2017年9月19日 (火)

篠原弘道少尉のお墓

Dscn0547_2

私は間違っておりました。ノモンハンのエース
篠原弘道少尉のお墓が宇都宮市内に存在することがわかりました。
それを知って早速、篠原少尉のお墓参りに行ってきました。
 
以前、私は篠原少尉のお墓は無いと書きましたが
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2015/03/post-e10c.html
遺族ではない、ある方がお墓を建ててくれていたのです。
  
こうしてお目にかかれるとは
感激感涙であります。
 
当時、国民的英雄だった篠原の戦死の報せが日本中にメディアで伝わり、
普段、停車しない雀宮駅に特急列車が停車しました。
あれから78年、すっかり風化してしまったものと思っていましたが
こんなにも立派なお墓が、ある方によって、残されていました。
 
詳しくは、後ほど記事を加筆修正します。

2017年9月17日 (日)

零戦スケールモデル比較図

A4_2

スケールモデル比較写真を作成しました。
  
1/18 エリートフォース製(メーカー完成品)
1/32 ハセガワ製新金型零戦52型丙(神雷工房作品)
1/48 零戦52型261空仕様(神雷工房作品)
1/72 零戦52型谷水機(メーカー完成品)
1/100 童友社翼シリーズ(半完成品)
1/144 ウイングクラブコレクション赤松機(半完成品)
 
モデル/みけくん
製作/神雷工房様
撮影/Y.NAMIKI
企画/空のカケラ

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機ベクターデータ販売

03

01

02

04

05

06

Photo

15

17

18

16

19

21

22

23

24

25

26

27

28

30 

Photo_2
 
販売用のベクターデータの見本一覧です。
第一弾は「ゼロ戦」です。
 
自由に着色・加工・編集が可能なデータです。
 
価格ですが下記の通りで提供させて頂きます。
商用は全ライセンス付与です。
 
商用 ¥49,800-
▲プロモーション・宣伝・広告等での利用
▲グッズ製作(Tシャツ・マグカップ等) 
▲まとめサイト(キュレーションサイト)での利用 

▲アフィリエイトが付随するサービスでの利用 
  
非商用 ¥2,980-
〇個人ブログ・ウェブサイト素材としての利用

〇動画素材(youtube、ニコニコ動画など個人非商用アカウントでの利用)
〇発行部数1,000部以下の同人誌・趣味の印刷物

〇SNSのアイコン等
〇教育・講演、プレゼンテーション等

 
非商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC
 
商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP
 
こちらに続きまして
彗星や紫電改、震電、陸軍機、戦艦などもラインナップに追加していきます。
よろしくお願い致します。

2017年8月 9日 (水)

持ち出し用掩体壕

Dscn0791_2 Dscn0792

Dscn0799

Dscn0796

Dscn0794 
出前持ちのおかもちをヒントに作成しました。
模型持ち出し用の梱包です。
 
模型作品を家に飾っておくより多くの方に見て頂きたいがモットーです。
講演会などで積極的に持ち出します。 元パイロットの方も模型を
ご覧になると、「懐かしいのう」と、昔の記憶をいろいろ思い出して
くださるのです。二次元のイラストとは雲泥の差があります。
先日お目にかかった大野さんも
「ほとんどこの通りだった」と懐かしそうに仰っておりました。
 
梱包は干渉に気をつけながら、機体そのものは浮かせることで
破損を防ぎます。掩体壕のような形になりました。
現地でそのまま展開し取り出し、収納が可能です。 
 
掩体壕の中身は1/48の彗星。
神雷工房様の作品です。

2017年8月 8日 (火)

ゼロ戦の増槽大研究

Photo
零戦のイラストを全種類描くにあたって
増槽も描いています。
 
増槽(ぞうそう。陸軍名称は落下タンク)
は長距離を飛行する際に取り付ける外部燃料タンクで、
中身が空っぽになったら、切り離し捨ててしまうタンクです。
 
増槽は型式が存在せず、機種によってバラバラなのです。
これだけ零戦がブームなのですが、増槽は
全然研究がされておりません!
専門書などを見ても多くが割愛されております。
 
私も本物をほとんど見たことがありません。増槽だけ展示してあるのは
万世特攻平和祈念館と筑波海軍航空隊記念館くらいでしょうか。
使用後捨ててしまうものですから、残っていないのは仕方ないのかもしれません。
図面も機体の一部としては見なしていないようです。
 
材質・塗装・形状・取り付け場所・支柱、すべてが
年代や機種によって全く、あるいは微妙に異なります。
 
全部は描ききれないので、まず、ゼロ戦に限って描くことにします。
ゼロ戦だけで主に三種類あります。このほかに現場で小加工して取付したり
したケース等、たくさんのパターンがあります。 
 
◆初期型胴体下330リットル(海軍機専用)
もっとも有名なのは真珠湾などで使用した21型の初期型。330リットル。
(彗星艦爆と兼用です。彗星艦爆は翼下に二個装着できます)
支柱にカバーが装着されています。主に52型で見られます。金属製。
 
◆後期型胴体用320リットル(海軍機専用)
次に後期型。形状がかなり細長くなります。主に52型甲以降に見られます。
「雷電」などにも同じものが使われています。
材質は木製に変更され、支柱も剥き出しになっています。
 
◆陸海軍統一型二型落下増槽200リットル×2
翼下に二個取り付けるタイプで「隼」「飛燕」「疾風」など
陸海軍で同じものを使っていました。
ゼロ戦は62型以降の零爆で胴体下に爆弾を取り付けた場合
翼下に二個となります。木製。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

1

2

イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。

2017年7月24日 (月)

二式大艇パイロット吉田さんインタビュー

Imgp1087

第901海軍航空隊で
九七式飛行艇、二式大艇のパイロットをされていた
吉田さんにインタビューをさせて頂きました。
吉田さんは飛行時間1000時間で、
九七式、二式と両方の飛行艇の操縦をされておりました。
 
実はハセガワ模型のパッケージで有名なこちらの箱絵、KEA63号機は
吉田さんが操縦していた九七式飛行艇で、戦後、このイラストを見て
びっくりなさったそうです。

Imgp1086 
吉田さんは飛行艇の着水の操縦方法を解説してくださいました。
こちらのインタビュー動画を交えて
少しずつ、書かせて頂きます。
 
また、吉田さんの講演予定もございますので、決まり次第
こちらで告知させて頂きます。

2017年3月25日 (土)

赤城と零戦

赤城と零戦

お待たせしておりました、赤城を発艦する零戦、撮影しました。
赤城製作はラプター氏。零戦製作は神雷工房様です。
モデルのAI-103号機は赤城戦闘機分隊士の指宿正信大尉機としました。

赤城と零戦

赤城も細かい部分まで作り込まれています。
詳しくはこちら

20172

Imgp3387

Photo

1/700スケールの赤城に1/48の零戦を搭載したので
ネタバラシをすると元々はこんな感じ。

Imgp7133

Photo_2

他のアングルでも色々撮影できそうです。
ラプター様、神雷工房様、ありがとうございました!

2017年3月22日 (水)

1/700の空母に1/48の九九艦爆を無理矢理のっけてみる

88_2

先日の飛燕の撮影ついでに江草少佐の九九艦爆も撮ってました。
実際は蒼龍搭載機なので、艦橋を無理矢理反転させて
それっぽくしてます。練習ということで、本番は零戦でやります。

2017年3月20日 (月)

飛燕~小林照彦戦隊長機

飛行第244戦隊の飛燕、小林照彦戦隊長機

飛行第244戦隊の飛燕、小林照彦戦隊長機です。
B-29に突撃するシーンを再現しました。
 
二機は別々に撮影し、合成したもので
撮影は同じ場所、同じ時間に行います。

これが一番簡単な方法で、
陰影(光の当たる角度)が統一され、合成した際

不自然になりません。
 
B-29を背景レイヤーに設定して、ボカしをかけ、その上のレイヤーに

切り取った飛燕をペーストします。仕上げに釣糸を消して
プロペラを回転させます。
 

主役の飛燕は神雷工房様の作品です。
B-29は篠原が製作しました。(B-29はボカしてしまうので手抜きです)
納品から公開まで随分時間がかかってしまいました。
申し訳ありませんでした。
 
今度、この画像をプリントして
飛燕のパイロットの方にお渡しする予定です。
 
関連記事

244戦隊マーク

飛燕の無線交信

1/48のB-29を作ろう

竹田五郎さんのお話「飛燕」高度1万メートルの戦い

飛燕Tシャツデザイン

飛燕戦闘機隊々歌完成

2017年1月16日 (月)

1/144 T-4

Imgp6095

1/144のT-4を集めてしまいました。
お菓子のおまけ(食玩シリーズ)です。
 
手前からブルーインパルス、エフトイズ、アクロチームコレクション
その右のグレーの機体が童友社 T-4(第8飛行隊)
赤いのが、エフトイズ日本の翼コレクション3、第13飛行教育団。
迷彩が同じく日本の翼コレクション3、T-4 S 第306飛行隊 小松基地。
洋上迷彩が、GIGA 1/144戦闘機 T-4コレクション5.浜松基地
第31教育飛行隊 洋上迷彩。

 
T-4はシンプルで綺麗な飛行機ですよね。航空自衛隊の練習機で
TはチュートリアルのTです。

Imgp6073

2017年1月15日 (日)

零戦21型紙飛行機発売

A43

紙飛行機屋さんの新作です。
1/48スケール、零戦21型の紙飛行機販売開始しました。
待望の零戦21型。空母瑞鶴搭載機です。 
 
 
当キットは、製作者である紙飛行機おじさんが設計デザインをはじめ、
何度も試作を重ね精度を高めておりますので、
とても作りやすいキットとなっております。
 
素晴らしい3D造形は模型として飾っても
満足いただける仕上がりです。
 
子供さんから大人まで幅広くお楽しみ頂けます。
1袋に2機入っておりますので、失敗しても安心です。(2袋で送料無料となります)
ぜひこの機会にお求めください。
 
 

※空母は付属しません
  
販売ページへ
 
 

A4

※1パッケージに2機入り、内容物見本。

Imgp6059

A4_2

完成例見本
 
ミュージアムショップ様向けに卸売も可能ですのでロッド数をご相談ください。

2016年12月24日 (土)

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング一覧を作成しました。
 
原則的に一航戦は赤城が赤一本、加賀が赤二本、
二航戦は蒼龍は青一本、飛龍は青二本、
五航戦は翔鶴白一本、瑞鶴は白二本となっております。
 
なお、尾翼のラインと色は分隊長ごとに異なるので
ここでは一例を描き、法則は無視するものとします。

2016年12月15日 (木)

「探してます」→「知ってます」情報共有掲示板

この頁は調査をされている方の情報共有掲示板と致します。
各種調査にお使いください。検索エンジンから多くの方が訪れますので
何か手がかりがつかめるかもしれません。
 
書込みむ際のお願い
・身内の方で戦没者の調べ方についてはコチラをご覧ください。
・無記名・匿名はご遠慮ください。
・他の閲覧者に配慮が頂けない書込みは予告なく削除します。
・連絡先交換等は自由ですが、個人間のやりとりは当サイトで責任は負いかねます。

2016年12月 1日 (木)

1/18 エリートフォースの零戦21型

1/18 エリートフォースの零戦

1/18エリートフォースシリーズ(BBI社製 ELITE FORCE)の
零戦です。量産品で手に入る限り一番大きな
零戦の模型です。これ以上大きなものはありません。
大きさ比較のため杏樹ちゃんに持ってもらいました。 
 
暗緑色ですが、これは零戦21型です。
機体のカラーリングは虎110号機。
第261海軍航空隊(虎)での内地訓練仕様です。
帯の色は諸説ありますが、これは黄色と白のパターン。
 
製品は彩色済みなので、箱から出して組み立てるだけです。
脚出し、収納いずれか選択可能。またキャノピー(風防)も
開閉選択可。増槽も取り外し可。おまけにパイロットフィギュア付き。
 
物足りないという方には
ディティールアップのベースにもいいかもしれません。
ただ、大きいなりに、既に相当数のリベットが打たれています。
 
一般的なモデルが1/48、あるいは1/32。
昔バンダイから出ていたのが1/24でしたから
それよりもっともっと大きいです。

2016年11月15日 (火)

1/700の神業

Imgp3449

秋葉原のボークスに展示されている1/700の日向と大鳳が
素晴らしいんです。店内は原則撮影禁止なのですが、
この作品に限り
撮影OKとのことで、写真に収めてきました。
細かすぎてピントが合いません。マクロレンズがほしい。

1

Imgp3450

2 
船の全長はどちらも、25センチぐらいです!!!
 
