2015年1月30日 (金)

零戦52型丙/五二型丙

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ゼロ戦(零戦)52型丙/五二型丙

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零戦五二型丙(52型へい)は五二型甲・乙を踏襲しさらなる火力と装甲強化
を施したモデルで胴体左の7.7ミリ銃を廃止し両翼に13.2ミリ機銃を追加。
両翼下にレールを設けロケット弾(三式弾等)を搭載可とした。格闘性能は
犠牲となったが、燃料タンクの防弾化し主翼と操縦席外側の装甲も強化して
防御力を高めた。
 
零戦52型丙 
【零戦五二型丙諸表】A6M5-c
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,970kg 全備重量/2,955kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148kg/㎡
兵装/翼内20mm機銃×2 13.2mm×2 爆弾60kg×2、ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約470機(中島不明)
 

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

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21型 32型 22型 52型 52型甲 52型乙 52型丙 53型丙
54型丙 62型 63型 64型 二式水戦

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

零戦62型/六二型

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ゼロ戦(零戦)63型、63型/六二型、六三型

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零戦六二型(62型)/六三型(63型)
ゼロ戦の最終型Ⅰ。五三型の胴体下に500kg爆弾の懸吊架を追加した
爆撃戦闘機、爆戦と略称。跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し機体構造を強化した。
生産数は不明だが、昭和20年4月頃より終戦まで 三菱、中島合わせて6
00~1,000機が生産されたと推定される。栄三一型を搭載した機体を
63型と称すが、殊に当該機種のエンジンは栄三一型や二一型もあり、
52型との明確な違いは不明瞭で諸説あり。
 

零戦62型/63型 
【零戦六二型諸表】A6M7
発動機/栄三一型甲 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分58秒
最高速度/542km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,155kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/141.0kg/㎡
兵装/胴体13mm機銃×1 翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 500kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年5月 生産機数/800機(推定)
 

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

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21型 32型 22型 52型 52型甲 52型乙 52型丙 53型丙
54型丙 62型 63型 64型 二式水戦

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

零戦64型/六四型(試製54型丙)

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ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

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零戦六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
 
零戦64型/五四型丙 
【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

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21型 32型 22型 52型 52型甲 52型乙 52型丙 53型丙
54型丙 62型 63型 
64型 二式水戦

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

2015年1月28日 (水)

ゼロ戦のカラーリング・塗装表(中島と三菱の違い)

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 
 
機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の塗装について
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは

暗緑色が胴体の斜めに入っているのが中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
 
日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。

あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 
零戦の日の丸 

 
画像使用についてのお願い

215221型と52型の違いについてはこちら





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2015年1月20日 (火)

烈風改

烈風(改)戦闘機

烈風(改)

  

烈風(改)三菱A7M3-Jは
零戦の後継機として堀越二郎がリーダーを務める
三菱重工開発チームで試作中であった艦上戦闘機「烈風」を
陸上基地で運用すべく大規模に構造変更が施された機体である。
 
この頃の空戦は旋回性能よりスピードが勝敗のほとんどを決し
ドッグファイトは既に時代遅れであった。よって烈風は零戦の
後継機と雖も、その設計思想は大きく異なるものであった。
大馬力を活かした一撃離脱戦法の「雷電」にやや近いものがあるが
必ずしも雷電を踏襲したとも言えず、極限までデザインされた翼で
空力を生かし、さらなる運動性能の向上を目指した。
 
烈風をさらに進化させた烈風(改)はこれまでにない重武装、大馬力を備えた
重戦闘機で、局地戦闘機本来の本土邀撃任務のほか、零戦を超える長大な
航続距離を誇り、250kg爆弾二発が搭載可能で進攻作戦にも運用可能であった。
烈風改はレシプロ戦闘機としての限界、洗練を極めた。
 
海軍は機動部隊の再建をかけて空母信濃の完成に至り、天城、葛城なども
呉のドックで艦載機の搭載を待っていた。搭載予定の艦載機は
艦上攻撃機「流星、」艦上偵察機「彩雲」、艦上戦闘機「烈風」 と
トリオでの運用が計画中であったが「烈風」開発の遅れに伴い、代わって
局地戦闘機の紫電改を艦上戦闘機へ改造し運用することと決定した。
 
この機体は紫電改三一型甲(別称、試製紫電改二)と呼ばれ
空母信濃へ着艦テストが行われたが、信濃も撃沈され、艦戦紫電改は
実戦配備に至ることなく終戦を迎えた。
 
一方のA7M2烈風も東南海地震とB-29による爆撃のため三菱の生産拠点は
壊滅、実戦に間に合わず、烈風改に至っては試作機の製作すら及ばず終戦。
三菱重工が誇る戦闘機製造の歴史はここに幕を閉じたのであった。
 
