2017年11月 9日 (木)

青空は入っていません

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A4

紙飛行機おじさんことブンドド先生と新作の打ち合わせです。
 
ブンドド先生「パッケージを一新しましょうか。背景の空母をもう少し
目立たせると格好良いですね」
 
私「そうですね。でも『空母は入っていません』と注意書きしないといけませんね」
 
ブンドド先生「青空も入ってないですよ」
 
私「えー、そんなこと言いだしたら注意書きだらけになってしまうじゃないですか。
『青空が入ってなかったぞ!』なんて言う人、いないでしょう」
 
スタッフ「いますよ!実際にそういう人!私、前の会社でそういうクレーム受けました」
 
私「ひえええええ」
 
ブンドド先生「ですから『零戦が一機入っています』とだけ書いてあるんです」
 
私「はー、胃が痛くなります」

2017年11月 7日 (火)

三式戦飛燕と五式戦

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神雷工房様による作品です。
三式戦闘機「飛燕」ならびに五式戦闘機、両機ともに
244戦隊とっぷう隊長、竹田五郎大尉機を再現して頂きました。

2017年11月 3日 (金)

赤松機彩色完了

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赤松機の彩色完了しました。
少し昔のアニメイラスト風になりました。

航空母艦搭載機ステッカー




  

試験販売を開始しました。
一枚一枚、ピンセットとデザインナイフを駆使した巧が
作製しております。

冬コミ当選しました

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3日目、東地区V-17aであります。
なんと、こがしゅうと先生のお隣であります。

2017年10月30日 (月)

ステンシル切り文字ステッカー

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ステンシル切り文字ステッカーの見本が完成しました。
画面には写ってませんが伊400と信濃もあります。
 
リクエストありましたらぜひ。
  
近日発売!

2017年10月23日 (月)

彗星完成

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彗星が完成しました。
続きまして、陸軍機も描いていきます。

2017年10月17日 (火)

フィリピン航空作戦図進捗

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フィリピン航空図
だんだん形になってきました。
 
一応、飛行場のマークはあっても
それがクラークのような大航空基地だったり、
わずか1000メートルの急造の滑走路で
ゲリラに占拠されている可能性のある危険飛行場だったりと
様々なので、その辺りの区分けをしていくと
もう少し時間がかかりそうです。
 
大野さんのお話しによると
フィリピンの飛行場は主に三つに分類されていました。
 
1、着陸しても問題ないメイン飛行場
2、一応、滑走路はあるが、着陸に交戦地域に近く、注意を要する飛行場
3、もしかしたら既に敵の手に落ちているかもしれない
最前線あるいは孤立した飛行場。要注意。
 
不時着の際、いちかばちかで、3の要注意飛行場にも何度か
降りたことがあったそうです。
 
フィリピンは特異な戦場で元来、多くの部族が対立する地域に加え
アメリカ側に協力的な現地ゲリラ(敵性ゲリラ)と
日本側に協力的なゲリラに分かれており、ここからが敵、味方と
地理上、線引きをするのは非常に難しいのです。
 
こちらの図は日本がフィリピン全土を掌握し
リンガエンに米軍が上陸する直前の昭和19年(1944)後半までの
状況としました。




2017年10月11日 (水)

第一御楯隊の黒い零戦

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第一御楯隊の零戦を描き直しました。
 
真っ黒の零戦。
文献によれば、日の丸と識別を残して真っ黒に塗ったと
記されているので、塗り方は想像ですが、
 
実在した機体です。
 
第一御楯隊は
夜の闇に紛れてマリアナを強襲。
B-29を焼き払った後、洋上へ不時着し
潜水艦で脱出するという、生還を前提とした作戦でしたが
結果としては、全員が戦死されました。(作戦機中、一機のみが
強襲後、不時着に成功しましたが潜水艦に救助される前に戦死されたとのことです。
 
この部隊の錬成に岩本徹三があたったのは有名な話です。
 
模型で作ったら格好良さそうですが、
画像検索しても、誰も作ってないみたいです。
 
硫黄島に慰霊碑があります。
詳しくはこちら。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2013/07/post-9999.html

2017年10月 8日 (日)

零戦全型式ポスター

B3

以前より要望を頂いておりました
零戦全型式クリアファイルとB3ポスターが販売開始になりました。
 
発売までとてつもない時間がかかったのは、
細かい修正点を調べつくして修正する作業が
非常に大変だった為です。
 
買って頂けると、取材費用の足しになります。
どうぞよろしくお願い致します。

クリアファイル(3枚入り)販売ページ
  
ポスター(B3版)販売ページ

2017年10月 7日 (土)

八九式重擲弾筒

八九式重擲弾筒

八九式重擲弾筒


八九式重擲弾筒(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)の図解。
パラオで玉砕されたある少尉さんのご遺族より拝受しました。
 
外見のみ描かれた図は数多くありますが、内部構造まで
描かれたものは初公開かな?と思います。
 
八九式重擲弾筒は歩兵の分隊単位で配備されました。
いわゆるグレネードランチャーで、八九式榴弾と呼ばれる
専用の弾薬か、手榴弾に噴進器と呼ばれるアタッチメントを
取り付けることで、手投げよりも遠くに打ち出すことのできる
ポピュラーな火器です。
 
こうして拝受した資料が我が家に数多く眠っているのですが
なかなか整理できず追いつかない状況にあります。
 
この書類の残された少尉さんは兵隊叩き上げの少尉でした。
現在でいうところのベテランの中間管理職であります。
火器の扱いはもちろん、
飯の炊き方から、洗濯の仕方、新兵の教育方法など
多岐に渡りマニュアルがあります。
陸軍の小隊単位での運用方法が実に細部まで書かれていて、
時間をかけて研究したら、斬新かつ、素晴らしいものができそうです。
私は今のところ、手一杯ですので、
研究したい方がいましたらぜひお問い合わせください。

2017年10月 4日 (水)

パラオ・ゼロファイタープロジェクト

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久しぶりに訪れたペリリュー島では、島中に、水色の自転車が
行きわたっていました。
それに跨ってやってきた島民の小さな女の子が
ニコニコしながら、こう言うんです。
 
『チャイナ・バイシクル!チャイナ・バイシクル!』
 
中国から貰ったんだそうです。
もとより、中国とパラオは国交がありません。
パラオは台湾(中華民国)を国家と認めているため
中国とは絶縁状態です。しかしながら、経済の力は大きく
中国は金の力でパラオに進出しつつあります。
そしてパラオの広大な領海に侵入し密漁を繰り返しております。
沿岸警備隊のないパラオ政府はこれに対抗できる術はなく
死者が出たことは以前にも述べた通りです。
 
私は、日本として出来ることはないかと考えました。
そうだ、自分のところのTシャツを配ろう。

ペリリュー、アンガウルの子供たちは、想像以上に、貧しい!
服が一枚あれば、しばらくしのぐことができます。
 
最初は日本とパラオの国旗をプリントしたTシャツにしようかと
考案していましたが、定番すぎる。もうひとひねり欲しい。
ただの零戦Tシャツというのも押し付けがましい。
 
そこでこのようなデザインを考案しました。
 
我が国は、支配をしない。我が国と太平洋アジア各国の
歩むべき道は、それぞれの独立と共存共栄。
そこが中国との大きな違いであります。  
二つの国家のシンボルの融合。
極めて扱いが難しいのでありましたが、昭和19年、
多くのパラオ人の協力があって、米軍進攻を阻止し、
本土の防波堤となることができたのだから、これはありだと
私は考えています。パラオ玉砕がもっと早ければ
本土進攻を許し、泥沼の日本本土決戦、
そして北海道と東北地方はソ連軍に分割統治されていたかもしれません。
 
そんなことを考えながら、一晩でこのデザインを描きあげました。
  
1,700円以上の出資でお名前(企業様でしたらロゴマーク等)を
Tシャツに入れさせて頂いております!
どうぞよろしくお願い致します!

2017年10月 3日 (火)

ヤングアニマル

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今週のヤングアニマルをぜひ買ってください。
連載中の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』ですが
いよいよ、物語の核心部分に踏み込みました。
 
ペリリュー戦では民間人の集団疎開に成功し、一人も犠牲者が出ていないと、
インターネット等で美談になっておりますが、私は現地で取材して、
また日本、パラオ双方で直接の証言を聞いて、それは嘘だと
ずっと唱え続けてきました。拙著に記した通りです。
  
「民間人犠牲者の存在に言及されているのは篠原さんの本だけだった」
 
そう言って
武田一義先生から連絡を頂いたのは第三巻が発売されたときのことです。
 
この話に、良いも悪いも無い。
武田一義先生とありのままを描かねばならないと
いうことで意見が一致し、そうした証言を集めてきたわけです。
 
日本が勝手に始めた戦争で
多くのパラオ人に迷惑をかけた、これは事実です。
ペリリューの戦いを、日本人の一方的美談にするなど、
驕りも甚だしいと感じておりました。
我ら誇り高き大和民族の末裔なら、
そうした主張は控えるべきであります。
 
青年誌なので、立ち読みはできません。540円です。
ぜひ、買ってください。収入が武田先生の応援に繋がります。

2017年9月19日 (火)

篠原弘道少尉のお墓

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私は間違っておりました。ノモンハンのエース
篠原弘道少尉のお墓が宇都宮市内に存在することがわかりました。
それを知って早速、篠原少尉のお墓参りに行ってきました。
 
以前、私は篠原少尉のお墓は無いと書きましたが
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2015/03/post-e10c.html
遺族ではない、ある方がお墓を建ててくれていたのです。
  
こうしてお目にかかれるとは
感激感涙であります。
 
当時、国民的英雄だった篠原の戦死の報せが日本中にメディアで伝わり、
普段、停車しない雀宮駅に特急列車が停車しました。
あれから78年、すっかり風化してしまったものと思っていましたが
こんなにも立派なお墓が、ある方によって、残されていました。
 
詳しくは、後ほど記事を加筆修正します。

2017年9月18日 (月)

もうすぐ完成、タイトル募集

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もうすぐ完成する、竹田五郎さんの本です。
 
この物語は、戦時中は勿論、終戦とともに翼を失った旧陸海軍のパイロット達が
焼野原から再起して航空自衛隊を築き上げる記録であります。
 
記述は支那事変までさかのぼり、
桂林爆撃と在支米軍フライングタイガースとの空戦、
トーキョーローズ追撃、高度1万メートルB-29邀撃戦、飛燕戦闘機隊の戦友の思い出
震天制空隊、喜界島上空迄の特攻機掩護、五式戦対コルセア
 
竹田さんは終戦ともに全てを失い、バラック小屋で寝起きをし、
進駐軍相手に商売をしておりました。元陸軍大尉と雖も、貧困を極め
その日暮らし、もうだめかと思うことが何度もありましたが、
遂に日本空軍復活の報せを聞いて真っ先に手を上げたのでした。
 
航空自衛隊黎明期には
旧陸海軍パイロットが大勢登場します。隼のエース
黒江さん、ブルーインパルスの創設者の長澤さん、月面着陸を見て
月に行きたいと言った稲田さん、ジェット戦闘機の黎明期に殉職された
小林さん、天野さん、指宿さん、中村さん
東京オリンピック、はじめての超音速飛行、米ソ冷戦、国境線での凌ぎ合い
ミグ戦闘機函館へ強行着陸、ベレンコ中尉亡命事件、雫石事故
基地司令官時代、過激派左翼との戦い、統合幕僚長時代、
などなど、
 
ほとんど取材が終わっていて、いま最後の文章をまとめる作業なのですが・・・
仕事と同時並行なので、なかなか進まず、それでもなんとか
飛燕復活の来年3月には発売したいと考えています。
 
