2017年4月21日 (金)

航空自衛隊航空中央音楽隊隊長より

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私のいいだしっぺ(鼻歌)で始まった
楽曲のリクエスト活動。まさか航空自衛隊音楽隊が
演奏することになるとは、思いもしませんでした。
 

航空自衛隊航空中央音楽隊隊長より拝受致しました
「飛行第244戦隊歌(飛燕戦闘機隊歌)」の楽譜です。
 
この楽曲は既に
航空自衛隊航空中央音楽隊によって
演奏・録音していただきました。
 
基地祭にて演奏する機会があるかもしれません。
その折はお知らせいたします。
 
兎に角、完成し、航空自衛隊音楽隊のライブラリに
収録されましたので後世に残していけるでしょう。
 
航空自衛隊さんに大感謝です。
 
楽曲保存活動に全力で取り組んでくださった
竹田元航空幕僚長、航空幕僚副長丸茂空将、広報室長植森一佐
航空自衛隊中央音楽隊長中嶋二佐、演奏してくださった
音楽隊の方々、そして鼻歌から譜面を起して下さった久保先生、
ありがとうございました!

身近にある国連部隊

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宇都宮駐屯地・中央即応連隊の
国連PKOに使用されたコンテナ。

2017年4月15日 (土)

東松島T-2ブルー

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東松島のブルーインパルスのモニュメント。通称T2ブルー。
退役した機体を用いて保存されている。
 
この写真を撮ったのは、東日本大震災
翌月の事。瓦礫撤去に向かう車の中から。
 
手前のガードレールには浸水した際に付着した
泥がそのままになっている。写真ではわかりにくいが
機体を支えるコンクリートの真ん中あたりまで
浸水の跡が残っていた。

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現場近くの線路。

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避難所となっている石巻市の小学校。
浸水した桜の木だが、花を咲かせた。
4月の終わり頃だった。

2017年3月20日 (月)

飛燕~小林照彦戦隊長機

飛行第244戦隊の飛燕、小林照彦戦隊長機

飛行第244戦隊の飛燕、小林照彦戦隊長機です。
B-29に突撃するシーンを再現しました。
 
二機は別々に撮影し、合成したもので
撮影は同じ場所、同じ時間に行います。

これが一番簡単な方法で、
陰影(光の当たる角度)が統一され、合成した際

不自然になりません。
 
B-29を背景レイヤーに設定して、ボカしをかけ、その上のレイヤーに

切り取った飛燕をペーストします。仕上げに釣糸を消して
プロペラを回転させます。
 

主役の飛燕は神雷工房様の作品です。
B-29は篠原が製作しました。(B-29はボカしてしまうので手抜きです)
納品から公開まで随分時間がかかってしまいました。
申し訳ありませんでした。
 
今度、この画像をプリントして
飛燕のパイロットの方にお渡しする予定です。
 
関連記事

244戦隊マーク

飛燕の無線交信

1/48のB-29を作ろう

竹田五郎さんのお話「飛燕」高度1万メートルの戦い

飛燕Tシャツデザイン

飛燕戦闘機隊々歌完成

2017年2月17日 (金)

飛燕の新作

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要望のあった新作「飛燕」Tシャツデザイン出来ました。
244戦隊仕様です。
シルクスクリーンだと使える色は1色~2色だけなので
表現が難しいですが、それがまた楽しいです。
 
こちらはただいま販売に向け準備中です。
 
地道に戦車も描いております。90式戦車出来ました。
これで現用の陸上自衛隊の戦車はコンプリートです!

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戦車の素材配布ページへ

2017年2月 2日 (木)

ステッカー素材

2

1

春から夏にかけての自衛隊関連のイベントで販売する
機体シルエットのステッカーを作成しております。
 
「折角なら誰も扱わないような、マイナーな機体も揃えよう」という
ということで仲間から出たアイディアを、片っ端から描いていきます。
  
突起や細かい部分は、
ステッカー出力したときに、刃の先が引っかかって
綺麗に形にならないので、少し簡略化しています。
これだとF-2の武装やTH480も細かいので改善が必要かなと思います。
 
まだまだ、描いていきます。
地上の装備品等もラインナップに加えていきます。
 
FH70なども描いていきます。

2017年1月16日 (月)

1/144 T-4

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1/144のT-4を集めてしまいました。
お菓子のおまけ(食玩シリーズ)です。
 
手前からブルーインパルス、エフトイズ、アクロチームコレクション
その右のグレーの機体が童友社 T-4(第8飛行隊)
赤いのが、エフトイズ日本の翼コレクション3、第13飛行教育団。
迷彩が同じく日本の翼コレクション3、T-4 S 第306飛行隊 小松基地。
洋上迷彩が、GIGA 1/144戦闘機 T-4コレクション5.浜松基地
第31教育飛行隊 洋上迷彩。

 
T-4はシンプルで綺麗な飛行機ですよね。航空自衛隊の練習機で
TはチュートリアルのTです。

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東京とびもの学会に参加します

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3月12日に東京で開催される「東京とびもの学会」にサークル参加
させて頂きます。
 
東京とびもの学会とはどんな催しかというと、
以下公式サイトより抜粋します。
 
---------- 
東京とびもの学会は、空や宇宙に関する事で有れば基本的にどのようなものでも
対象にする自主企画展示・同人誌即売会を中心としたアマチュアファンイベント
です。
 
中心は、飛行機(航空機)、ロケット、人工衛星など、通称「航空宇宙または宇宙
航空」とよばれるジャンルです。
 
大規模オールジャンル系の即売会では、航空宇宙関連の参加者は、メカ・ミリタリ
ー、評論、アニメ、SF、さては旅行に写真系に創作分野まで分散しています。
 
東京とびもの学会は、取り扱い範囲をいわゆるメカミリ系同人誌のみにとどめず、
旅行記、航空祭レポートや写真集、大学等の活動案内、手持ちのグッズや情報
の集中展示に実演パフォーマンスなどまでを含め、航空宇宙に興味がある人が
楽しめるモノであれば広く募集し、そういった中であたらしい出会いや楽しみを
見つけ育むためのイベントです。
---------- 
 
以上です。
 
アマチュアもプロの方も多く集まります。もちろん
出展せず、見に来るだけでもOKです。
また、販売以外でも自身の模型を展示したりと、航空宇宙ファンには
盛り上がる事間違いなしのイベントです。

2017年1月 8日 (日)

なんでロシアの飛行機は変わっているのか

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同じ用途の飛行機でも、アメリカとロシアではまったく形が違うのは
なぜか。それは進化の歴史が土台から違うからです。

写真はロシア空軍の哨戒機ツポレフTu-95です。外国軍機が

頻繁に日本の領空へ来襲し、航空自衛隊機がスクランブルを行っていますが
この飛行機がその、ひとつの正体です。Tu-95は
もともとソ連時代に設計された戦略爆撃機で
ロシア語でТу-95トゥー・ヂヴィノースタ・ピャーチと呼称します。
(この機体は二重反転プロペラ機です。
二重反転プロペラについてはまた別に書きます)
 
この飛行機を見て、日本人は変わった形をしているなあ
と思うかもしれません。
 
別々の進化を遂げてきた東西の機体は、現在においても
世界各地でライセンス生産等が行われ、アメリカ側とロシア側の
二大勢力となっています。
 
アメリカが組長の親分だとすると、その手下に日本、韓国などがあり
同じ戦闘機を使っています。
 
一方、ロシア親分は手下に中国軍、北朝鮮軍などがおり、
いずれもスホーイなどをベースに少し劣化した飛行機を
使っています。
 
ヨーロッパ組は少し事情が変わっているので、ここでは割愛します。
 
古くはロケット開発で顕著に見られた、東西の違いは
セルゲイ・コロリョフ(ソ連)と、ヴェルナー・フォンブラウン(アメリカ)
の二人の偉大なるパイオニアが存在したことから
別々の道を辿ることになります。
 
科学は突き詰めてゆくと大概同じような形になりますが
それまでの積み重ねがあってのことで、ロシアとアメリカは
例えるならば、二つの巨大な塔を建設する目的は同じでも
基礎から違っているので、てっぺんでは全然別の形のものが出来上がって
それが実に興味深いという話を此処で楽しみたい訳です。
 
もとはナチスドイツでV2ロケット(核ミサイルの原型)を開発していた
フォンブラウン博士は、アメリカへ亡命し、その技術を生かして
サターンロケットを開発し、やがて月へ到達します。 
 
一方、ロシアのコロリョフ博士は人類(ガガーリン)を初めて宇宙に
送ったソユーズロケットの父で、ソユーズは現在でも
ほぼ同じ形で現役。スペースシャトルの退役した現在、
アメリカに代わり、国際宇宙ステーションへのメインの
宇宙船として忙しく働いています。
 
ソユーズは見た目は変わりませんが、
中身はアップデートが繰り返され、別物と云われております。
ロシアという国はハードを長く使う傾向にあるようで、
その完成度の高さは凄いです。
 
そういった具合だったのですが、宇宙開発という分野では1975年7月に
アメリカの「アポロ18号」とソ連の「ソユーズ19号」がそれぞれ
打ち上げられ、宇宙でドッキングし、
「もうこれからはお互い仲よく協力してやりましょう」といって
アメリカとロシアが協力関係になりましたので終わったのです。
かくして宇宙から国境が無くなりました。
 
ところが地球上ではそううまくいかなかった。冷戦が終結しても
戦争はなくならないし、それに伴って、東西の兵器は
別々に進化を続けています。
 
アメリカ親分の戦闘機はFシリーズといって
古くはF4FからF6Fなどのレシプロ戦闘機からはじまって
F4、F15、F16、F35などのジェット戦闘機が開発され
子分である日本にも劣化バージョンが送られてきました。
 

