2018年8月14日 (火)

ツイッターを開設

Photo 
ツイッターを開設しました。
メインはあくまでこちらのブログですが、若干テイストを変えて
タイムラインのお邪魔にならない程度に情報を発信していきます。
よろしくお願い致します。
 
https://twitter.com/soranokakera01

2018年8月 6日 (月)

8月6日 テニアン旅行記(過去記事)

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今日は8月6日、そしてここはテニアン島です。
エノラゲイが離陸したのがA滑走路です。
現在は無人で、米軍が有事を想定して荒れた滑走路だけ
保持してあるようです。
 
滑走路の真ん中を歩くことができます。
決して踏み出してはいけなかった、歴史の大きな誤った分岐点と感じます。
広島型原爆(青色)と長崎型原爆(黄色)です。
 
テニアン旅行記(過去記事)
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2014/04/b-29-16f6.html

2018年8月 2日 (木)

放送終了

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ラジオ放送、終わりました。RADIO BERRY (FM栃木)は
宇都宮市のシンボル通り沿いにあるオープンスタジオです!

2018年7月19日 (木)

飛行戦隊総覧表紙ができました

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表紙ができました。160ページのボリュームです。
C94で頒布となります。よろしくお願い致します。

2018年7月17日 (火)

みたままつり献灯

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みたままつり、行きたかったのですけれどあまりにも多忙で
今年は断念致しました。
 
献灯だけはさせて頂いたので、写真を撮ってきてもらいました。
永代は終了しましたが、来年からも毎年、献灯させて頂くつもりです。
宣伝ではないので一個で充分です。英霊供養であります。

2018年3月 8日 (木)

蒼空はるか 3月18日 TAKE OFF

蒼空はるか

『蒼空はるか』は
栃木県宇都宮市を舞台とした佐藤ヤス作画・篠原直人原案の
創作漫画です。町の活性化と航空機産業の発展を後押しするべく
非営利で行っております創作活動です。魅力的な街と、飛行機と、
個性的なキャラクターが大活躍します。
 
漫画:佐藤ヤス / 原案・航空機監修:篠原直人 /
 
3月18日、第一話を
こちらのページから無料配信致します。
どうぞよろしくお願い致します。
 
3月18日午前11時より配信します。
こちらをクリックして
閲覧画面へ進んでください。

Aa
 
episode♯1

偶然発見した裏山の洞窟。そこに眠っていたのは70年前に
隠された四式戦闘機「疾風」だった。彼女たちは機体が再び大空を
舞う日を夢見て修復を開始する。
 
登場キャラクター
・蒼空はるか
底抜けに明るくて元気。好奇心旺盛な女の子。
細かいことは気にしないタイプ。
父は自衛隊で大型ヘリのパイロットを務めている。
父の話を聞いていつか大空を飛びたいと夢見ている。
運動神経抜群。
 
・氏家さくら
名家のお嬢様。引っ込み思案な性格。
物怖じしないはるかに振り回されつつも
憧れている。
 
・市貝みさき
機械オタク。特に航空・宇宙分野に長けている。
クラスでは浮いた存在で、友達がいないが
本人は全く気にしていない。
 
・渡良瀬あやか
はるかの親友。しっかり者。
 
・壬生つばさ
学校内でも謎の存在。
 
2018年3月18日 TAKE OFF !

2018年1月17日 (水)

独立飛行中隊一覧データベース

独立飛行第1中隊(あきつ丸)/対潜哨戒飛行隊
◆使用機種
九九式軍偵察機、三式連絡機
 
◆部隊史
三式連絡機8機をもって陸軍はじめての
航空母船あきつ丸を母船とし、朝鮮地域において
主として関釜連絡航路の対潜哨戒を実施。
 
◆編成/昭和19年7月20日海雲台
◆復帰/昭和20年8月15日、海雲台
 
◆歴代中隊長
神谷正男少佐
 
船舶飛行第2中隊/対潜哨戒飛行隊
◆使用機種
カ号観測機
 
陸海軍史上初となるオートジャイロ部隊。
航空母船あきつ丸での運用試験実施後
壱岐筒城浜飛行場
 
◆編成/昭和19年10月広島市宇品
◆復帰/石川県七尾において終戦
 
独立飛行第3中隊/戦闘機隊
◆使用機種
甲式四型戦闘機(ニューポール・ドラージュ NiD 29)
 
◆部隊史
飛行第四連隊で編成、第一次上海事変に派遣
 
◆編成/昭和7年2月
◆復帰/大刀洗昭和7年5月、事変終結により帰還
 
◆歴代中隊長
神谷正男少佐
 
独立飛行第3中隊/重爆撃機隊
◆使用機種
九八式軽爆撃機、イ式重爆撃機(フィアットBR.20)
 
◆部隊史
飛行第七連隊にて編成。天津旧飛行場に前進。
第一飛行団長の指揮下に入り、昭和12年9月の第一軍の
京漢鉄道沿線および山西省の作戦に協力。昭和13年はじめ
伊式重に機種改編。昭和13年8月15日、飛行第98戦隊に改編。
 
◆編成/昭和12年7月8日浜松
◆復帰/昭和13年8月15日、王賓飛行場
  
◆歴代中隊長
島谷亭大尉 
 
独立飛行第4中隊/偵察機隊(満洲第691)
使用機種 
九四式偵察機
 
◆部隊史
飛行第四連隊第一中隊を基幹として編成。12年7月27日天津に前進、
平津地区の戦闘に協力。滄州、保定、石家荘、徳州、済南に移動地上作戦に協力。
12年8月27日北京に移駐。永定河右岸地区の戦闘、山西省広靈の戦闘に参加。
其の後上海、南京方面に参戦常に地上兵団の耳目として活躍
 
編成/昭和12年7月15日大刀洗
復帰/昭和13年7月27日、安慶
 
◆歴代中隊長
神崎清大尉、田中正藏大尉
 
独立飛行第6中隊/偵察機隊
◆使用機種
九四式偵察機
 
◆部隊史
飛行第四連隊第二中隊を基幹として編成。
12年7月27日天津に移駐。平津地区の地上作戦に協力。
12年8月15日上海派遣軍に編入。
12年9月1日上海に移駐。第十軍の上陸後、
進撃開始と共に敵の退却部隊の捜索と爆弾による攻撃を徹底して行い、
第十軍司令官より感状を授与
 
◆編成/昭和12年7月23日大刀洗
◆復帰/昭和13年7月27日、安慶
 
◆歴代中隊長
河村考三郎大尉、押目音次郎大尉
 
独立飛行第7中隊/偵察機隊
◆使用機種 
乙式一型偵察機(サルムソン 2)
 
◆部隊史
飛行第四連隊より編成
2年5月18日天津に派遣(山東出兵)
2年10月済南に移動
 
◆編成/昭和2年5月17日大刀洗
◆復帰/昭和4年5月17日原隊復帰
 
◆歴代中隊長
川添長太郎少佐
  
独立飛行第8中隊/偵察機隊
◆使用機種
乙式一型偵察機(サルムソン 2)、八八式偵察機
 
◆部隊史
飛行第六連隊より乙式一型、四機。八八偵、二機で編成。
関東軍司令官の指揮下に入り、奉天に前進、地上部隊の戦闘に協力。
6年11月11日平壌に帰還
 
◆編成/昭和6年9月19日平壌
◆復帰/昭和8年6月17日、平壌
 
◆歴代中隊長
平田辰男少佐
 
独立飛行第9中隊/偵察機隊
◆使用機種 
八八式偵察機
 
◆部隊史
6年10月15日満州派遣
 
編成/昭和6年9月19日承徳
復帰/昭和8年6月17日関東軍
飛行隊飛行第10大隊に編入
  
独立飛行第9中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九五式戦闘機
 
◆部隊史
飛行第六連隊第一中隊にて九五戦十二機で編成。承徳に前進、
南口の守備隊が敵の増強により孤立し、
輸送機三十機による空輸挺身により敵の後方に当隊の
掩護の下に強硬着陸、南口の危機は回避された。
12年10月第二軍の石家荘作戦、更に第一軍の山西作戦に協力
 
◆編成/昭和12年7月 平壌
◆復帰/昭和14年2月、彰徳
 
◆歴代中隊長
鈴木五郎大尉
 
独立飛行第10中隊/戦闘機隊
◆使用機種
甲式四型戦闘機(ニューポール・ドラージュ NiD 29)
 
◆部隊史
甲式四型戦闘機八機で飛行第六連隊より編成。
関東軍司令官の指揮下に入り奉天に前進、
地上部隊の戦闘に参加。6年11月11日平壌に帰還
 
◆編成/昭和6年9月19日平壌
◆復帰/昭和8年6月17日関東軍飛行隊
飛行第11大隊第4中隊に編入
 
◆ 歴代中隊長
花沢喜美大尉
  
独立飛行第十中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆部隊史
九五戦十五機をもって飛行第八連隊にて編成。王賓飛行場に前進。
12年12月3日大校飛行場攻撃、イ十六・七機を撃墜。
13年4月徐州作戦協力。13年9月漢口攻略作戦協力。
14年12月第百号作戦(蘭州進攻)の為運城展開。
16年5月中原会戦協力。16年12月4日広東前進、
16年12月8日大東亜戦争の開戦の第一撃で香港飛行場を急襲し在地10数機を壊滅。
第二十三軍司令官より感状授与。
第一次第二次淅カン作戦に参加。17年1月5日第十四軍飛行隊の隷下
 
◆編成/昭和12年9月6日ヘイトウ
◆復帰/昭和17年10月20日、漢口
 
◆歴代中隊長
安部勇雄大尉、木村清大尉、渋谷民雄大尉(戦死)、高月光少佐、森正幹大尉
 
独立飛行第11中隊/爆撃機隊
◆使用機種
九三式軽爆撃機
 
◆部隊史

九三式軽爆撃機十機をもって飛行第八連隊より編成。
12年10月16日上海方面航空部隊増強のため王賓飛行場に前進、
第三飛行団長の指揮下に入る。
12年10月17日大場鎭の敵陣地に対する爆撃を開始。
12年12月3日南京進撃戦において大校飛行場を爆撃。
その後句容を経て上海に移駐
 

◆編成/昭和12年9月6日ヘイトウ
◆復帰/昭和13年7月27日、安慶
 
◆歴代中隊長
野中俊雄大尉、前島美佐男大尉
 
独立飛行第14中隊/戦闘機隊
◆使用機種
 
◆部隊史
飛行第八連隊より編成。天津附近に進出
 
◆編成/昭和12年7月屏東
 
◆歴代中隊長

独立飛行第15中隊 爆撃
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機
  
◆部隊史
飛行第十四連隊において、九三重六機で編成、
第三飛行団長の指揮下に入る。12年10月王賓飛行場に前進、
敵陣地を爆撃。第百一師団の大場鎭占領に寄与。
13年5月九七重に機種改編。13年8月敵航空兵力封殺のため
戦爆四十八機で運城より西安に進攻し飛行機軍事施設を破壊
 
◆編成/昭和12年9月28日嘉義
◆復帰/昭和13年8月15日、王賓
 
◆歴代中隊長
滝昇中佐、野本重男少佐

独立飛行第15中隊/戦闘機隊
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆部隊史
沖縄において活躍
 
◆編成/昭和19年10月台中
 
◆歴代中隊長
 
独立飛行第十六中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式偵察機 

◆部隊史
飛行第三大隊より編成。漢口攻略戦の第二軍に協力。
航空兵団長より感状を授与。14年5月南苑にて航空兵団直轄となり
奥地進攻のための偵察に従事。15年4月第三飛行集団司令部の
直轄として奥地の偵察に従事、第百一号作戦に寄与。
16年8月第百二号作戦にて四川省方面の敵情捜索遂行
  
◆編成/昭和13年8月1日
◆復帰/昭和16年9月20日、彰徳
 
◆歴代中隊長
衣川悦司大尉、竹下光彦大尉、大平英夫少佐
 
独立飛行第16中隊/司偵防空戦闘機隊(燕第18999)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
 
◆部隊史
中部軍管区にて内地防空作戦に参加
 
◆編成/昭和19年7月30日大阪
◆復帰/昭和19年9月15日、児玉
 
◆歴代中隊長
武藤廣喜大尉

独立飛行第十七中隊/直協
◆使用機種
九二式偵察機、九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
飛行第三大隊より編成。漢口攻略戦に協力。
14年3月第三飛行団長の指揮下に入り、第十一軍の南昌作戦に協力
 
◆編成/昭和13年8月1日
◆復帰/昭和15年9月3日飛行第44戦隊に編入
  
◆歴代中隊長
釘宮清重大尉、河村宗彦大尉

独立飛行第17中隊/司偵防空戦闘機隊(帥第34214)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
 
◆部隊史
東部軍管区内で内地防空作戦に参加

◆編成/昭和19年3月31日調布
◆復帰/昭和19年9月15日調布
 
◆歴代中隊長
北川禎佐大尉
  
独立飛行第18中隊/司偵防空戦闘機隊(隼第2383)
◆使用機種
九七式偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
  
◆部隊史
司偵としては最古参。13年3月?13年8月北支方面遠距離捜索。
13年9月-12月漢口攻略作戦協力戦略捜索。
13年12月第一飛行団長の指揮下に入り、奥地進攻のための偵察。
14年1月?2月奥地航空進攻作戦(重慶、蘭州)の捜索。
14年4月飛行第四十四戦隊に編入。15年9月再び独立飛行第十八中隊に復帰。
15年10月ハノイに移駐海軍航空隊のビルマ、ルート及び
昆明等奥地攻撃のための捜索に協力。
16年4月台湾を経て漢口に移駐重慶地区及び奥地飛行場群を捜索。
16年9月広東に前進桂林その他の飛行場群の攻撃。16年12月香港攻撃作戦。
17年3月ハノイに移駐、昆明等奥地飛行場群の捜索及び仏印作戦。
17年8月漢口に帰還。奥地進攻作戦(重慶衡陽零陵等)の攻撃に参加。
粤漢作戦のため漢口?広東間の航空写真撮影実施。感状四回受賞
 
◆編成/昭和13年2月中国
◆復帰/昭和19年10月31日漢口
 
◆歴代中隊長
古林忠一大尉、荒蒔義次大尉、片倉怒大尉、青木秀夫大尉、児玉眞一大尉
 
独立飛行第19中隊/司偵防空戦闘機隊(靖第21204)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
 
◆部隊史
西部軍管区内の防空作戦に参加
 
◆編成/昭和19年7月30日小月
◆復帰/昭和19年9月15日、小月
 
◆歴代中隊長
自在丸庫一少佐
 
独立飛行第20中隊/輸送飛行隊(威第15382)
◆使用機種
百式輸送機(MC輸送機)
 
◆部隊史
18年6月23日新田原出発、ソロモン、ニューギニアを経て、
19年6月20日飛行第七師団長の隷下に入り主力はネグロス飛行場、
一部はアンボン島リアン飛行場に移駐。
12月25日バンバン、メナド、クラーク飛行場を経て
マニラ東飛行場に前進、ネグロス夜間空輸。
20年5月28日台湾、比島等を経てビナバック到着警備輸送に従事
  
◆編成/昭和18年5月15日
◆復帰/5月30日比島にて復帰
 
◆歴代中隊長
大石秀次大尉
 
独立飛行第23中隊/戦闘機隊(誠第41)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
 
◆部隊史
2月17日台湾ヘイ東に前進、要地防空と台湾及び南西諸島に於ける
防衛戦闘に参加。10月30日台中に移動要地防空。12月28日ヘイ東に
帰還要地防空。20年2月28日花蓮港に前進、台湾及び南西諸島に
おける天号作戦に参加、その後花蓮港において戦力回復
 
◆編成/昭和19年1月20日大刀洗
◆復帰/9月2日花連港にて停戦
 
◆歴代中隊長
馬場園房吉大尉
 
独立飛行第24中隊/戦闘機隊(誠第16500)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆部隊史
飛行第五十四戦隊第一中隊を基幹として編成。
19年3月1日パレンバンにて、防空任務に従事。
19年9月30日フィリピン転用ファブリカに進出、
船団掩護及防空に任ず。20年3月2日スマトラ島マナ、
タンジュンパト、ベトンに移駐。5月30日帰還。
7月17日台北経由宣蘭着
 
◆編成/昭和19年2月29日広東
◆復帰/8月15日宜蘭にて終戦
 
◆歴代中隊長
菊地幹二大尉(戦死)、岩本繁明大尉
 
独立飛行第25中隊/戦闘機隊(羽第16682)
◆使用機種
二式複座戦闘機改(屠龍)
 
◆部隊史
鞍山において南満防空に従事
20年8月5日一部を湯崗子羽攻撃飛行隊に派遣。
20年8月11日日ソ開戦熱河省林西方面敵機械化部隊攻撃。
20年8月15日ソ軍白城子トウ南方面戦車群攻撃
  
◆編成/昭和19年8月25日鞍山
◆昭和20年8月15日、終戦
 
◆歴代中隊長
永井要大尉、池田忠雄大尉、松本武夫大尉
 
独立飛行第31中隊/重爆隊(威第18902)
◆使用機種
九七式重爆撃機
  
◆部隊史
飛行第五十八戦隊の一中隊が航空通信学校で電探中隊に改編。
隊長以下五十名空中輸送にて南方移駐。
地上部隊は白石中尉以下百九名船舶輸送で移動。
19年11月3日比島バンバン結集。
20年1月14日空中部隊台湾前進、地上部隊北部ルソン移駐。
20年2月13日地上部隊ツゲガラオ到着。
20年3月10日第三十六航空地区司令部の指揮下に入る。
20年5月1日臨時歩兵第二十二大隊に編入
 
◆編成/(2)昭和19年6月20日水戸
◆昭和20年5月30日比島復帰
 
◆歴代中隊長
藤井一夫大尉
 
独立飛行第41中隊/襲撃・対潜哨戒機隊(誠第16683)
◆使用機種
九九式軍偵察機
  
◆部隊史
関東軍臨時襲撃中隊を改編。第五航空軍の指揮下に入る。
19年11月30日上海に前進、同地において東支那海の
対潜哨戒に参加。20年3月25日第十方面軍の指揮下に入り
台北に移駐その後台北、台南、宣蘭等において南西諸島の作戦に参加
 
◆編成/昭和19年8月20日満洲
◆復帰/9月2日宜蘭にて停戦
 
◆歴代中隊長
金子精一郎少佐
 
独立飛行第42中隊/対潜哨戒隊(誠第19104)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
北部軍直協飛行隊を改編。
20年1月17日第五航空軍司令官の隷下に入る。
20年1月19日広東飛行場に前進、対潜哨戒の任務に従事。
20年3月27日第八飛行師団長の指揮下に入り、20年3月29日台北飛行場に前進、
同地において台湾及び南西諸島における天号航空作戦に参加
 
◆編成/昭和19年10月30日潮洲
◆復帰/8月15日、台北
 
◆歴代中隊長
森孜郎大尉
 
独立飛行第43中隊/対潜哨戒隊(誠第19108)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
  
◆部隊史
中部軍直協飛行隊を改編。同地において対潜哨戒に従事。
20年1月17日南支宝安に移駐。
20年3月27日沖縄天号航空作戦のため樹林口飛行場に前進(特攻及び特攻誘導)
20年5月27日宣蘭に移駐、同地において昭和20年第一期航空作戦に参加
 
◆編成/昭和19年10月30日恒春
◆復帰/8月15日、宜蘭
 
◆歴代中隊長
井出覚少佐
 
独立飛行第44中隊/対潜哨戒隊(冀/台第18970)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
西部軍直協飛行隊を改編。
19年7月20日比島ニコラス海軍航空隊に移駐、
同地において第二飛行師団長の隷下にあって哨戒および
輸送船団の護衛に従事。
19年10月13日アパリ、マリキナを経て空中勤務者の
主力と地上整備員の一部がボルネオのアブアンに前進、
哨戒および輸送船団の護衛にあたる。20年5月30日現地復帰
 
◆編成/昭和19年6月10日郡山
◆復帰/昭和20年6月23日、ケニンゴー
 
◆歴代中隊長
塚田清大尉
 
独立飛行第45中隊/対潜哨戒隊(翼第18971)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機
 
◆部隊史
朝鮮軍直協飛行隊を改編。
19年12月8日レイテ作戦に参加。20年1月戦闘激化により戦力低下。
20年2月戦力回復のため昭南に移動、残存空中勤務者は
特攻要員として内地帰還。20年3月在比部隊は米軍セブ島上陸に
伴い全機損害をうけ部隊人員は山嶽地帯に入り地上防衛戦闘に参加しつつ
自活活動に入る
 
◆編成/昭和19年10月20日比島
◆復帰/8月15日、比島にて終戦
 
◆歴代中隊長
永田輝雄少佐
 
独立飛行第46中隊/対潜哨戒隊(誠第19170)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
  
◆部隊史
東部軍直協飛行隊を改編。19年10月20日台湾に展開、
第八飛行師団長の隷下に入り、沖縄作戦を準備。
20年4月~6月特攻隊(赤心、武克飛行隊)として沖縄作戦に参加。
同作戦間部隊は大損害をうけ部隊総員百六十名中、
戦死百三十名、生死不明七名
 
◆編成/昭和19年10月20日東京
◆復帰/9月2日、台湾にて停戦
 
◆歴代中隊長
佐藤勇男大尉
 
独立飛行第47中隊/戦闘機隊
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、二式単座戦闘機(鍾馗)、キ60(三機のみ試作)
 
◆部隊史
赤穂義士にあやかり命名され俗称空の新撰組といわれ
増加試作機(二式戦)の胴には山鹿流陣太鼓のマークを画く。
16年12月9年サイゴンに進出、第三飛行集団長の指揮下に入り
仏印、マレー、ビルマなど南方作戦に参加。
17年4月25日本土防空のため調布に帰還。柏に移駐
 
◆編成/昭和16年9月5日福生
◆復帰/昭和18年10月3日柏
 
◆歴代中隊長
坂川敏雄少佐、神保進大尉、貴島俊男大尉
  
独立飛行第47中隊/対潜哨戒隊(誠第9910)
◆使用機種
九九式軍偵察機
 
◆部隊史
第六直協飛行隊を改編。台湾主として台東にて
台湾及び南西諸島における作戦、特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加
 
◆編成/昭和19年10月20日台東
◆昭和20年8月15日、台東にて終戦
 
◆歴代中隊長
不明
  
独立飛行第48中隊/対潜哨戒隊(誠第9911)
◆使用機種
九九式軍偵察機

◆部隊史
第七直協飛行隊を改編。
20年3月26日~6月20日台湾及び南西諸島における
天号航空作戦、特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加。
8月6日台中に移駐、第八飛行師団より感状を授与
  
◆編成/昭和19年10月30日花連港
◆8月15日、台中にて終戦
 
◆歴代中隊長
高橋一茂大尉(戦死)、伊藤俊之助大尉、奥平正人大尉
 
独立飛行第49中隊/対潜哨戒隊(誠第9912)
◆使用機種
九九式軍偵察機
 
◆部隊史
第八直協飛行隊を改編。
20年3月26日~6月20日台湾及び南西諸島における天号航空作戦。
特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加、第八飛行士団長より感状を授与

◆編成/昭和19年10月30日台北
◆復帰/9月2日、台北にて停戦
 
◆歴代中隊長
永山菊次郎大尉(戦死)、鈴木信也大尉(戦死)、脇本末男中尉

独立飛行第50中隊/司偵隊(隼第8350)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十五戦隊第一中隊より編成。
16年10月18日サイゴン展開、マレー半島隠密捜索。
11月下旬コンポントラッシュで第三飛行団長の指揮下に入り、
航空撃滅戦のための捜索。第二十五軍のマレー作戦に直接協力。
17年2月クルアンに展開、パレンバン空挺作戦更に
パレンバンに前進、ジャワ攻略作戦参加。
3月19日ミンガラドンに前進、ビルマ攻略作戦協力。
4月新京帰還、第二航空軍隷下に復帰。訓練及び特殊任務に服す
 
◆編成/昭和16年7月29日新京
◆復帰/昭和19年1月31日、新京
 
◆歴代中隊長
佐藤清彦大尉
 
独立飛行第51中隊/司偵隊隼第8351
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十五戦隊より編成。第二十五軍司令官の指揮下に入り、
ハノイ、サイゴンに進出、
南部仏印進駐作戦に参加。
16年8月11日広東移駐。タ号、キ号作戦に協力。
11月15日第七飛行団長の指揮下に入り、マレー方面の
高々度隠密写真撮影を行い南方作戦資料収集に大きく貢献。
11月27日根本中隊長は昆明に対する陽動作戦のための
先行偵察で未帰還。後任少佐大室孟(45)
12月10日プノンペン進出、第一撃の捜索ビルマ航空撃滅戦の捜索。
12月28日コタバル進出シンガポール航空撃滅戦のための捜索。
17年1月アエルタワル進出、シンガポール航空作戦、
要地攻撃、スマトラ攻略作戦協力。
3月ビルマ作戦のためランパン進出。4月23日新京帰還
 
◆編成/昭和16年7月29日広東
◆昭和19年1月31日、新京
 
◆歴代中隊長
根本正大尉(戦死)、大室孟少佐、佐藤繁雄大尉
 
独立飛行第52中隊/軍偵隊(威第10655)
◆使用機種
九九式軍偵察機
  
◆部隊史
教導飛行第二百六戦隊より編成。
16年11月第十独立飛行隊長の指揮下に入り
ヘイ東に展開
16年12月8日開戦と共に比島作戦参加。バンダイ、
カルメン、クラーク、マニラに移駐。
17年3月バタン、コレヒドール、セブ、パナイ、
ミンダナオ攻略作戦、全比島戡定作戦協力。
19年5月第四飛行師団の編組に入り、比島周辺海上護衛。
19年9月3日カロカンに移駐。富永第四航空軍司令官より賞詞を授与。
19年10月20日~20年1月10日捷一号作戦参加。
20年3月7日エチアゲにて臨時集成飛行隊を編成。
20年6月14日米軍の進入により残存した一機を台湾に向け飛行させ、
主力はピナパガンに後退、遊撃戦を展開
 
◆編成/昭和16年7月29日白城子
◆復帰/昭和20年9月16日、ヨネスにて解散
 
◆歴代中隊長
大森茂大尉、林靖博大尉(殉職)、手島丈夫大尉
 
独立飛行第53中隊/軍偵隊(翼)
◆使用機種
九九式軍偵察機
 
◆部隊史
衙門屯において教育訓練。
18年5月佳木斯(チャムス)に移駐
 
◆編成/昭和17年3月31日衙門屯
◆復帰/8月31日、佳木斯
 
◆歴代中隊長
鈴木剛一大尉
 
独立飛行第54中隊/直協隊(隼魁第8354)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
  
◆部隊史
教導飛行第二百六戦隊より編成
17年4月八面通移駐、満州各地において空地連合の演習と教育訓練を実施。
7月10日太原に移駐。北支方面軍司令官の指揮下に入り多くの地上作戦に協力。
駐蒙軍に協力し蒙古における対ソ作戦準備を行う。
19年5月漢口に転進、第十一軍の湘桂作戦その他の作戦に協力。
20年6月「と号」作戦。
20年8月9日飛行隊(中練)を配属され特攻訓練を行う。
20年8月13日ソ軍の不法侵入により張家口に展開、偵察と攻撃を行う
 
