2017年11月 9日 (木)

青空は入っていません

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紙飛行機おじさんことブンドド先生と新作の打ち合わせです。
 
ブンドド先生「パッケージを一新しましょうか。背景の空母をもう少し
目立たせると格好良いですね」
 
私「そうですね。でも『空母は入っていません』と注意書きしないといけませんね」
 
ブンドド先生「青空も入ってないですよ」
 
私「えー、そんなこと言いだしたら注意書きだらけになってしまうじゃないですか。
『青空が入ってなかったぞ!』なんて言う人、いないでしょう」
 
スタッフ「いますよ!実際にそういう人!私、前の会社でそういうクレーム受けました」
 
私「ひえええええ」
 
ブンドド先生「ですから『零戦が一機入っています』とだけ書いてあるんです」
 
私「はー、胃が痛くなります」

2017年11月 3日 (金)

赤松機彩色完了

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赤松機の彩色完了しました。
少し昔のアニメイラスト風になりました。

航空母艦搭載機ステッカー




  

試験販売を開始しました。
一枚一枚、ピンセットとデザインナイフを駆使した巧が
作製しております。

2017年10月30日 (月)

ステンシル切り文字ステッカー

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ステンシル切り文字ステッカーの見本が完成しました。
画面には写ってませんが伊400と信濃もあります。
 
リクエストありましたらぜひ。
  
近日発売!

2017年10月23日 (月)

彗星完成

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彗星が完成しました。
続きまして、陸軍機も描いていきます。

2017年10月13日 (金)

主役は中攻

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中攻を、気合で5機描きました。型式によって
機体の細部デザインやエンジンナセルの形状が違うので、
思いのほか時間がかかりました。
 
私、中攻にとても思い入れがあるんです。
涙が出ます。心の中では零戦より中攻が主役なのです。
今も昔も一貫しています。 
 
そうそう、
永遠のゼロで中攻を紹介するシーンがあります。
 
「お前は、中攻を知っているか!」
 
あの気迫のセリフに
最も損耗率の高い中攻に乗って、散っていった
戦友の思いを感じてなりません。

2017年10月11日 (水)

第一御楯隊の黒い零戦

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第一御楯隊の零戦を描き直しました。
 
真っ黒の零戦。
文献によれば、日の丸と識別を残して真っ黒に塗ったと
記されているので、塗り方は想像ですが、
 
実在した機体です。
 
第一御楯隊は
夜の闇に紛れてマリアナを強襲。
B-29を焼き払った後、洋上へ不時着し
潜水艦で脱出するという、生還を前提とした作戦でしたが
結果としては、全員が戦死されました。(作戦機中、一機のみが
強襲後、不時着に成功しましたが潜水艦に救助される前に戦死されたとのことです。
 
この部隊の錬成に岩本徹三があたったのは有名な話です。
 
模型で作ったら格好良さそうですが、
画像検索しても、誰も作ってないみたいです。
 
硫黄島に慰霊碑があります。
詳しくはこちら。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2013/07/post-9999.html

2017年10月 8日 (日)

零戦全型式ポスター

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以前より要望を頂いておりました
零戦全型式クリアファイルとB3ポスターが販売開始になりました。
 
発売までとてつもない時間がかかったのは、
細かい修正点を調べつくして修正する作業が
非常に大変だった為です。
 
買って頂けると、取材費用の足しになります。
どうぞよろしくお願い致します。

クリアファイル(3枚入り)販売ページ
  
ポスター(B3版)販売ページ

2017年10月 4日 (水)

パラオ・ゼロファイタープロジェクト

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久しぶりに訪れたペリリュー島では、島中に、水色の自転車が
行きわたっていました。
それに跨ってやってきた島民の小さな女の子が
ニコニコしながら、こう言うんです。
 
『チャイナ・バイシクル!チャイナ・バイシクル!』
 
中国から貰ったんだそうです。
もとより、中国とパラオは国交がありません。
パラオは台湾(中華民国)を国家と認めているため
中国とは絶縁状態です。しかしながら、経済の力は大きく
中国は金の力でパラオに進出しつつあります。
そしてパラオの広大な領海に侵入し密漁を繰り返しております。
沿岸警備隊のないパラオ政府はこれに対抗できる術はなく
死者が出たことは以前にも述べた通りです。
 
私は、日本として出来ることはないかと考えました。
そうだ、自分のところのTシャツを配ろう。

ペリリュー、アンガウルの子供たちは、想像以上に、貧しい!
服が一枚あれば、しばらくしのぐことができます。
 
最初は日本とパラオの国旗をプリントしたTシャツにしようかと
考案していましたが、定番すぎる。もうひとひねり欲しい。
ただの零戦Tシャツというのも押し付けがましい。
 
そこでこのようなデザインを考案しました。
 
我が国は、支配をしない。我が国と太平洋アジア各国の
歩むべき道は、それぞれの独立と共存共栄。
そこが中国との大きな違いであります。  
二つの国家のシンボルの融合。
極めて扱いが難しいのでありましたが、昭和19年、
多くのパラオ人の協力があって、米軍進攻を阻止し、
本土の防波堤となることができたのだから、これはありだと
私は考えています。パラオ玉砕がもっと早ければ
本土進攻を許し、泥沼の日本本土決戦、
そして北海道と東北地方はソ連軍に分割統治されていたかもしれません。
 
そんなことを考えながら、一晩でこのデザインを描きあげました。
  
1,700円以上の出資でお名前(企業様でしたらロゴマーク等)を
Tシャツに入れさせて頂いております!
どうぞよろしくお願い致します!

2017年9月19日 (火)

篠原弘道少尉のお墓

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私は間違っておりました。ノモンハンのエース
篠原弘道少尉のお墓が宇都宮市内に存在することがわかりました。
それを知って早速、篠原少尉のお墓参りに行ってきました。
 
以前、私は篠原少尉のお墓は無いと書きましたが
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2015/03/post-e10c.html
遺族ではない、ある方がお墓を建ててくれていたのです。
  
こうしてお目にかかれるとは
感激感涙であります。
 
当時、国民的英雄だった篠原の戦死の報せが日本中にメディアで伝わり、
普段、停車しない雀宮駅に特急列車が停車しました。
あれから78年、すっかり風化してしまったものと思っていましたが
こんなにも立派なお墓が、ある方によって、残されていました。
 
詳しくは、後ほど記事を加筆修正します。

2017年9月18日 (月)

もうすぐ完成、タイトル募集

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もうすぐ完成する、竹田五郎さんの本です。
 
この物語は、戦時中は勿論、終戦とともに翼を失った旧陸海軍のパイロット達が
焼野原から再起して航空自衛隊を築き上げる記録であります。
 
記述は支那事変までさかのぼり、
桂林爆撃と在支米軍フライングタイガースとの空戦、
トーキョーローズ追撃、高度1万メートルB-29邀撃戦、飛燕戦闘機隊の戦友の思い出
震天制空隊、喜界島上空迄の特攻機掩護、五式戦対コルセア
 
竹田さんは終戦ともに全てを失い、バラック小屋で寝起きをし、
進駐軍相手に商売をしておりました。元陸軍大尉と雖も、貧困を極め
その日暮らし、もうだめかと思うことが何度もありましたが、
遂に日本空軍復活の報せを聞いて真っ先に手を上げたのでした。
 
航空自衛隊黎明期には
旧陸海軍パイロットが大勢登場します。隼のエース
黒江さん、ブルーインパルスの創設者の長澤さん、月面着陸を見て
月に行きたいと言った稲田さん、ジェット戦闘機の黎明期に殉職された
小林さん、天野さん、指宿さん、中村さん
東京オリンピック、はじめての超音速飛行、米ソ冷戦、国境線での凌ぎ合い
ミグ戦闘機函館へ強行着陸、ベレンコ中尉亡命事件、雫石事故
基地司令官時代、過激派左翼との戦い、統合幕僚長時代、
などなど、
 
ほとんど取材が終わっていて、いま最後の文章をまとめる作業なのですが・・・
仕事と同時並行なので、なかなか進まず、それでもなんとか
飛燕復活の来年3月には発売したいと考えています。
 
肝心のタイトルが思いつかないので募集します。
こちらにアップしたビジュアルと「蒼穹の燕」は仮のものです。
 
「永遠のゼロ」「君の名は」的なシンプルかつ
ヒットが見込まれそうな文言を、ぜひお願い致します。
よろしくお願い致します。
 
 
現在までにお寄せ頂いた候補
 
『敗者の空』トボトボ機械様
『蒼空の防人』ふらんか~様
『テイクオフ』ふらんか~様
『暁への離陸』T.K様
『國敗れても、なお我ら』神雷工房様
『碧空』siesta(シエスタ)様
『折れない翼』神長勇次郎様
『銀翼の足跡』金澤様
『荒鷲からイーグルへ』金澤様
『蒼い空 守る翼 はばたく想い』トシ様
  