▲アメリカ軍原型のFシリーズ
 
もとをたどれば、ソ連との国境線にあります、我が日本は、冷戦時代に
アメリカだけでは極東の防衛が難しくなったので、航空自衛隊を発足し
 
「忙しいんだから、お古の戦闘機をくれてやるから日本はこれで
新しく軍隊を作って戦いなさいよ」
 
とアメリカ親分にもらったものですが。
 
一方、中国、北朝鮮など共産・社会主義各国はロシア(ソ連)親分に
お古の戦闘機をもらっていました。
 
アメリカではFシリーズにあたるメインの戦闘機が
スホーイ(su)シリーズとなります。

▲ロシア軍原型のスホーイシリーズ。 
 
見た目が全然違います。
 
このページの最初でツポレフを掲載して、なんでロシアの飛行機は
変わっているのか、という話をしましたが、当然、ロシア組長から
見ればアメリカ組長の飛行機は「ケッタイな格好している」という感想を
持つに違いないでしょう。
  
政治的なお話は抜きにして考えることにしたいです。
航空ファンは、純粋にメカの進化という視点から見れば、
とても興味深く話が尽きないです。
 
ドイツと日本も戦中は独自に、優秀な飛行機を開発していたのですが
終戦に伴うアメリカの進駐とともに、ドイツも日本も、
技術はぜんぶアメリカのものになりました。
 
フーゴー・ユンカース博士の技術も中島飛行機の糸川英夫博士の技術も
ぜんぶです。悔しいですが、戦争に負けるとはそういうことです。 
 
中島飛行機出身の糸川博士は
戦後宇宙開発に携わりますが、その話も今度したいですね。 
 
こういう話題を話せるオタク仲間が近くにいないので、
少しだけここに書きました。
  
画像購入先 Shutterstock

2017年1月 4日 (水)

F-2とF-35エンブレムステッカー試作

F2

以前作成したデータを元にエンブレムを試作してみました。
F-2とF-35の二種類です。好評だったらイベントに出そうかなと
考えております。

2016年12月15日 (木)

犠牲の価値

最近在日米軍機の事故で大きな話題になっているので少し書きます。
 
先週は米海兵隊のFA18パイロットの方と航空自衛隊の同じくF-4の
パイロットの方と同じ場所でお話し
する機会がありました。
領空侵犯機への対応など色々な事柄をお聞きしました。
  
パイロットは例外なく勇猛果敢であり、広い広い視野を持っておられます。
日米、双方の意見として
 
「戦死者が出るからやめろ?何をバカなことを言ってるんだ」
 
との由。航空自衛隊に関して言えば、世界一の整備水準を誇る為、
航空機の事故は
少ないです。またそれらを扱うオペレーターの技術も
非常に高いです。
 
一方、米海兵隊の機体は意外とボロボロでオイル漏れが放置されていることも
多いです。だから局地的な戦闘においては日本が優れる場面も多いのです。
簡単に言えば少数精鋭です。
  
しかし、これが大局的観点からすると、実に脆弱でして、
10対10の戦いに於いてクオリティの差で圧勝したとしても
後ろに100の敵増援部隊が控えていたとしたらどうでしょう。
時間・兵站・情報などあらゆる場面から判断したらどうでしょう。
勝てるでしょうか。一人の軍人の戦死者を出さない為に、100人の
民間人死者が出たらどうでしょうか。
 
戦争に巻き込まれたという場面を考えるならば
もっと広い視野で物事を考えなければならないと感じます。
それには過去から現在、未来という時間軸の中で広いスパンをとって
考えなければ
ならないと感じます。有事と平時の境界線など実に曖昧なもの
だと思います。
 
※画像はイメージです。

「探してます」→「知ってます」情報共有掲示板

この頁は調査をされている方の情報共有掲示板と致します。
各種調査にお使いください。検索エンジンから多くの方が訪れますので
何か手がかりがつかめるかもしれません。
 
書込みむ際のお願い
・身内の方で戦没者の調べ方についてはコチラをご覧ください。
・無記名・匿名はご遠慮ください。
・他の閲覧者に配慮が頂けない書込みは予告なく削除します。
・連絡先交換等は自由ですが、個人間のやりとりは当サイトで責任は負いかねます。

2016年12月 7日 (水)

YS-11宇都宮へ定期点検飛行

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2016年12月7日、入間の飛行点検隊のYS-11が
3ヶ月に一度の定期試験で宇都宮へ飛来しました。
自宅の窓から撮影できる距離ですので撮影致しました。

2016年12月 1日 (木)

海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編

中島さんに教わったお話しで、ゼロ戦とはまた違う話ですので
番外編としてここに記します。海上自衛隊黎明期には
技術畑でもたいへんな苦労がありました。
旧海軍の技術士官がメーカーに入って現在の
メーカーの礎を築いたという記録でもあります。
 
以下、中島さんのお話し。
 
---------------------
 
昭和33年頃の話です。私が海上自衛隊に居った頃だったんですが、
あの頃は旧海軍の技術士官の方が、日本無線とか、東芝とか日立製作所とか
メーカーに就職しておられたんですよね。あの頃は技術者が少なかったんです。
 
各メーカーは防衛庁の仕事は儲からんから、やりたがらなかったんですよ。
検査がうるさいしとか言ってね。そういうことでね、我々防衛省側ですからね、
メーカーに「頼むからこれ作ってくれ」と、頭下げて
頼みよったですよ。
そういう時代が昭和30年代のはじめでしたね。
 
それで、メーカーには
旧海軍の技術士官の方がおられるから、
そこへ行って
お願いしますと頼み込んでね。だいぶお世話になりました。
で、そういう関係で、官民仲良く仕事をしようじゃないかという
ことで、会を作りました。
 
そういうことで会で旧海軍の先輩たちとお会いして
いろいろと教えを頂いて、旧海軍はこうだったとかね。
話をよくきいたりなんかもしましたからね。
  
当時、業界との付き合いは
今みたいに線を引いてやる形じゃなかったですから。
 
私が今でも一番憶えているのは、私はもともと海上自衛隊で
パイロット採用でしたが、
それからエレキの勉強して、整備に変わって
それからまた技術の部門にかわったんです。
 
昭和34年、六本木に着任したとき、旧海軍の技術士官の人が
課長だったんです。で、その課長から言われたことが
今でも印象に残っているんです。
 
「おい、お前今までオペレーターだったけれどね、
これから技術幹部になるんだからね、しっかり技術の勉強してくれ」
 
と。それから
言われたことが、旧海軍は海軍工廠ちゅうのを持ってた
わけです。物
を実際に自分たちでつくってたわけです。
だから海軍の技術士官は海軍工廠でも働いてたわけですけどね
行政だけじゃなくて、で実地をよく知っているし
実物がどうやって物ができてくるか知ってるわけですよ。
 
だけど現在の海上自衛隊には海軍工廠がないんだと。
だからね、
 
「メーカーを
海軍工廠だと思え」
 
と。これには僕もびっくりして。
みんなの前でですよ。
  
だから仲良くなれと。

例えば検査にいったときなんかにね、夕方5時になって帰ろうとしたらね、
「御夕食でもどうですか」と言われたらね、誘いに乗れと。
誘いに乗って、一緒に飯を食って、仲良くなってくれと。
友達付き合いをしっかりしてね、そうしないと仕事うまくいかんから。
 
メーカーでもどういう仕事をやっているのか知らんといかんからね。
技術幹部というものは。
昔はそういう勉強の場があったけど
今はないから。
で、会社と仲よくなれと。で最後に言ったのが今でも
忘れられない。ただ、コレ(小指)とコレ(¥マーク)はだめよと。
 
いくらでも飲めと。付き合って仲よくなれと。堂々と言われましたからね。
だから本当に会社から誘われたときは飲んでましたね。
 
当時、私飲めなかったんでね、会社の人も営業も技術の人も
俺をだしにして飲んでるなと(笑)
 
で、家に帰って夕食を食べるときは缶ビールの350のを一本
飲んで、あ、当時は350じゃない。小瓶ちゅうのがありましたかね。
それを一生懸命に飲んで練習したんですよ。
 
悪酔いしないように。そういう古きよき時代でしたね。
だから課長になったら、正月になったらメーカーの人も
ここに私の家に来るし、もちろん会員も2日の夜はここで
集まるようになってましたんで、70~80名
いれかわりたちかわり来て(笑)
 
お酒は買わなくていいんですよ。メーカーの人が
みんな持ってきてくれるから。だから料理だけ用意すれば
よかったんですよ。だからだいぶ世話になったんですよ。ワイフにも。
 
で、現役と会社の人でワイワイやってた。
それが出来た時代ですよね。今はそんなことやったら大問題ですけどね(笑)

2016年10月22日 (土)

航空幕僚副長を表敬

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航空自衛隊市ヶ谷基地にて、
航空幕僚副長の丸茂空将と、広報室長の植森一佐を表敬しました。
 
隣の女性はピアニストの久保亜未先生です。
今回は先生が編曲に尽力された
「飛燕戦闘機隊々歌」の楽譜を
閣下にお渡ししました。閣下には特段の御厚意を賜り、
「飛燕戦闘機隊々歌」を航空自衛隊音楽隊で
再編曲・録音して頂く運びとなりました。
 
飛燕戦闘隊々歌は飛燕が高度一万メートルを飛翔する姿を表現した
明るく力強いメロディーが特徴であります。
 
戦後、「飛燕」の飛行第244戦隊出身者は、航空自衛隊
第一航空団初代飛行隊長小林照彦をはじめ、6名以上が
航空自衛隊で活躍。その黎明期を支えました。ゆえに
当楽曲は航空自衛隊とは極めて縁が深ものであります。
 
譜面、歌詞の再現および保存は、飛燕のパイロットであり
元・航空幕僚長の竹田五郎氏の協力のもとで行いました。
この活動は飛燕で敢闘した方々の武勇顕彰と、散華された方々を
偲ぶものであります。