肝心のタイトルが思いつかないので募集します。
こちらにアップしたビジュアルと「蒼穹の燕」は仮のものです。
 
「永遠のゼロ」「君の名は」的なシンプルかつ
ヒットが見込まれそうな文言を、ぜひお願い致します。
よろしくお願い致します。
 
 
現在までにお寄せ頂いた候補
 
『敗者の空』トボトボ機械様
『蒼空の防人』ふらんか~様
『テイクオフ』ふらんか~様
『暁への離陸』T.K様
『國敗れても、なお我ら』神雷工房様
『碧空』siesta(シエスタ)様
『折れない翼』神長勇次郎様
『銀翼の足跡』金澤様
『荒鷲からイーグルへ』金澤様
『蒼い空 守る翼 はばたく想い』トシ様
  
ありがとうございます。
まだまだ募集中であります。

新元号に関して

降っては沸くグッドアイデアに押し
つぶされそうな今日この頃であります。
やりたいことは山ほどあるのですが、
形にする金が無い!万年モットーです。
 
さてさて、
2019年から元号が変わるのはご承知の通りと思います。
カレンダー業者さんは
 
「早く元号を発表してくれないと印刷できない!」
と怒ってますが・・・
 
我がアトリエでも、年度カレンダーというのを作成中です。
平成30年4月はじまり、元号が変わりXX元年3月終わりなので
どのように記載しようか迷ったのですが、ここはあえて、糸川博士から
教わった逆転の発想。空欄にしておけばいいのです。
 
結論!各々、書けばいいじゃない。
 
手書きすれば、漢字も覚えるし、元号が変わったと実感できるし
節目の年が、記憶にも残る。いいことばかりです。デメリットなんてひとつもない。

2017年9月17日 (日)

零戦スケールモデル比較図

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スケールモデル比較写真を作成しました。
  
1/18 エリートフォース製(メーカー完成品)
1/32 ハセガワ製新金型零戦52型丙(神雷工房作品)
1/48 零戦52型261空仕様(神雷工房作品)
1/72 零戦52型谷水機(メーカー完成品)
1/100 童友社翼シリーズ(半完成品)
1/144 ウイングクラブコレクション赤松機(半完成品)
 
モデル/みけくん
製作/神雷工房様
撮影/Y.NAMIKI
企画/空のカケラ

空のカケラ公式イメージキャラ

Photo

蒼月はるか、公式イラストが新しくなりました。

2017年9月12日 (火)

航空母艦デッキクルー整備小隊つなぎ

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空母のデッキクルー風つなぎ服デザインの草案であります。
毎日の仕事をちょっとだけ楽しく。
 
機体シルエットを21型に変更して「赤城」や「加賀」も作成予定です。
海軍の整備兵のように白色のほうが、リアル感が出るかな?
などなど色々考えています。
ぜひご意見をお寄せください。

2017年9月 5日 (火)

T-6 テキサン

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所沢航空発祥記念館常設展示の
ノースアメリカンT-6テキサン練習機。
航空自衛隊の練習機として使用されました。  
先日撮影してきました。名機です。 
 
映画『トラ!トラ!トラ!』では 
このT-6テキサン練習機を零戦そっくりに改造したレプリカ機で
撮影がされました。
 
アメリカ本土では現在も飛行可能でありまして
そのレプリカ零戦が、航空ショーに登場します。
 
航空ショーは毎度、ちょっとしたお芝居というか、
シナリオが用意されていて、お客さんはこれを楽しみにしています。
 
最初に悪役である日本の零戦が奇襲攻撃をかけます。そこへ
正義のアメリカ軍の飛行機(P-51やF4Uなど)が駆けつけて
全て撃ち落して(この場合、零戦が煙を吐くという演出がされます。下の画像参照)
めでたしめでたし、といったストーリー構成となっています。
 
日本の水戸黄門とか暴れん坊将軍と同じ、毎度おなじみの展開です。
黄門様が斬られることが絶対ないのと同様に、零戦が勝つことは絶対に無いので
アメリカの方々は安心してご覧頂ける内容となっております。
 
零戦は悪役ではありますが、アメリカの方々は、胴体に描かれた日の丸には 
最大限に敬意を払ってくれています。あくまでショーなのです。
 
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九九式艦上爆撃機江草隆繁少佐機02

Copyright Raimundo79 / Shutterstock.com

2017年8月28日 (月)

奥只見の歴史を巡る

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▲鱒沢林道(福島県南会津群旧舘岩村)
 
栃木県から福島県へ。
日光市湯西川からダート(砂利道)15km。
栃木県側は安ケ森林道、海抜1,000メートルの峠を越えると
福島県に入り鱒沢林道と呼び名が変わります。
 
大雨の際などは土砂崩れが多く、荒れるのでので
出来れば四輪駆動車で。携帯電話は圏外。GPSがあると良いです。

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▲国道352号線を桧枝岐村方面へ。(ドライブレコーダーの画面を切り取り)
山の天気は変わりやすい。桧枝岐村方面へ国道を走ります。
 

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▲南会津最後の給油所。ここから桧枝岐村までガソリンスタンドはありません。
 

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▲目を引く看板。国道289号線沿いにあります。
 

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▲大桃の舞台(南会津町)
 
大桃の舞台。南会津町。
駒獄神社の境内にあります大桃の舞台は
江戸時代、幕府の直轄地(天領)であった頃
農民歌舞伎が行われていた舞台です。
地域毎に歌舞伎一座を持ち、それぞれが技や衣装を
競い合っていました。大桃の舞台は兜造りと呼ばれる茅葺屋根であります。
地芝居として行われたのは明治40年に上演されたのが最後で
現在では年に一度、8月に大桃の夢舞台が開かれています。
https://youtu.be/-mlb7kL2bXc
 
この舞台は一度火災で焼失したのちの、明治28年の再建であります。
見学は自由。無料です。
 

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▲桧枝岐村から魚沼市へ抜ける国道352号線(樹海ライン)を行く。
1時間以上対向車なし。携帯電話は圏外。GPSがあると便利です。
 

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▲山を縫って行く。
  

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▲「洗い越し」と呼ばれる、道路の構造です。
沢の水を直接道路の上を通すようになっています。
交通量が多い道路でしたら橋をかけるのでしょうけれど、
自然保護とコストの面から、このような構造になっていて
樹海ラインにはこの「洗い越し」が20-30個所あります。
降水量が規定値に達すると通行止めとなります。
 
清らかな雪解け水は長い時間をかけて下流まで
流れていきます。開けた窓から聞こえるせせらぎ気持ちが良いです。 
  
グミ沢トンネルを抜けます。グミ沢って名前が可愛い。
トンネル内に照明はありません。
 

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▲奥只見湖と残雪を望みます。
 

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ガードレールはありません。運転に注意。
よく見ると湖畔に道があります。これからあそこまで降りていきます。

 

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▲銀山鉱跡。
 
樹海ラインの途中、銀山跡と供養塔が残されています。
 
大福銀山跡(新潟県魚沼市)
 
寛永18年(1641年)折立村のお百姓だった源蔵さんという人が
只見川(赤ノ川)へ鱒漁に行きました。
そのとき音無せ淵付近の崖で、光る石を見つけました。
この石を大沢村の鍛冶藤右衛門(かじとうえもん)さんに
精錬してもらっところ、銀であることがわかりました。
 
二人はこの出来事を、越後の高田藩に報告しました。
高田藩は幕府に報告すると同時に、試掘を行い
沢山の銀鉱石があることがわかりました。
これを機に幕府から本格的に採掘の命令が下るのでした。
 
ところが、これを知った会津藩は
「そこは会津の領地だから採掘をやめよ」
と強硬に言ってきたのです。
 
国境線は枝折峠だと主張する会津側の主張と、
只見川の流心と主張する越後側の争いは
幕府の裁定に委ねられ、4年後に越後側の全面勝訴となりました。
 
明暦3年(1657年)越後高田藩は
山の神様「十二山神社」を祀って、最大なお山始め(現在の起工式)
を行い、この山を大福銀山と名付け、本格的採掘を開始しました。
 
元禄二年(1689年)銀山は幕府の直営となり
鉱夫数千人とその家族で賑わう最盛期を迎えました。
 
寛永3年(1706年)
銀鉱石を掘りつくしたと判断した幕府は鉱山を閉鎖しました。
 
以来、ふたたび大自然に戻り、眠っていた銀山でしたが
幕末の嘉永3年(1850年)今度は、鉛の採掘が
始まり、槌音(つちおと)が鳴り響きました。
 
断続的ながら、200年以上続いた
銀山は、今は奥只見ダムの完成と共に湖底深くに沈み
今は見ることができるのは一部のみです。
さて、この供養塔の由来ですが 
 
野州は佐野天明町(栃木県佐野市)の鋳物師兼鉱山師だった
正田利右衛門は、安政3年(1856年)
銀山の安泰と、犠牲者の冥福を祈るため、そして銀山発見者の
源蔵さんの子孫となる星源蔵(ほしげんぞう/襲名)を世話人として
買石原というという場所にこの供養塔を建立しました。
供養塔の周囲には数十の墓石が建てられました。
この供養塔とお墓は、ダムに水没する前、移設されました。 
 
買石原は水没しましたが、この場所は
買石原を見下ろす地点にあります。
 
今は再び、自然に戻り静かとなった銀山跡は、
樹海ラインの途中に残されて、このお話を
利右衛門の末裔である
遠藤康次という人が記録していたので、ここに
史跡として大切に残されています。
 
なんだか、もっともらしく書いていますが
説明書きの看板があったので、文言をやさしくして
少しだけ調べて書いただけです。
 

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▲銀山平へ到着。
 
福島県側からの観光客は皆無で
ほとんどが新潟県側からの車です。
 

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▲銀山平の尾瀬三郎房利の像
銀山平には尾瀬三郎房利の像があります。
 
銀山平の尾瀬三郎房利の像
 
尾瀬三郎房利(おぜさぶろうふさとし)
いまから遡る事およそ800年前、
長寛年間(1163-1165年)
平清盛が急激に頭角を表し、藤原氏や院政(天皇)に迫りつつありました。
 
第78代二条天皇の時代、左大臣藤原経房の次男、尾瀬三郎藤原房利は
時の美しい妃に深い思いを寄せていました。病を繰り返していた
二条天皇は在位6年、わずか22歳で崩御しましたが
残された若き妃は、才色優れ、美しく、宮廷の内外問わず、例を見ないほどでした。
 
(二条天皇と藤原経房の年齢から算出して
次男尾瀬三郎房利が天皇の后と恋仲になるのは
無理があるので創作と思われます)
 
尾瀬三郎は絵もよくたしなんだと伝わっています。
ある日、妃の絵を描き、見つめていると、絵筆の先から
胸のあたりにポタリと滴が落ちてしまいました。
 
同じく妃に恋をしていた平清盛は
「ここにほくろがあることまで知っていたとは!」と、言いがかりをつけ
尾瀬三郎房利を越後へ追い払ってしまいました。
 
恋仇清盛に敗れた尾瀬三郎房利が京を去る際、妃に
虚空蔵菩薩の尊像をたまわります。尾瀬三郎房利は
この像を片時も離しませんでした。
 
尾瀬三郎房利は侍従とともに越後へと行くのですが、
そこへ至る山の険しさに、尾瀬三郎房利自ら
枝を折って先へ進んだという説、子供たちがあらわれて
枝を折りながら、道案内をした説などがあり、この辺りの
枝折峠(枝折村)という呼び名が名付けられたと伝わります。
 