ありがとうございます。
まだまだ募集中であります。

2017年9月17日 (日)

零戦スケールモデル比較図

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スケールモデル比較写真を作成しました。
  
1/18 エリートフォース製(メーカー完成品)
1/32 ハセガワ製新金型零戦52型丙(神雷工房作品)
1/48 零戦52型261空仕様(神雷工房作品)
1/72 零戦52型谷水機(メーカー完成品)
1/100 童友社翼シリーズ(半完成品)
1/144 ウイングクラブコレクション赤松機(半完成品)
 
モデル/みけくん
製作/神雷工房様
撮影/Y.NAMIKI
企画/空のカケラ

2017年9月12日 (火)

航空母艦デッキクルー整備小隊つなぎ

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空母のデッキクルー風つなぎ服デザインの草案であります。
毎日の仕事をちょっとだけ楽しく。
 
機体シルエットを21型に変更して「赤城」や「加賀」も作成予定です。
海軍の整備兵のように白色のほうが、リアル感が出るかな?
などなど色々考えています。
ぜひご意見をお寄せください。

2017年9月 5日 (火)

T-6 テキサン

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所沢航空発祥記念館常設展示の
ノースアメリカンT-6テキサン練習機。
航空自衛隊の練習機として使用されました。  
先日撮影してきました。名機です。 
 
映画『トラ!トラ!トラ!』では 
このT-6テキサン練習機を零戦そっくりに改造したレプリカ機で
撮影がされました。
 
アメリカ本土では現在も飛行可能でありまして
そのレプリカ零戦が、航空ショーに登場します。
 
航空ショーは毎度、ちょっとしたお芝居というか、
シナリオが用意されていて、お客さんはこれを楽しみにしています。
 
最初に悪役である日本の零戦が奇襲攻撃をかけます。そこへ
正義のアメリカ軍の飛行機(P-51やF4Uなど)が駆けつけて
全て撃ち落して(この場合、零戦が煙を吐くという演出がされます。下の画像参照)
めでたしめでたし、といったストーリー構成となっています。
 
日本の水戸黄門とか暴れん坊将軍と同じ、毎度おなじみの展開です。
黄門様が斬られることが絶対ないのと同様に、零戦が勝つことは絶対に無いので
アメリカの方々は安心してご覧頂ける内容となっております。
 
零戦は悪役ではありますが、アメリカの方々は、胴体に描かれた日の丸には 
最大限に敬意を払ってくれています。あくまでショーなのです。
 
33538235_l九九式艦上爆撃機 江草隆繁少佐機01

九九式艦上爆撃機江草隆繁少佐機02

Copyright Raimundo79 / Shutterstock.com

2017年8月20日 (日)

旧軍から自衛隊へ入隊した場合の階級(資料)

航空自衛隊は航空要員の充足計画として
航空準備室においては昭和29年度航空自衛隊定員6,738名の
充足計画を作成した。警備隊からの転官および一般公募によることとし
その基本計画は次の通り。
 
転官はパイロットの充足に重点を置き
保安隊から幹部650名、陸曹等2,500名、警備隊から
幹部160名、海曹等400名計約3,700名とする。
 
航空準備室では陸海からの転官希望者各個人に
綿密な検討を加え、特に士補等は各職種の定員を充足させることに
主眼をおいて選考を進め、昭和29年6月31日迄には一応の
転官要員3,717名を決定した。
 
陸からの転官については終始順調に進捗し
計画通り行われたが、海からの転官は海上自衛隊自体の
航空要員充足の必要性もあり、計画の約60%に
過ぎなかった。
 
昭和29年度末までの転官状況は次の通り。
保安隊(陸上自衛隊)から
幹部559名、空曹等2,574名、計3,133名
 
警備隊(海上自衛隊)から
幹部85名、空曹等253名、計338名
 
転官者以外に一般公募を行い、幹部570名、
空曹等約2,000名を補充する。
 
隊員の募集は
保安隊が担当し、幹部520名、空曹500名、空士1,500名を
採用することにした。主な募集条件、応募状況は次の通り。
 
一般公務員に準じた資格のほかに次の資格が定められた。
 
◆二佐
国家公務員11級、同相当者、旧軍において概ね
昭和17年12月1日以前の少佐任官者
 
◆三佐
国家公務員10級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の少佐任官者
 
◆一尉
国家公務員9級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の中尉任官者
 
◆二尉
国家公務員8級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年8月1日以前の少尉任官者
 
◆三尉
国家公務員7級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年7月31日現在の見習士官、準士官
 
◆空曹
短期大学卒業者、旧軍の判任官
 
◆二士
昭和4年10月9日-11年10月1日出生者
 
◆部隊職員
3級-10級
  
出典
自衛隊十年史(1961年)

2017年8月18日 (金)

零式艦上戦闘機デザインデータ集発売

7販売開始しました。ぜんぶで60パターン以上の零戦の
イラストや写真が入っています。デジタルデータ集です。
商用と非商用の二種類があります。
 
中身はこちらです。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2017/08/post-67ed.html

商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP

非商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機ベクターデータ販売

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販売用のベクターデータの見本一覧です。
第一弾は「ゼロ戦」です。
 
自由に着色・加工・編集が可能なデータです。
 
価格ですが下記の通りで提供させて頂きます。
商用は全ライセンス付与です。
 
商用 ¥49,800-
▲プロモーション・宣伝・広告等での利用
▲グッズ製作(Tシャツ・マグカップ等) 
▲まとめサイト(キュレーションサイト)での利用 

▲アフィリエイトが付随するサービスでの利用 
  
非商用 ¥2,980-
〇個人ブログ・ウェブサイト素材としての利用

〇動画素材(youtube、ニコニコ動画など個人非商用アカウントでの利用)
〇発行部数1,000部以下の同人誌・趣味の印刷物

〇SNSのアイコン等
〇教育・講演、プレゼンテーション等

 
非商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC
 
商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP
 
こちらに続きまして
彗星や紫電改、震電、陸軍機、戦艦などもラインナップに追加していきます。
よろしくお願い致します。

2017年8月 9日 (水)

疾風うちわ

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Hayate宇都宮限定の疾風うちわです。
護国神社の盆踊りで配布致しました。
涼しく洋上迷彩のお色となっております。

持ち出し用掩体壕

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出前持ちのおかもちをヒントに作成しました。
模型持ち出し用の梱包です。
 
模型作品を家に飾っておくより多くの方に見て頂きたいがモットーです。
講演会などで積極的に持ち出します。 元パイロットの方も模型を
ご覧になると、「懐かしいのう」と、昔の記憶をいろいろ思い出して
くださるのです。二次元のイラストとは雲泥の差があります。
先日お目にかかった大野さんも
「ほとんどこの通りだった」と懐かしそうに仰っておりました。
 
梱包は干渉に気をつけながら、機体そのものは浮かせることで
破損を防ぎます。掩体壕のような形になりました。
現地でそのまま展開し取り出し、収納が可能です。 
 
掩体壕の中身は1/48の彗星。
神雷工房様の作品です。

2017年8月 8日 (火)

ゼロ戦の増槽大研究

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零戦のイラストを全種類描くにあたって
増槽も描いています。
 
増槽(ぞうそう。陸軍名称は落下タンク)
は長距離を飛行する際に取り付ける外部燃料タンクで、
中身が空っぽになったら、切り離し捨ててしまうタンクです。
 
増槽は型式が存在せず、機種によってバラバラなのです。
これだけ零戦がブームなのですが、増槽は
全然研究がされておりません!
専門書などを見ても多くが割愛されております。
 
私も本物をほとんど見たことがありません。増槽だけ展示してあるのは
万世特攻平和祈念館と筑波海軍航空隊記念館くらいでしょうか。
使用後捨ててしまうものですから、残っていないのは仕方ないのかもしれません。
図面も機体の一部としては見なしていないようです。
 
材質・塗装・形状・取り付け場所・支柱、すべてが
年代や機種によって全く、あるいは微妙に異なります。
 
全部は描ききれないので、まず、ゼロ戦に限って描くことにします。
ゼロ戦だけで主に三種類あります。このほかに現場で小加工して取付したり
したケース等、たくさんのパターンがあります。 
 
◆初期型胴体下330リットル(海軍機専用)
もっとも有名なのは真珠湾などで使用した21型の初期型。330リットル。
(彗星艦爆と兼用です。彗星艦爆は翼下に二個装着できます)
支柱にカバーが装着されています。主に52型で見られます。金属製。
 
◆後期型胴体用320リットル(海軍機専用)
次に後期型。形状がかなり細長くなります。主に52型甲以降に見られます。
「雷電」などにも同じものが使われています。
材質は木製に変更され、支柱も剥き出しになっています。
 
◆陸海軍統一型二型落下増槽200リットル×2
翼下に二個取り付けるタイプで「隼」「飛燕」「疾風」など
陸海軍で同じものを使っていました。
ゼロ戦は62型以降の零爆で胴体下に爆弾を取り付けた場合
翼下に二個となります。木製。