2016年10月17日 (月)

UH-60J

UH-60J

UH-60J

 
UH-60JAを製作しました。
フリー素材イラスト・アイコンとして利用できます。 
 
ご利用の前に必ずお読みください 
 
PNG形式でのダウンロードはこちら▼

UH-60Jフリーイラスト・素材アイコン




2016年10月13日 (木)

10式戦車 90式戦車 74式戦車 フリー素材画像アイコン・イラスト

10式戦車シルエットフリー素材アイコン

90式戦車シルエットフリー素材アイコン

Photo

PNG形式用ダウンロード▼

10式戦車フリー素材画像アイコン・イラスト

▲10式戦車

90式戦車フリー素材アイコン

▲90式戦車

74式戦車フリー素材シルエットアイコン

▲74式戦車

 
10式戦車、74式戦車のフリー素材アイコンを作成しました。
非商用に限りダウンロードして利用できます。
 
利用の前に必ずこちらをお読みください。
 
商用・アウトラインデータ(AIファイル)での販売もできますので
お問い合わせください。価格表はこちら
  
写真もあります。2016年富士総合火力演習にて撮影 
74式戦車

2016年10月10日 (月)

F-35A

Photo

来年度、航空自衛隊に配備される予定のF35Aを描いています。
 
今年はヘリコプターや戦車など、たくさんの自衛隊装備品を
描く予定であります。

2016年10月 8日 (土)

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦)52型

零戦(ゼロ戦)21型

零戦(ゼロ戦52型)

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零戦をはじめとした陸海軍大戦機のフリー素材アイコンを作りました。
PNG形式でダウンロードできます。
画像一段目、ゼロ戦21型上、52型上
二段目、21型横、52型横
 
マーキングを省き素の状態ですので、
各自機番号等ペイントツールで入れてお使いになれます。
 
機番号やマーキングを入れてほしい方は
こちらでお入れすることもできますので、ご連絡ください。
 
21型のほかに、11型、22型、32型、52型甲、52型乙、52型丙、53型丙
62型、64型(試製54型丙)、零式練戦、二式水戦など、
全ての型式をご用意しておりますのでご希望の方は
別途お問い合わせください。三菱製、中島製がお選び頂けます。

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Photo

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シルエット1、2段目、ゼロ戦52型。
3段目、晴嵐、疾風、流星
4段目、飛燕、震電となっています。
 
非営利に限り、無料でご利用になれます。
商用の場合は有料となりますがアウトラインデータも
提供できますのでお問い合わせください。 
 

必ずこちらに従ってご利用ください。
画像使用についての決まり

以下写真画像

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

2016年10月 6日 (木)

F-2戦闘機 アイコン フリー素材

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Photo 
航空自衛隊のF-2支援戦闘機の素材ができました。
非営利に限り、無料でご利用になれます。
 
商用の場合は有料となりますがアウトラインデータも
提供できますのでお問い合わせください。 
 
必ずこちらに従ってご利用ください。
画像使用についての決まり

2016年10月 2日 (日)

20XX年 応急夜戦滑走路

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自衛隊関連の特撮も製作しています。
来年はF-2と一〇式戦車をグッズをラインナップに加える予定で
これは参考用の精密模型であります。平日の昼間っから
戦車や戦闘機の模型を手に、ニヤニヤしておりますが
決して遊んでいるわけではないので勘弁してやってください。

2016年7月 1日 (金)

零戦画像集その1

ゼロ戦画像まとめです。
 
記事で使用しました零戦の画像・写真・イラストの一覧を作りました。
優美な姿を多くの方にご覧になって
ゼロ戦を好きになって頂ければと
思います。
 
私自身が作成した他、ライセンスを得る等、お借りしている画像もありますので
利用希望の方は必ずお問い合わせください。
 
逐次追加していきます。

52型と21型

零戦21型岩本徹三機

零戦52型

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零戦21型レプリカ(テキサン)

二式水戦

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零戦型式一覧零戦21型と52型の違い

零戦21型「赤城」進藤三郎大尉機

零戦64型(54型丙)

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零戦52型

零戦52型

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零戦52型

零戦52型(261空)

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零戦中島三菱塗装の違い

▲南溟の桜(当サイト)

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四式戦「疾風」

艦上爆撃機「彗星」一二型

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百式司令部偵察機三型

雷電(青木機)

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紫電改(菅野直機)

飛燕(244戦隊)

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2016年6月21日 (火)

ブルーホーネット

ブルーホーネットの展示飛行を早速アップされている方が
いらっしゃいましたので掲載します。


YouTube: ブルーホーネット飛行展示 北宇都宮駐屯地 開設43周年記念行事

北宇都宮駐屯地記念行事無事終了

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北宇都宮駐屯地記念行事、無事終了致しました。
梅雨の最中でありましたが、晴天に恵まれ、ブルーホーネットによる
飛行展示も行われました。
 
店番をしておりましたので、展示飛行の写真を撮ることは
できませんでした。大迫力でしたので
他の方の画像や動画を探してみてください。
必見であります。
 

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▲TH480と各ヘリコプターの展示、格納庫の解放などなど
 

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Imgp0364 
▲航空機よりも人気だったストライカー(消防車)
特撮もののマシンみたいでかっこいい!
 

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▲でかい!!ラジコン雷電!
時速200キロ出るらしいです。 
  

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当方がデザイン致しました
ブルーホーネットTシャツ、100着を当日限定で
販売致しました。
 
なんと、開門から1時間半で完売!肝心の
ブルーホーネットが飛ぶ前に終了となってしまいました。
ありがとうございます。
多くの問い合わせを頂戴しましたが、

朝早くから並んで求められた方がいらっしゃいますので
再販はせず、これ限りとさせて頂きます。
 
また、四式戦闘機の展示とポスターの配布を行いました。
神雷工房様の作品であります。「これはいくら?」と何度も
聞かれる程の人気でした。
子供さんにさわられまくって壊れましたが100パー想定内です。
何より多くの方に見て頂いたので満足であります。
これを機会に宇都宮と四式戦闘の関連を知って頂ければ
幸いであります。
  
また、紙飛行機おじさんの1/48紙飛行機を販売。
こちらも一機を除いて完売致しました。
 

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当日は
遠くからお越し下さった方もいらっしゃいまして
また「いつもブログ見てます」という方も結構いらして
とても嬉しかったです!
 
来て下さった方、本当にありがとうございました!
 

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2016年6月13日 (月)

6月19日は北宇都宮駐屯地記念行事2016

Posu

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2016年6月19日(日曜日)は、陸上自衛隊
北宇都宮駐屯地にてイベント
「北宇都宮駐屯地記念行事」が行われます。
概要が発表されましたのでお知らせします。
   
目玉はなんといっても航空ショーで、
自衛隊、ヘリコプター唯一のアクロバットチーム
「ブルーホーネット」
TH-480B(6機編隊)による展示飛行が行われます。

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機
 
基地の内部、エプロンおよび格納庫解放し
普段はお目にかかれない基地の内部を見学できます。
自衛隊さんの売店も面白いですよ。
限定グッズを販売しております。
ぜひ6月19日は北宇都宮飛行場へおいでださい。
 
なお、チラシにはヘリの地上滑走体験と書いてありますが・・・
それは建前であります!申し上げたい意味は
おわかりになりますでしょうか!ぜひいつもの街を
空から眺めてみてください!

 
お車で来場の方へ
駐車場は無料ですが、一般道から長い順番待ちができますので
なるべく公共交通機関をご利用になるか、早めに到着されることを
おすすめします。

2016年5月12日 (木)

北宇都宮駐屯地記念行事2016

2016年6月19日(日曜日)は、陸上自衛隊
北宇都宮駐屯地にてイベント
「北宇都宮駐屯地記念行事」が行われます。
 
目玉はなんといっても航空ショーで、
自衛隊、ヘリコプター唯一のアクロバットチーム
「ブルーホーネット」
TH-480B(6機編隊)による展示飛行が行われます。
ヘリコプターに特化した航空ショーでは日本一です。
ブルーインパルスも真似できない機動がここにある!
 
そのほか、地上には外来機の展示、
基地の内部、エプロンおよび格納庫解放し
普段はお目にかかれない基地の内部を見学できます。
 
自衛隊さんの売店も面白いですよ。
限定グッズを販売しております。
 
ぜひ6月19日は北宇都宮飛行場へおいでださい。

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機 
▲▼宙返りを行うTH-480B機と編隊飛行を行うTH-480B機(予行訓練なので観客が居ない)
 

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

TH-480B陸上自衛隊練習機

Posu

Rifuomote

Rifuura


なお、チラシにはヘリの地上滑走体験と書いてありますが・・・
それは建前であります!申し上げたい意味は
おわかりになりますでしょうか!ぜひいつもの街を
空から眺めてみてください!

2016年5月 9日 (月)

自衛隊グリーンフェスタ2016宇都宮

来たる5月21日は自衛隊グリーンフェスタです。
10時30分より15時迄。
 
第12音楽隊による演奏、車輌展示、ユニフォームセレクションなどなど
終了後は、自衛隊と一般女性のお見合いパーティ(今年もやるのかな?)
プログラムに載らず行われるのでわかりませんが、毎年大人気です。
 
今年は餃子祭りと同日開催です。
メインに、オリオン通り、バンバ広場、城址公園に
自衛隊車輌を展示します。普段は駐屯地内で行われることの多い
自衛隊イベントですが、この日は市民に理解を深めるべく
市街地で行います。
 
自衛隊好きの方で、撮影される方、
狙い目は朝一番、自衛隊車輌の搬入と終わった後の搬出です。
アーケードを背景に走る装甲車を撮影できます。
 
昨年は、平和団体の方が開催中、抗議にやってきまして
少し開催が危ぶまれたのですが
今年も無事開催の運びとなりました。
 
私もバンバ広場(二荒山神社前広場)に居りますのでぜひお出かけください。
 
公式チラシ
http://www.mod.go.jp/pco/tochigi/event/gf_tirasi.pdf

 
追記
2016年6月19日は北宇都宮駐屯地イベントです!