そして、ここ銀山平を本拠として、
藤原家再興すべく、戦に備えていましたが
ついには、この地で力尽き、尾瀬家は滅亡しました。
妃よりたまわった虚空蔵菩薩の尊像は本尊となって、
その本尊の化身は、牛に乗って川を下りましたが、
浪拝の岩場(なみおがみのいわば)で牛は無念にも
最期をとげました。この場所を牛淵と呼びます。
 
本尊の化身はしばらくの間、この岩壁で休んでおりましたが
さらに下って、北之岐川との合流点に達したとき、蛇を呼び
今度はその蛇に乗って川を下りましたが、両岸はうっそうとした
断崖迫り、昼でも暗く、見るものとては「ただ、ただ川ばかり」
ゆえに只見川「ただみがわ」と呼ばれるに至ったというお話しです。
 
化身はさらに下って、会津柳津にとどまると
後に祀られて、柳津虚空威尊(ふくまんこくぞうそん)となりました。
福満虚空蔵尊圓蔵寺。福島県柳津町にあるお寺です。
 
尾瀬三郎房利の石像が建てられたのが昭和40年のことで
この地域の人々に親しまれています。
  
※魚沼市公式ページの見解の文言を私的見解で極力現代風に直したもの。
 
  

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▲シルバーライン銀山平入口
 
シルバーラインを経て奥只見ダムへ行きます。
ダムまでは10km以上のトンネルです。二輪車は通行禁止。
 

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▲奥只見ダム 
 
シルバーラインの長い長いトンネルを抜けると
奥只見ダムです。
 
奥只見ダムは福島県南会津郡檜枝岐村と新潟県魚沼市に跨る
重力式コンクリートダムであります。
水力発電所としての発電量は日本第一位!
 
少し横道に逸れますが
ダムの役割と水力発電の位置付けについて書かせて下さい。 
 
我が国の主な電力エネルギーは
原子力・火力・水力の三つから成ります。
水力発電は電力のベストミックスに寄与しています。
 
電気は貯めておくことができません。そこでまず、
最もパワーのある原子力発電がベース電源といって
一番たくさんの電気を作ります。原子力発電はパワーに優れた反面
最大のデメリットがあります。出力の微調整がきかないことです。
そこで、昼夜共に同じパワーで発電し、
 
微調整を火力発電所が担当します。
我が国の火力発電所は最も発電効率が良く
最も少ない燃料で最もたくさんの電気を作り出すことができます。
火力発電はボイラーですので調整がききます。
 
それでも貯めておくことのできない電気
暑い日、寒い日があります。電力の使用量が
急に増えたり減ったりすると、停電の恐れが発生します。
これが電力の最も困難な課題であります。
 
福島の原発事故が発生する前のデータですが、我が国における
電源安定供給率が出ています。それぞれのご家庭において、
一年間で停電する平均時間は11分でした。
こんな国は世界中どこを探してもありません。
 
水力発電所は、簡単に言えば高いところから水を落下させて
その水流で歯車を回して発電するのですが・・・
それだけなら、火力発電で間に合っています。
なぜ水力発電が必要か、それは、楊水力による還元が可能だからです。
 
夜間、原子力発電所が作ったたくさんの電気、夜間はみんな寝ていますから
電気が余ってしまいます。そこで
その余った電気で水力発電所のポンプをフル稼働させて下流の水を
吸い上げています。その吸い上げた水を、昼間のピーク時に
一気に放流して、電気を作る仕組みです。
貯めておくことは出来ないけれど、こうして保持・調整することができる。
それが水力発電所が必要な理由であります。
 
原子力・火力・水力を組み合わせたもっとも
効率の良い発電、これをベストミックスと呼びます。
 

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送電施設です。
 

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魚沼市まで下ってきました。
ピッカリヒッカリコシヒカリ
これが魚沼産のコシヒカリであります。
黄金色の稲穂は富の象徴ですね。
  

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▲冬に備える除雪車
  
新潟県は日本屈指の豪雪地帯です。
特に山間部の冬は厳しいものです。
 
日本列島改造論で有名な越後出身の総理大臣  
田中角栄は次のような有名な言葉を残しています。
 
「岡山出身の君にとって、雪はロマンの対象だよな。
川端康成の雪国のように、あくまで叙情的な世界だよ。
だけど、俺にとって雪は生活との戦いなんだよ。
一極集中を排除しなけらばいかんと言っている発想の
原点は雪との戦いなんだ。君が雪をロマンの対象と
見ている限りは俺とは本質的に違うな」
 
鈍色の空のもと、田中は演説を始める。
 
「幸薄かった新潟の皆さん!
新潟と東京を隔てる山々を崩しましょう!そうすれば
新潟に雪は降らなくなり、乾いた空気が通るでしょう。
なに、心配はいりません。その工事で出た土砂を
日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればいいんです」
 
田中は公約通り、谷川岳を貫通する関越トンネルを掘削し、
東京と新潟へのアクセスを改善。青函トンネルが完成するまでは
世界一の長さを誇るトンネルでした。鉄道では
上越新幹線が開通します。
 

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▲国道252号線は六十里越え
 
新潟県魚沼市から只見、会津若松へ至る国道252線
六十里越え(ろくじゅうりごえ)の峠です。
 
 

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▲スノーシェッド
  
スノーシェッドは断崖に沿って走る道路に多数みられる建築物で、
土砂崩れや雪崩を予防し、除雪の手間を省く役割があります。
 

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▲昆虫採集に関する注意喚起
 
昆虫捕獲に関する注意喚起。
ライトトラップとは光りに集まる虫の習性を利用した捕獲方法で
強力なライトで白い幕を照らし、クワガタ虫などの飛来を促すものです。
 
各々、趣味で採取するならよかったのですが、
最近はペット業者のクワガタ乱獲が甚だしく、こうした問題になっています。
黒いダイヤと呼ばれておりまして、大きいものなどは数十万円の値段がつきます。
困ったものです。

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こちらはルールに乗っ取って採取した会津産ミヤマクワガタくん。
 
標高の高い、深い森に生息することから、漢字では「深山クワガタ」と書きます。
ミヤマくんは、摂氏25度以下でした生きられないため、お家で飼育する場合、
室内で冷房つけっぱなしが基本です。
ノコギリクワガタは30度でも平気ですけれど。
    

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▲田子倉ダム
 
マタギの集落が沈む田子倉ダム
 
福島県南会津群只見町の田子倉ダムです。重力式コンクリートダムで
その規模を示す単位を、堤体積(ていたいせき)と呼びますが
水を堰き止めるために積み上げられたセメントの量は
セメント袋に換算して積み上げた場合、富士山の311倍の高さになります。
このように、見えているコンクリートは氷山の一角です。
 
ダムは同時に水力発電所でもあります。
こちらの田子倉ダムの田子倉水力発電所は
日本第二位の水力発電所です。
 
湖底にはマタギ(狩人)の集落が沈んでいます。
 
田子倉ダムは
終戦から4年後の昭和24年、地質調査が開始されましたが
湖底に沈む住民との補償問題で長期化しました。
完成したのは着手から11年後の昭和35年でした。
この間に起こったダム建設関係者と住民と争い、そして人間模様を描いた小説、
『無名碑』曽野綾子著、『黄金峡』城山三郎著などがあります。
 
千葉県の国立民俗博物館では田子倉ダムに水没する前の村の
ジオラマを見ることが出来ます。
 
多大なる犠牲を払ったダム建設でしたが、
国鉄只見線と国道252号線の開通にも大きく寄与しました。
国鉄只見線は乗降客数の少ないローカル路線ですが
国土の重要拠点を貫く最重要インフラとして
災害、有事の際、大きな役割を果たすことになります。
 
国道252号線は六十里越え(ろくじゅうりごえ)と呼ばれる峠は
新潟と会津若松を結ぶ唯一の道路であります。

 

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瀧神社
水の神様・瀬織津姫を祀った只見川流域安寧祈願の神社

 
只見駅を降りてすぐ裏手ありますのが瀧神社です。
瀧神社は新編会津風土記によると治承4年(280年)勧請とあります
ご神体は金幣であるといわれております。
 
只見川は古来から暴れ川で氾濫によって毎年のように
住民を苦しませてきました。
 
享保年間(1716-1738年)も洪水に悩まされ
当時唯見村熊野神社の神職であった
赤塚伊勢伊直は、只見川の鎮撫を祈願してきましたが
熊野の祭神スサノオは戦神のためか
水害に効き目なく、遂に上の原の地(現在の只見駅前付近)に
瀧神社を建立しました。
 
瀧神社には水神であります瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)を祀って
荒れ狂う只見川を鎮めて村民の安穏を願ったのでありました。
 
明治30年に只見駅前辺りから現在の場所に
100メートルほど移築され、鳥居は大きさこそ違いますが、
両部鳥居といって厳島神社と同様の形であります。
 
社殿には、巧な彫り物がされております。
地方の神社でこれほどまで彫り物が多い神社は非常に珍しく
貴重なものです。
 

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▲廿三夜の月待ち塔。
  
月待塔(つきまちとう)
神社裏に廿三夜(にじゅうさんや)の月待塔。
月待塔とは、主に文化・文政時代に流行した
月待行事の名残です。月待行事とは特定の月齢の夜
村の仲間が集う行事です。月待信仰とも呼びますが
そうしてお月様を拝んで、村の安寧を願ったり、
月の下で宴を催したりして過ごしました。
 
廿三(二十三夜)は明け方にのぼる月です。
二十二夜は女性だけの集いで、二十三夜は男性だけの集まりとされる
など、地域によって違いますが、月齢で異なりました。
 
この月待塔は大きく、文字も迫力があります。これは初めて見ました。
とてもとても珍しいものです。これが京都など都市にあるなら
たちまち柵で囲まれてしまうでしょうけれど、地方には
こうして手付かずで残っているんですね。感激です。
ずっと、この綺麗な状態のまま後世まで残りますように。 
 

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▲只見線橋梁
 
鉄道ファンに人気の只見線会津塩沢駅付近の橋梁。
左のお山は戸屋山です。 
 

Akabe

▲『あかべえ』は福島県の赤ベコをベースとした町おこしキャラクターです。
可愛いです。ゆるキャラグランプリにもエントリーしています。
 
福島県には美しい自然に歴史に、魅力がいっぱい。
 
頑張っぺ!福島!
   