◆編成/昭和16年7月23日白城子
◆昭和20年8月15日、杭州にて終戦
 
◆歴代中隊長
芝田武治少佐、熊倉惨大尉、森川偉大尉、岡本良夫少佐
 
独立飛行第55中隊/司偵隊(隼第2386)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第十五独立飛行隊において編成。
17年<2項より補足>8月25日南京に移駐。
第三飛行師団の指揮下に入り重慶進攻作戦のため作戦路の
写真撮影と捜索及び中南支敵航空状況監視の任に服す。
18年5月4日漢口に展開、第一飛行団長の指揮下に入り、
在支米空軍に対する航空作戦参加。
19年3月24日南京において戦力整備。
5月湘桂作戦に協力、敵状捜索及び監視に任ず
 
◆編成/昭和17年3月31日ドムアン
◆復帰/昭和19年10月31日、南京
  
◆歴代中隊長
石田芳郎大尉
  
独立飛行第63中隊/司偵隊(鷲)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第二十八戦隊第二中隊より編成。
第二飛行師団の直轄として温春において解く主任務に服す
 
◆編成/昭和16年7月30日温春
◆復帰/昭和19年4月、温春
 
◆歴代中隊長
川村良吉大尉
 
独立飛行第66中隊/軍偵・対潜哨戒隊(靖第9171)
◆使用機種
九九式軍偵察機、九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
飛行第二十九戦隊第二中隊より編成。
16年<2項より補足>8月北支大原に移駐第三十五軍の鄭州攻略と
第一軍の山西省西辺地区撃滅戦に協力。
17年7月30日八面通に移駐。10月20日海林に移駐。
18年10月15日海浪に移駐。
各駐屯地において教育訓練。
20年2月3日海雲台に移駐、第二百六独立飛行隊の指揮下に
入り主として関釜連絡航路の哨戒に当る
 
◆編成/昭和16年7月29日連浦
◆復帰/昭和20年8月15日、海雲台
  
◆歴代中隊長
伊丹武雄大尉、青木正好大尉
   
独立飛行第70中隊/司偵隊(司第9641)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 

◆部隊史
飛行第十戦隊第一中隊より編成。
16年12月25日第十飛行団長の隷下に入り
仏印クラコールに前進、ビルマ方面の捜索に従事、同方面航空撃滅に貢献。
17年11月南太平洋方面に転用され濠北方面捜索に任ず。
18年12月ハルク島に移駐。19年10月セレベス島リンプンに移駐。
20年4月ジャワ島のマランに移駐、ホランジア以西の捜索とボルネオ周辺の哨海を担当
  
◆編成/昭和17年7月28日チチハル
◆復帰/昭和20年8月15日、ジャワにて終戦
  
◆歴代中隊長
大平忠夫大尉(戦死)、佐々木駿爾大尉(戦死)、市川蔵康少佐
 
独立飛行第71中隊/軍偵・戦闘機隊(誠第9180)

◆使用機種
九九式軍偵察機、一式戦闘機(隼)
 
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第一中隊より編成。
16年12月~17年2月マレー半島。2月11日シンガポールの
敵軍に対し降伏勧告文を投下。
2月~11月ビルマ。11月~18年1月ジャワのチモール島。
2月~12月ビルマ各地で大東亜戦争に従事。
12月明野飛行学校において戦闘機に機種改変。
19年4月~20年6月北部スマトラ並びにアンダマン諸島の
防空任務に服す。
2月24日マレーのアロルスター飛行場に移駐、
同地において訓練警備。
6月30日本土作戦のため一式戦十三機で
整備員三十四名搭乗の九七重三機を護衛、台湾に移駐
 
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆昭和20年8月15日、一部アロールスターにて終戦
 
◆歴代中隊長
西篤大尉、勝田悦男大尉、家田西行大尉、後藤芳夫大尉
 
独立飛行第73中隊/軍偵隊(司第9181)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式軍偵察機
 
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第三中隊より編成。海林に於て警備並びに次期作戦準備。
大東亜戦争に参加し、マレー攻略作戦、ジャワ攻略作戦。
チモール島周辺の哨戒及船団掩護飛行場港湾設備偵察。
第二次濠洲進攻作戦セレベス島周辺の対潜哨戒及び船団掩護海上交通保護作戦。
比島捷号作戦などに参加。
19年8月独立飛行第八十二中隊の一部を編入。
20年2月ジャワ島に移駐、クレテンにて反攻邀撃々作戦に従事
 
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆復帰/昭和20年9月2日、ジャワにて停戦
 
◆歴代中隊長
南隆耕大尉、島田三郎大尉(戦死)、春成兼正少佐
 
独立飛行第74中隊/直協・司偵隊(翔第9643)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十戦隊第三中隊より編成。
16年12月比島ピガンに前進、第十独立飛行隊長の
指揮下にて比島作戦に従事。
18年2月~5月八街において司偵に機種改変。
7月26日ニューギニア方面に移駐、同島周辺航空撃滅戦に参加。
其の後比島を経てパレンバンに展開。
20年4月高々度戦闘中隊編成。5月12日ゲルンバンに移駐
 
◆編成/昭和16年7月28日衙門屯
◆昭和20年8月15日、ゲルンバンにて終戦
 
◆歴代中隊長
調正三大尉、堀貞夫大尉(戦死)、角田雄三大尉、湯地定三大尉
 
独立飛行第76中隊/司偵隊(洋・高第9642)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十戦隊より編成。
開戦と共に第五飛行集団長の隷下に入り比島カガヤン方面
クラーク地区の敵状及び気象状況を捜索し第十四軍主力の上陸作戦に協力。
17年10月南太平洋方面ラバウルに進出、ソロモン、ニューギニア方面の捜索に活躍
 
◆編成/昭和16年7月28日衙門屯
◆復帰/昭和18年6月10日、ラバウル
 
◆歴代中隊長
高田勝重大尉、桐田日出夫大尉(戦死)、篠原英夫大尉
 
独立飛行第81中隊/司偵隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第二十八戦隊第一中隊より編成、温春において教育訓練。
第六飛行師団に編入。18年8月ニューギニア、ウエワク中飛行場に
進出、連日にわたり捜索活動に従事。
同地に対する敵機の攻撃は日を追ってはげしく戦力は9月下旬零となった。
独立飛行第八十二中隊と交代し満州に帰還
 
◆編成/昭和16年7月30日温春
◆昭和19年4月、温春
 
◆歴代中隊長
森本三郎大尉(戦死)、斉藤三郎大尉
 
独立飛行第81中隊/司偵隊(羽第9162)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、二式複座戦闘機改(屠龍)
 
◆部隊史
19年7月30日鞍山飛行場に移駐、鞍山防空に従事。
20年6月20日奉天を経て新京に移駐。
7月20日対ソ戦準備のため臨時司偵隊を編入、
新京西飛行場において編成完結

◆編成/昭和19年4月1日温春
◆復帰/昭和20年8月15日、新京にて終戦
 
◆歴代中隊長
大和田進少佐
 
独立飛行第82中隊/軽爆隊
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
 
◆部隊史
第二十一独立飛行隊の指揮下に入り広東地区で活躍
 
◆編成/昭和14年7月6日広東
◆復帰/昭和17年10月15日飛行第34戦隊に改編
 
◆歴代中隊長
岡田武夫大尉、鈴木秋水大尉、藤井辰次郎少佐
  
独立飛行第82中隊/司偵隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第二十八独立飛行隊において編成、温春において教育訓練。
19年1月1日独立飛行第八十一中隊と交替し、ニューギニア、ホランジアに進出。
豪北方面の捜索任務に従事。5月1日ホランジア失陥により森玉飛行団長の
指揮の下、地上行軍により5月末、サルミに到着
 
◆編成/昭和17年12月温春
◆復帰/昭和19年10月29日内地帰還
 
◆歴代中隊長
不明
 
独立飛行第82中隊/司偵防空戦闘機隊(天鷲第19529)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改) 
 
◆部隊史
大阪を主活動地域とし高々度戦闘に従事
 
◆編成/昭和20年2月25日大正
◆復帰/昭和20年8月10日第28独立飛行隊に編入
 
◆歴代中隊長
成田冨三大尉
 
独立飛行第83中隊/軍偵隊(天風第19530)
◆使用機種
九九式軍偵察機甲型、九八式軽爆撃機
 
◆部隊史
14年9月より中国全土にわたり多くの飛行場において各種作戦に参加。
18年5月南方ウエワクに移駐、第六飛行師団長の指揮下にて
第一線協力、高級ブインの空輸、指揮連絡、敵の軍事施設、
飛行場、上陸基地の攻撃を行う。
11月主力ラバウルに前進。
19年8月一部は独立飛行第七十三中隊に転属
 
◆編成/昭和14年8月1日彰徳
◆復帰/昭和19年7月25日、現地復帰
 
独立飛行第83中隊/司偵防空戦闘機隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
  

◆部隊史
内地を主活動地域として高々度戦闘実施
 
◆編成/昭和20年2月25日
◆復帰/昭和20年7月30日
 
◆歴代中隊長
不明
  
独立飛行第84中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆部隊史
第二十一独立飛行隊の指揮下に入り広東地区の防空に任じ
翁英作戦、南寧作戦、賓陽会戦に於て地上兵団に協力。
北部仏印進駐と共にハノイに前進。
16年7月南部仏印進駐と共にサイゴンに移動。
12月ナトランに移駐、上陸船団掩護。
17年1月二式複戦に機種改変。4月一部を
マニラに派遣、比島防空、上陸掩護等の任務に従事。
6月広東に移動、桂林進攻
 
◆編成/昭和14年7月6日広東
◆昭和17年10月20日、ハノイ
 
◆歴代中隊長
原弥治大尉、長野綱男少佐
 
独立飛行第84中隊/戦闘機隊(翔)
◆使用機種
不明
 
◆部隊史
主として蘭印において活動
 
◆編成/昭和20年2月25日パレンバン
◆昭和20年5月30日
 
◆歴代中隊長
不明
 
独立飛行第85中隊/司偵隊(鷲)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
不明 
 
◆編成/昭和17年秋温春
◆昭和19年1月31日
 
◆歴代中隊長
渡部行男大尉
 
独立飛行第87中隊/軍偵隊(満洲)
◆使用機種
九九式軍偵察機、九七式軽爆撃機
 
◆部隊史
飛行第二十九戦隊にて編成。
16年8月北支太原に移駐。16年9月16日
第一次長沙作戦協力のため白螺磯に前進。
17年1月第二次長沙作戦に参加。
17年5月南昌に前進、淅カン作戦に参加。
17年7月30日八面通移駐。17年10月海林移駐
 
◆編成/昭和16年7月29日連浦
◆昭和19年2月5日、海林
  
◆歴代中隊長
中川範治大尉
 
独立飛行第89中隊/直協・軍偵、司偵隊
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機、二式複座戦闘機改(屠龍)
 
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第三中隊より編成。
16年12月第八十三独立飛行隊に属し、
海上輸送によりサイゴンに前進、マレー作戦に従事。
17年2月9日軍砲兵隊のシンガポール島制圧の弾着観測を行う。
17年4月ビルマ作戦のためトングーに前進、シンゲン基地で第十五軍に協力。
18年9月軍偵に機種改変。
18年10月末ビルマ方面軍指揮下に入り、
南ビルマの写真撮影、海上哨戒等の任務に服す、インパール作戦に協力
 
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆復帰/昭和19年3月31日、ラングーン
  
◆歴代中隊長
黒川正憲大尉、長沢清大尉、坪井利大尉
 
独立飛行第90中隊/軍偵隊
◆使用機種
九九式軍偵察機
 
◆部隊史
第二十九独立飛行隊より編成。
同隊の隷下として、17年5月南昌に前進、淅カン作戦に参加。
7月15日新郷に移駐。訓練整備を行う。10月海林に移駐
 
◆編成/昭和17年4月太原
◆復帰/昭和19年2月5日、海林
 
◆歴代中隊長
中野猪之八大尉
 
独立飛行第91中隊/直協隊
◆使用機種
九八式直接協同偵察機 
 
◆部隊史
17年4月ビルマ、トングーで第八十三独立飛行隊長の指揮下に入る。
18年7月24日第三航空軍の隷下となる。9月ジャワ島バリシアンにて作戦参加。
18年末サイゴンに移駐、同方面の哨戒及び訓練を行う
 
◆編成
◆復帰/昭和19年3月31日、ラングーン
 
◆歴代中隊長
中村虎之助大尉
 
独立飛行第96中隊/直協隊
◆使用機種
九九式軍偵察機
 
◆部隊史
不明
 
◆編成/昭和16年7月25日
◆復帰/昭和19年2月5日、海林
 
独立飛行第101中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
 
◆部隊史
内地を主要行動地域とす
 
◆編成/昭和16年7月20日調布
◆復帰/昭和17年4月21日、調布
 
◆歴代中隊長
安田岳彦大尉
 
独立飛行102中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
 
◆部隊史
内地を主要活動地域とす
 
◆編成/昭和16年7月20日加古川
◆復帰/昭和17年4月21日加古川
 
◆歴代中隊長
山本礼二大尉
  
独立飛行103中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
 
◆部隊史
内地を主要活動地域とす
  
◆編成/昭和16年7月20日小月
◆復帰/昭和17年4月21日小月
 
◆歴代中隊長
木村正義大尉

陸軍飛行戦隊一覧データベース

陸軍飛行戦隊のデータベースを作っています。
海軍航空隊の情報は充実しているのですが、陸軍飛行戦隊は
ほとんど検索しても出てこないので、興味を持って調べられた方の
きっかけになりたいと願っております。
 
陸軍の航空機運用は、歩兵の支援機関であり、古くは明治42年に発足した
気球研究会が始まりです。
 
固定翼機が活躍した大東亜戦争時の基本部隊編成を役割ごとに分けると
戦闘機隊・軽爆撃機(襲撃機)隊・重爆撃機隊・偵察機隊・輸送飛行隊があります。
海軍と比較して部隊が規模が小さい代わり数が多いのが特徴です。
陸軍の歩兵中隊をベースに考えるとわかりやすく、
陸軍飛行戦隊は3機~4機を一個中隊(飛行隊と呼ぶ場合も)として
第一から第三、第四中隊で一個の飛行戦隊となり、おおむね16機程度となります。
 
飛行戦隊以外に
師団司令部直轄飛行隊、独立飛行中隊、教育飛行隊、飛行学校、教導飛行師団、
航空廠等も揃えて参ります。
 
部隊名のみ記入し、概要と航空機のビジュアル等は
完成次第、追加して行きます。
 
ちょっと多すぎるので、ページを分けます。
部隊名など、文字検索の方法
(win)Ctrl+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
ページ内部検索ができます。
(Mac)command+Fキーを同時に押すと画面右上にウインドウが現れ
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1sentai 
飛行第1戦隊/戦闘機隊(威第8301)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
日本陸軍最初の戦闘隊として最も古い伝統を誇る。
その前身は大正4年10月に所沢で編成された航空大隊で
気球一個中隊、飛行機一個中隊、材料廠より成る。
当初の使用機はモーリス・ファルマンであった。
ノモンハン事件では飛行第十一戦隊とともに活躍し、
大東亜戦争では一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」
を使用しニューギニア・大陸戦線を転戦したのち、
フィリピン決戦に全戦力を投入。通常任務のほか、
特攻隊を編成、戦力の全てを失った。埼玉県の高萩で戦力復帰し
第十飛行師団隷下で本土防空戦を行いつつ終戦を迎えた。
 
◆編成と復帰
昭和13年7月5日各務原において編成。
埼玉県高萩飛行場において復帰
 
◆部隊史
飛行第一連隊を改編。
14年6月1日満州孫家へ移駐、第一飛行集団隷下。6月21日満州徳伯斯へ展開。
7月2日満州採塩所へ展開、この間第二次ノモンハン事件に参加、第五飛行集団隷下。
10月10日孫家に帰還。
16年3月呂号特別演習参加。6月勃利にて警備。11月19日孫家出発、第三飛行集団隷下。
12月8日シンゴラ着マレー作戦参加、船団援護、泊地援護。
17年2月17日パレンバンに進出同地防空。4月7日レグ進出ビルマ作戦参加。
17年5月~7月三重県明野にて機種改変。8月第十二飛行団隷下、パレンバン進出同地防空。
17年10月3日ハノイ着、雲南、昆明攻撃参加。10月20日一部を二十一戦隊に転属。
18年1月9日ラバウル進出、ソロモン、ニューギニア、ガダルカナル作戦参加。
18年8月2日明野において機種改変、満州佳木斯へ展開。
11月内地に転進、千葉県柏着以後帝都防空に従事。
19年10月23日比島クラークフイルドに展開、第十二飛行団長の隷下に入り、レイテ総攻撃作戦参加。
19年11月7日戦力回復のため茨城県下館に帰還。12月27日ポーラックに進出、比島航空作戦参加。
20年2月台湾に移動。4月30日第十二飛行師団隷下、埼玉県高萩へ移駐、戦力回復。
地上残置隊はルソン島カガヤンにおいて臨時歩兵第二十四大隊(長は安倍大佐)に編入。
イザベラ州サンタクルーズ付近の討伐警備に任す。
20年9月2日停戦により武装解除、米軍収容所に入る。
 
◆歴代戦隊長
加藤敏雄中佐、原田文雄少佐、吉田直少佐、竹田金四郎中佐、
沢田貢少佐、松村俊輔少佐、橋本重治大尉、四至本広之蒸大尉
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

2sentai 
飛行第2戦隊/偵察機隊(威第11614)
◆仕様機種

九二式偵察機、九四式偵察機、九七式司令部偵察機、
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第二連隊を改編。
7月18日第六・七直協飛行隊を編成、第一飛行集団隷下。
18年8月31日チチハルに移駐、独立飛行第五十三中隊を編合、9月20日佳木斯へ移駐。
19年5月25日クラークに展開、海軍連合艦隊司令長官の指揮下に入り、
6月16日ペリリユウに前進、海上捜索。
19年7月9日クラークに帰還、第二飛行士団長の指揮下に復帰、ハルマヘラ方面、
比島航空作戦に参加、
機動部隊捜索、攻撃部隊誘導、戦果確認等に活躍。
11月21日第四航空軍司令官より感状授与。
20年1月12日戦力回復のため空中勤務者及び、基幹人員ヘイ東へ転進
(地上勤務者の大部は臨時歩兵第十五大隊及び航空通信隊編入)
2月16日第六航空軍司令官の隷下に入り、3月6日から逐次千葉県八街へ帰還。
3月24日福岡県蓆田(板付)に前進、飛行第百六戦隊、独飛第十九中隊、
第四独立飛行隊を指揮下に入れ(4月20日独飛第十九中隊を除き編合)、
菊水及び天号航空作戦に参加、沖縄方面養生作戦に任じた。
7月15日第十二独立飛行隊に改編復帰。
 
◆編成と復帰
昭和13年7月31日、各務原において編成
昭和20年7月15日、福岡において復帰
 
◆歴代戦隊長
沼田英治中佐、小林孝知大佐、今津正光中佐、沢井光二中佐、鈴木剛一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

3sentai

飛行第3戦隊/軽爆・偵察・襲撃隊(誠第18967)
◆仕様機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、
百式司令部偵察機(新司偵)、キ百二双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
飛行第三連隊を改編、第一飛行集団隷下。

17年3月青森県八戸に移駐。17年6月樺太落合飛行場に移駐。19年3月北千島占守島に移駐。
19年6月沖縄嘉手納に展開。10月台中に移駐、台湾防衛戦闘参加。
10月下旬クラークに展開、比島航空作戦参加、
11月20日戦力回復のため埼玉県所沢へ帰還、戦力再編成、第二十六飛行団隷下、
20年6月秋田県能代に移駐。
 
◆編成と復帰
昭和13年8月31日八日市において編成
昭和20年9月1日、能代復員
 
◆歴代戦隊長
東榮治大佐、志方光之大佐、鈴木京中佐、木村修一中佐(戦死)、鈴木武男少佐、並木好文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

4sentai_2
飛行第4戦隊/偵察・戦闘機隊(天風第35001)
◆使用機種 
九四式偵察機、九五式戦闘機、九七式戦闘機、
九七式司令部偵察機、二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆概略
北九州地区におけるB-29邀撃戦闘で著名な飛行戦隊。
夜間、対重爆撃機に対する邀撃に最も早くから着目し
鹵獲したB-17を目標機に使用して高高度戦闘訓練を実施。
二式複戦屠龍のほか、武装した百式司偵を加え、
成都から飛来するB-29梯団の邀撃任務に就く。
昭和十九年十二月には空対空体当たり専門の「回天隊」を編成したほか
フィリピンへ数名の特攻要員を送り出している。
  
◆部隊史
飛行第四連隊を改編、第一飛行集団隷下。

15年3月山口県小月に移駐。16年10月10日台南屏東に展開、防空及船団援護。
11月11日小月に帰還、第十二飛行師団隷下、北九州の防空に従事。
 
◆編成と復帰
昭和13年8月31日、芦屋において編成
昭和20年8月15日、小月において終戦
 
◆歴代戦隊長
近藤時習大佐、立松芳次郎大佐、林三郎中佐、岡本修一中佐、長野綱男少佐、
黒田武文少佐、阿部勇雄少佐、小林公二少佐、町田久男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

5sentai

飛行第5戦隊/戦闘機隊(天鷲第15310)
  
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機屠龍、五式戦闘機
 
◆概略
二式複戦「屠龍」を用いて
名古屋地区の本土防空戦で活躍したことで著名な戦隊。
二式複戦のほかに、終戦までに五式戦30機が配備された。
終戦の詔勅ののち
戦隊は18日未明を期して伊勢湾南方の米機動部隊に爆装した
五式戦二十五機で強襲する計画をたてていたが、情報が洩れ
飛行師団司令部の説得で中止された。
南方戦線では昭和19年5月
高田勝重戦隊長がビアク上陸の当日、ソロン・エフマン基地に
あった二式複戦、四機を爆装して出撃。海面から100メートルの
超低空飛行で敵駆逐艦を強襲し全機未帰還となった。
高田隊の壮挙は特攻の先駆けと称えられ南方総軍司令官から
感状を授与された。
 
◆部隊史
飛行第五連隊を改編し、第一飛行集団隷下となる。
14年6月千葉県柏に移駐。
18年7月マランに展開し、船団掩護と防空任務に服す。
18年5月27日高田勝重戦隊長は4機をもってピアクの敵艦船に突入。
19年9月愛知県小牧に移駐し、第二十三飛行団隷下となる。
 
◆編成復帰 
昭和13年8月31日立川において編成
昭和20年8月15日、清州で終戦

◆歴代戦隊長
近藤兼利大佐、恩田謙蔵大佐、小松原虎男中佐、
高田勝重少佐、松山武夫少佐、山下美明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

6sentai

飛行第6戦隊/軽爆機隊(隼魁第9102)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式軽爆撃機、九八式軽爆撃機、九九式襲撃機
  
◆部隊史
飛行第六連隊を改編、第二飛行団隷下。
16年8月14日関特演のため朝鮮会寧に移動。10月18日満州佳木斯に移動。
18年8月東京城へ展開。19年1月31日支那に転用され編成改正。
5月19日中支南京へ展開。5月29日主力(本部主力及び第一・第三中隊)
白螺磯へ展開、長沙攻略作戦。衡陽攻撃に参加、
6月7日一部(本部の一部及び第二中隊)南支へ展開、衡陽攻撃に協力。
20年4月海州を経て朝鮮大邱へ展開、20年8月23日東京都調布へ移駐。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日平壌において編成
20年8月調布において復帰

◆歴代戦隊長
平田勝治大佐、佐藤吉直中佐、広田一雄中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

7sentai

飛行第7戦隊/重爆機隊(靖第21202)
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)
四式重爆撃機(飛龍)
 
◆概略
陸軍重爆撃機隊として最も古い歴史を誇る。
昭和19年6月以降、四式重爆機「飛龍」をもって
海軍連合艦隊の指揮下に入り
鹿屋、大分等の海軍基地へ展開。98戦隊とともに陸軍機としては初となる
雷撃隊となる。空母「鳳翔」を敵艦にみたて、雷撃訓練を実施した。
比島・クラークに進出し、巡洋艦撃沈等の戦果を記録。
年末には千葉県香取基地よりサイパン島を爆撃。そのうちに
陸軍より「爆撃に使用するくらいなら陸軍に返せ」と問題になり
約三週間実施した爆撃を中止し、宮崎へ帰投する。
  
◆部隊史
飛行第七連隊を改編し、第一飛行集団隷下となる。

16年7月11日航空兵団長隷下に入り、関特演参加のため満州公主嶺に移駐。
17年9月第三航空軍指揮下に入りカリジヤチに前進、パンダ海方面海域の哨戒。
18年4月静岡県浜松に於て機種改変。18年8月ニューギニア航空作戦参加。
19年1月戦力回復のため浜松に集結。19年2月鹿児島県鹿屋に移駐。
19年2月22日編成改正、第一航空軍司令官の隷下に入り四式重爆撃機(飛龍)に機種改変。
19年6月海軍連合艦隊の指揮下に入り雷撃訓練。
19年10月比島クラークに展開、比島、沖縄航空作戦参加。
19年12月千葉県香取に展開、サイパン攻撃。
20年3月宮崎に集結、九州東方海面航空作戦及沖縄艦船攻撃に参加、第二十七飛行団隷下となる。
20年6月29日本部は兵庫県伊丹に、各中隊は公主嶺、福島県郡山、鳥取県美保、
三重県亀山基地に展開。
20年8月15日各中隊伊丹に集結。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日浜松において編成
20年8月15日伊丹において終戦

◆歴代戦隊長
塚田理喜智大佐、三成省三大佐、深井英一大佐、大西豊吉中佐、高橋猛少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

8sentai

飛行第8戦隊/司偵・軽爆隊(誠第9913)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第八連隊を改編、第四飛行団隷下。
16年3月30日臨時編成下令。16年4月15日台北に集結、南支方面軍司令官の指揮下に入り福州作戦参加。
4月29日屏東帰還。16年5月11日臨時出動下令支那派遣軍總司令官の指揮下に入り淅東作戦に参加。
5月27日屏東帰還。16年7月機種改編。12月8日~12月21日比島航空撃滅戦参加、
12月比島ツゲガラオに展開マニラ攻略戦参加。17年1月9日次期作戦準備のため屏東へ移駐。
1月22日ドムアンに展開、飛行第五師団隷下、ビルマ航空作戦参加、
バンコック、ミンガラドン、モールメン、トングーに基地前進。
18年8月岐阜に於て機種改編(九九式双発軽爆撃機)
18年11月タイに転進、ビルマ北方遮断作戦及びインパール作戦参加。
19年7月仏印プノンペン、クツクリ等に於て艦船及び飛行場攻撃に参加。
20年7月屏東に移駐、第八飛行師団に編入。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日編成
 
◆歴代戦隊長
山中繁茂大佐、本多三男大佐、塩田要中佐、釘宮清重中佐、肱岡直少佐、長屋勝重中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

9sentai

飛行第9戦隊/戦闘機隊(隼魁第9103)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗) 
 
◆概略
支那事変・ノモンハン事件以来、大東亜戦争終結まで
大陸戦線で敢闘を続けた戦闘機隊。昭和18年5月
明野で二式単戦に機種転換し東満の団山子飛行場へ移駐し
各地で空戦を重ねた。また、当初成都から出撃するB-29の編隊を
攻撃した。
 
◆部隊史 
飛行第九連隊を改編。
13年7月12日蒙古力に移駐。
18年9月9日牡丹江省団山子に移駐。
19年2~12月の間、支那に派遣され、安慶、新郷、漢口に展開。
19年中期、後期、中支航空作戦に参加。
19年12月8日~20年3月8日広東に前進、南支航空作戦ならびにと号作戦参加。
20年8月14日南京に展開。
 