2016年5月 7日 (土)

模型製作代行「神雷工房」様のご紹介

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模型・プラモデルの代行製作(委託製作)の神雷工房様のご紹介です。
  
当サイトでもお世話になっております神雷工房様は
リアルなゼロ戦模型の製作に特化したプロモデラーさんの工房であります。
ゼロ戦以外にも艦爆、艦攻、陸軍機など何でも製作OKです。
(写真は陸軍の四式戦疾風です。他にも未公開の作品がいくつかありますので
順次アップしていきます)
  
模型製作代行業者は他にもありますが、神雷工房様の特徴としましては

製作者が実際に多くのゼロ戦パイロットや整備兵の方と接してきましたので、
証言をもとにしたリアルな機体が製作可能なのはもちろんのこと、
なんといっても丁寧、親切なやりとりです。
細かい仕様や色の好みなど
わからなければ史実に基づいたアドバイス、施工もしてくださいます。
 
予算などもやさしく相談に乗ってくださいますので
おすすめです。
 
詳しくは下記サイトをご覧ください。

神雷工房サイト
http://jinraikohboh.web.fc2.com/

神雷工房ブログ
http://jinraikohboh.blog.fc2.com/
 
  
今後、神雷工房様の模型を当サイトのコンテンツでも使用していきます。
(同一ページ内にクレジットを明記しますのでご参考下さい)
 

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2015年5月23日 (土)

自衛官お見合いパーティー

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今日はオリオンスクエアで自衛隊お見合いパーティーでした!
男女それぞれの自己紹介、フリータイム、告白&ちょっと待ったコールなどなど!
熱戦でしたが、今年は11組のカップルが誕生しました!!
 
自衛官の人気は凄い!こっちもハラハラドキドキしながら見ていました!
うまくいってほしいなあ!
 
そして明日24日は北宇都宮駐屯地開設42周年記念行事です!
ぜひお越しください!
 
2016年もやると思いますので
詳しくはお問い合わせください!
  

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2015年1月31日 (土)

零戦の型式雑学 21型から52型、64型まで

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零戦21型と52型の違い

零式艦上戦闘機(ゼロ戦/零戦)零式艦上戦闘機(通称ゼロ戦)は
三菱重工が設計開発を行った日本海軍の主力戦闘機である。
和14年3月初飛行、翌15年、正式採用を待たず中国(支那)戦線で初陣。
16年12月
の真珠湾攻撃以来、昭和20年8月の終戦までに三菱重工、
中島飛行機の両企業により
総計1万機以上が生産された。
 
日本国民の総力を注いだこの戦闘機は、西はセイロ
ン島、東はギルバート、
ハワイ諸島に至るまで地球のほとんど半分近くを戦域とし
連合軍と対峙、
あるいは国土防衛に尽くした。
 
昨今、永遠の0や、堀越二郎を元に描いたアニメ映画『風立ちぬ』
で注目を浴びる機会も多くなった。
この頁ではそれぞれの違いと特徴、時代背景なども追って紹介する。

 
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコンはこちらのリンクから

零戦二一型(瑞鶴/岩本徹三機)

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零式艦上戦闘機(ゼロ戦)

型式について

零戦の形式は一桁目を機体形状、二桁目がエンジン形式を表す。
甲、乙、丙等が付随する場合は火器類の違いを示す。
原則、形式番号が同じであれば同様と考えて良いが
例えば、52型と32型であれば、機体のデザインは異なる(翼の形)が
エンジンは同じものが搭載されている。マフラーの形状が違うので
まったく同じとは言えない。このほか戦時下において細かな変更点は
限りなくあるだろうし、諸説存在する。勉強中故、お許し願いたいが
同時に零戦好きの方が集う場所でありたいと願うので、意見などあれば
どうぞ遠慮なく書いてください。
 
書き込む前に必ずこちらをご覧ください。

零戦は同時期に製造された飛行機でも、個体差が激しく
クセの強い飛行機などは舵をいっぱいに切って離陸したりと
難があった。

  

専用機(愛機はあったのか)

専用機(愛機)はあったのか
書物や証言を照合するとおおむね以下のとおりである。
 
通常であれば、搭乗員はその出撃の都度、割り当てられた機体に搭乗する。
従って、愛機は存在しない。緊急発進では尚更であった。ただし、指揮官
(分隊長クラス)になると機体に帯(イラスト参照)が入り専用機が与えられる。
人によっては「彼の機体はスペシャル仕様だった」などと証言されるが
これは、特に改造を施したということではなくて、指揮官クラスがべらぼうに
コンディションの良い機体を占有していた、という意味合いではなかろうか。
 
一方、整備員は担当する機体が決まっており、
それぞれの担当機を責任を持って整備した。零戦の尾翼等に
〇〇一整曹などと整備担当長の名が記されれいるのはこのため。
 
その他項目一覧

なぜゼロ戦と呼ぶのか 零戦は無敵だったのか
零戦のパイロットになるには 零戦操縦方法
零戦の撃墜王(エース)は誰か
零戦の色(カラーリング)について 機体はいつから緑?
零戦21型と52型の違い
  

型式一覧

型式一覧図(十二試艦戦・二一型から五二型、六四型まで)
 

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十二試艦上戦闘機【十二試艦戦諸表】A6M1
  
ゼロ戦のプロトタイプである十二試艦上戦闘機。昭和14年4月に
初号機が初飛行。三菱重工の堀越博士
をリーダーとする開発チームが
九六艦戦の後継機とし
て開発に尽力した。二号機までは三菱製瑞星一三型
ンジンを搭載したため、最高速度は488km/h と海軍の要求
届かなかったが、その他性能は概ね良好であった。
 

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零戦11型 
【零戦一一型諸表】A6M2-a
  
中島飛行機供給の栄エンジン搭載により大幅な馬力向上を実現した
一一型は正式採用を待たず、漢口
基地へ送られ、航続距離の短い九六
艦戦に代わり重
慶爆撃陸攻隊の掩護に就いた。昭和15年の初陣以
支那事変における空戦では一機の損害もなく終
始無傷であった。
機体は第十二航空隊山下小四郎機。

  

零戦二一型/21型

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零戦21型 【零戦二一型諸表】A6M2-b
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/6000m/7分27秒
最高速度/533km/h 巡航速度/300km/h 航続距離/2,530km
自重/1,754kg 全備重量/2,410kg 燃料搭載量/525+330L
全幅/12.00m 全長/9.060m 全高/3.530m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/107kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
生産機数/約3,500機
 
◆零戦二一型(21型)は、零戦初の量産モデル。空母搭載を前提とした
翼端折
畳み構造を追加したほか、 着艦フックを装着。昭和16年12月、
真珠湾攻撃で実戦に参加。
昭和19年初めまでに三菱740機、中島が
2,821機を
生産し、大戦初期において海軍機動部隊の要となった。
参考画像は昭和17年、空母瑞鶴所属、岩本徹三機。
  

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二式水上戦闘機(二式水戦)

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二式水上戦闘機 【二式水戦諸表】A6M2-N
発動機/栄一二型 離昇出力/940馬力 上昇力/3000m/3分57秒
最高速度/439km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/926km
自重/1,921kg 全備重量/2,460kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.50m 全長/10.248m 全高/4.305m
主翼面積/22.438㎡ 翼面荷重/109kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年7月 生産機数/377機
 
◆二式水上戦闘機は零戦二一型にフロートを装着した水上戦闘機。
川西航空機が開発中の十五試水上戦闘機「強風」が遅れていたため
水上飛行機の技術が豊富であった中島飛行機が急きょ、傑作機
零戦を
ベースに開発と生産を行った。開発陣必死の努力により僅か11ヶ月という
短期間で実用化に至り、戦線に就いた。主脚、尾輪(タイヤ)を撤去し
フロートを取り付けたほか、防水加工や水上飛行機としての安定を得るため
垂直尾翼の形状等を変更した。
重量と抵抗の増加に伴い運動性と
最高速度は低下(96.3km/h)したが
水上戦闘機としては申し分ない性能で
大戦初期に
おける島嶼攻略、防衛(アリューシャン、ソロモン、
中部太平洋戦線等)で活躍した。
 

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K

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零式練習戦闘機一一型 【零式練戦諸表】A6M2-K
  
二一型をベースに複座化したゼロ戦の練習機。
主な変更点は翼内機銃を撤去し風防を延長。前部の訓
練生席は解放型
となった。尾輪を固定化し、前部引
き込み脚カバーの撤去、射撃用ターゲット
の吹き流
しを翼下に備えた。零式練習戦闘機一一型と称して航空廠、
日立航空機で製造された。

 

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ゼロ戦(零戦)32型/三二型

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零戦32型 【零戦三二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,134km
自重/1,807kg 全備重量/2,535kg 燃料搭載量/470+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.54㎡ 翼面荷重/118kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和17年4月 生産機数/343機
 
◆零戦三二型(32型)は
エンジンを栄二一型(二速過給器 / スーパーチャージャー付き)に換装。
離昇1130馬力に向上し運動性能と最高速度を得た。翼端を50cmカット
した
唯一の角型デザインで343機を三菱でのみ生
産した。航続距離は低下。
昭和17~18年、主にソロモン諸島の戦線で
活躍。
画像は昭和18年/台南空所属機。
  

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ゼロ戦(零戦)22型/二二型

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零戦22型 【零戦二二型諸表】A6M3
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分19秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,863kg 全備重量/2,679kg 燃料搭載量/---+---L
全幅/12.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.530㎡ 翼面荷重/119kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年1月 生産機数/560機
 
