2017年1月13日 (金)

東京オートサロン2017キャンギャル・コンパニオン編

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東京オートサロン2017に行ってきました。キャンギャル編です。

2時間だけダーーーーっと見て写真撮って帰ってきました。
 
会場は場所によって暗かったり明るかったりと
光りの具合が全然違うので調整が難しいですが
綺麗に撮れると嬉しいです。
一番上のズズキのがキャンギャルさんと車がバランスよく撮れました。
 

キャンギャルさんの他に車の写真もいっぱい撮ってきましたので
あとでアップします。
 
参加された皆様お疲れ様でした!
取り急ぎ金曜日の報告でした。
 

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次は車の写真に行きます。

2017年1月12日 (木)

中島飛行機ステッカー補充

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好評頂いている中島飛行機ステッカーを補充しました。
微細なデザインなので、ひとつひとつ手作業で製作しています。
スバル車オーナーの皆様、いかがでしょうか。

  
中島飛行機ロゴについてはこちらの記事もご覧ください。
   
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ホワイト)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ホワイト)

2017年1月10日 (火)

スマートフォンページのCSS修正

スマートフォン向けページの修正を行いました。
これでたぶん、パソコンと同じように閲覧できるはず・・・ですが
スマホを持ってないので確認できず、すみません。
 
不具合などありましたらお知らせ頂けましたらありがたいです。
 
スマートフォン用メニュー
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/1999/01/post-c7e8.html

2017年1月 9日 (月)

長寿訓

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長寿訓というのがマイブームなので、掛け軸風にデザインしてみました。
(と言っても背景は買ったものですけど)
こういった日本の古きものが大好きです。
  
◇還暦(かんれき)    六〇歳でお迎えが来たら「只今、留守」と言え
◇古希(こき)    七〇歳でお迎えが来たら「まだまだ早い」と言え
◇喜寿(きじゅ)   七七歳でお迎えが来たら「急ぐな老楽はこれから」と言え
◇傘寿(さんじゅ)  八〇歳でお迎えが来たら 「何の、まだまだ役に立つ」と言え
◇米寿(べいじゅ)  八八歳でお迎えが来たら「もう少し米を食べてから」と言え
◇卒寿(そつじゅ)  九〇歳でお迎えが来たら「そう急がず共、良い」と言え
◇白寿(はくじゅ)   九九歳でお迎えが来たら「こちらからボツボツ行く」と言え
 
まだまだ続きがあります!
 
百寿(ひゃくじゅ)=100歳
茶寿(ちゃじゅ)=108歳
皇寿(こうじゅ)=111歳
大還暦(だいかんれき)=120歳

紙飛行機販売

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イベントで紙飛行機屋さんの1/48紙飛行機を委託販売させて頂きました。
紙飛行機屋さん、いつもありがとうございます。
 
新作は冬コミで登場した零戦21型岩本機。
通信発売も近日中に開始します!

2017年1月 8日 (日)

なんでロシアの飛行機は変わっているのか

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同じ用途の飛行機でも、アメリカとロシアではまったく形が違うのは
なぜか。それは進化の歴史が土台から違うからです。

写真はロシア空軍の哨戒機ツポレフTu-95です。外国軍機が

頻繁に日本の領空へ来襲し、航空自衛隊機がスクランブルを行っていますが
この飛行機がその、ひとつの正体です。Tu-95は
もともとソ連時代に設計された戦略爆撃機で
ロシア語でТу-95トゥー・ヂヴィノースタ・ピャーチと呼称します。
(この機体は二重反転プロペラ機です。
二重反転プロペラについてはまた別に書きます)
 
この飛行機を見て、日本人は変わった形をしているなあ
と思うかもしれません。
 
別々の進化を遂げてきた東西の機体は、現在においても
世界各地でライセンス生産等が行われ、アメリカ側とロシア側の
二大勢力となっています。
 
アメリカが組長の親分だとすると、その手下に日本、韓国などがあり
同じ戦闘機を使っています。
 
一方、ロシア親分は手下に中国軍、北朝鮮軍などがおり、
いずれもスホーイなどをベースに少し劣化した飛行機を
使っています。
 
ヨーロッパ組は少し事情が変わっているので、ここでは割愛します。
 
古くはロケット開発で顕著に見られた、東西の違いは
セルゲイ・コロリョフ(ソ連)と、ヴェルナー・フォンブラウン(アメリカ)
の二人の偉大なるパイオニアが存在したことから
別々の道を辿ることになります。
 
科学は突き詰めてゆくと大概同じような形になりますが
それまでの積み重ねがあってのことで、ロシアとアメリカは
例えるならば、二つの巨大な塔を建設する目的は同じでも
基礎から違っているので、てっぺんでは全然別の形のものが出来上がって
それが実に興味深いという話を此処で楽しみたい訳です。
 
もとはナチスドイツでV2ロケット(核ミサイルの原型)を開発していた
フォンブラウン博士は、アメリカへ亡命し、その技術を生かして
サターンロケットを開発し、やがて月へ到達します。 
 
一方、ロシアのコロリョフ博士は人類(ガガーリン)を初めて宇宙に
送ったソユーズロケットの父で、ソユーズは現在でも
ほぼ同じ形で現役。スペースシャトルの退役した現在、
アメリカに代わり、国際宇宙ステーションへのメインの
宇宙船として忙しく働いています。
 
ソユーズは見た目は変わりませんが、
中身はアップデートが繰り返され、別物と云われております。
ロシアという国はハードを長く使う傾向にあるようで、
その完成度の高さは凄いです。
 
そういった具合だったのですが、宇宙開発という分野では1975年7月に
アメリカの「アポロ18号」とソ連の「ソユーズ19号」がそれぞれ
打ち上げられ、宇宙でドッキングし、
「もうこれからはお互い仲よく協力してやりましょう」といって
アメリカとロシアが協力関係になりましたので終わったのです。
かくして宇宙から国境が無くなりました。
 
ところが地球上ではそううまくいかなかった。冷戦が終結しても
戦争はなくならないし、それに伴って、東西の兵器は
別々に進化を続けています。
 
アメリカ親分の戦闘機はFシリーズといって
古くはF4FからF6Fなどのレシプロ戦闘機からはじまって
F4、F15、F16、F35などのジェット戦闘機が開発され
子分である日本にも劣化バージョンが送られてきました。
 

▲アメリカ軍原型のFシリーズ
 
もとをたどれば、ソ連との国境線にあります、我が日本は、冷戦時代に
アメリカだけでは極東の防衛が難しくなったので、航空自衛隊を発足し
 
「忙しいんだから、お古の戦闘機をくれてやるから日本はこれで
新しく軍隊を作って戦いなさいよ」
 
とアメリカ親分にもらったものですが。
 
一方、中国、北朝鮮など共産・社会主義各国はロシア(ソ連)親分に
お古の戦闘機をもらっていました。
 
アメリカではFシリーズにあたるメインの戦闘機が
スホーイ(su)シリーズとなります。

▲ロシア軍原型のスホーイシリーズ。 
 
見た目が全然違います。
 
このページの最初でツポレフを掲載して、なんでロシアの飛行機は
変わっているのか、という話をしましたが、当然、ロシア組長から
見ればアメリカ組長の飛行機は「ケッタイな格好している」という感想を
持つに違いないでしょう。
  
政治的なお話は抜きにして考えることにしたいです。
航空ファンは、純粋にメカの進化という視点から見れば、
とても興味深く話が尽きないです。
 
ドイツと日本も戦中は独自に、優秀な飛行機を開発していたのですが
終戦に伴うアメリカの進駐とともに、ドイツも日本も、
技術はぜんぶアメリカのものになりました。
 
フーゴー・ユンカース博士の技術も中島飛行機の糸川英夫博士の技術も
ぜんぶです。悔しいですが、戦争に負けるとはそういうことです。 
 
中島飛行機出身の糸川博士は
戦後宇宙開発に携わりますが、その話も今度したいですね。 
 
こういう話題を話せるオタク仲間が近くにいないので、
少しだけここに書きました。
  
画像購入先 Shutterstock

2017年1月 7日 (土)

一歩前進

膨大な量の取材の録音データなのですが
悩んだ末、プロにテープ起こしをお願いすることにしました。
1時間1万5千円~2万円ほどかかるのですが、
効率化を図る為、決断しました。
 
ここまで来るのに多くの方々の尽力を賜っております。
 
日頃から私のコーディネートをしてくださっているY氏などは
寝る間を惜しんで、私の取材が円滑に進むよう、戦友会など
あちこちに出向いては、根回しや交渉をしてくださっています。
そういった方の気持ちを背負っているので、期待は裏切れないのです。
 
これでなんとか、書籍化に一歩、前進です。

2017年1月 4日 (水)

F-2とF-35エンブレムステッカー試作

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以前作成したデータを元にエンブレムを試作してみました。
F-2とF-35の二種類です。好評だったらイベントに出そうかなと
考えております。

2017年1月 3日 (火)