◆編成復帰
昭和13年7月1日会寧において編成
南京において終戦
  
◆歴代戦隊長
難波清作大佐、秋田熊雄中佐、高梨辰雄少佐、役山武久少佐、平家輔少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

10sentai_2

飛行第10戦隊/偵察・軽爆機隊(誠第9624)
◆使用機種
九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九八式軽爆撃機、百式司令部偵察機(新司偵)
 

◆部隊史
飛行第十連隊を改編、第二飛行集団隷下。
14年5月1日、ノモンハン事件参加。
16年7月28日第十独立飛行隊本部、独立飛行第七十、七十四、七十六中隊に改編。
18年6月10日ラバウルにおいて第十独立飛行隊、独立第七十六中隊を復帰し、
飛行第八十一戦隊より、一個司偵中隊を転入して戦隊再編成。
18年8月ニューギニア、ウエワクに前進、ニューギニア、東部・南部の捜索に任ず。
19年6月5日ミンダナオ島ダバオに展開。19年7月戦力回復のため千葉県下志津へ移動。
19年11月台北に展開、台湾及び南西諸島、航空作戦参加。
20年3月26日~6月20日天号航空作戦参加。
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日嫩江において編成
台北にて終戦
 
◆歴代戦隊長
田副登大佐、白銀重二大佐、土田兵吾大佐、下村兵一中佐、新沢勉中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

11sentai

飛行第11戦隊/戦闘機隊(燕第8311)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)

 
◆概略
ノモンハンで勇名を馳せた陸軍戦闘機隊。
飛行第一戦隊と共にもっとも古い伝統を誇り
篠原弘道など数多のエースを輩出。大東亜戦争では
フィリピンでの激戦、本土防空戦に従事した。
11を象った電光マークは最もよく知られている。
 
◆部隊史
飛行十一連隊を改編。
14年5月13日第一次ノモンハン事件参加のため満州採塩所に展開。
14年10月20日より支那事変参加、南京、武昌、漢口において防空ならびに諸作戦に従事。
15年12月17日ハルピンに帰還。
16年6月関特演参加のため、満州勃利に展開、第三飛行集団隷下となる。
16年11月14日南方転進、フコク島クーカンに展開し船団掩護。
その後シンゴラ、パタニ、クワンタン、スンゲイバタニ、パトバハ、パレンバンと移動し、
マレー、ジャワ作戦に参加。
17年3月ビルマ派遣、レグへ展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
17年7月3日機種改編のため三重県明野に移駐。9月16日シンガポール帰還。
12月21日南東方面に転用されラバウルへ展開、ニューギニヤ方面の作戦に参加。
18年8月12日内地帰還。明野で機種改編後、ハルピンに移動し戦力回復。
12月17日中支武昌へ展開。一号作戦参加。
19年3月東京都福生に移動、四式戦に機種改編。10月宜蘭に前進し、台湾防空。
19年11月2日比島ポーラックに展開、捷一号作戦参加。
20年2月26日第六航空軍に編入。茨城県下館、埼玉県高萩にて戦力充実。
 
◆歴代戦隊長
野口雄次郎大佐、岡部貞中佐、杉浦勝次少佐、森下清次郎少佐、金谷祥弘少佐、溝口雄二少佐
 
◆編成/昭和13年8月31日ハルピン
◆復帰/昭和20年埼玉県高荻飛行場
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

12sentai

飛行第12戦隊/重爆撃機隊(誠第9122)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
飛行第十二連隊、第一大隊を改編、航空兵団隷下。
13年9月北支派遣、漢口攻略その他作戦、重慶、蘭州等奥地進攻作戦参加。第二飛行集団隷下。
14年2月公主嶺帰還。14年6月19日~7月14日ノモンハン事件参加。
16年8月北支派遣、重慶、蘭州に進攻。
9月23日広東へ展開、第三飛行集団隷下、プノンペンに前進、マレー航空撃滅戦参加。
12月25日ビルマ航空撃滅戦参加。
17年1月シンガポール攻撃、2月16日~3月16日北部スマトラ作戦参加。
4月24日ビルマ、ミンガラドンに展開、第二次ビルマ航空作戦参加。
9月10日武装改装のため内地帰還。9月20日現地に帰還。第七飛行団隷下。
17年11月18日ジャワ、スラバヤに展開、ジャワ周辺航空作戦参加。
18年5月レグー展開ビルマ航空撃滅戦参加、
19年7月15日比島、クラークに集結。11月4日ケンダリー、モロタイ攻撃。
20年1月11日比島マラバンに展開、戦力回復。此の間第二次濠北作戦、比島作戦参加。
20年7月10日第八飛行師団隷下、屏東に移動。
 
◆歴代戦隊長
原田宇一郎大佐、山本健児大佐、北島熊雄大佐、吉井宝一大佐、野本重男少佐、浜田益生少佐
 
◆編成/昭和13年8月31日公主嶺
◆復帰/ヘイトウ
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

13sentai

飛行第13戦隊/戦闘機隊(誠第11703)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式司令部偵察機、九七式戦闘機、
一式戦闘機(隼)、二式複座戦闘機(屠龍)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概要
日米開戦とともに加古川で、阪神地区の防空任務を主として
編成された戦隊。京城派遣、室蘭防空ののち二式複戦に
機種改編し昭和18年3月、南方進出の命が下る。
B-17攻撃用として37ミリ戦車砲が搭載された機体を含め
フィリピンを経由しラバウルへ進出。空母「雲鷹」「沖鷹」
で横須賀を出港した部隊はトラック春島飛行場へ立ち寄った
のちラバウルへ進出し、主として対重爆機戦闘の要として
戦果を上げた。
 
◆部隊史
飛行第十三連隊を改編、第一飛行集団隷下となる。
16年12月8日~17年12月31日柏に移駐、帝都防衛。
17年3月二式複戦屠龍に機種改編。
18年5月11日ラバウルに展開、防空任務。ウエワクに前進、海上輸送掩護。
12月31日ハルマヘラ島ガレラに展開、対潜哨戒、船団掩護。
19年4月一式戦隼に機種改編。12月3日比島ポーラック進出、比島航空作戦参加。
20年3月15日サイゴンに移動、戦力回復。第八飛行師団隷下となる。
20年7月15日台湾屏東に展開。
 
◆歴代戦隊長
神谷正男大佐、近藤三郎中佐、立山武雄大佐、秋田熊雄中佐、
長野綱雄少佐、町田久雄少佐、中野和彦少佐、丸川公一少佐
 
◆編成復帰
昭和13年8月30日加古川
昭和20年8月15日ヘイトウにて終戦

◆戦死者・殉職者追悼
 

14sentai

飛行第14戦隊/重爆撃機隊(燕第9906)
◆使用機種
九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
飛行第十四連隊を改編、第四飛行団隷下。
15年7月海南島海口に展開。
16年4月福州上陸作戦のため台北へ展開、5月浙江作戦のため中支大場鎭へ転進。
5月下旬台湾嘉義帰還。
7月13日南部仏印進駐作戦のため海南島、海口に展開。8月30日嘉義帰還。
12月8日北部比島攻撃。12月16日香港攻撃、12月23日ルソン島、ツゲガラオに展開、比島作戦参加。
17年1月6日嘉義帰還。1月20日タイ・ドムアンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
5月1日機種改変のため浜松へ移動。6月26日マレー、ケチルに展開、
第七飛行団隷下、ビルマ周辺地区航空作戦参加。
18年3月1日ラバウルに展開ニューギニア、ソロモン航空作戦参加。
19年1月15日~3月チモール島、モロタイ島、パラオ島各飛行場に展開、対潜哨戒。
3月下旬~4月クラーク、アンヘレス飛行場に展開、輸送船団掩護。
7月~10月嘉義に於て海上哨戒。10月20日クラークフィールドに展開。
11月セレベス島・ピンランに展開、モロタイ島攻撃。12月22日ジャワ島、マランに展開。
20年1月16日機種改変のため福岡県新田原に移動。2月4日茨城県水戸へ移駐。
第十六飛行団隷下、20年5月群馬県新田へ移駐。
 
◆歴代戦隊長
弘中孫六大佐、井戸田勇大佐、遠藤操中佐、朝山小二郎中佐、吉田大八少佐
 
◆編成復帰
昭和13年8月31日嘉義
新田にて終戦
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

15sentai 
飛行第15戦隊/偵察機隊(威第8315)
◆使用機種
九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
飛行第十五連隊を改編、航空兵団隷下。
13年9月23日北支作戦参加の為、南苑に展開、第二飛行集団隷下。
14年4月満州新京に帰還。6月27日ハイラルに展開、ノモンハン事件参加。
9月30日新京帰還。15年3月直協中隊支那方面派遣。16年3月編成改正、司偵二個中隊となる。
16年7月1日第二中隊広東へ展開、第二十五軍指揮下に入る。
7月29日戦隊を第十五独立飛行隊・独立飛行第五十、五十一中隊に改編。
19年1月31日新京に於て、第十五独立飛行隊本部、独立飛行第五十、五十一中隊を復帰。
19年5月比島クラーク進出、海軍第二十三航空部隊の指揮下に入り南東方面の捜索。
19年10月内地帰還、大阪府大正にて戦力回復、機種改変。
11月比島サンマルセリノに前進、レイテ方面捜索、比島航空作戦参加。
20年2月第三航空軍に転属、サイゴンに転進。
  
◆編成昭和13年8月31日新京
◆復帰 昭和20年5月 サイゴン
 
◆歴代戦隊長
安倍克己大佐(戦死)、山本辰雄大佐、中浜吾祐中佐、高橋勝夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

16sentai

飛行第16戦隊/軽爆撃機隊(隼魁第9142)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機(屠龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第十六連隊を改編、第二飛行団隷下。
14年7月17日~9月22日第2次ノモンハン事件に参加のため満州採塩所に展開。
9月26日海浪へ帰還。
16年11月30日台湾佳冬に展開。第5飛行集団隷下。
16年12月10日~17年1月11日アパリ・ツゲガラオに展開、北部比島作戦に参加。
17年3月~4月コレヒドール攻略作戦に参加。17年5月鉾田に於て機種改変。
17年6月北支彰徳に展開。17年7月~11月河南・湖南作戦に協力。
17年12月~19年6月武昌・漢口・南京・上海展開、各航空作戦に参加、地上戦闘に協力。
19年10月奥地進攻。20年1月~4月上海に移駐、地上作戦に協力。
20年5月朝鮮平壤に移駐。第八飛行団隷下。
20年6月一部をもって福岡県大刀洗を補給地として沖縄作戦に参加。
 
◆編成/昭和13年8月31日海浪
◆復帰/平壌
 
◆歴代戦隊長
下山琢麿大佐、大塚寅雄大佐、久米精一大佐、梁瀬建吾中佐、川守田庄次郎中佐、
甘粕三郎中佐、森桂中佐、佐藤三郎少佐、林正博少佐、佐藤大六少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

17sentai

飛行第17戦隊/戦闘機隊(誠第15351)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和19年2月、各務原で三式戦闘機「飛燕」をもって
編成。フィリピン戦線へ進出し戦闘を繰り返した。
フィリピンで全戦力を損耗した戦隊は回復の為
小牧へ帰還。名古屋地区へ飛来するB-29の邀撃任務に就く。
昭和20年3月、天号作戦発令とともに特攻隊を編成。石垣島へ前進。
慶良間列島沖の米艦船に対し第一次特攻攻撃を敢行した。
その後、第二次特攻隊、台湾に転進したのち第三次
特攻隊を編成出撃した。6月、台湾では唯一となる五式戦が配備されたが
操縦資料がなく、高田戦隊長自らが空輸者から要領を聞き教育にあたった。
昭和20年8月9日、ソ連が参戦の日、戦隊は内地転進の
命を受け、上海を経由し熊本の健軍飛行場へ転進する計画途中
終戦の詔勅を受けた。
 
◆部隊史
第二十二飛行団隷下。
19年3月~6月愛知県小牧に移駐、訓練および防空任務。
6月11日マニラに展開、マニラ防空任務。
19年10月ネグロス島へ展開、レイテ作戦参加。空中勤務者の大半戦死。
20年1月小牧に帰還、戦力回復。
20年3月5日台湾花蓮港に展開、台湾および南西諸島、天号航空作戦参加。
  
◆編成/昭和19年2月10日各務原
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
荒蒔義次少佐、高田義郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

18sentai

飛行第18戦隊/戦闘機隊(天翔第19190)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
  
◆概略
昭和18年12月に三式戦「飛燕」をもって編成された
戦闘機隊。編成時は帝都防空任務を担う計画であったが
錬成が間に合わず、次第に戦力を向上した。大刀洗に
派遣し北九州防空任務に就いたのち、比島派遣が
下令され、アンヘレスへ進出した。レイテをめぐる航空決戦で
米艦載機との空戦、落下傘部隊の掩護、爆装し夜間の
船団襲撃等で敢闘するも、損耗を続けた。
一方で、小宅光男中尉以下の内地残置隊は第10飛行師団の隷下で
帝都防空にあたった。第六震天制空隊を編成。
小三中尉自身が体当たりし生還しB-29を撃墜した。
なお、18戦隊は59戦隊や244戦隊と並んで
もっとも早くに五式戦に機種改編が行われた。
フィリピン残置隊は機体を全耗したのち、ルソン島で
臨時歩兵第20大隊に配属。終戦時の生存者は僅かに6名であった。
 
◆部隊史
19年11月18日比島アンヘレスへ展開、同地航空作戦に参加。
12月10日ネグロス島バコロドに展開、レイテ航空作戦参加。航空機殆ど全滅。
20年2月千葉県柏に帰還、第十飛行師団隷下となる。20年5月千葉県松戸に移駐。
 
◆編成/昭和19年2月10日調布
◆復帰/松戸
 
◆歴代戦隊長
磯塚倫三少佐、黒田武文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

19sentai

飛行第19戦隊/戦闘機隊(誠第15352)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
  
◆概略
昭和19年2月、明野飛行学校で
編成された三式戦闘機「飛燕」部隊。伊丹にて
3月、海軍零戦部隊とともに阪神地区の防空任務に就く。
5月、比島進出が下令され、マニラ・ニルソンへ進出。
米艦載機との空戦、海軍中攻隊の護衛、レイテ湾艦船
攻撃等を行い、次第に戦力全耗、瀬戸戦隊長は地上で敵機の
爆撃を受け戦死。遠藤正博中尉以下三機は、瀬戸内元戦隊長の
分骨を抱き特攻掩護に出撃したまま未帰還となった。
中司准尉も戦死。比島作戦中止とともに台湾へ転進し
同じく比島から転身した55戦隊生存者を編入し
戦力回復を図る。戦隊は僅かな稼働機をもって
練度の高い操縦者は爆装による艦船攻撃を、未成熟の
操縦者には特攻を命じ、沖縄に散った。
 
◆部隊史
第二十二飛行団隷下。
19年3月16日兵庫県伊丹に移駐、京阪神防空。6月2日マニラに展開。
19年8月アンヘレスに展開、船団掩護、防空および機動部隊攻撃。
19年10月ネグロス島ラカルロタに展開、航空総攻撃の出撃掩護。
11月8日戦力回復のため愛知県小牧へ帰還。
20年1月7日台中へ展開、一部特別攻撃隊としてアンヘレスへ展開。
1月8日敵船団に対し特攻直掩、全機未帰還。1月12日ツゲカラオ展開。
20年2月台中展開、沖縄方面敵艦戦への特攻攻撃。
6月21日花蓮港に展開、天号航空作戦に参加。
 
◆編成/昭和19年2月11日明野
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
瀬戸六郎少佐、中島凡夫少佐、本田辰造少佐、吉田昌明大尉、
深見和雄少佐、栗山美春大尉
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

20sentai
飛行第20戦隊/戦闘機隊(誠第18968)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和18年12月、伊丹において編成され
台湾へ転出した246戦隊のあとをうけて大正飛行場
(現在の八尾市柏原)に移駐。阪神地区の防空を務めつつ
錬成を行った。19年2月、20戦隊は北方軍に編入されたため
耐寒準備を行った後、千島へ進出した。
6月、台湾へ移駐し台湾防空任務に就く。
昭和19年10月、比島戦線への進出が下令され
ルソン島バンバンへ進出した。
万朶隊、八紘隊の直掩任務、高千穂空挺隊降下の掩護
を行う。丹心隊掩護ではP-38、16機のの妨害を排しつつ
丹心隊の特攻機6機全機を命中させた。昭和20年2月
台湾に戻った戦隊は一式戦隼三型に機種改編したが
南方空輸中の四式戦を無断で流用し、戦隊長が
憲兵隊に呼び出される一幕もあった。
沖縄決戦開始後は石垣島、宮古島を前進基地として
度々特攻隊の掩護を行い、損耗した。
7月末、沖縄飛行場へ強行着陸する計画が準備されたが
実現に至らぬまま終戦を迎えた。8月15日の夜には
操縦者の中には自決者もあり、沖縄へ突入しようという
空気もあったが、幹部の説得で平穏に帰した。
沖縄北飛行場に残留していた滝平次郎少尉以下、
地上勤務者は地上戦に移行し玉砕した。
 
◆部隊史
第一飛行師団隷下。
18年12月6日大阪府柏原に移動、阪神防衛。
19年5月23日千島得撫島移駐。
8月25日南方転用のため台北へ展開、台湾および南西諸島防衛戦参加。
10月20日一部カロカンに展開、比島作戦参加。
12月20日戦力回復のため台湾の小港に移動し本隊と合流。
20年4月17日天号航空作戦参加。特攻攻撃を行う。
 
◆編成/昭和18年12月1日伊丹
◆復帰/小港
 
◆歴代戦隊長
山本五郎中佐、村岡英夫少佐、深見和雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

21sentai

飛行第21戦隊/戦闘機隊(誠第11050)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機(屠龍)
  
◆概略
飛行第64戦隊の人員を基幹として編成された独立飛行第84中隊が
その前身である。64戦隊がノモンハン進出の折、南支方面の航空作戦
を担った。日米開戦後は、戦隊はハノイにあり、支那・ビルマ・比島と転戦し、
昭和17年末には、パレンバン等油田地帯に移駐し防空・船団護衛任務を行った。
B-24攻撃では、二式複戦の37ミリ砲装備機で空中分解させるなど、
威力を発揮したが、随行するP-51に苦戦し、牟田戦隊長が撃墜寸前
のところ、64戦隊の黒江大尉に救われたこともあった。戦隊主力はその後
台湾へ移駐。一部はパレンバンに残り、終戦を迎える。
 
◆部隊史
独立飛行第八十四中隊と飛行第一戦隊の一部をもって編成。
17年12月4日~18年4月パレンバン防空。
18年4月~19年1月マライ、ビルマにて船団掩護、ラングーン防空。
19年11月~12月セレベス島アムランに前進、モロタイ島攻撃。第八飛行師団隷下。
20年7月12日主力は台湾桃園へ展開。
  
◆編成/復帰昭和17年10月20日ハノイ
◆復帰/主力・桃園 一部スマトラ
 
◆歴代戦隊長
牟田弘国少佐、佐藤熙少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

22sentai

飛行第22戦隊/戦闘機隊(隼第18913)
◆使用機種
二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
東京・福生の陸軍飛行実験部より派生した
初の四式戦闘機「疾風」装備部隊。尾翼に菊水を描いた
決戦部隊として、その期待は大きく
初代戦隊長には陸軍戦闘機隊の至宝、岩橋譲三少佐を任命、
操縦者も老練の者を多く集め、虎の子としての
処遇が与えられた。満を持して大陸戦線、フィリピン決戦へと
送られたが、激戦の末、その多くが損耗し、終戦に至る。
 
◆部隊史
19年5月東京都福生より東京都中津に移動。
19年8月19日支那漢口へ展開、桂林作戦参加。
19年10月神奈川県中津へ帰還。
19年10月18日マルセリノへ展開、レイテ作戦に参加。
20年1月戦力回復のため中津帰還。
3月25日徐州に展開、第一飛行団隷下となり、同地区防衛に従事。
8月2日朝鮮京城に移駐。
  
◆編成/昭和19年3月5日福生
◆復帰/晋州
 
◆歴代戦隊長
岩橋讓二少佐、難波茂樹少佐、坂川敏雄少佐、上原重雄少佐、
神保進所少佐、北島栄一少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

23sentai

飛行第23戦隊/戦闘機隊(天翔第19026)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
昭和19年10月、太田の中島飛行機で編成。新設された
11月、新設の印旛飛行場へ移駐した。
戦隊の一部は硫黄島へ進出し、海軍の指揮下に
編入。船団護衛、三号爆弾をもって海軍戦闘機とともに
米軍機を邀撃したが、全機消耗し印旛に帰還。
その後戦隊は戦力回復しB-29邀撃戦に従事。
その後は芦屋飛行場へ移駐し再びB-29邀撃任務にあたる。
終戦時の保有機は二式単戦約20機、一式戦三型約15機
のほか一式戦の特攻機(神鷲隊)18機であった。
 
◆部隊史
関東地区防空。
19年12月~20年1月一部硫黄島に派遣、掩護任務に服す。
3月29日福岡県芦屋に展開、北九州防空。4月12日千葉県印旙に帰還。
第十飛行団隷下。関東地区防空。
 
◆編成/昭和19年10月11日印旛
◆復帰/印旛
 
◆歴代戦隊長
藤田重郎少佐、谷口正義少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

24sentai

飛行第24戦隊/戦闘機隊(誠第9602)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和13年9月にハルピンの飛行第11戦隊を母体として編成。
ノモンハン航空戦に参加した。昭和16年11月比島攻略作戦への
参加が決定すると、機種は九七式戦闘機のままであったが
士気は高く、開戦当日の12月8日、ビガンへ上陸する
菅野支隊の上空を掩護を行った。その後、一式戦に機種を
変え、昭和18年にはパレンバンへ移駐して防空任務に就く。
さらにニューギニアへ前進した戦隊は、B-17、B-24等の
重爆機と交戦。特にマ弾(マ-102炸裂弾)
による前方攻撃を実施し、戦果を挙げている。
その後も戦隊はニューギニアへ上陸する船団護衛にあたり
P-38、P-39、P-40等の戦闘機と交戦。熱帯不健康地での
疲労から倒れるものも少なくない状況において
戦闘を継続し、損耗した。昭和18年8月2日には
18軍司令、安達二十三中将は第51師団の作戦指導に
あたるため、軍偵に搭乗しアレキシスを離陸。
戦隊は9機をもって直衛にあたったが、
フィンシュハーヘン周辺で
敵戦闘機と交戦状態に入り、安達中将機は
離脱に成功したが、40歳の大ベテランだった戦隊長
横山中佐が、この空戦により惜しくも犠牲となった。
11月末に北九州の芦屋に帰還した戦隊は防空任務に就く。
戦力の回復を行った後、比島へ派遣され海軍連合艦隊の
指揮下に入ったが、一式戦は零戦と比べ運用方法が
異なっていたため、海軍の指揮下では作戦上苦戦を強いられた。
この間、操縦者20名、飛行機40機を失い、全耗。
その後も戦力回復を進めつつ、各地を転戦。
一式戦、四式戦の混成部隊となって、比島決戦後は
台湾へ後退。特攻隊を編成して来たるべき台湾決戦に備えたが
終戦を迎えた。
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下

13年9月22日ハイラルに移駐。
14年5月12日~6月10日第一次ノモンハン事件に参加。
6月19日~9月15日第二次ノモンハン事件に参加。
16年12月5日屏東に展開、比島作戦参加。ビガン前進泊地掩護、航空撃滅戦。
12月16日ルソン島ラオアグに展開。
17年1月ハイラル帰還。明野にて機種改編。7月広東進出、夏季航空作戦参加。
18年5月ブーツに展開。ニューギニヤ航空作戦参加。
11年6月福岡県芦屋に移駐。戦力回復。
19年5月15日クラークに展開。ビアク島攻撃。比島航空作戦に参加。
20年1月台湾嘉義に移動、戦力回復。2月広東に展開。船団護衛と防空任務。
3月28日宮古島に進出。天号航空作戦に参加。
6月21日~8月15日台湾宜蘭に展開、同地防空ならびに戦力回復。
 
◆編成/昭和13年9月1日ハルピン
◆復帰/宜蘭
 
◆歴代戦隊長
松村黄次郎中佐、檮原(ゆすはら)秀見少佐、高橋武少佐、
横山八男少佐、佐田代正一少佐、庄司孝一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

25sentai

飛行第25戦隊/戦闘機隊(隼魁第2387)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和17年11月、独立飛行第10中隊を基幹として漢口で編成された
陸軍戦闘機隊屈指の名門である。支那戦線において、こちらも
急降下爆撃隊の名門飛行第90戦隊の掩護など、在支米軍機との空戦を行う。
昭和20年3月まで支那戦線各地で在支米軍の重爆撃機および戦闘機との
攻防を繰り返した。この間、主力の機体は一式戦二~三型で、
四式戦に機種改編が済んだのは同年5月頃であった。京城で終戦を迎える。
 
◆部隊史

独立飛行第十中隊を改編。
17年10月~19年3月漢口、南京にて要地防空および地上作戦協力。
4月運城、新郷に展開、河南作戦協力。
5月白螺磯(はくらぎ)に展開。湖南作戦協力および防空。
20年1月上海へ移動。2月南京へ移動。5月北京へ移動。
第一飛行団隷下。7月朝鮮水原に移駐。
 
◆編成/昭和17年10月20日漢口
◆復帰/水原
 
◆歴代戦隊長
坂川敏雄少佐、別府競少佐、松山武夫少佐、向谷克己少佐、金沢知彦少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

26sentai

飛行第26戦隊/戦闘・軽爆隊(誠第8399)
◆使用機種
九七式戦闘機、九七式軽爆撃機
九九襲撃機、一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和17年10月、衙門屯において編成された。
当初は戦闘機と軽爆撃機の混成隊であった。
編成とともに比島クラークへ進出。この頃の比島は
戦火から離れていたため、襲撃隊二個中隊はニューギニアへの前進し
ダンピール海峡の夜間哨戒、薄暮あるいは夜間の敵陣地、飛行場
攻撃を行ったが次第に戦力を損耗した。一方、戦闘機隊は
内地へ帰還し隼二型に機種改編を実施。パレンバン防空任務に就く。
時折来襲するモスキートを撃墜したほか、石川清雄曹長は船団護衛中
敵潜水艦の発射して魚雷に体当たりして松川丸(陸兵1300人乗船)を救った。
比島へ後退し、比島決戦を戦う。内地へ帰還後は隼三型に機種変換を行う。
シンガポール等で作戦を行った後、台湾へ転進、特攻隊を編成し
二度にわたり沖縄へ出撃。間もなく終戦。
 
◆部隊史

第二飛行団隷下。
17年11月20日比島クラークに展開。
18年10月29日軽爆隊はニューギニヤ・ブーツへ展開。
戦闘中隊はパレンバン、ハノイ、アンダマンへ展開。
19年3月戦隊スマトラ、ゲルンバン集結。戦闘分科に改編。
10月10日主力比島に転進。レイテ航空作戦参加。12月戦力回復のため
三重県明野へ移駐。
20年3月シンガポールへ展開。ペトン残置隊と合流。
第八飛行師団隷下。7月6日台東に展開。所在の誠第二十六戦隊と合流。
比島残置隊は地上戦闘に参加。
  