本当に人間技か?小人さんが作っているんじゃないかというほどの
出来栄え。
下は大鳳です。 

Imgp3446

1_2

Imgp3442

そしてこちらは、艦船模型用の航空機を使った
1/700の零戦ジオラマ!
 
翼の横幅は17ミリです!

ひえええええ!! 

Imgp3452_2

Imgp3451_2

以上、1/700の神業でした。
実際にご覧になりたい方は秋葉原ラジオ会館のボークスへ。

2016年11月10日 (木)

くろがね四起 ジャングルに眠る

くろがね四起(九五式小型乗用車)

バベルダオブ島のジャングルを探索中
伝説の名車「くろがね四起」を発見しました。
フロントグリルとガーニッシュの形が特徴的です。

 
くろがね四起(正式名称:九五式小型乗用車)は
東急くろがね工業(現在の日産工機)が開発し
昭和11年~19年まで製造された純国産の四輪駆動車(4WD)でありました。
エンジンは1.2リッターから1.4リッターで33馬力(3300回転時)でした。
(80年後の現代における最新の軽自動車が0.6リッターで64馬力です)
 
くろがね四起は昭和19年までに4000台が製造されたとの記録が
残っています。大量生産の技術が乏しかった日本です。
自動車の生産台数としては少ない数でありますが
オートバイの陸王と並んで最も有名な自動車です。
  
帝国陸軍で正式採用されたくろがね四起は
各地で活躍しました。
ここバベルダオブでも自動車部隊がありましたし
伝令や将校の移動などにおいて活躍したものと考えられます。
 

41nzwtum2ll

Imgp2109_2

Photo

こちらはタミヤ模型の軍用カラーなので一見地味にも見えますが
広く民間にも使われていたなら、ポルシェやフォルクスワーゲンなどと
並ぶ、とてもお洒落でかっこいい車だったに違いありません。
 
くろがね四起は、その役目を全うして、ジャングルの中、静かに眠っていました。
世界の覇者であった大日本帝国時代の名残です。

-----------------

九四式六輪自動貨車(九四式トラック)

▲そして、こちらはいすずの九四式六輪自動貨車。通称九四式トラック。
このあたりには自動車がたくさん残されています。
  

Imgp2112

Imgp2103

Imgp2102 
▲この車種だけがわかりませんでした。
フロント(ボンネット?)の溝が特徴的です。

2016年11月 8日 (火)

赤城(ミッドウェイ作戦時艤装) 1/700

Imgp3356

ラプター氏が製作しました、航空母艦「赤城」(ミッドウェイ作戦時艤装)です。
「ジオラマ撮影に使ってください」ということで、このたび御提供頂きました。
 
心血を注いだ作品を、本当にありがとうございます。
撮影前に、ディスプレイ状態で紹介させて頂きます。
 
ミッドウェイの特徴である甲板の日の丸と、
艦橋にはハンモックが巻かれ、Z旗や旭日旗も翻っております。

Imgp3358

Imgp3379

Imgp3361

Imgp3362 
手すりや階段も全てエッチングで取り付けられております。
1/700スケールということで、極めて技術の要する作業です。
 

Imgp3369

Imgp3377

Imgp3387

Imgp3376

Imgp3373

Imgp3372

このラプター氏の製作した赤城と、
神雷工房様の製作した零戦二一型(赤城搭載機)を合成して
発艦シーンを再現します。発表まで今暫くお待ちください。
 

2016年11月 1日 (火)

西住みほ&IV号戦車

ガルパン(西住みほ)コスプレ

Iv02

59809682_p0

ガールズ&パンツァーのデジラマを作製しました。
あんこうチームのIV号戦車&西住みほです。 
 
スペシャルサンクス
模型製作/春乃みどり
モデル/杏樹
 

2016年10月24日 (月)

1/48 B-29完成

B-29の1/48スケール

プラモ製作日記。1/48スケールB-29完成しました。
ゼロ戦との大きさの違いを理解してもらう為に
イベントなどで展示しようと考えてます。
本土空襲では、これが200機も攻めてきたのですから、
大変なことだと思います。
 
もし、作ってみようという方がいらっしゃましたら
こんなにでっかくなります。ご参考ください。
 
製作中の写真はこちらです。

2016年10月16日 (日)

1/48のB-29を作ろう

Imgp2990

アメリカ・レベル(モノグラム)製、
1/48スケールのB-29を組み立て中であります。1/48スケールは
このレベル製のみなので非常に得難い品物であります。
 
完成の暁には
同じスケールの飛燕やゼロ戦とセットにしてジオラマを製作し、
講演会やイベント等で展示予定です。
その大きさと、大空中戦の模様を理解してもらうためです。
 
キットの感想ですが
インターネットの模型製作ブログやAmazonのレビューでは
「部品の合わせが悪く苦戦」とか書かれていますが、
個人的にはそんなことはありませんでした。
もちろん国産のハセガヤやタミヤと比べたら劣りますが、
初期のファインモールド(1/48彗星)などと比べると非常に良好と
感じました。あくまで個人的な感想です。
 
長期間、在庫されていた製品なら変形している
可能性が大きいですので、個体差があると思います。
ネットオークションでは高値がついていましたが、再生産・輸入されたようで
模型店で普通に普通に購入できます。私も定価で買い求めました。
 
マスキングは窓が大きいので楽でした。
数が多いので時間はかかります。
コクピットの内部もしっかり再現されていますが、閉じてしまうと
内部はほとんど見えません。なんだか勿体ない。
カットモデルにしたらいいかもしれません。
 

追記/完成しました。
 

B-29の1/48



2016年10月 8日 (土)

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦)52型

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦52型)

Photo_3

零戦をはじめとした陸海軍大戦機のフリー素材アイコンを作りました。
PNG形式でダウンロードできます。
画像一段目、ゼロ戦21型上、52型上
二段目、21型横、52型横
 
マーキングを省き素の状態ですので、
各自機番号等ペイントツールで入れてお使いになれます。
 
機番号やマーキングを入れてほしい方は
こちらでお入れすることもできますので、ご連絡ください。
 
21型のほかに、11型、22型、32型、52型甲、52型乙、52型丙、53型丙
62型、64型(試製54型丙)、零式練戦、二式水戦など、
全ての型式をご用意しておりますのでご希望の方は
別途お問い合わせください。三菱製、中島製がお選び頂けます。

01

03

Photo

010

04_2

Photo_2

05

06

07

Photo_3

08

09

Photo_4

シルエット1、2段目、ゼロ戦52型。
3段目、晴嵐、疾風、流星
4段目、飛燕、震電となっています。
 
非営利に限り、無料でご利用になれます。
商用の場合は有料となりますがアウトラインデータも
提供できますのでお問い合わせください。 
 

必ずこちらに従ってご利用ください。
画像使用についての決まり

以下写真画像

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

2016年7月29日 (金)

震電 雑餉隈の夏

Imgp1318

Imgp1215_2

Imgp1217

Imgp1246

Photo

Imgp1219

Imgp1251_2

Imgp1249

Photo_2

Imgp1223

Imgp1244

Imgp1316

Photo_4

Imgp1267

Imgp1270

Imgp1271

Photo_5 
いつも模型製作でお世話になっております。
神雷工房様の提供完成品『震電』です。
渾身のフルリベット(本物同様に、機体に一本一本、鋲を打つ作業です)
仕上げ。その素晴らしい職人技を、写真を拡大してご覧ください。
 
飛行機模型製作の
ご注文・お問い合わせはこちらから
 
震電は
プロペラが後ろに位置する「エンテ翼」と呼ばれる機体です。
九州飛行機が機体デザインを担当し、エンジンは三菱製を搭載しました。
30ミリ火砲と上昇力を備え、B-29邀撃用戦闘機としての活躍が期待されて
いました。
昭和20年、8月、福岡県、雑餉隈(ざっしょのくま)で製造され
近くの陸軍席田飛行場(現・福岡空港)から離陸に成功しましたが、
実戦配備される前に終戦を迎えました。
この機体も史実通り、
雑餉隈仕様を再現して頂きました。

 
SF映画やアニメ、空想戦記で多く登場するため

女性や、幅広い年代に認知度が高く、人気の飛行機であります。
 

※周りのジオラマ素材は篠原が製作したものです。室内撮影のため、背景の青空は
エアブラシで描いたものです。

2016年7月13日 (水)

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

神雷工房様の作品、1/48「彗星」ファインモールド製です。
機番号311-212は空母大鳳の彗星艦爆隊で
平原政雄大尉の二番機だった小松幸男飛曹長と国次萬吉上飛曹ペアの
機体です。
ll-212と表記する説もありますが、写真が残っていないので
どちらだったか解明されていません。この彗星の敢闘を目撃した
藤本さん(インタビューした内容の一部)の話をまとめます。

  
◆魚雷に対し自爆した彗星
時は昭和19年6月19日、
マリアナ沖海戦、一航戦は、零戦、彗星、天山による
編隊を組み、米機動部隊へ向け進撃を開始つつあった。
そのとき、米潜水艦より発射された魚雷が二本、大鳳に向かう。
 
「私の600メートルくらい前、彗星艦爆が一機、横切ったんですよ。
彗星が編隊を離れて、250kg爆弾を抱いたまま魚雷に向けて
ザバーンと、雷跡に突っ込んで行きました」
 
瑞鶴零戦隊の藤本速雄氏の証言によれば、この彗星は大鳳から発艦した

彗星艦爆隊長、平原政雄大尉の二番機だったという。
 
資料によれば、この平原大尉の二番機は、
小松幸男飛曹長(甲7)と国次萬吉上飛曹(乙11)の機体だった。
 
彗星は大鳳を守るため、魚雷へ自爆を敢行したと云われるが、実のところ、
雷跡の存在(あるいは敵潜水艦の位置)を大鳳へ知らせる為に
咄嗟に取った行動で、急降下によってスピードがつきすぎた為、
そのまま海面へ衝突してしまったのではないか?
とも藤本氏は推測している。小松上飛曹、国次上飛曹ペアは
戦死したので現在となっては謎である。

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

1/48彗星 小松幸男飛曹長機 ファインモールド

2016年7月 1日 (金)

零戦画像集その1

ゼロ戦画像まとめです。
 
記事で使用しました零戦の画像・写真・イラストの一覧を作りました。
優美な姿を多くの方にご覧になって
ゼロ戦を好きになって頂ければと
思います。
 
私自身が作成した他、ライセンスを得る等、お借りしている画像もありますので
利用希望の方は必ずお問い合わせください。
 
逐次追加していきます。

52型と21型

零戦21型岩本徹三機

零戦52型

Photo_2

零戦21型レプリカ(テキサン)

二式水戦

Photo_3

零戦型式一覧零戦21型と52型の違い

零戦21型「赤城」進藤三郎大尉機

零戦64型(54型丙)

Photo_4

零戦52型

零戦52型

Photo_5

零戦52型

零戦52型(261空)

Photo_10

零戦中島三菱塗装の違い

▲南溟の桜(当サイト)

A4_2

A1_3

四式戦「疾風」

艦上爆撃機「彗星」一二型

Photo

百式司令部偵察機三型

雷電(青木機)

Photo_6

紫電改(菅野直機)

飛燕(244戦隊)

