隼二型黒江保彦少佐機
飛行第64戦隊の隼二型、黒江保彦少佐機です。
背景は振武隊の隼です。
こちらをご覧ください。
黒江氏は鹿児島県は伊集院の出身。
航空士官学校50期次いで明野で戦技教育を受け
飛行第59戦隊に配属されノモンハン航空戦後詰めとして
満蒙国境に移動し、タムスク上空で2機を撃墜。
その後、航空士官学校教官として本土に戻り
大尉に昇進。新鋭戦闘機であった二式単座戦闘機「鍾馗」の
独立飛行第47中隊付で南方戦線に出撃。
シンガポールとエンドウ上空で3機を撃墜。飛行第64戦隊第3中隊長に転じる。
間もなく加藤戦隊長が戦死したため、黒江大尉が
戦隊を率いた。
著書に『ああ隼戦闘隊』がある。
著書によれば、英空軍モスキートをビルマ方面で初めて撃墜したり
敵戦闘機を追い詰めて空中捕虜にしたりした。
ビルマ航空戦が苦境となる頃
本土に帰還し、航空審査部のテストパイロットとして
ロケット弾やキ102、キ106、キ109などの飛行試験を担当。
この間、B-29邀撃にも参加している。
昭和20年3月25日(昼)にはキ102甲の37ミリ機関砲で
B-29を一機撃墜。5月23日夜間には四式戦疾風でB-29を二機
撃墜した。
戦後航空自衛隊に入隊。
F-86Fジェット戦闘機パイロットとして活躍。
昭和40年11月、第六航空団司令として小松基地に勤務中
海釣りで波にさらわれ死亡した。
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