自分の体が三つくらい欲しい

『陸海軍航空戦記』(仮)の出版予定ですが
なんとしてでも今年中に出版できるよう頑張ってくれ、と
コーディネーターの方から励ましのメールがありました。
 
こうした作業はもちろん仕事の合間にやっています。

膨大な取材音声の書き起こしがなかなか終わらない状態でして
それが終わったら今度は資料との照らし合わせる作業、校正などがあり
ますが、今年中に出せるかどうか、体が三つくらいあれば良いのですが
なかなか厳しいです。
 
しかし、「やればできる」と言われておりますので
より一層の奮励努力でこれを頑張ります。

2017年1月 2日 (月)

モバイルフレンドリー化

年末の改修工事で行った作業のひとつが
サイトのモバイルフレンドリー化(スマートフォン対応)でした。
いまは殆どの方がスマートフォンでご覧になるので
スマートフォンで見やすいように改修工事を致しました。
(旧バージョンはパソコンの画面と同じように表示されていたので
不便だったと思います)
 
でも私はスマートフォン持っていないので
どのように見えるかわかりません。見やすいといいんですけれど・・・。

新年さっそく京都へ行きます

1月11日は京都へ参ります。
元搭乗員の方のお話しを伺う予定ですが、
せっかく京都へ行くので何か珍しいものないかな?と探しております。
大阪や兵庫までは足を延ばします。
 
そして最近見つけたこの本
『零式艦上戦闘機図面集』

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海軍航空技術廠の本物の図面を集めた本のようです。
これがあれば全部の型式の零戦が精度よく描けるのですが・・・・
高い。3万円近くします。新品でも1万9千円だそうなのですが
手に入れたい一冊です。

74式戦車できました

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74式戦車シルエットのフリー素材できました。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2016/10/10-232e.html
 
さっそくステッカーの試作を行いました。
履帯のギザギザ部分がカッターの刃がひっかかりやすく
苦労しましたが調整してなんとか出力できました。

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あとは90式戦車が揃えば陸上自衛隊の戦車はコンプリートです。
頑張ります。

2017年1月 1日 (日)

開聞岳の初日の出

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2017年(平成29年)元旦のダイアモンド開聞岳です。
鹿児島在住の有田直史氏が撮影して送ってくれました。
 
枕崎で初日の出見てから農免道路を知覧へ走れば必ず
見られる景色だそうです。

 
有田直史撮影

平成29年元旦

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あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2016年12月31日 (土)

お陰様で

お陰様で今年も無事に一年間を過ごすことができました。
これも日頃よりお世話になっている皆々様方の
お力添えあっての事です。心より感謝申し上げます。

 
来年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

本日ブログの大幅改修を実施中です

本日12月31日、ブログの大幅改修を実施中です。
 
各コンテンツはそのままですがサイドバーやリンクのレイアウトが
変更となります。作業中は記事の表示がやや不安定になりますが
ご容赦ください。ブログタイトルも新年より

『南溟の桜』より『空のカケラライブラリ』に変更させて頂きます。

 
内容は航空関係、戦記がメインですが、来年からはそれ以外にも
様々なジャンルに渡って記事を書いていきます。
 
皆様、よいお年を!

2016年12月30日 (金)

藤本速雄さんご逝去

零戦パイロットの藤本速雄さんが
12月28日にご逝去されました。
 
本日30日が告別式の予定ですが、
どうしても松山市まで足を運ぶことができず
最後のお別れが出来ないのが残念でなりません。
 
最後に藤本さんにお会いしたのが、つい先々週の事でした。
笑顔で手を振ってくださったことを思い出します。
 
そのご様子から察するにもう長くはないのかもしれない、と
覚悟はしていたのですが、本当に辛く悲しく耐えがたい気持ちです。
 
心よりご冥福をお祈り申し上げるとともに、靖国神社で
戦友の方々と再開されることを願っております。

2016年12月28日 (水)

ハードディスクも大掃除と

たくさんの誕生日お祝いメールありがとうございます。
必ずお返事します。
安倍晋三首相の真珠湾慰霊の旅でここ2、3日大ニュースになってますね。
 
全然時事問題に触れないブログで申し訳ありません。
真珠湾関連の記事があるためか、ここ数日、ブログの
アクセス数が4~5倍に跳ね上がってびびっております。
特に安倍さんが飯田房太大尉の慰霊碑を訪れたことが
大きかったようです。

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おとといも報道各局から電話が
リンリンリンリンかかってきて
「真珠湾攻撃の生き残りがいたら紹介してください」だそうな。
 

もう誰もいません!亡くなりました!
って言ってしまったですよ。うおおお!すみません!
ワタシ嘘つきました!
正しくは、直掩隊の方ならお一人だけいらっしゃるのですが
報道関係はお断りしております。
 
報道の方も一生懸命お仕事してるのに 
ごめんなさい!!!
 
 
相変わらずマイペース、静かな年末を過ごしております。
ハードディスクも大掃除と、写真を見返していたら出てきました。 

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数年前に製作した「晴嵐」の洋上迷彩バージョンです。
クレオスのミスターカラーからF-2用の洋上迷彩カラーセットが
発売されておりますので
それを使いました。
艶消しの吹き具合でだいぶ色合いが変わるので
気を付けました。日の丸は手抜きでデカール。
  
だから説明書きはちょっと嘘というか、架空戦記になってますね。
これしかなかったので、すみません。
 
また面白い写真出てきたらアップします。

2016年12月26日 (月)

ゼロ戦(零戦)21型と52型の違い

零戦21型と52型の違い

ありそうでなかった、このイラスト比較図。
描き上がりました。

 
21型と52型の一番の違いは細かな点まであげると大変なので
ゼロ戦をよく知らない人でも理解しやすい、大きな変更点のみを記しました。
 
一番の特徴は21型で12メートルあった翼の長さが
52型では1メートル短くなって、
11メートルになったこと。
エンジンを21型の栄一二型から52型は栄二一型に換装したことで
馬力アップしましたが、
機体重量が増えています。
翼を短くして機体が重くなったことで、小回りがきかなくなりましたが
スピードは出るようになりました。
 
次は32型や52型丙を描きます。

2016年12月25日 (日)

52型の下絵

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52型の下絵もできました。
昨日の21型と合わせて、まずは定番の二種類を揃えたところです。
これから色塗りに入ります。これをベースに52型丙なども色々描いていきます。

2016年12月24日 (土)

アメリカ軍の騒音対策をマネしてみた

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Amazonで購入したこちらの品物は
アメリカ軍でも使っている軍用耳栓。(ナスカーって書いてあるけど)
普通の耳栓より格段に性能が良いそうです。 
 
硫黄島派遣の際に、航空自衛隊のC-1かC-130に乗るのですが
耳栓必須です。その上、自衛隊の宿舎での共同生活で
避けられないのがイビキの問題です。イビキの大きい人だと
睡眠不足で困っていたのですが、これで大丈夫です。

 
戦友のイビキで睡眠不足になったら満足に戦えませんもんね。
さすが、アメリカ軍の備えは完璧でした。
 
この耳栓に加え、
ダメ押しでノイズキャンセラーヘッドフォンを併用すると 
ほぼ無音になります。寝返りを打てないのが欠点ですけど。
さすがに軍用は手に入らないので、民間用最高品質のオーディオテクニカです。

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この組み合わせは最強でサーキットの撮影でも使っています。
サーキットの爆音も、耳栓とヘッドフォン越しに聞こえる事は聞こえるのですが
だいぶまろやかになりますので、リラックスして撮影できます。
 

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オーディオテクニカといえば、ノッチホンですね。

21型作画中

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21型を作画中です。
下絵が終わったのでこれから色塗りです。

戦友会でクリスマス会

先日の戦友会では、ささやかなクリスマス会を行いました。
有志の方が有名なケーキ店のケーキを並んで買ってきてくれたのです。
それをみんなで食べて、年末に備え英気を養いました。

 
クリスマスというと、敵性文化のように思われるかもしれませんが
昭和19年公開の映画『加藤隼戦闘隊』をご覧ください。
総員食事のシーンで、食堂内に煌びやかなクリスマスツリーが
鎮座しております。
 
映画にならって、
難しいことは抜きにして楽しめることは楽しむのがモットーであります。

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング

真珠湾攻撃隊(零戦)マーキング一覧を作成しました。
 
原則的に一航戦は赤城が赤一本、加賀が赤二本、
二航戦は蒼龍は青一本、飛龍は青二本、
五航戦は翔鶴白一本、瑞鶴は白二本となっております。
 
なお、尾翼のラインと色は分隊長ごとに異なるので
ここでは一例を描き、法則は無視するものとします。

2016年12月22日 (木)

最後の一兵まで踏ん張りました

私が代表代行を務めます、師団の戦友会を来年で
閉会することとなりました。ここ数年で、戦友会員がお亡くなりになったり、
体調不良につき、外出ができなくなったりということが重なり
参加者が減ってきていたのです。
 
しかし、有志の協力でお陰様をもちまして当初の
お約束通り、最後の一兵まで頑張り抜きました。
 
本当に最後の一兵まで頑張ったので、
走り切った感じもしますが、高齢化には勝てずやはり悲しいです。
ひとつの時代がこうして終わっていくんだなと、感じます。

2016年12月20日 (火)