Photo_7

Imgp94382

Imgp1010

Photo_8

Imgp13182_2

Raidenn_2

Photo_6

03

46042325_p0

45000445_p0

Photo_9

46068372_p0

48592304_p0

48554785_p0

Photo_11

48430560_p0

50447396_p0

Imgp1010v

Photo_12

50175384_p0

57575969_p1_master1200

57575969_p0_master1200












2016年6月12日 (日)

模型製作

Imgp0315

Imgp0344

療養中ということにして久々に本気で模型製作。
 
1/48のゼロ戦丙型であります。
鳴尾の332空仕様。機番号は推定であります。
雷電隊が100番台を付与されているのに対し、零夜戦隊は
40番台。332空では雷電とゼロ戦の丙型が同じく局戦と位置付けられ
B-29の邀撃を行いました。機番号の付与は零夜戦と昼間用の零戦は
別ではないかと考えまして今回は120番台としました。
 
完成品はひどいものですが(笑)観賞用でなく
講演会などで説明用程度には使えるだろうと思います。

2016年6月11日 (土)

Z旗翻るマリアナの空へ

Imgp0122

 
神雷工房様の作品で撮影・加工しました。
瑞鶴の飛行甲板より出撃する零戦52型です。
他のバージョンも製作中です。

2016年5月22日 (日)

扇風機を改造してみた

零戦扇風機

当ブログの画像をまとめサイトへ転載することは禁止しております。
利用料金を請求させて頂きます。
 
最近、特にまとめサイト等で文章を転載したり
画像を無断で掲載されるケースが多くなってきました。
まとめサイトで行われている行為は引用でなく、転載と見なします。 
 
第一条第六項
まとめサイト・二次配布・商用・アフィリエイト等の目的で転載が確認された
場合は、80,000円をお支払い頂きます。(削除の有無にかかわらず)
 
当サイトを訪問し、画像を無断転載された場合は
規約に同意されたものと見なします。
 
---------------------------------------------------------
 
浴室の脱衣所の扇風機が古くなっていたので再塗装。

元々は白だったのですが経年劣化でかなり黄ばんでいました。
ちなみに20年もの。
思いつきで零戦カラーにしてみました。
 
サーフェイサーも吹かずにやっつけ仕事です。モーターの開口部を
マスキングしてエアブラシでおおまかに塗って、細かいところは筆塗り。
余っていたデカールを適当に貼って完成。
 
浴室は家族以外誰も来ないし、まあこんなモンでいいかなと、
しかしながら空は飛べません。

2016年5月12日 (木)

疾風ミニポスター

842

842_2

Photo 
航空祭で配布予定のB5サイズのミニポスター(資料)です。
裏側は資料となっております。とはいっても疾風の戦記でなく
生産側の視点が主となっています。

 
戦中、宇都宮では疾風の製造工場がありました。
疾風の製造工場で必死に働く
16,7歳の女学生の話など
当時の証言をもとに記載しました。
大東亜決戦機、それはまさに国民の
総力が注ぎ込まれ
前線に送り出された、飛行機でありました。
 
少女が重労働に従事し、最前線では同じく16,7の少年が特攻へ行く、
これは悲劇ではありますが、同時に、
本当に日本の為に頑張ってくれてありがとうございますと、
そういった気持ちを周知したいと願うものであります。

2016年5月 9日 (月)

零戦六四型

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

幻の零戦64型です。
終戦間際に三機のみ製造されたモデルで、試作機を54型丙、
量産型を64型と称します。
ゼロ戦の最終型のひとつで、これも
神雷工房様の作品を使用し
再現、アレンジしました。
 
三菱「金星」エンジンの搭載に伴い、大型化したエンジンカウルと
プロペラ・スピナー、上部のエアインテークが特徴です。
エンジンは彗星三三型と同じとの説があります。
 
「もう格闘性能は時代遅れだ!」「モアパワーだ!」ということで
出力と一撃離脱に特化。剛性を強化したモデルです。
 
ゼロ戦の優美なフォルムが失われている反面、
いかにも改造機といった造りになっており
好みが分かれるところです。
 
胴体内機銃を撤廃。
零戦52型丙と同じくロケット弾搭載用レール、
左右両翼下に増槽を搭載可、胴体下に爆装可とし
昭和20年、横須賀と青森県の三沢にありましたがGHQの進駐に伴い
破壊されてしまいました、幻の機体です。
 

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

Photo_44

零戦六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
 
零戦64型/五四型丙 
【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

零戦の雑学-型式一覧へ戻る
 
21型 32型 22型 52型 52型甲 52型乙 52型丙 53型丙
54型丙 62型 63型 
64型 二式水戦

零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改

2016年5月 7日 (土)

模型製作代行「神雷工房」様のご紹介

52型と21型A4_2
Imgp94382

模型・プラモデルの代行製作(委託製作)の神雷工房様のご紹介です。
  
当サイトでもお世話になっております神雷工房様は
リアルなゼロ戦模型の製作に特化したプロモデラーさんの工房であります。
ゼロ戦以外にも艦爆、艦攻、陸軍機など何でも製作OKです。
(写真は陸軍の四式戦疾風です。他にも未公開の作品がいくつかありますので
順次アップしていきます)
  
模型製作代行業者は他にもありますが、神雷工房様の特徴としましては

製作者が実際に多くのゼロ戦パイロットや整備兵の方と接してきましたので、
証言をもとにしたリアルな機体が製作可能なのはもちろんのこと、
なんといっても丁寧、親切なやりとりです。
細かい仕様や色の好みなど
わからなければ史実に基づいたアドバイス、施工もしてくださいます。
 
予算などもやさしく相談に乗ってくださいますので
おすすめです。
 
詳しくは下記サイトをご覧ください。

神雷工房サイト
http://jinraikohboh.web.fc2.com/

神雷工房ブログ
http://jinraikohboh.blog.fc2.com/
 
  
今後、神雷工房様の模型を当サイトのコンテンツでも使用していきます。
(同一ページ内にクレジットを明記しますのでご参考下さい)
 

Imgp0122

64

Photo

Imgp1010

Imgp13182_2

2016年2月13日 (土)

Me262 Lorin ラムジェット搭載機

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Photo_2

洗練するドイツ製ジェット戦闘機
Me262 Lorin ラムジェット機は、1945年

オイゲン・ザンガー博士によってデザインされた
ドイツ空軍、Me262のアップデートモデル。
本機は世界発のジェット戦闘機であるMe262のjumo004エンジン
に加え、翼上に直径1.15m、全長5.9mのローリンラムジェットを搭載した
4発機である。
 
スタンダード機であるMe262が高度6000における
最高速度が870km/hだったのに対し
Lorin ラムジェット搭載機は1万メートル迄
僅か6分(Me262は26分)で上昇し1070km/hの最高速度
が可能な設計であったが、ドイツの敗戦とともに幻の怪鳥となった。
  
日本製ジェットエンジンの黎明
その頃(1945年/昭和20年)、日本では、ドイツ本国から
ジェットエンジンの設計図と部品を持ち帰るべく
出港した潜水艦の到着を待ちわびていたが
いずれも撃沈され、最後まで日本に到着することはなかった。
 
そのため、中島飛行機小泉製作所(群馬県)では
100パーセント純国産のジェットエンジン「ネ-20」を開発していた。
このジェットエンジンを搭載した新型機を海軍では「橘花」
陸軍では「火龍」と称し、橘花は、終戦の数日前
木更津飛行場で初飛行に成功していた。
 

記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

  
戦史 ブログランキングへ

2016年2月 3日 (水)

1/144空母ジオラマ「飛龍」

1/144空母ジオラマ「飛龍」

▲1/144飛龍(ミッドウェイ海戦)が完成しました。 
170センチ×36センチの巨大な紙にインクジェットで印刷し
甲板の質感を出すため、マットラミネートでコーティングしました。
最後にコツコツ集めた食玩のゼロ戦(1/144ウイングクラブと
ウイングキットコレクションシリーズ)を固定して完成です。
 


▲プリントアウトする前のイラストはこちらです。
  

1/144空母ジオラマ「飛龍」

九九艦爆も並べてみましたが、真珠湾時の塗装であることと
数が多すぎてゼロ戦の滑走距離が足りないので
今回は二種類のみとしました。
  
甲板の半分も並べると目が回ります。
数が多ければいいというものでもないと
解りました。直掩中ということにして
ゼロ戦隊のみでもバランスよかったかな?と思います。

 
今後はイベント等で機会あれば展示しようと思います。
 
 

記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

  

 
1/144「飛龍」試験販売中!
http://www.amazon.co.jp/dp/B01BN7S1SQ

2015年9月26日 (土)

さらば空中戦艦富嶽

富嶽 爆撃機

◆富嶽計画概要
  
富嶽(ふがく)は中島飛行機が開発を行った超大型重爆・戦略爆撃機で
またの名を空中戦艦「富嶽」と呼称した。富嶽を用いた富嶽計画は
中島飛行機創設者であり、大所長の中島知久平が考案、推し進めた唯一の
必勝戦策であった。
 
中島知久平は英米と真っ向勝負を挑んでも、勝ち目がない事を
戦前より繰り返し唱えており、
戦艦の建造競争は今すぐ
やめるべきだと主張。
 
いずれ必ずやアメリカの超重爆が日本本土に来襲し
焦土と化すであろう、それより先に、我が国が戦力の主力を航空機に据え
アメリカ本土の工業地帯の中枢を叩き、
撃滅。決戦を挑むことにより
早期講和を引き出すことが絶対条件と
捉えていた。
 
日本を離陸した富嶽は太平洋を無着陸で横断し、アメリカ本土を爆撃。
そのまま大西洋を横断しドイツ占領下のフランスへ着陸。給油後、日本へ
帰還する計画で
地球を東回りに一周することになる。
 
◆中島知久平の必勝戦策

昭和13年、中島知久平はどうしても戦争をやるなら、勝つためには
これしかないと、九十八
頁に及ぶ必勝戦策を書き綴った。
 
必勝戦策の第一章「大型飛行機出現による国防の危機」と題した
中島知久平は最も危惧すべき点として
「アメリカの開発中の超重爆が必ずや日本本土を焦土と化す」
と主張。B-29による本土爆撃をもっとも早くから予期した。
それであるから、それ以前に日本の超重爆が
米国中枢の工業地帯を
叩こうという作戦である。
いくら迎撃用の戦闘機を開発しても無駄で
あるから、その前に
全ての資材、国民の総力を結集し富嶽の製造に充てる
べきであると書かれている。
 
富嶽
 
◆富嶽空中艦隊でアメリカ本土を爆撃せよ
富嶽の発進基地はアメリカ本土に一番近い占守島として整備を進める。
時速200km/hのジェット気流に乗った富嶽は北太平洋を無着陸で
悠々飛行しアメリカ本土を爆撃。爆撃目標はアメリカ工業力中枢
ピッツバーグ重工業地帯である。敵の生産力の中枢を叩き潰す。
さらにニューヨーク、ワシントンを爆撃し戦意消失を図る。
アメリカ本土爆撃後はそのまま大西洋を横断しドイツ占領下の
フランスへ着陸。給油後、地球を東回りで一周し日本へ帰還する
 
空中艦隊には機関銃400挺を装備した護衛の掃射機も考案された。
他に20本の魚雷を積んだ雷撃機、兵員200名を乗せて運ぶ輸送機
タイプがあった。
マリアナへ出撃した別働隊はB-29に対し
空中砲撃戦を展開。
たちどころに撃破する。魚雷20本を抱いた
富嶽雷撃隊は
アメリカ機動部隊を捕捉。これを撃滅する。
 
◆アメリカ本土へ兵員を空輸・勝利せよ
 
こうして富嶽を500機1000機とアメリカ本土爆撃に投入し
最後は富嶽で大量の兵員を空輸し勝利する。
 

富嶽

▲左から「富嶽」、「一式陸攻」、「ゼロ戦」、比較。

 
◆富嶽の仕様
(カッコ内はB-29との比較)
 
翼長65メートル、胴体45メートル
(B-29の1.5倍から2倍の大きさ)
 