◆編成/昭和17年10月2日衙門屯
◆復帰/台東
 
◆歴代戦隊長
島谷亨中佐、太田鉚吉中佐、坂口唯雄少佐、永田良平少佐
 

27sentai

飛行第27戦隊/軽爆隊(威第9123)
◆使用機種
九四式偵察機、九八式軽爆撃機、九九式襲撃機、二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。北支方面地上作戦協力。
9月広東に展開。広東攻略作戦協力。
14年8月満州延吉に移駐。
16年2月1日広東に展開、福建省方面の作戦協力。7月南部仏印進駐、第三飛行集団隷下。
12月コンポンクーナン展開、開戦第一日占領直後のシンゴラ進出マレー作戦に密接に協力。
17年2月パレンバンに進出、ジャワ作戦に参加。3月テンガーに展開。
4月トングーに展開、ビルマ作戦に参加。10月22日延吉に帰還。
18年8月31日衙門屯に移駐。
19年7月9日ネグロス島サラビヤに展開。
20年2月戦力回復のため内地帰還。3月第六航空軍隷下に入り埼玉県所沢に移駐。 
 
◆編成/昭和13年8月1日石家荘
◆復帰/7月15日所沢にて復帰
 
◆歴代戦隊長
須藤榮之助大佐、広田豊大佐、櫻井肇大佐、
黒田久文中佐、田尻清少佐、高橋安夫少佐、後藤清敏少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

28asentai

28bsentai 
飛行第28戦隊/偵察・戦闘機隊(天翔第9160) 
◆使用機種
九七式偵察機、九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆概略
昭和14年6月に満州で編成された偵察戦隊。
ニューギニアへ前進し偵察を行う。
昭和19年12月に内地へ帰還士、千葉県東金飛行場へ
移駐した司偵隊は機種に20ミリ砲二門を装備した武装百式司偵で
訓練を開始し、本土防空戦に備えた。
20年6月より、新型の高高度防空戦闘機キ102が
配備されたが、出動の機会なく、7月15日
戦隊は第28独立飛行隊に改編され終戦となる。 

 
◆部隊史

第二飛行団隷下。
16年3月編成改正、司偵戦隊となる。
16年7月30日第二十八独立飛行隊本部、独立飛行第六十三、八十一中隊に改編。
19年4月温春に於て第二十八独立飛行隊本部、独立飛行第六十三、
八十一中隊は編成を解き第二十八戦隊を再編。
7月第一中隊を満州鞍山に派遣。
19年11月千葉県東金に移駐、機関砲装備百式司偵で高々度戦闘任務につく。
 
◆編成/昭和14年6月1日新京
◆復帰/昭和20年7月10日東金にて復帰
 
◆歴代戦隊長
北川潔水大佐、松沢恭平大佐、河村孝三郎大佐、上田秀夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

29sentai 
飛行第29戦隊/偵察・戦闘・司偵隊(誠第9163)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機、
九九式襲撃機、二式単座戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
  
◆概略
昭和19年2月、戦闘機隊の増勢計画の一環として
偵察分科から戦闘分科に改編された戦隊の一つで
当初は台湾防空を担ったが、8月以降中支戦線へ
派遣されたのち、10月、台湾へ戻る。
11月、レイテ決戦の激化にともない、戦隊も進出
命令が下ったが、川田戦隊長がデング熱で倒れており
土橋飛行隊長(のち戦隊長)指揮する20機が
クラークへ進出した。8月13日、戦隊は
「富嶽隊」をはじめ、特攻隊の掩護を行う。
四式戦闘機に機種改編を行うが一部は二式単戦のまま
防空任務に就く。12月7日、土橋戦隊長以下五機は
特攻隊「勤皇隊」を直掩したまま全機未帰還となった。
昭和20年1月、戦隊は台湾へ後退。沖縄戦の激化により
戦隊も四機編成の特攻隊を四隊を編成、浅野史郎少尉以下
12名が出撃し散った。6月にはさらに二隊の編成命令が
下ったが、沖縄戦が終結に近付くと、台湾防空のため
戦力温存を図った。終戦時の保有機は37機、操縦者は
44名と充実していたが、燃料不足により十分な飛行が
できないままであった。
 
◆部隊史
航空兵団隷下。
14年8月朝鮮会寧に移駐、ノモンハン事件参加。
16年3月編成改正により、軍偵、直協の戦隊となる。
16年7月29日、第二十九独立飛行隊本部、独立飛行第六十六、
八十七中隊に改編。8月北支中支各地で作戦に参加。
17年10月満州海林に展開。
19年2月5日第二十九独立飛行隊本部、独立飛行第八十七、
九十中隊を満州海林にて飛行第二十九戦隊(戦闘隊)に改編。
19年3月5日満州杏樹に移駐。19年7月台中に展開、台湾防空。
19年8月26日中支武昌に展開、8月26日~10月26日後期航空作戦に参加。
19年11月8日比島派遣、クラークに展開、第二次比島及び濠北作戦に参加。
20年3月15日台中に展開、3月26~6月20日天号航空作戦に参加。 

◆編成/昭和14年7月15日各務原
◆復帰/台中
 
◆歴代戦隊長
森本秀応大佐、光岡明中佐、川田武雄少佐、土橋正次少佐(戦死)、小野勇(大尉)
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

30sentai

飛行第30戦隊/襲撃・戦闘機隊(高第9198)
◆使用機種
九九式襲撃機、一式戦闘機(隼)、試作複座戦闘機
 
◆概略
昭和18年10月に編成され、
当初は九九式襲撃機を備えた襲撃隊であったが
昭和18年11月より、九七戦、ついで一式戦の
教育を実施。19年5月、南方進出が決定し
比島・アンヘレスへ進出した。
9月、在ネグロス島戦闘隊選抜者による機動部隊強襲が
下令(カン作戦)されると30戦隊からは
藤本勝美中尉らが爆装した一式戦二機で
出撃し巡洋艦に命中弾を与えたが中野恒雄軍曹は
未帰還となる。以降、ネグロス島邀撃戦において
戦隊は損耗。ルソン島に残る戦隊は
30戦隊のみとなったが、戦闘を続け、爆装した
一式戦で敵船団を襲撃した。
昭和20年1月16日、第四航空軍司令の冨永恭次中将は
エチアゲから台湾への脱出をはかったが
悪天候で引き換えし、翌日の17日未明、今度は
ツゲガラオから九九式襲撃機に搭乗して離陸。
30戦隊の四機が富永機を護衛して台湾へ到着。
第四航空軍解散後も30戦隊は引き続き
残留しリンガエン湾の敵船団に攻撃を継続した。
 
◆部隊史
第13飛行団隷下。
18年10月25日敦化移駐、戦闘隊に分科変更。
19年8月15日比島マナベラに展開、ネグロス島邀撃作戦に参加。
19年9月14日クラークに転進、同地防空。
19年10月台湾沖航空作戦参加。19年11月戦力回復のため大刀洗帰還。
20年1月6日ツゲガラオに展開、リンガエン湾作戦に参加。
20年1月24日台湾屏東に転進し戦力回復。
 
◆編成/昭和18年10月1日東京城
◆復帰/昭和20年5月2日?東にて復帰
 
◆歴代戦隊長
神崎清中佐、佐藤眞一少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

31sentai

飛行第31戦隊/軽爆・襲撃・戦闘機隊(威第9623)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式襲撃機、一式戦闘機(隼)

◆概略 
29、30戦隊とともに戦闘機隊へ改編された
31戦隊は、操縦者の大部分が襲撃機出身であった。
一式戦に機種改編後の昭和19年5月以降、
逐次比島へ派遣され、日々来襲する米機動部隊の艦載機と
空戦を展開した。昭和20年1月9日、リンガエンに上陸する
米軍に対し、このときマバラカットにあった31戦隊の
一部は8日以降、特操出身者を中心とする特攻隊「精華隊」
に編入され、リンガエン湾へ出撃、散華した。
 
◆部隊史

第一飛行団隷下。
13年8月~14年8月中支漢口攻略、広東攻略、海南島攻略、各作戦に協力。
14年8月満州嫩江に移動、ハイラルに於てノモンハン事件参加。第九飛行団隷下。
9月嫩江に移駐、第三飛行集団隷下。
16年12月4日仏印シエムレアに展開、第十五軍のタイ進駐に協力。
12月23日ビルマ・ピサンロークに展開、ビルマ作戦に参加。
17年4月27日マグエに展開。第十五次戡定作戦参加。
17年7月嫩江に帰還。17年10月18日満州敦化に移駐。九九式襲撃機に改変。
18年12月一式戦闘機(隼)に改変。
19年7月30日ネグロス島ファブリカに展開し、レイテ作戦、マニラ防衛戦に参加。
20年4月主力戦力回復のため内地帰還。
 
◆編成/昭和13年8月南苑
◆復帰/昭和20年5月30日シンガポールにて復帰
 
◆歴代戦隊長
高橋常吉大佐、佐藤正一大佐、長谷川正雄中佐、林順二中佐、加島誠輝中佐、西進少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

飛行第32戦隊/軽爆隊(鏑第9142)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式襲撃機

◆部隊史
第二飛行集団隷下。
16年4月24日北支南苑に展開、第百号作戦参加。
5月20日満州杏樹に帰還。
19年2月22日北海道計根別に移駐、松輪島、占守島に前進、船舶掩護、対潜警戒。
12月比島ラオアグに展開、呂宋(ルソン)島航空作戦参加。
20年3月25日計根別に帰還、南千島方面哨戒及び対潜掃蕩
 
◆編成/昭和14年10月5日杏樹
◆復帰/計根別
 
◆歴代戦隊長
川上清志大佐、相京正夫大佐、宇佐神正捷少佐、岡村正義少佐、安原勤少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

33sentai

飛行第33戦隊/戦闘機隊(高第9144)
◆使用機種
九四式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
33戦隊はアジア、太平洋のほとんどを戦域として健闘した戦隊である。
海狼にあった飛行第16連隊がその前身で、ノモンハン事件に参加、
昭和17年、桂林、零陵飛行場攻撃など在支米軍との攻防、武漢上空でのB-24邀撃、
ハノイへ移動し、ビルマ戦線で戦う。昭和18年にはインパール攻撃の直掩
カルカッタ初攻撃に参加しスピットファイア7機を撃墜している。
チタゴン、昆明攻撃に参加、19年になるとニューギニアし、劣勢の中、
ブーツ、ウエワク、ホランジアで邀撃にあたる。
比島決戦では33戦隊にも参加命令が下りニルソン飛行場へ展開した。
11月12日、特攻隊「万朶隊」の九九双軽4機をレイテ湾まで掩護し
敵戦闘機の妨害を排し、戦果確認後、全機が帰還した。その後は
マニラ防空、特攻隊の直掩、12月にはレイテに降下する
高千穂空挺隊を低空で直掩。山浦戦隊長が戦死した。スマトラ帰還命令とともに
飛行機を特攻隊に引き渡し、操縦者は輸送機で台湾へ渡り、シンガポールを経由して
スマトラ島ベトンへ到着。戦力回復を行う。6月2日付で33戦隊の廃止が決まり
部隊はそのまま第九飛行師団直属の翔忠戦闘隊となる。翔忠戦闘隊は
全機特攻を目指して待機していたが、7月26日北スマトラ出動の命が下り
敵飛行場、艦船を攻撃しつつ、終戦となる。
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。
14年8月28日平安鎮へ前進、ノモンハン事件参加。
17年9月1日広東へ展開、支那大陸航空作戦参加。
18年7月武昌に展開、支那十八年度中期航空作戦参加。
9月仏印ハノイに展開、支那十八年度中期航空作戦参加。
10月パレンバン展開、防空任務。
18年11月3日ビルマ、マウビに展開しビルマ航空作戦参加。
19年1月3日タイ、ドムアンに展開。2月ホランジアに展開しニューギニア航空作戦に参加。
5月シンガポール移動。戦隊再編。6月6日パレンバン展開、要地防空。
10月25日クラークに展開、比島航空作戦参加。
20年1月13日パレンバンに帰還、要地防空および戦力回復。5月15日メダンに展開。
 
◆編成/昭和13年8月1日杏樹
◆復帰/昭和20年6月20日メダンにて復帰
 
◆歴代戦隊長
青木正三中佐、原田潔中佐、水谷勉少佐、渡辺啓少佐、
福地勇雄少佐、山浦浩少佐、生井清少佐、勝田悦夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

34sentai

飛行第34戦隊/軽爆隊(洋第11051)
◆使用機種
九九式双発軽爆撃機

◆部隊史
独立飛行第八十二中隊を改編。第四飛行団隷下。
18年3月3日タイ・チェンマイに展開、第三十一号作戦参加。
6月25日アロールスターに展開。10月7日チエンマイに帰還しビルマ航空作戦参加。
19年2月9日ニューギニア・ホランジアに展開し同方面作戦参加。
同地戦闘に於て殆ど戦力を喪失、一部マニラに派遣。
19年7月31日残存部隊、ルソン島リバ・に展開。
8月20日同戦隊はニューギニヤに於て復帰。比島残存人員は飛行第二百八戦隊に転属。
 
◆編成/昭和17年10月15日プノンペン
◆復帰/昭和19年8月20日、ニューギニヤ

◆歴代戦隊長
田中祐晴中佐(戦死)
 
◆戦死者・殉職者追悼 

38sentai

飛行第38戦隊/司偵隊(鏑第19342)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第一飛行師団隷下。
18年9月26日~10月24日カムチャッカへ隠密捜索。
18年11月3日北海道札幌に移駐。19年4月7日北海道帯広に移駐、
北千島占守島にて洋上捜索。
19年9月19日~10月10日アッツ島捜索。
19年10月24日クラークフイルドに展開、比島作戦に参加。
20年3月20日帯広に帰還。
比島移駐に当り一部帯広に残置されたる隊は
19年12月~20年3月千葉県八街に転地訓練。
20年4月帯広に帰還主力に合流。
 
◆編成/昭和18年4月15日樺太大谷
◆復帰/帯広
 
◆歴代戦隊長
木村拙郎中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼 

44sentai

飛行第44戦隊/偵察機隊(隼魁第2376)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、九八式軽爆撃機、九九式軍偵察機(九九式襲撃機)
 
◆部隊史
14年7月第三飛行団隷下。
飛行第三大隊と独立飛行第十八中隊と飛行第四十五戦隊より選抜されたる
人員機材に依り編成。
15年4月~7月宜昌作戦参加。
15年9月編成改正、独立飛行第十八中隊を再編転出させ、
独立飛行第十七中隊を編入、軍偵一隊、直協三隊となる。
9月5日中支漢口に展開。16年7月30日第二次長沙作戦参加。
11月30日広東に展開、香港攻略作戦参加。
17年8月杭州に展開淅かん作戦に協力。
18年2月南昌、蒲折に展開、江北殲滅作戦。
18年8月漢口に展開、中南支飛行場攻撃、揚子江船舶攻撃。
19年3月新郷に展開、京漢、湘桂作戦参加。6月漢口に帰還、粤漢作戦参加。
20年5月5日唐山に展開。6月1日主力朝鮮大田移駐。
軍偵中隊、第三直協隊は常州残置。 
 
◆編成/昭和14年7月漢口
◆復帰/大田
 
◆歴代戦隊長
森玉徳光大佐(ニューギニヤにて飛行団長で戦死)、大坪清大佐、
福沢丈夫中佐、広瀬茂中佐、沢山義治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

45sentai

飛行第45戦隊/軽爆隊(威第10654)
◆使用機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機(屠龍)、
キ百二双発襲撃機(五式双発襲撃機)(試作襲撃機)
 
◆部隊史
独立飛行第六中隊を改編、第三飛行団隷下。
13年8月~10月武漢作戦参加。
14年9月12日ハイラルに展開、第二次ノモンハン事件参加。
9月25日満州嫩江に移駐。
16年12月6日広東に展開、香港攻略戦に参加。
17年1月13日機種改変のため埼玉県所沢へ移動。
4月24日満州白城子へ移動。
18年1月22日ラバウルに展開、ガダルカナル作戦に参加。
5月ブーツに展開、ニューギニア作戦参加。
18年12月10日機種改変のため茨城県鉾田へ移動。
19年2月10日クラークに展開、船団掩護第三次比島戡定作戦、
濠北作戦、第三次ニューギニア作戦に参加。
8月20日ネグロス島タリサイに展開、同地に於て防空、
船団掩護、レイテ作戦に参加。
20年2月機種改変のため鉾田に移駐、第二十六飛行団隷下。
 
◆編成/昭和13年7月27日安慶
◆復帰/鉾田
 
◆歴代戦隊長
吉田定雄大佐、下田竜衛門大佐、土生秀治大佐、浜田竜太郎中佐、
佐内不二生中佐、高橋賢一少佐、竹下福寿少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

47sentai 
飛行第47戦隊/戦闘機隊(天風第34212)
◆使用機種
二式戦闘機(鍾馗)四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
開戦から終戦まで鍾馗一筋で通したかわせみ部隊。
昭和16年11月立川の航空審査部で試作段階にあった
二式単戦「鍾馗」によって臨時編成された独立飛行第47中隊が
改編された。二式単戦は一式戦に慣れた操縦者には必ずしも
歓迎されなかったが、英空軍スピットファイアに対抗する新鋭機として
増加試作機9機をもって急遽一個中隊を編成し鍾馗の審査主任だった
坂川敏雄少佐を隊長として南方軍の直轄部隊に編入した。
隊名は赤穂義士にあやかって命名され、「新選組」あるいは
「かわせみ部隊」と呼ばれた。胴体には山鹿の陣太鼓を描いた。
以降、ビルマ戦線において重戦の威力を遺憾なく発揮した。
内地に帰還した独飛47中隊は飛行第47戦隊と改称され東京・成増飛行場に展開。
調布の244戦隊と並んで関東地区の防空の要となる。
第十飛行師団により震天制空隊に任命された47戦隊は鈴木、坂本曹長
永崎、見田伍長の四名を指名。体当たり機は武装・防弾装備を取り外し
高度110000メートルまで上昇可能となった。昭和20年1月9日の
B-29邀撃戦では震天制空隊による凄惨な体当たり戦となった。
隊員らは「ただいまより体当たり!バンザーイ!」との叫びを無線にのせて
次々突入。幸万寿美軍曹は成増飛行場上空でB-29に体当たりし
機体は四散。左外側エンジンを吹き飛ばされたB-29は黒煙を吐きつつ
脱落。真崎大尉の編隊によってとどめが刺された。
 
◆部隊史
第十九飛行団隷下年
18年10月3日成増に移駐。独立飛行第四十七中隊を編入。帝都防空。
20年3月第三十戦闘飛行集団長の隷下に入る。
20年5月9日宮崎県都城西に展開、天号作戦参加。
7月25日第十二飛行師団長の隷下に入り、山口県小月にて機種改編。九州防空。
 
◆編成/昭和17年5月30日柏

◆復帰/小月
 
◆歴代戦隊長

下山登令中佐、奥田暢少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

48sentai

飛行第48戦隊/戦闘機隊(隼魁第16618)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)
  
◆概略
昭和18年7月、77戦隊と教導飛行204戦隊を基幹として
臨時編成された部隊。昭和19年5月末、初陣では
湘桂作戦に参加。多大な犠牲を払いつつ、在支米軍と空戦を展開。
連日、戦場上空までの3~400kmを往復する
戦いが続いた。8月8日の瀋陽陥落の日も全稼働機の九機で
戦闘に上がり7機を撃墜したが、我が方は3機を失い戦隊長も
重傷を負った。後任の鏑木戦隊長はただちに補充の
一式戦三型3機を率いて内地を飛び立った。
その途中、B-29撃墜という戦果が報告されている。
これは8月20日のB-29北九州来襲時、鏑木編隊の中島中尉が
高度6000メートルにおいて単機、B-29の5機編隊に正面攻撃を加え
1機を撃墜した。新聞誌上で「行きがけの駄賃」と大々的に報道された。
戦力回復後、桂林飛行場攻撃制空で鏑木戦隊長がP-51撃墜等の戦果を挙げたが
その後、瀋陽飛行場が敵100機以上の波状攻撃を受け壊滅。稼働機は3機となり
武昌へ後退した。この頃、戦隊の機種は一式戦二型と三型であったが
三型をもってしてもP-51との戦闘は劣勢におかれた。
12月18日、漢口はB-29とP-51戦爆連合の大空襲を受け灰塵に帰した。
昭和20年1月、漢口はふたたに敵戦爆連合の波状攻撃を受けたが
48戦隊は全戦力をもって邀撃。中国大陸における最後の大空戦となった。
戦隊創設以来の木村増吉中尉がP-51撃墜後自爆。多数の損害を出した。
48戦隊は9戦隊とともに最後の在支戦闘機隊となっていた。
5月に南京に移動。8月13日、48戦隊は張家口付近を南下する
ソ連機甲部隊を攻撃するため、北京転進の命が下ったが
悪天候により待機中、終戦となる。
 
◆部隊史

第五航空軍隷下。第十二飛行団編入。
18年11月5日満州間島省・間島に移駐。
19年4月29日武昌に展開、九江上流航路掩護。
19年7月中支白螺磯。19年11月衝陽。19年12月漢口、南京。
20年5月土山鎮と転戦し、諸作戦続行。終戦とともに上海集結。
 
◆編成/昭和18年7月30日牡丹江
◆復帰/昭和20年8月15日、泰県
 
◆歴代戦隊長
松尾政雄少佐、鏑木健夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

50sentai

飛行第50戦隊/戦闘機隊(誠第9914)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
飛行第64戦隊と並んでビルマ航空戦で勇名を馳せた
飛行第50戦隊は昭和15年9月、台湾において編成された。
比島戦線においては、九七式戦闘機でB-17を撃墜した記録を持つ。
ビルマでは、九七式戦闘機をもって
米義勇軍のP-40や英空軍のホーカー・ハリケーンと対峙し苦戦を
強いられた。
一式戦一型に機種改編が行われたのは昭和17年6月、
二型への改編は18年3月で、石川戦隊長指揮のもとビルマを転戦。
ラングーン邀撃戦では、穴吹軍曹が単機でB-24を3機(うち一機は体当たり)
撃墜、P-38を2機撃墜している。
昭和18年10月、戦隊はマウントバッテン連合軍司令官がインドから中国へ訪問する
との情報を得て、ミートキーナへ前進。戦隊の選抜者8機で
輸送機数機を撃墜したが、マウントバッテン搭乗機はこれを逃れ
無事中国に到着していた。カルカッタ進攻参加、最後のインパール進攻を
実施したが、P-51、スピットファイア50機と交戦。
永島中尉、五十嵐軍曹ら三機が未帰還となった。
19年7月、サイゴンへ後退ののち
第8錬成飛行隊の保有機20機に加え、空輸機の10機をもって
四式戦に機種改編。ラングーンへ戻り防空任務、
英機甲師団攻撃、インパール撤退作戦の掩護にあたる。
12月のシエボ付近の攻撃では四式戦13機をもって
敵戦車と車両、100両以上に打撃を与える戦果を挙げた。
20年1月にふたたびサイゴンへ後退した戦隊は同地防空にあたり
B-24、B-25などと交戦。4月にモールメンへ進出すると
ビルマ方面軍司令官だった木村 兵太郎大将のラングーン脱出掩護にあたる。
7月、台湾へ後退し、戦力温存の命令を受けたまま終戦に至る。
 
◆部隊史 

16年11月26日台湾恒春に移駐、開戦にあたり比島攻略船団の掩護。第四飛行団隷下。
12月20日比島ビガンに展開、泊地掩護。
16年12月8日~17年1月7日マニラ攻略戦参加。
1月10日タイ・ナウンサワンに展開、ビルマ航空撃滅戦に参加。
17年4月埼玉県所沢にて機種改編。
17年5月モールメンに展開、ビルマ、印度、昆明、作戦参加。
18年10月へホに展開。
18年10月~19年6月印支空路遮断作戦、インパール作戦参加。
19年10月19日ビルマ、ミンガラドンに展開、インパール撤退作戦参加。
12月マウビに展開、ビルマ地上作戦協力。
20年1月サイゴン展開。
1月~6月同地にありて敵機動部隊攻撃、一部特攻隊となる。
7月主力台中に展開、第八飛行師団隷下。地上部隊主力は仏印残置。
残置部隊は第八錬成飛行隊に転属。
 
◆編成/昭和15年9月10日台中
◆復帰/嘉義
 
◆歴代戦隊長
吉田直中佐、牧野靖雄少佐、石川正少佐、新田重俊少佐、藤井辰次郎少佐、河本幸喜少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

51sentai

飛行第51戦隊/戦闘機隊(威第18424)
 
◆概略
昭和19年4月、小月で編成され、同時期に大阪で編成された
52戦隊とともに四式戦装備の第16飛行団を構成。
北九州に飛来したB-29を2機撃破している。
第四航空軍に転属ののち、比島、デルカメンへ前進。
52戦隊とともに激戦を重ねた。12月に内地へ帰還後は
下館においてB-29邀撃にあたる。
 
◆使用機種

◆部隊史
◆編成/昭和19年4月28日小月
◆復帰/下館

◆戦死者・殉職者追悼
  

52sentai

飛行第52戦隊/戦闘機隊(威第18425)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年4月、大阪で編成された四式戦部隊である。
成都を出撃したB-29の北九州空襲が開始されると
これに呼応して邀撃戦を展開。昭和18年8月20日の戦闘では
15機が出撃(夜間行動可能な8機)し、59戦隊と協力して
B-29一機を撃墜。41歳だった飛行団長の進藤常右衛門中佐
も単機八幡上空で一機を撃墜した。
第四航空軍に転属ののち、比島、デルカメンへ前進。
激戦を重ねる。下館帰還後は関東地区の防空任務に就いた。
しかし新鋭の四式戦をもってもB-29に随伴するP-51の撃墜は困難を極めていた。
52戦隊は戦力温存のため、邀撃を実施せずにいた。
8月15日特攻機掩護のため熊本建軍飛行場へ前進準備中に終戦。
終戦時の保有機は約30機で、8月24日に全力で納め飛行を行ったのち
28日、解散した。

◆部隊史
19年5月7日福岡県芦屋移駐。
9月27日比島デルカメンに展開。ルソン島沖、台湾沖、
クラーク航空作戦参加。10月24日サラビヤに展開。
11月10日迄レイテ作戦参加。一部サルビヤに残置。
地上要員は大博丸、大彰丸にてデルカメンに向うも
10月26日バシー海峡にて雷撃を受け海没。
生存隊員は11月5日デルカメンに到着。
11月13日デルカメン残置の空中勤務者は千葉県下館に移動、戦力回復。
第十六飛行団隷下。帝都防空任務。20年7月東京都調布へ移動。
20年2月~4月整備員はレイナマルセデスに移動。
2月一部ツゲガラオに移動させるも空輸不能のため、
レイナマルセデス残置隊は第六、第七野戦補充隊に編入。地上戦闘参加。
20年9月18日アンケブロにて停戦。
サラビヤ残置隊は19年11月13日~20年1月23日
飛行第七十一戦隊、飛行第二百戦隊に協力。
9月2日サンパブロにおいて米軍に収容。
ツゲガラオ残置隊は20年2月アパリに移動。ラロー地区地上戦闘参加。
9月14日モンテンルパに収容。
 
◆編成/昭和19年4月28日防府
◆復帰/調布
 
◆歴代戦隊長
桑原信彦少佐、内徳隆幸少佐、沢山義隆少佐、坂内士郎少佐、高野明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

53sentai

飛行第53戦隊/戦闘機隊(天翔第18426)
◆使用機種
二式複座戦闘機(屠龍)
 