◆零戦二二型(22型)二二型は三二型の弱点を補うべく、翼端を二一型と
同様
丸型へ戻し折り畳み構造を復活させたモデルで航続距離と運動性能を
取り戻した。武装を強化した
二二型甲を含めると、昭和17年末より翌18年
8月までに560機を三菱でのみ生産。のち五二型へ移行する。
 

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ゼロ戦(零戦)52型/五二型

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零戦52型 【零戦五二型諸表】A6M5
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/564km/h 巡航速度/330km/h 航続距離/2,560km
自重/1,876kg 全備重量/2,733kg 燃料搭載量/570+320L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/128kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和18年8月 生産機数/約6,000機
 
◆零戦五二型(52型)
ゼロ戦を象徴する最も一般的なモデル。翼折畳み
構造を撤廃し翼端を50cmずつ
短縮。推力式
単排気管(マフラー)を採用し、馬力を向上した。昭和18年8月より
三菱、同年12月より中島が生産を開
始し終戦までおよそ6000機が生産された。
中部
太平洋戦線で活躍。参考画像は昭和19年3月、第261海軍航空隊所属機。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型甲/五二型甲

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零戦52型甲 【零戦五二型甲諸表】A6M5-a
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/559km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,894kg 全備重量/2,743kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約391機(中島不明)
 
◆五二型甲(52型こう)は、五二型の武装・装甲を強化したモデルの
ひとつで携行弾数を
増やしたほか、主翼装甲の厚さを0.2ミリ強化し
急降下制速度を740.8km/hに引き上げた。このほかに増槽を
木製化し形状も変更。容量は300リットルとなった。プロペラ・スピナーが
大型化され、機体重
量(自重)は18kg増加した。
 
 

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ゼロ戦(零戦)52型乙/五二型乙

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零戦52型乙 【零戦五二型乙諸表】A6M5-b
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/554km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,921kg 全備重量/2,765kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/129kg/㎡
兵装/胴体7.7mm機銃×2 翼内20mm機銃×2 爆弾60kg×2
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約400機(中島不明)
 
◆五二型乙(52型おつ)は五二型の武装、装甲強化モデル。五二型との違いは
右側胴体銃を7.7ミリから13.2ミリ
に換装したほか、両翼下に150リットル
増槽を
各一個ずつ搭載可能に改造した。後期生産機は座席後方の防弾を
強化し風防正面を防弾ガラスに変
更し、防御力を増加。昭和19年10月
正式採用され三菱で470機が生産された。


 

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ゼロ戦(零戦)52型丙/五二型丙

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零戦52型丙 【零戦五二型丙諸表】A6M5-c
発動機/栄二一型 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分
最高速度/544km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,560km
自重/1,970kg 全備重量/2,955kg 燃料搭載量/570+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148kg/㎡
兵装/翼内20mm機銃×2 13.2mm×2 爆弾60kg×2、ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産機数/三菱約470機(中島不明)
 
◆五二型丙(52型へい)は五二型甲・乙を踏襲しさらなる火力と装甲強化
を施したモデルで胴体左の7.7ミリ銃を廃止し両翼に13.2ミリ機銃を追加。
両翼下にレールを設け
ロケット弾(三式弾等)を搭載可とした。格闘性能は
犠牲となったが、燃料タンクの防弾化し主翼
と操縦席外側の装甲も強化して
防御力を高めた。
 
 

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ゼロ戦(零戦)53型丙/五三型丙

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零戦53型/53型丙 【零戦五三型丙諸表】A6M6-c
発動機/栄三一型 離昇出力/1,300馬力 上昇力/8000m/9分53秒
最高速度/540km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,145kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/---kg/㎡
兵装/翼内13mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 30kg×4 ロケット弾
正式採用/昭和19年10月 生産中止
 
◆五三型丙または五三型(53型へい)は、五二丙に次ぐ改良型で、エンジンを
水メタノール噴射式の栄三一型に換装し、自動防漏式燃料タンクを施した。
期待したほどの性能向上が見込めなかったことから量産化は中止され、
まもなく六二型、五四型丙/六四型へ開発生産が移行されたモデルである。
仕様はいずれも予定値。
  

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ゼロ戦(零戦)63型、63型/六二型、六三型

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零戦62型/63型 【零戦六二型諸表】A6M7
発動機/栄三一型甲 離昇出力/1,130馬力 上昇力/6000m/7分58秒
最高速度/542km/h 巡航速度/---km/h 航続距離/2,190km
自重/2,155kg 全備重量/3,155kg 燃料搭載量/500+300L
全幅/11.00m 全長/9.121m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/141.0kg/㎡
兵装/胴体13mm機銃×1 翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×2 500kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年5月 生産機数/800機(推定)
 
◆六二型(62型)/六三型(63型)
ゼロ戦の最終型Ⅰ。五三型の胴体下に500kg爆弾
の懸吊架を追加した
爆撃戦闘機、爆戦と略称。跳弾爆撃、急降
下爆撃に対応し機体構造を強化した。
生産数は不
明だが、昭和20年4月頃より終戦まで 三菱、中島合わせて6
00~1,000機が生産されたと推定さ
れる。栄三一型を搭載した機体を
63型と称すが、殊に当該機種のエンジンは栄三一型や二一型もあり、
52型との明確な違いは不明瞭で諸説あり。
 

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ゼロ戦(零戦)64型、54型丙/六四型、54型丙

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零戦64型/五四型丙 【零戦六四型/五四丙型諸表】A6M8
発動機/金星六二型 離昇出力/1,560馬力 上昇力/6000m/6分50秒
最高速度/572km/h 巡航速度/370km/h 航続距離/-,---km
自重/2,150kg 全備重量/3,150kg 燃料搭載量/650+300L
全幅/11.00m 全長/9.237m 全高/3.570m
主翼面積/21.300㎡ 翼面荷重/148.0kg/㎡
兵装/翼内13.2mm機銃×2 20mm機銃×2
爆弾60kg×1 250kg×1 ロケット弾 
正式採用/昭和20年7月 生産機数/2機
 
◆六三型(63型)/五四型丙(54型へい)
ゼロ戦の最終型Ⅱ。三菱製、金星六二型エンジンを搭載し、離昇出力を
1,560馬力に向上させた。エンジンは彗星三三型と同様の見解あり、大型化に
伴い、プロペラ・スピナー、上部のエアインテーク等の形状が異なる。
火力、装甲を強化したほか爆撃戦闘機として、跳弾爆撃、急降下爆撃に対応し、
機体剛性を強化した。五四丙の量産型を六四型と称するが実戦に至らず終戦と
なった。画像は推定。
  

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なぜゼロ戦と呼ぶのか
我が日本には暦が3つある。平成、西暦、そして皇紀である。
皇紀は神武天皇が即位した(日本が始まったとされる年)から
数えた年号で、本年2015年(平成27年)は皇紀2675年にあたる。
 
零戦が正式採用された昭和15年は、皇紀2600年ちょうどにあたり
その末尾をとって零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)
通称零戦と呼ばれるようになった。海軍は皇紀の末尾を冠するのが
通例でほかに九六式艦上攻撃機、一式陸上攻撃機などがある。
 
ゼロは英語で敵性語であるから「れいせん」と呼ばなければならなかった
というのは俗説で、当時から海軍ではゼロ戦と呼んでいたし
(予科練の試験の答案用紙でもわかるように英語は必須であった)
一般にもゼロ戦と呼ばれていた。
   

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搭乗員(パイロット)になるには
ゼロ戦搭乗員は例外なく文武両道であった。
搭乗員を志すための過程はいくつかあるが、いずれも厳しく
狭き門であった。いうまでもなく飛行機乗りは全て志願兵である。
 
過程1、指揮官
海軍兵学校で幹部としての教育課程を修了後、
航空を専修する。
東大の10倍難しいと言われる海軍兵学校を
受験し、二年間の教育期間を
経て少尉候補生となったのち
航空機を専修する。ただし、幹部と雖も敵性が
認められない場合は搭乗員にはなれない。
 
過程2、下士官(昭和15年まで)
海軍(海兵団)に志願入隊し、艦隊勤務などを経て下士官となり敵性ありと
認められた場合、操縦練習生(操練)の受験資格を得る。
 
過程3、予科練習生(昭和12年から)
満14歳以上20歳未満の若者に限っては予科練習生の制度が設けられた。
筆記試験問題(入試に使われた問題が予科練記念館に展示されている)
視力、体力測定をパスすると
晴れて入隊。3年間(のちに短縮)の教育・訓練
課程を経て搭乗員となる。
 
いずれの過程でも国語、数学、物理科学、英語などの成績が優秀で
体力も抜群でなければ試験突破は叶わなかった。このほか実戦を想定し
モールス信号の符号の暗記、航法、気象についても学ぶ。
試験に合格した後でも、訓練中不適格と判断された者は元隊に戻された。
 
また、初期の頃(操練時代)においては、最終試験で「手相」「骨相」が見られ
占いで「貴様は短命だ」と判断されると元隊に戻された。
 
操縦員・偵察員にわかれる
訓練課程では教官が敵性を見て操縦員・偵察員のいずれかに分けられる。
操縦員はパイロットであるが、偵察員は後席に座り、通信、見張り、航法
を担当し、操縦員に逐次伝達する。GPSなど無い時代。偵察員の仕事は
非常に重要な役割であった。パイロットのほうが偉いかというと
それは大きな誤解である。真珠湾攻撃に参加したある偵察員は
「操縦員は操縦に専念してればええ。偵察員はいろいろ仕事やるし
操縦員を叩いて飛ばすほうが大変や」と回想する。(個人の見解です)
 