三点静止角度9度、主翼面積350平方メートル
最大翼弦9メートル、上反角3.5度
縦横比1対0.5、取付角6度
水平尾翼面積60平方メートル、垂直尾翼面積40平方メートル
胴体内燃料タンク容量4万2720リットル
翼面荷重457キログラム/平方メートル
馬力荷重5.3キログラム/馬力
自重67.03トン、爆弾積載量20トン(B-29/10トン)
全備重量160,000kg
 
上昇限度15,000m(B-29/10250m)
最高速度700km/h(B-29/550km/h)
航続距離18,000km(B-29/5,300km)
航続距離は機体の仕様から割り出すと16,000kmと短いが
成層圏のジェット気流を利用すれば20-30%伸びると考えられた。
 
エンジン
5000馬力を6発(B-29/2400馬力4発)
ダブルBH(陸軍名称ハ-219)空冷星形18気筒2500馬力を
前後に並べる。
すなわち富嶽は6発機であるがエンジンは
エンジンナセルに2基ずつ収め、計12基搭載と同様。
 
プロペラ
住友製直径4.8メートル6枚翅、あるいは4枚翅の二重反転プロペラ
 
富嶽は当初、最後の切り札という意味合いで「Z機」のコードネームを
付与されていたが
のちに富嶽と命名される。
 
◆中島知久平とは
中島知久平は明治17年生まれ
群馬県新田郡尾島町出身(現在の太田市)
中島飛行機の創設者である。
 
豪農の長男として生まれ育った知久平少年は後継ぎの最有力であった。
知久平少年は何度も中学進学を懇願したが、父は許さなかった。
その間にも知久平少年は友達から中学の教科書を借りては読み
漢字も習いに通っていた。しかし英語だけは
独学ではどうにもならない
ことに限界を感じていた。
 
どうしても勉強がしたい知久平少年はついに決心。ある夜、書置きを残して
密かに家出をしてしまう。
利根川の土手を沿って東京へ出て行くのだった。
 
「ぼくはどうしても勉強してりっぱな人になりたいのです。
そのために東京に行きます。ぼくのことは死んだと思って
あきらめて、探さないでください。ぼくがいなくなれば
お父さんもお母さんも手不足でこまるとおもいますが
弟たちがすぐに役に立つようになるのですから当分のあいだ
がまんをしてください。
また、悪いこととはおもいながらも、学資がいりますので
神棚にあがっているお金をもって行きます。さぞおこまりに
なるとはおもいますが、しばらく貸してください。一生懸命勉強して
はやくえらい人になり、何倍にしてもかならず返します。
勝手なことをして申しわけありません。どうぞ親不孝の罪を
おゆるしねがいます」
 
生まれて初めて東京に出た知久平少年は同郷の正田満の家を訪ねた。
正田は知久平の隣家で満は徴兵で東京の
第一師団歩兵第三連隊
(通称麻布三連隊)に入隊し
古参の軍曹になっていた。知久平少年の
熱意に圧倒された満は
「よし、お前の居所は誰にも知らせない。陸軍士官学校へ入ったら俺が
おやじに詫びてやるから、安心して勉強しろ」
と神田の下宿屋を紹介した。
以来、知久平少年は勉強机は石油缶で代用し、風呂は一ヶ月に一度。
床屋は三ヶ月に一度、
夏はふんどしひとつで過ごし、勉強した。
全ての時間を勉強に費やすため、一切アルバイトをやらず、
ケチケチ作戦で凌ぎぎった。下宿に布団はなく石油缶にもたれて
いつの間にか眠っている、そんな毎日だった。
 
満はそんな知久平少年を見かね、援助してやることに決めたが
下士官で安い給料だったので、好きなタバコも酒もやめて
できるだけ知久平少年と苦労をわかちあった。
 
陸軍士官学校へ入りたいという希望には知久平少年なりの
考えがあった。当時、ロシアが旅順と大連を租借して着々と東洋に
対する侵略の手を伸ばしていた。
ロシアからの脅威から日本を守るため、
身を捧げ
陸軍士官になるのが一番だと考えたのだ。
 
知久平少年は約一年半で中学卒業と同様の資格が得られる
専検に合格した。この頃になると、父に居所がバレてしまっていたが
その志を父は許していた。しかし父の希望で陸軍をやめて海軍に入るよう
説得される。海軍のトップエリートといえば海軍兵学校か海軍機関学校だが
知久平少年の望みは兵学校だった。
機関学校へ入った経緯について
知久平の甥によると
海軍機関学校の試験が11月頃で、兵学校は翌年春
だったので
機関学校は小手調べのつもりで受験し合格した。
父に相談したら「高望みをするものではない」といわれて兵学校受験を
諦めたと伝えられている。
 
海軍機関学校へ入学した中島知久平は、その4日前
ライト兄弟の初飛行を聞き「自分の将来はこれだ」と決めた。
海軍機関学校を恩賜の銀時計組(トップスリー)で卒業すると
直ちに飛行機を専攻しアメリカへ出張。日本人で3番目の操縦の
ライセンスを取得した。
 
帰国後、国産飛行船で1時間40分の滞空記録を樹立。
さらに海軍工廠で国産一号機を作り海軍の飛行機製造の第一人者となった。
また、世界最初の雷撃機を考案。これが将来の主力兵器だと断言。
戦艦金剛一隻で飛行機三千機が作れた時代に
貧しい日本が英米と戦艦の建造競争をすべきでない
と飛行機国防論を提出した。このとき海軍大尉。
 
◆海軍を辞め中島飛行機を設立
 
大正6年6月
飛行機国防論が無視されると、さっさと海軍を辞め
自分で飛行機を作るために中島飛行機を設立。
 
さっさと辞め、とは言っても海軍退官にあたって
中島知久平は「辞職の辞」と題して長文のあいさつ文を印刷して方々に
配布して回った。それは辞職届と呼ぶより
自らの
主張した「飛行機国防論」そのものであった。
 
「当時の超弩級戦艦『金剛』一隻の資材を分配し航空戦力に
充てるべきである。
欧米と戦艦同士の真っ向勝負すべきでない。
そして航空機には魚雷を携行すれば、その威力たるや
金剛より優れる」といった内容であった。
 
このとき、中島知久平の最も良き理解者であった
大西瀧治郎(当時は大尉)も中島の立ち上げる飛行機会社
に入るつもりでいたが、海軍に却下され始末書を書かされている。
そのかわり大西は資金集めに走り、海軍に残っては航空主兵論
戦艦無用論を繰り返し唱えた。
 
中島知久平は自らプロペラ一本一本を手で削る苦労を経て
陸海軍に純国産の主力機を納入する飛行機会社へ成長した。
民間会社である中島飛行機が三菱や住友などの大財閥を超える
大企業へ成長したことは
特筆すべき点である。
 
中島は故郷の群馬県尾島町へ戻り
両親の為に総檜造りの大屋敷を建設する。中島知久平邸は
ステンドグラスやシャンデリアなど細部にわたり豪華な装飾が施され、
部屋から見渡せる広い前庭や来客を迎える重厚な車寄せなど、
宮殿建築としての特徴が随所にみられ、近代和風建築を代表する
建造物として太田市の重要文化財に指定され、現在も見学可能である。
(現在の名称は太田市中島知久平邸地域交流センター)
 
◆富嶽計画の推進 
 
中島知久平という人物と中島飛行機の創設を簡単に記したところで
話を富嶽に戻そう。昭和17年
ミッドウェイでの敗退をいち早く知ったのが、
他ならぬ中島知久平であった。
このとき
東京・日比谷の市政会館に事務所を構え無線を傍受していた
中島は
民間人でありながら、軍部の関係者より情報に詳しかった。
 
ラジオからは挑発的な文言が流れる。
 
「勇敢な合衆国海軍はパールハーバーで騙し討ちをした
ジャップの空母四隻を沈めました。赤城、加賀、飛龍、蒼龍だと思われます。
アメリカはヨークタウン一隻を失っただけです。これで日本は当面
攻勢に出てこれないでしょう。山本五十六はハラキリをするのでは
ないでしょうか。今度は我々がバッターボックスに入る番だと
ニミッツ提督は
言っています。」
 
「なんだこれは!?大本営発表と全然違うじゃないか!」
 
「米国はどんな犠牲を払ってでもサイパングアムを取りにくる。しかし
それを阻止する機動部隊はない。
戦前、渡洋爆撃を禁止しろ、
渡洋爆撃は非人道的だと残虐性を主張してきた
ルーズベルトがB-29を
使って我が国を焦土と化す。
かくなる上は、対抗手段を取らざる得ない
やむにやまれず、
戦争とはそういうものだ」
 
そう言って自ら製本した必勝戦策を携え
次々と各界の要人を歴訪して回った。
一番最初に訪問したのは前首相の近衛侯爵であった。
 
必勝戦策に他ならぬ関心を示したのが、軍令部参謀で海軍大佐の
高松宮だった。
中島知久平の日記によると次のように書かれている。
 
「高松宮出殿下よりお召しあり。御殿にてZ機について詳細言上す。
なお、政治、戦争、社会問題について御下問あり。意見言上す。
有難き激励のお言葉あり。
恐懼退出す。また富嶽の進行につき
中間言上すべきことを
申し上げ、御嘉納ありたり」
 
もう上手に負ける事を考えるしかないと
言っていた高松宮は有利な講和のきっかけとして
期待していたのかもしれない。
 
中島は粘り強く説得を続けて回った。
「Z飛行機の決定の遅延一日が国家の運命に重大なる
結果を招来することは、論議の余地を存しない
ところであります。何卒、ご勇断の程を願うてやまざる
次第であります」
 
昭和18年秋
一番の難関は総理大臣で陸軍大臣兼軍需大臣、間もなく
参謀総長も兼任する東條
英機大将を説得することだった。
中島知久平は東條に対し「Z機以外に必勝の策があるのか」と詰め寄ると
東條は遂に
「敗戦思想は許されないが、必勝戦策とあればいいでしょう。
やってみなさい」と製作が決定した。
 
しかしこのとき既に日本は劣勢に転じていた。
 
昭和19年のはじめ、ようやく「富嶽委員会」が
東京の明治生命ビルの6階に設置された。中島委員長をはじめ
陸海軍の代表委員が集められ、
最高機密のため中島事務所とだけ
記された。
そしてこのときはじめてZ機名称が正式に「富嶽」と名付けられた。
一方、ピッツバーグ工業地帯では月産100機を目標にB-29の量産に
入っていた。
  
 
中島知久平は全国各地から若く優秀な一等技師を
群馬県小泉製作所内にある太田クラブに呼び集めた。
世にいう太田クラブ缶詰事件である。
 
当時、小泉製作所では零戦、銀河、月光、天山、彩雲、連山、橘花など
を製作しており、連日、工場から送られる銀河の爆音のもと
各技師達は3か月缶詰となって富嶽の設計に尽力した。
 

Imgp9936

 
次に記すのが富嶽設計メンバーである。
コメントも記す。
 
●吉田孝雄/小泉製作所所長
ゼロ戦、銀河など月産400機の
量産システムを構築した。
 
●反町忠男/試作工場長
戦後富士重工太田北工場長
 
「まあ、作ることは前に連山とか深山とかありましたから
大きな飛行機でも作る立場からは心配はしてません。
いっぺんに作るってことは致しませんから。
羽は羽でも分けるわけですね。前と後ろを繋ぐと方法があるんです。
大所長(中島知久平)は力強かったですね。とにかく設計陣は総力を
あげてこれをやれということですから、みんな感激しました。」
 
●小山悌/技師長
隼の設計メンバーとして名高い中島飛行機の至宝。
 
●太田稔/技師/脚油圧担当
ノモンハンで有名を馳せた九七式戦闘機を作った。
戦後富士重工顧問
 
「車輪は直径が一間以上、幅が50センチ。車輪が浮きますと
パイロットの操作なしに
油圧と空気圧を使いまして自動的に片側の車輪を
放りだすという構造にしたわけです。上昇が軽くなります。片側1トン
ずつで
約2トン軽くなります。離陸のときの重量がだいたい約150トンで
着陸するときは爆撃を済ませて燃料も使い果たしていますから60数トンと
半分以下になりますから充分安全に着陸機能を果たせる。
こういうわけです」
 