◆概略
昭和19年3月、所沢で編成され、直ちに
関東地区防空を担当する第十飛行師団に編入された
二式複戦の夜間戦闘機隊である。戦隊長は重爆出身の
児玉少佐で操縦者は午後起床し、夕方から訓練を開始。
夜明けに就寝した。視力増強のためビタビンA錠を服用し
「猫の目部隊」「ふくろう部隊」と称され
第一飛行隊を「まつうら隊」第二飛行隊を「こんごう隊」第三飛行隊を
「さざなみ隊」と改めた。11月7日、師団命令により
震天制空隊が編成されている。また、実戦前に終戦となるが
53戦隊は百式司偵四型が配備されていたほか、二式複戦には
タキ2号機上レーダーを装備するため2機の機種を改造して
レドームを製作、実験飛行を行った。
戦力温存が命令され、20年7月の戦力は二式複戦およそ34機
を保有。来たるべき決戦に備えていた。
 
◆部隊史

19年5月千葉県松戸に移駐、夜間防空先任。
20年千葉県藤ヶ谷に移駐、第十飛行師団隷下。
 
◆編成/昭和19年4月3日所沢
◆復帰/藤ヶ谷
 
◆歴代戦隊長
児玉正人少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

  

54sentai 
飛行第54戦隊/戦闘機隊(鏑第19272)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
北海道・北千島防衛の要となった戦隊で
千歳飛行場を要に北千島、札幌丘珠、苫小牧、室蘭の
防空を担当。アリューシャンから飛来する敵機に備えた。
しかし冬季の防空は極めて困難で12月から1月にかけての空襲や
艦砲射撃には反撃できず、竹田勇大尉(244戦隊竹田五郎大尉の兄)を
長とする苫小牧残置隊で錬成を行った。比島決戦では
一部を札幌に残置し、主力を一式戦三型に機種改編を行った後
マニラ近郊のサブランに展開した。
20年1月7日早朝、バコロド沖の艦船偵察に偵察に出動した
杉本明准尉はファブリカ飛行場上空でアメリカの撃墜王、
マクガイア少佐の率いるP-38、4機と空戦となり
71戦隊の福田軍曹と協同してマクガイアおよび僚機の
リトメイア少佐機を撃墜した。マクガイアは戦死。
しかし杉本機も被弾。不時着に成功したが、ゲリラの襲撃を
受け戦死した。特攻隊「万朶隊」直掩では
渡辺史郎伍長が特攻機とともにレイテ湾の敵艦船に突入し散華した。

札幌へ帰還した戦隊は部隊の回復を行った後
南樺太進出を決定。竹田戦隊長以下24機が
爆装して離陸したが宗谷海峡の悪天候により引き返し
、再度出撃準備中に終戦となった。ホロムシロ島に
残留した中島大尉以下14機の北千島派遣隊は
19年10月末、占守島の片岡飛行場へ移動し
連日飛来するB-24、B-25重爆の邀撃にあたりつつ
越冬。20年夏に札幌へ復帰している。
 
◆部隊史

第一飛行団隷下。
16年12月2日中支漢口へ展開、武漢地区防空。
17年1月7日白螺磯に展開、戦場上空制空。
8月7日まで南京、杭州地区防空。第二次せ號航空作戦参加。
17年10月北海道千歳に移駐。18年1月帯広に移駐。
18年4月大阪大正に移駐。6月7日帯広帰還。
8月12日幌莚島に展開、一部残置。B~24邀撃作戦に参加。
19年2月29日第一中隊は独立飛行第24中隊に改編。
19年11月10日ネグロス島ファブリカに展開、レイテ航空作戦に参加。
20年5月戦力回復のため北海道帰還。
9月札幌にて主力は復員。幌莚島残置者は8月末ソ連に抑留さる。
 
◆編成/昭和16年7月26日柏
◆復帰/札幌9月主力復員

◆歴代戦隊長
島田安也少佐、黒川直輔少佐、竹田勇少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

55sentai

飛行第55戦隊/戦闘機(鷲第18427)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年3月に編成された三式戦装備部隊。
編成当初、小牧に駐留して中京地区防空にあたる。
レイテ決戦がたけなわになるとルソン島アンヘレス、ついで
ネグロス島タイサイに展開。レイテ第二次航空総攻撃に参加。
20年1月にはリンガエンに上陸する米軍に対する特攻隊掩護、
払暁、薄暮の爆装攻撃を行う。飛行機は終戦までに全耗。
地上勤務者はネグロス島、ルソン島の山中に取り残され
終戦までに全滅した。
小牧に駐留する部隊は引き続き中京地区の防空を担い
20年1月3日の夜間戦闘では代田中尉がB-29に体当たりして
撃墜、特操一期の安達武夫少尉は12月から1月の間、
B-29、4機を撃墜したが、1月19日に戦死。
戦隊のうち8機は沖縄作戦参加の為、芦屋、万世に進出し
特攻隊掩護にあたる。沖縄作戦中、三式戦二型への機種改編が
行われた。 

 
◆部隊史

第十一飛行師団隷下。
19年5月25日愛知県小牧に移駐。11月18日比島アンヘレスに展開、
クラーク地区防空、
比島航空作戦参加。一部は小牧に残置。
20年1月3日マナブラに展開、同地区の戦闘に於いて全機喪失。
2月空中勤務者と基幹整備員ネグロス島脱出以後不明。
20年3月1日第十六航空地区司令官の指揮下に入り地上戦闘参加。
 
◆編成/昭和19年4月26日大正
◆復帰/伊丹
 
◆歴代戦隊長
岩橋重夫少佐、矢野武夫代理大尉、小林賢二郎少佐

 

56sentai

飛行第56戦隊/戦闘機隊(天鷲第18428)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年3月に編成された三式戦部隊。当初、三式戦の稼働率も低く
事故が頻発。殺人機と嫌われたが、5月に小牧へ移駐し
中京地区の防空にあたる。阪神中京地区へ飛来するB-29邀撃の要として
活躍。昭和20年3月27日の防空戦では飛行隊長の緒方醇一大尉が
B-29に体当たり戦死。緒方大尉は77戦隊時代、ビルマ戦線で
爆撃機3機、内地でB-29を4機撃墜、5機を撃破している。
摩耶山山頂に落下したB-29の残骸からは緒方機の破片が発見された。
56戦隊は第12飛行師団に編入され、芦屋へ移動し北九州地区の防空、
海軍の佐伯へ移動してB-29邀撃にあたる。5月に伊丹へ帰還し
三式戦二型への機種改編を行った。
 
◆部隊史

19年5月兵庫県伊丹移駐、阪神防空。
8月28日済州島に展開、同方面洋上撃滅戦闘参加。
11月15日第十一飛行師団隷下。伊丹に帰還、防空戦闘。
 
◆編成/昭和19年4月26日大正
◆復帰/伊丹
 
◆歴代戦隊長
古川治良少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

58sentai 
飛行第58戦隊/重爆隊(誠第9145)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機
 
◆部隊史
飛行第十二連隊第二大隊を改編。第二飛行集団隷下。
14年6月満州佳木斯に移駐。15年8月広東に移動、桂林等攻撃。
9月12日佳木斯に帰還。
18年2月スマトラ島メダンに展開、印度洋の哨戒、船団掩護。
18年7月支那大場鎭に展開、中期航空作戦参加。
10月メダンに展開、同地に在りて船団掩護。
19年6月20日独立飛行第三十一中隊を編成。
20年1月13日仏印コンポンクーナンに展開、
7月25日迄敵機動部隊攻撃、ビルマ敵基地攻撃、第八飛行師団隷下。
20年8月台湾草屯に移動。

◆編成/昭和13年8月31日公主嶺
◆復帰/草屯
 
◆歴代戦隊長
小川団吉大佐、滝昇大佐、高品朋大佐、坪内剛直大佐、辻本隼三少佐、中嶌隆弘少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

59sentai

飛行第59戦隊/戦闘機隊(天風第2377)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)、五式戦闘機
 
◆概略
中支作戦、ノモンハン事件、大東亜戦争開戦直後の
南方作戦等で活躍。ジャワ駐留を経てパレンバン防空
ポードダーウィン攻撃ののちニューギニア各地を転戦したが
一式戦二型ではP-38相手に苦戦を強いられるようになる。
昭和19年1月23日には、南郷茂男大尉が戦死。戦力を失って
内地に帰還した後、明野で三式戦に機種改編を行い
北九州防空の任務に就く。昭和19年7月18日、59戦隊は
第12飛行師団隷下となり、12月には体当たり専門の
第二回天隊を編成。11月末からは戦隊の一部を済州島に
昭和20年1月には主力を芦屋から蓆田へ移動する。2月。
南朝鮮の群山へ。4月1日、知覧へ前進した。その後
知覧にあって特攻機の掩護、防空任務に就いた後
芦屋に後退した戦隊は五式戦に機種改編を行い、終戦まで
北九州防空にあたった。
 
◆部隊史

飛行第一連隊より編成。第九飛行団隷下。
13年8月満州、延吉に展開。9月安慶前進、漢口攻略作戦参加。
11月漢口に展開、ノモンハン事件参加。
15年広東に展開、仏印進駐作戦参加。
16年1月漢口に帰還。5月~10月機種改編のため東京都立川に移動。
第三飛行集団隷下。
12月7日コンポントラッシュに展開、第一撃参加、
マレー作戦に従事。
12月25日マレー・イポーに展開、
シンガポール作戦に参加。
17年1月クアラルンプールに展開、
パレンバン、スマトラ、ジャワ作戦参加。
3月10日バンドンに展開。5月マラヤンに展開、
小スンダ作戦参加。
18年2月ジャワにて防空任務。第三飛行団隷下。
6月20日~6月22日ポートダーウィン進攻。
7月11日ブーツ東に展開、ニューギニア作戦参加。
19年3月福岡県芦屋に移駐、戦力回復。3~10月北九州、阪神地区防空。
20年1月福岡県蓆田(むしろだ)に展開。北九州、京阪神地区防空。
2月芦屋に帰還。3月知覧に展開、沖縄地区航空作戦に参加。
第三十戦闘飛行集団隷下。6月芦屋に帰還。
 
◆編成/昭和13年7月1日各務原
◆復帰/芦屋
 
◆歴代戦隊長
今川一策大佐、土井直人中佐、谷村礼之助少佐、中尾次六少佐、福田武雄少佐、
佐藤猛夫少佐、本田辰造少佐、木村利雄少佐、西進少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

60sentai

飛行第60戦隊/重爆隊(威第2378)
◆使用機種
九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第六大隊を飛行第六十戦隊に改編。第四飛行団隷下。
14年1月より支那運城へ前進、第三飛行集団隷下。重慶、蘭州、成都に進攻。
15年3月9日南苑に移駐。飛行第九十八戦隊第三中隊編入。
3月17日~4月28日南京、彰徳地上作戦協力竝に要地攻撃。
4月29日~9月4日漢口、運城第四次航空進攻作戦参加。
16年4月1日~6月20日仏印ハノイ基地。印、緬、支、遮断進攻作戦参加。
9月20日機種改変のため静岡県浜松に移動。12月5日プノンペンに展開、
マレー・ビルマ作戦参加。
17年3月6日クラークに展開、バタアン半島、コレヒドール攻撃。
5月16日器材整備のため浜松帰還。7月6日北満、拉林に移駐、同地警備。
18年2月20日アエルタワルに展開、印度洋哨戒。7月22日武昌に展開、
重慶、昆明進攻作戦参加。
9月19日ハノイに展開。12月17日メダンを経てヘホに前進、第二次昆明攻撃。
19年1月メダンに展開、2月11日ホランジアに展開、濠北作戦に参加。
5月マバラカットに移動、7月7日水戸に移駐、戦力回復。
8月24日南京に展開、中国奥地B29基地攻撃参加。10月11日浜松移駐。
20年2月硫黄島攻撃参加。第六航空軍隷下。
20年3月8日熊本健軍飛行場に展開、沖縄攻撃参加。
◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/熊本
 
◆歴代戦隊長
中薗盛孝大佐、田中友道大佐、小川小二郎大佐、花本盛孝大佐、
大岩三男中佐、渥美光少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

61sentai

飛行第61戦隊/重爆隊(誠第9604)
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
第二飛行集団隷下。
14年5月31日ハイラルに展開、ノモンハン事件参加。
16年11月~12月山下兵団上陸掩護のため一部仏印に出勤。
17年9月25日メダンに展開、印度洋哨戒。18年3月14日スラバヤに展開。
6月19日ラウテンに進出、ポートダーウイン進攻、
8月15日機種改変のため浜松に移動。10月13日ニューギニア島ワクデに展開、
19年3月25日迄第三次ニューギニア戦闘に参加。5月6日ナムレアに展開、ピアク、モロタイ攻撃。
10月16日機種改変のため浜松へ移動。
20年2月9日コンポンクーナンに展開、3月1日~7月10日反攻邀撃々碎作戦に参加。
7月16日台湾嘉義に展開、地上部隊主力シンガポールに残置
8月11日第三航空軍司令部に転属、一部コンポンクーナンに残置。
8月10日第四十五教育飛行隊に転属。

◆編成/昭和13年8月31日チチハル
◆復帰/嘉義

◆歴代戦隊長
志方光之大佐、三上喜一大佐、藤崎茂大佐、小川一郎大佐(殉職)、
八木斌中佐、堀川正三郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

62sentai

飛行第62戦隊/重爆隊(灘第9908)
◆使用機種
九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
飛行第三集団隷下。
16年12月6日カンボチヤ・クラコールに展開、マレー作戦第一撃参加。
12月15日タイ・ドムアンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
17年4月26日クラークフイルドに展開、パターン半島攻撃参加。
4月27日南京に展開、せ号航空作戦参加。
18年8月11日北海道帯広に移動。
12月22日第四十五戦隊南方先発のための人員器材をクラークに輸送、
19年1月13日静岡県浜松に帰還。2月20日スンゲイバタニ展開、ビルマ航空作戦参加。
5月28日サバニ島付近哨戒。8月19日シンガポールに展開。
7月1日~10月22日ニューギニア、セレベス、モロタイ、レイテ作戦参加。
スンゲバダニ残置者100名(その後の行動不詳)。
12月15日シンガポールに展開(同地残置者は200名。
20年3月5日ルソン島カガヤンに於て臨時独立歩兵第十五大隊に編入)
20年1月東京都福生で機種改変。2月西筑波に移動。第六航空軍隷下。
4月8日福岡県大刀洗に展開、沖縄作戦参加。6月西筑波に帰還。
 
◆編成/昭和16年11月14日帯広
◆復帰/西筑波
 
◆歴代戦隊長
波多野魁夫大佐(戦死)、大西洋大佐、堀場一雄大佐、芳賀政信中佐(戦死)、
石橋輝志少佐、新海希典少佐(戦死)、沢登正三少佐(戦死)、小野祐三郎少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

63sentai 
飛行第63戦隊/戦闘機隊(洋第15378)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
北海道、千島列島防空の要として活躍した63戦隊は
昭和18年4月、札幌に在り、室蘭防空のため、新設された
苫小牧飛行場へも一個中隊が派遣された。9月には
アリューシャンから飛来する米軍機邀撃のため
北千島ホロムシロ島へ派遣。11月、一転してニューギニア派遣の
命令が下る。北千島に残留した一個中隊は敵襲こそなかったが
厳しい自然と戦いつつあった。北海道へ帰還して間もなく
本隊合流の命令によってウエワクへ移駐。敢闘を続けたが
稼働機を失い、飢餓と病気に倒れるものが多く、原戦隊長も戦病死した。
終戦時までサルミで自活生活に入り、生還者は僅か3名であった。
 
◆部隊史

第一飛行師団隷下。
18年4月25日北海道札幌及び苫小牧に移駐。9月第一中隊北千島幌莚に派遣。
19年1月14日ニューギニア島ウエワクに展開。
北千島派遣隊は2月28日ホランジアにて本隊と合流。
3月ホランジア展開、一部ウエワク残置。
19年1月16日~4月21日同地にて進攻、邀撃作戦。この作戦で飛行機全耗。
6月27日サルミに移動、途次戦闘により大部分は戦死。
19年7月25日サルミにおいて復帰。その後21年6月まで現地にて自活活動。
ウエワク残置隊は20年10月ポイキンにて武装解除。
21年1月19日神奈川県浦賀上陸復員。

◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/8月22日クラコール
昭和21年4月25日サンジャック出発5月4日大竹上陸復員
 
◆歴代戦隊長
原孫治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

64sentai

飛行第64戦隊/戦闘機隊(高第9124)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
加藤隼戦闘隊として、戦中戦後を通して最も名高い飛行戦隊である。
加藤隼戦闘隊は映画化され、戦意高揚に大いに寄与した。
陸軍航空総監部兼陸軍航空本部部員の加藤健夫戦隊長は一式戦隼の採用に
反対の立場であったが、64戦隊に赴任し、隼の
採用が決定すると、隼の特性と弱点を研究し
その性能を最大限に活かせる方法を模索し続けた。
特に海上航法、熱帯地方での飛行に重点を置いて猛烈な訓練を重ね、
大東亜戦争開戦直後、南方作戦で勝利をおさめる。
 
◆部隊史

飛行第二大隊を改編。第四飛行団隷下。
13年8月中、支二套口に展開、漢口作戦参加。
12月広東に展開、海南島攻略作戦参加。
14年2月独立飛行第九中隊を編入。
14年8月5日満州ハイラルに展開。ノモンハン事件参加。のち、朝鮮東京城移駐。
15年1月8日広東に展開、同地防空、北部仏印進駐に協力。
16年9月1日一式戦に機種変更。12月3日第三飛行集団隷下。
南部仏印、フコク島に展開、船団掩護、マレー作戦参加。
12月25日ドムアン前進、ラングーン航空撃滅戦参加。
17年1月10日イポーに前進、シンガポール作戦参加。
17年2月カハンに前進、パレンバン作戦参加。
2月16日パレンバンに前進、ジャワ作戦参加。
3月26日チェンマイに展開。4月23日トングーに展開。
17年4月~20年4月5日アキヤブ、レグ、マウビ、ヘホ等にて
ビルマ周辺地区航空撃滅戦および反攻作戦参加。第三航空軍隷下。
20年5月バンコクに展開。7月13日クラコール集結。
8月22日クラコール。
21年4月25日サンジヤツク出発。5月4日広島県大竹上陸。復員。
 
◆編成/昭和13年8月1日彰徳
◆復帰/8月22日クラコール昭和21年4月25日サンジャック出発5月4日大竹上陸復員

◆歴代戦隊長
寺西多美弥中佐、横山八男中佐、佐藤猛夫少佐、加藤建夫少佐、
八木正己少佐、彰樂武世少佐、広瀬吉雄少佐、江藤豊喜少佐、宮部英夫少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  
 

65sentai

飛行第65戦隊/襲撃・軽爆隊(威第9104)
◆使用機種
九四式偵察機、九八式軽爆撃機、一式戦闘機(隼)、
二式複座戦闘機(屠龍)、九九式襲撃機
 
◆部隊史
飛行第九連隊と独立飛行第四中隊を改編、第二飛行団隷下。
14年9月9日ハイラルに展開、ノモンハン事件に参加。
16年8月満州敦化に移駐、
17年5月12日支那大場鎭に展開、淅かん作戦参加。
9月16日機種改変のため岐阜県各務原に移動。
10月23日朝鮮咸興に移駐、18年9月4日海浪に移駐。
19年7月7日ルソン島リパに展開、比島作戦参加(飛行機の大半損耗)。
20年1月2日戦力回復のため福島県原ノ町へ移動。
3月27日鹿児島県知覧に展開、第六飛行団隷下、沖縄作戦参加。

◆編成/昭和13年7月27日会寧
◆復帰/目達原
 
◆歴代戦隊長
藤塚止才夫大佐、寺田済一大佐、桑塚城中佐、椙村隆良中佐、
石原政雄中佐、吉田穆少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

66sentai

飛行第66戦隊/襲撃機隊(鷲第9150)
◆使用機種
九九式襲撃機
 
◆部隊史
17年4月29日満州間島省東盛湧に移駐。
17年10月27日三江省湖南営に移駐。
18年9月一部周水子に展開、対潜警戒。
19年7月8日ルソン島リパに展開。
19年9月~19年11月リパを基地としてレイテ作戦に参加。
20年2月戦力回復のため茨城県鉾田に移動。整備員リパ・クラークに残置。
20年4月鹿児島県万世に展開、第六飛行団隷下。
20年7月福岡県大刀洗に展開、沖縄作戦参加。
 
◆編成/昭和17年3月31日平壌
◆復帰/大刀洗

◆歴代戦隊長
小森田親玄大佐、田村重夫少佐(戦死)、藤井權吉少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

67sentai

飛行第67戦隊/襲撃機隊(誠第18969)
◆使用機種
九九式襲撃機、二式複座戦闘機(屠龍)

◆部隊史
第一飛行師団隷下。
19年4月千島へ移駐。主力得撫島東雲、一部天寧にて哨戒任務。8月28日沖縄に展開。
9月26日アパリに展開。10月24日ネグロス島バコロドに展開、レイテ作戦参加。
飛行機損耗の為、空中勤務者及び地上勤務者若干名はラオアグに残置。
20年2月27日ザンボアンガに移動。
  
◆編成/昭和18年2月25日八戸
◆復帰/昭和20年5月30日ザンボアンガに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
佐藤辰男中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

68sentai

飛行第68戦隊/戦闘機隊(真第9151)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)

◆概略
初の三式戦「飛燕」配備部隊。三式戦は
未だ正式採用前であったが、南東方面への新鋭戦闘機の
配備が待ち望まれており、昭和18年3月、不十分なまま
戦隊の九七戦から三式戦への改編が完了した。
4月4日、空母春日丸に搭載された三式戦は
トラックへ進出。春島飛行場で整備と訓練を進め、
トラックからは自力でラバウルへ向け離陸したが、エンジンの不調と
天候の悪化で全機が引き返した。戦隊は再度整備を行い、27機がふたたびラバウルへ
向かったが、ラバウルに無事到着したのは中川鎮之助中尉、ただ一機のみで
その他は誘導の司偵機とはぐたれた上に、コンパスが狂っていたため
多くが不時着する事態となった。このとき操縦者二名が未帰還となり、
稼働機の多数を失った。海上航法の弱さが露呈する形となり、新鋭戦闘機に
かける期待は失望へと変わった。三式戦の初陣は5月17日で
数機が14戦隊のウワ爆撃を掩護した。その後も航法の誤りで
阿部少尉以下3機が未帰還になったほか、整備も冷却器や燃料ポンプの
故障が多発。南方戦線での三式戦運用は、故障、マラリア等による
多大なる犠牲と困難がともなう形での幕開けとなったが、過酷な環境の中、
戦隊はよく敢闘し多くの敵戦闘機・重爆機を撃墜している。
19年1月2日、連合軍がマダン南方のグンビ岬に上陸したさいは
木村戦隊長は衰弱した体に注射を打ち、他戦隊機を含む60機を
率いて同地に進出し、空戦で未帰還となっている。
その後、補給も絶え、稼働機を失った戦隊は自活に入ったが
次々に飢餓と病に倒れ、全滅した。
 
◆部隊史

第十四飛行団隷下。
17年4月ハルピンに移駐。12月23日機種改編のため三重県明野に移動。
18年4月24日ラバウルに展開、船団輸送作戦に参加。
8月11日ウエワクに展開、同地に於いて進攻作戦および船団掩護。飛行機大半損耗。
19年4月22日サルミに移動。5月一部ハルマヘラ島ワシレの防空。
19年8月20日サルミにおいて復帰。
 
◆編成/昭和16年7月29日会寧
◆復帰/昭和19年8月20日サルミに於て復帰
 
◆歴代戦隊長
下山登令中佐、木村清中佐、貴島俊男少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
  

70sentai

飛行第70戦隊/戦闘機隊(天翔第8370)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)
二式複座戦闘機(屠龍)、四式戦闘機(疾風
 
◆概略
大陸、内地双方でB-29の邀撃を行った重戦隊。
昭和19年7月、成都を基地とするB-29が鞍山へ来襲するようになり
二式戦闘機「鍾馗」二型を用いて対超重爆機訓練を実施。
9月8日、B-29、100機が大挙して来襲した際、これを邀撃したが
二式戦二型の上昇力をもっても高高度を飛来するB-29撃墜は
困難を極めた。11月5日、内地帰還命令によって70戦隊は
柏へ帰還し、第10飛行師団隷下となる。震天制空隊を
編成したほか、通常の飛行隊は40ミリ砲を用いて
相当の戦果を挙げた。昭和20年6月頃からは
四式戦が僅かずつ配備されたが実戦に使用されず
、ロケット戦闘機「秋水」(陸軍名「火龍))の装備が計画され
7月には操縦者全員が秋水搭乗のための身体検査を
航空審査部へ受けに行ったが実戦に至らず終戦となる。
 
◆部隊史
第五飛行集団隷下。
17年9月満州杏樹に展開日対ソ作戦準備および満州重要都市防空。
19年2月25日千葉県松戸に移駐日東部地区防空。
8月4日南満鞍山に展開日同地防空。
11月8日松戸に移駐日第十飛行師団隷下日東部地区防空。
 
◆編成/昭和16年3月5日杏樹
◆復帰/杏樹
 
◆歴代戦隊長
江山六夫少佐、長縄克己少佐、坂戸篤行少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

71sentai

飛行第71戦隊/戦闘機隊(誠第18429)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年9月に編成完結した、四式戦部隊である。

雁ノ巣において北九州防空任務にあたる。
比島派遣の命令が下ると、デルカメンへ進出。
錬成の間に合わなかった未熟操縦者十数名は
防府に移駐し錬成を続けた。進出早々に
米艦載機の波状攻撃を受け、離陸前に多数を消失した。
人員は無傷だったのが幸いで、若干の補充を受けたのちに
ネグロス島マナプラへ前進し、レイテ湾に出撃する
友軍機の掩護に当たる。20年1月7日早朝、
71戦隊の福田瑞則軍曹はマラリアで39度の熱があったが
僚機の三浦軍曹とともにリンガエン湾上陸に向かう敵船団を求め
出撃したが発見に至らず、単機で帰投中、バコロド上空で
54戦隊の杉本明准尉機(隼三型)と合流した。三浦軍曹はスコールの中、
マナプラ飛行場への着陸進路に入った。杉本准尉は
ファブリカ飛行場に向かったが、超低空で偵察に飛来した
マクガイア少佐のP-38、4機編隊と遭遇。先頭のリトメイア少佐機を
撃墜した。福田軍曹はその直後、高度300メートルで残りの3機と
正面から遭遇し爆弾と落下タンクを着けたまま撃ちあって、
先頭のマクガイア機を撃墜した。残る2機と巴戦に入り
1機に煙を博士たが自らも被弾して不時着した。杉本准尉も
被弾し不時着したが現地ゲリラによって襲撃され戦死している。
内地へ帰還した71戦隊は防府の残置隊と合流し北九州防空についたのち
20年5月には義烈空挺隊出発掩護のため隈之庄へ移駐。8月13日知覧へ移駐
準備中に終戦となる。
 
◆部隊史

19年9月21日山口県小月に移駐。北九州防空。
11月14日比島デルカメンに展開。
12月上旬マナブラに展開日レイテ第二次総攻撃参加。
地上部隊は一部デルカメンに残置。
20年2月ボルネオ島サンダカンに展開。一部はネグロス島に残置。
20年4月1日クチン日サイゴン日ツーランを経て防府に移駐日第十二飛行師団隷下。
残置隊は20年9月2日停戦に伴い収容所に入る。