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福島の旅は続きます

2017年8月26日 (土)

「飛燕」パイロット×現役空自戦闘機パイロット対談

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竹田五郎氏(元統合幕僚議長・飛燕パイロット)と
航空自衛隊で現役戦闘機パイロットの玉川氏で
対談企画を実施しました。
 
玉川氏は、航空自衛隊の戦闘機で20年間も日本の防空の最前線におられた
大ベテランであります。
 
一般人の方は、三次元の空間を充分に理解せずに飛行機を語りがちです。
私もそうした描写において、竹田氏からも、随分とご指導を頂きました。
 
パイロット視点でインタビューして頂くことで、
一気に立体感と臨場感が増したと感じました。
こちらの内容も少しずつ、書かせて頂きます。
 
それにしましても、ここに居てパイロット経験がないのは私だけです。
一度、自分の操縦で大空を飛んでみたいと、切に願う今日この頃です。

The Paradise of Phantoms 百里基地 F-4 & RF-4 3飛行隊

 
先日、ご一緒した航空自衛隊戦闘機パイロットの方が
この 動画の中で飛んでいます。綺麗な動画です。
撮ってくださった人、ありがとうございます。
百里基地のフェンス越しには、すごい望遠レンズを持っている人が
たくさん居て、その様子はコクピットからも目立つのだとか。
 
F-4(あるいはRF-4)戦闘機はフラップの反応が神経質で
低速域ではほとんど反応しないのが、高速になると突然暴れ出すそうです。
だからF-4は、F-15やF-2と比べたらとても重く操縦が難しい戦闘機。
航空自衛隊のパイロットは老練の技術を持っています。

武田一義先生と意見交換

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漫画家の武田一義先生と意見交換を実施しました。
 
武田先生はヤングアニマルで大人気連載中であります
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者です。
 
先生は漫画を通して、ペリリュー戦という戦争が
どうしたら読者に伝わるか。
そして、描くならばありのままを、真実に近いものをと、
意見が一致したところであります。
今回、お話しした内容は誌面に反映していきたいと
話されておりました。
 
いよいよ、物語はいよいよ玉砕というところになってきました。
今後展開される最終局面に驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが
私はとても期待しております。
 
28日に発売になったばかりの単行本三巻より
少しだけ紹介させて頂きます。 
 
「幼き頃より覚悟ある武人の死は美しいものだと
思っていた。だが今、間近に来て知る死というものは
実に汚らしく、おぞましく、無残な悪臭を放つ
ならば、言葉だけは美しくーーーー」
 
ありのままを大切になさるお気持ちを
一番に私も取材協力して参ります。
   
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
ヤングアニマルで連載集&単行本全三巻、全国書店にて販売中。

武田一義公式ページ 
http://144takeda.blog.fc2.com/

公式ツイッター
https://twitter.com/144takeda
 
 
なお、筑波海軍航空隊記念館では
現在、武田一義先生の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
原画展を開催しております。
  
また、茨城県各地で『追憶』の映画上映を行っております。
こちらの映画は私も製作に携わりました。ぜひご覧ください。
 
筑波海軍航空隊記念館公式ページ
http://www.p-ibaraki.com/tsukuba
 
『追憶』茨城県内縦断上映会
7月28日(金)
茨城県県民文化センター小ホール
10時30分、14時00分、19時00分の三回上映。
14時と19時の回終了後には武田先生のトークセッションあり。
 
8月26日(日)
常陸大宮市ロゼホール
13時30分
 
9月9日(土)
大子町まいんホール
10時30分、14時00分、19時00分の三回上映。
 
8月1日(火)~連日
笠間市地域交流センターともべ
10時00分、13時00分、16時00分、19時00分
 
最新情報は主催者発表のものと照合ください。
以上、よろしくお願い致します。

映画『追憶』上映後トークショー

_
8月5日、映画『追憶』と『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
コラボ企画としまして
 
笠間市地域交流センターともべ「トモア」にて
水戸二連隊ペリリュー島慰霊会事務局長影山氏とともに
トークショーを行いました。
 
ペリリュー戦の経緯、映画の補足、戦後の取り組み等につきまして
お話しさせて頂きました。
 
本来であれば、ペリリュー戦生還者の永井啓司さんがお話しする
予定でありましたが、体調のご都合によりお休み。永井さんの
ピンチヒッターを努めた次第であります。
 
質疑応答のコーナーでは
ご遺族や興味を持ってお越し下さった方々の質問に
お答えしました。
 
ペリリューの戦いをはじめとした戦争の記録を
お伝えするために、こうした取り組みを「わかりやすく」をモットーに
今後とも続けて参ります。
 
お越し下さった方々、また関心を持って下さった方へ
心よりお礼申し上げます。

2017年8月25日 (金)

御巣鷹の尾根へ

日本航空123便の墜落事故から32年目の夏、そして33回忌となる今年8月12日、
御巣鷹の尾根へ慰霊登山へ参りました。
当時、私は2歳でしたが、ブラウン管に写る光景が忘れられません。
既にカラーテレビでしたが、事故現場を映した画面はモノクロのような、殺風景で、
ジャンボジェット機の大きなギア(車輪)が逆さまになって転がっていました。
隣で一緒にテレビを見ていた父が「飛行機が墜落したんだよ」と教えてくれました。
 
御巣鷹の尾根へ慰霊へ行く際に感じたことと、その記録を記します。 

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Photo

御巣鷹へのアクセス
御巣鷹の尾根へのアクセス(行き方)は交通手段が乏しいので
ほとんどの場合、車を使います。
 
一応、最寄りの駅は群馬県側は、上信電鉄下仁田駅。
埼玉県からのアクセスであれば秩父鉄道秩父駅ですが
駅レンタカーはありません。レンタカー利用の際は高崎駅あたりで借りる
必要があります。
 
最寄りのインターチェンジは上信越道下仁田・南牧IC。
インターを降りてから、下仁田の市街地を経て、
上野村の中心地までがおよそ1時間。
上野村の中心地に追悼施設「慰霊の園」があります。
ここには事故で最後まで身元が不明だった方々のご遺骨を納めており
追悼式もここで開催されます。御巣鷹の尾根まで登ることができない
方々は、こちらで献花します。
 
上野村の中心地を走る国道299号から県道124号線に入り、
およそ3キロ。御巣鷹の尾根への分岐道路が見えてきます。
 

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▲ここを曲がります。

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御巣鷹の尾根への道は、ナンバリングされておりません。
ここから先は、上野ダム管理用の林道で道幅は狭くなっています。
 
ここから先は携帯電話は圏外となるので、注意です。
なるべくコンパクトな自動車で行った方が良いのですが
  
見通しの悪いカーブの先から
報道関係者の大型バンが猛スピードで突っ込んでくるので
正面衝突にならないよう注意します。

Dscn0033 
▲A地点。
 
登山口まで舗装道路が続いていますが、8月13日は遺族の登山者と
報道関係者の車が多いため、行けるのはここまでです。
「ご遺族以外の駐車はご遠慮ください」と注意書きがあります。
我々は、ここに駐車して、登山口までの3.4キロを歩くことにします。

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▲B地点。旧登山口。観
さきほどのA地点から歩いて2キロほどで
旧登山口駐車場に到着する。音菩薩像とトイレがあります。
昔は、ここが登山口で、ここで自動車を降りて御巣鷹の尾根の昇魂碑まで
は2キロ以上を歩かねばなりませんでした。
 
現在はもう少し先まで舗装道路が延伸されています。
この駐車場も8月13日は、遺族と報道関係者専用となります。
 
アスファルトの道を、さらに先へ歩きます。

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みかえり峠を通過します。遺族が慰霊登山を終えて、下山する際、
この峠を境に御巣鷹の尾根が見えなくなります。ここで
後ろを振り返って「また来年も来るからね」と山を拝む場所です。
旧登山道がそのまま保存してあります。

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登山口駐車場に到着。ここも当然遺族と報道関係者専用ですが
8月13日以外の日であれば、空いていると思います。
 
ここから先が御巣鷹の尾根への登山道となります。
昇魂碑までの全行程は距離800メートル。高低差は180メートル。
簡単そうに思えますが、お亡くなりになった方々の
お墓は昇魂碑よりさらに上に多くあり、できるだけ多くのお墓に
手を合わせることを考えると距離はずっと伸びます。
余裕を持った登山計画を実施する必要があります。
 

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ここが登山口です。
 

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杖を貸してくれます。一人一本。借りたら返します。

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カウンターが設置されているのでこれを、一人一回押します。
 

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前を行くのはナビゲーターのK氏です。
御巣鷹の尾根と123便の事故に詳しく今回、案内して頂きます。
 

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登山道はよく整備されていて歩きやすいのですが
山は山です。特に雨天時はよく滑ります。
 
昨年には、登山道の整備中だった日本航空社員が
滑落事故を起こし、亡くなっています。
事故当時も遺族の対応にあたり、ずっと御巣鷹の尾根を
整備し、慰霊に身を捧げていた方でした。残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。

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さっきお借りした杖で熊よけの鐘を鳴らしながら進みます。
 

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前を歩いていたグループがぬかるみに足を取られて
転倒し、腰を強打していました。
一歩、一歩、慎重に歩きます。
人間の手と足はそれぞれ合わせて4本あるので、
 
そのうち3本が安定した状態で地面を捕えていれば
安全です。動かして良いのは残りの一本だけです。
高所作業の仕事をしていたとき、現場でよく注意されました。

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中間付近。
手すりを使って歩きます。
この手すりは、8月13日を前にボランティアが乾いた雑巾で
丁寧に吹き上げています。

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山小屋へ到着。山小屋は二カ所あって、
下側の山小屋が遺族専用で、一般の登山者は上側の小屋で
休憩することができます。
 
ここで冷たい麦茶が配られていました。有難く頂戴し喉を潤しました。

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山小屋を過ぎて間もなく、すげの沢と山頂への分岐点に差し掛かります。
機首が激突したのが山頂、すげの沢は衝撃で居れた機体の一部が
滑落した場所です。すげの沢は比較的原型をとどめたご遺体が多く
生存者4名もここで発見されました。こちらも帰りにお参りすることにして
先ずは山頂を目指します。

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お墓の目印となる案内板があります。
この辺りから、亡くなった方のお墓が山肌に点在するようになってきます。
お墓はご遺体が発見された場所に基づいて建てられています。
 

Dscn0063 
勾配がきつくなってきます。
既に標高は1,300メートルを越え、目指す昇魂碑は1,359メートル地点です。 

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山頂までの道が分かれています。急な坂道とゆるやかな道が選べます。
ゆるやかな坂を選ぶと、遠回りとなりますが、歩きやすく無難と思います。

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さっきまで木洩れ日があったのですが、急にガスが出てきました。
 

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昇魂碑に到着しました。全てのお墓は
まわりきれないので、ここで520名のお亡くなりになった方の
ご冥福を祈ります。
 
陸上自衛隊の救助ヘリが降りたのも、この辺りです。
少し平坦になっています。
 

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山は涼しいです。この日は摂氏20度。
 

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昇魂碑より、さらに登って行きます。
ここには遺品が埋葬されています。
黒澤丈夫さんは事故当時、上野村の村長さんで
現場を指揮し、救助と遺体収容に最も尽力された中のお一人です。
黒澤村長は元海軍少佐で実戦経験豊富なゼロ戦パイロットでした。
 
現場でご遺体の収容に尽力された
陸上自衛隊隊員も、この時代には
旧陸軍出身で戦場経験のある隊員が居りました。
こうした方々は、惨状にも動じず、着実に遺体を収容し
若い隊員が食事が喉を通らない中、
黙々と飯を食べたと記録が残っています。 

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御巣鷹茜観音と、亡くなられた方々のお名前が刻まれた石碑です。

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こちらの中には亡くなった方の、遺品、そして数多くのお写真が置かれています。
小さい子供さんの写真などは、本当に辛いものがあります。 
 
さらに上を目指します。
 

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斜面を踏み外さないよう、歩きます。
亡くなった方のお墓が続きますが、多くは急斜面にあり
前を通りがかった折には必ず立ち止まって合掌を致しますが
全員の方は不可能です。せめて前を通った方だけでも。

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ガスが濃くなってきました。出来るだけ多くの方のお墓に手を合わせたいのですが
安全が優先です。
 

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事故の衝撃でなぎ倒された大木と、その後植林された若い樹木です。
 

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こちらも、前を失礼致します。
さらに上に登っていきます。
 

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「沈黙の木」事故の炎で黒く焼け焦げた気がそのまま残っています。
山頂付近。なお、ここは御巣鷹の尾根ですが
便宜上、昇魂碑の場所と、機首の激突した近辺を
山頂と呼ぶことにします。
 

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この辺りは、ジャンボジェット機の機首の方に乗っていた方のお墓です。