●松村健一/技師
通称マツケンとして名声を馳せた天才的設計者。
戦前既にB-29と同じサイズの深山を作り、目下四発攻撃機
「連山」を開発中であった。
 
●西村節郎/技師/エンジン艤装担当
決戦機と期待された四式戦闘機疾風を手掛けた。
戦後秋田県能代市長
 
「出来る出来ないではなくて、そううい事ををやらにゃいかんのやと。
やるとなったらそれ一筋。中島知久平さんていう方はそういう方でした。」
 
●小谷武夫/技師/エンジン設計部長
誉エンジンの開発者。
 
●田中清史/技師/エンジン設計担当
戦後東京プラント社長
 
「落ち着いて実験をやって発動機の形式を決める余裕はなかった。
それでその当時は一応はものにしておりました空冷星形発動機を
基礎型にとりまして、なんとかこれなら、という案が2、3出たんです」
 
●水谷総太郎/エンジン実験課長
戦後富士重工取締役
 
「このエンジンの模型を見まして、まとめるのが大変だと思いました。
問題はエンジンの冷却です」
 
●新山春雄/技師/艤装担当
戦後日産自動車顧問
 
「アメリカがB-29の生産を始めたと知久平さんの耳に入った
ものですから、このままじゃ日本は必ず爆撃される。もう全部の仕事を
やめて、知恵と材料を集めて
富嶽を作るんだと」
 
●渋谷巌/技師/主翼構造担当
戦後富士重工常務取締役
 
「富嶽は飛び上がると翼の先端が1.3メートルたわむんです。全備で
旋回すると5.4メートルもたわみます。構造材料も
当時はそれほど
剛性の高いものはありませんでしたので、
結局は非常にやわらかい
非常におおきな翼になったんです。
超々ジュラルミンを波板にしまして
外皮を貼ってくんです。
そういう剛性を持たせた翼を作ろうと」
 
●宮坂晋/技師/製図担当
連山、深山の飛行試験に立ち会う
戦後富士重工勤務
 
「当時、飛行機の製造は陸軍と海軍に別れていたものですから
陸軍、海軍からそれぞれ40名ずつ小泉製作所の三階に集められて
始められたんです」
 
●内藤子生/技師/空気力学担当
戦後東海大学教授・航空宇宙学
 
「富嶽は翼の大きさに比べて目方が非常に重いわけです
その比率は今日のジェット機と同じくらいの比率なんです。
こういうことを急速にやるには技師を集めて太田のクラブに
缶詰にしてやるのが一番敏速にやれるだろうということで」
 
●中村勝治/技師
戦後スバル自動車顧問
 
「中島さんて非常にデータ、情報を集めておられて、
当時日本でも第一人者でした。もしかしたら軍部より米国の情報
集めてたんじゃないかと思うんです。それらを分析した結果、
今のままではとてもダメだと。勝つ為にはこうしなきゃいけないと」
 
◆重なる難題と迫るアメリカの本土爆撃 
 
富嶽計画は昭和20年6月までに400機完成を
目指して進められた。機体のデザインは何とか完成し
問題だった冷却も、アイディアが考案された。最大の課題は排気タービンで
あったが
実験が継続されていた。成層圏を飛行するにあたり、当初は
気密服を着用し
気密部屋は作らない。従って食事、排尿の問題は
未解決とされていたが、もう少し進んだ段階になると気密室特別委員会が
結成され気密室の研究が進められた。
 
中島知久平はある日、富嶽計画に懐疑的だった役員に
「中島飛行機は金儲けのやめにあるのではない!軍のわからずやどもが
なんと言おうが国家が重大な危機に
直面している今やそれを傍観すること
ができるか!
これを打開すべく最も役に立つ飛行機を作って奉公せね
ばならぬのだ」
と説得。
 
工員たちには
「戦争が終われば富嶽は世界一周の遊覧飛行機になるんだよ」
と言って聞かせた。
 
そんな中、軍需相が命じていた「川西案による富嶽」の存在を中島知久平が
知り「競争している場合ではない、全く必勝戦策が理解されていない!」と
批判した。
 
◆大西滝治郎中将が富嶽計画の中止を伝える
 
大西滝治郎中将が中島を訪ね、
富嶽計画が中止されることを伝えた。
思えば開戦より遥かに前の昭和13年から戦略爆撃機の開発による
必勝戦策を説いて回ったにもかかわらず、昭和19年まで無視され続けた。
富嶽計画がもっと早くから着目されれば日本も焦土にならずに
済んだのかもしれない。
 
中島知久平最大の理解者である大西滝治郎が
成功法であった「富嶽」計画の中止を伝え、
特攻作戦を始めたとされるのは、
なんとも言い難い悲運であった。
 
各技師は元の工場へ戻された。いつ完成するかわからない飛行機よりも
いま出来上がる飛行機が一機でも欲しい。軍需相は中島飛行機を接収して
軍の直轄とするとともに攻撃機「剣」の生産を開始した。
 
10年、20年先の計画を立てられぬ軍部の石頭が、
日本の不幸はそこにあった。その致命的な欠陥を軍部は大和魂で
埋めようと多くの若い命が散った。
 
◆戦後
 
戦後はGHQにより財閥、および民間であっても
飛行機の製造の一切が禁止され、中島飛行機は解体した。
富嶽に関するもので残っているのは
三面図と富嶽製作日記と必勝戦策だけである。
中島知久平はA級戦犯指定を受けたが後に解除されている。
 
◆富嶽の残したもの
 
富嶽計画は中止となったが
その技術は今日の技術大国日本に脈々と受け継がれている。
戦後の日本の成長は、こうした技術者たちの努力の賜物であり
富嶽は姿を変え不死鳥のように蘇ったといえよう。
 
中島知久平は、晩年、親しい側近に次のようにもらしていたという。
 
「今の政治家の中には一年先はおろか、明日の事すら考えて
いないのがいる。政治家たるものは少なくとも五年先
十年先くらいのことを考えていないといかんな」
  

富嶽

  
出展
『さらば空中戦艦富嶽』碇義朗
『巨人中島知久平』渡部一英
NNN系列テレビ番組1979年
『さらば空中戦艦富嶽 幻のアメリカ本土空襲』
 

記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

  
戦史 ブログランキングへ



 
関連記事
 
四式戦「疾風」と中島飛行機宇都宮製作所 
中島飛行機ロゴマークのダウンロード 
ブルーホーネットのアクロバット飛行

中島飛行機ロゴ

2015年4月26日 (日)

X-47ペガサス 無人ステルス機

X-47ペガサス

 
X-47ペガサスはアメリカ・ノースロップグラマン社が
海軍での運用を目的に
開発中の無人ステルス機である。
2013年に既に原子力空母からのカタパルト発進に成功し
運用次第では偵察機にも爆撃機にも成り得る。
 
※画像上はグアム上空を飛行中のX-47(想像図)

 
そして2015年4月
日本の首相官邸がドローンで騒いでいる頃、同じ日に
米軍は爆撃機仕様X-47Bの空中給油に成功した
(Xは試験機、Bは爆撃機を表す)
 

X-47ペガサス

X-47ペガサス

 
パイロット不要の無人機は戦死の確率がゼロなので軍事作戦における
革命的ともいえる大幅な合理化を達成している。どこの国でもいえることだが
戦闘機一機を購入する額よりも、パイロット一名を一人前にするために
何倍もの莫大な金額と時間を要する。よって撃墜や事故等による
パイロット一名の損失は甚大なる打撃となる上、国民感情に影響を与える。
捕虜となる心配もない、この無人機のオペレーターは、ビデオゲームのように
戦地から遠く離れた地上でステルス機を操作し、地上を爆撃すると
定時退社で家に帰ってシャワーを浴び家族にも会うことができる。
 

2015年1月31日 (土)

零戦の型式雑学 21型から52型、64型まで

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零戦21型と52型の違い

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は
三菱重工が設計開発を行った日本海軍の主力戦闘機である。
和14年3月初飛行、翌15年、正式採用を待たず中国(支那)戦線で初陣。
16年12月
の真珠湾攻撃以来、昭和20年8月の終戦までに三菱重工、
中島飛行機の両企業により
総計1万機以上が生産された。
 
日本国民の総力を注いだこの戦闘機は、西はセイロ
ン島、東はギルバート、
ハワイ諸島に至るまで地球のほとんど半分近くを戦域とし
連合軍と対峙、
あるいは国土防衛に尽くした。
 
昨今、永遠の0や、堀越二郎を元に描いたアニメ映画『風立ちぬ』
で注目を浴びる機会も多くなった。
この頁ではそれぞれの違いと特徴、時代背景なども追って紹介する。

 
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコンはこちらのリンクから

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

Photo_13

Raiden_2

Photo_14

Photo_16

261_3

56799416_p0_2_2

Imgp1010_2

56782187_p0_2

Photo_17

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)

型式について

零戦の形式は一桁目を機体形状、二桁目がエンジン形式を表す。
甲、乙、丙等が付随する場合は火器類の違いを示す。
原則、形式番号が同じであれば同様と考えて良いが
例えば、52型と32型であれば、機体のデザインは異なる(翼の形)が
エンジンは同じものが搭載されている。マフラーの形状が違うので
まったく同じとは言えない。このほか戦時下において細かな変更点は
限りなくあるだろうし、諸説存在する。勉強中故、お許し願いたいが
同時に零戦好きの方が集う場所でありたいと願うので、意見などあれば
どうぞ遠慮なく書いてください。
 
書き込む前に必ずこちらをご覧ください。

零戦は同時期に製造された飛行機でも、個体差が激しく
クセの強い飛行機などは舵をいっぱいに切って離陸したりと
難があった。

  

専用機(愛機はあったのか)

専用機(愛機)はあったのか
書物や証言を照合するとおおむね以下のとおりである。
 
通常であれば、搭乗員はその出撃の都度、割り当てられた機体に搭乗する。
従って、愛機は存在しない。緊急発進では尚更であった。ただし、指揮官
(分隊長クラス)になると機体に帯(イラスト参照)が入り専用機が与えられる。
人によっては「彼の機体はスペシャル仕様だった」などと証言されるが
これは、特に改造を施したということではなくて、指揮官クラスがべらぼうに
コンディションの良い機体を占有していた、という意味合いではなかろうか。
 
一方、整備員は担当する機体が決まっており、
それぞれの担当機を責任を持って整備した。零戦の尾翼等に
〇〇一整曹などと整備担当長の名が記されれいるのはこのため。
 
その他項目一覧

なぜゼロ戦と呼ぶのか 零戦は無敵だったのか
零戦のパイロットになるには 零戦操縦方法
零戦の撃墜王(エース)は誰か
零戦の色(カラーリング)について 機体はいつから緑?
零戦21型と52型の違い
  

型式一覧

型式一覧図(十二試艦戦・二一型から五二型、六四型まで)
 

Photo

X_2

Photo_2 
十二試艦上戦闘機【十二試艦戦諸表】A6M1
  
ゼロ戦のプロトタイプである十二試艦上戦闘機。昭和14年4月に
初号機が初飛行。三菱重工の堀越博士
をリーダーとする開発チームが
九六艦戦の後継機とし
て開発に尽力した。二号機までは三菱製瑞星一三型
ンジンを搭載したため、最高速度は488km/h と海軍の要求
届かなかったが、その他性能は概ね良好であった。
 

Photo_3

11_2

Photo_4 
零戦11型 
【零戦一一型諸表】A6M2-a
  
中島飛行機供給の栄エンジン搭載により大幅な馬力向上を実現した
一一型は正式採用を待たず、漢口
基地へ送られ、航続距離の短い九六
艦戦に代わり重
慶爆撃陸攻隊の掩護に就いた。昭和15年の初陣以
支那事変における空戦では一機の損害もなく終
始無傷であった。
機体は第十二航空隊山下小四郎機。