2017年8月 1日 (火)

二式飛行艇・九七式飛行艇パイロット吉田氏による操縦解説


 
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの動画出来ました。
よろしければご覧ください。
 
吉田重次さん
山形県出身。昭和15年12月、第15期乙種海軍飛行予科練習生。
昭和17年11月、水上機操縦専修。零式三座水偵等の操縦を経て、
昭和18年8月、詫間海軍航空隊に配属。九七式飛行艇および二式
飛行艇操縦習得。館山海軍航空隊を経て、昭和19年3月、第90
1海軍航空隊へ転属。昭南島、サイゴン、フィリピン、インドネシ
ア等へ飛行、主として船団護衛を務める。昭和20年6月、横濱海
軍航空隊転属。内地とラバウルを往復し、傷病者、薬品の空輸を行
う。総飛行時間1,000時間以上。
 
第901海軍航空隊 一番機 KEA83号機(ハセガワ模型のパッ
ケージイラストのモデル)操縦。
 
音声修正・ノイズ除去/CREA SOUND WORKS
http://crea.serveblog.net/crea/index.html
  
撮影協力/宇賀神綾香 インタビュー/篠原直人
  
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの講演会のお知らせ
吉田さんの講演会が10月15日に茨城県小美玉市で開催されます。
飛行艇の話はなかなか聞けないと思います。ぜひお越しください。
同日、彗星(二式艦偵)の田中三也さんもお話しになります。
またブログ内でお知らせします。
 


2017年7月28日 (金)

遊就館の撮影規定改正

靖国神社の遊就館ですが
今までゼロ戦とSLのあるエントランスホールのみ撮影が可能で
展示フロアは一切撮影禁止でした。
 
それがこのたび、大展示場の撮影が許可されました。
朗報です。
彗星や桜花の展示してある大きなフロアです。
  
日本の博物館や資料館は撮影禁止のところが多いですが
残念なことです。元来、日本人の感覚からすれば、
撮っていいものと、いけないものの区別はつくはずです。
 
一般的な展示は撮影しても、
遺影や遺書を撮るということは躊躇いますし、何よりも
他の来館者の邪魔になるような迷惑行為は当然しない。
 
それを漢字二文字で「配慮」と言います。
本来の言葉の使い方です。 
 
撮影の可否を来館者のモラルやマナーに任せられるなら
こんなに理想的なことはありません。
 
しかし乍、その区別ができない人が増えたから、不本意乍
一様に禁止!としてしまう、そういった事例が多いと思います。
 
義務を果たさず権利ばかりを主張する人が増えました。あくまで
「撮らせて頂く」という気持ちを忘れずにいたいものです。
 
靖国神社遊就館においても然りです。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

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イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。

2017年7月24日 (月)

二式大艇パイロット吉田さんインタビュー

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第901海軍航空隊で
九七式飛行艇、二式大艇のパイロットをされていた
吉田さんにインタビューをさせて頂きました。
吉田さんは飛行時間1000時間で、
九七式、二式と両方の飛行艇の操縦をされておりました。
 
実はハセガワ模型のパッケージで有名なこちらの箱絵、KEA63号機は
吉田さんが操縦していた九七式飛行艇で、戦後、このイラストを見て
びっくりなさったそうです。

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吉田さんは飛行艇の着水の操縦方法を解説してくださいました。
こちらのインタビュー動画を交えて
少しずつ、書かせて頂きます。
 
また、吉田さんの講演予定もございますので、決まり次第
こちらで告知させて頂きます。

2017年7月21日 (金)

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(3)急降下ダイブ

大野徳兵衛さん大野善也さん
 
◆ダイブ準備

 
急降下する前に、カウルフラップを全て閉じます。
急降下するとエンジンは1分間で急激に冷えます。
トーン(シリンダーの温度)が100度以下に低下すると
オーバークールでエンジンがストップしてしまう危険がありました。
 
急降下した後は、カウルフラップを全開するのを
忘れがちになります。今度はオーバーヒートになりますから
気を付けなければなりません。
 
ダイブすると、急激な気温と気圧差に伴って湿気で飛行眼鏡が
曇ってしまいますから必ず眼鏡を外しておきます。
 
◆ダイブ角30度より降下
 
高度6000-6500メートルからダイブに入ります。
訓練では9000でやりましたが、
戦地では6000-6500ぐらいですね。
急降下爆撃では7000以上は必要ない高度です。
6500以上は燃料物凄く食うんですよ。
 
30度くらいで降下していきます。
エンジンに沿わして標的をずらしていく。
機体が放物線を描くように
目標の敵艦に対してだんだん深くなるんですよ。
 
はじめから急降下すると浮力がついて90度になってしまうんでね。
最終的にダイブは60度がベストで62、3度が限度ですね。
それ以上は引き起こしができないんですね。実際に
訓練中に小西兵曹が角度が深すぎて海に突っ込んでいます。
 
6000-6500メートルでダイブを開始して徐々に高度を下げて行きます。
このときペアが後席で高度を読み上げて行きます。
高度の読み上げは、1000のときにメーターをつけるんです。
500のときはメーターつけないんです。例えばこうです。
 
「6500、6000メーター、5500、5000メーター」
 
こんな具合で読み上げていきます。
 
◆ダイブブレーキ展開
 
3000メートルから2000メートルでブレーキをかけます。彗星の
エア(ダイブ)ブレーキですが、私達は空戦フラップと呼んでおりました。
この空戦フラップを使えば零戦と変わらない捻り込みが出来ました。
戦闘機にも劣らない、彗星は名機です。
 
ブレーキをかける時期は身体の感覚でしたね。振動がダーっと
全身に伝わってきて、スピードメータも見ません。
 
◆ダイブ角度60度
 
ダイブした彗星は高度2000-1500で60度に達します。
真横から見れば60度ですが、少し他の方角から見れば
垂直に見えるんですよ。乗ってるほうはもう完全に垂直ですよ。
座席から重心が前に行く。真っ逆さまですね。
 
◆弾幕に突っ込む
 
対空砲火の弾幕は凄まじさですが
自動車を運転して雪の降る高速道路に乗りますね。
すると、雪が自動車のフロントガラスに当たる。
あれと同じです。曳光弾と似ているので。いつも自動車に乗るたび
思い出します。
 
実際に目に見える弾は三発に一発の曳光弾だけで
残りは徹甲弾や焼夷弾ですから、実際にはその三倍もの
弾が飛んできている勘定です。
 
弾幕を張っているときグラマンも飛べないので
攻撃中にグラマンに落とされたという話は聞いたことがありませんね。
 
弾幕が張られているのは1000メートルから2000メートルの間ですね。
弾幕も二種類あって、薄い弾幕と濃い弾幕が重なっています。
薄い弾幕は500メートルから600メートルくらいまでありますが
 
◆輪形陣のド真ん中に突っ込む
 
濃い弾幕を抜けて視界が開けたとたん、びっくりしたのが
敵艦隊の輪形陣の大きさで、そのど真ん中に突っ込んでおりました。
 
どれでも狙えますよ。
そのときは巡洋艦クラスでしたね。
 
◆爆弾投下
 
訓練の規定では、高度650メートルで引き起こしすると
決められていましたが先輩から
「大野兵曹、そんな正直に650で突っ込んだりしたら落とされるぞ」
と脅かされました。650メートルで引き起こすと
待避高度が300メートルくらいになりますね。
それが戦地では撃ち落されると。
 
高度7000メートルから
50-60秒で敵艦の上空まで落下します。彗星は
一秒間に140-150メートルのスピードで進んでいます。
 
彗星は爆弾倉があって、爆弾はその中へ抱えていました。
敵艦隊上空に進入いうときに開けるんです。中翼ですからね。
その中で爆弾を腕の先に取り付けていて、
腕が爆弾を下におろしてから投下する仕組みになっていました。
 
爆弾を投下して、すぐ引き起こす。
投下してゼロコンマ何秒です。操縦桿を引く。
 
操縦席にはタマがある。
中に水銀のタマ。それが水平儀の中心にこないと駄目なんです。
タマが右にずれている場合は飛行機は左に滑っていると。
滑るということは、200も300もずれて爆弾が落ちる。
つねに、水をコップについでこの水がこぼれんように
持っていくというのがコツ。
 
だから弾幕と雲の間を縫いながら、体がこうならん(振り回されない)ように。
軸を据えて、機体が横に振れんようにもっていくのが難しい。
その訓練をずっとやるんです。
一朝一夕ではそこまで到達しない。
 
飛行機の操縦は難しいものでは無いです。
一ヶ月あれば飛べるようになります。しかし急降下爆撃は
そうそう弾はうまく落ちるもんじゃないんです。
 
◆引き起こしにかかる7Gとブラックアウト
 
そのときは私は、高度650メートルをオーバーして
450メートルまで降下していたんです。引き起こして、機首は上げても
慣性で350メートルぐらいは沈む。もう水面スレスレですよ。
それで助かった。
 