烈風(改) MITSUBISHI A7M3-J
全幅14.00m 全長11.96m 全高4.24m 翼面積31.197㎡
自重 3,955kg 全備重量 5,675kg 翼面荷重181.4kg/㎡
発動機 三菱ハ四二/一一型 MK9A 過給器付 2130馬力(高度6800米時)
巡航速度416km/h 最高速度682.2km/h 航続距離2,288km
兵装30mm機関砲4門+斜め銃
 

Photo

 

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

2015年1月17日 (土)

日本統治時代のコロールの街

日本統治時代のコロールの街

昭和17~18年頃のコロールの街です。
当時のモノクロ写真は少し残っていますが、カラーですと
印象がよく伝わってきますね。美しい街並みです。
 
この絵は南洋神社と合わせて
最近、古物屋さんから大枚はたいて手に入れた絵葉書です。
この絵の中の世界へ行ってみたいです。この絵柄が好きで好きで
ずっと眺めています。
 
タイムマシンに乗ってみたい方はこちらの動画もご覧ください。
パラオ人の証言~幻の楽園

2015年1月13日 (火)

南洋神社

南洋神社

 
官幣大社・南洋神社は昭和15年、コロール島アルミズ高地に
創建された南洋群島総鎮守たる神社である。
 
南洋神社の建立
人々が営むところには必ず神社が建立される。
大正8年にはじまった南洋統治で、南洋全体での日本人の人口は7万人を
超えたが、中でも 一番の繁栄地コロールに神社が無かった。
 
そのため政府は神武即位紀元二千六百年記念行事の一環として
延べ九万坪にも及ぶ広大な境内を有する神社創建に至った。
祭神は天照大神である。かくして南洋神社は人々の心の拠り所となった。
  
祭神:天照大神
社格:官幣大社
鎮座地:コロール島アルミズ高地
境内地:約九万坪
造営費:33万1千円
造営期間:昭和15年2月-10月(9ヶ月)
鎮座日取:昭和15年11月1日
 
本殿・祝詞殿・神饌室・祭器室・渡殿・拝殿・渡廊・神饌所
祭器庫・玉垣・神塀・神橋・荒垣・神門・手水舎・鳥居・社務所
斎館・儀式殿・倉庫

上奏書 南洋神社を創立し官幣大社に列格の件

南洋群島は大正8年帝国の委任統治下になって二十余年 群島開発の業著しく進展し
いまや在住邦人7万を超え
南方の経済的発展の前進基地たるのみならず実に国防上
の要衝として重要なる地位を占め
五万の島民また聖恩に浴して福祉大に増進せらる
神武即位紀元二千六百年にあたり南洋神社を建立す
拓務大臣小磯國昭 昭和15年2月1日
米内光正内閣総理大臣 昭和15年2月6日

 
南洋神社の消失 
昭和20年、コロールに進駐してきた米軍によって 南洋神社は焼かれ、
境内とほとんどの建造物は跡形もなく消失した。
 

パラオ人による再建
その後長らく神社跡は放置されていたが、1997年、パラオ人が神社跡の土地を
購入し個人邸宅の敷地となった。 その折、神社消失の経緯を忍びなく思った
邸宅の主が、旧神社の本殿・拝殿があった辺りに祠を再建し守ってくれている。
 
当時の南洋神社そのものの建造物としては 石段と参道沿いの石灯籠などが
僅かに残っている。
 
実際に行ってみよう
では、実際に行ってみよう。現在は個人の邸宅の敷地内にあるので
必ず許可を取ってからお邪魔しよう。気軽に参拝させてくれる。
  

20100206_300

20100206_299

一度は消失した南洋神社。しかし
パラオ人が再建してくれた。こういった思いには
日本人として本当に嬉しく、涙がこみ上げてくる。
 
実際にはご祭神は移されているので正式に認められた神社ではないのだが
なんとかならないだろうか。ここの主人も全くの無償で祠を建て、毎日掃除を
してこんなに綺麗に守ってくれている。手ぶらで行くのが申し訳ないくらいだ。
 
正式に神社としてふたたびご祭神を祭るとか
(私は専門家ではないので難しいことはわからないが)
南洋神社の御朱印を設けるとか(超貴重なパワースポット)
もっと日本人に来てもらう方法を考えられないだろうか。
 
神社を再建してくださったパラオ人の方には心から感謝します。
本当にありがとうございます。


◆◆

ロックアイランド

ミルキーウェイ

ジェリーフィッシュレイク

    ロックアイランド          ミルキーウェイ        ジェリーフィッシュレイク

パラオの戦跡

日本統治時代のコロール

南洋神社

    パラオの戦跡          日本時代のコロール         南洋神社

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カヤンゲル バベルダオブ ロックアイランド ペリリュー アンガウル