しまなみ海道

しまなみ海道

松山滞在最終日、飛行機まで少し時間があったので
松山在住の友人の車でしまなみ海道を行けるところまで行ってきました。
 
写真は(夏の写真ですが)来島海峡です。
画面奥が今治です。造船所のクレーンがあります。

真ん中の島が馬島。出入り口がありますが島民専用です。
 
右奥の島が小島。以前、見学した小島要塞です。
 
今治からですと、この先、大島を過ぎて、次の島が
伯方島。有名な伯方の塩の産地です。
次が大三島、生口島まで行ってきました。ここから先は広島県でしたが
時間切れでUターンしてきました。次は呉まで行きたいです。

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衣服による時代考察

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昭和18年9月20日の航空記念日
所沢の陸軍飛行学校にて撮影された写真です。
 
写真の左端が遠藤三郎陸軍中将で航空士官学校長の
御令嬢、その左、頭にリボンを着けているのがヒラセンレースの
御令嬢で、その左側が老舗デパートの御令嬢です。
取材した詳細なメモが年末のゴタゴタで埋もれてしまい
出てきたらちゃんと書きます。

  
この写真そのものは遠藤中将の御令嬢より頂戴して掲載許可を頂いた
ものです。もう一枚、お嬢様方を正面から写した写真もありますので
今度またスキャンしておきます。

 
パイロットの方々は、陸軍士官学校の空勤者と思われますが
詳細はわかりません。中将のお嬢様おっしゃるに、おそらく後の
振武隊(特攻)で戦死されたのではないかということでした。

 
興味深いのがお召し物です。手前の御三方はワンピースでスカートです。
戦時中と雖も、華やかです。とても貴重な資料写真です。
 
私は、戦時を経験された女性に
「いつ頃からモンペに変わったんですか?」と尋ねるのですが
具体的に記憶されている方は少ないです。
  
この写真は昭和18年の9月20日です。和服の左側のお嬢様は
セーラー服ですけどスカートです。
 
女性の装いが簡素化して
いよいよ戦況切迫してきたのが昭和19年の中頃といえます。

サイパン玉砕からが特に顕著です。
比較的裕福な家庭とはいえ、世間体がありますので
公の場所でスカートは履けないと思いますが、どうでしょうか。
 
中将のお嬢様も「昭和19年後半からいよいよだと思った」
という印象だったと語られております。
 
私はNHKの朝の連続ドラマなどを見て、時代考察が
どうだったのかとかよく考えてます。
現代の物差しではかっていないか、超越的でないか、など。
時代考察がきちんと行われていない作品だと
昭和17年代なのに、都市部で超質素な暮らしをしている等
テキトーです。
 
この場所は現在の所沢航空記念公園です。

2016年12月19日 (月)

あなたの顔を私は知らない

個人ブログの衰退が著しい。
その最たる要因はSNSの台頭である。
 
以前は個人ブログを書いていた人たちも殆どが閉鎖して、
ツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどに移行している。
 
SNSに投稿された記事や画像は、他人のタイムラインに表示され
それが興味があっても無くても、とりあえずは他人の目に触れることになる。
これにイイネを押すかどうかはまだ別の問題であるが、
今日、何を食べたとか、どんな些細な事でも、強制的に目に触れるので
「注目されている」「読まれている」「繋がっている」といった
満足感が得られるのである。老若男女、かまってちゃんと言ったら悪いけど
仮にも一億総芸能人時代の到来である。
 
個人ブログが衰退したもう一つの大きな要因としては、こうしたSNSに
投稿された記事や画像が、キュレーションサイト(まとめサイト)に
吸い上げられてしまって、見る方も、投稿するほうも、それが楽チンであり
第一次情報を発信しようという気概が失せてしまったのか、と私は考えている。
 
そんな時代に、こんな個人ブログをやっているのは何者なのか。
自分でもよくわからないが、どうぜ個人研究をするなら
ノートに書いてしまっておくより、誰かの役に立てれば良いと
思ってとりあえず惰性で公開を続けている。
  
事実、このブログには一日に数千から多い時には一万以上のアクセスがある。
多くは検索エンジンからの訪問となっているが、どんな人が見ているのか、
書いている本人にはサッパリわからない。
 
こんなに見てる人がいるのに、イイネ!もコメントも殆どつかない。
SNSとは雲泥の差である。
 
たぶん、「オッケー、グーグル!」で気軽に調べてここへやってきて、
見て、情報が得られたら、それで満足しておしまいなんだと思う。
「オッケー、グーグル!」で来た人へ。あなたの顔を私は知らない。
保証の限りではないけれど、見てくれてありがとう。

 

孤独といえば孤独だけど、自分にはこれが合っているし
これで良いんじゃないかなと考えている。

西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる

西開地重徳のお墓

西開地重徳(にしかいちしげのり)一飛曹(戦死後少尉)
米国では最も有名なゼロファイターである。
 
今回は今治市で西開地少尉のご遺族である、実の弟さんに
お目にかかり
様々なエピソードを伺った。写真はお墓参りの様子。
 
昭和16年12月8日、

西開地一飛曹は真珠湾第二波攻撃で空母「飛龍」より飛び立ったが
戦闘中に被弾。帰還の見込みを絶たれる。
 
「被弾して
機動部隊に帰還できる見込みが
無くなった場合
ニイハウ島に不時着せよ」
 
真珠湾攻撃参加のパイロットには、あらかじめ以上のような

取り決めが成されていた。そしてニイハウ島には搭乗員救助の為の
潜水艦が浮上する計画であった。
 
西開地一飛曹はこの約束に従って、被弾したゼロ戦を
操りニイハウ島への不時着を成功させる。
ここで潜水艦を待つはずが、待てど暮らせど、潜水艦は来ない。
 

西開地重徳

これが後に
「ニイハウ島事件」と呼ばれる、現地住民を巻き込んだ
不幸な事件に発展してゆく。
ニイハウ島事件に関しては様々な説があるので、ここでは割愛する。
 
真珠湾攻撃前、西開地一飛曹は佐伯へゼロ戦を空輸する際、
ちょうど波止浜(現・今治市)の上空を飛行し、
実家の上空で旋回したが、これが最後の別れとなった。
 
西開地重徳、米国では最も有名なゼロファイターである。
  
現在、西開地の零戦は、真珠湾フォード島のアメリカ
海軍基地内にある
「太平洋航空博物館」内に展示されている。

2016年12月18日 (日)

ガルパン(大洗)こんな凄い町おこし見たことない!

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ガールズ&パンツァーで有名になった大洗町視察の第二回目です。
感想を一言で言うと
 
こんな凄い町おこし見たことない!
 
です。びっくりしました。
今回はガールズ&パンツァーの博士であるH氏にガイドをお願いして
見学致しました。
 
まず、鹿島臨海鉄道大洗駅へ向かいます。

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大洗駅到着。
  
まずは、駅舎内にある観光案内所を訪ねます。
観光案内所は午前九時にオープンしますので、ガイドのH氏は
早朝に自宅を出発し、9時ちょうどに到着するよう段取りして
くださいました。午後になると人も多くなってくるのでなるべく早めに
到着するのがおすすめです。
 
観光案内所にはこのような地図が掲示されております。
拡大してご覧ください。

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大洗町商店街にはガルパンのキャラクターが勢揃いであります。
 
全60か所以上!
それぞれのお店ごとに担当キャラクターがあるのです!
 
お店にはキャラクターの等身大パネルが設置されており、メインキャラクターから
名前のはっきりしないマイナーキャラまで揃っています。
これを参考にして好きなキャラクターの居るお店を回る訳です。
一日かければ、全てをコンプリートすることも可能かと思います。
 
そして、それぞれキャラクターの居るお店では
担当キャラクターのオリジナルグッズやノベルティが置いてあります。

Imgp5268

大洗町の町興しの凄いところは、これだけの
お店が全て協力体制にあり、店主のおじいちゃんおばあちゃんまで、
積極的に参加しているところです。
 
これなら引きこもりの人も、健康的かつ社交的になって
出掛けてみようという気概が生まれます。
 
ガルパン大洗町最大の工夫は、
そのお店の普通の商品を買い求めることによって、
グッズが貰えることです。例えば、文房具屋さんなら鉛筆、
乾物屋さんなら干物などを買い求めて、オマケとしてお目当てのキャラの
グッズを貰う、といった具合です。
 
もちろん、お店によってはガルパンそのもののグッズを置いている
ところも多いです。 
 
※地図には劇場版の知波単学園と継続高校が未掲載ですが
デジタルの地図には表示されております。
 

Imgp5288

Imgp5336

上記の例にならって、
スルガヤ薬局さんで買い物して貰った風紀委員@後藤モヨ子のポストカード。
 
これをもらう為に、スルガヤ薬局さんで何か購入するのですが、
それは何でも良いんです。それで店内を探していたら、
店番のお母さんからにこやかに
 
「無理して高いもの買う必要ないかんね」
 
とのお言葉を頂き、一安心。

Imgp5339

こちらはキャラクターの個人名刺。
こちらは購入しなくてもお店の人に「名刺交換してください」と
丁寧にお願いすれば貰えるそうです。

Imgp5321

こちらの商品はカチューシャの担当店で、酒屋さんの
サカゲンさんで買い求めたプラウダ・ウォッカ。2800円くらいかな?
白と銀のラインが描かれ、青いストーンが付いた綺麗なボトルです。
購入したので、カチューシャのバッジを貰いました。(左下)
 