艦橋で機銃を持っている兵隊が伏せるのを見ました。
一秒間に150メーターもいくので照準できなかったんでしょう。
敵もあっというまに弾幕の間から出てきて爆弾を落とされる。
特攻だと思ったのかもしれません。
 
引き起こしのGが凄い。6Gか7Gかかります。
血圧も凄いですよ。普通の人間は死んでしまいますよ。
 
感覚としては、骨だけ残して、身だけ剥がれる。
上の瞼が下がってきて見えない。目の前も暗くなる。
どんなに食いしばっていても顎が開きます。
艦爆は6G、7Gかかる。ブラックアウトですね。
飛行機乗りの中でも肺や心臓が強くないと乗れない。
 
1000メートルぐらいで引き起こしたものはみな落とされたと聞きました。
1000で引き起こすということは650-700メートルぐらいで艦隊上空を
通過します。これは最も狙い撃ちされる。
同じ速度でも高いところでは敵も照準しやすいでしょう。
 
先輩方はほとんど落とされて帰ってこない。
結果的に私は帰ってきた。
 
◆離脱
 
海面スレスレで引き起したら今度はカウルフラップを開けます。
絞っていたエンジンを全開にしてグアーっと離脱します。
 
最初に申し上げた通り、ここでカウルフラップ開けるのを
よく忘れるんですよ。敵機に追いかけられると
逃げるのに精いっぱいで。
 
私もグラマンによく追いかけられました。待ち構えているように。
ですが、彗星は速かった。戦闘機よりも。
 
飛行機の速度と重力による落下速度をプラスしますから、
降りてエンジンを全開にするとグラマンがなんぼ早くても追い付けないんです。
彗星の最高速度は公称値は280ノットですが、300ノットは出ます。
追いかけてきたグラマンが300ノット出したら空中分解しますよ。
 
後に彩雲というもっと速い飛行機が開発されましたが
彗星艦爆とは構造がちがう。彗星はGに耐えられる。
彩雲は空中分解しましたね。「彩雲がどこどこで空中分解した」と情報が入る。
 
ゼロ戦は3G以上で空中分解しますよ。
それで30度のダイブしかできない。60度でダイブしたら一発ですよ。
ブレーキもついてない。落下していたら、エンジンなんぼスローでも
ゼロ戦は加速し続けますから。そもそも零戦が艦爆のマネしたから駄目なんです。
 
帰ってきたら10発ほど機体に撃ちこまれていました。
 
レイテ、オルモック、リンガエン、台湾沖航空戦と参加して
台湾沖では60名のうち40名が戦死しました。
戦果華々しくが報道されましたが、我々は最低だと思いました。
 
どうせ死ぬなら、行くときは何も思わない。
帰ってきてから「ああ、生きとった」と思います。
  
つづく

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(2)彗星との出会い

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◆九九艦爆と急降下爆撃機隊

 
艦爆いうたらハワイで活躍した。 九九艦爆がありますね。
ゼロ戦の搭乗員が、ハワイで九九艦爆が急降下するのを見て涙が
出たと言っておりました。その位勇ましかった。
 
飛行機の中で艦爆が一番過酷なんですよ。頭が下がりますよ。
実際艦爆乗ってる同僚の見たら感激するぐらいですから。
 
岩国で九九艦爆に乗って、空母「隼鷹」着艦訓練。
我々は四航戦で、伊勢、日向、隼鷹、飛鷹、龍鳳の各艦で
編成されていました。
 
豊後水道で全速力で走る隼鷹に 一点着艦(タッチアンドゴー)の訓練を
行いました。 3ヶ月、九九艦爆に乗って、それ以降は彗星に機種を変えました。
 
彗星は九九艦爆に比べて胴体が細くてスマートでした。
これはスピードが出ると思いました。
 
◆彗星艦上爆撃機 
 
彗星の搭乗員は殆ど戦死しています。
一番確実に敵をやっつけたのが艦爆ですからね。
 
彗星は靖国神社の遊就館にありますが、私はあれ見て 涙が出ました。
あの飛行機はイミテーションでなく 実物に近いです。
あちこち補修してますがね。
 
彗星は性能が良くて、ユンカース以上に良いと評判で
その通り非常にスピードが速い。 P-38とかシコルスキー、グラマンが
追いかけても さっさと逃げる事の出来るスピードがありました。
 
公称としては280ノット、事実戦争では 300ノット以上(時速555キロ)出しました。
どうせ落とされるなら 飛行機が壊れるぐらいまで走れと言いました。
 
◆彗星との出会い
 
私は当初、ゼロ戦と、当初15試陸爆と呼んでおりました
「銀河」を志願したんですが、両方はねられて、艦爆へ行ったんです。
 
それまでは徳島で3ヶ月教員しており、
辞令で第634海軍航空隊に転勤して艦爆に乗れと言われました。
 
ペアと一緒に駅から岩国の飛行場まで、田んぼの畦道歩いていましたら
遠くの空でキラっと光るものを見たんです。 次がまたキラっと光る。
「え?」と思っていると、 1分間ほど息せずに、急降下。
 
エンジンスローでまったく音しない。
それが今度、引き起こしでエンジン全開で我々の真上を
ブワーっと通り過ぎて行くんですよ。物凄い爆音。
 
「あお、あれが彗星やなあ、はじめて彗星を見た。怖い怖い!」
 
「あんなん乗せられるのか!?」
 
 正直、殺される!と思いましたね。足がすくみました。
それが彗星との出会いでした。
 
◆戦歴
私は艦船爆撃を7回、飛行場爆撃を1回、 艦船爆撃はその都度被弾して、
全部帰ってきました。 二回ほど燃料のメインタンク撃ち抜かれたけど
燃えずに白い霧が出ただけでした。
 
10回不時着しました。
索敵は数えきれないほど飛びました。
 
そして 特攻隊「神崎隊」隊長に任命されましたが
飛行直前で敵機が来襲して飛行機を燃やされてしまい
今、こうして生きています。
 
彗星は二人乗りでして、岩国で初めて彗星に乗って
からフィリピンの激戦までペアとは最後の飛行まで
ずっと一緒でした。 最後は、私はデング熱を患って、
空輸の飛行機に 乗り遅れたんですが、
ペアはその飛行機に乗って行って、 墜落戦死しました。
 
つづく

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(1)

Suisei2
 
今回は彗星艦爆パイロットの
大野徳兵衛さんのお話しを伺いました。
大野さんは大正15年生まれ。神戸市出身。
 
昭和17年10月、第11期甲種飛行予科練習生
昭和18年4月、第35期飛行練習生。 昭和19年3月、徳島海軍航空隊教員
昭和19年5月、第634海軍航空隊配属。岩国で3ヶ月のち フィリピン戦線へ。
レイテ、オルモック、リンガエン、台湾沖航空戦で
急降下爆撃7回。いずれも被弾しつつ生還。 不時着10回。
 
昭和19年11月、第701海軍航空隊、761海軍航空隊、第763海軍航空隊所属。
昭和19年11月、特別攻撃隊「神崎隊」隊長。出撃直前に空襲にて発進中止。
戦地にて黒水熱発症、入院中、終戦を迎える。
 
以下、大野さんのお話し
  
-----------------
 
戦争の話だけはしたくないんですよ。
話したことまったくなかった。
 
うちの息子も娘も今まで全然戦争の話はしなかった。
「え?お父さん飛行機のっとった?」
と言います。
 
ここ最近ですね。話せるようになったのは。
 
私、昭和20年の2月頃から戦地で入院して
終戦まで戦争してないでしょう。レイテでも苦戦したけど一番、
非常に辛い、飛行機乗りが一番死んだ時期に私は参戦してない。
それが後ろめたくて。
 
昭和19年当時、私は17歳(満年齢)でした。 私の青春は戦争でした。
いや、青春なんてなかった。
 
ですけれどね、今の若い人を見て、女の子と遊んでるのを見て
いいもんやなあ、とか、うらやましいとか、悔しいとか、
そういった気持ちは全く、これっぽっちもありません。 逆ですね。
 
貴重な青春をお国の為に尽くすことができた。
こんなに有難い事ありませんよ。誇りです。
 
20歳で死んだ命を偶然、拾って 今年、91歳ですよ。
長生きさせてもらってます。
 
喫茶店にでも行きましょうか。 そこでゆっくりお話しさせてもらいます。
 
つづく

2017年7月13日 (木)

絶望と希望と

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昭和44年(1969年)7月、アポロ11号が月面に着陸。
ニール・アームストロングは左足を月面に踏み出した。
人類史上、最もメジャーなニュースである。 
 