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根元から折れた大木を何度も見ます。
 

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バツ地点。当時、捜索救助の起点として書かれたバツ印が残っています。
 

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高濱雅己機長、佐々木祐副機長、福田博航空機関士、三名の
ご遺体発見場所。
 
高濱機長のご遺体は顎の骨が見つかっただけだそうです。
 
高濱機長は海上自衛隊出身のベテランパイロットで
日本航空入社前は海上自衛隊のYS-11を操縦していました。
 
全ての油圧系統が失われたとなったボーイング747型機は 
アンコントローラブル(操縦不能)を宣言しました。
「油圧系統オールロス」すなわち尾翼のフラップ操作が
不能となれば、上昇、下降は出来ません。
このような前例はありませんでした。
 
そこで高濱機長と佐々木副機長は、エンジンの推力コントロールのみによって
上昇、下降(失速)操作を試みました。
ジェットエンジンは馬力はありますが、プロペラ機と違い、レスポンスが悪く
自転車で例えるなら、一番重いギアでゆっくりゆっくり増速するような
例えをすれば良いでしょうか。目の前に山があっても、それを飛び越える為に
スロットル全開にしても、それが反映されるのは長い時間の後です。
大型機なら尚更です。
 
失ったフラップの代わりにギアダウン(格納した車輪を出す)
して、フラップの代わりにしよう、という手段を思いついたのが
福田博航空機関士でした。
この様子、ボイスレコーダーにも残っています。
 
「あのー、ギアダウンしたらどうでしょうか?」
  
高濱機長の言葉は
「もうだめかもわからんね」と「どーんというこや」という二つだけが
切り取られ、報道されたので、大きく責任を問われました。
ところが、ボイスレコーダーの全編を聞いてみると、
油圧系統オールロスで32分間機体を操り、最後まで諦めなかったことが
理解できます。
 
高濱機長は最後の瞬間まで冷静で
乗客の命を救う事を考えていました。
 

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美谷島健くんのお墓。
当時9歳。PL学園の試合を観戦に、一人で東京から甲子園に行く予定で
飛行機に乗っておりました。ご遺体は足だけが見つかりました。
本によっては靴だけと書いてあります。
(K氏が素通りしているような写真に見えますが、拝んだ後です)
 
事故後、絶望しかない遺族の中で、
もっとも最初に立ちあがったのが健くんのお母様でした。
残された我々は、生きて前を向いて歩いて行かなければならない、と
8.12連絡会(遺族の会)を結成したのです。健くんのお母様は
それ以来、ずっとこの会の運営を行い
遺族のサポートとケアを続けてきました。
   

Dscn0117 
高濱機長のお墓を頂点として、山頂付近で亡くなった方々のお墓をお参りし
今度は、すげの沢へ降りて行きます。
 

Dscn0131 Dscn0118 
すげの沢分岐点まで戻り、谷底へ下っていきます。
すげの沢は生存者4名の発見された場所です。
 
ジャンボジェット機747型機は巨大です。
機首は岩肌に突っ込むように衝突しましたが
機体後部付近は折れ曲がって分離し、すげの沢に滑落していきました。
 
生存者の証言によれば 
事故直後には4名以外にも、息のある方が居たそうです。
会話をしたり、荒い息をしたりする様子があったということです。
こう言っては誠に申し訳ないのですが、
こちらでは、人間の形をした、ご遺体が多く発見されました。

Dscn0119 
すげの沢の対馬祐三子さんを中心とした3名のスチュワーデスのお墓。
対馬祐三子さんの冷静なオペレーションの様子はボイスレコーダーに残っており、
乗客も比較的大きなパニックを起こすことなかったと、伝え聞いております。
対馬さんは新婚でした。そして当日39度の熱が
ありましたが乗務し、任務を全うして
亡くなりました。

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そろそろ下山しないといけません。

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谷口正勝さんは、
きりもみ状態で降下する飛行機の中で遺書を書いた方です。
谷口さんのことは、ご存知の方も多いと思います。他でも多く
書かれています。
 
Dscn0132

山を下っていきます。
下りには杖が重宝します。有難い。
下りが危ないのです。上りより何倍も慎重に歩きます。
 
以上、御巣鷹の尾根への慰霊登山の平成29年の記録でした。 
 
事故で亡くなった方々にご冥福をお祈り申し上げますとともに
二度とこのような事故が繰り返されないことを、祈願致します。
 
      
免責事項
当記事に記載しました内容は2017年(平成29年)8月時点のものであり
状況は変化します。また、あくまで一個人の記録としてご覧頂き
登山、お参りされる際は各位の責任のもと実施されるようお願い致します。
 
興味本位の陰謀説やオカルトの対象としてのコメントは
控えて頂きますようお願い致します。

湯西川ダム建設中の記録

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▲ダムに沈む予定の旧道(下)と建設された新道(上)

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▲沈下が想定される一帯は樹木を伐採し流木を防ぐ。
 

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▲湯西川ダム本体工事個所。
画面手前が上流(沈む地域)で、奥が下流側になる。
主に首都圏で利用される水になる。
 
この写真はいずれも過去に撮影したもので
現在、全て湯西川ダムの底です。

2017年8月20日 (日)

旧軍から自衛隊へ入隊した場合の階級(資料)

航空自衛隊は航空要員の充足計画として
航空準備室においては昭和29年度航空自衛隊定員6,738名の
充足計画を作成した。警備隊からの転官および一般公募によることとし
その基本計画は次の通り。
 
転官はパイロットの充足に重点を置き
保安隊から幹部650名、陸曹等2,500名、警備隊から
幹部160名、海曹等400名計約3,700名とする。
 
航空準備室では陸海からの転官希望者各個人に
綿密な検討を加え、特に士補等は各職種の定員を充足させることに
主眼をおいて選考を進め、昭和29年6月31日迄には一応の
転官要員3,717名を決定した。
 
陸からの転官については終始順調に進捗し
計画通り行われたが、海からの転官は海上自衛隊自体の
航空要員充足の必要性もあり、計画の約60%に
過ぎなかった。
 
昭和29年度末までの転官状況は次の通り。
保安隊(陸上自衛隊)から
幹部559名、空曹等2,574名、計3,133名
 
警備隊(海上自衛隊)から
幹部85名、空曹等253名、計338名
 
転官者以外に一般公募を行い、幹部570名、
空曹等約2,000名を補充する。
 
隊員の募集は
保安隊が担当し、幹部520名、空曹500名、空士1,500名を
採用することにした。主な募集条件、応募状況は次の通り。
 
一般公務員に準じた資格のほかに次の資格が定められた。
 
◆二佐
国家公務員11級、同相当者、旧軍において概ね
昭和17年12月1日以前の少佐任官者
 
◆三佐
国家公務員10級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の少佐任官者
 
◆一尉
国家公務員9級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の中尉任官者
 
◆二尉
国家公務員8級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年8月1日以前の少尉任官者
 
◆三尉
国家公務員7級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年7月31日現在の見習士官、準士官
 
◆空曹
短期大学卒業者、旧軍の判任官
 
◆二士
昭和4年10月9日-11年10月1日出生者
 
◆部隊職員
3級-10級
  
出典
自衛隊十年史(1961年)

2017年8月18日 (金)

零式艦上戦闘機デザインデータ集発売

7販売開始しました。ぜんぶで60パターン以上の零戦の
イラストや写真が入っています。デジタルデータ集です。
商用と非商用の二種類があります。
 
中身はこちらです。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2017/08/post-67ed.html

商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP

非商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機ベクターデータ販売

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販売用のベクターデータの見本一覧です。
第一弾は「ゼロ戦」です。
 
自由に着色・加工・編集が可能なデータです。
 
価格ですが下記の通りで提供させて頂きます。
商用は全ライセンス付与です。
 
商用 ¥49,800-
▲プロモーション・宣伝・広告等での利用
▲グッズ製作(Tシャツ・マグカップ等) 
▲まとめサイト(キュレーションサイト)での利用 

▲アフィリエイトが付随するサービスでの利用 
  
非商用 ¥2,980-
〇個人ブログ・ウェブサイト素材としての利用

〇動画素材(youtube、ニコニコ動画など個人非商用アカウントでの利用)
〇発行部数1,000部以下の同人誌・趣味の印刷物

〇SNSのアイコン等
〇教育・講演、プレゼンテーション等

 
非商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC
 
商用購入
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP
 
こちらに続きまして
彗星や紫電改、震電、陸軍機、戦艦などもラインナップに追加していきます。
よろしくお願い致します。

2017年8月 9日 (水)

疾風うちわ

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Hayate宇都宮限定の疾風うちわです。
護国神社の盆踊りで配布致しました。
涼しく洋上迷彩のお色となっております。

疾風

先日、飛行22戦隊の戦友会(解散しました)を
支えてこられた方とお会いしまして、お話しを伺いました。
飛行22戦隊は4名しか生き残りがいなかったそうです。
菊水のシンボルが有名な戦隊です。
このご縁を機会に、22戦隊も描いています。
 
専門家の方に色を監修してもらっています。
 

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持ち出し用掩体壕

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出前持ちのおかもちをヒントに作成しました。
模型持ち出し用の梱包です。
 
模型作品を家に飾っておくより多くの方に見て頂きたいがモットーです。
講演会などで積極的に持ち出します。 元パイロットの方も模型を
ご覧になると、「懐かしいのう」と、昔の記憶をいろいろ思い出して
くださるのです。二次元のイラストとは雲泥の差があります。
先日お目にかかった大野さんも
「ほとんどこの通りだった」と懐かしそうに仰っておりました。
 
梱包は干渉に気をつけながら、機体そのものは浮かせることで
破損を防ぎます。掩体壕のような形になりました。
現地でそのまま展開し取り出し、収納が可能です。 
 
掩体壕の中身は1/48の彗星。
神雷工房様の作品です。

比叡山延暦寺と桜花発射基地

先日の関西方面旅行で
比叡山延暦寺をお参りしました。
比叡山は仏教天台宗の総本山です。
 
実は延暦寺というお寺そのものはありません。
延暦寺という呼び名は比叡山に並ぶお寺の総称であります。
比叡山は京都府と滋賀県の県境に位置し、琵琶湖を一望、
東塔(とうどう)と、西塔(さいとう)に分かれてお寺が建てられています。
お寺が建つのはいずれも滋賀県側です。 
 
京都市内とは全く雰囲気が違い、ここはとても静か。
観光客は指で数えるほどしかおりませんでした。

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西塔にあります、弁慶のにない堂です。
双子のような造りになっていて、
かの弁慶が双方の屋根にまたがった、という言い伝えが残されております。
 

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苔が神秘的でありました。
 

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こちらは延暦寺のオフィシャルカーです。
消防車も自前でありました。
  
「桜花」発進基地としての比叡山
近現代史では、ここ、比叡山は房総半島とともに、ロケット特攻機
「桜花」の発射カタパルトとレールが配置されました。従来「桜花」は
一式陸攻の腹下に吊り下げて出撃していましたが、終戦間際
比叡山の上に設けたレールから射出する方式に変更したのです。
 
エンジンも従来の火薬ロケットからジェット推進に換装され、
航続距離は大阪湾よりはるか洋上の機動部隊を殲滅(せんめつ)
が可能とされておりました。
 
それらは使われることなく、本土決戦を前に終戦を迎えましたが
元パイロットの方に、当時の訓練の様子をお聞きしておりました。
比叡山を上り下りして、来たるべき決戦に備えていたそうです。
 