Imgp5263

こちらの食堂は、アニメにも出てくる、さおりん(武部沙織)の肉じゃがが
有名なカワマタさん。H氏、お目当てのお店。早く来ないと売り切れる!
とのことで早朝に出発したわけですが。

Imgp5267

Imgp5265

無事、ミッションを達成したH氏。その場で一個、お土産用に一個を購入。

Imgp5261

今度は、大洗ホテルのロビーにやってきました。
こちらはあんこうチームの天才操縦士、冷泉麻子が居ます。

Imgp5258_2

Imgp5253

Photo 
35番、大久保酒店、阪口桂利奈。桂利奈酒を販売しています。
 

Imgp5269

H氏、今回の最大の目標、50番、新屋酒店へ突撃。
いわゆる推メンの山郷あゆみはうざぎさんチーム。
 
オリジナル商品「山郷のしずく」(梅酒)をゲットしてミッション達成。
山郷あゆみバッジを貰っていました。

Imgp52702_2

ガソリンスタンドにある巨大パネル。

Imgp5254

55番、いそやさんに併設の休憩所に貼られた各種グッズ類。

Imgp5246

大洗磯前神社へ。
こちらはガルパンと艦これの両方のファンが聖地巡礼に必ず訪れる
スポット。もちろん作品にも登場します。

Imgp5250

境内の絵馬が凄い。

Imgp5284

マリンタワーにあるガルパンカフェに移動して昼食。
早く来たので空いていました。

Imgp5271

ガルパンカフェのトイレから望む絶景。
奥が大洗サンビーチ
、手前が波止場。

Imgp5291

ふたたび大洗駅に戻り、ガルパンのラッピング列車を見学します。
 

Imgp5292 
入場券を購入して上下二本のラッピング列車を見学。
 

Imgp5296

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Imgp5298

H氏はこのナースの絵柄が見たかったらしい!因みに
ナースバージョンのグッズは献血しないと貰えないので

なかなかハードルが高いです。
 

Imgp5319

そんな訳で、大洗の視察報告でした。
これらのグッズはあくまで参考資料として購入しました。
決して欲しくて買った訳ではありません。決して。
アンツィオ模擬戦のぴよぴよステッカーどこに貼ろうか悩むなあ・・・。
 
ぜんぶ見られなかったから、また視察に行かなくては。
 
つづく。
 
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西住みほコスプレ撮影

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2016年12月15日 (木)

犠牲の価値

最近在日米軍機の事故で大きな話題になっているので少し書きます。
 
先週は米海兵隊のFA18パイロットの方と航空自衛隊の同じくF-4の
パイロットの方と同じ場所でお話し
する機会がありました。
領空侵犯機への対応など色々な事柄をお聞きしました。
  
パイロットは例外なく勇猛果敢であり、広い広い視野を持っておられます。
日米、双方の意見として
 
「戦死者が出るからやめろ?何をバカなことを言ってるんだ」
 
との由。航空自衛隊に関して言えば、世界一の整備水準を誇る為、
航空機の事故は
少ないです。またそれらを扱うオペレーターの技術も
非常に高いです。
 
一方、米海兵隊の機体は意外とボロボロでオイル漏れが放置されていることも
多いです。だから局地的な戦闘においては日本が優れる場面も多いのです。
簡単に言えば少数精鋭です。
  
しかし、これが大局的観点からすると、実に脆弱でして、
10対10の戦いに於いてクオリティの差で圧勝したとしても
後ろに100の敵増援部隊が控えていたとしたらどうでしょう。
時間・兵站・情報などあらゆる場面から判断したらどうでしょう。
勝てるでしょうか。一人の軍人の戦死者を出さない為に、100人の
民間人死者が出たらどうでしょうか。
 
戦争に巻き込まれたという場面を考えるならば
もっと広い視野で物事を考えなければならないと感じます。
それには過去から現在、未来という時間軸の中で広いスパンをとって
考えなければ
ならないと感じます。有事と平時の境界線など実に曖昧なもの
だと思います。
 
※画像はイメージです。

「探してます」→「知ってます」情報共有掲示板

この頁は調査をされている方の情報共有掲示板と致します。
各種調査にお使いください。検索エンジンから多くの方が訪れますので
何か手がかりがつかめるかもしれません。
 
書込みむ際のお願い
・身内の方で戦没者の調べ方についてはコチラをご覧ください。
・無記名・匿名はご遠慮ください。
・他の閲覧者に配慮が頂けない書込みは予告なく削除します。
・連絡先交換等は自由ですが、個人間のやりとりは当サイトで責任は負いかねます。

2016年12月13日 (火)

パイロットインタビュー

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今回の松山行き一番の目的は、真珠湾攻撃に参加された
ゼロ戦パイロットで最後のお一人となった
伊藤勉さん※(飛龍所属・三直)にお目にかかる為でした。
 
そのほか、真珠湾攻撃でニイハウ島に不時着した(ニイハウ島事件)
西開地重徳一飛曹の弟さんにお目にかかったほか、
 
ラバウル航空隊で名をはせた最年少エース(19歳で19機撃墜で有名)
羽藤一志三飛曹のご遺族にもお話を聞いて参りました。
 
全員が愛媛県の方です。愛媛県には零戦パイロットが多いのです。
記録作業を続けて参ります。
 
※昨年、原田要さんが亡くなってから、真珠湾攻撃に参加された零戦パイトットは
伊藤務さんが最後の生存者となりました。

2016年12月12日 (月)

等身大パネル

Imgp5200

松山空港にAKBの等身大パネルが
三つもあったので撮りました。
 
私はこういった「実物」ものが大好きなんです。
 
最近は性能の良いスマホのカメラも続々出てきていますし
もともと趣味で写真が好きという方もいらっしゃると思いますが
プリントアウトせず、画面で見て満足という方も多いのではないでしょうか。
 
これだけ大きいものを作るには、高い解像度で
色の調整などもして、大変な手間をかけた上で
大きく印刷するからお金もかかるのです。ですが、それが良いと思います。
本気で好きなら、形あるものにこだわるべきです。
とても結構なことだと思います。
 
※左から
AKB48の大森美優、向井地美音、小笠原茉由。

2016年12月 9日 (金)

零戦の関係で土曜日から月曜日まで松山へ行くことになりました。
ジェットスターなので、成田空港から出発で松山まで7000円であります。

2016年12月 7日 (水)

YS-11宇都宮へ定期点検飛行

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2016年12月7日、入間の飛行点検隊のYS-11が
3ヶ月に一度の定期試験で宇都宮へ飛来しました。
自宅の窓から撮影できる距離ですので撮影致しました。

無断転載が多すぎる

このサイトで公開している私のイラストや写真、文章を無断転載されまくって
なんだかもう悲しいやら情けないやらで、泣けてきます。
 
お金なんて取らないし、使うのは構わないけど、
一声、声をかけてくださいと言ってるだけなのに。
 

特に多いのがまとめサイトです。パクった側が
検索上位に表示され、私のオリジナルが埋もれるという有り様、
なんとかならないものか。
 
私は、多くの時間とお金と、たくさんの交渉を経て、
写真を撮っているんです!
 
例えば最も盗用の多い南の島の綺麗なビーチの写真!
旅行系まとめサイトにパクられまくりです。(ごく一例です!)
私はその写真を撮るためにお金を払って長時間飛行機に乗って、
レンタカーを手配して
天気が良い日を何日も待って、
慣れない英会話を駆使してその場所に到達して、涼しげな写真も
ファインダーを覗く側は必死で汗だくです。
 
パクるほうは右クリックで簡単に保存して、現地に行った事も無いのに
記事を書いて「いかがでしたか?」としめくくる!
 

イラストも然りです!
ひどいのになると、ヤフオクでグッズにして売っていたり。
大手まとめサイトがあまりにもひどいので、実は以前に
損害賠償を請求したこともあるんですけど、
「投稿者の責任でサイト運営者は関係ない」で一蹴されてしまいました。
 
そんなに嫌ならインターネットに画像なんかアップしなければいいゃん、と仰る
方が必ずおられますが、それは無茶苦茶な理論です。
盗まれるのが嫌なら品物を店頭に並べるなと言っているのと同じです。
 
繰り返しますが、お金なんて要りませんし、
「使います」と一言だけ言ってもらえればそれでいいんです!
  
あ~~~、言いたいことを言ってすっきりしました。
悔しいですし、もはや手におえない状態ですが、私もこれから
変わらず新しいものを生み出し続けるであろう。
 
この話はこれでおわり!