  

零戦二一型/21型

Photo_5

零戦21型 【零戦二一型諸表】A6M2-b
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/6000m/7分27秒
最高速度/533km/h 巡航速度/300km/h 航続距離/2,530km
自重/1,754kg 全備重量/2,410kg 燃料搭載量/525+330L
全幅/12.00m 全長/9.060m 全高/3.530m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/107kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
生産機数/約3,500機
 
◆零戦二一型(21型)は、零戦初の量産モデル。空母搭載を前提とした
翼端折
畳み構造を追加したほか、 着艦フックを装着。昭和16年12月、
真珠湾攻撃で実戦に参加。
昭和19年初めまでに三菱740機、中島が
2,821機を
生産し、大戦初期において海軍機動部隊の要となった。
参考画像は昭和17年、空母瑞鶴所属、岩本徹三機。
  

Photo_13

二式水上戦闘機(二式水戦)

Photo_15

二式水上戦闘機 【二式水戦諸表】A6M2-N
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/3000m/3分57秒
最高速度/439km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/926km
自重/1,921kg 全備重量/2,460kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.50m 全長/10.248m 全高/4.305m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/109kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年7月 生産機数/377機
 
◆二式水上戦闘機は零戦二一型にフロートを装着した水上戦闘機。
川西航空機が開発中の十五試水上戦闘機「強風」が遅れていたため
水上飛行機の技術が豊富であった中島飛行機が急きょ、傑作機
零戦を
ベースに開発と生産を行った。開発陣必死の努力により僅か11ヶ月という
短期間で実用化に至り、戦線に就いた。主脚、尾輪(タイヤ)を撤去し
フロートを取り付けたほか、防水加工や水上飛行機としての安定を得るため
垂直尾翼の形状等を変更した。
重量と抵抗の増加に伴い運動性と
最高速度は低下(96.3km/h)したが
水上戦闘機としては申し分ない性能で
大戦初期に
おける島嶼攻略、防衛(アリューシャン、ソロモン、
中部太平洋戦線等)で活躍した。
 

Photo_5

K

Photo_6 

零式練習戦闘機一一型 【零式練戦諸表】A6M2-K
  
二一型をベースに複座化したゼロ戦の練習機。
主な変更点は翼内機銃を撤去し風防を延長。前部の訓
練生席は解放型
となった。尾輪を固定化し、前部引
き込み脚カバーの撤去、射撃用ターゲット
の吹き流
しを翼下に備えた。零式練習戦闘機一一型と称して航空廠、
日立航空機で製造された。

 

Photo_9

ゼロ戦(零戦)32型/三二型

Photo_11

零戦32型 【零戦三二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,134km
自重/1,807kg 全備重量/2,535kg 燃料搭載量/470+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.54㎡ 翼面荷重/118kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年4月 生産機数/343機
 
◆零戦三二型(32型)は
エンジンを栄二一型(二速過給器 / スーパーチャージャー付き)に換装。
離昇1130馬力に向上し運動性能と最高速度を得た。翼端を50cmカット
した
唯一の角型デザインで343機を三菱でのみ生
産した。航続距離は低下。
昭和17~18年、主にソロモン諸島の戦線で
活躍。
画像は昭和18年/台南空所属機。
  

Photo_16

ゼロ戦(零戦)22型/二二型

Photo_18

零戦22型 【零戦二二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分19秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,863kg 全備重量/2,679kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.530㎡ 翼面荷重/119kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年1月 生産機数/560機
 
◆零戦二二型(22型)二二型は三二型の弱点を補うべく、翼端を二一型と
同様
丸型へ戻し折り畳み構造を復活させたモデルで航続距離と運動性能を
取り戻した。武装を強化した
二二型甲を含めると、昭和17年末より翌18年
8月までに560機を三菱でのみ生産。のち五二型へ移行する。
 

Photo_20

ゼロ戦(零戦)52型/五二型

Photo_22

零戦52型 【零戦五二型諸表】A6M5
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/564km/h 巡航速度/330km/h 航続距離/2,560km
自重/1,876kg 全備重量/2,733kg 燃料搭載量/570+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/128kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年8月 生産機数/約6,000機
 
◆零戦五二型(52型)
ゼロ戦を象徴する最も一般的なモデル。翼折畳み
構造を撤廃し翼端を50cmずつ
短縮。推力式
単排気管(マフラー)を採用し、馬力を向上した。昭和18年8月より
三菱、同年12月より中島が生産を開
始し終戦までおよそ6000機が生産された。
中部
太平洋戦線で活躍。参考画像は昭和19年3月、第261海軍航空隊所属機。
 
 

Photo_23

ゼロ戦(零戦)52型甲/五二型甲

Photo_27

零戦52型甲 【零戦五二型甲諸表】A6M5-a
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/559km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,894kg 全備重量/2,743kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約391機(中島不明)
 
◆五二型甲(52型こう)は、五二型の武装・装甲を強化したモデルの
ひとつで携行弾数を
増やしたほか、主翼装甲の厚さを0.2ミリ強化し
急降下制速度を740.8km/hに引き上げた。このほかに増槽を
木製化し形状も変更。容量は300リットルとなった。プロペラ・スピナーが
大型化され、機体重
量(自重)は18kg増加した。
 
 

Photo_28

ゼロ戦(零戦)52型乙/五二型乙

Photo_30

零戦52型乙 【零戦五二型乙諸表】A6M5-b
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/554km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,921kg 全備重量/2,765kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約400機(中島不明)
 
◆五二型乙(52型おつ)は五二型の武装、装甲強化モデル。五二型との違いは
右側胴体銃を7.7ミリから13.2ミリ
に換装したほか、両翼下に150リットル
増槽を
各一個ずつ搭載可能に改造した。後期生産機は座席後方の防弾を
強化し風防正面を防弾ガラスに変
更し、防御力を増加。昭和19年10月
正式採用され三菱で470機が生産された。


 

Photo_31

ゼロ戦(零戦)52型丙/五二型丙

Photo_33

零戦52型丙 【零戦五二型丙諸表】A6M5-c
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,970kg 全備重量/2,955kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148kg/㎡
兵装/翼内20mm機銃×2 13.2mm×2 爆弾60kg×2、ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約470機(中島不明)
 
◆五二型丙(52型へい)は五二型甲・乙を踏襲しさらなる火力と装甲強化
を施したモデルで胴体左の7.7ミリ銃を廃止し両翼に13.2ミリ機銃を追加。
両翼下にレールを設け
ロケット弾(三式弾等)を搭載可とした。格闘性能は
犠牲となったが、燃料タンクの防弾化し主翼
と操縦席外側の装甲も強化して
防御力を高めた。
 
 

Photo_34

ゼロ戦(零戦)53型丙/五三型丙

Photo_36

零戦53型/53型丙 【零戦五三型丙諸表】A6M6-c
発動機/栄三一型 離昇出力/1,300馬力 上昇力/8000m/9分53秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,145kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/---kg/㎡
兵装/翼内13mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 30kg×4 ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産中止
 
◆五三型丙または五三型(53型へい)は、五二丙に次ぐ改良型で、エンジンを
水メタノール噴射式の栄三一型に換装し、自動防漏式燃料タンクを施した。
期待したほどの性能向上が見込めなかったことから量産化は中止され、
まもなく六二型、五四型丙/六四型へ開発生産が移行されたモデルである。
仕様はいずれも予定値。
  

Photo_39

ゼロ戦(零戦)63型、63型/六二型、六三型

Photo_41

零戦62型/63型 【零戦六二型諸表】A6M7
発動機/栄三一型甲 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分58秒
最高速度/542km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,155kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/141.0kg/㎡
兵装/胴体13mm機銃×1 翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 500kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年5月 生産機数/800機(推定)
 
◆六二型(62型)/六三型(63型)
ゼロ戦の最終型Ⅰ。五三型の胴体下に500kg爆弾
の懸吊架を追加した
爆撃戦闘機、爆戦と略称。跳弾爆撃、急降
下爆撃に対応し機体構造を強化した。
生産数は不
明だが、昭和20年4月頃より終戦まで 三菱、中島合わせて6
00~1,000機が生産されたと推定さ
れる。栄三一型を搭載した機体を
63型と称すが、殊に当該機種のエンジンは栄三一型や二一型もあり、
52型との明確な違いは不明瞭で諸説あり。
 

Photo_42

ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

Photo_44

零戦64型/五四型丙 【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 
◆六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
  

03_2

なぜゼロ戦と呼ぶのか
我が日本には暦が3つある。平成、西暦、そして皇紀である。
皇紀は神武天皇が即位した(日本が始まったとされる年)から
数えた年号で、本年2015年(平成27年)は皇紀2675年にあたる。
 
零戦が正式採用された昭和15年は、皇紀2600年ちょうどにあたり
その末尾をとって零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)
通称零戦と呼ばれるようになった。海軍は皇紀の末尾を冠するのが
通例でほかに九六式艦上攻撃機、一式陸上攻撃機などがある。
 
ゼロは英語で敵性語であるから「れいせん」と呼ばなければならなかった
というのは俗説で、当時から海軍ではゼロ戦と呼んでいたし
(予科練の試験の答案用紙でもわかるように英語は必須であった)
一般にもゼロ戦と呼ばれていた。
   

04_2

搭乗員(パイロット)になるには
ゼロ戦搭乗員は例外なく文武両道であった。
搭乗員を志すための過程はいくつかあるが、いずれも厳しく
狭き門であった。いうまでもなく飛行機乗りは全て志願兵である。
 
過程1、指揮官
海軍兵学校で幹部としての教育課程を修了後、
航空を専修する。
東大の10倍難しいと言われる海軍兵学校を
受験し、二年間の教育期間を
経て少尉候補生となったのち
航空機を専修する。ただし、幹部と雖も敵性が
認められない場合は搭乗員にはなれない。
 
過程2、下士官(昭和15年まで)
海軍(海兵団)に志願入隊し、艦隊勤務などを経て下士官となり敵性ありと
認められた場合、操縦練習生(操練)の受験資格を得る。
 
過程3、予科練習生(昭和12年から)
満14歳以上20歳未満の若者に限っては予科練習生の制度が設けられた。
筆記試験問題(入試に使われた問題が予科練記念館に展示されている)
視力、体力測定をパスすると
晴れて入隊。3年間(のちに短縮)の教育・訓練
課程を経て搭乗員となる。
 
いずれの過程でも国語、数学、物理科学、英語などの成績が優秀で
体力も抜群でなければ試験突破は叶わなかった。このほか実戦を想定し
モールス信号の符号の暗記、航法、気象についても学ぶ。
試験に合格した後でも、訓練中不適格と判断された者は元隊に戻された。
 
また、初期の頃(操練時代)においては、最終試験で「手相」「骨相」が見られ
占いで「貴様は短命だ」と判断されると元隊に戻された。
 
操縦員・偵察員にわかれる
訓練課程では教官が敵性を見て操縦員・偵察員のいずれかに分けられる。
操縦員はパイロットであるが、偵察員は後席に座り、通信、見張り、航法
を担当し、操縦員に逐次伝達する。GPSなど無い時代。偵察員の仕事は
非常に重要な役割であった。パイロットのほうが偉いかというと
それは大きな誤解である。真珠湾攻撃に参加したある偵察員は
「操縦員は操縦に専念してればええ。偵察員はいろいろ仕事やるし
操縦員を叩いて飛ばすほうが大変や」と回想する。(個人の見解です)
 
それぞれの機種を専攻する
さらに戦闘機・艦爆・艦攻の専修別となる。
艦爆とは艦上爆撃機の略で、急降下爆撃を敢行する二人乗りの
飛行機である。度胸が求められる。
 
艦攻とは艦上攻撃機の略で3人乗りの雷撃機である。水面すれすれに飛行し、
敵艦の横腹に魚雷を叩きつけるのだが、
もっとも損耗(戦死)率が高い。
肝が据わったどっしりとした
性格かつ協調性が求められた。
 