桜花の戦跡は撤去され残っておりません。 

蒸気機関車は走る

いよいよ、8月10日、東武日光線でSL「大樹」が走る。
SLが走る路線は全国でも数えるほどしかないので大いに期待歓迎している。
 
数年前、東海地方の市長が
町おこしでSLを復活させる取り組みに着目し
 
「宇宙船が飛ぶ時代、SL(蒸気機関車)を修復するくらい容易い筈だ」
 
と発言し、話題になった。
この発言に対するアンサーは技術的観点からすれば「とんだ見当違い」である。
SLの復活は大変な困難を伴う。
部品の規格が現在と違うし、それを作れる職人がもう居ないので、
少しでも機械をかじったことのある者なら、手間が何重にもなるのは
痛いほど理解できる話だ。
 
市長の発言は、結果的に批判を招いたが 
工業遺産伝承の諸問題を周知出来た、という点では
大きな一歩と感じる。
  
そうして大変な困難を乗り越え復元されたSLは、昨今、子供達や家族連れに大人気で
憧れ、優美さ、ノスタルジーという視点で語られがちだが
一部年配者は顔をしかめ、 
 
「あんなもの復活されても、戦後の貧しく苦しかった思い出しかない」と語る。
 
万人に受け入れらるのものなど存在しない。
 
されど、機械は機械である。
技術者の視点では、機械というものは
常にニュートラルな存在である。ゆえにひたむきになれる存在なのだ。
これを、女性に説明するのは非常に非常に難しい。
 
失われかけた工業遺産を残してゆく。
100年後、200年後においてどう扱われるか、わからないけれど、
ただ、ひたむきに、機械と向き合う人たちがいる。
そうした人たちは市長や妻や年配者の発言にも負けずに
工具を持った手を休めず、きっと、こう言うのだ。
 
「それでいい」と。
 
蒸気機関車は走る。

2017年8月 8日 (火)

ゼロ戦の増槽大研究

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零戦のイラストを全種類描くにあたって
増槽も描いています。
 
増槽(ぞうそう。陸軍名称は落下タンク)
は長距離を飛行する際に取り付ける外部燃料タンクで、
中身が空っぽになったら、切り離し捨ててしまうタンクです。
 
増槽は型式が存在せず、機種によってバラバラなのです。
これだけ零戦がブームなのですが、増槽は
全然研究がされておりません!
専門書などを見ても多くが割愛されております。
 
私も本物をほとんど見たことがありません。増槽だけ展示してあるのは
万世特攻平和祈念館と筑波海軍航空隊記念館くらいでしょうか。
使用後捨ててしまうものですから、残っていないのは仕方ないのかもしれません。
図面も機体の一部としては見なしていないようです。
 
材質・塗装・形状・取り付け場所・支柱、すべてが
年代や機種によって全く、あるいは微妙に異なります。
 
全部は描ききれないので、まず、ゼロ戦に限って描くことにします。
ゼロ戦だけで主に三種類あります。このほかに現場で小加工して取付したり
したケース等、たくさんのパターンがあります。 
 
◆初期型胴体下330リットル(海軍機専用)
もっとも有名なのは真珠湾などで使用した21型の初期型。330リットル。
(彗星艦爆と兼用です。彗星艦爆は翼下に二個装着できます)
支柱にカバーが装着されています。主に52型で見られます。金属製。
 
◆後期型胴体用320リットル(海軍機専用)
次に後期型。形状がかなり細長くなります。主に52型甲以降に見られます。
「雷電」などにも同じものが使われています。
材質は木製に変更され、支柱も剥き出しになっています。
 
◆陸海軍統一型二型落下増槽200リットル×2
翼下に二個取り付けるタイプで「隼」「飛燕」「疾風」など
陸海軍で同じものを使っていました。
ゼロ戦は62型以降の零爆で胴体下に爆弾を取り付けた場合
翼下に二個となります。木製。

2017年8月 1日 (火)

二式飛行艇・九七式飛行艇パイロット吉田氏による操縦解説


 
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの動画出来ました。
よろしければご覧ください。
 
吉田重次さん
山形県出身。昭和15年12月、第15期乙種海軍飛行予科練習生。
昭和17年11月、水上機操縦専修。零式三座水偵等の操縦を経て、
昭和18年8月、詫間海軍航空隊に配属。九七式飛行艇および二式
飛行艇操縦習得。館山海軍航空隊を経て、昭和19年3月、第90
1海軍航空隊へ転属。昭南島、サイゴン、フィリピン、インドネシ
ア等へ飛行、主として船団護衛を務める。昭和20年6月、横濱海
軍航空隊転属。内地とラバウルを往復し、傷病者、薬品の空輸を行
う。総飛行時間1,000時間以上。
 
第901海軍航空隊 一番機 KEA83号機(ハセガワ模型のパッ
ケージイラストのモデル)操縦。
 
音声修正・ノイズ除去/CREA SOUND WORKS
http://crea.serveblog.net/crea/index.html
  
撮影協力/宇賀神綾香 インタビュー/篠原直人
  
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの講演会のお知らせ
吉田さんの講演会が10月15日に茨城県小美玉市で開催されます。
飛行艇の話はなかなか聞けないと思います。ぜひお越しください。
同日、彗星(二式艦偵)の田中三也さんもお話しになります。
またブログ内でお知らせします。
 


2017年7月28日 (金)

鶉野飛行場と資料館グッズ

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兵庫県加西市にかつて鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)という
飛行場がございました。
 
ここには川西航空機の分工場があり、紫電や紫電改を飛ばしていました。
現在も滑走路や掩体壕などはそのまま残っています。
滑走路脇には資料館も開設されております。 
 
そうした歴史を保存する会「鶉野飛行場未来プロジェクト」のメンバーの方
にお目にかかりまして意見交換会を実施致しました。
 
この会には素晴らしいデザイナーさんがいらっしゃって
これらのオジリナルグッズを購入することができます。
 
一番右は紫電改/紫電Tシャツ。2,500円。
キャラクターはオジリナルマスコット「鶉野少尉」であります。
クリアファイルやステッカー、ポストカードも100~200円と
手頃な価格で手に入ります。売上金は資料館の運営資金となります。
何卒ご支援、よろしくお願い致します。
 
問い合わせ先:鶉野飛行場資料館
http://www.uzurano-hikoujou.com/
 

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遊就館の撮影規定改正

靖国神社の遊就館ですが
今までゼロ戦とSLのあるエントランスホールのみ撮影が可能で
展示フロアは一切撮影禁止でした。
 
それがこのたび、大展示場の撮影が許可されました。
朗報です。
彗星や桜花の展示してある大きなフロアです。
  
日本の博物館や資料館は撮影禁止のところが多いですが
残念なことです。元来、日本人の感覚からすれば、
撮っていいものと、いけないものの区別はつくはずです。
 
一般的な展示は撮影しても、
遺影や遺書を撮るということは躊躇いますし、何よりも
他の来館者の邪魔になるような迷惑行為は当然しない。
 
それを漢字二文字で「配慮」と言います。
本来の言葉の使い方です。 
 
撮影の可否を来館者のモラルやマナーに任せられるなら
こんなに理想的なことはありません。
 
しかし乍、その区別ができない人が増えたから、不本意乍
一様に禁止!としてしまう、そういった事例が多いと思います。
 
義務を果たさず権利ばかりを主張する人が増えました。あくまで
「撮らせて頂く」という気持ちを忘れずにいたいものです。
 
靖国神社遊就館においても然りです。

蒼月遥メイキング

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空のカケラの萌えキャラメイキングです。
左側が下絵、真ん中が着色してすっぴんの状態です。
これにアクセサリーを加えた状態が右側になります。
別パターンも作成中であります。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

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イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。

2017年7月25日 (火)

ペリリュー 楽園のゲルニカ


大人気漫画
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者であります
武田一義先生と意見交換を実施させて頂きました。
 
武田先生は拙著『パラオ戦跡を歩く』をご覧くださり
極力、ありのままの事実を作品に
盛り込みたいとのお考えで一致しまして
いよいよ、物語の終盤をお描きになっています。
 
武田一義先生の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』原画展が
7月28日(金曜日)より茨城県笠間市の筑波海軍航空隊記念館で行われます。
ぜひ足をお運びください。 
 
筑波海軍航空隊記念館お知らせページ
http://www.p-ibaraki.com/1545 
 
筑波海軍航空隊記念館TOPページ
http://www.p-ibaraki.com/

2017年7月24日 (月)

二式大艇パイロット吉田さんインタビュー

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第901海軍航空隊で
九七式飛行艇、二式大艇のパイロットをされていた
吉田さんにインタビューをさせて頂きました。
吉田さんは飛行時間1000時間で、
九七式、二式と両方の飛行艇の操縦をされておりました。
 
実はハセガワ模型のパッケージで有名なこちらの箱絵、KEA63号機は
吉田さんが操縦していた九七式飛行艇で、戦後、このイラストを見て
びっくりなさったそうです。

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吉田さんは飛行艇の着水の操縦方法を解説してくださいました。
こちらのインタビュー動画を交えて
少しずつ、書かせて頂きます。
 
また、吉田さんの講演予定もございますので、決まり次第
こちらで告知させて頂きます。

2017年7月21日 (金)

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(3)急降下ダイブ

大野徳兵衛さん大野善也さん
 
◆ダイブ準備

 
急降下する前に、カウルフラップを全て閉じます。
急降下するとエンジンは1分間で急激に冷えます。
トーン(シリンダーの温度)が100度以下に低下すると
オーバークールでエンジンがストップしてしまう危険がありました。
 
急降下した後は、カウルフラップを全開するのを
忘れがちになります。今度はオーバーヒートになりますから
気を付けなければなりません。
 
ダイブすると、急激な気温と気圧差に伴って湿気で飛行眼鏡が
曇ってしまいますから必ず眼鏡を外しておきます。
 
◆ダイブ角30度より降下
 
高度6000-6500メートルからダイブに入ります。
訓練では9000でやりましたが、
戦地では6000-6500ぐらいですね。
急降下爆撃では7000以上は必要ない高度です。
6500以上は燃料物凄く食うんですよ。
 
30度くらいで降下していきます。
エンジンに沿わして標的をずらしていく。
機体が放物線を描くように
目標の敵艦に対してだんだん深くなるんですよ。
 
はじめから急降下すると浮力がついて90度になってしまうんでね。
最終的にダイブは60度がベストで62、3度が限度ですね。
それ以上は引き起こしができないんですね。実際に
訓練中に小西兵曹が角度が深すぎて海に突っ込んでいます。
 
6000-6500メートルでダイブを開始して徐々に高度を下げて行きます。
このときペアが後席で高度を読み上げて行きます。
高度の読み上げは、1000のときにメーターをつけるんです。
500のときはメーターつけないんです。例えばこうです。
 
「6500、6000メーター、5500、5000メーター」
 
こんな具合で読み上げていきます。
 
◆ダイブブレーキ展開
 
3000メートルから2000メートルでブレーキをかけます。彗星の
エア(ダイブ)ブレーキですが、私達は空戦フラップと呼んでおりました。
この空戦フラップを使えば零戦と変わらない捻り込みが出来ました。
戦闘機にも劣らない、彗星は名機です。
 
ブレーキをかける時期は身体の感覚でしたね。振動がダーっと
全身に伝わってきて、スピードメータも見ません。
 
◆ダイブ角度60度
 
ダイブした彗星は高度2000-1500で60度に達します。
真横から見れば60度ですが、少し他の方角から見れば
垂直に見えるんですよ。乗ってるほうはもう完全に垂直ですよ。
座席から重心が前に行く。真っ逆さまですね。
 