2016年12月 6日 (火)

再放送予定

無事、放送終了しました。
ご覧くださった方々、ありがとうございました。
再放送予定を追加致しました。
  
NHK Eテレ12月6日午後10時-10時45分放送
NHK Eテレ12月13日午後12時-12時45分放送
先人たちの底力 知恵泉
「ゼロ戦開発の光と影~世界に通用する技術を生むには~」
 
上記の番組内で使われるゼロ戦のイラストを描かせて頂きました。
45分間のドキュメント番組となっております。
万障お繰り合わせの上、ぜひご覧ください。

2016年12月 5日 (月)

西住みほ撮影

西住みほ,コスプレ

都内のコスプレ専用スタジオにて
杏樹ちゃんの撮影を仰せつかりました。今回は
アニメ映画「ガールズ&パンツァー」のみぽりんです。
教室や廃墟など、様々なシチュエーションで2000枚
くらい撮りました。キャラクターになりきるのに
ウィッグの色選びからカラコン、メイクのやり方が
非常に難しいようでした。これから背景にIV号戦車を
組み合わせていきます。

Imgp4341



いろは坂の深夜

いろは坂

日光いろは坂(下り)あ さ き ゆ め み し
 「ゆ」のコーナーで撮影しました。
   
みんカラ投稿企画!愛車と夜景のコラボ写真を投稿してください! 
以上の企画に応募しましたお写真でございます。

2016年12月 1日 (木)

1/18 エリートフォースの零戦21型

1/18 エリートフォースの零戦

1/18エリートフォースシリーズ(BBI社製 ELITE FORCE)の
零戦です。量産品で手に入る限り一番大きな
零戦の模型です。これ以上大きなものはありません。
大きさ比較のため杏樹ちゃんに持ってもらいました。 
 
暗緑色ですが、これは零戦21型です。
機体のカラーリングは虎110号機。
第261海軍航空隊(虎)での内地訓練仕様です。
帯の色は諸説ありますが、これは黄色と白のパターン。
 
製品は彩色済みなので、箱から出して組み立てるだけです。
脚出し、収納いずれか選択可能。またキャノピー(風防)も
開閉選択可。増槽も取り外し可。おまけにパイロットフィギュア付き。
 
物足りないという方には
ディティールアップのベースにもいいかもしれません。
ただ、大きいなりに、既に相当数のリベットが打たれています。
 
一般的なモデルが1/48、あるいは1/32。
昔バンダイから出ていたのが1/24でしたから
それよりもっともっと大きいです。

海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編

中島さんに教わったお話しで、ゼロ戦とはまた違う話ですので
番外編としてここに記します。海上自衛隊黎明期には
技術畑でもたいへんな苦労がありました。
旧海軍の技術士官がメーカーに入って現在の
メーカーの礎を築いたという記録でもあります。
 
以下、中島さんのお話し。
 
---------------------
 
昭和33年頃の話です。私が海上自衛隊に居った頃だったんですが、
あの頃は旧海軍の技術士官の方が、日本無線とか、東芝とか日立製作所とか
メーカーに就職しておられたんですよね。あの頃は技術者が少なかったんです。
 
各メーカーは防衛庁の仕事は儲からんから、やりたがらなかったんですよ。
検査がうるさいしとか言ってね。そういうことでね、我々防衛省側ですからね、
メーカーに「頼むからこれ作ってくれ」と、頭下げて
頼みよったですよ。
そういう時代が昭和30年代のはじめでしたね。
 
それで、メーカーには
旧海軍の技術士官の方がおられるから、
そこへ行って
お願いしますと頼み込んでね。だいぶお世話になりました。
で、そういう関係で、官民仲良く仕事をしようじゃないかという
ことで、会を作りました。
 
そういうことで会で旧海軍の先輩たちとお会いして
いろいろと教えを頂いて、旧海軍はこうだったとかね。
話をよくきいたりなんかもしましたからね。
  
当時、業界との付き合いは
今みたいに線を引いてやる形じゃなかったですから。
 
私が今でも一番憶えているのは、私はもともと海上自衛隊で
パイロット採用でしたが、
それからエレキの勉強して、整備に変わって
それからまた技術の部門にかわったんです。
 
昭和34年、六本木に着任したとき、旧海軍の技術士官の人が
課長だったんです。で、その課長から言われたことが
今でも印象に残っているんです。
 
「おい、お前今までオペレーターだったけれどね、
これから技術幹部になるんだからね、しっかり技術の勉強してくれ」
 
と。それから
言われたことが、旧海軍は海軍工廠ちゅうのを持ってた
わけです。物
を実際に自分たちでつくってたわけです。
だから海軍の技術士官は海軍工廠でも働いてたわけですけどね
行政だけじゃなくて、で実地をよく知っているし
実物がどうやって物ができてくるか知ってるわけですよ。
 
だけど現在の海上自衛隊には海軍工廠がないんだと。
だからね、
 
「メーカーを
海軍工廠だと思え」
 
と。これには僕もびっくりして。
みんなの前でですよ。
  
だから仲良くなれと。

例えば検査にいったときなんかにね、夕方5時になって帰ろうとしたらね、
「御夕食でもどうですか」と言われたらね、誘いに乗れと。
誘いに乗って、一緒に飯を食って、仲良くなってくれと。
友達付き合いをしっかりしてね、そうしないと仕事うまくいかんから。
 
メーカーでもどういう仕事をやっているのか知らんといかんからね。
技術幹部というものは。
昔はそういう勉強の場があったけど
今はないから。
で、会社と仲よくなれと。で最後に言ったのが今でも
忘れられない。ただ、コレ(小指)とコレ(¥マーク)はだめよと。
 
いくらでも飲めと。付き合って仲よくなれと。堂々と言われましたからね。
だから本当に会社から誘われたときは飲んでましたね。
 
当時、私飲めなかったんでね、会社の人も営業も技術の人も
俺をだしにして飲んでるなと(笑)
 
で、家に帰って夕食を食べるときは缶ビールの350のを一本
飲んで、あ、当時は350じゃない。小瓶ちゅうのがありましたかね。
それを一生懸命に飲んで練習したんですよ。
 
悪酔いしないように。そういう古きよき時代でしたね。
だから課長になったら、正月になったらメーカーの人も
ここに私の家に来るし、もちろん会員も2日の夜はここで
集まるようになってましたんで、70~80名
いれかわりたちかわり来て(笑)
 
お酒は買わなくていいんですよ。メーカーの人が
みんな持ってきてくれるから。だから料理だけ用意すれば
よかったんですよ。だからだいぶ世話になったんですよ。ワイフにも。
 
で、現役と会社の人でワイワイやってた。
それが出来た時代ですよね。今はそんなことやったら大問題ですけどね(笑)

2016年11月30日 (水)

10式戦車とIV号戦車Tシャツ新発売

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2016年11月29日 (火)

青木中尉の雷電

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デジタルライブラリに新しく画像を追加しました。
青木中尉の雷電です。

2016年11月25日 (金)

撮影に行ってきました

女子高生

女子高生

 
この度はネットアイドルの
杏樹ちゃんのカメラマンを仰せつかり
スタジオで撮影してきました。
 
本人の許可を頂戴しまして
ほんの少しだけ掲載させて頂きます。
 
撮影お疲れ様でした!
今後ともよろしくお願い致します!

女子高生と車

女子高生と車

車を運転する女子高生 
P.S
車も使って撮影しました。というのも、杏樹ちゃんマニュアル車大好き。
モータースポーツファンで、夢は赤い跳ね馬(もちろんHパターンの
マニュアル)
に乗る事だそうです。
 
------------------

こういう感じで様々な状況で撮影承っております。人物も頑張ります。
年齢問わずモデルさん募集中であります。

2016年11月24日 (木)

中島又雄中尉(零戦パイロット)B-29との戦い

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今回は零戦パイロットで元海軍中尉の中島又雄さんに
お話を伺いました。主にB-29との空戦の模様をお聞きして参りました。
以下、中島又雄さんへのインタビューです。
 

◆海軍兵学校~霞ヶ浦航空隊で飛行学生卒業
  
海軍兵学校のクラスメート73期というのは大まかに言うと全部で
900名なんですよ。その内、船が400名、飛行機が500名と
別れたんですよね。
戦死者は船が180名、飛行機160名かな。
あんまり変わらないんですね。
 
船は練習艦隊が昔はあったけれども
そのまま実戦配置ですよね。昭和19年3月に卒業して
戦死第一号が翌々月の5月ですよ。
 
それに比べると飛行機は、半年しか戦争してないんですよ。
私が実戦に出たのが昭和20年5月末からですけれどね。
飛行学生を卒業したのが昭和19年の3月なんです。
飛行機は全部で丸一年間。そのうち半年が赤とんぼ、あとの半年が
実用機のゼロ戦ということで、飛行機の卒業が終戦の年の3月なんです。
だから簡単に言うと船は一年半。飛行機は半年しか戦争してないんです。
 
そういうことで、私たちは赤とんぼを半年、ゼロ戦を半年やりますから一応、
操縦できるようになってます。
 
◆第332海軍航空隊着任~対超重爆戦に備える
 
第332海軍航空隊に行きましたら八木勝利中佐に
「お前たちは使い物にならん」
と言われまして
実戦には上げてもらえなかった。
 
司令から見れば練習航空隊から出たてですから。
終戦まであまり実戦に出してもらえなかったクラスメートも居ますね。
例えば厚木の航空隊には10名近く行ったんですけどね
実戦にあがってないですね。
先輩達や予科練出身者が居ますから。
私が着任した晩に司令にあいさつしたら
 