零戦(戦闘機)は一人乗り。ぜんぶ一人でやる
戦闘機乗りは花形である。希望は一応出せるものの
希望叶わず艦爆や艦攻を命じられた者も多い。
戦闘機は一人乗りであるので、すべての任務を一人でこなさねばならない。
膝の上にバインダーに挟んだ紙を置き
コンパスと太陽の位置などを
見ながら、航法を計算しながら飛ぶから
大変だ。この間も敵の襲撃に備え、
見張りを厳とする必要があった。
 
自動車で高速道路を一時間走るのは何てことはないが、
一人乗りの戦闘機で空を一時間飛ぶことがいかに至難であったか、
その疲労も極めて著しい。
 
こうして艱難辛苦乗り越えて練習航空隊を卒業した者は
実戦航空隊へ配備され
一人前となる。
 

05_2

ゼロ戦は強かったのか
高校生の頃、世界史の授業で担当教師が
「米軍は不時着したゼロ戦を徹底的に調べ上げその優れた設計を真似して
F6Fヘルキャットという新鋭戦闘機を作った。それ以降、ゼロ戦の優位は失われた」
と教えてくれた。そのころは「ふんふん、そうなのか」と教師の教えを真剣に
聞いていたが後で調べてみると、この説はどうもインチキくさいことがわかった。
 
結論から
ゼロ戦は無敵だった。ただし、一対一の戦いならば。
 
支那戦線においては無敵で、ほとんど全ての敵機を撃墜した。
また、真珠湾攻撃以来、最初の一年ほどは
米英に対し圧倒的優勢で勝利を重ねた。
 
米英にいずれは負ける運命
一対一。これは我が国古来からのサムライの戦い方である。
 
敵の数が圧倒的に多いなら、いずれは損耗を続け、負ける。
開戦当初、日本の搭乗員は防御や退却を恥とした。
サムライとして潔く戦って散ろうというものである。
「生きて虜囚を辱めを受けず」という言葉もある。
 
一方で米英のパイトットは勝ち目がないと判断すると
命を守ることを第一に撤退し、次の戦いに備えた。
 
サムライであり続けた
「防弾板がついとったが、わしはあんなもの恥ずかしいと思って取っ払ってしまった」
「落下傘はどうせ使わんから、座席に敷いておった」
などと回想する元搭乗員も多い。
 
ここで「命を粗末にするから日本は戦争に負けたんだ」などと言うのは
おかしい。それは我々が戦後に後出しだから言えることで決して
現代の物差しで語ってはならない。当時とは価値観が全然違うのだ。
 
米英軍にしてみれば、日本は決して降参しない、勝ち目がないのに
最後の一人まで戦うという概念が理解できなかった。
 
ゼロ戦の弱点を突け
確かに米軍はアリューシャンに不時着したゼロ戦を鹵獲し徹底的に調べた。
(鹵獲=ろかく。敵の兵器などを戦利品として原則無傷で得る事)
ここまでは世界史の先生に教わった通り、事実であった。
鹵獲された機体は、古賀忠義一等飛行兵搭乗の零戦二一型で
昭和17年6月、ミッドウェー作戦の陽動として行われた
アリューシャン列島、ダッチハーバー空襲へ参加した古賀一等飛行兵は
対空砲火で被弾し、アクタン島への不時着を試みた。
 
古賀一等飛行兵は着陸時の衝撃で頭部を強打し戦死したが
機体は無傷に近い状態であった。一か月後、機体は米軍によって回収され、
徹底的な分析調査が行われた。そして僅か三ヶ月後の9月には
飛行可能な状態に修復し、テスト飛行まで行われた。
 
これによって、米軍はゼロ戦の弱点を徹底的に暴いた。
このとき、後のライバルとなるグラマンF6Fヘルキャットは既に
完成間際にありゼロ戦の設計思想が反映されることは無かったし
もとより、米軍の戦闘機設計思想は戦後まで一貫するもので
いずれもゼロ戦とは相反する。
 
ゼロ戦の弱点は剛性不足であった。スピードも出ない。
低速度域での巴戦では群を抜いた性能を誇ったが
高速度での戦闘には不向きで、遂に脆弱性を露呈した。
 
このため、米軍は急降下等を駆使し、ゼロ戦から逃れる術を
発見したほか、米軍機二機以上が一組となり、ゼロ戦の機動力の隙を突く
サッチ戦法により、無敵といわれた零戦を確実に仕留めていった。
日本機のパイロットは古来からの一騎打ちが未だ戦術の
主流であるのに対し、米軍は必ず二機以上の編隊で襲い掛かり
スピードを生かした一撃離脱戦法で、ゼロ戦に勝利した。
この戦法は大戦終結まで変わることなく、日本機の戦術はすでに
時代遅れとなる。
  
日本機の搭乗員は熟練者が多く、その腕をもって米軍と対峙し
開戦以来、圧倒的な勝利をものにしてきたが、このサムライの
伝統とも言える戦い方は、合理的といえるものではなく
到底米軍との兵力差は埋められるものではない。
戦争末期ともなれば熟練搭乗員は皆戦死し、補充された
飛行時間の僅かな飛行兵の戦いは満足といえるものでなかった。
  

日米で異なった戦闘機の設計思想 
先述の通り、日米では航空機の基本的設計思想が異なった。
米軍は飛行機は重いが頑丈で、小回りが利かない代わりに
物凄いスピードが出る。いくら、日本機が真っ向勝負しろと挑んでも
雲間から突如、襲い掛かってきて、一撃を加えたのち
消えてしまう。日本機は追い付けない。そんなに熟練した腕があろうとこれでは
勝負にならない。多くのゼロ戦パイロットがその旨、証言を戦後に残している。
 
本土防空戦で敢闘したあるゼロ戦搭乗員は
「映画で見るような空戦を想像しているだろうけど、ありえない。
敵さんは、上空から物凄い速さでいきなり襲ってきてこちらが
反撃する前に追い付けないスピードで逃げていくんだ。一瞬だよ。
戦いも何もあったもんじゃない」と回想する。

 
大戦後期、日本もようやくこの戦法に対応するよう
重戦闘機の開発を重視したが、時すでにおそく、終戦を迎えた。
多くのサムライが刃を抜いて奮戦したが、銃弾には勝てずほとんどが戦死した。
 
零戦のライバルたち

零戦とスピットファイア

零戦とP-51

Photo 
▲英空軍スピットファイア(左)と米陸軍P-51(右)
 

零戦とF4Uコルセア

零戦とP-38ライトニング

Photo_2 
▲米海軍F4Uコルセア戦闘爆撃機(左)と米陸軍P-38ライトニング戦闘機(右)
   

SBDドーントレス艦上爆撃機グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機

SBDドーントレス艦上爆撃機

グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機 
▲米海軍の名機、グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機と
SBDドーントレス艦上爆撃機。F6Fはもっとも多くのゼロ戦を撃墜し、
ドーントレスは最も多くの日本艦船を撃沈したといわれる。 
 

06_2

高度1万メートルの戦い
大戦末期、ゼロ戦は高度1万メートルで爆撃に来る
B-29相手にも果敢に戦った。B-29は当時ボーイング社最新の技術で
気密されているから、搭乗員はTシャツ一枚でコーヒー飲みながら
ゆうゆうやってくる。 
 
一方で我が方の迎撃機は高高度においては酸素も薄く、極寒で
判断力は低下する。高い山に登ったことがある人なら幾ばくかでも
その気持ちがわかると思う。高度1万メートルまで上るのは
ゼロ戦では30分近くかかる。
 
時間がかかっても一万メートルまで上昇し待機できる、と思うのは
ぜんぶ地上の考えである。酸素が薄いので、常に機種を上に向けて
エンジンを全開にしていなければ高度を保持できない。
水泳で顔を水面から出して、ひたすら沈まないようにバタバタと
もがいている状態に近い。燃料はあっという間に底を尽きる。
B-29に攻撃のチャンスを得るだけでも至難であった。

  

07_2

ゼロ戦のカラーリングについて なぜ緑なのか?
ゼロ戦はなぜ緑色なのだろうか。赤や青じゃダメなのか。
ゼロ戦のカラーリングは上の絵でも描いたが、おおむね
緑色、それも暗緑色である。大戦初期では灰色(もしくは飴色)であった。
空に溶け込むようにと意図されているといった見方が強いが
今となっては彩色配合も謎である。

零戦二一型(ラバウル離陸)

▲南方の陸上基地から発進する零戦二一型。
 
緑色に塗装するようになったのは昭和17~18年くらいからで
型式でいえば、32型で両方の色が見られる。残っていた21型も
多くが緑色に再塗装された。(有名な関大尉の敷島隊は21型である)
これは南方など、ジャングルの多い地域で戦うようになってからで、上空から
見たとき、カモフラージュされるし、基地で木々の間に隠すにも都合がよい。
というのはおおむねの見解のようである。

零戦三二型(ジャングル)

▲ジャングルの中に佇む零戦三二型。
 

日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。
あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 

零戦の日の丸

▲ラバウル近隣で回収された零戦二二型の外板。だいぶ退色してはいるが
塗装はオリジナルのようだ。日の丸と縁が塗りつぶされた様子がわかる。
2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
 
関連記事
「桜花の機体には日の丸が描かれなかった」

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 

機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは
暗緑色が胴体の斜めに入っているのが
中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である
海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も
同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
  
中島飛行機のロゴを復元製作した。無料素材として配布しているので
以下の画像をクリックしてダウンロード可。 
 

中島飛行機ロゴ

08_3

零戦五二型丙種、昭和20年、302空(厚木)にて

▲零戦五二型丙。昭和20年、厚木の第302海軍航空隊所属機。
 
五二型丙を写した中ではもっとも鮮明な写真。両翼の20ミリ機銃に加え、
13.2ミリ機銃(外側)が追加され重武装となったモデル。翼下のレールに
三式弾(ロケット弾)を吊り下げ可能。フラップが出ている様子がわかる。
この機種は主に本土防空戦で敢闘した。
 

カウルフラップ

推力式単排気管

Photo_50

▲五二型のカウルフラップ「開」状態。五二型の特徴である
推力式単排気管(マフラー)は効率的な排気によって馬力が向上し
最高速度が20km/h程度増大した。
カウルフラップは操縦席にあるハンドルをグルグル回すことによって
開閉する。エンジンが冷えているときは「閉」、高音となったさいは
「開」にしてエンジン温度を調節する。
写真は第261海軍航空隊所属機で、プレーンズオブフェイムが
戦後レストアした機体。2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
  

栄二一型エンジン(鹿屋の五二型零戦)

▲鹿屋資料館に展示中の零戦五二型と栄二一型エンジン。
2速過給器(スーパーチャージャー)付き離昇出力1,130馬力を発生し
最高速度564km/hをたたき出した。
 

零戦のコクピット内部

永遠のゼロのロケセット

Photo_8

宇佐平和資料館で展示中の映画『永遠のゼロ』撮影に使われた
コクピットの模型。 実際に座ってコクピットの狭さを体験できる。 

09_4

エース(撃墜王)という概念
日本海軍はエースという概念を設けず、敵を何機やっつけたという

個人成果は記録しなかった。
強いて言うならば、零戦搭乗員全員をエースと呼ぶ。
国の為に戦い、あるいは命を捧げたのだから当然と言えるだろう。
よって、零戦搭乗員の生き残りに「何機落としましたか」と尋ねるのは
失礼にあたるし、最大のタブーとなっている。
戦争で命の駆け引きをしてきたのだから、戦後現代を生きる
我々に決して理解できないことが多くあるに違いない。
 
それでも撃墜数(スコア)に執念を燃やす搭乗員も
存在した。岩本徹三や赤松貞明などである。
殊に赤松中尉は戦後においても自身の記録を世界記録と主張している。
 
零戦搭乗員の原田要氏によると、岩本は自らたくさんの撃墜マークを
機体に描いていて、個人成果主義を否定する周りのパイロットたちは当初、
あまりよく思っていなかったが、 確実に多くの敵を撃ち落とし生還し続けた
ことは間違いないので、次第に認めるように なっていたという。
赤松も同様だった。
 

