米軍に捕獲されたゼロ戦
▲アスリート飛行場に残された第263海軍航空隊(豹)の零戦五二型。
サイパン島の激戦は有名ですが
同島にはアスリート飛行場と呼ばれる
帝国海軍屈指の航空拠点がありました。
太平洋デルタ地帯最後の攻防(昭和19年<1944>)
また、サイパンのほかには、大宮島※(グアム)、ヤップ、パラオな
ど三角地帯にいずれも大規模な滑走路を建設し
航空戦力を配置、太平洋の要となり、米軍と対峙しました。
※当時、日本占領時はグアムを大宮島<おおみやじま>と呼びました
昭和19年(1944)5月、あ号作戦(マリアナ沖海戦)で
三角地帯の飛行場航空部隊は日本最後の空母機動部隊とともに
遊撃戦を展開し、多くの犠牲を払いました。その多くは若年の搭乗員でありました。
サイパン陸上戦で散った搭乗員
在サイパン第261海軍航空隊(虎)の至宝パイロット、東山中尉は、角田司令とともに
陸上戦隊に編入しました。海軍一の度胸と腕を持っていた東山中尉も
その最期は飛行機ではなく、陸上で玉砕したと伝わっています。
アスリート飛行場に残されたゼロ戦
ところが、サイパン・アスリート飛行場には
第263海軍航空隊(豹)と第261海軍航空隊(虎)の
状態の良いゼロ戦が多数残っており、これを
米軍が鹵獲(ろかく)してアメリカ本土に持ち帰っています。
現在、カリフォルニアのプレーンオブフェイムで動態保存されている
ゼロ戦はこのとき持ち帰ったうちの一機です。
パイロット本来の持ち場である空で存分に戦えなかったことは
無念だったでしょう。上陸戦で瞬く間に飛行場を制圧され、
飛行機に近づけなかった可能性があります。
▲アメリカの軽空母に搭載され本土へ運ばれる第261海軍航空隊と
第263海軍航空隊の零戦五二型。
▲尾翼の番号(テールレター)の頭文字が8と刻まれているのが
263空で、61が261空の所属機。
写真について
261空と263空の零戦は海軍機には珍しく迷彩色を
採用していたという説もあるが、これは誤りの可能性が高い。
モノクロ写真であれば翼の日の丸は通常黒に近い色で写るが
この写真はだいぶ薄い色に見える。溶剤などで、部分的に
塗装を落とし、日の丸を米軍の星のマークに
描きかえる直前の写真であり、それが迷彩のように見えたことから
間違った説が流れた可能性が高い。
敵の飛行機を戦利品として鹵獲した場合は直ちに国籍マークを
塗り替える必要があるうえ、上空から見ればまるで
日本の空母である。ここは太平洋の最前線。
誤認され爆撃でもされないよう、大急ぎで作業したのではないだろうか。
第263海軍航空隊の零戦五二型(指揮官機)をジオラマで再現してみた。
261空のゼロ戦に関しては
日の丸の白フチは現地で目立たぬよう黒く塗りつぶされていたが
263空は白のままだったようである。
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