「お前たちは使い物にならんから岩国で再錬成だ」
といって岩国へ行きました。
 
2月28日に卒業して三月一日に中尉になって第332海軍航空隊に着任したと。
それですぐに岩国行ったんです。
 
岩国での再錬成は二ヶ月半ほどでした。
というのもですね、この零戦の実用機で筑波で
訓練したのはいわゆるこれなんですよ。ドッグファイト。
いまの言葉で言うとドッグファイトと言いますかね。
その訓練をやってたわけですよ。
 
零戦はそれがとても優秀な飛行機でしてね、
グラマンのF4Fと空戦をやるのだったら完全にこっちが強かったんですよ。
旋回半径が小さいんですね。渡りあうと旋回半径小さいからすぐ敵の後ろに
入れる。
そして後ろから攻撃できるからですね。
実際の訓練も筑波ではドッグファイトばっかりやっていたんですよ。
 
ところが、着任した鳴尾の第332海軍航空隊というのは
どういう航空隊かというと、局地戦闘機隊で大阪の防衛を担うものでした。
 
・・・ただし、それは表面上です。
大阪の防衛は伊丹に陸軍の三式戦闘機「飛燕」という
飛行機が300機ぐらいおりまして、上がるのはだいたい100機ぐらい。
空襲にきたときはあがって、陸軍は日本の内地を守るというような
任務でしたから。それがあがって大阪上空を守ると。
 
一方で、海軍というのはもともと海の上で戦う軍隊であるし
逆に内地で戦う場合は軍港の近くで軍港を守るというのが
局地戦闘機という表現をしますんですかね。
局地の防衛しかやれないわけですよね。
 
それじゃ鳴尾の第332海軍航空隊は何の為にあそこに
配置されていたかというと、昔は川西と言ってましたね。川西航空機。
今は新明和と
呼ばれるようになりましたが、
 
その川西航空機で紫電改という
一番新しい戦闘機を作ってまして、
その工場が鳴尾にあったんですよ。
だからその紫電改の工場を守るんだと、
おおっぴらには言わないけども、
お前たちの任務は鳴尾を守るんだという
事でしたね。

従って、鳴尾に飛来するB-29を追い払えばいいと。
爆弾を落とされないようにしろということで。だから相手がB-29ですから
ドッグファイトはできないわけですね。
全然戦法が違うわけですよ。
B29に対する攻撃戦法はいくつかありまして
主に、前上方攻撃、逆落とし直上方攻撃、後上方攻撃などです。
 
一番リスクが高いのは後方からの攻撃です。
後方から攻撃しますと、まずB-29の後部には20ミリが飛び出してます。
20ミリは一発でも当たったらひとたまりもない。それから上下の
13ミリもこちらに向くわけです。
後ろから攻撃するとB-29の機銃が一斉にこちらをむくわけです。
零戦との相対速度から割るとこちらからも当たるけれど向こうからも
当てやすいと。
  
※篠原補足
B-29の機銃は20ミリ×2(後方)13ミリ×8(正面×2、上方2、下方×2、後方×2)

 
ですからB-29に対して岩国で一番訓練したのは
逆落とし直上方です。B-29に接敵して、真上から背面飛行になって
逆落としで撃っていくと。そうするとB-29の機銃がありますけど
真上は向かず死角になるんですね。接敵するときは撃ってくるけど。
そういうわけで岩国では一生懸命この直上方訓練をやらされましたね。
 
今までは巴戦、アクロバットしかやってこなかったものですから、
戦法としては全然違うんだけど、アクロバットからみれば易しいんですよね。
直線飛行から降下に入るだけで。
 
ただ、間合いが難しい。どのタイミングで逆落としすると
ちょうど射撃距離になったときB-29の真上から撃てるか。
その訓練を一生懸命やったんですね。
その訓練を岩国で2ヶ月半くらい訓練して帰ってきました。
 
◆零戦52型丙、B-29との戦い
 
ところが、大阪にも戻ったらね、「それやるな」ちゅうことになっちゃった。
何故かと申しますと、先程申し上げたように
川西航空機を守るのが私たちの任務だから、直上方やったら
B-29は諦めて爆撃針路を崩さないわけですよね。
 
B-29のほうは、正面からゼロ戦が来ると怖いわけですよね。
前上方攻撃といって、高度差があったほうがこちらは楽ですから
上から接敵してB-29の機首を狙うわけです。するとB-29は
怖いから避けるでしょう。避けるということは爆弾の命中精度が落ちる訳です。
 
零戦52型丙の武装は20ミリ×2、13ミリ×3。
前方からの攻撃であれば
B-29の13ミリ×4で、こちらが遥かに勝り、優位感を持って戦えました。
戦闘の場面においては
敵に勝る武装を持っていれば恐怖心は起きません。
 
怖いのは待避のときです。一撃後、すれ違った後には
B-29に後ろを見せる形になります。B-29の20ミリ×2、13ミリ×4が
こちらを向くわけです。
相対速度400ノットで離れて行く計算ですが
このときだけは長い時間に感じました。
 
篠原
撃墜せず、ただ追い払えば良かったのですね。

 
ええ、そういうことです。
要するに鳴尾の川西航空機の工場がやられなきゃいいということで。
 
ですけど、結果的には川西航空機の工場は爆弾が落とされたんですよ。
それは雲上爆撃というか、レーダー爆撃で落とされましたね。
そのとき私は上がらなかったんですが、我々の隊は20機近く
上げたんですがね、500メートルくらいのところで
ものすごい厚い雲があったんですよね。だから結局雲突き破って
上にあがれずに雲の下をこうまわってて、それで爆撃されたと、
記憶がありますけれどね。
 
篠原
どういった戦法でB-29と戦ったのですか

  
B-29に接敵して、照準器の覗きながら800メートルで引き金を引いて
200メートルで引き金を離して待避。逃げるわけですね。真正面に行くと
ぶつかりますから。
 
零戦のOPL照準器というのは、ガラス版で下から映像を反射する仕組みに
なっています。
映像というのはリングですね。
 
まず地上で一生懸命、お稽古したのは、今で言うところのシミュレーターです。
当時はシミュレータとは言いませんでしたけど、その装置の仕組みは
B-29の模型をレールの上で走らせるわけです。距離感を掴むために
据え付けた照準器を覗きながら、レールの上を走るB-29に照準するわけです。
 
リングは同心円で5つぐらいありましたかね。
B-29の翼の大きさがそのリングの3番目か4番目に重なるくらいだったと思う
のですが、そのときが800メートルだからその瞬間に引き金引いて。
リングの一番外側にきたときに200メートルぐらいだから逃げんとぶつかると。
 
そういう訓練をOPL照準器でやっていたので、同じことを空中でやるわけ
ですけどね、
最初だけ照準器のリングで測定してましたが、
何回もやっていると、だいたいがカンで、このくらいが800、このくらいが
200と、
わかるようになります。
 
実戦ではもちろん、向こうから弾を撃ってくるわけですよ。
5発に一発、曳光弾と言って赤い煙を吐く弾でした。最初は白い煙に見えるけど、
近くでみると赤く見える。その曳光弾がまっすぐ飛んできて、自分に当たるような
感じがするわけですよね。でも、当たらずに目の前からヒューっと横に、避けて行く
そういう印象が残ってますね。
 
そういうことで、弾が飛んでくる。だけど、エンジンがありますからね。
エンジンが盾になって、身体には絶対当たらんという感じがしました。
防弾ガラスなんかなくても、常に安心感がありました。
 
ただ、頭をやられたらイチコロですからね。
その時はしょうがねえやという感じで、苦しまず一瞬であの世へ行ける
わけですから、恐怖心なんか全然起こらないですね。
で、B-29は多少逃げますからね。
 
「これは逃げやがる」と、追いかける一心で
怖さはあんまりなかったですなあ。

篠原
結局、実戦で逆落とし直上方攻撃は実施しなかったのですね

 
それは実戦では一度もやりませんでした。先程申し上げた通り、
「やるな」というので。何の為に二ヶ月以上も苦労したんだと思いましたけど。

篠原
巨大なB-29が回避行動を取るのはどのような様子でしたか

この程度ですよね。(B-29の限界バンク角度)
旋回して追いかけて行くとすぐに観念しますけどね。
B-29は編隊を組んでたからあんまり急激な逃げ方はしないんですよ。
 
ほぼ諦めでしょうね。日本の戦闘機が来るならしょうがないと。
B-29も最初は高度8000だったのが高度5000に下げて来てますからね。
5000ちゅうたら零戦の一番性能の良いところですけれどね。
もう、なめられたなちゅう感じでしたね。
 
篠原
3号爆弾を実戦でお使いになってますが、戦果はいかがでしたか
 
3号爆弾を私も一回だけ落としたことあるんですけど
あれは当たらなかったですなあ。上で、早く落とし過ぎたんですよね。

落としてから4秒ぐらいで爆発するようになっとるんです。
バーっと爆発したけど、B-29のちょっと前でしたね
報告では7機落とした奴おりますからね。ほとんど一個編隊。
下士官だったですけど。
それからはB-29も編隊を単縦陣になって、一列で大阪へ
来るようになりました。
 
篠原
B-29への攻撃は何回経験されたのですか
 
飛行記録を焼いちゃってますから正確な数は覚えてないんですが
5月、6月、7月の間の2ヶ月半ぐらい60日、4で割ると15。
だからB29の邀撃には。12、3回はあがってますね。
 