表向きは明るい宇宙開発競争だが、それは米ソ東西冷戦の歴史と
表裏一体だったし、
人類を月まで送り届けた「サターンV」ロケットの開発者は
元ナチス・ドイツの科学者フォンブラウンである。
フォンブラウンは大戦中、ロンドンを壊滅に追い込む世界初の弾道ミサイル
「V2」ロケットを完成させている。フォンブラウンは
ドイツ降伏の年、アメリカに亡命してロケットの平和利用の
研究を続けていた。
 
戦争は有能な人物の、あらゆる可能性を奪っていた。
 
日本では三木忠直技術少佐がロケット特攻機「桜花」を作っている。
三木少佐は新幹線の開発者で余りにも有名だ。
 
さて、アポロ11号の月面着陸は
日本でもテレビ報道された。
 
そのテレビを熱心に見つめる日本人が居た。
元陸軍パイロットで、戦後は航空自衛隊戦闘機パイロットになった
稲田淳美である。
 
稲田はこのアポロ11号のニュースを見て上官の竹田に言った。
 
「隊長ーー!もし日本が月に行くことになったら
真っ先に私を指名してくださいよ」
 
この時代、自衛官と言っただけで石を投げられ、
タクシーには乗車を拒否され、散々だった。けれど
そんなときでも、ここの者たちは日本の将来に目を輝かせていた。
 
日本人の底力をもってすれば、月よりももっと遠くへだって
飛んで行けると信じていた。 
 
稲田淳美はブルーインパルス二代目の隊長となる。
日本空軍復活のシンボルとなるのである。
 
ブルーインパルスは長澤賢が団司令の目を盗んで
低空背面飛行を披露したことに始まり、
今日に至るが、長澤が礎を築き上げ、実質的に
航空祭でお披露目される頃には稲田が隊長を務めていた。
 
ブルーインパルスで旧軍の出身者は
長澤賢(陸士58期)、稲田淳美(陸士59期)
加藤松夫(海兵74期)、西光(海兵75期/のち殉職)
の四名である。
 
ブルーインパルスのひく雲に
誰もが、わが国の復活復興を感じていた!
 

 
航空自衛隊黎明期を支えたのは、こうした旧陸海軍出身者が
多いが、誘いを断って故郷に残った者も居る。
 
岩崎陸軍大尉(航士55期)はフィリピン戦線において
百式司令部偵察機で活躍していた。
あのとき空から見下ろした戦艦大和も今はもうない。
 
復員したあの日、汽車は故郷の駅に昼間の早い時間に
到着した。
 
実家の母のもとには既に戦死の報せが届いていた。
兄弟もみな戦死していた。自分も死んでことになっている筈だ。
このまま帰っていいのか。
 
岩崎は戦争に負けたことが
恥ずかしくて、情けなくて、駅舎で夜になるのを待って
近所の目を避けながら、暗い道をトボトボと帰った。
 
家に着いて、台所の扉をガラリと開けると
そこには母がいた。死んだはずの息子との再会だった。
 
明治生まれの厳しい母が涙を流して
駆け寄って抱きしめた。
  
戦後、日本空軍再建のしらせと誘いを受けた岩崎は
二つ返事で行きたかったが、
貧しい貧しい時代、こんなチャンスはなかったが、
母をひとり残していく事が、どうしてもできなかった。
 
母にとってはたった一人、生き残った息子だった。
岩崎は母と一緒に故郷で農業を営み、国の再建に尽くした。
戦友のことを忘れた日はなかった。 
 
「若い良い男が戦争でみんな死んだ・・・みんないい男でしたよ。
 その男たちの事を、毎日思い出しています」
 
戦争は全てを奪い、日本を荒廃させた。
それでも将来日本のため、戦後頑張り続けた人たちのことを
そして、こういう人たちを将来の日本に残すため、自らは戦争で
犠牲となった人たちのことを、少しずつ書いていきたい。

2017年7月11日 (火)

ジョー・ライリイ大尉の話

 
米国空軍戦闘機パイロット、ジョー・ライリイ大尉。
大尉は、日本空軍再建に最も尽くした人物といっても
言い過ぎではない。 
 
朝鮮戦争帰りの、ライリイ大尉は
そのまま日本でゼット戦闘機の教官として着任した。
(当時はジェット機をゼット機と呼んだ) 
 
ライリイ大尉は小柄であったが朝鮮戦争で捕虜になるより
白兵戦に備え、飛行服に
拳銃を二丁忍ばせていた、という逸話を持つ。
 
昭和31年の浜松。
格納庫の屋根は戦争中の爆撃で穴が開いたまま、
浜松の飛行場は吹きさらしで
プレハブ小屋が一軒だけ建っているような状態だった。

A4▲昭和30-32年頃の浜松基地。関係者より拝借。
 
大の親日家であったライリイ大尉は
ブロンドヘアの妻と愛犬を連れて、この
荒野のような、殺風景な浜松にやってきた。
 
ライリイ大尉は日本人パイロットに対しては
特に計器飛行を熱心に指導した。
 
それまでの旧軍の戦闘機「飛燕」とか「零戦」も計器は積んでいたが
当時の概念としては補助的なもので、
低い雲や悪天候、夜間の発着は大変なリスクが伴った。
 
計器飛行はこうした悪天候で視界が確保できない状況でも
人間の目でなく、計器をメインに安全に離着陸や飛行が可能となる、
現在では当たり前となった航法である。
 
ライリイ大尉は勤務時間は教官として任務をこなし、
時間外は研究のために飛んでいた。土日も飛んだ。
休みなしで飛んだ。
 
日本人も、皆、休みなしで飛ぶので事故が多発した。
源田実が、この状況を危惧し飛行時間の制限を決めたのが
昭和32年以降だった。
 
立て続けに
指宿正信二佐、小林照彦二佐、中村博二佐、の三名が殉職していた。
指宿二佐、小林二佐の事故のことは以前ブログで書いた。
 
元海軍パイロットの中村博二佐は射撃が特に抜群だったことで名を
馳せていた。事故は昭和32年6月20日、夜間計器飛行訓練中、
日向灘に墜落して殉職。
中村二佐は、このとき十分な高度があり、ベイルアウト(緊急脱出)に
成功したと言われているが、当時、満足なライフジャケットを身に
つけていなかったため直接の死亡原因は凍死だという。
 
ライフジャケットはあるにはあったのだが、数が揃わず
それでも良いから、と、飛んでいたのである。
 
これは、現代において考えてみれば
無謀とか危機管理とか、そういう話になってしまうのだが
当時の考えは全然違う。 
 
当時のパイロットは誰もが
一日も早い、日本空軍の再建を目指して
犠牲覚悟で飛んでいた、ということを、忘れてはならない。
気概をみんな持っていた。現在とは全然違うのだから。
 
このとき、F86Fのパイロットであった竹田五郎氏は
「事故があっても、屍を乗り越えて行く、
戦争中のような気持ちだった」と回想する。
 
ライリイ大尉は、そうした日本人パイロットとともに
命は軽いが、尊いものを背負って、飛んでいた。
 
大尉は本当に、飛行機に乗るために生まれてきたような人だった。
飛行機に対する探究心は尽きることが無かった。
それらの技術や経験を、日本人パイロットに惜しむことなく
教え込んだ。
 
自らも何事も思いついたら
やってみないと、気が済まない大尉だった。
燃料タンクが空になっても飛んで周りをヒヤヒヤさせた。
 
訓練中、燃料ゲージの限界の規定値に達すると
通常、パイロットは
「ミニマム・フューエル」(燃料僅か)をコールし
速やかに着陸しなければならない。
 
ライリイ大尉は、ミニマムフューエルをコールした後も
ふたたびスロットルを全開にして、もう一飛びしていた。
 
特筆すべきエピソードとして
琵琶湖上空から、入間まで滑空を試したことがある。
高度が下がりたため、浜松へ不時着した。
 
ライリイ大尉と日本人パイロットの間には
絶対的な信頼関係と、固い友情が存在した。
 
ライリイ大尉とお互い尊敬していたのが
ブルーインパルス発案者で初代隊長の長沢賢であった。
 
どちらも天才的技量のパイロットであったことは
間違いないが、飛行スタイルが異なる。ライリイ大尉はどちらかと言えば
飛行の研究に重点を置いて、
長沢賢は、後に、団司令の目を盗んで、松尾とともに
F86F戦闘機2機で勝手にアクロバット飛行を始める。 
2機で超低空でスローロールを行ったあと、日本初の
背面飛行を披露した。この話はまた後で書くことにして
ライリイ大尉の話に戻る。
 
ライリイ大尉が殉職したのは
昭和31年9月29日だった。
T-33複座戦闘機で連絡飛行中
ジョンソン基地(現在の呼び名は入間)基地に墜落した。
 
ライリイ大尉の話はどの本にも載っていないが、
大尉の残した功績は大きい。
きっと航空自衛隊の現在に確実に受け継がれているであろう。
 
いつか、誰かが見つけてくれることを信じて
ここに記す。

2017年7月 5日 (水)