2015年1月11日 (日)

緑の島のお墓(追記/ボーカル募集)

この曲は、ペリリュー島在住のパラオ人、ウエンティ夫妻が日本人の為に
作って
くれたものです。慰霊に訪れる日本人が減った今もペリリュー島の
島民
たちは緑のお墓を守ってくれています。
  
どんなメロディーか知りたいというご意見があり
今回、ピアニストの久保亜未先生に演奏して頂きました。
(原曲を細かに再現しました)
パラオ人の優しさが込められています。ぜひお聴きください。
 

緑の島のお墓
YouTube: 緑の島のお墓

▲ピアノソロ・久保亜未


YouTube: 緑の島のお墓/ミシェル~天草の海辺より

▲歌唱・ミシェルさん
 
 
Photo

 
緑の島のお墓

 
作詞:アントニオ・ウエンティ
作曲:トンミ・ウエンティ

 

遠い故郷から はるばると
お墓を参りに ありがとう
緑のお墓の  お守りは
ペ島にまかせよ いつまでも

 

海の中にも 山の中
ジャングルの中にも 土の中
英霊よよろこべ 安らかに
一緒に暮らそよ とこしえに

 

ペ島の願いはただひとつ
日本とペリリューは 親善の友
かよわい力 よく合わせ
知らせておくれよ 祖国まで

 

伝えておくれよ 祖国まで
父母兄弟 妻や子に
僕らは緑の 島暮らし
涙をおさえ さようなら
涙をおさえ さようなら
  

大きな歌詞カードはこちらからダウンロード

Imgp2841  
 
ボーカル募集します
ペ島の桜を讃える歌と合わせてCDに2曲を収録しました。
またボーカル(歌ってくださる方を募集しています)
音源を希望される方はお問い合わせください。
※非営利企画です。
 

ペ島の桜を讃える歌 (歌:御堂 諦)
YouTube: ペ島の桜を讃える歌 (歌:御堂 諦)

 
 こちらは御堂さんに歌っていただきました。
『ペ島の桜を讃える歌』

 

ペ島の桜を讃える歌

ペ島の桜を讃える歌 (歌:御堂 諦)
YouTube: ペ島の桜を讃える歌 (歌:御堂 諦)


ペ島の桜を讃える歌
YouTube: ペ島の桜を讃える歌(ピアノソロ)

この曲はペリリュー島在住のパラオ人が日本兵の武勲を讃える
ためつくってくれた曲です。
パラオ人が作ったという点に歴史上
非常に意義深いものがあります。 

 
 
ペ島の桜を讃える歌
作詞:オキヤマ・トヨミ、ジョージ・シゲオ
作曲:トンミ・ウエンティ
 


激しく弾雨(たま)が降り注ぎ 

オレンジ浜を血で染めた
兵(つわもの)たちはみな散って
ペ島はすべて墓となる
 

小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾撃ち尽くし食料(しょく)もない
 

将兵(へいし)は桜を叫びつつ
これが最後の伝えごと
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの桜に意味深し
 

日本の桜は春一度
見事に咲いて明日は散る
ペ島の桜は散り散りに
玉砕れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に
 

今守備勇士(もののふ)の姿なく
残りし洞窟(じんち)の夢の跡
古いペ島の習慣で
我等勇士の霊魂(たま)守る
 

平和と自由の尊さを
身を鴻(こな)にしてこの島に
教えて散りし桜花
今では平和が甦る
 

どうぞ再びペリリューヘ
時なし桜花(さくら)の花びらは
椰子の木陰で待ち佗びし
あつい涙がこみあげる
 

戦友遺族の皆さまに
永遠(いついつ)までもかわりなく
必ず我等は待ち望む
桜とともに皆さまを
 

2015年1月10日 (土)

リバティウォークのゼロ戦

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Livertywalk Democar
TOKYO AUTO SALON 2015
 
東京オートサロンへ行きました。
素晴らしいデザインのマシンがあったので紹介します。
零戦五二型と二一型の色そのものです。
 

 
あとはカメラの練習も兼ねてポートレートも撮影してきました。
人物は写真の中でも最も難しい分野です。抜粋して100枚を
アップしました。照明の具合が各ブース毎に異なるので
設定がコツでした。まだまだ勉強中、精進してまいります。
 
ただ、コンパニオン(キャンギャル)の方はスタイルも抜群ですし
ポーズの決め方などプロですので、私なんかが下手っぴに撮っても
実にかっこよく写ってくれます。
 

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