いっぺん上がるでしょう。上がると2時間以上飛びますからね。
B-29は200機ぐらい来てますから、9機編隊だとしたって22個編隊以上
ありますからね。それを次々に攻撃する。3日おきぐらいに上がりました
からね。だからかなり上がってますよね。いっぺん上がったときには
少なくとも10回くらい攻撃してますからね。
 
何度も攻撃して複雑な運動になると、だんだん高度が落ちるんですよ。
そうしたら今度は前下方攻撃ですね。最初は前上方から、前下方、
最後の編隊になると
地上から電話で「これが最後の編隊だ」と言って
きますからね。
  
それを京都の方へ追っかけていくと伊勢湾へ逃げて帰っていきましたね。
B-29は京都の上に行ったって爆弾を落とさないわけですよ。
余裕があるなと、正直そう思った。京都に一発も落としてませんからね。
アメリカは余裕をもった戦争しているなと、当時から思ってました。
 
篠原
B-29邀撃の合間に潮岬へ哨戒飛行されたお話を少しお伺いします
 
潮岬の哨戒は三回くらいは行ってますかなあ。
B-29が来ない日は哨戒に上がっておりました。
 
哨戒は、のんびりでね。航空糧食といって居眠り防止のチョコレートとか
抹茶のお菓子をもらいから、それを食べながら。本当に飛んでいると
眠くなるくらいです。
何もなくて帰ってくると。
 
それで一回だけB-24にお会いしましたけどね。
あれはもう完全に水平直線飛行で逃げているB-24を
攻撃を繰り返すわけですけれど。
 
篠原
零戦でも急降下引き上げ時にブラックアウトが起こるそうですが
  
はい、急降下をやって。ギューっと操縦桿を引いて引き上げるわけですね。
目が真っ暗になります。その時はバっと緩めるんです。
空戦の時もそうですよね。空戦でスピードが出てる時に
 
操縦桿をグっと引くと、ブラックアウトという感覚が出てきますよね。
そう感じたらすぐ緩めんといけません。失神したら終わりですからね。
緩めると、スっと明るくなりますな。
 
でも300ノット近くにならないとブラックアウトに
ならないんじゃないですかなあ。主に急降下のときですね。
垂直旋回でのブラックアウトはまずないですね。250ノットくらいなら大丈夫
です。300ノットで急降下、引き起こして、暗くなって、
こりゃいかんと思って緩めると収まる、そういった感じです。
 
篠原
零戦52型丙は防備も強化されていた飛行機だったそうですが
卑怯だと感じて防弾装備を取り外してしまったとか
 
ええ、零戦の52丙というような言い方もしてましたけどね
防弾ガラスを取り付けられたんです。四角い5センチくらいの厚みの
ガラスを。風防の前と後ろにひとつずつ。同じぐらいの大きさだったと思います。
要するに前や真後ろから弾が来て、頭がやられないようにと。
頭やられたら終わりですからね。そういうわけで途中で取り着けようとしたん
ですけど、多少は見栄もあったのかもしれません。
 
「こんな防御装置なんか要らん!命なんか惜しくない!外せ!」
整備員に言って外させました。本当はあったら命が助かるかも
しれんのですが、
そんな卑怯な防弾ガラスと思ってましたから。
 
事実ね、防弾ガラス越しだと前が見えにくいんですよ。防弾ガラスが
5センチも間に入ると光りが屈折するわけでしょう。
真正面がよく見えない
という感じがするからね。
あんなバカなもの、見えにくいからはずせといって。
 
見えにくいというよりも、防弾なんか要らん!ということですよ。
邪魔だっちゅって。はっはっは(笑)
 
それに防弾ガラスのぶん重量が増すから飛行機の性能にすぐ影響するわけ
ですからね。
そりゃいま考えられないけれど、当時はそういう精神状態でした
からね。
我々は。教育環境というか小さいころからの気持ちの積み重なり
じゃないですかね。卑怯なことはしちゃいかんと。
 
いま考えると、おかしいですし軍の組織として考えればいけないことですよね。
せっかく命を助けてくれる、パイロットが消耗しないために考えて着けてくれた
んだと言われても・・・当時はそんなことお構いなしでしたな。
 
篠原
飛行機のトラブルはなかったですか
 
そうですね。私が乗った零戦で具合が悪くて下りたということはありませんね。
多少は油漏れとかで機体が汚れた事は
ありましたけど致命的なトラブルは
ありませんでした。
 
それにゼロ戦は軽い飛行機だったからエンジン止まってもどこにでも
不時着できるという安心感がありました。
非常に操縦し易いし、
安定しているちゅうかね。
  
篠原
零戦で高度1万メートルまで上昇されたそうですが、いかがでしたか
 
エンジンはフルで、プロペラピッチは特別調整した覚えはありませんね。
上昇角はほんの少しですよ。少しずつ。少しずつね。少しでも姿勢
傾ければ落ちますからね。
 
酸素は一定以上の高度でマスクから出てくるのですが全開にしていました。
1万メートルに到達して電話で「只今10500メートルこれから降下する」と
言ったら、それだけで息が切れて。瀬戸内海が地図と同じように箱庭のよう
に見えました。
 
篠原
士官以上とか飛行隊長は専用の飛行機があったのですか
 
専用機はありませんでした。割り当ての機番号書いてあればその機番号に
乗るだけで、
これはもう隊長機とか、そういうのはありません。
 
少なくとも私の隊ではそういう事はありませんでした。
私の隊なんかで考えると専用機は考えられないことですな。
汎用の飛行機で、古い型と新しい型はあったと思いますけれど
そういう区別はつけられていなかった気がしますね。
 
当時、飛べる飛行機の機番号書いて、搭乗割をバーっと
何も考えずに駆け込みますからね。
これはあの隊長の飛行機だとかは聞いたことはありません。
どれでもいい、みんな52型でしたけれどどれでもみんな
同じように良い飛行機だというような感じでしたな。

篠原
第332海軍航空隊の零戦の日の丸には白いフチはあったんですか。
 
なかったっと思います。淵なしでそのまま日の丸が
描いてあったと思います。
 
篠原
紫電改についての印象は如何ですか
 
一度、第343海軍航空隊の紫電改が燃料補給に降りてきたことが
ありましてね、そのパイロットが予備学生出身のパイロットだったん
ですが、いま四国で邀撃にあがって3機グラマンを落としてきたと、
指をこう三本やってね、自慢そうに話していたのが記憶に残ってます。
だから我々から見れば紫電改っちゅうのは憧れの飛行機でした。
目の前で作ってましたしね。
 
零戦が本当に良い飛行機でしたから後が続かなくてね
もうちょっと早くに紫電改を作っておればね。
 
篠原
雷電の印象は如何ですか
 
あれだけは乗りたくなかったですね。殺人機と言われましてね、
マグロに羽根をはやしたような格好で、
ずんぐりむっくりで。
エンジンは消防車みたいな音がして。
操縦席に座ったら視界も悪い。
それで一応、操縦のマニュアルを
もらったんですがね。
 
「貴様らも、いよいろ雷電に乗せるぞ!」と言われていたんですが
最後まで乗らずに零戦でした。
 
篠原
関行男大尉が霞ヶ浦で教官だったのですね
 
ちょうど関さんにフィアンセが出来た時代が私どもが霞ヶ浦におるときの
教官でしてね。フィアンセが面会にきよったですよ。
 
それで我々学生が「おい!あれ関さんのあれだぞ!」といって見てました。
それで結婚してすぐですからね。敷島隊の特攻は。
 
教官は海兵70期で10何人くらいいらっしゃいましたけどね。
関さんも我々から見れば普通の人でしたよ。
亡くなった軍神に対して申し訳ないけども。
 
印象的だったのは言葉遣いでした。関さんは
「てめえたちはなんじゃい!」というような怒り方をするんですよ。
「てれんこてれんこしやがって!」とかね。よく覚えてますよ。
 
普通は「貴様たちはなんだ!」というような怒り方をするんですが
どちらかというと関さんはヤクザ言葉でしたね。
 
※篠原補足
当時、霞ヶ浦航空隊の教官は
海兵70期が主力で関行大尉、市川大尉(戦後海自)
余田大尉(戦後八戸沖で殉職・当時石井)など。

 
◆8月16日の特攻隊編成
 
篠原
昭和20年8月16日に特攻隊を編成してというお話しですけれども
海兵出身の方が先頭で
 
我々は海軍兵学校出身のプライドを持ってましたからね。
俺たちは本当のの軍人だと。予備学生出身の方は
大学行って勉強していたけれど、戦争のことは勉強していないでしょう。
それで我々が率先して行くのは当然だというような考えでね。
 
永遠のゼロなんか見ますとね、投票箱みたいの置いて
希望を書いて部屋を出るとき出せと言ったとか。
我々から見たらバカなことをやってるなと思ったけど
事実そんな事あったんかなと思ったんですが、我々の時なんかは
そんな書いている暇なんか無いんですよね。16日の夕方、総員集合と
言われて集まって、