◆弾幕に突っ込む
 
対空砲火の弾幕は凄まじさですが
自動車を運転して雪の降る高速道路に乗りますね。
すると、雪が自動車のフロントガラスに当たる。
あれと同じです。曳光弾と似ているので。いつも自動車に乗るたび
思い出します。
 
実際に目に見える弾は三発に一発の曳光弾だけで
残りは徹甲弾や焼夷弾ですから、実際にはその三倍もの
弾が飛んできている勘定です。
 
弾幕を張っているときグラマンも飛べないので
攻撃中にグラマンに落とされたという話は聞いたことがありませんね。
 
弾幕が張られているのは1000メートルから2000メートルの間ですね。
弾幕も二種類あって、薄い弾幕と濃い弾幕が重なっています。
薄い弾幕は500メートルから600メートルくらいまでありますが
 
◆輪形陣のド真ん中に突っ込む
 
濃い弾幕を抜けて視界が開けたとたん、びっくりしたのが
敵艦隊の輪形陣の大きさで、そのど真ん中に突っ込んでおりました。
 
どれでも狙えますよ。
そのときは巡洋艦クラスでしたね。
 
◆爆弾投下
 
訓練の規定では、高度650メートルで引き起こしすると
決められていましたが先輩から
「大野兵曹、そんな正直に650で突っ込んだりしたら落とされるぞ」
と脅かされました。650メートルで引き起こすと
待避高度が300メートルくらいになりますね。
それが戦地では撃ち落されると。
 
高度7000メートルから
50-60秒で敵艦の上空まで落下します。彗星は
一秒間に140-150メートルのスピードで進んでいます。
 
彗星は爆弾倉があって、爆弾はその中へ抱えていました。
敵艦隊上空に進入いうときに開けるんです。中翼ですからね。
その中で爆弾を腕の先に取り付けていて、
腕が爆弾を下におろしてから投下する仕組みになっていました。
 
爆弾を投下して、すぐ引き起こす。
投下してゼロコンマ何秒です。操縦桿を引く。
 
操縦席にはタマがある。
中に水銀のタマ。それが水平儀の中心にこないと駄目なんです。
タマが右にずれている場合は飛行機は左に滑っていると。
滑るということは、200も300もずれて爆弾が落ちる。
つねに、水をコップについでこの水がこぼれんように
持っていくというのがコツ。
 
だから弾幕と雲の間を縫いながら、体がこうならん(振り回されない)ように。
軸を据えて、機体が横に振れんようにもっていくのが難しい。
その訓練をずっとやるんです。
一朝一夕ではそこまで到達しない。
 
飛行機の操縦は難しいものでは無いです。
一ヶ月あれば飛べるようになります。しかし急降下爆撃は
そうそう弾はうまく落ちるもんじゃないんです。
 
◆引き起こしにかかる7Gとブラックアウト
 
そのときは私は、高度650メートルをオーバーして
450メートルまで降下していたんです。引き起こして、機首は上げても
慣性で350メートルぐらいは沈む。もう水面スレスレですよ。
それで助かった。
 
艦橋で機銃を持っている兵隊が伏せるのを見ました。
一秒間に150メーターもいくので照準できなかったんでしょう。
敵もあっというまに弾幕の間から出てきて爆弾を落とされる。
特攻だと思ったのかもしれません。
 
引き起こしのGが凄い。6Gか7Gかかります。
血圧も凄いですよ。普通の人間は死んでしまいますよ。
 
感覚としては、骨だけ残して、身だけ剥がれる。
上の瞼が下がってきて見えない。目の前も暗くなる。
どんなに食いしばっていても顎が開きます。
艦爆は6G、7Gかかる。ブラックアウトですね。
飛行機乗りの中でも肺や心臓が強くないと乗れない。
 
1000メートルぐらいで引き起こしたものはみな落とされたと聞きました。
1000で引き起こすということは650-700メートルぐらいで艦隊上空を
通過します。これは最も狙い撃ちされる。
同じ速度でも高いところでは敵も照準しやすいでしょう。
 
先輩方はほとんど落とされて帰ってこない。
結果的に私は帰ってきた。
 
◆離脱
 
海面スレスレで引き起したら今度はカウルフラップを開けます。
絞っていたエンジンを全開にしてグアーっと離脱します。
 
最初に申し上げた通り、ここでカウルフラップ開けるのを
よく忘れるんですよ。敵機に追いかけられると
逃げるのに精いっぱいで。
 
私もグラマンによく追いかけられました。待ち構えているように。
ですが、彗星は速かった。戦闘機よりも。
 
飛行機の速度と重力による落下速度をプラスしますから、
降りてエンジンを全開にするとグラマンがなんぼ早くても追い付けないんです。
彗星の最高速度は公称値は280ノットですが、300ノットは出ます。
追いかけてきたグラマンが300ノット出したら空中分解しますよ。
 
後に彩雲というもっと速い飛行機が開発されましたが
彗星艦爆とは構造がちがう。彗星はGに耐えられる。
彩雲は空中分解しましたね。「彩雲がどこどこで空中分解した」と情報が入る。
 
ゼロ戦は3G以上で空中分解しますよ。
それで30度のダイブしかできない。60度でダイブしたら一発ですよ。
ブレーキもついてない。落下していたら、エンジンなんぼスローでも
ゼロ戦は加速し続けますから。そもそも零戦が艦爆のマネしたから駄目なんです。
 
帰ってきたら10発ほど機体に撃ちこまれていました。
 
レイテ、オルモック、リンガエン、台湾沖航空戦と参加して
台湾沖では60名のうち40名が戦死しました。
戦果華々しくが報道されましたが、我々は最低だと思いました。
 
どうせ死ぬなら、行くときは何も思わない。
帰ってきてから「ああ、生きとった」と思います。
  
つづく

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(2)彗星との出会い

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◆九九艦爆と急降下爆撃機隊

 
艦爆いうたらハワイで活躍した。 九九艦爆がありますね。
ゼロ戦の搭乗員が、ハワイで九九艦爆が急降下するのを見て涙が
出たと言っておりました。その位勇ましかった。
 
飛行機の中で艦爆が一番過酷なんですよ。頭が下がりますよ。
実際艦爆乗ってる同僚の見たら感激するぐらいですから。
 
岩国で九九艦爆に乗って、空母「隼鷹」着艦訓練。
我々は四航戦で、伊勢、日向、隼鷹、飛鷹、龍鳳の各艦で
編成されていました。
 
豊後水道で全速力で走る隼鷹に 一点着艦(タッチアンドゴー)の訓練を
行いました。 3ヶ月、九九艦爆に乗って、それ以降は彗星に機種を変えました。
 
彗星は九九艦爆に比べて胴体が細くてスマートでした。
これはスピードが出ると思いました。
 
◆彗星艦上爆撃機 
 
彗星の搭乗員は殆ど戦死しています。
一番確実に敵をやっつけたのが艦爆ですからね。
 
彗星は靖国神社の遊就館にありますが、私はあれ見て 涙が出ました。
あの飛行機はイミテーションでなく 実物に近いです。
あちこち補修してますがね。
 
彗星は性能が良くて、ユンカース以上に良いと評判で
その通り非常にスピードが速い。 P-38とかシコルスキー、グラマンが
追いかけても さっさと逃げる事の出来るスピードがありました。
 
公称としては280ノット、事実戦争では 300ノット以上(時速555キロ)出しました。
どうせ落とされるなら 飛行機が壊れるぐらいまで走れと言いました。
 
◆彗星との出会い
 
私は当初、ゼロ戦と、当初15試陸爆と呼んでおりました
「銀河」を志願したんですが、両方はねられて、艦爆へ行ったんです。
 
それまでは徳島で3ヶ月教員しており、
辞令で第634海軍航空隊に転勤して艦爆に乗れと言われました。
 
ペアと一緒に駅から岩国の飛行場まで、田んぼの畦道歩いていましたら
遠くの空でキラっと光るものを見たんです。 次がまたキラっと光る。
「え?」と思っていると、 1分間ほど息せずに、急降下。
 
エンジンスローでまったく音しない。
それが今度、引き起こしでエンジン全開で我々の真上を
ブワーっと通り過ぎて行くんですよ。物凄い爆音。
 
「あお、あれが彗星やなあ、はじめて彗星を見た。怖い怖い!」
 
「あんなん乗せられるのか!?」
 
 正直、殺される!と思いましたね。足がすくみました。
それが彗星との出会いでした。
 
◆戦歴
私は艦船爆撃を7回、飛行場爆撃を1回、 艦船爆撃はその都度被弾して、
全部帰ってきました。 二回ほど燃料のメインタンク撃ち抜かれたけど
燃えずに白い霧が出ただけでした。
 
10回不時着しました。
索敵は数えきれないほど飛びました。
 
そして 特攻隊「神崎隊」隊長に任命されましたが
飛行直前で敵機が来襲して飛行機を燃やされてしまい
今、こうして生きています。
 
彗星は二人乗りでして、岩国で初めて彗星に乗って
からフィリピンの激戦までペアとは最後の飛行まで
ずっと一緒でした。 最後は、私はデング熱を患って、
空輸の飛行機に 乗り遅れたんですが、
ペアはその飛行機に乗って行って、 墜落戦死しました。
 
つづく

彗星パイロット大野徳兵衛さんのお話し(1)

Suisei2
 
今回は彗星艦爆パイロットの
大野徳兵衛さんのお話しを伺いました。
大野さんは大正15年生まれ。神戸市出身。
 
昭和17年10月、第11期甲種飛行予科練習生
昭和18年4月、第35期飛行練習生。 昭和19年3月、徳島海軍航空隊教員
昭和19年5月、第634海軍航空隊配属。岩国で3ヶ月のち フィリピン戦線へ。
レイテ、オルモック、リンガエン、台湾沖航空戦で
急降下爆撃7回。いずれも被弾しつつ生還。 不時着10回。
 
昭和19年11月、第701海軍航空隊、761海軍航空隊、第763海軍航空隊所属。
昭和19年11月、特別攻撃隊「神崎隊」隊長。出撃直前に空襲にて発進中止。
戦地にて黒水熱発症、入院中、終戦を迎える。
 
以下、大野さんのお話し
  
-----------------
 
戦争の話だけはしたくないんですよ。
話したことまったくなかった。
 
うちの息子も娘も今まで全然戦争の話はしなかった。
「え?お父さん飛行機のっとった?」
と言います。
 
ここ最近ですね。話せるようになったのは。
 
私、昭和20年の2月頃から戦地で入院して
終戦まで戦争してないでしょう。レイテでも苦戦したけど一番、
非常に辛い、飛行機乗りが一番死んだ時期に私は参戦してない。
それが後ろめたくて。
 
昭和19年当時、私は17歳(満年齢)でした。 私の青春は戦争でした。
いや、青春なんてなかった。
 
ですけれどね、今の若い人を見て、女の子と遊んでるのを見て
いいもんやなあ、とか、うらやましいとか、悔しいとか、
そういった気持ちは全く、これっぽっちもありません。 逆ですね。
 
貴重な青春をお国の為に尽くすことができた。
こんなに有難い事ありませんよ。誇りです。
 
20歳で死んだ命を偶然、拾って 今年、91歳ですよ。
長生きさせてもらってます。
 
喫茶店にでも行きましょうか。 そこでゆっくりお話しさせてもらいます。
 
つづく

2017年7月13日 (木)

絶望と希望と

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昭和44年(1969年)7月、アポロ11号が月面に着陸。
ニール・アームストロングは左足を月面に踏み出した。
人類史上、最もメジャーなニュースである。 
 