田中三也さん(彗星搭乗員)講演会予定

Photo

彗星搭乗員の今年後半の田中三也さんの講演会予定です。
貴重な機会ですので、ぜひお出かけください。
(ご高齢ですので突然の予定変更等あります)
詳しくは主催者にお問い合わせください。  
 
申し込期日前でも
定員になり次第締め切りとなります。 
 
平成29年(2017)後半予定
 
7月23日(日)東京・浅草
近現代史研究会(Panda会)
田中三也さん
「海軍偵察員の大東亜戦《前編》 ~あ号作戦挺身偵察」
12時45分~16時00分
  
9月16日(日)東京・浅草
近現代史研究会(Panda会)後編
田中三也さん
「海軍偵察員の大東亜戦《後編》 ~比島死の攻防」
12時45分~16時00分
 
近現代史研究会
主催・申し込み先

 
-------------- 

10月15日(日)茨城県小美玉市
太平洋戦争を語り継ぐ会
陸海軍の戦場経験者
四名が1時間ずつ講演(予定)最高齢104歳。
時間未定。 
  
--------------
 
11月19日(日)埼玉県越谷市
越谷コミュニティセンター
時間未定
 
--------------
 
決まり次第更新します。
 
「いつお迎えがくるかもわからんけど、
今年いっぱいは生きておかにゃあならんなあ~
わはは~」
 
と、田中さんは
といつものブラックジョークでありました。
 
田中三也さんのご本
『彩雲のかなたへ』

2017年6月30日 (金)

丸い虹が見たかった

 
「丸い虹を見てみたかったんですよ」
 
先日は彗星搭乗員の
田中三也さんが飛行機乗りを志願した理由を
お話ししてくださいました。
 
丸い虹というのは
極めて限られた気象条件下で見ることが出来る
ブロッケン現象のことです。
  
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました」
 
「それで、見ることはできましたか?」
   
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」
 
戦争の話の合間でしたが
素敵なエピソードでした。
伝えきれないお話しがたくさんあります。

2017年6月 8日 (木)

航空自衛隊7人の侍

 
昭和31年3月1日
日本空軍復活の日、はじめて築城基地で日本人パイロット操縦による
ジェット戦闘機F-86Fが飛んだ。この出来事が鮮明なニュース映像で残っている。
 
ニュース映像に写っているのは、右から
鈴木暸五朗 二等空佐(海兵68期。攻撃第501飛行隊長等・終戦時大尉)
石川貫之 二等空佐(陸軍士官学校50期・246戦隊長等・終戦時少佐)
指宿正信 二等空佐(海兵65期赤城分隊長・横須賀空飛行隊長等・終戦時少佐)
松村正二 三等空佐(343空戦闘301新選組等、終戦時大尉)
  
※ニュース内では名前が紹介されていないので、篠原調べ。
  
戦時中、
松村さんは「紫電改」、指宿さんは「ゼロ戦」
石川さんは二式単戦「鍾馗」、鈴木さんは艦爆隊を経て「銀河」
等の飛行機を操縦していた、いずれも陸海軍のエースである。
 
昭和30年8月12日
F-86F高等操縦学生9名が米国に留学(31年2月26日帰国)
アメリカ人パイロットにF86Fの操縦技術を学んだ。
 
うち七人が第一期生として帰国し、「航空自衛隊七人の侍」と呼ばれた。
この、七人の侍が教官となり、
はじめて日本国内において日本人が日本人に操縦技術を指導することが
可能となった。現在に繋がる航空自衛隊戦闘機パイロット養成は
この七人の侍から派生していると言っても言い過ぎではない。 
 
航空自衛隊七人の侍
当初、渡米組は9名であったが
英語教育の進行が遅れた2名が若干、遅れての帰国となった。
9名のうち、調査で判明した8名をここに記す。
なお、この頁では、以下、帰国まで僅かの差であったことと、
同様に尽力された事実を考慮し9名全員を七人の侍として記載する。
 
◆石川貫之 二等空佐
陸軍士官学校50期、飛行第16戦隊-飛行第246戦隊長
軽爆から戦闘機転科、終戦時少佐。
 
◆指宿正信 二等空佐
海軍兵学校65期、戦闘機。
赤城分隊長-翔鶴分隊長-261空飛行隊長-201空-横須賀空飛行隊長
終戦時少佐
 
◆鈴木暸五朗 二等空佐
海軍士官学校68期、攻撃第501飛行隊長。艦爆。銀河等
終戦時大尉
 
◆桑原泰郎 三等空佐
陸軍士官学校54期
 
◆竹田五郎 三等空佐
陸軍航空士官学校55期、飛行第244戦隊先任飛行隊長
終戦時大尉
 
◆松村正二 三等空佐
海軍兵学校71期、343空戦闘301
紫電改、終戦時大尉
 
◆小松利光 三等空佐
陸軍航空士官学校56期
終戦時大尉
 
◆酒井史郎 一等空尉
海軍水上機出身
 
◆狩屋謙治 一等空尉
  
  
飛燕の小林照彦少佐や、加藤隼戦闘隊の黒江保彦少佐など
名立たるパイロットが航空自衛隊戦闘機パイロットとして
活躍するが、またこの後の話である。
 
なぜならば、当時見たことも無い、
「ジェット戦闘機」そのものの概念が、なかなか伝わらず
パイロット募集にほとんど人員が集まらなかったとされる。
 
私は、この七人の侍のうち、3名の親族にお会いすることができた。
お一人はご存命である。残り5人。
航空自衛隊七人の侍探しの旅は続く。
 
出典
『築城基地開設五十周年史』総務課記(104頁)
元空将前川國雄氏の記事(106頁)『自衛隊十年史』 (1961年)

2017年6月 7日 (水)

予科練平和祈念館の零戦

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茨城県阿見町の予科練平和祈念館へ再度、ゼロ戦を見に
行ってきました。
 
今日は日曜日で、朝から快晴だったので格納庫から
引き出してくれて
いました。これが見たかった!
飛行機の背景には青空が映える。零戦が屋外に展示
されているのは、全国でここだけです。

2017年5月19日 (金)

航空自衛隊黎明期事故による殉職者

 
航空自衛隊黎明期に殉職され
その礎を築かれた方々のお名前を記します。
現在、航空自衛隊の黎明期を研究しており、何かお役に
立てればと検索データベースの作成に至りました。
 
航空自衛隊創設から昭和35年8月までですので
ブルーインパルス発足前となります。
 
左からお名前、階級※殉職後の特進階級です
事故発生日、出身地、事故の内容を記載しました。
  

鈴木光・2尉・昭和29年9月26日・北海道

東海林迪夫・2曹・昭和30年8月8日・岩手県
第1操縦学校所属T-34、連絡飛行中京都府日向町に墜落

土田忠夫・1曹・昭和31年2月6日・宮崎

平塚勝・3佐・昭和31年6月26日・神奈川
第二操縦学校所属T-6訓練中松島で空中衝突

竹内慶文・3佐・昭和31年6月26日・茨城

中田弘正・2士・昭和31年7月28日・長野

宇野進・3佐・昭和31年8月16日・愛知
臨時築城派遣隊所属T-33A、連絡飛行中宮城県松島海上に墜落

三木琢磨・2佐・昭和31年9月29日・愛知 三木琢磨大尉(海兵70期)
臨時築城派遣隊所属T-33A、
連絡飛行中ジョンソン米空軍(現在の入間)基地付近に墜落
米空軍ジョー・ライリー大尉(少佐)同乗殉職

玉利清治・防衛庁技官・昭和31年9月29日・鹿児島

谷嶋広美・1曹・昭和31年11月2日・長崎

指宿正信・1佐・昭和32年1月9日・鹿児島(海兵65期)
第二航空団所属F-86F、2機訓練中接触天竜川河口と遠州灘に墜落
指宿二佐殉職、S空将補ベイルアウト成功

五日市芳武・士長・昭和32年2月19日・岩手

後藤守正・2佐・昭和32年3月4日・福岡
臨時美保派遣隊所属定期便C-46、美保飛行場着陸時海上に墜落

岩本繁明・2佐・昭和32年3月4日・熊本 岩本繁明大尉(航士54期)

吉井富男・1曹・昭和32年3月4日・栃木

野村久光・1曹・昭和32年3月4日・東京

入山芳夫・1曹・昭和32年3月4日・茨城

高野衛・2曹・昭和32年3月4日・茨城

丸山好行・2曹・昭和32年3月4日・東京

古渡清文・2曹・昭和32年3月4日・茨城

高橋唯清・2曹・昭和32年3月4日・長野

岩本勇・3曹・昭和32年3月4日・大分

近藤実・士長・昭和32年3月4日・島根

河井重友・防衛庁技官・昭和32年3月4日・岡山

小川光昭・1尉・昭和32年5月20日・大阪
第2航空団所属F-86F、千歳へ移駐の際、苫小牧および千歳付近に
各1機墜落

小林照彦・2佐・昭和32年6月4日・東京(飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時の事故によって
火災発生消失