◆編成/昭和19年9月17日亀山
◆復帰/防府
 
◆歴代戦隊長
綾部逸雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

72sentai

飛行第72戦隊/戦闘機隊(威第18430)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
  
◆概略
昭和19年5月、明野飛行学校北伊勢文教所で編成された四式戦部隊。

12月に比島へ派遣され、バンバンへ向かったが敵戦闘機に奇襲され
バンバンへ到着したのは7機のみとなっていた。ミンドロ島進攻作戦で損耗を重ね
20年1月、第30戦闘飛行集団長の命令で戦闘隊は全機特攻隊に転じることになり
71、72、73戦隊、200、1、11戦隊の混成で精華隊を編成。250kg爆弾2個を
翼下に吊り下げてリンガエン湾へ2機ずつ出撃(うち1機は戦果確認機)し散華した。
 
◆部隊史
19年9月1日第二十一飛行団隷下日兵庫県伊丹に展開日阪神地区防空。
12月16日比島バンバンに展開日リンガエン上空戦闘。
ルソン東方船団攻撃日クラーク上空邀撃作戦参加。
20年2月1日レイナマルセデスに展開。
ルソン島残置部隊編成日アリタオ付近特別斬り込み作戦参加。
2月15日アパリに転進。3月2日カマルンガヤンに展開。
3月15地上整備要員内地輸送待機のためアパリに転進。
4月25日臨時歩兵第二十五大隊編成。第二中隊駿兵団長の指揮下に入る。
サンビセンテに展開。
5月15日アリタオ付近の地上決戦に参加。
20年5月30日部隊復帰。内地帰還予定人員8月15日ナトニンに集結。
9月2日戦闘行動停止。カビサヤンにおいて収容所に入る。
 
◆編成/昭和19年5月16日北伊勢
◆復帰/昭和20年5月30日部隊復帰
 
◆歴代戦隊長
津崎英介少佐、移野道雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

73sentai

飛行第73戦隊/戦闘機隊(威第18431)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年5月、明野飛行学校北伊勢文教所で編成された。
斜め三本線の戦隊マークは隊員で画家の山本鶴丘氏がデザインした。
19年9月、所沢へ移駐し防空任務につく。12月、比島派遣命令により
マバラカット東へ前進。特攻機掩護、ミンドロ島サンホセ攻撃に出撃するなど
戦闘を重ねたが、20年1月、第30戦闘飛行集団長の命令で
特攻隊が編成され、元オリンピック選手の吉田喜一少尉ら3名が散華した。
 
◆部隊史

第二十一飛行団隷下。
19年9月埼玉県所沢に移駐。
12月14日ルソン島マバラカット東飛行場に展開、
ルソン島航空作戦に参加、航空機全機損耗。
20年3月オロラに移動。
4月10日オロラ残留者臨時歩兵第二十五大隊に編入。
5月30日オロラにおいて復帰。
南方残置隊は20年9月2日戦闘停止、収容所に入る。 
  
◆編成/昭和19年9月17日柏原
◆復帰/昭和20年5月30日オロラに於て復帰
 
◆歴代戦隊長
三隈輝男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

74sentai

飛行第74戦隊/重爆隊(威第9132)
◆使用機種
九七式重爆撃機、百式重爆撃機(呑龍)、四式重爆撃機(飛龍)

◆部隊史
第五飛行集団隷下。
17年12月~19年2月満州公主嶺にて警備。
一部を以って東京都立川-マニラ間の空輸業務。
19年4月7日北海道計根別に展開、千島、オーツク海、太平洋上哨戒。
11月15日デルカルメンに展開、レイテ作戦参加。
20年1月~2月嘉義空輸作戦。
20年4月熊本に移駐、第五飛行団隷下。地上部隊デルカメン残置。
7月樺太・落合移駐。8月12日松本移駐。
 
◆編成/昭和17年12月20日公主嶺
◆復帰/松本
 
◆歴代戦隊長
河島慶吾中佐、笹尾宏中佐、上沼利清中佐、丹波多四郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

75sentai

飛行第75戦隊/軽爆隊(輝第2379)
◆使用機種
九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、キ102双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
第三飛行団隷下、飛行第七大隊を改編。漢口作戦、
宜昌作戦協力及敵航空基地攻撃。
15年9月中支武昌に展開、淅東作戦、奥地進攻。102号作戦参加。
16年12月5日コンポントラツシユ展開、マレー作戦参加。
12月15日スンゲイバタニに前進、地上部隊協力、
シンガポール航空撃滅戦参加。
17年2月21日パレンバンに展開、ジャワ作戦参加。
3月2日カリジヤチに展開、バンドン攻略戦参加。
8月18日バンドンに展開。18年11月セレベス島アマハイに展開。
ハルマヘラ島、ニューギニア沿岸の哨戒船団掩護。
19年2月ホランジアに展開、マダン、ウエワク方面作戦参加。
3月アマハイに展開、西部ニューギニア作戦参加。
9月セレベス島アンベシヤに展開、ハルマヘラ島付近の戦闘に参加。
10月ボルネオ島サンダカンに展開、レイテ作戦参加。
12月リパに展開、比島作戦参加。
20年1月ツゲガラオに集結。3月機種改変のため茨城県鉾田に移動。
5月青森県八戸に移駐。
 
◆編成/昭和13年8月1日北京
◆復帰/八戸
 
◆歴代戦隊長
秋山豊次大佐、今西六郎大佐、小野門之助大佐、亀山主計中佐(殉職)
徳永賢治大佐、安岡光衛中佐、土井勤中佐、中川範治少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

77sentai 
飛行第77戦隊/戦闘機隊(翔第9625)
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和12年7月、盧溝橋事件に端を発して大刀洗から北支に派遣。
九五式戦闘機で地上作戦に協力する。中支戦線でソ連機との戦闘を
続け、ノモンハン事件もは参戦せず終結後に満州へ移駐した。
昭和16年11月、開戦に備え、一挙南方へ進出。マレー上陸船団の
掩護を行った。12月8日の朝にはタイに進駐する第15軍地上部隊の
掩護に出撃。当初、外交交渉により平和進駐を目指していたが、
タイ国首相より回答が届かず、やむなくタイ国領内へ侵入。
小競り合いとなり、タイ国空軍機3機を撃墜している。
ドムアン、ついでラーへ展開した戦隊主力はラングーン航空撃滅戦
に参加。英空軍および米義勇軍戦闘機と交戦、ミンガラドン飛行場を
攻撃した。このとき機材は九七式戦闘機で全機が帰還したが
重爆5機を失い、64戦隊に支援を要請した。第二次ラングーン航空撃滅戦
南部ビルマ航空撃滅戦に参加、英米空軍のほとんどを撃滅し
マグエへ前進し、6月に竜鎮に帰還した。10月に斉斉哈爾へ移駐し
一式戦二型に機種改編。18年10月、南方への派遣命令で
ニューギニア、ホランジアへ前進。ブーツ、ウエワクを前進基地として
航空作戦にあたった。しかしホランジア大空襲で稼働機の殆どを失い、
松元戦隊長も邀撃戦で戦死。ホランジアに連合軍が上陸し
飛行機を失った戦隊はサルミを目指して陸路で転進を試みたが、
地上勤務者を含めても、終戦後生還できた者は僅か5名で
操縦者は全滅した。
 
◆部隊史
第一飛行団隷下。飛行第八大隊を改編。
13年8月湖北省二套口に前進、漢口作戦参加。
14年6日南昌に移駐。9月満州龍鎭に移駐。第五飛行集団隷下。
16年12月20日タイ・ランバンに展開、ビルマ作戦参加。
17年6月朝鮮東京城に移駐。18年10月ビルマに展開、同地作戦参加。
19年2月ホランジアに展開、ニューギニア作戦参加。
19年8月20日ホランジアにおいて現地復帰。
 
◆編成/昭和13年7月30日南京
◆復帰/昭和19年8月20日ホランジアに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
武田惣次郎大佐、川原八郎中佐、吉岡洋中佐、
森本重一中佐、松本邦男中佐、井上重俊少佐

◆戦死者・殉職者追悼
  

78sentai

飛行第78戦隊/戦闘機隊(真第9152)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)
  
◆概略
68戦隊とともに初の三式戦闘機「飛燕」装備部隊として編制された。
先に68戦隊がラバウルへ派遣されたが、故障、事故、海上航法未熟による
未帰還が相次いだため、この失敗を教訓に78戦隊は明野で十分な訓練を重ねた。
ラバウルに到着した68戦隊の三式戦は1機のみであったが
6月16日、78戦隊の三式戦は満を持して明野を離陸。洋上航法の練度向上と
新航空路の開発により途中の落伍機は12機に達したものの、33機がラバウルへ無事到着した。
新航空路はトラック経由を廃して、島伝いの大迂回路をとることとし、
新田原、那覇、台湾の嘉義、マニラ、ダバオ、メナド、バボ、ホランジア、ウエワクを
経てラバウルへ到着するコースであった。
その後も第二陣が空母雲鷹に搭載され横須賀を出港。15機がラバウルへ到着。
間もなく重爆の掩護を行った。しかしニューギニアにおける諸所の航空戦は
非常に厳しく損耗を重ねつつあった。17機撃墜のエース高宮敬司中尉もここで
戦死。稼働機を失った戦隊は昭和20年11月まで自活生活を続け、生還者は
22名。操縦者は全滅した。 
 
◆部隊史
第十四飛行団隷下。
17年4月8日満州孫家に移駐。
18年4月~6月三重県明野において機種改編。
7月2日ラバウル前進、ホランジアに展開。
7月22日ウエワクに展開、ニューギニア航空作戦参加。
19年3月ホランジアに移動。4月22日サルミに移動、飛行機全機損耗。
地上勤務者はウエワクに残置。
19年8月20日サルミにおいて現地復帰。残置者サルミにおいて終戦。
 
◆編成/昭和17年3月31日杏樹
◆復帰/昭和19年8月20日サルミに於て現地復帰
 
◆歴代戦隊長
安部勇雄少佐、高月光少佐、泊重愛少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

81sentai

飛行第81戦隊/司偵隊(高第2380)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
キ102双発襲撃機(五式双発襲撃機)
 
◆部隊史
独立飛行第十六中隊改編。飛行第三集団隷下。
16年11月~12月プノンペン前進、マレー作戦準備捜索。
マレーに前進、ボルネオ、スマトラ、ジャワ上陸作戦の為の上陸点捜索。
17年3月ジャワに前進、濠北作戦、占領地戡定作戦参加。
マレー、スマトラ、西部ジャワ作戦参加。
7月ビルマに展開、東部印度、印度洋哨戒作戦に協力。
7月24日~11月30日第一次ビルマ地区航空撃滅戦。
7月24日~18年1月31日第二次ビルマ地区航空撃滅戦。
2月1日~4月30日第三十一号作戦協力竝に第三次ビルマ地区航空撃滅戦参加。
第三航空軍隷下、5月1日~9月30日ビルマ周辺航空作戦竝に地上作戦協力。
10月1日~19年12月15日反攻邀撃々碎作戦。
20年6月南部仏印に移動、ビルマ、アンダマン捜索、哨戒、地上作戦協力。 
 
◆編成/昭和19年9月20日彰徳
◆復帰/レグー
 
◆歴代戦隊長
柳本榮喜中佐、森正光少佐、岩崎正一中佐、鈴木正雄少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼

 

82sentai

飛行第82戦隊/司偵隊(隼魁第2383)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第五航空軍隷下、漢口に於て独立飛行第十八中隊及び
独立飛行第五十五中隊を基幹として編成。
11月1日~12月31日 19年度後期航空作戦参加。
20年3月主力支那南京に展開、一部青島に派遣、
20年度第一期航空作戦参加。
20年6月朝鮮京城に移駐、第八飛行団隷下、第二中隊主力南京に残置。
 
◆編成/昭和19年10月31日漢口
◆復帰/京城
 
◆歴代戦隊長
出口敦少佐、奥村房夫少佐、真木洋大尉(南京派遣隊長)
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

83sentai

飛行第83戦隊/偵察隊(灘第11070)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機、九九式襲撃機
 
◆部隊史
航空兵団隷下。
5月北支運城に展開、中原会戦に協力。
6月満州海林へ帰還。
7月29日第八十三独立飛行隊本部、
独立飛行第七十一、七十三、八十九中隊に改編。
19年3月31日ラングーンにて、第八十三独立飛行隊本部、
独立飛行第八十九・九十一中隊を飛行第八十三戦隊に改編。
4月15日ボルネオ島ラグアンに展開、
飛行第五十八戦隊長の指揮下に入り、同地付近の海上交通保護作戦に従事。
6月9日第五十八戦隊長の指揮を脱す。
6月9日主力はラグアンに展開、沿岸哨戒。
6月末一部ビルマ方面軍配属となり拉孟守備隊に空輸補給。
12月10日ネグロス島シライに展開、
12月10日~20年1月8日ネグロス島に在りて比島捷号作戦参加。
1月8日クチンに展開。
 
◆編成/昭和16年3月1日海林
◆復帰/昭和20年5月30日クチンにて復帰
 
◆歴代戦隊長
二田原憲次郎大佐、綾部節夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

85sentai

飛行第85戦隊/戦闘機隊(隼魁第8385)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和16年3月、満州、孫家において飛行第1戦隊と第64戦隊の人員を基幹として
編成された。大東亜戦争開戦後も関東軍戦闘機隊の精鋭として満州に置かれ、
昭和17年末頃から18年初めにかけて二式戦闘機への機種改編が行われた。
同年7月、戦隊は広東へ展開し中南支航空戦に参加。零陵、桂林に進攻し
在支米軍との戦闘、邀撃を繰り返した。当初より重戦を用いた一撃離脱戦法により
在支米軍P-40に対して優勢であった。19年10月、二式戦、四式戦混合部隊となる。
12月18日、正午頃からB-29、B-24、B-25、P-51の戦爆連合百数十機が漢口に来襲し
十数回の波状攻撃で市街地は火の海と化した。85戦隊も空襲の合間を縫って
邀撃したが、地上機も破壊され、邀撃機もP-51に対しては苦戦を強いられた。
稼働機が2、3機となった戦隊は20年1月、南京へ後退。戦隊の回復を行いつつ
防空任務および特攻による艦船攻撃訓練を実施した後、朝鮮の金浦へ移駐し
本土決戦に備え終戦となる。最後の戦闘は8月13日、P-51との空戦で、中村
守男少佐以下5名が戦死している。生還した操縦者は15名。
  

◆部隊史
第五飛行集団隷下。
16年3月21日八面通に移駐。12月1日海浪に移駐。
18年7月広東に展開、夏季航空作戦参加。湘桂作戦参加。
19年2月漢口に移駐、武漢防空。
20年2月南京に展開、一部広東に残置。第一飛行団隷下。
5月30日朝鮮京城に移駐。広東残置隊は8月3日京城に移動し本隊と合流。
10月7日仙崎上陸復員。 
 
◆編成/昭和16年3月7日孫家
◆復帰/京城
 
◆歴代戦隊長
山本五郎中佐、斉藤籐吾少佐
  

87sentai

飛行第87戦隊/戦闘機隊(冨第8387)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)
 
◆概略
昭和16年3月、編成され、大東亜戦争開戦後も対ソ作戦に備え、
満州に駐留し、錬成を続けた。昭和17年末から18年初めに
かけて二式戦二型に機種改編を実施。半数は40ミリ砲二門を備えた丙型で
7月、柏へ転進した戦隊は、間もなくパレンバン製油所の防空を命じられた。
静穏で燃料に恵まれた戦隊は錬成を続けたが、昭和19年5月、一時期
ビルマへ転用。P-51等との戦闘で稼働機四分の一を失い戦死者6名を出した。
パレンバンへ戻った戦隊は再び暫くの静穏の中、戦力回復に努め
8月末頃には52機を保有した。19年秋の比島決戦に他戦隊は次々投入されたが
87戦隊はパレンバンに残り製油所防空にあたる。いよいよと思われる
戦局が動いたのは20年1月、セイロン島を出港した英艦隊の艦載機に
よる空襲であった。87戦隊は英空母四隻から発艦した百数十機のアベンジャー、
ヘルキャット、コルセア、シーファイアとの空戦を展開した。
阻塞気球、高射砲で強固に守られた空の陣地へ勇敢にも侵入した英艦載機は
爆撃を繰り返し製油所は大損害を受けた。戦隊も全力で邀撃。高射砲隊と
協同し50機を撃墜した。(英軍側記録によれば41機を失っている)
 
◆部隊史

第五飛行集団隷下。
16年3月26日牡丹江省団山子に移駐。
18年5月22日千葉県柏に移駐。帝都防空。
12月ゲルンバンに展開、パレンバン防空。
19年5月メイクテイラに展開。第三航空軍隷下。インパール作戦参加。
5月27日ゲルンバン帰還、6月20日~8月一部スマトラ島タンジユンプーラに派遣。
20年3月8日タンジユンバトに移駐。7月チヤンギーに展開、シンガポール防空。
8月ダンジユンバトに帰還。一部チヤンギーに残置。
21年5月31日広島県大竹港上陸復員。
 
◆編成/昭和16年3月1日ハルピン
◆復帰/タンジユンバト
 
◆歴代戦隊長
新藤常右衛門中佐、山田邦雄中佐、中野猪之八少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

90sentai

飛行第90戦隊/軽爆撃機隊(隼魁第2381)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
 
◆部隊史
飛行第九大隊を改編。第三飛行集団隷下。
13年8月~12月4日北支太原、運城、包頭にて第二期第三期粛清作戦、
ならびに第二次航空進攻作戦参加。
14年12月5日~15年7月31日北支路安、太原、石門、運城、包頭にて
地上作戦直接協力ならびに要地攻撃参加。一部を以って宜昌作戦参加。
8月1日~12月1日北支太原、南支広東、欽州にありて南支第一次作戦参加。
16年1月仏印ハイフォンに展開、地上作戦直接協力ならびに要地攻撃に参加。
6月21日~11月14日済南にて地上作戦協力、第102号航空作戦参加。
12月21日ハイフォンを経てスンゲイバタニに展開。
17年3月31日まで南支要地攻撃マレー作戦、南部スマトラ西部ジャワ作戦等に参加。
3月18日~4月24日クルアンにて占領地戡定作戦に参加。
4月25日広東に展開、地上作戦航空進攻作戦に従事。
7月28日南苑に展開。
17年後期18年前期・中期・後期各航空作戦ならびに地上作戦に直接協力。
19年2月19日徐州に展開、
19年前期航空作戦ならびに「ト」及び「コ」号作戦19年中期作戦参加。
19年8月11日~12月31日徐州、虹橋にて19年後期航空作戦参加。
21年1月1日~20年8月14日中支虹橋、
北支済南にて20年第一期第二期航空作戦、天一号作戦に参加。
 
◆編成/昭和13年8月1日南苑
◆復帰/虹橋・済南
 
◆歴代戦隊長
山瀬昌雄大佐、山口槌夫大佐、瀬戸克己中佐、三木了中佐
平松健二少佐、鈴木武男少佐
  
◆戦死者・殉職者追悼

 
教導飛行第95戦隊/重爆隊(満洲第950)
◆使用機種
百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
第五飛行団隷下。
95戦隊に記載
 
◆編成/昭和17年12月18日鎭東
◆復帰/昭和19年1月30日拉林にて飛行第95戦隊と改称
◆戦死者・殉職者追悼
   

95sentai 
飛行第95戦隊/重爆隊(威第9132)
◆使用機種
百式重爆撃機(呑龍)
 
◆部隊史
教導飛行第九十五戦隊を飛行第九十五戦隊と改称。第五飛行団隷下。
19年2月16日茨城県鉾田に移動。4月26日北海道帯広に移駐、北東海上哨戒任務。
5月択捉島天寧移駐。8月11日計根別移駐。11月19日クラークに展開。
11月24日~12月31日第二次比島作戦参加。
12月14日菊水特攻隊に丸山義正大尉以下49名出動。
20年1月4日嘉義に移動、一部クラーク残置。
3月9日一部をマレーに派遣、一部をクラーク残置。4月帯広に移駐。
 
◆編成/昭和19年1月30日拉林
◆復帰/昭和20年5月10日帯広に於て復帰
 
◆歴代戦隊長
山本邦麿中佐、久保木巌少佐(戦死)、大沢進一中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

 

98sentai 
飛行第98戦隊/重爆隊(靖第21203)
◆使用機種
イ式重爆撃機(フィアットBR.20)、九七式重爆撃機、四式重爆撃機(飛龍)
 
◆部隊史
第四飛行団隷下。上海、王賓にて独立飛行第三、十五中隊を改編。
13年<2項より補足>11月10日漢口に移駐、奥地進攻作戦。
14年3月18日杭州に移駐、編成改正により
第三中隊を飛行第六十戦隊に転出。
7月10日奉天に移駐。14年11月敦化に移駐、機種改変。
15年3月改編により一個中隊増強。
8月海口を基地として桂林攻撃及び海上航法訓練。
15年10月敦化に帰還。16年8月南苑に展開、
運城を前進基地とし重慶、蘭州攻撃。
16年12月4日サイゴンに展開、第三飛行集団隷下、
船団掩護、マレイ爆撃、ラングーン航空撃滅戦参加。
17年1月10日マレイ、ケチルに展開、マレイ、パレンバン作戦参加。
3月タイ国ナコンサワンに展開、ビルマ航空撃滅戦参加。
8月装備改変のため一部岐阜に移駐。
9月タイ国ドムアンに展開、一個中隊をビルマ、タボイに展開、
12月マレイ・スンゲイパタニに移動、カルカッタ進攻。
一部をドムアンに残置。
18年5月ランバン移動、ビルマ航空撃滅戦参加。
10月スンゲイパタニに集結、カルカッタ爆撃戦参加。
19年2月鹿屋に移駐。2月22日海軍第五航空艦隊の指揮下に入る。
雷撃訓練。
6月豊橋海軍基地にて機種改変。7月鹿屋帰還。
10月10日~10月14日台湾沖航空作戦参加、部隊の全戦力を失う。
20年2月大刀洗に移動、第二十七飛行団隷下、
3月沖縄作戦参加のため大刀洗、
宮崎、鹿屋、新川、小松、大邱、郡山に移動或は展開。
7月1日第五航空艦隊の指揮を脱し、
第二十一飛行団司令部の指揮下に入り、主力児玉に移動
  
◆編成/昭和13年8月15日上海
◆復帰/主力・児玉
 
◆歴代戦隊長
服部武士大佐、吉田喜八郎大佐、林勇藏大佐、臼井茂樹大佐(戦死)、大阪順次中佐
楢崎五百刀中佐、前野榮吉中佐、松村靜馬中佐、高橋太郎少佐、宇木素道少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

101sentai

飛行第101戦隊/戦闘機隊(靖第18920)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
20年3月より都城東へ移動し、稼働機20機で沖縄決戦に参加。
徳之島、喜界島へ前進し特攻機掩護を行う。第一次、第二次
総攻撃参加。16日の第三次総攻撃においては沖縄北、中飛行場へ
超低空で接近しタ弾による挺身攻撃を実施。
児玉正美中尉以下8名が未帰還となる。
児玉中尉は不時着し最後まで地上部隊と共に奮戦したと
伝えられている。その後、戦力補充を受けつつ
第六次航空総攻撃まで参加し特攻隊を掩護する。
7月10日、戦隊は解散。残った人員は第百飛行団として
高松へ後退。間もなく終戦を迎えたが、飛行団長、秋山紋次郎大佐は
以前、戦闘態勢を維持。8月16日夕方、米艦隊が土佐湾へ侵入との
情報を受け、夜半に特攻隊12機へ編成し、出撃したが
目標を発見できず帰投した。
 
◆部隊史
第百飛行団隷下。
20年2月大阪府柏原に移駐。3月宮崎県都城東に展開。
5月熊本県隈之城へ移駐。6月東京都成増に移駐、戦力回復。
8月2日埼玉県高萩へ移駐。

◆編成/昭和19年11月10日北伊勢
◆復帰/高萩
 
◆歴代戦隊長
代永兵衛少佐、末永正夫大尉、坂本美岳少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

102sentai

飛行第102戦隊/戦闘機隊(靖第18921)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
20年3月、稼働機40機を揃えた戦隊は都城西飛行場へ前進。
喜界島を中継基地として特攻掩護を行う。
4月6日の第一次総攻撃においては第百飛行団の稼働機
48機をもって特攻機掩護のため、奄美大島付近の制空戦闘に参加。
102戦隊から20機が参加したが帰途、針路を失い
九州、四国へ不時着する機が多発した。20年6月、
成増へ後退し再建中に終戦。
 
◆部隊史

第百飛行団隷下。
19年11月10日宮崎県都城西に展開。
20年4月から6月沖縄作戦参加。6月末、東京都成増に移動。
洋上迷彩の施された機体が特徴。
 
◆編成/昭和19年7月25日北伊勢
◆復帰/昭和20年7月30日 成増にて復帰
 
◆歴代戦隊長
垣見馨少佐、林岩男大尉
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

103sentai

飛行第103戦隊/戦闘機隊(靖第18922)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年7月、北伊勢において編成が開始された
101~103戦隊の三個飛行戦隊から成る、第百飛行団のひとつ。
昭和20年3月、熊本県隅ノ庄飛行場へ前進したが、戦隊の四式戦は
定数の半分程度で、東条道明戦隊長は、宇都宮航空廠と中島飛行機へ
行き、ひざ詰め談判で十数機を四式戦を手に入れ、計30機を揃えた。
天号作戦発令と共に、103戦隊は第6飛行団に配属となり
65、66戦隊とともに知覧から徳之島へ前進し、両襲撃隊の特攻隊
掩護を行った。徳之島が艦載機の銃爆撃で使用不可能となると
知覧へ後退し、第八次総攻撃では、小川倶治郎大尉以下11機が
悪天候の中、超低空で沖縄北飛行場を銃撃。10機が未帰還となり
小川大尉機のみが帰還した。損耗した戦隊は淡路島の由良飛行場へ
後退し、戦力回復に努めたが終戦となる。 

 
◆部隊史

三重県北伊勢にて19年10月まで本土防空作戦に従事。11月兵庫県伊丹に移駐。
20年1月熊本県隅之庄に移駐、沖縄作戦に従事。2月28日鹿児島県知覧に前進。
3月鹿児島県徳之島に移動。3月下旬知覧に帰還。4月宮崎県都城に移動。
6月東京都成増に移駐、戦力回復。第百飛行師団隷下。
7月飛行第百二戦隊の人員、資材を転入して編成改正。8月兵庫県淡路島に移駐。
 
◆編成/昭和19年7月25日北伊勢
◆復帰/由良
 
◆歴代戦隊長
東條道明少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

104sentai

飛行第104戦隊/戦闘機隊(羽第18923)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、四式戦闘機(疾風)
 
◆部隊史
第二航空軍隷下。
19年9月満州の奉天深井子。10月奉集堡に移駐、戦力整備。
11月鞍山移駐。第十五飛行団隷下、第二次編成完結。同地防空任務。
8月22日ソ連により武装解除。昭和製鋼所解体作業に従事。
 