それぞれの機種を専攻する
さらに戦闘機・艦爆・艦攻の専修別となる。
艦爆とは艦上爆撃機の略で、急降下爆撃を敢行する二人乗りの
飛行機である。度胸が求められる。
 
艦攻とは艦上攻撃機の略で3人乗りの雷撃機である。水面すれすれに飛行し、
敵艦の横腹に魚雷を叩きつけるのだが、
もっとも損耗(戦死)率が高い。
肝が据わったどっしりとした
性格かつ協調性が求められた。
 
零戦(戦闘機)は一人乗り。ぜんぶ一人でやる
戦闘機乗りは花形である。希望は一応出せるものの
希望叶わず艦爆や艦攻を命じられた者も多い。
戦闘機は一人乗りであるので、すべての任務を一人でこなさねばならない。
膝の上にバインダーに挟んだ紙を置き
コンパスと太陽の位置などを
見ながら、航法を計算しながら飛ぶから
大変だ。この間も敵の襲撃に備え、
見張りを厳とする必要があった。
 
自動車で高速道路を一時間走るのは何てことはないが、
一人乗りの戦闘機で空を一時間飛ぶことがいかに至難であったか、
その疲労も極めて著しい。
 
こうして艱難辛苦乗り越えて練習航空隊を卒業した者は
実戦航空隊へ配備され
一人前となる。
 

05_2

ゼロ戦は強かったのか
高校生の頃、世界史の授業で担当教師が
「米軍は不時着したゼロ戦を徹底的に調べ上げその優れた設計を真似して
F6Fヘルキャットという新鋭戦闘機を作った。それ以降、ゼロ戦の優位は失われた」
と教えてくれた。そのころは「ふんふん、そうなのか」と教師の教えを真剣に
聞いていたが後で調べてみると、この説はどうもインチキくさいことがわかった。
 
結論から
ゼロ戦は無敵だった。ただし、一対一の戦いならば。
 
支那戦線においては無敵で、ほとんど全ての敵機を撃墜した。
また、真珠湾攻撃以来、最初の一年ほどは
米英に対し圧倒的優勢で勝利を重ねた。
 
米英にいずれは負ける運命
一対一。これは我が国古来からのサムライの戦い方である。
 
敵の数が圧倒的に多いなら、いずれは損耗を続け、負ける。
開戦当初、日本の搭乗員は防御や退却を恥とした。
サムライとして潔く戦って散ろうというものである。
「生きて虜囚を辱めを受けず」という言葉もある。
 
一方で米英のパイトットは勝ち目がないと判断すると
命を守ることを第一に撤退し、次の戦いに備えた。
 
サムライであり続けた
「防弾板がついとったが、わしはあんなもの恥ずかしいと思って取っ払ってしまった」
「落下傘はどうせ使わんから、座席に敷いておった」
などと回想する元搭乗員も多い。
 
ここで「命を粗末にするから日本は戦争に負けたんだ」などと言うのは
おかしい。それは我々が戦後に後出しだから言えることで決して
現代の物差しで語ってはならない。当時とは価値観が全然違うのだ。
 
米英軍にしてみれば、日本は決して降参しない、勝ち目がないのに
最後の一人まで戦うという概念が理解できなかった。
 
ゼロ戦の弱点を突け
確かに米軍はアリューシャンに不時着したゼロ戦を鹵獲し徹底的に調べた。
(鹵獲=ろかく。敵の兵器などを戦利品として原則無傷で得る事)
ここまでは世界史の先生に教わった通り、事実であった。
鹵獲された機体は、古賀忠義一等飛行兵搭乗の零戦二一型で
昭和17年6月、ミッドウェー作戦の陽動として行われた
アリューシャン列島、ダッチハーバー空襲へ参加した古賀一等飛行兵は
対空砲火で被弾し、アクタン島への不時着を試みた。
 
古賀一等飛行兵は着陸時の衝撃で頭部を強打し戦死したが
機体は無傷に近い状態であった。一か月後、機体は米軍によって回収され、
徹底的な分析調査が行われた。そして僅か三ヶ月後の9月には
飛行可能な状態に修復し、テスト飛行まで行われた。
 
これによって、米軍はゼロ戦の弱点を徹底的に暴いた。
このとき、後のライバルとなるグラマンF6Fヘルキャットは既に
完成間際にありゼロ戦の設計思想が反映されることは無かったし
もとより、米軍の戦闘機設計思想は戦後まで一貫するもので
いずれもゼロ戦とは相反する。
 
ゼロ戦の弱点は剛性不足であった。スピードも出ない。
低速度域での巴戦では群を抜いた性能を誇ったが
高速度での戦闘には不向きで、遂に脆弱性を露呈した。
 
このため、米軍は急降下等を駆使し、ゼロ戦から逃れる術を
発見したほか、米軍機二機以上が一組となり、ゼロ戦の機動力の隙を突く
サッチ戦法により、無敵といわれた零戦を確実に仕留めていった。
日本機のパイロットは古来からの一騎打ちが未だ戦術の
主流であるのに対し、米軍は必ず二機以上の編隊で襲い掛かり
スピードを生かした一撃離脱戦法で、ゼロ戦に勝利した。
この戦法は大戦終結まで変わることなく、日本機の戦術はすでに
時代遅れとなる。
  
日本機の搭乗員は熟練者が多く、その腕をもって米軍と対峙し
開戦以来、圧倒的な勝利をものにしてきたが、このサムライの
伝統とも言える戦い方は、合理的といえるものではなく
到底米軍との兵力差は埋められるものではない。
戦争末期ともなれば熟練搭乗員は皆戦死し、補充された
飛行時間の僅かな飛行兵の戦いは満足といえるものでなかった。
  

日米で異なった戦闘機の設計思想 
先述の通り、日米では航空機の基本的設計思想が異なった。
米軍は飛行機は重いが頑丈で、小回りが利かない代わりに
物凄いスピードが出る。いくら、日本機が真っ向勝負しろと挑んでも
雲間から突如、襲い掛かってきて、一撃を加えたのち
消えてしまう。日本機は追い付けない。そんなに熟練した腕があろうとこれでは
勝負にならない。多くのゼロ戦パイロットがその旨、証言を戦後に残している。
 
本土防空戦で敢闘したあるゼロ戦搭乗員は
「映画で見るような空戦を想像しているだろうけど、ありえない。
敵さんは、上空から物凄い速さでいきなり襲ってきてこちらが
反撃する前に追い付けないスピードで逃げていくんだ。一瞬だよ。
戦いも何もあったもんじゃない」と回想する。

 
大戦後期、日本もようやくこの戦法に対応するよう
重戦闘機の開発を重視したが、時すでにおそく、終戦を迎えた。
多くのサムライが刃を抜いて奮戦したが、銃弾には勝てずほとんどが戦死した。
 
零戦のライバルたち

零戦とスピットファイア

零戦とP-51

Photo 
▲英空軍スピットファイア(左)と米陸軍P-51(右)
 

零戦とF4Uコルセア

零戦とP-38ライトニング

Photo_2 
▲米海軍F4Uコルセア戦闘爆撃機(左)と米陸軍P-38ライトニング戦闘機(右)
   

SBDドーントレス艦上爆撃機グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機

SBDドーントレス艦上爆撃機

グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機 
▲米海軍の名機、グラマンF6Fヘルキャット艦上戦闘機と
SBDドーントレス艦上爆撃機。F6Fはもっとも多くのゼロ戦を撃墜し、
ドーントレスは最も多くの日本艦船を撃沈したといわれる。 
 

06_2

高度1万メートルの戦い
大戦末期、ゼロ戦は高度1万メートルで爆撃に来る
B-29相手にも果敢に戦った。B-29は当時ボーイング社最新の技術で
気密されているから、搭乗員はTシャツ一枚でコーヒー飲みながら
ゆうゆうやってくる。 
 
一方で我が方の迎撃機は高高度においては酸素も薄く、極寒で
判断力は低下する。高い山に登ったことがある人なら幾ばくかでも
その気持ちがわかると思う。高度1万メートルまで上るのは
ゼロ戦では30分近くかかる。
 
時間がかかっても一万メートルまで上昇し待機できる、と思うのは
ぜんぶ地上の考えである。酸素が薄いので、常に機種を上に向けて
エンジンを全開にしていなければ高度を保持できない。
水泳で顔を水面から出して、ひたすら沈まないようにバタバタと
もがいている状態に近い。燃料はあっという間に底を尽きる。
B-29に攻撃のチャンスを得るだけでも至難であった。

  

07_2

ゼロ戦のカラーリングについて なぜ緑なのか?
ゼロ戦はなぜ緑色なのだろうか。赤や青じゃダメなのか。
ゼロ戦のカラーリングは上の絵でも描いたが、おおむね
緑色、それも暗緑色である。大戦初期では灰色(もしくは飴色)であった。
空に溶け込むようにと意図されているといった見方が強いが
今となっては彩色配合も謎である。

零戦二一型(ラバウル離陸)

▲南方の陸上基地から発進する零戦二一型。
 
緑色に塗装するようになったのは昭和17~18年くらいからで
型式でいえば、32型で両方の色が見られる。残っていた21型も
多くが緑色に再塗装された。(有名な関大尉の敷島隊は21型である)
これは南方など、ジャングルの多い地域で戦うようになってからで、上空から
見たとき、カモフラージュされるし、基地で木々の間に隠すにも都合がよい。
というのはおおむねの見解のようである。

零戦三二型(ジャングル)

▲ジャングルの中に佇む零戦三二型。
 

日の丸について
ゼロ戦に描かれる日の丸に決まりはあるのだろうか。
あれこれ研究してみたが、遂にこれといった規則性を見つけることは
できなかったが、数で区分すると次のようになる。
 