天野裕・2佐・昭和32年6月4日・新潟
〃小林機に同乗

肱岡勝雄・3佐・昭和32年6月13日・鹿児島
第2航空団千歳派遣隊所属F-86F、計器飛行訓練中苫小牧北方に墜落

中村博・2佐・昭和32年6月20日・神奈川(海兵71期)
第1航空団所属F-86F、夜間訓練中天竜川河口南方海上に墜落

時任二三夫・士長・昭和32年7月30日・宮崎

松本力・2佐・昭和32年9月30日・福岡
臨時築城派遣隊所属T-33A、訓練中飛行場東方海上に墜落

佐藤正・3佐・昭和32年9月30日・大分

吉田誠一・2佐・昭和32年11月16日・東京
第一航空団所属F-86F、訓練中高松市松島埋立地に不時着大破消失

酒井康夫・3佐・昭和32年11月21日・京都
第一航空団所属F-86F、訓練中浜名湖南方海上に墜落

岡野武雄・3佐・昭和32年12月26日・福岡
第二操縦学校臨時松島訓練隊所属T-6、航法訓練中山口県岩国沖に墜落

西川尚信・1尉・昭和32年12月26日・広島

鶴井平・1曹・昭和33年3月13日・愛知
第一航空団所属F-86F、訓練中爆発天竜川河口に墜落

田代孝・3佐・昭和33年4月6日・和歌山

新川久三・士長・昭和33年4月13日・福島

半田要一・3佐・昭和33年5月21日・群馬
第一航空団所属F-86F、2機、訓練中接触尾鷲市南東海上に墜落(要確認)

上田雄二・2曹・昭和33年5月21日・熊本
第二操縦学校分校所属T-6、訓練中宮城県田尻町付近に墜落(要確認)

倉原正典・1士・昭和33年6月24日・大分

大田忠敏・1士・昭和33年7月11日・山口

加治佐稔・1士・昭和33年7月24日・鹿児島

猪原瑞夫・2曹・昭和33年10月23日・熊本
第二航空団所属F-86F、訓練中北海道島松演習場に墜落

山川稔・1尉・昭和33年12月10日・長崎
第二操縦学校所属T-6、訓練中福島県箕輪山に墜落

中村俊英・1曹・昭和33年12月10日・鹿児島

諸隅武夫・3曹・昭和33年12月11日・佐賀

村上忠敏・1尉・昭和34年1月2日・大分

高橋光雄・士長・昭和34年3月11日・秋田

藤原敏之・1尉・昭和34年5月4日・岡山

土井幸信・2曹・昭和34年5月19日・東京
第三操縦学校所属T-33A、訓練中築城飛行場外に墜落

今石琢造・1尉・昭和34年6月5日・福岡
第一航空団所属、F-86F、訓練中松島飛行場に墜落

桐原健男・1曹・昭和34年7月3日・宮崎

坂本誘・3曹・昭和34年7月3日・山口

弘川勝信・2曹・昭和34年7月22日・佐賀
第16飛行教育団所属T-33A、訓練中宇部沖に墜落

渡辺昶夫・3曹・昭和34年8月17日・栃木

山本哲夫・3曹・昭和34年9月5日・栃木

藤田明・士長・昭和34年9月26日・茨城

鶴田茂・1佐・昭和34年10月5日・鹿児島
第二航空団所属F-86F、2機、訓練中空中接触
によって三沢沖に墜落

山本秀成・3尉・昭和34年10月5日・鹿児島

脇信良・士長・昭和34年11月30日・鹿児島

白善誠一・1曹・昭和34年12月23日・京都
第一航空団所属F-86F、訓練中静岡県安倍郡山中に墜落

吉田博昭・1曹・昭和34年12月24日・新潟
第四航空団所属F-86F、訓練中金華山沖に墜落

井島直次・技官・昭和34年12月30日・静岡

木暮辰雄・1尉・昭和35年5月9日・群馬

平原良彦・2尉・昭和35年5月24日・鹿児島
第14飛行教育団所属T-6、夜間訓練飛行中海上に墜落

米谷哲雄・1尉・昭和35年6月29日・北海道
第一航空団所属F-86F、射撃訓練中熊野灘に墜落

鈴木義英・1尉・昭和35年8月4日・東京
第一航空団所属T-33A、訓練飛行中愛知県下に墜落

三崎義信・1曹・昭和35年8月16日・熊本
第一航空団所属F-86F、2機、編隊飛行訓練中
空中接触によって遠州灘に墜落

2017年5月17日 (水)

ブルーローズ

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何年か前に作った、ブルーローズと
スプレーバラとアイビーとカスミソウのアレンジ。

アイビー(ヘデラ)はいつでも使えるように、
何種類か庭に生えているので、それを引っこ抜いて使います。
ブルーは色を合わせるのがとても難しい。

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流木をちょっと使うと荒々しくなってかっこいい。
流木は熱帯魚を扱うペットショップとかに売ってる。
田舎なら川で拾ってくる。

2017年4月28日 (金)

訃報

元海軍中尉で、九九艦爆・彗星などのパイロットとして
活躍されました、杉浦善義さんがお亡くなりになりました。
 
杉浦さんは海兵73期、百里空で特攻隊を編成中、終戦を迎えました。
先に逝った戦友と再会されている頃でしょうか。
 
心よりご冥福をお祈り致します。

2017年4月 8日 (土)

靖国神社と神雷桜

Imgp7492

Imgp7361

靖国神社の標本木が満開を宣言した翌日、行ってきました。
 
こちらの神雷桜は第721海軍航空隊(神雷部隊)の戦友会が戦後

植樹したもので、神楽殿の南側と合わせて二本残っています。
 
「春の梢に咲いて会おう」
 
パイロットの方々は、
出撃前、戦死したら、靖国神社の門を入って
二本目の桜の木で
待ち合わせしようと申し合わせたそうです。
それがこちらの神雷桜です。

Imgp7418

Imgp7399

桜の木の寿命は短いもので、既に神雷桜は老木です。
今後の維持が課題になってきています。

Imgp7439

Imgp7493 
こちらは神楽殿北付近の桜。標本木の満開宣言があっても
全体的にはまだ3分咲きくらいでしょうか。標本木はやや早めなので
物足りない方は、少し時期を遅くすると良いかもしれません。
 
境内は大勢の花見客で賑わって
外国人の方も大勢訪れておりました。

Imgp7502 
遊就館で甲冑と刀剣の催し物が開催されており
刀剣女子で賑わっていました。

Imgp7520

こちらは歩道橋を渡って、お隣の千鳥ヶ淵の桜。
見頃を迎えていました。

2017年3月25日 (土)

赤城と零戦

赤城と零戦

お待たせしておりました、赤城を発艦する零戦、撮影しました。
赤城製作はラプター氏。零戦製作は神雷工房様です。
モデルのAI-103号機は赤城戦闘機分隊士の指宿正信大尉機としました。

赤城と零戦

赤城も細かい部分まで作り込まれています。
詳しくはこちら

20172

Imgp3387

Photo

1/700スケールの赤城に1/48の零戦を搭載したので
ネタバラシをすると元々はこんな感じ。

Imgp7133

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他のアングルでも色々撮影できそうです。
ラプター様、神雷工房様、ありがとうございました!

2017年3月22日 (水)

1/700の空母に1/48の九九艦爆を無理矢理のっけてみる

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先日の飛燕の撮影ついでに江草少佐の九九艦爆も撮ってました。
実際は蒼龍搭載機なので、艦橋を無理矢理反転させて
それっぽくしてます。練習ということで、本番は零戦でやります。

2017年3月19日 (日)

予科練平和祈念館

Imgp2379

茨城県阿見町にある霞ヶ浦海軍航空隊ゆかりの地、
予科練平和祈念館へ立ち寄りました。

二度目の訪問です。
 
零戦の実物大模型が完成したと聞いており、
ずっと見たいと考えてました。
 
平日の午前中だったので、見学者は私だけでした。
 

Imgp2382

隣に零戦用格納庫が新設されています。

Imgp6580

零戦21型の実物大模型です。優美なスタイリングに
明灰色が映えます。

Imgp6583

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格納庫の際には立ち入り禁止のロープが張ってあるので
この角度からのみの撮影です。後ろ側に回って見たいのですけど。

Imgp6581

天気の良い休日には、こんな感じで
手前に引き出して展示してくれているそうです。

Imgp2375 
説明版。

Imgp6593

Imgp6594 
回天艇のレプリカも新しく展示されていました。
 
建物の中は撮影禁止なので紹介できませんが
解り易く充実した展示です。
 
今度は晴れた日の休日に行きます!