「明朝を期して特攻隊をやるから特攻隊を編成する!飛行士、やれ!」
 
と。それからいちいち希望なんか聞いていないわけですよ(笑)
「わかりました、やりましょう」ちゅうて
 
それで士官名簿で海軍兵学校出身の者を上から順に書いて。
ただ、予備士官が途中に入っていたからそれを外すわけですね。
外したんです。我々先任がおったけれども、予備学生出身と兵学校出身は
名簿を見ればはっきりしてますからね。
 
それは私と同じ中尉でも13期の予備学生がいっぱいいましたけれど、
私達より早く中尉になってる人がおるんですよ。13期も二種類ありましてね、
大学出身の13期と
高等専門学校出身の13期がいるんですよ。
高等専門学校出身は少尉でした。
 
我々、海軍兵学校出身の中尉、それから大学出の人は中尉と
一部に大尉が居ましたね。だからあれはどうしてなのか、
大学から召集したときの時期の違いがちょっとあたったので
差が出たんだと思います。で、予備学生はずして我々をぜんぶ入れて。
足りない分を予備学生を入れた訳です。
 
だから幹部だけで間に合ったから。特攻隊の出撃名簿に
下士官はひとりもいなかったんです。
 
その命令を出した後も私は残務整理がありましたから、指揮所に
残っていましたら
予科練出身の下士官5名程が私のところへやってきて
 
「何故、士官だけ特攻へ行けて我々予科練出身者は出撃名簿に入れないのか」
と詰め寄られました。
 
私はそれは最初は嬉しかったですね。
嬉しかったっちゅう意味は、戦争終わったんだから普通はね、ああ、これで
命助かったなーと思うでしょう。
だから戦争終わってから特攻に行くなんて
考えられないことだけどもね、
 
下士官が来て、なんで士官だけ行って俺たちを行かせないんだと言ってね。
終戦後の特攻に希望してきましたからね。涙流しながら来たんですよ。
 
鳴尾には150機くらいの零戦が残ってました。8月16日にはその内の
40機くらいが飛べるようになっていたから
40機の特攻隊を編成したわけです。
 
「飛行機はいっぱいある。我々が40機で特攻に行っても、あと110機
残ってるから、
整備すれば10機でも20機でもまた次の日飛べるように
なるから
諦めんでいい。後に続いて来い」
 
そう言ってなだめたんですけどね。
それでも一人だけは最後まで、
「分隊士!分隊士の座席の後ろに積んでいってくれ」と。
そういうのがおったですね。嬉しかったですねえ。
 
篠原
中島さんご自身は中尉で士官ですからご自身は16日に特攻に行かれて
部下である下士官は助かれば嬉しいというお気持ちだったのですね
 
ええ、普通なら下士官は助かるでしょう。予備学生も私たちが勝手に
指名したわけですが
「なんだ」と不満に思われた方もいらっしゃると
思うけれども、
それはさすがに士官ですから何も文句は言っては
きませんでした。
 
文句というか、逆に行かせろと言ってきたのは、さきほどの特攻の選抜から
漏れた下士官が言ってきただけですよ。だからやっぱり、みんなの
心理状態がそういう状態だったんですね。
 
我々海軍兵学校出身者の軍人はアメリカが占領して進駐してきたら
どうせ殺されると思ってたですよ。
 
だから死に場所が与えられたからありがたいと思ってましたよ。
みんな指名されたから喜んでいるくらいですよ。正直言ってそうです。
下士官もまだ18歳ぐらいじゃないですかねえ。
やっぱり私は嬉しかったですよ。
こういう人たちまで若いのにみんなそう言ってくれるかと思って。
 
そしてあんまりに、俺は明日特攻で死ぬんかというそういう切実な
気持ちは無かったですなあ。正直言って。
普通の邀撃にあがるのとおなじぐらいの気持ちでいましたね。
特攻を命じられて不満を漏らすものは一人も居ませんでした。
 
篠原
当時は、戦死した後は靖国神社にまつってくれるから安心だと
感じていらっしゃっていたのですね
 
戦死した後の事は・・・
当時は戦死者の家族に対してはものすごく尊敬を払ってましたし
そういう人たちの遺族が苦労しているという話は全然聞きませんでした。
 
戦死者の遺族に対する手当てが具体的にはどういうものだか
知りませんでしたけど、自分が死んだらちゃんと国が家族の
面倒見てくれるはずだと思ってるから安心でした。
 
遺族年金なんかも出るでしょう。そんな言葉は当時は
知らなかったけれど、そういうのが出て安心だと思う
から、後の事は心配は全然しませんでしたね。
 
「俺はこれで死ぬかもしれない。一人息子の俺が死んだら
両親は寂しくなるが、戦没者の遺族として国が面倒を見てくれるし
神として靖国神社に祭られるのだから心配ない」
 
何の憂慮もありませんでした。
 
つづく
 
証言者プロフィール
◆中島又雄さん(元海軍中尉)
海軍兵学校73黄卒業。霞ヶ浦航空隊(第42期飛行学生)を経て
第332海軍航空隊着任。岩国で対重爆撃機邀撃の為の再錬成ののち
零戦52型、52型丙に搭乗し
対B-29本土防空戦を行う。
戦後は海上自衛隊勤務。海将。
  
  
模型製作
神雷工房様
※画像の零戦はイメージであり、中島又雄中尉搭乗の零戦とは関係ありません

2016年11月17日 (木)

パラオ本島(バベルダオブ島)の零戦52型甲

パラオの零戦

パラオの零戦

パラオの零戦

パラオ本島(バベルダオブ島)沿岸に眠る零戦52型甲です。
地元の方には昔から知られていましたが、最近になって
公になってきたようです。 
 
写真は撮影されたM様承諾のもとお借りしています。
 
この零戦は零戦52型甲で三菱製であります。
零戦52型と比べると武装と防備が強化されたモデルとなっています。

02_10

戦域の部隊配備状況から推測すると、
第201海軍航空隊、第261海軍航空隊第263海軍航空隊
第265海軍航空隊などがあげられますが、 私は
アイライを拠点にしたパラオ局地戦闘機隊の
第343海軍航空隊(初代隼)が確立として高いのではないかと
考えています。

2016年11月15日 (火)

1/700の神業

Imgp3449

秋葉原のボークスに展示されている1/700の日向と大鳳が
素晴らしいんです。店内は原則撮影禁止なのですが、
この作品に限り
撮影OKとのことで、写真に収めてきました。
細かすぎてピントが合いません。マクロレンズがほしい。

1

Imgp3450

2 
船の全長はどちらも、25センチぐらいです!!!
 
本当に人間技か?小人さんが作っているんじゃないかというほどの
出来栄え。
下は大鳳です。 

Imgp3446

1_2

Imgp3442

そしてこちらは、艦船模型用の航空機を使った
1/700の零戦ジオラマ!
 
翼の横幅は17ミリです!

ひえええええ!! 

Imgp3452_2

Imgp3451_2

以上、1/700の神業でした。
実際にご覧になりたい方は秋葉原ラジオ会館のボークスへ。

2016年11月10日 (木)

くろがね四起 ジャングルに眠る

くろがね四起(九五式小型乗用車)

バベルダオブ島のジャングルを探索中
伝説の名車「くろがね四起」を発見しました。
フロントグリルとガーニッシュの形が特徴的です。

 
くろがね四起(正式名称:九五式小型乗用車)は
東急くろがね工業(現在の日産工機)が開発し
昭和11年~19年まで製造された純国産の四輪駆動車(4WD)でありました。
エンジンは1.2リッターから1.4リッターで33馬力(3300回転時)でした。
(80年後の現代における最新の軽自動車が0.6リッターで64馬力です)
 
くろがね四起は昭和19年までに4000台が製造されたとの記録が
残っています。大量生産の技術が乏しかった日本です。
自動車の生産台数としては少ない数でありますが
オートバイの陸王と並んで最も有名な自動車です。
  
帝国陸軍で正式採用されたくろがね四起は
各地で活躍しました。
ここバベルダオブでも自動車部隊がありましたし
伝令や将校の移動などにおいて活躍したものと考えられます。
 

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Imgp2109_2

Photo

こちらはタミヤ模型の軍用カラーなので一見地味にも見えますが
広く民間にも使われていたなら、ポルシェやフォルクスワーゲンなどと
並ぶ、とてもお洒落でかっこいい車だったに違いありません。
 
くろがね四起は、その役目を全うして、ジャングルの中、静かに眠っていました。
世界の覇者であった大日本帝国時代の名残です。

-----------------

九四式六輪自動貨車(九四式トラック)

▲そして、こちらはいすずの九四式六輪自動貨車。通称九四式トラック。
このあたりには自動車がたくさん残されています。
  

Imgp2112

Imgp2103

Imgp2102 
▲この車種だけがわかりませんでした。
フロント(ボンネット?)の溝が特徴的です。

2016年11月 7日 (月)

完売の見込みです

お陰様で
拙著『パラオ戦跡を歩く』の在庫が残り僅かとなってきました。
今すぐに売り切れることはないでしょう。しかしこのペースで試算致しますと 
半年程度での完売が予想されます。
諸々の事情により、第二版の予定は今のところございませんので
何卒ご容赦願います。



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(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

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零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン
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IV号戦車 フリー素材画像
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満州鉄道伊ロゴ作成
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ステンシルフォントの作成(漢字・和文)


パラオ全図島
■パラオ全図(各島詳細)