白フチのありなし、黒いフチ
ゼロ戦は三菱重工が開発、中島飛行機(現在の富士重工)が
ライセンス生産(設計図を相手に送って、これの通り作ればできますよ
という技術を提供すること、現在でも自動車会社がOEM生産と称して行う)
ということで、ふたつの会社で製造を行った。
 
工場出荷状態において三菱製の日の丸はやや白縁が太く
中島は細い。若干の違いなので個体差も大きくわかりにくいが。
さらに、刷毛でフリーハンドでおおまかに描いていたので
新円でなかったり、ムラがあったりする。
 
マリアナやフィリピン、ソロモンなどの機体は最前線の激戦地であるから
目立たないように、この白い縁を黒く塗り潰していたようだ。
工場出荷状態で縁が黒い機体は無い。
 
本土防衛機など、内地の機体は比較的、白フチをそのまま使っていたようだ。
(鹿屋や大村の機体は黒フチに塗り潰されていたが) 
 
最初からフチなし
以上のような理由から、最初からフチを描かず日の丸だけで
出荷されたものが占めるようになった。中島は顕著であったが
三菱製のゼロ戦は縁があるものが多いように見受けられる。
 

零戦の日の丸

▲ラバウル近隣で回収された零戦二二型の外板。だいぶ退色してはいるが
塗装はオリジナルのようだ。日の丸と縁が塗りつぶされた様子がわかる。
2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
 
関連記事
「桜花の機体には日の丸が描かれなかった」

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 

機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
これも三菱と中島で違いが分かれる。一見して判別が容易いのは
暗緑色が胴体の斜めに入っているのが
中島で、真っすぐが三菱。
 
塗装の色も、受注元である
海軍さんから
「ちゃんと、この色で作んなさいよ」と指示されていたのだが
三菱と中島でそれぞれ違う塗料を使っていたので、
見た目が異なる。機体は三菱はやや青色が強く濃い。
中島はやや薄く黄色が混じっているような印象。下面は三菱が
ほとんど灰色に対し、中島は少し黄色が強い。コクピットカラーは内装色。
 
強いて言えば、カウリング(エンジン部分)の色も
同じ黒のようで違う。 
翼の一部とプロペラが黄色なのは真正面から見たとき、日の丸が見えないので
識別するため。ゼロ戦だけでなく、これは日本の陸海軍機すべて共通。
 
塗装は、現代でも解明されない点が多く
現存する機体は現代風に塗り直されているのでなおさらである。
 
Mr.カラーと照らし合わせながら、CMYKカラーチャートを作った。
当サイト(篠原)独自の見解であるので、実際に使う際は
微調整などで工夫してほしい。
  
中島飛行機のロゴを復元製作した。無料素材として配布しているので
以下の画像をクリックしてダウンロード可。 
 

中島飛行機ロゴ

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零戦五二型丙種、昭和20年、302空(厚木)にて

▲零戦五二型丙。昭和20年、厚木の第302海軍航空隊所属機。
 
五二型丙を写した中ではもっとも鮮明な写真。両翼の20ミリ機銃に加え、
13.2ミリ機銃(外側)が追加され重武装となったモデル。翼下のレールに
三式弾(ロケット弾)を吊り下げ可能。フラップが出ている様子がわかる。
この機種は主に本土防空戦で敢闘した。
 

カウルフラップ

推力式単排気管

Photo_50

▲五二型のカウルフラップ「開」状態。五二型の特徴である
推力式単排気管(マフラー)は効率的な排気によって馬力が向上し
最高速度が20km/h程度増大した。
カウルフラップは操縦席にあるハンドルをグルグル回すことによって
開閉する。エンジンが冷えているときは「閉」、高音となったさいは
「開」にしてエンジン温度を調節する。
写真は第261海軍航空隊所属機で、プレーンズオブフェイムが
戦後レストアした機体。2013年、所沢航空発祥記念館にて撮影。
  

栄二一型エンジン(鹿屋の五二型零戦)

▲鹿屋資料館に展示中の零戦五二型と栄二一型エンジン。
2速過給器(スーパーチャージャー)付き離昇出力1,130馬力を発生し
最高速度564km/hをたたき出した。
 

零戦のコクピット内部

永遠のゼロのロケセット

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宇佐平和資料館で展示中の映画『永遠のゼロ』撮影に使われた
コクピットの模型。 実際に座ってコクピットの狭さを体験できる。 

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エース(撃墜王)という概念
日本海軍はエースという概念を設けず、敵を何機やっつけたという

個人成果は記録しなかった。
強いて言うならば、零戦搭乗員全員をエースと呼ぶ。
国の為に戦い、あるいは命を捧げたのだから当然と言えるだろう。
よって、零戦搭乗員の生き残りに「何機落としましたか」と尋ねるのは
失礼にあたるし、最大のタブーとなっている。
戦争で命の駆け引きをしてきたのだから、戦後現代を生きる
我々に決して理解できないことが多くあるに違いない。
 
それでも撃墜数(スコア)に執念を燃やす搭乗員も
存在した。岩本徹三や赤松貞明などである。
殊に赤松中尉は戦後においても自身の記録を世界記録と主張している。
 
零戦搭乗員の原田要氏によると、岩本は自らたくさんの撃墜マークを
機体に描いていて、個人成果主義を否定する周りのパイロットたちは当初、
あまりよく思っていなかったが、 確実に多くの敵を撃ち落とし生還し続けた
ことは間違いないので、次第に認めるように なっていたという。
赤松も同様だった。
 

岩本徹三

赤松貞明中尉

Photo_2

▲左、岩本徹三中尉/右、赤松貞明中尉
 
関連記事
岩本徹三の戦後
赤松中尉の戦後
 
そして、それぞれの撃墜数をまとめて本にしたものまで出版され
売っている。確実に言えることは岩本徹三や坂井三郎より
凄いパイロットは数多くいただろう。これは間違いない。
けれどもそういったエースは皆、戦死してしまったので、
歴史に名が残らず、語り継がれることもなく消えて行ってしまった。
 
彼らはどんなことを考えていたのか、
最後に、ぜひこの動画と記事もあわせてご覧頂きたい。
 
黎明の蛍(ある特攻隊員と少年の実話)

少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)
YouTube: 少尉と隼(ある特攻隊員と少年の実話)

Photo_18

作成中

支那戦線から真珠湾、ソロモンの戦い、ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、
特攻、終戦まで
 

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

零戦のロケット弾(三号爆弾)

▲B-24爆撃機にロケット弾(三号爆弾)を発射する零戦五二型丙
 
 
富安俊助

富安俊助の突入後

▲エンタープライズ直上より背面飛行でエレベーターに突入する富安機 
 
関連記事
富安俊助中尉とエンタープライズ
 

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航空自衛隊浜松広報館の尾崎伸也大尉機

◆航空自衛隊浜松広報館(静岡県浜松市)
零戦五二型(第三四三海軍航空隊/尾崎伸也大尉機)
 
昭和38年、グアム(大宮島)で発見され
日本へ返還輸送、復元された機体。
海軍第343航空隊(初代,通称隼)の飛行隊長尾崎伸也大尉の搭乗機と
推測される。昭和19年
6月19日、大宮島(グアム島の旧称)上空において
尾崎大尉と他一機が哨戒中、米戦闘機2機と交戦となり1機を撃墜、もう一機に
追尾された尾崎大尉機は
海面直前まで急降下し、敵追撃機を海面に激突させ
たが
自らも被弾し、飛行場に着陸したが、病院に向かう途中に息を引き取った。
 
展示状態
ハンガーの天井に吊って展示されているので
近寄って見ることはできないが、飛行状態で展示されている唯一の
機体という点では最も美しく貴重。
 
浜松広報館レポート
 

零戦と秋水

◆三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室は
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。
 

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も

月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
 
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室レポート
 

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館

◆海上自衛隊鹿屋航空基地資料館(鹿児島県鹿屋市)
零戦五二型

知覧の特攻平和会館は有名だが、鹿屋市には
同様に海軍部隊の特攻隊員の遺書を展示した施設がある。
展示内容はいずれも貴重で決して知覧に引けを取らない。
鹿屋は海軍の特攻基地としてもっとも多くの海軍特攻機が出撃した。
二階フロアには鹿屋から出撃した海軍搭乗員の遺書(案内の人によると
集められる限り全てと言っていた)敷島隊から梓特別攻撃隊、
神雷部隊「桜花」、宇垣中将の特攻まで資料、展示も充実。
世界唯一の二式大艇もここにあり。(屋外)
 
零戦は吹上浜から引き揚げられた機体を復元したもので
数あるゼロ戦の中でもオリジナルに近い。エンジンは近くで
見られるし、コックピットの様子も近くで見ることができる。
ボランティアガイドがラダーや操縦桿を動かして説明してくれる
方向舵や翼が動く様子は零戦や航空機ファン必見。 
 
余談であるがここの食堂で食べられる「鹿屋海軍カレー」は
美味。
 
鹿屋航空基地資料館へ行ってみる

大刀洗平和祈念館の零戦三二型

◆大刀洗平和祈念館(福岡県筑前町)
零戦三二型(第二五二海軍航空隊柳村義種少将機)
 
昭和53年、マーシャル諸島タロア島より帰還した機体で
2013年、第252海軍航空隊の柳村義種少将の機体と判明した。
世界で唯一の三二型(翼が角ばっている)を展示している。
 
ここは震電の展示が充実しているほか
B-29実物大オブジェが天井から吊り下げられている。
 
大刀洗平和祈念館へ行ってみる

大和ミュージアムの零戦六二型

◆大和ミュージアム(広島県呉市)
零戦六二型
 
大和ミュージアムに海軍のシンボルとして展示されている。
大戦末期に製造された重武装の六二型。爆戦ともいう。この機体の 
搭乗員は広島へ原爆が投下された日、琵琶湖上空を飛んでいたと
証言している。
 
