鹿沼市(旧粟野街)にあるお寺、常楽寺です。
ここは彼岸花(曼珠沙華)の群生地として有名で
今年も見頃を迎えています。
※見頃は9月中旬~下旬で年によって前後します。
彼岸花は墓地の境目や畦道、田んぼの土手などに多くみられ
根に猛毒を持つことから、墓を荒らすモグラを避けたり
農作物への被害を防止する目的でご先祖様が植えたのが
始まりとか、他に諸説あるようですが実際のところ
その歴史は解明されていないそうです。
そんなミステリアスな要素も相まって、この花を持って帰ると
「家が火事になる」という言い伝えがあり、子供の時分、
祖母から激しく叱られたものです。
しかし、最近ではそんな言い伝えを知る世代は高齢化し
忘れ去られつつあります。屋内に切り花として飾られていたのを
初めて見たときは驚きました。
最近は園芸用の品種として白や黄色の花を咲かせるものも
あるそうです。時代はすっかり変わりました。
とはいえこの花が咲くお彼岸はご先祖様が最も身近に
感じる頃です。黄泉の世界と少なからず繋がりがあるのではないかと
いろいろと想像を膨らませています。
常楽寺
栃木県鹿沼市下粕尾949
当ブログの画像、イラスト等の無料配布を検討しています。
素材としてお役に立てれば嬉しいのですが
悩みは扱いが難しいことです。最も危惧する点は
画像だけが次々右クリックで保存・流用され、撮影場所、意図、出所が
わからなくなる事です。誤った情報として一度流失しまうと
取り返しがつかなくなるのです。
そこをもう少し慎重に検討して改めてポリシーを掲げる予定であります。
ゼロ戦をより精密に描き直しているところです。
まずは定番の五二型を描きました。
これから六三型も描きます。六三型は五二型と比べると
スピンナーの大きさとエンジンカウルの形状が少し異なるのですが
以前描いた絵はほぼ、五二型そのまんまでした。
参考にした写真資料がそもそも間違っていたのです。
きちんと確認しないと駄目ですね。これから修正します。
機体色も中島飛行機の塗料を再現したつもりです。三菱の零戦より
すこし薄い緑色です。ひとつ前の記事で
「紫電改」を描きましたが、紫電改の塗料(川西系)は
一見おなじようでいてかなり青い色です。
なんだか書いてる内容が久し振りに
オタクっぽくなってしまいました。
メカのデザインは時代背景を顕著に反映するので
実に興味深く、飽きることがありません。
作画に伴い以下の記事を更新しました。
折口を守った神様、紫電改の林喜重大尉
過去記事のビジュアル化を進めています。
第343海軍航空隊は 主力として紫電改(紫電二一型以降の愛称)
3個戦闘飛行隊を据えていました。
菅野直大尉率いる戦闘301飛行隊は「新選組」
鴛淵孝大尉の戦闘701飛行隊を「維新隊」
林喜重大尉の戦闘407飛行隊は「天誅組」
そして彩雲偵察機を用いた
偵察第4飛行隊は「奇兵隊」 と呼ばれていました。
敵機に体当たりした「彩雲」~三魂之塔へ
このほか、徳島では紫電(一一型)を用いた
戦闘401飛行隊「極天隊」が控えていました。
第343海軍航空隊全搭乗員リスト
ハトホベイ州概要
ハトホベイ州はパラオ共和国の最南端に位置する州で
トビ島(トコベ島)とその東のヘレン環礁から成る。
北緯2度、パラオ諸島450kmに位置し
ヘレン環礁はアオウミガメ、オオシャコが多く
海鳥の大繁殖地である。
世界の果てのトビ島は
人口20名、面積は0.6平方キロメートル。
人種的には中央カロリン人に近い。
日本統治時代には燐鉱採掘のほか、鰹節やナマコ漁が主な産業であった。
戦時中は陸軍守備隊が配置されたが、終戦まで飢えに苦しんだ。
その終戦の知らせも、島へ届いたのはコロールよりはるかに後で
生き残った守備隊も帰還する術がなく、時間を要した。
現在は国境警備のレンジャーが僅かに配置されている程度で
物資補給のための定期船も一応あるが、丸三日かかるという。
「ハトホベイに飛行場を作ってくれ」
その、遥かなるハトホベイの州知事が2年ほど前、コロールを訪れ、
観光誘致にと、飛行場の建設を嘆願した。
「これがそのイメージだ」と言って広げた図面には
島に十文字の滑走路が描かれている。
驚きの青写真
驚くべきは、その図面に、日本語で
「昭和15年」と記されていたことであった。どうも当時
日本海軍がペリリューに次いで計画した滑走路だったらしい。
とんでもないお宝と歴史の発見だった。
遥かなるハトホベイ 遥かなる昭和15年
観光が成り立つかはさて置き、
単純問題、ハトホベイへ飛行機を飛ばすのは可能なのか
現地のパイロットに尋ねると
「何もない洋上を長距離飛ぶので双発の飛行機でないと渡航は困難」
らしい。それにしても当時の日本はここに十文字の滑走路を造成し
本気で零戦を飛ばそうと計画していた。
遥かなるハトホベイと、遥かなる昭和15年の設計図。
感慨深い出来事であった。
※写真はアイライ飛行場。イメージです。
なんと、アンガウル島で玉砕した後藤大隊長直近の
ご遺族から連絡を頂きました。
私のブログを偶然見つけてくださり「とても驚いている」
との旨でした。ブログをやっていてよかったです。
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2014年(平成26年度)富士総合火力演習に行ってきました。
晴天に恵まれ、全ての演目を見学できました。
今年は島嶼防衛(離島奪還作戦)をシミュレーションして行われました。
途中、少し霧も出ましたがそのほかおおむね晴れました。
生まれて初めて戦車を見ましたが、その砲撃は凄まじいもので
空気を切り裂く雷鳴の如く高音と、それに続く低音。
地面は地震のように波打ち、圧縮された空気の波が体にぶつかってきます。
この迫力、とても写真では伝え切れません。感激でした。
海上自衛隊のP3C哨戒機も飛来。
三機編隊のF2戦闘機が爆撃を行いました。
陸上自衛隊音楽隊も大人気。人気アニメの
妖怪ウォッチやアナと雪の女王のテーマソング
AKB48、嵐など、流行の曲なども演奏していました。
終了後は装備編展示を見学して帰りました。
10式戦車が人気でしたが、退役を控えた74式戦車を
今のうちよく見ておくべきだと思います。
戦車の轍(わだち)です。
御殿場駅(および駐車場)へ向かうシャトルバス乗り場の
行列。気温は山の上なので26度程度でしたが、日差しが非常に強く
日焼けと熱中症対策は必須です!
当日のプログラムです。
大事に持ち帰ってきました。