千明隊トーチカ
ペリリュー島南部/千明大隊トーチカ
不死身の日本軍小要塞
小要塞とも呼べるこの巨大トーチカは、南部地区隊の高崎十五連隊第一大隊
千明武久(ちぎらたけひさ)大隊長の陣地内にあり、鉄筋コンクリート厚さ
1.5メートル以上、銃眼口の開閉式鋼鉄は厚さ30ミリと、艦砲射撃も効果はなく
75ミリ戦車砲も跳ね返された。
地下に設けられた出入り口により 火炎放射は役にたたず中の日本兵は
事実上不死身に近かった。 日本守備隊は、当初米軍の上陸地点をここ
南地区と予想し、最重要拠点として 強固な陣地を構築していた。
実際の戦闘では第七海兵連隊に背後を突かれる形となったため陣地の威力を
充分に発揮できなかったが、千明大隊は敢闘し上陸部隊に大打撃を与えた。
千明大隊長と若き精鋭、高崎十五連隊
千明大隊長は群馬県片品村出身の28歳で、配属部隊と合わせて750名を
指揮し、上陸戦当日にはオレンジ3上陸部隊の右翼を叩き、北方に
追いやったことで上陸後の海兵隊に大混乱を生じさせたほか、上陸後も
アンパンと呼ばれる地雷を用いて抱いて敵戦車の腹下に潜り込み自爆する
戦法を用いて敵戦車を擱座させた。
千明大隊長は最前線で指揮中に銃弾を受け16日未明に戦死。
部隊は群馬県出身者が最も多く次いで長野、栃木、茨城出身と、いずれも
20代前半の現役兵であった。
米海兵師団に水際で大損害を与えたのは有能な指揮官である千明大隊長と
部下の 高崎十五連隊第一大隊が歴戦の精鋭でこそ成し得た結果であろう。
陥落
この小要塞は最終的に、 勇敢な海兵隊爆破班が煙幕を利用し、 死角を突いて
少しずつ這うように接近、 壁に直接爆薬を設置して爆破、陥落させた。
千明大隊長戦死後も大隊は戦闘を継続したが 18日までに玉砕。
海兵隊は東海岸へ進出した。
ガイド
中に入ることもできます。入って、トーチカ内側から海を見てみてください。
兵隊さんがどんな気持ちだったか、少しだけわかるかもしれません。
千明大隊長について
群馬県片品村にある千明大隊長のお墓へ
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