大和ミュージアムへ
戦艦大和ドックはいま 歴史の見える丘へ
 

2015082710410000 
河口湖自動車博物館飛行館
国内唯一の零戦21型と一式陸攻を所蔵する。
夏季のみ開館。
 
河口湖自動車博物館飛行館へ

 
パラオの零戦 

◆南方戦跡として残る零戦
(画像:パラオ)
 
当サイトでは南方各地に戦跡として残る零戦を調査し
掲載しています。右の記事一覧からぜひご覧ください。
 
-------------- 
 
靖国神社遊就館(東京)
上野国立科学博物館(東京)
 
作成中。

 
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零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

最後までご覧くださりありがとうございました。
当記事はこれから、まだまだ完成度を高めて参ります。
  

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零戦Tシャツ

 

零戦Tシャツ(ネイビー)

零戦Tシャツ(グリーン)

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ネイビー ブラック ブルー アイビーグリーン(機体色)


Imgp1010

模型製作代行は「神雷工房」へ

2014年12月19日 (金)

指宿正信大尉~空に生きた武人の生涯

「まさかあのとき、親父が死んだとは思わなかったんだ。スイッチひとつで
簡単に脱出できると言っていたから・・・事故の報せは聞いていたが
まあ、親父のことだから大丈夫だろうと思って、家に帰ったら記者が大勢
押しかけていて、それで事の重大さを悟ったんだ」 

  
薩摩の武人・戦闘機パイロット指宿正信

最後まで空に生きた人であった。
昭和三十二年一月九日(1957年)航空自衛隊浜松基地所属のF-86戦闘機が
訓練飛行中、天竜川河口沖合に墜落。操縦士の指宿正信(いぶすきまさのぶ)
二佐が 殉職した。
 
指宿二佐は日本で初めてのジェット戦闘機操縦士の一人で、また先の大戦では
真珠湾攻撃から終戦までゼロ戦搭乗員として技量抜群で生き抜いた人物だった。
 
残念ながら指宿氏に関する記録はほとんど残っていない。 僅かな資料をもとに
調査を進めると指宿氏は海兵六十五期、鹿児島県南さつま市 (旧加世田市)出身
であることがわかった。戦後も第一線で戦闘機乗りを続け国に身を奉げて散った
武人の生き様を、僅かでも残すべきと考えここに記す。
 
指宿正信は南薩摩・加世田の出身であり海軍兵学校六十五期、 海軍兵学校を
主席で卒業、恩賜の短剣組であった。
弟、指宿成信少尉は海軍叩き上げの戦闘機パイロットで
兄弟揃って紫電改に搭乗し、のちに本土防空戦を戦うことになる。
(昭和20年、兄、指宿正信少佐は横須賀航空隊で飛行隊長として紫電改に搭乗。
弟、指宿成信少尉は第343海軍航空隊で紫電改に搭乗)
 
 

真珠湾攻撃
昭和16年12月、指宿大尉は真珠湾攻撃で空母赤城所属のゼロ戦隊分隊長を
務め、僚機の岩城芳雄一飛曹、羽生十一郎一飛曹とともに第一次制空攻撃隊に
参加。 ヒッカム飛行場を制圧し、敵戦闘機の迎撃を抑えた。
 
スピットファイヤと対峙
インド洋ではセイロン島・コロンボ空戦に参加。 英軍スピットファイアと交戦し4機
を撃墜した。このうち一機のスピットは不時着に成功し、敵パイロットはコクピット
より這い出したが、これを認めた指宿は 風防を開け手を振って上空を通過。
とどめをささなかったというエピソードが残っている。
 
ミッドウェーの敢闘
昭和17年5月のミッドウェー海戦では赤城の上空護衛を任務とし、合計8回に
渡り発艦を繰り返し 被弾し乍も敵機と果敢に交戦。TBD-1デヴァステイター1機、
SBDドーントレス1機、B-26マローダー2機(推定)を共同撃墜し、赤城防衛に尽く
したが、赤城は沈没、 指宿は海上に不時着、数時間の漂流の末、救助されたが
真珠湾以来、半年間に渡って僚機を務めた戦友、羽生一飛曹は行方不明となり
ついに帰らなかった。
 
翔鶴と南太平洋海戦
昭和18年8月、空母翔鶴乗り組みとなった指宿は、新郷英城大尉指揮のもと
南太平洋海戦を戦う。この間 幾度となく空の要塞、B-17フライングフォートレスを
迎え撃ったが そのほとんどは雲間に逃した。岩城一飛曹と協力し遂にB-17を
撃破したときは 岩城自らも被弾、火災となり鎮火できずにいた。帰還不可能と
悟った岩城は 指宿へ向かってニッコリ笑って敬礼すると自爆、南溟に散った。
 
指宿自身もその後の戦闘で被弾したが不時着、救助され生き延びていた。
 
第二六一海軍航空隊(虎)とマリアナ沖海戦
昭和18年末~昭和19年6月 玉井浅一中佐に協力して若き航空要員(甲種10期
の17~18歳が多かった)で、第二六三海軍航空隊(豹部隊)結成ならびに
指宿自身は二六一海軍航空隊(虎部隊)の錬成にあたり絶対国防権防衛を担う。
 
これらの航空隊は大宮島・サイパン島・天寧(テニアン)島・パラオ ペリリュー島を
転々とし空戦を重ねたが、消耗激しく 最後はマリアナ沖海戦で部下のほとんどを
失った。 指宿とその部下はサイパン島で運命を左右されることになる。
 
サイパン上陸戦を控え、生き残りの貴重な航空隊員は 潜水艦と輸送機にて順次
サイパンを脱出しフィリピンへ向かう。 これに特に優先順位等なかったと思われる。
脱出は僅かな差であった。 指宿は無事脱出しフィリピン、マバラカットへ。しかし
無念は261空の司令、上田猛虎中佐(海兵52期)や海軍の至宝ともいわれた
東山市郎中尉さえも いずれも戦闘機の操縦においては天才的技量を持ちながら、
サイパン島に取り残され地上戦に巻き込まれ手榴弾を持って戦い、玉砕した。
 
第二〇一海軍航空隊・特攻隊を志願・却下される
昭和19年10月、指宿は初の神風特別攻撃隊「敷島隊」の編成に関与したとされる。
敷島隊の編成にあたり、指宿が特攻隊を 「辞退した」と書かれている戦記が多いが
これは事実と反する。
 
かれの脳裏に過るのは先に散った多くの若い部下の顔であった。決して忘れは
しない ニッコリ笑って敬礼し、煙を吐きながら編隊から離れていった、そして二度と
帰らなかった戦友のことを。 俺も必ず後に行くぞと誓った。
 
指宿は副長の玉井浅一中佐に自ら敷島隊の一番機として突っ込むと熱望したが
却下されてしまう。 代わりに白羽の矢が立ったのが関大尉であった。
 
「関が行くなら俺も行く!俺を一番にやってくれ!」
なおも食い下がる指宿の言葉に対し、玉井は告げた。
「貴様は真珠湾以来のつわもの。これからは指導する立場にあるので
作戦に参加させる事は出来ない。死なれては困る」
 
敷島隊の一番機を真っ先に志願したのは他でもない 指宿自身であった。
 
関もまた可愛い部下であった。 指宿は戦後、幾度となく関の墓参りに
愛媛を訪れている。
 
紫電改を駆り本土防空戦を展開
内地へ戻り横須賀海軍航空隊で飛行隊長となった指宿は、紫電改を駆り
B-29やP-51を邀撃。この頃既に階級は少佐となっていたが指宿は常に現役で
あった。そして生きて終戦を迎えた。
 
戦後、故郷鹿児島へ戻った指宿は子供たちを集め 自らの体験を語っている。
「こうして死にぞこない、おめおめと生きている」
と 寂しそうに言ったという。
 
航空自衛隊戦後初のジェット戦闘機F-86Fパイロット
最後まで空に生きた人であった。 指宿は航空自衛隊の黎明期を支える存在と
なった。 渡米。戦後初のジェット戦闘機F-86Fのパイロットとなった彼は全国各地で
教官として次世代を担う新人搭乗員の指導に明け暮れた。
 
事故~市街地を避けて海へ
昭和32年1月9日、突然の報せだった。指宿は浜松航空団F86Fで飛行指導中、
事故に遭う。不運な事故であった。 先頭を飛行する教官、指宿の機体が太陽と
重なり、後ろを飛行中だった訓練生の目を眩ませたのだ。
 
訓練機が指宿機に追突する形となり、二機は空中衝突、訓練生はその場で落下傘
降下し無事。機体は天竜川河口の河川敷に墜落したため 人的被害は無かった。
一方、指宿の眼下には浜松の市街地が広がっていた。 指宿は民家への被害を
避けるため最後まで操縦桿を離さず、機体をコントロールし海上への離脱を図った。
  
「遠州灘まで引っ張る!」
それが指宿最後の言葉となった。 指宿は海上でベイルアウト(緊急脱出)の
レバーを引いたが 高度が足りず、落下傘が開かないまま海面へ激突。殉職した。
 
最後の瞬間まで身を挺し国に尽くした指宿正信、42年の生涯であった。 
 
薩摩の武人が残した礎
「それにしても親父の命の代償がたった300万円とはね・・・。
戦後は特攻を関大尉に命じて自分は逃げたんだと、長い間、誤解されて
卑怯者扱いをされて、辛かったろうな。これじゃあんまりだ」
 
指宿氏のご遺族は語る。
 
ブルーインパルスの一番機が白い煙を引きながら大空へと吸い込まれて行く。
間違いなく、指宿が残した武人の志は今日日本の礎となって
現在も受け継がれている。
 
 
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※記事は加筆訂正をする場合があります。
出展:261海軍戦闘行動調書
取材・調査:篠原直人
 
 

零戦雷電震電

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