2017年3月 6日 (月)

彗星(二式艦偵)

彗星艦上爆撃機(二式艦偵)

この週末は大阪と東京でそれぞれ
彗星の搭乗員だった方、お二人にお目にかかってきました。
そのときお借りした写真ですが、
(昭和18年頃、ラバウル基地にて出撃前)
 
着色して、お渡ししたら喜んでくれるかな・・・と少し考えて
ざっくり染めてみたところです。よりリアルに
するため、細部の塗り分けをしますので、
もうちょっと時間がかかります。
 
ところで、今月いっぱいをもちまして、
こちらのブログの契約が終了となりまして、
更新継続するか否か、検討しています。
サーバーのレンタル費が年間5万円ということもあり、最近は
体調も芳しくなく、ゆっくりした時間もあまり取れず、
更新もできないので、継続するか悩ましいところです。

2017年2月17日 (金)

飛燕の新作

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要望のあった新作「飛燕」Tシャツデザイン出来ました。
244戦隊仕様です。
シルクスクリーンだと使える色は1色~2色だけなので
表現が難しいですが、それがまた楽しいです。
 
こちらはただいま販売に向け準備中です。
 
地道に戦車も描いております。90式戦車出来ました。
これで現用の陸上自衛隊の戦車はコンプリートです!

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戦車の素材配布ページへ

2017年2月 5日 (日)

田中三也さん(彗星搭乗員)インタビュー

Photo

今日は「彗星」の搭乗員で元海軍少尉の田中三也さんに
インタビューさせて頂きました。田中三也さんは
二式艦偵(彗星偵察機)に搭乗し、あ号作戦で三度の
挺身偵察を成功させた方です。

 
挺身偵察とは「強行偵察」のことです。彗星の機動力を活かし、
敵基地港湾に進入。
熾烈な敵艦船の弾幕の中を超低空で突っ切り、
敵艦の写真を撮りまくりながら、追尾して来る敵戦闘機を振り切るという
凄まじいお話でした。

  
田中さんは昭和20年には343空で彩雲にも搭乗されておりますが
 
「私は彩雲と彗星、どちらの飛行機がいいかと聞かれたら、
彗星がいいですねえ 
小回りも利くし、良い飛行機でした」
 
と仰っていました。

また、田中さんは南太平洋海戦では重巡「利根」乗組みで
索敵機で空母ホーネットを発見した、そのご本人でもあります。  
 
このお話も少しずつ書き起こして参ります。
 
模型製作協力:神雷工房様

2017年1月16日 (月)

東京とびもの学会に参加します

Photo_2
3月12日に東京で開催される「東京とびもの学会」にサークル参加
させて頂きます。
 
東京とびもの学会とはどんな催しかというと、
以下公式サイトより抜粋します。
 
---------- 
東京とびもの学会は、空や宇宙に関する事で有れば基本的にどのようなものでも
対象にする自主企画展示・同人誌即売会を中心としたアマチュアファンイベント
です。
 
中心は、飛行機(航空機)、ロケット、人工衛星など、通称「航空宇宙または宇宙
航空」とよばれるジャンルです。
 
大規模オールジャンル系の即売会では、航空宇宙関連の参加者は、メカ・ミリタリ
ー、評論、アニメ、SF、さては旅行に写真系に創作分野まで分散しています。
 
東京とびもの学会は、取り扱い範囲をいわゆるメカミリ系同人誌のみにとどめず、
旅行記、航空祭レポートや写真集、大学等の活動案内、手持ちのグッズや情報
の集中展示に実演パフォーマンスなどまでを含め、航空宇宙に興味がある人が
楽しめるモノであれば広く募集し、そういった中であたらしい出会いや楽しみを
見つけ育むためのイベントです。
---------- 
 
以上です。
 
アマチュアもプロの方も多く集まります。もちろん
出展せず、見に来るだけでもOKです。
また、販売以外でも自身の模型を展示したりと、航空宇宙ファンには
盛り上がる事間違いなしのイベントです。

2017年1月15日 (日)

零戦21型紙飛行機発売

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紙飛行機屋さんの新作です。
1/48スケール、零戦21型の紙飛行機販売開始しました。
待望の零戦21型。空母瑞鶴搭載機です。 
 
 
当キットは、製作者である紙飛行機おじさんが設計デザインをはじめ、
何度も試作を重ね精度を高めておりますので、
とても作りやすいキットとなっております。
 
素晴らしい3D造形は模型として飾っても
満足いただける仕上がりです。
 
子供さんから大人まで幅広くお楽しみ頂けます。
1袋に2機入っておりますので、失敗しても安心です。(2袋で送料無料となります)
ぜひこの機会にお求めください。
 
 

※空母は付属しません
  
販売ページへ
 
 

A4

※1パッケージに2機入り、内容物見本。

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完成例見本
 
ミュージアムショップ様向けに卸売も可能ですのでロッド数をご相談ください。

2017年1月12日 (木)

中島飛行機ステッカー補充

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Photo

好評頂いている中島飛行機ステッカーを補充しました。
微細なデザインなので、ひとつひとつ手作業で製作しています。
スバル車オーナーの皆様、いかがでしょうか。

  
中島飛行機ロゴについてはこちらの記事もご覧ください。
   
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ホワイト)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ホワイト)

2016年12月30日 (金)

藤本速雄さんご逝去

零戦パイロットの藤本速雄さんが
12月28日にご逝去されました。
 
本日30日が告別式の予定ですが、
どうしても松山市まで足を運ぶことができず
最後のお別れが出来ないのが残念でなりません。
 
最後に藤本さんにお会いしたのが、つい先々週の事でした。
笑顔で手を振ってくださったことを思い出します。
 
そのご様子から察するにもう長くはないのかもしれない、と
覚悟はしていたのですが、本当に辛く悲しく耐えがたい気持ちです。
 
心よりご冥福をお祈り申し上げるとともに、靖国神社で
戦友の方々と再開されることを願っております。

2016年12月26日 (月)

ゼロ戦(零戦)21型と52型の違い

零戦21型と52型の違い

ありそうでなかった、このイラスト比較図。
描き上がりました。

 
21型と52型の一番の違いは細かな点まであげると大変なので
ゼロ戦をよく知らない人でも理解しやすい、大きな変更点のみを記しました。
 
一番の特徴は21型で12メートルあった翼の長さが
52型では1メートル短くなって、
11メートルになったこと。
エンジンを21型の栄一二型から52型は栄二一型に換装したことで
馬力アップしましたが、
機体重量が増えています。
翼を短くして機体が重くなったことで、小回りがきかなくなりましたが
スピードは出るようになりました。
 
次は32型や52型丙を描きます。

2016年12月24日 (土)

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング一覧を作成しました。
 
原則的に一航戦は赤城が赤一本、加賀が赤二本、
二航戦は蒼龍は青一本、飛龍は青二本、
五航戦は翔鶴白一本、瑞鶴は白二本となっております。
 
なお、尾翼のラインと色は分隊長ごとに異なるので
ここでは一例を描き、法則は無視するものとします。

2016年12月19日 (月)

西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる

西開地重徳のお墓

西開地重徳(にしかいちしげのり)一飛曹(戦死後少尉)
米国では最も有名なゼロファイターである。
 
今回は今治市で西開地少尉のご遺族である、実の弟さんに
お目にかかり
様々なエピソードを伺った。写真はお墓参りの様子。
 
昭和16年12月8日、

西開地一飛曹は真珠湾第二波攻撃で空母「飛龍」より飛び立ったが
戦闘中に被弾。帰還の見込みを絶たれる。
 
「被弾して
機動部隊に帰還できる見込みが
無くなった場合
ニイハウ島に不時着せよ」
 
真珠湾攻撃参加のパイロットには、あらかじめ以上のような

取り決めが成されていた。そしてニイハウ島には搭乗員救助の為の
潜水艦が浮上する計画であった。
 
西開地一飛曹はこの約束に従って、被弾したゼロ戦を
操りニイハウ島への不時着を成功させる。
ここで潜水艦を待つはずが、待てど暮らせど、潜水艦は来ない。
 

西開地重徳

これが後に
「ニイハウ島事件」と呼ばれる、現地住民を巻き込んだ
不幸な事件に発展してゆく。
ニイハウ島事件に関しては様々な説があるので、ここでは割愛する。
 
真珠湾攻撃前、西開地一飛曹は佐伯へゼロ戦を空輸する際、
ちょうど波止浜(現・今治市)の上空を飛行し、
実家の上空で旋回したが、これが最後の別れとなった。
 
西開地重徳、米国では最も有名なゼロファイターである。
  
現在、西開地の零戦は、真珠湾フォード島のアメリカ
海軍基地内にある
「太平洋航空博物館」内に展示されている。



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(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

【紫電改パイロット笠井智一さんのお話】
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【「翔鶴」「隼鷹」零戦隊パイロット増山保雄さんのお話】
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【一式陸攻搭乗員天野さんのお話】
(1)一式陸攻のイロハ(クルーの役割)
(2)東京初空襲とミッドウェイ海戦
(3)ソロモン海戦水面スレスレでの雷撃敢行

【飛燕パイロット竹田五郎さんのお話】
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