表向きは明るい宇宙開発競争だが、それは米ソ東西冷戦の歴史と
表裏一体だったし、
人類を月まで送り届けた「サターンV」ロケットの開発者は
元ナチス・ドイツの科学者フォンブラウンである。
フォンブラウンは大戦中、ロンドンを壊滅に追い込む世界初の弾道ミサイル
「V2」ロケットを完成させている。フォンブラウンは
ドイツ降伏の年、アメリカに亡命してロケットの平和利用の
研究を続けていた。
 
戦争は有能な人物の、あらゆる可能性を奪っていた。
 
日本では三木忠直技術少佐がロケット特攻機「桜花」を作っている。
三木少佐は新幹線の開発者で余りにも有名だ。
 
さて、アポロ11号の月面着陸は
日本でもテレビ報道された。
 
そのテレビを熱心に見つめる日本人が居た。
元陸軍パイロットで、戦後は航空自衛隊戦闘機パイロットになった
稲田淳美である。
 
稲田はこのアポロ11号のニュースを見て上官の竹田に言った。
 
「隊長ーー!もし日本が月に行くことになったら
真っ先に私を指名してくださいよ」
 
この時代、自衛官と言っただけで石を投げられ、
タクシーには乗車を拒否され、散々だった。けれど
そんなときでも、ここの者たちは日本の将来に目を輝かせていた。
 
日本人の底力をもってすれば、月よりももっと遠くへだって
飛んで行けると信じていた。 
 
稲田淳美はブルーインパルス二代目の隊長となる。
日本空軍復活のシンボルとなるのである。
 
ブルーインパルスは長澤賢が団司令の目を盗んで
低空背面飛行を披露したことに始まり、
今日に至るが、長澤が礎を築き上げ、実質的に
航空祭でお披露目される頃には稲田が隊長を務めていた。
 
ブルーインパルスで旧軍の出身者は
長澤賢(陸士58期)、稲田淳美(陸士59期)
加藤松夫(海兵74期)、西光(海兵75期/のち殉職)
の四名である。
 
ブルーインパルスのひく雲に
誰もが、わが国の復活復興を感じていた!
 

 
航空自衛隊黎明期を支えたのは、こうした旧陸海軍出身者が
多いが、誘いを断って故郷に残った者も居る。
 
岩崎陸軍大尉(航士55期)はフィリピン戦線において
百式司令部偵察機で活躍していた。
あのとき空から見下ろした戦艦大和も今はもうない。
 
復員したあの日、汽車は故郷の駅に昼間の早い時間に
到着した。
 
実家の母のもとには既に戦死の報せが届いていた。
兄弟もみな戦死していた。自分も死んでことになっている筈だ。
このまま帰っていいのか。
 
岩崎は戦争に負けたことが
恥ずかしくて、情けなくて、駅舎で夜になるのを待って
近所の目を避けながら、暗い道をトボトボと帰った。
 
家に着いて、台所の扉をガラリと開けると
そこには母がいた。死んだはずの息子との再会だった。
 
明治生まれの厳しい母が涙を流して
駆け寄って抱きしめた。
  
戦後、日本空軍再建のしらせと誘いを受けた岩崎は
二つ返事で行きたかったが、
貧しい貧しい時代、こんなチャンスはなかったが、
母をひとり残していく事が、どうしてもできなかった。
 
母にとってはたった一人、生き残った息子だった。
岩崎は母と一緒に故郷で農業を営み、国の再建に尽くした。
戦友のことを忘れた日はなかった。 
 
「若い良い男が戦争でみんな死んだ・・・みんないい男でしたよ。
 その男たちの事を、毎日思い出しています」
 
戦争は全てを奪い、日本を荒廃させた。
それでも将来日本のため、戦後頑張り続けた人たちのことを
そして、こういう人たちを将来の日本に残すため、自らは戦争で
犠牲となった人たちのことを、少しずつ書いていきたい。

大刀洗駅(たちあらいえき)

Imgp3119


ライリイ大尉の記事
を書くために
T-33(ジェット練習機)の画像を購入したのですが
自分でも撮影したものがありました。
 
ここは甘木鉄道甘木線の大刀洗駅です。
 
駅とカフェが併設されていて、屋根の上にT-33が乗っかっています。
可愛らしくて、ユニークな建物。
駅を降りてすぐ、道路を挟んだ反対側が
大刀洗平和祈念館です。
 
福岡観光情報
大刀洗レトロステーション

2017年7月11日 (火)

ジョー・ライリイ大尉の話

 
米国空軍戦闘機パイロット、ジョー・ライリイ大尉。
大尉は、日本空軍再建に最も尽くした人物といっても
言い過ぎではない。 
 
朝鮮戦争帰りの、ライリイ大尉は
そのまま日本でゼット戦闘機の教官として着任した。
(当時はジェット機をゼット機と呼んだ) 
 
ライリイ大尉は小柄であったが朝鮮戦争で捕虜になるより
白兵戦に備え、飛行服に
拳銃を二丁忍ばせていた、という逸話を持つ。
 
昭和31年の浜松。
格納庫の屋根は戦争中の爆撃で穴が開いたまま、
浜松の飛行場は吹きさらしで
プレハブ小屋が一軒だけ建っているような状態だった。

A4▲昭和30-32年頃の浜松基地。関係者より拝借。
 
大の親日家であったライリイ大尉は
ブロンドヘアの妻と愛犬を連れて、この
荒野のような、殺風景な浜松にやってきた。
 
ライリイ大尉は日本人パイロットに対しては
特に計器飛行を熱心に指導した。
 
それまでの旧軍の戦闘機「飛燕」とか「零戦」も計器は積んでいたが
当時の概念としては補助的なもので、
低い雲や悪天候、夜間の発着は大変なリスクが伴った。
 
計器飛行はこうした悪天候で視界が確保できない状況でも
人間の目でなく、計器をメインに安全に離着陸や飛行が可能となる、
現在では当たり前となった航法である。
 
ライリイ大尉は勤務時間は教官として任務をこなし、
時間外は研究のために飛んでいた。土日も飛んだ。
休みなしで飛んだ。
 
日本人も、皆、休みなしで飛ぶので事故が多発した。
源田実が、この状況を危惧し飛行時間の制限を決めたのが
昭和32年以降だった。
 
立て続けに
指宿正信二佐、小林照彦二佐、中村博二佐、の三名が殉職していた。
指宿二佐、小林二佐の事故のことは以前ブログで書いた。
 
元海軍パイロットの中村博二佐は射撃が特に抜群だったことで名を
馳せていた。事故は昭和32年6月20日、夜間計器飛行訓練中、
日向灘に墜落して殉職。
中村二佐は、このとき十分な高度があり、ベイルアウト(緊急脱出)に
成功したと言われているが、当時、満足なライフジャケットを身に
つけていなかったため直接の死亡原因は凍死だという。
 
ライフジャケットはあるにはあったのだが、数が揃わず
それでも良いから、と、飛んでいたのである。
 
これは、現代において考えてみれば
無謀とか危機管理とか、そういう話になってしまうのだが
当時の考えは全然違う。 
 
当時のパイロットは誰もが
一日も早い、日本空軍の再建を目指して
犠牲覚悟で飛んでいた、ということを、忘れてはならない。
気概をみんな持っていた。現在とは全然違うのだから。
 
このとき、F86Fのパイロットであった竹田五郎氏は
「事故があっても、屍を乗り越えて行く、
戦争中のような気持ちだった」と回想する。
 
ライリイ大尉は、そうした日本人パイロットとともに
命は軽いが、尊いものを背負って、飛んでいた。
 
大尉は本当に、飛行機に乗るために生まれてきたような人だった。
飛行機に対する探究心は尽きることが無かった。
それらの技術や経験を、日本人パイロットに惜しむことなく
教え込んだ。
 
自らも何事も思いついたら
やってみないと、気が済まない大尉だった。
燃料タンクが空になっても飛んで周りをヒヤヒヤさせた。
 
訓練中、燃料ゲージの限界の規定値に達すると
通常、パイロットは
「ミニマム・フューエル」(燃料僅か)をコールし
速やかに着陸しなければならない。
 
ライリイ大尉は、ミニマムフューエルをコールした後も
ふたたびスロットルを全開にして、もう一飛びしていた。
 
特筆すべきエピソードとして
琵琶湖上空から、入間まで滑空を試したことがある。
高度が下がりたため、浜松へ不時着した。
 
ライリイ大尉と日本人パイロットの間には
絶対的な信頼関係と、固い友情が存在した。
 
ライリイ大尉とお互い尊敬していたのが
ブルーインパルス発案者で初代隊長の長沢賢であった。
 
どちらも天才的技量のパイロットであったことは
間違いないが、飛行スタイルが異なる。ライリイ大尉はどちらかと言えば
飛行の研究に重点を置いて、
長沢賢は、後に、団司令の目を盗んで、松尾とともに
F86F戦闘機2機で勝手にアクロバット飛行を始める。 
2機で超低空でスローロールを行ったあと、日本初の
背面飛行を披露した。この話はまた後で書くことにして
ライリイ大尉の話に戻る。
 
ライリイ大尉が殉職したのは
昭和31年9月29日だった。
T-33複座戦闘機で連絡飛行中
ジョンソン基地(現在の呼び名は入間)基地に墜落した。
 
ライリイ大尉の話はどの本にも載っていないが、
大尉の残した功績は大きい。
きっと航空自衛隊の現在に確実に受け継がれているであろう。
 
いつか、誰かが見つけてくれることを信じて
ここに記す。

2017年7月 8日 (土)

頑張れ!誇り高き日本の企業戦士

以前、韓国人の友達が居た。
  
彼の名前はドンちゃん。
大森南朋に似ている。
彼とはよく酒を飲みに行った。
 
そこでいろいろと
韓国の話を聞かせてもらった。
 
ドンちゃんは穏やかで優しい人だった。
たくさん韓国の話を聞かせてもらって楽しかった。
中でも印象に残っているのは
 
「日本の女性はとってもやさしいよ!
こんなに優しい女性は世界中探しても日本だけだよ!
だからー、日本人の男はもっともっと女性に優しくしないと
いけないですよ!そうしないと、みんな韓国人の男に
取られてしまうよ!」
 
日本人女性は大モテだという話。
何度聞いたことか。
 

 
彼は日本の企業に勤めていた。
もちろんボスも日本人。日本人ばかりの中で
韓国人はドンちゃん一人だったけど、彼は日本語もペラペラだったし
日本人社会の中に溶け込んでいるように見えた。
 
だけど、日本企業はハードだ。ドンちゃんは
時折、仕事がハードすぎて辛いと、漏らしていた。
もしかしたらブラック企業だったのかも。
 
そんなこんなで、なんとかドンちゃんは頑張っていたのだけれど
ある日突然、彼は失踪する。そのまま
行方がわからず、それっきりになった。
風の噂では日本の仕事がきつくて、韓国に帰ったのだと聞いた。
 
伝え聞いた話だが、彼が失踪する直前のことだった。
長時間労働と休み無しですっかり疲れ切った彼が
死んだような目で同僚に、次のように言ったそうだ。
生涯忘れられない一言だった。
 
「徴兵より辛い・・・・」
 
そんなにきついのか。日本の会社は。
ご存知の通り、韓国は徴兵制で二年間の兵役が
義務化されている。
 
韓国の徴兵制については
こちらのサイトが見やすくてわかりやすい。
https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=557
   
軍隊より辛く厳しい、日本の企業戦士、
こうしている間も、日本のどこかで頑張り続けている!
 
ありがとうございます。そして、お疲れ様です。 
 
そして
ドンちゃん、大丈夫かな。幸せでいますように。



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パラオ全図島
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