです。
上手に渡さなければ。

 
来年もそうぞよろしくお願い致します。

2013年12月29日 (日)

飛行場が無い小笠原の急患対応

小笠原には飛行場がありません。
 
内地への唯一の交通手段は定期船
「おがさわら丸」で25時間かかります。
 
幻の小笠原飛行場
「戦時中は洲崎に軍用飛行場があった」と、当時
小笠原で働いていた方が教えてくれました。お話によれば
一式陸攻が滑走路いっぱいを使って離発着したそうですが
記録によれば小笠原の飛行場は小さいものだったので、軽量の
戦闘機を運用するくらいが精一杯で
大型の一式陸攻を飛ばすにはだいぶ無理があります。

  
一式陸攻の謎
それにしても、なぜそんな話が生まれたのか疑問です。
実は、戦後しばらくの間、滑走路近くに一式陸攻の残骸が残されておりました。

(現在は撤去されています)
 
もしかしたら機体トラブルか被弾などで

やむをえず不時着を敢行した事があったのかもしれません。
それでないまぜになっている可能性があるなと感じました。
 
夢のある話だとは思います。
 
急患発生時の対応
さて、話を現代に戻して、もし
小笠原の住民に急患が発生した場合、
海上自衛隊に協力を要請することとなります。
 
要請を受けた海自は硫黄島基地に待機中のヘリコプターを
父島へ派遣します。急患を乗せたヘリは、一旦硫黄島基地へ
Uターンし、基地で飛行機に乗り換えて、内地へ向かいます。
この場合、東京までの合計所要時間は3時間ですが
仮に、父島から東京から直行しても、ヘリは速度が遅いので
4時間もかかってしまいます。Uターンしても
飛行機に乗り換えたほうが1時間も早く到着するのです。
 

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ひとつ合理的な手段があります。
V-22オスプレイの運用です。V-22オスプレイは現用ヘリより
スピードが速いので、内地へ直行することが可能です。
 
災害時やその他緊急時にも役立つでしょう。
自衛隊にオスプレイ導入の動きがあるので
近い将来実現するかもしれません。
 
最後に蛇足ながら
船で25時間かかるから価値があるし、世界遺産の
自然も残っている。この先も飛行場は作らないほうが
小笠原にとっていいのかもしれません。