岩本徹三

赤松貞明中尉

Photo_2

▲左、岩本徹三中尉/右、赤松貞明中尉
 
関連記事
岩本徹三の戦後
赤松中尉の戦後
 
そして、それぞれの撃墜数をまとめて本にしたものまで出版され
売っている。確実に言えることは岩本徹三や坂井三郎より
凄いパイロットは数多くいただろう。これは間違いない。
けれどもそういったエースは皆、戦死してしまったので、
歴史に名が残らず、語り継がれることもなく消えて行ってしまった。
 
彼らはどんなことを考えていたのか、
最後に、ぜひこの動画と記事もあわせてご覧頂きたい。
 
黎明の蛍(ある特攻隊員と少年の実話)

少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)
YouTube: 少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)

Photo_18

作成中

支那戦線から真珠湾、ソロモンの戦い、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、
特攻、終戦まで
 

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

▲B-24爆撃機にロケット弾(三号爆弾)を発射する零戦五二型丙
 
 
富安俊助

富安俊助の突入後

▲エンタープライズ直上より背面飛行でエレベーターに突入する富安機 
 
関連記事
富安俊助中尉とエンタープライズ
 

Photo_19

航空自衛隊浜松広報館の尾崎伸也大尉機

◆航空自衛隊浜松広報館(静岡県浜松市)
零戦五二型(第三四三海軍航空隊/尾崎伸也大尉機)
 
昭和38年、グアム(大宮島)で発見され
日本へ返還輸送、復元された機体。
海軍第343航空隊(初代,通称隼)の飛行隊長尾崎伸也大尉の搭乗機と
推測される。昭和19年
6月19日、大宮島(グアム島の旧称)上空において
尾崎大尉と他一機が哨戒中、米戦闘機2機と交戦となり1機を撃墜、もう一機に
追尾された尾崎大尉機は
海面直前まで急降下し、敵追撃機を海面に激突させ
たが
自らも被弾し、飛行場に着陸したが、病院に向かう途中に息を引き取った。
 
展示状態
ハンガーの天井に吊って展示されているので
近寄って見ることはできないが、飛行状態で展示されている唯一の
機体という点では最も美しく貴重。
 
浜松広報館レポート
 

零戦と秋水

◆三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室は
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。
 

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も

月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
 
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室レポート
 

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館

◆海上自衛隊鹿屋航空基地資料館(鹿児島県鹿屋市)
零戦五二型

知覧の特攻平和会館は有名だが、鹿屋市には
同様に海軍部隊の特攻隊員の遺書を展示した施設がある。
展示内容はいずれも貴重で決して知覧に引けを取らない。
鹿屋は海軍の特攻基地としてもっとも多くの海軍特攻機が出撃した。
二階フロアには鹿屋から出撃した海軍搭乗員の遺書(案内の人によると
集められる限り全てと言っていた)敷島隊から梓特別攻撃隊、
神雷部隊「桜花」、宇垣中将の特攻まで資料、展示も充実。
世界唯一の二式大艇もここにあり。(屋外)
 
零戦は吹上浜から引き揚げられた機体を復元したもので
数あるゼロ戦の中でもオリジナルに近い。エンジンは近くで
見られるし、コックピットの様子も近くで見ることができる。
ボランティアガイドがラダーや操縦桿を動かして説明してくれる
方向舵や翼が動く様子は零戦や航空機ファン必見。 
 
余談であるがここの食堂で食べられる「鹿屋海軍カレー」は
美味。
 
鹿屋航空基地資料館へ行ってみる

大刀洗平和祈念館の零戦三二型

◆大刀洗平和祈念館(福岡県筑前町)
零戦三二型(第二五二海軍航空隊柳村義種少将機)
 
昭和53年、マーシャル諸島タロア島より帰還した機体で
2013年、第252海軍航空隊の柳村義種少将の機体と判明した。
世界で唯一の三二型(翼が角ばっている)を展示している。
 
ここは震電の展示が充実しているほか
B-29実物大オブジェが天井から吊り下げられている。
 
大刀洗平和祈念館へ行ってみる

大和ミュージアムの零戦六二型

◆大和ミュージアム(広島県呉市)
零戦六二型
 
大和ミュージアムに海軍のシンボルとして展示されている。
大戦末期に製造された重武装の六二型。爆戦ともいう。この機体の 
搭乗員は広島へ原爆が投下された日、琵琶湖上空を飛んでいたと
証言している。
 
大和ミュージアムへ
戦艦大和ドックはいま 歴史の見える丘へ
 

2015082710410000 
河口湖自動車博物館飛行館
国内唯一の零戦21型と一式陸攻を所蔵する。
夏季のみ開館。
 
河口湖自動車博物館飛行館へ

 
パラオの零戦 

◆南方戦跡として残る零戦
(画像:パラオ)
 
当サイトでは南方各地に戦跡として残る零戦を調査し
掲載しています。右の記事一覧からぜひご覧ください。
 
-------------- 
 
靖国神社遊就館(東京)
上野国立科学博物館(東京)
 
作成中。

 
記事の内容に満足されましたらクリックをお願いします!
読者の方々のワンクリックによって当サイトをかろうじて消滅の危機から
救ってくださっています。

 
戦史 ブログランキングへ

零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改

最後までご覧くださりありがとうございました。
当記事はこれから、まだまだ完成度を高めて参ります。
  

D
 

零戦Tシャツ

 

零戦Tシャツ(ネイビー)

零戦Tシャツ(グリーン)

Photo_17

amazon販売ページへ
 

ネイビー ブラック ブルー アイビーグリーン(機体色)


Imgp1010

模型製作代行は「神雷工房」へ

2015年1月28日 (水)

ゼロ戦のカラーリング・塗装表(中島と三菱の違い)

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 
 
機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の塗装について
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは

暗緑色が胴体の斜めに入っているのが中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
 
日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。

あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 
零戦の日の丸 

 
画像使用についてのお願い

215221型と52型の違いについてはこちら





記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

 
戦史 ブログランキングへ



篠原 直人 Profile
このサイトについて
よくある質問
コメントをくださる方へお願い
当サイト掲載画像の提供について





戦史 ブログランキングへ
▲記事が役に立ちましたらクリックをお願いします。
当サイトは皆様のクリックで成り立っています。

【蒼穹の戦士】
ある特攻隊員と少年の実話~黎明の蛍
パラオの零戦/誇り高きサムライ~吉田久光上飛兵
ご遺族と共に最後に飛び立ったペリリュー飛行場へ
パラオの彗星/墜落現場へ~永元俊幸大尉
ガドブス島探索~第263海軍航空隊(豹)のエースたち
帝国海軍から航空自衛隊へ~指宿正信大尉の見た空
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」
富安俊助中尉とエンタープライズ
岩本徹三中尉の戦後
赤松貞明中尉の戦後
篠原弘道准尉 ホロンバイルの荒鷲
零戦の雑学 21型から52型 64型まで
われら雷電戦闘機隊
幻の怪鳥「烈風」改
紫電改と343空 第343海軍航空隊全搭乗員リスト
江草隆繁少佐の九九式艦上爆撃機
一式陸攻の見学
さらば!空中戦艦「富嶽」
1/144航空母艦「飛龍」大ミッドウェイジオラマを作ろう
YS-11宇都宮への定期飛行スケジュール
青木義博中尉(稲妻の雷電)
彩雲パイロット杉野さんのお話
飛燕戦闘機隊々歌完成
雷電 伊藤進中尉機
彗星と航空戦艦日向
西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる
真珠湾攻撃隊零戦隊マーキング
マリアナ沖海戦航空母艦一覧
海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編
「彗星」小松幸男飛曹長機
赤城(ミッドウェイ作戦時艤装)
ゼロ戦(零戦)21型と52型の違い


【原田要さんの話】
(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

【紫電改パイロット笠井智一さんのお話】
零戦と中部太平洋戦線
紫電改と第343海軍航空隊

【「翔鶴」「隼鷹」零戦隊パイロット増山保雄さんのお話】
航空母艦への着艦・発艦方法を語る(動画)

【一式陸攻搭乗員天野さんのお話】
(1)一式陸攻のイロハ(クルーの役割)
(2)東京初空襲とミッドウェイ海戦
(3)ソロモン海戦水面スレスレでの雷撃敢行

【飛燕パイロット竹田五郎さんのお話】
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(1)
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(2)

【中島又雄さんのお話し】
零戦52型丙 B-29との戦い

【池田武邦さんのお話し】
新鋭巡洋艦「矢矧」航海士が見たマリアナ、レイテの回想


【ペリリュー島第二連隊生還者 永井敬司さんのお話】
ペリリュー島のラストサムライ

【日本の戦跡一覧】
旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(稚内市)
猿払電話中継所跡(遥かなる樺太・真岡)
八甲田山・雪中行軍隊の足跡を辿る
四式戦闘機「疾風」地下工場その2
カッパドキアより凄い!採石場跡は世界最大級の巨大地下空間
疾風地下工場(大谷資料館)外観とその周辺
洞窟戦車工場(那須烏山市)
「桜花」カタパルト基地
航空自衛隊浜松基地広報館(エアパーク)
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学
戦艦大和ドックは健在(歴史の見える丘)
からすこじま公園
大和ミュージアム
てつのくじら館  柱島・周防大島の戦艦陸奥記念館
人間魚雷「回天基地」大津島
楢本神社
小島・芸予要塞
松山第343海軍航空隊
佐田要塞・未机湾(真珠湾九軍神の碑) 
南レク「紫電改」
宿毛湾・宿毛泊地
高知航空隊
三魂之塔(彩雲)
大刀洗平和記念館
ペリリュー島守備隊長中川大佐の墓所 大分飛行場跡(宇垣特攻の地)
宇佐海軍航空隊(永遠のゼロ) 
佐世保鎮守府
SSKドック(旧佐世保海軍工廠
セイルタワー
大村海軍航空隊
海軍針尾通信所(巨大通信塔)
三菱重工長崎造船所(戦艦武蔵ドック)
万世特攻記念館
海上自衛隊鹿屋資料館(海軍特攻資料館)
鹿児島空港(陸軍国分第二飛行場)
四式戦闘機「疾風」と中島飛行機宇都宮製作所
神雷部隊「桜花」別杯の地

【四方山話】
富士山の空撮
人形供養のお焚き上げへ行ったら・・・
故人の人権は誰のものか?
バブル遺産巡り
自衛隊お見合いパーティー2015
吹上浜での拉致の一部始終を普通に話す人
東京オートサロン2015ガールズ
リバティウォークのランボルギーニ(ゼロ戦仕様)
宇都宮ヘリコプターアクロバットチーム「ブルーホーネット
エヴァンゲリオン新幹線500系見学
フライング・ダイナソー搭乗
みかんを知ろう
憧れの樺太
扇風機を改造してみた
アメリカ軍の騒音対策を真似してみた
航空幕僚副長を表敬
いろは坂の深夜
ガルパン(大洗)こんな凄い町おこし見たことない!
西住みほコスプレ撮影
ネットアイドルの杏樹ちゃん撮影
興津の海と鵜原八坂神社
20XX年 応急夜戦滑走路
1/48 B-29完成


【Tシャツ製作記録】
ゼロ戦Tシャツ
伊400と晴嵐Tシャツ
紫電改Tシャツ
三式戦「飛燕」Tシャツ
10式戦車とIV号戦車Tシャツ新発売

【フリー素材・写真/イラスト集】
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン
10式戦車 90式戦車 74式戦車 フリー
IV号戦車 フリー素材画像
航空自衛隊 F-2 戦闘機 フリー
戦艦大和・武蔵
伊400
飛龍
ゼロ戦の形式一覧
艦上爆撃機「彗星」形式
満州鉄道伊ロゴ作成
中島飛行機ロゴ作成
ステンシルフォントの作成(漢字・和文)


パラオ全図島
■パラオ全図(各島詳細)