◆概略
昭和19年8月、小月で編成された防空戦闘機隊。
奉天を拠点に、満州防空を担う。B-29への体当たり専門の
「菊水攻撃隊」が編入。昭和20年8月9日、ソ連が参戦すると
10日、ソ連軍機甲部隊を攻撃。11日にも機甲部隊をタ弾をもって攻撃し
約20両を炎上させたほは、独飛25中隊、独飛81中隊と協同して
満州防空を続けた。昭和20年8月17日、竹田宮恒徳王が終戦の聖旨
伝達に来満したさい、その乗機を護衛した第26教育飛行隊の
鎌田正邦大尉以下4機が奉天上空に帰還したところ、既にソ連軍の
手に落ちたことを知るや、全機密集編隊のまま滑走路へ自爆した。
 
◆編成/昭和19年8月15日小月

◆復帰/鞍山
 
◆歴代戦隊長
滝山和少佐、岡崎弥助少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
  

105sentai

飛行第105戦隊/戦闘機隊(誠第19102)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
 
◆概略
昭和19年11月に編成完結された三式戦部隊。
台湾の防空を担う。間もなく独立飛行第23中隊が
沖縄から台湾へ後退し、指揮下に入る。
2月、23中隊は石垣島へ前進し3月26日
伊舎堂用久大尉の指揮する最初の特攻隊
「誠」第17飛行隊の4機を105戦隊が掩護して
出撃。直掩機の阿部久作少尉も後を追い散華した。
3月25日、105戦隊主力も決戦参加の為、宜蘭へ移動。
4月1日石垣島へ前進し、三式戦による特攻、特攻掩護を
繰り返した。
 
◆部隊史

第八飛行師団隷下。
19年10月10日~17日台湾ならびに南西諸島防衛戦闘に参加。
20年3月24日台湾宜蘭に移動。4月主力石垣島に前進。
4月26日~6月20日天号作戦参加。8月15日宜蘭に帰還。
21年2月24日和歌山県田辺港に上陸復員

◆編成/昭和19年7月15日台中
◆復帰/宜蘭

◆歴代戦隊長
吉田長一郎少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

106sentai

飛行第106戦隊/司偵隊(靖第18924)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
 
◆部隊史
第十二飛行師団隷下。
19年12月8日マニラに展開。
20年1月10日戦隊長以下10名ツゲガラオに移動。
19年12月~20年2月マニラ、マリキナ、ツゲガラオにて比島作戦参加。
20年1月下旬~2月台湾小港に集結。地上勤務者マリキナ残置。
第百六戦隊長以下4名宮崎県新田原へ移動。
他の台湾所在人員は飛行第二戦隊の指揮下に入る。
3月9日一部八街に集結。
20年3月26日福岡県蓆田飛行場に移動、沖縄作戦参加。
20年3月残置者は広島県宇品へ帰還。福岡へ移動。
 
◆編成/昭和19年10月24日各務原
◆復帰/昭和20年4月20日
 
◆歴代戦隊長
須子正雄中佐(戦死)
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

107sentai

飛行第107戦隊/防空戦闘・重爆隊(燕第18925)
◆使用機種
四式重爆撃機(飛龍)、キ109特殊防空戦闘機
 
◆部隊史
第五十一教育飛行団長の隷下に入り、内地防空。
20年6月朝鮮大邱移駐、朝鮮海峡哨戒。
 
◆編成/昭和19年11月10日浜松
◆復帰/昭和20年7月30日浜松に於て復帰 
 
◆歴代戦隊長
道盛清中佐、吉田大八少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

108sentai

飛行第108戦隊/輸送機隊(誠第19103)
◆使用機種
一式双発高等練習機、九七式重爆撃機二型
九九式双発軽爆撃機、百式輸送機(MC輸送機)

  
◆部隊史
第八飛行団隷下。
19年10月~12月主力を以って数次にわたり比島クラーク地区への輸送。
12月10日台湾塩水に移駐。
20年1月沖縄、新田原、上海、宮古島への空中輸送。3月台北に移駐。
3月26~6月20日台湾ならびに南西諸島における天号航空作戦参加。
20年5月26日第三中隊を基幹として飛行第百八戦隊爆撃飛行隊を編成。
7月1日主力は台湾樹林口に、一部は台湾彰化に移駐。
 
◆編成/昭和19年8月下旬嘉義
◆復帰/樹林口
 
◆歴代戦隊長
古川日出夫中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
飛行第109戦隊/輸送機隊(威第11091)
◆使用機種
百式輸送機(MC輸送機)、一式輸送機
 
◆部隊史
第三航空軍隷下。
19年11月15日スマトラ島バカンバルに移駐。
12月6日タイ国アロールスターに移駐、ビルマに対する人員資材輸送。
20年3月28日仏印フーミに移駐。
8月7日南方航空輸送部隊第一・第二輸送隊を編合。
 
◆編成/昭和19年10月8日シンガポール
◆復帰/仏印
 
◆歴代戦隊長
高梨稔中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

110sentai

飛行第110戦隊/重爆機隊(靖第19027)
◆使用機種
四式重爆撃機(飛龍
 
◆概略
昭和19年10月。浜松教導飛行師団第三教導飛行隊を基軸として編制。
長距離爆撃と合わせて雷撃訓練を実施する。19年12月7日
浜松~サイパンを飛行し攻撃を敢行。ついで20年2月、
硫黄島緊急空輸任務、天号作戦では熊本県健軍飛行場を前進基地として
沖縄本島の飛行場攻撃ならびに艦船攻撃を行った。
 
◆部隊史
19年12月7日教導航空軍隷下、静岡県浜松を基地としてサイパン攻撃。
20年2月第六航空軍隷下、東京都立川を基地として硫黄島に対する空輸。
2月浜松を基地として硫黄島周辺艦船攻撃。
3月福岡県大刀洗に前進、3月中旬~3月下旬沖縄周辺艦船攻撃。
第七飛行団隷下。4月熊本県隈之庄に移駐。5月23日義号作戦、沖縄中飛行場攻撃。
 
◆編成/昭和19年10月浜松
◆復帰/隈之庄
 
◆歴代戦隊長
草刈武男少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

111sentai

飛行第111戦隊/戦闘機隊(帥第34217)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和20年7月、明野教導飛行師団から名称を
改め、111戦隊となる。112戦隊と並んで、
最後の陸軍飛行戦隊となった。装備機は最新鋭の
五式戦で、4個中隊から成り、主力は大阪の佐野飛行場、のち小牧
展開し、一個中隊のみ四式戦で淡路島の由良飛行場にあった。
編隊長以上には老練の助教クラスを置いたが
列機は航士57期、特操などの練度不足の者を主体とし、
最新鋭の五式戦を多数保有しながら、燃料不足で飛ぶことも
ままならなかった。温存する作戦となり、終戦となるが
編成早々の6月には数回にわたってB-29を邀撃している。
7月16日、江藤豊喜少佐の率いる五式戦12機と、加藤隼戦闘隊の生き残り、
檜与平少佐の率いる五式戦12機が出撃。松坂上空で
P-51、12機と空戦となる。義足のエースと
その列機は11機(不確実5)を撃墜した。
 
◆部隊史

第二十三飛行団隷下。
20年8月13日愛知県小牧に移駐。
 
◆編成/昭和20年7月10日明野
◆復帰/小牧
 
◆歴代戦隊長
石川正中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

112sentai

飛行第112戦隊/戦闘機隊(帥第34218)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機
 
◆概略
昭和20年7月、常陸教導飛行師団から名称を
改め、112戦隊となる。111戦隊と並んで、
最後の陸軍飛行戦隊となった。最後の決戦部隊として温存策がとられ
111戦隊と同様、通常の飛行戦隊の倍の戦力を保有したが
その実態は燃料不足により飛行訓練すら満足に実施できなかった。
操縦者は航士57期、特操などの練度不足の者を主体とし
装備機は最新の五式戦であったが1~2回のみの飛行しか
許されなかった者も多い。唯一の戦闘は8月10日
早乙女栄作大尉の率いる4機が八街の潜伏飛行場からB-29を
房総沖に追撃し、撃破したのみであった。
 
◆部隊史

第一航軍隷下。第二十三飛行団隷下。
鹿島灘の哨戒。
 
◆編成/昭和20年7月28日新田
◆復帰/新田
 
◆歴代戦隊長
擣原秀見中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

144sentai 
飛行第144戦隊/戦闘機隊(帥第34213)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)
 
◆部隊史
16年9月東京都調布に移駐。11月飛行第二百四十四戦隊に改編。
 
◆編成/昭和16年7月30日豊岡
◆復帰/昭和16年11月、調布
◆戦死者・殉職者追悼
 

200sentai

飛行第200戦隊/戦闘機隊(威第19028)
◆使用機種
四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和19年10月、明野教導飛行師団で編成された
明野の精鋭を選抜した決戦部隊として期待されたが
航士57期など、明野の乙課程を終わったばかりの者も含まれていた。
編成直後に比島進出の命令が下され、4個中隊、50機が明野を離陸。
しかしテスト飛行を省略したため、航空総攻撃の前日にあたる23日、
ルソン島ポーラックに到着したのは12機にすぎなかった。
翌24日、35機が追及してきたので、戦隊主力はネグロス島サラビア基地へ
前進。後発の第五、第六中隊は21機で10月30日クラーク基地へ到着した。
200戦隊にかける期待は大きく「皇戦隊」と命名したが、続発する
四式戦の故障と、飛行場不良による事故によって、10月末までに
老練宮丸大尉以下11機が未帰還となっていた。11月、ネグロス島へ
移動し22戦隊と合流。レイテ制空、タ弾による飛行場夜襲等を実施。
12月中旬より戦隊はマバラカット東へ後退。邀撃戦に移行する。
20年1月8日、米軍のリンガエン上陸とともに戦隊は残った稼働機で
特攻隊を編成。散華した。
 
◆部隊史

第30戦闘飛行集団隷下。
19年10月24日ルソン島ポーラックに展開し、レイテ作戦参加。
12月マバラカットに展開、一部ネグロス島に残置。
ルソン島航空作戦および特攻作戦参加。
20年1月31日台湾潮州に移動。地上勤務者はアパリに残置。
2月28日埼玉県所沢に移動。
 
◆編成/昭和19年10月12日明野
◆復帰/昭和20年5月16日所沢にて復帰
 
◆歴代戦隊長
高橋武中佐
  
◆戦死者・殉職者追悼
 

204sentai 
教導飛行第204戦隊/戦闘機隊(誠第11071)
飛行第204戦隊/戦闘機隊(誠第11071)
◆使用機種
九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和17年4月、西満州の白城子付近の鎮西で編成された
教導飛行第204戦隊がその前身である。軽爆機の
教導飛行第208戦隊とともに白城子教導飛行団を構成する。
昭和18年9月、ビルマへの派遣が決定。一式戦二型へ機種改編を
行ったのち、ラングーン郊外のミンガラドンへ前進した。
11月下旬、連合軍爆撃機によるラングーン昼夜爆撃が熾烈となり
戦隊もこの邀撃にあたる。重爆機を撃墜する戦果を挙げた。
12月、カルカッタ爆撃に参加、テンスキア攻撃、中部ビルマヘホへ
前進ののち33戦隊、64戦隊とともに60戦隊の重爆機を掩護して
昆明を攻撃。アキャブ、モンドー攻撃、
2月9日、コックスバザー付近の戦闘で田淵戦隊長が戦死。
2月22日付で教導飛行第204戦隊から飛行第204戦隊へ改称。
ラングーンに対する夜間防空戦闘、インパール作戦参加。
タイのドムアンに後退したのち、比島方面への派遣が決定。
マニラ郊外のニルソンへ展開。マニラ地区防空と
船団掩護にあたる。ネグロス島ファブリカへ前進し
レイテ湾の米艦船を爆装し強襲。損耗を重ね
水戸へ帰還した。水戸で航士57期、特操1期を中心とする
空勤者を補充し、一式戦三型へ改編。再度サイゴンへ
派遣された。天号作戦では台中から特攻隊四隊を編成出撃させている。
 
◆部隊史
第四飛行団隷下、同地にて教育訓練。
18年9月15日満州孫家に移駐。11月6日仏印、サイゴンに展開。
12月ラングーンに展開。カルカッタ、ケンスキヤ、チタゴン攻撃。
19年2月22日ラングーンにて人員を増強し、飛行第二百四戦隊と改称。
ビルマにおいて航空作戦、インパール作戦協力。
8月1日バンコックに展開。10月11日マニラに展開、比島航空作戦に参加。
12月15日戦力回復のため茨城県常陸に移動。地上勤務者クラークに残置。
20年2月28日サイゴンに展開、仏印作戦参加。
第八飛行師団隷下、4月一部台北に展開、沖縄作戦に参加。一部サイゴンに残置。
7月4日主力は台湾花蓮港に移動。台北展開組と合流し沖縄作戦参加。
21年3月5日主力は田辺港上陸復員。
マニラ残置隊はネグロス付近に残留所在部隊に協力。
20年9月2日停戦、収容所に入る。
20年8月10日サイゴン残置者は第百二十六飛行場大隊及び飛行第六十四戦隊に転属。
 
教導204戦隊
◆編成/昭和17年3月満洲・竜江省・鎭西
◆復帰/昭和19年2月22日ラングーンにて人員を増強し飛行第204戦隊と改称

204戦隊 
◆編成/昭和19年2月22日ラングーン
◆復帰/花連港
 
◆歴代戦隊長
田淵宗少佐、相沢寅四郎少佐、村上浩少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

206sentai 
教導飛行第206戦隊/軽爆・偵察隊(満洲第8326)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機
 
◆部隊史
白城子教導飛行団隷下。
16年3月下旬満州白城子に移駐。
 
◆編成/昭和16年3月1日新京
◆復帰/昭和16年7月23日臨時編成下令
 
◆歴代戦隊長
安西秋男中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
飛行第208戦隊/軽爆隊(靖第8328)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
  
◆部隊史
16年<2項より補足>3月下旬トウ<さんずいに兆>南に移駐、
白城子教導飛行団の編組に入る。
第六飛行団隷下。18年2月12日トラツク島に展開、南太平洋作戦参加。
5月28日ブーツに展開、第二次ニューギニア作戦参加。
19年3月10日ホランジアに展開、一部ブーツに残置。第三次ニューギニア作戦参加。
4月3日飛行機受領のため嘉義へ移動、一部ホランジア残置。
4月マニラに展開、5月8日ダバオに展開。5月16日ガレラに展開。
7月リパに展開。8月20日リパに於て飛行第三十四戦隊の人員、器材を編入。
11月28日カロカンに移動。
20年1月10日ツゲガラオに移動。約200名マニラ地区に残置。
1月屏東に移駐。3月13日所沢に移動

◆編成/昭和16年3月31日牡丹江
◆復帰/昭和20年5月復帰
 
◆歴代戦隊長
於田秋光中佐、田中昇藏少佐、加島誠輝中佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
  

244sentai

飛行第244戦隊/戦闘機隊(帥第34213)
◆使用機種
九七式戦闘機、三式戦闘機(飛燕)五式戦闘機
 
◆概略
昭和16年7月、埼玉県豊岡の航空士官学校で関東地区の防空部隊として
編成された144戦隊が前身で、当初は九七式戦闘機二個中隊から成る
部隊であった。144戦隊は調布に移動し12月の開戦時には
九七戦19機と、地上勤務者の多くは予備役の召集であった。
昭和17年4月15日付で244戦隊と改称され、調布にあって、当時としては
唯一の防空戦隊として備えた。19年3月、サイパン陥落後、本土空襲の
危機が迫る中、飛行第十師団が新編成され、244戦隊はその隷下で
主戦力を担う。帝都上空にB-29が飛来するようになると、邀撃を繰り返し
たが高度一万を飛来するB-29の撃墜は困難であった。間もなく体当たり専門の
震天制空隊が編成され、初代隊長の四宮徹中尉をはじめ
体当たり撃墜に成功している。名古屋に来襲するようになってから
浜松と調布を行きし、帝都と中部地区の防空を兼任する。
この頃にはB-29は爆撃精度を高めるため、犠牲を覚悟で3000~5000メートルで
飛来しており、戦隊も多くの撃墜戦果を挙げている。
昭和20年5月、五式戦闘機に機種改編した戦隊は知覧へ前進し、
特攻隊掩護と知覧の防空にあたる。沖縄作戦の一段落とともに
八日市へ後退し、最後の温存部隊として、飛行禁止が命令されたが
小林戦隊長は演習の名目で艦載機を邀撃。戦果を挙げた。
 
◆部隊史

飛行第百四十四戦隊を改称。第十七飛行団隷下。内地防空専任。
19年3月第十飛行師団の編組に入る。
20年3月第三十戦闘飛行集団の隷下に入り、調布、浜松、鹿児島、八日市等にて
防空ならびに特別攻撃隊の直掩を行う。

◆編成/昭和16年11月調布
◆復帰/八日市
 
◆歴代戦隊長
泊重愛少佐、村岡信一少佐、藤田隆少佐、小林照彦少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 

246sentai

飛行第246戦隊/戦闘機隊(天鷲第19196)
◆使用機種
九七式戦闘機、二式戦闘機(鍾馗)、四式戦闘機(疾風)
 
◆概略
昭和17年8月、加古川で13戦隊を基幹として編成された。
18年4月、一式戦二型に機種改編。
18年11月、台湾へ進出し高雄地区の防空にあたる。
19年3月に大正飛行場へ復帰。8月、石川貫之少佐、戦隊長に着任。
この頃より二式単戦をもって錬成にあたり、台湾へ前進し
台湾南部の防空にあたる。11月より比島戦線へ派遣。
クラーク中飛行場へ前進した。11月24日、特攻隊「富嶽隊」の
掩護にあたる。防空戦闘にあたっては、劣勢の状況下、敢闘を続けた。
比島から帰還ののち、本土防空戦闘隊として大正飛行場にあって
中部地区のB-29邀撃にあたる。20年1月より四式戦配備。二式単戦、
四式戦混合部隊となって中部、京阪地区の防空任務を継続。
7月以降は温存部隊となり終戦。
 
◆部隊史
第十八飛行団長の隷下に入り、阪神地区防空。
一個中隊は北海道千歳に派遣。主力は兵庫県尾上に移駐。
18年12月主力は台湾屏東に派遣、台湾防空。
19年3月屏東に派遣の主力、大阪府柏原に移駐。
19年11月比島に前進、比島作戦参加。第十一飛行師団隷下。
20年2月15日大阪移駐。中部地区防空。
 
◆編成/昭和17年6月30日加古川
◆復帰/加古川
 
◆歴代戦隊長
宮本武夫中佐、石川貫之少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
 

248sentai 
飛行第248戦隊/戦闘機隊(洋第15389)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)
 
◆概略
昭和17年8月、小月の4戦隊を基幹として福岡県雁ノ巣で
編成された。18年10月。ニューギニア・ウエワクへ展開。
11月上旬、マサブ飛行場攻撃、マラサワ、フィンシュハーヘン攻撃
ならびにウエワク防空戦闘にあたる。19年4月、全機を損耗した戦隊は
保有機を持たず、米軍のホランジア上陸を迎える。
黒田戦隊長以下は徒歩でサルミへ撤退するが、途中次々と倒れ
9月30日、イドレへ到着した操縦者は黒田戦隊長以下3、4名であった。
 
◆部隊史
第十九飛行団長の隷下に編入。
17年8月15日福岡県芦屋に移駐、北九州防空。
10月25日ニューギニアに転用となり、ホランジアに展開。
11月30日地上勤務員主力の二百一名はてらごあ丸に乗船し呉出港。
土佐沖において敵潜水艦の魚雷攻撃を受け海没。
生存者五名。第二百四十八飛行場大隊に転属。
11月2日ウエワクに展開。ラム、マーカム河谷航空撃滅戦参加、
サラモア地上作戦協力。
ニューギニア島における各種航空作戦参加。
2月15日飛行第六十六戦隊より六十六名転入。
3月11アイタベ移駐。一部ウエワク残置。
3月15日ホランジアに移駐。一部アイタベ残置。その後全員戦死。
3月16日~8月19日ニューギニア島における各種作戦参加。
ホランジア、サルミ間転進作戦およびサルミ地区守備作戦参加。航空機全耗。
8月20ホランジアにて現地復帰。
19年7月25日空中勤務者は第一航空軍に、
その他の人員資材は管理官の定むる部隊に転属。
生存者は一部内地帰還。
他は所在の地点にて地上部隊の指揮下に入り、自活しつつ地上作戦に参加。
停戦後収容所に入る。
 
◆編成/昭和17年8月10日小月
◆復帰/8月20日ホランジアにて現地復帰
 
◆歴代戦隊長
牧野靖雄少佐、村岡信一少佐、黒田武文少佐
 
◆戦死者・殉職者追悼
 
集成飛行戦隊
◆使用機種
◆部隊史
◆編成/昭和20年1月ルソン島
◆復帰/昭和20年3月復帰

◆戦死者・殉職者追悼

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◆◆独立飛行隊◆◆
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第16631
(2)昭和19年4月30日
(3)敦化
(4)
(5)昭和20年5月15日平壌にて復帰
 
(1)第一独立飛行隊 司偵、帥第34219
(2)昭和20年6月
(3)八街
(4)
(5)8月15日八街
 
(1)第二独立飛行隊 重爆、帥第34223
(2)昭和19年10月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年2月浜松にて復帰
 
(1)第二独立飛行隊 司偵、帥第19029
(2)昭和20年7月18日
(3)大阪
(4)
(5)8月15日小牧
 
(1)第三独立飛行隊 司偵
(2)昭和19年1月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年調布にて復帰
 
(1)第三独立飛行隊 重爆、帥第19030
(2)昭和19年10月31日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年6月熊本にて復帰
 
(1)第四独立飛行隊 司偵、帥第19031
(2)昭和19年10月31日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年5月2日、鹿屋
 
(1)第十独立飛行隊 偵察、高第9640
(2)昭和16年7月28日
(3)嫩江(満洲)
(4)
(5)昭和18年6月10日
 
(1)第十二独立飛行隊 司偵、靖第11614
(2)昭和20年7月15日
(3)福岡(蓆田)
(4)
(5)昭和20年8月15日、福岡
 
(1)第十五独立飛行隊 司偵、威(信)第8315
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)第十六独立飛行隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年9月15日
(3)児玉
(4)
(5)昭和20年7月5日児玉にて復帰
 
(1)第十七独立飛行隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月15日調布にて復帰
 
(1)第十九独立飛行隊 司偵、靖第21204
(2)昭和19年9月15日
(3)調布
(4)
(5)昭和20年7月30日調布にて復帰
 
(1)第二十一独立飛行隊 戦隊・爆撃、司第
(2)昭和14年7月6日
(3)廣東
(4)
(5)昭和17年10月15日ハノイにて復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 司偵、鷲第
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月温春にて飛行第28戦隊に復帰
 
(1)第二十八独立飛行隊 戦闘、帥第
(2)昭和20年7月15日
(3)東金
(4)
(5)8月15日、東金
 
(1)第二十九独立飛行隊 軍偵、栄第9163
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)第三十八独立飛行隊 司偵、鏑第19342
(2)昭和20年7月10日
(3)帯広
(4)
(5)8月15日、帯広
 
(1)第八十三独立飛行隊 軍偵、司第9172 
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)第二百六独立飛行隊 直協・対潜、靖第21201
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)8月15日、海雲台
 
◆◆独立飛行中隊◆◆
 
(1)独立飛行第一中隊 対潜
(2)昭和19年7月20日
(3)海雲台
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第三中隊 戦闘
(2)昭和7年2月
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和7年5月、事変終結により帰還
 
(1)独立飛行第三中隊 重爆
(2)昭和12年7月8日
(3)浜松
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓飛行場
 
(1)独立飛行第四中隊 偵察、満洲第691
(2)昭和12年7月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第六中隊 偵察 
(2)昭和12年7月23日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第七中隊 偵察
(2)昭和2年5月17日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和4年5月17日原隊復帰
 
(1)独立飛行第八中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日、平壌
 
(1)独立飛行第九中隊 偵察
(2)昭和6年9月19日
(3)承徳
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第10大隊に編入
 
(1)独立飛行第九中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)平壌
(4)
(5)昭和14年2月、彰徳
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和6年9月19日
(3)平壌
(4)
(5)昭和8年6月17日関東軍飛行隊飛行第11大隊第4中隊に編入
 
(1)独立飛行第十中隊 戦闘
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月20日、漢口
 
(1)独立飛行第十一中隊 爆撃
(2)昭和12年9月6日
(3)?東
(4)
(5)昭和13年7月27日、安慶
 
(1)独立飛行第十四中隊 戦闘
(2)昭和12年7月
(3)?東
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十五中隊 爆撃
(2)昭和12年9月28日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和13年8月15日、王賓
 
(1)独立飛行第十五中隊 戦闘
(2)昭和19年10月
(3)台中
(4)
(5)
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和16年9月20日、彰徳
 
(1)独立飛行第十六中隊 司偵、燕第18999
(2)昭和19年7月30日
(3)大阪
(4)
(5)昭和19年9月15日、児玉
 
(1)独立飛行第十七中隊 直協
(2)昭和13年8月1日
(3)
(4)
(5)昭和15年9月3日飛行第44戦隊に編入
 
(1)独立飛行第十七中隊 司偵、帥第34214
(2)昭和19年3月31日
(3)調布
(4)
(5)昭和19年9月15日、調布
 
(1)独立飛行第十八中隊 司偵、隼第2383
(2)昭和13年2月
(3)中国
(4)
(5)昭和19年10月31日、漢口
 
(1)独立飛行第十九中隊 司偵(防空)、靖第21204
(2)昭和19年7月30日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年9月15日、小月
 
(1)独立飛行第二十中隊 輸送、威第15382
(2)昭和18年5月15日
(3)
(4)
(5)5月30日比島にて復帰
 
(1)独立飛行第二十三中隊 戦闘、誠第41
(2)昭和19年1月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)9月2日花連港にて停戦
 
(1)独立飛行第二十四中隊 戦闘、誠第16500
(2)昭和19年2月29日
(3)広東
(4)
(5)8月15日宜蘭にて終戦
 
(1)独立飛行第二十五中隊 戦闘、羽第16682
(2)昭和19年8月25日
(3)鞍山
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)独立飛行第三十一中隊 重爆、威第18902
(2)昭和19年6月20日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月30日比島復帰
 
(1)独立飛行第四十一中隊 襲撃・対潜、誠第16683
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲
(4)
(5)9月2日宜蘭にて停戦
 
(1)独立飛行第四十二中隊 対潜、誠第19104
(2)昭和19年10月30日
(3)潮洲
(4)
(5)8月15日、台北
 
(1)独立飛行第四十三中隊 対潜、誠第19108
(2)昭和19年10月30日
(3)恒春
(4)
(5)8月15日、宜蘭
 
(1)独立飛行第四十四中隊 対潜、(冀)(台)第18970
(2)昭和19年6月10日
(3)郡山
(4)
(5)昭和20年6月23日、ケニンゴー
 
(1)独立飛行第四十五中隊 対潜、翼第18971
(2)昭和19年10月20日
(3)比島
(4)
(5)8月15日、比島にて終戦
 
(1)独立飛行第四十六中隊 対潜、誠第19170
(2)昭和19年10月20日
(3)東京
(4)
(5)9月2日、台湾にて停戦
 
(1)独立飛行第四十七中隊 戦闘
(2)昭和16年9月5日
(3)福生
(4)
(5)昭和18年10月3日、柏
 
(1)独立飛行第四十七中隊 対潜、誠第9910
(2)昭和19年10月20日
(3)台東
(4)
(5)昭和20年8月15日、台東にて終戦
 
(1)独立飛行第四十八中隊 対潜、誠第9911
(2)昭和19年10月30日
(3)花連港
(4)
(5)8月15日、台中にて終戦
 
(1)独立飛行第四十九中隊 対潜、誠第9912
(2)昭和19年10月30日
(3)台北
(4)
(5)9月2日、台北にて停戦
 
(1)独立飛行第五十中隊 司偵、隼第8350
(2)昭和16年7月29日
(3)新京
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十一中隊 司偵、隼第8351
(2)昭和16年7月29日
(3)広東
(4)
(5)昭和19年1月31日、新京
 
(1)独立飛行第五十二中隊 軍偵、威第10655
(2)昭和16年7月29日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年9月16日、ヨネスにて解散
 
(1)独立飛行第五十三中隊 軍偵、翼
(2)昭和17年3月31日
(3)衙門屯
(4)
(5)8月31日、佳木斯
 
(1)独立飛行第五十四中隊 直協、隼魁第8354
(2)昭和16年7月23日
(3)白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日、杭州にて終戦
 
(1)独立飛行第五十五中隊 司偵、隼第2386
(2)昭和17年3月31日
(3)ドムアン
(4)
(5)昭和19年10月31日、南京
 
(1)独立飛行第六十三中隊 司偵、鷲
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第六十六中隊 軍偵・対潜、靖第9171
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月15日、海雲台
 
(1)独立飛行第七十中隊 司偵、司第9641
(2)昭和17年7月28日
(3)チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ジャワにて終戦
 
(1)独立飛行第七十一中隊 軍偵・戦闘、誠第9180
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年8月15日、一部アロールスターにて終戦
 
(1)独立飛行第七十三中隊 軍偵、司第9181
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和20年9月2日、ジャワにて停戦
 
(1)独立飛行第七十四中隊 直協・司偵、翔第9643
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日、ゲルンバンにて終戦
 
(1)独立飛行第七十六中隊 司偵、洋 高第9642
(2)昭和16年7月28日
(3)衙門屯
(4)
(5)昭和18年6月10日、ラバウル


(1)独立飛行第八十一中隊 司偵
(2)昭和16年7月30日
(3)温春
(4)
(5)昭和19年4月、温春
 
(1)独立飛行第八十一中隊 司偵、羽第9162
(2)昭和19年4月1日
(3)温春
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京にて終戦
 
(1)独立飛行第八十二中隊 軽爆
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月15日飛行第34戦隊に改編
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵
(2)昭和17年12月
(3)温春
(4)
(5)昭和19年10月29日内地帰還
 
(1)独立飛行第八十二中隊 司偵(防空)、天鷲第19529
(2)昭和20年2月25日
(3)大正
(4)
(5)昭和20年8月10日第28独立飛行隊に編入
 
(1)独立飛行第八十三中隊 軍偵、天風第19530
(2)昭和14年8月1日
(3)彰徳
(4)
(5)昭和19年7月25日、現地復帰
 
(1)独立飛行第八十三中隊 司偵(防空)
(2)昭和20年2月25日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月30日
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘
(2)昭和14年7月6日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年10月20日、ハノイ
 
(1)独立飛行第八十四中隊 戦闘、翔
(2)昭和20年2月25日
(3)パレンバン
(4)
(5)昭和20年5月30日
 
(1)独立飛行第八十五中隊 司偵、鷲
(2)昭和17年秋
(3)温春
(4)
(5)昭和19年1月31日
 
(1)独立飛行第八十七中隊 軍偵、満洲
(2)昭和16年7月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第八十九中隊 直協・軍偵、司偵
(2)昭和16年7月29日
(3)海林
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十中隊 軍偵
(2)昭和17年4月
(3)太原
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第九十一中隊 直協、(司)(高)(灘)
(2)
(3)
(4)
(5)昭和19年3月31日、ラングーン
 
(1)独立飛行第九十六中隊 直協
(2)昭和16年7月25日
(3)
(4)
(5)昭和19年2月5日、海林
 
(1)独立飛行第百一中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)調布
(4)
(5)昭和17年4月21日、調布
 
(1)独立飛行第百二中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)加古川
(4)
(5)昭和17年4月21日、加古川
 
(1)独立飛行第百三中隊 司偵
(2)昭和16年7月20日
(3)小月
(4)
(5)昭和17年4月21日、小月
 
◆直協飛行隊
 
(1)第一直協飛行隊 直協
(2)昭和13年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和14年5月30日、内地復帰
 
(1)第六直協飛行隊 直協、誠第171
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月20日、台東
 
(1)第七直協飛行隊 直協、誠第172
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、花連港
 
(1)第八直協飛行隊 直協、誠第173
(2)昭和16年7月18日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年10月30日、台北
 
(1)東部軍直協飛行隊 直協、東部第125
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年10月20日、東京
 
(1)中部軍直協飛行隊 直協
(2)昭和17年8月10日
(3)帯広
(4)
(5)昭和19年10月30日、恒春
 
(1)西部軍直協飛行隊 直協、西部第127
(2)昭和17年12月30日
(3)柏
(4)
(5)昭和19年6月10日、郡山
 
(1)北部軍直協飛行隊 直協、北部第89
(2)昭和17年5月30日
(3)
(4)
(5)昭和19年10月30日、潮洲
 
(1)朝鮮軍直協飛行隊 直協、朝第102
(2)昭和17年5月20日
(3)京城
(4)
(5)昭和19年10月20日、比島
 
(1)第八方面軍飛行隊 直協、剛第11254
(2)昭和20年4月15日
(3)ラバウル
(4)
(5)昭和20年8月15日、ラバウル
 
◆独立・直轄飛行隊
 
(1)砲兵協力飛行班 教育
(2)昭和18年頃
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年8月15日、銚子
 
(1)海燕第一飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月25日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月15日、蔚山
 
(1)海燕 対潜
(2)昭和20年8月1日
(3)新潟
(4)
(5)昭和20年8月15日、新潟
 
(1)北辰飛行隊 対潜
(2)昭和20年5月1日
(3)広島
(4)
(5)昭和20年8月1日、新潟
 
(1)関東軍第一航空写真隊、洋第9316
(2)昭和18年3月8日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
(1)第一写真作業隊、師第34224
(2)昭和20年7月20日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月15日、終戦
 
◆輸送飛行隊
 
(1)航空本部(航空総監部)飛行班 輸送
(2)昭和14年5月
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月9日、所沢
 
(1)陸軍航空輸送部 輸送、師第34201
(2)昭和16年9月
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月4日、東京他
 
(1)陸軍航空輸送部 第一飛行隊 輸送、輝第4333
(2)昭和19年1月17日
(3)宇都宮
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第二飛行隊 輸送、威第4334
(2)昭和19年1月17日
(3)太田
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第三飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第四飛行隊 輸送、第4336
(2)昭和19年1月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年8月15日、浜松
 
(1)陸軍航空輸送部 第五飛行隊 輸送、第4337
(2)昭和19年1月31日
(3)小牧
(4)
(5)昭和20年8月15日、小牧
 
(1)陸軍航空輸送部 第六飛行隊 輸送、第4338
(2)昭和19年1月31日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年8月15日、八日市
 
(1)陸軍航空輸送部 第七飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第八飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)マニラ
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第九飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)陸軍航空輸送部 第十飛行隊 輸送
(2)昭和19年1月17日
(3)所沢
(4)
(5)
 
(1)特設第十三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)特設第十五輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年10月3日
(3)
(4)
(5)
 
(1)南方航空輸送部 輸送、威第9326
(2)昭和17年9月15日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日、
 
(1)南方航空輸送部 第一輸送飛行隊 輸送、威第9326
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)南方航空輸送部 第二輸送飛行隊 輸送、信第1160
(2)昭和19年11月30日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月7日
 
(1)第一輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年8月15日、嘉義
 
(1)第二輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)昭和20年9月2日、嘉義
 
(1)第三輸送飛行隊 輸送
(2)昭和16年7月16日
(3)満洲
(4)
(5)
 
(1)第七輸送飛行隊 輸送、師第9987
(2)昭和16年6月30日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日、各務原(主力)
 
(1)第八輸送飛行隊 輸送、師第18904
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和20年8月15日、立川
 
(1)第十一輸送飛行中隊 輸送、師第6611
(2)昭和16年6月30日
(3)新京
(4)
(5)昭和16年6月30日、ビルマ
 
(1)第十二輸送飛行中隊 輸送、師第9350
(2)昭和16年7月7日
(3)八日市
(4)
(5)昭和18年6月30日、昭南
 
(1)第十三輸送飛行中隊 輸送、師第18905
(2)昭和19年6月20日
(3)筑波
(4)
(5)昭和19年11月2日、岐阜
 
(1)第十四輸送飛行中隊 輸送、師第18906
(2)昭和19年6月
(3)西筑波
(4)
(5)昭和20年9月2日、坂戸
 
(1)第十五輸送飛行中隊 輸送、師第18907
(2)昭和19年8月20日
(3)唐瀬原
(4)
(5)昭和20年8月15日、松戸
 
(1)第百一輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)独立第二十輸送飛行中隊 輸送
(2)
(3)
(4)
(5)
 
(1)関東軍輸送飛行隊 輸送、羽第4335
(2)昭和20年8月9日
(3)新京
(4)
(5)昭和20年8月15日、新京
 
(1)第十四軍飛行隊
(2)昭和17年1月5日
(3)?東外
(4)
(5)昭和17年4月2日
 
(1)誠補充飛行隊、誠第19122
(2)昭和20年7月7日
(3)台湾
(4)
(5)昭和20年9月2日、台湾
  
◆教育・錬成飛行隊
 
(1)第百一教育飛行連隊 戦闘、東部第104
(2)昭和16年9月30日
(3)原ノ町
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百二教育飛行連隊 重爆、北部第74
(2)昭和17年4月31日
(3)八戸
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百三教育飛行連隊 偵察、中部第115
(2)昭和17年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百四教育飛行連隊 軽爆、中部第94
(2)昭和17年4月31日
(3)八日市
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百五教育飛行連隊 遠爆、中部第113
(2)昭和16年4月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百六教育飛行連隊 戦闘、西部第108
(2)昭和19年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百七教育飛行連隊 挺進、西部第110
(2)昭和16年9月30日
(3)菊池
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百八教育飛行連隊 戦闘、台湾第37
(2)昭和17年4月22日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年1月15日
 
(1)第百九教育飛行連隊 重爆、台湾第38
(2)昭和17年4月22日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十教育飛行連隊 司偵、中部第133
(2)昭和17年8月31日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和19年2月25日
 
(1)第百十一教育飛行連隊 戦闘、朝鮮第100
(2)昭和18年3月5日
(3)仙台
(4)
(5)昭和19年2月29日
 
(1)第百十二教育飛行連隊 戦闘、台湾第100
(2)昭和18年3月5日
(3)恒春
(4)
(5)昭和19年3月15日
 
(1)第百十三教育飛行連隊 軽爆、朝鮮第101
(2)昭和17年8月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十四教育飛行連隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和18年8月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和19年3月7日
 
(1)第百十五教育飛行連隊 司偵、隼第15302
(2)昭和18年8月31日
(3)各務原
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十六教育飛行連隊 重爆、昭第1106
(2)昭和18年8月31日
(3)浜松
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十七教育飛行連隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和18年8月31日
(3)小月
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第百十八教育飛行連隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和17年8月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和19年3月31日
 
(1)第一練習飛行隊、治第18995
(2)昭和19年8月22日
(3)熊谷飛行学校、児玉分教場
(4)
(5)終戦
 
(1)第二練習飛行隊、昭第18996
(2)昭和19年10月30日
(3)マレー分散地(クラン、クアンタン、アロルスター、クアラカンサル、ポートセッテンハム)
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第三練習飛行隊、昭第18997
(2)昭和20年3月31日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年5月15日

(1)第五練習飛行隊 特攻訓練、羽第16675
(2)昭和19年12月15日
(3)綏中
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第六練習飛行隊、紺第540
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月29日熊谷、八雲に於て復員
 
(1)第七練習飛行隊、空第541
(2)昭和20年2月20日
(3)京都府久世郡御牧
(4)
(5)昭和20年9月3日御牧飛行場にて復員
 
(1)第八練習飛行隊 空第542
(2)昭和20年2月20日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第九練習飛行隊 宙第543
(2)昭和20年2月20日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年8月25日
 
(1)第一教育飛行隊 戦闘、空第230
(2)昭和19年3月31日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二教育飛行隊 重爆、昭第15314
(2)昭和19年3月31日
(3)リンガエン
(4)
(5)終戦レンバン島収容昭和21年5月17日同島出発5月29日名古屋港上陸、復員
 
(1)第三教育飛行隊 軍偵、昭第15315
(2)昭和19年3月31日
(3)リパ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第四教育飛行隊 軽爆、紺第531
(2)昭和19年2月25日
(3)八日市
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第五教育飛行隊 重爆、中部第113
(2)昭和19年3月31日
(3)浜松第105教育飛行連隊を改称
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六教育飛行隊 戦闘、台湾第36
(2)昭和19年3月31日
(3)台中
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第七教育飛行隊 挺進、朝鮮第110
(2)昭和19年2月25日
(3)朝鮮咸興
(4)
(5)昭和19年12月25日
 
(1)第八教育飛行隊 戦闘、誠第532
(2)昭和19年1月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年7月6日
 
(1)第九教育飛行隊 重爆、台湾第38
(2)昭和19年2月25日
(3)嘉義
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十教育飛行隊 偵察、空第533
(2)昭和19年2月29日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十一教育飛行隊 戦闘、宙第534
(2)昭和19年2月29日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年8月20日
 
(1)第十二教育飛行隊 戦闘、昭第15316
(2)昭和19年3月31日
(3)デルカルメン
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十三教育飛行隊 襲撃、朝鮮第161
(2)昭和19年3月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年1月15日
 
(1)第十四教育飛行隊 戦闘、隼第15301
(2)昭和19年3月7日
(3)南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十五教育飛行隊 偵察、隼第15302
(2)昭和19年3月31日
(3)済南
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第十六教育飛行隊 重爆、昭第11066
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島カリジャチ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十七教育飛行隊 戦闘、昭第11067
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十八教育飛行隊 戦闘、隼第15305
(2)昭和19年3月31日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十九教育飛行隊 戦闘、宙第533
(2)昭和19年3月31日
(3)朝鮮会寧
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十教育飛行隊 戦闘、台湾第42
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾花連港
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十一教育飛行隊 戦闘、台湾第43
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾佳冬
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十二教育飛行隊 戦闘、台湾第44
(2)昭和19年3月31日
(3)台湾潮州
(4)
(5)昭和19年11月
 
(1)第二十三教育飛行隊 軽爆、羽第15353
(2)昭和19年3月1日
(3)朝鮮宜徳
(4)
(5)横道河子に於て昭和20年9月2日停戦
 
(1)第二十四教育飛行隊 重爆、羽第15354
(2)昭和19年3月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年9月8日
 
(1)第二十五教育飛行隊 戦闘、羽第16615
(2)昭和19年3月31日
(3)遼陽
(4)
(5)昭和19年12月31日
 
(1)第二十六教育飛行隊 戦闘、羽第16616
(2)昭和19年3月10日
(3)満洲龍江省白城子
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七教育飛行隊 戦闘、羽第16617
(2)昭和19年3月25日
(3)満洲錦州省興城
(4)
(5)昭和19年12月15日
 
(1)第二十八教育飛行隊 戦闘、隼第17303
(2)昭和19年3月31日
(3)河北省石家荘石門
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十九教育飛行隊 戦闘、隼第17304
(2)昭和19年3月7日
(3)河北省唐山
(4)
(5)昭和19年7月2日
 
(1)第三十教育飛行隊 襲撃、宙第536
(2)昭和19年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十一教育飛行隊 戦闘、威第10610
(2)昭和19年3月31日
(3)ルソン島デルカルメン
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十二教育飛行隊 戦闘、富第15355
(2)昭和19年2月25日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十三教育飛行隊 戦闘、威第15356
(2)昭和19年2月15日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第三十四教育飛行隊 戦闘、昭第11068
(2)昭和19年3月31日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十五教育飛行隊 戦闘、岡第11069
(2)昭和19年3月31日
(3)シンガポール、臨時編成
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十六教育飛行隊 戦闘、昭第15357
(2)昭和19年2月29日
(3)朝鮮連浦
(4)
(5)昭和20年2月28日
 
(1)第三十七教育飛行隊 戦闘、治第15358
(2)昭和19年2月25日
(3)台湾?東
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第三十八教育飛行隊 挺進、昭第11099
(2)昭和19年2月29日
(3)比島タルラック
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)第三十九教育飛行隊 戦闘、紺第537
(2)昭和19年7月31日
(3)千葉県横芝
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十教育飛行隊 戦闘、空第538
(2)昭和19年4月8日
(3)連浦
(4)
(5)昭和20年9月3日
 
(1)第四十一教育飛行隊 重爆、宙第539
(2)昭和19年4月29日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十二教育飛行隊 司偵、羽第16642
(2)昭和19年7月31日
(3)満洲チチハル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十三教育飛行隊 戦闘、威第10618
(2)昭和19年6月7日
(3)タルラック
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第四十四教育飛行隊 戦闘、岡第11081
(2)昭和19年5月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十五教育飛行隊 司偵、岡第11082
(2)昭和19年7月31日
(3)マレー、スンゲイバタニ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第四十六教育飛行隊 偵察、昭第11083
(2)昭和19年5月31日
(3)マレー、ケチル
(4)
(5)昭和20年1月31日
 
(1)第一錬成飛行隊 戦闘、紺第520
(2)昭和19年7月31日
(3)相模
(4)
(5)昭和20年8月24日
 
(1)第二錬成飛行隊 戦闘、宙第521
(2)昭和19年7月22日
(3)京城
(4)
(5)昭和20年9月14日
 
(1)第三錬成飛行隊 戦闘、誠第522
(2)昭和19年4月28日
(3)滋賀県八日市
(4)
(5)昭和20年7月19日
 
(1)第四錬成飛行隊 戦闘、羽第16634
(2)昭和19年5月30日
(3)新京
(4)
(5)?
 
(1)第五錬成飛行隊 戦闘、隼第16635
(2)昭和19年5月31日
(3)浜江省孫家
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第六錬成飛行隊 司偵、空第523
(2)昭和19年7月31日
(3)兵庫県三木
(4)
(5)終戦。昭和20年9月3日復員
 
(1)第七錬成飛行隊 司偵、昭第18432
(2)昭和19年6月20日
(3)?東
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第八錬成飛行隊 戦闘、昭第18433
(2)昭和19年5月31日
(3)会寧
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第九錬成飛行隊 戦闘、富第11080
(2)昭和19年4月30日
(3)ビルマ、メイクテイラ
(4)
(5)昭和20年9月2日
 
(1)第十錬成飛行隊 戦闘、空第524
(2)昭和19年11月30日
(3)京都府由良
(4)
(5)終戦、昭和20年9月3日復員
 
(1)第十一錬成飛行隊 戦闘、空第525
(2)昭和19年11月30日
(3)目達原
(4)
(5)終戦。昭和20年8月28日復員
 
(1)第十二錬成飛行隊 戦闘、宙第526
(2)昭和19年9月15日
(3)京城金浦
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十三錬成飛行隊 戦闘、羽第16663
(2)昭和19年9月15日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第十四錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)満洲龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和19年8月20日
 
(1)第十五錬成飛行隊 司偵、昭第11092
(2)昭和19年11月30日
(3)マレークアラルンプール
(4)
(5)昭和20年6月30日
 
(1)第十六錬成飛行隊、富第11095
(2)昭和19年7月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和19年11月復帰
 
(1)第十七錬成飛行隊 戦闘、昭第11093
(2)昭和19年10月3日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第十八錬成飛行隊 戦闘、昭第11094
(2)昭和19年10月30日
(3)ジャワ島バンドン
(4)
(5)昭和20年8月1日
 
(1)第十九錬成飛行隊 戦闘、隼第17327
(2)昭和19年10月7日
(3)河北省南苑
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十二錬成飛行隊 戦闘、羽第16664
(2)昭和19年8月20日
(3)龍江省衛門屯
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十三錬成飛行隊 襲撃、宙第527
(2)昭和20年1月31日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十四錬成飛行隊 重爆、空第528
(2)昭和19年12月31日
(3)浜松
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第二十五錬成飛行隊 重爆、宙第529
(2)昭和19年12月27日
(3)咸鏡南道宜徳
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十六錬成飛行隊 戦闘、富第11097
(2)昭和20年2月28日
(3)ジャワ島マラン
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十七錬成飛行隊 襲撃、昭第11098
(2)昭和20年2月28日
(3)マライケダー州ケチル
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第二十八錬成飛行隊 重爆、昭第11099
(2)昭和20年2月25日
(3)マレーイポイ
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一野戦補充飛行隊、司第9915
(2)昭和16年11月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第一飛行教育隊、中部第92
(2)昭和12年12月10日
(3)各務原
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第二飛行教育隊
(2)昭和12年12月10日
(3)平壌の飛行第6連隊にて本部及び2個中隊編成
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第三飛行教育隊、西部第99・空第571
(2)昭和12年12月10日
(3)台湾嘉義
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第四飛行教育隊、東部第102・紺第572
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第五飛行教育隊、空第573
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第七飛行教育隊、中部第98・空第576
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲公主嶺
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第八飛行教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和12年12月10日
(3)満洲牡丹江省海浪。第八飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第九飛行教育隊、空第577
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省チチハル。第9飛行団隷下
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第十二飛行教育隊、紺第578
(2)昭和12年12月10日
(3)龍江省ハルピン
(4)
(5)昭和13年7月5日
 
(1)第一航空教育隊、中部第92・宙第570
(2)昭和13年7月5日
(3)各務原
(4)
(5)終戦昭和20年10月15日仁川港出発10月20日佐世保上陸10月23日復員
 
(1)第二航空教育隊
(2)昭和13年7月5日
(3)平壌
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第三航空教育隊、空第571・西部第99
(2)昭和13年7月5日
(3)嘉義。第3飛行教育隊を第3航空教育隊と改称
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第四航空教育隊、紺第572・東部第102
(2)昭和13年7月1日
(3)立川
(4)
(5)終戦昭和20年8月29日復員
 
(1)第五航空教育隊、空第573
(2)昭和13年7月5日
(3)大刀洗。第5飛行教育隊を第5航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦昭和20年8月30日戦後処理業務に従事し復員
 
(1)第六航空教育隊、空第574・北部第79
(2)昭和15年9月1日
(3)福島県原ノ町
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第七航空教育隊、空第576・中部第98
(2)昭和13年7月5日
(3)
(4)
(5)昭和20年7月18日
 
(1)第八航空教育隊、空第539・中部第77
(2)昭和13年7月5日
(3)牡丹江省海浪。第8飛行教育隊を第8航空教育隊と改称。
(4)
(5)昭和20年9月5日
 
(1)第九航空教育隊、空第577
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲龍江省チチハル
(4)
(5)終戦業務を終え復員
 
(1)第十航空教育隊、誠第39
(2)昭和18年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年6月8日
 
(1)第十一航空教育隊、東部第103
(2)昭和16年3月1日
(3)茨城県水戸
(4)
(5)昭和18年9月17日
 
(1)第十二航空教育隊、紺第578・東部第111
(2)昭和13年7月5日
(3)満洲ハルピン。第12飛行教育隊を第12航空教育隊と改称
(4)
(5)終戦、復員
 
(1)第十三航空教育隊、師第579
(2)昭和19年1月10日
(3)新潟県高田南本町
(4)
(5)終戦昭和20年9月1日復員
 
(1)第十四航空教育隊、宙第580・西部第104
(2)熊本県菊池
(3)昭和19年1月24日
(4)
(5)終戦昭和20年10月23日釜山港出発山口県仙崎港上陸、復員
 
(1)第一航空軍教育隊、帥第581
(2)昭和17年12月3日
(3)岐阜
(4)
(5)終戦復員
 
(1)第二航空第一教育隊、羽第16613
(2)昭和18年8月15日
(3)吉林省公主嶺
(4)
(5)昭和18年8月15日
 
(1)南方軍第一航空教育隊、昭第11056
(2)昭和18年8月25日
(3)シンガポール
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)支那派遣軍第一航空教育隊、隼第1622
(2)昭和18年9月30日
(3)南京
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第一航空教育隊、空第563
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)岐阜第二航空教育隊、空第564
(2)昭和20年2月25日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)奈良陸軍航空教育隊、空第565
(2)昭和20年2月25日
(3)奈良
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空教育隊、紺第561
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)所沢陸軍航空教育隊、紺第560
(2)昭和20年2月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)八戸陸軍航空教育隊、紺第562
(2)昭和20年2月25日
(3)青森県八戸
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
◆陸軍直轄飛行隊・研究飛行隊等
 
(1)陸軍航空本部、風第29651
(2)大正14年5月1日
(3)東京?町区隼町
(4)
(5)昭和20年11月30日、東京
 
(1)陸軍航空総監部
(2)昭和13年12月10日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年4月18日
 
(1)陸軍航空技術研究所
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)第一陸軍航空技術研究所、風第29661
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所甲府
 
(1)第二陸軍航空技術研究所、風第29662
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所高山・岡谷
 
(1)第三陸軍航空技術研究所、風第29663
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部福生・出張所阿字ヶ浦
 
(1)第四陸軍航空技術研究所、風第29664
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、八王子
 
(1)第五陸軍航空技術研究所、風第29665
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所屋代
 
(1)第六陸軍航空技術研究所、風第29666
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、立川
 
(1)第七陸軍航空技術研究所、風第29667
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部青梅・出張所甲府・秩父
 
(1)第八陸軍航空技術研究所、風第29668
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部立川・出張所新潟
 
(1)陸軍飛行実験部
(2)昭和14年12月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)陸軍航空審査部、風第29653
(2)昭和17年10月15日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、本部福生・出張所京都・水戸・松本
 
(1)陸軍航空工廠
(2)昭和15年4月1日
(3)東京府北多摩郡昭和村(現昭島市)
(4)
(5)昭和20年11月14日、昭和村
 
(1)陸軍航空適性検査部
(2)昭和19年1月31日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年9月15日、調布
 
(1)多摩陸軍技術研究所、風第29669
(2)昭和18年6月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月27日、本部国立・出張所青梅・久我山・藤岡・上諏訪・関西
 
(1)南方軍航空技術部、司第9312
(2)昭和16年11月25日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)大本営航空通信保安長官部
(2)昭和17年9月1日
(3)東京(市ヶ谷)
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営野戦航空兵器長官部
(2)昭和12年11月20日
(3)東京
(4)
(5)昭和20年9月13日、東京
 
(1)大本営陸軍航空通信隊
(2)昭和17年8月
(3)東京
(4)
(5)20年3月

◆飛行学校 

(1)陸軍航空士官学校
(2)昭和13年12月10日
(3)豊岡
(4)
(5)昭和20年9月1日、豊岡
 
(1)仙台陸軍飛行学校
(2)昭和18年10月9日
(3)仙台
(4)
(5)昭和20年8月27日、仙台
 
(1)東京陸軍航空学校
(2)昭和12年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)東京陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)村山町
(4)
(5)昭和20年8月27日、村山町
 
(1)大津陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和18年4月1日
(3)大津
(4)
(5)昭和20年8月27日、大津
 
(1)大分陸軍少年飛行兵学校
(2)昭和19年5月15日
(3)大分
(4)
(5)昭和20年8月27日、大分
 
(1)陸軍航空学校
(2)大正8年4月15日
(3)所沢
(4)
(5)大正13年5月16日
 
(1)所沢陸軍飛行学校
(2)大正13年5月16日
(3)所沢
(4)
(5)昭和12年10月1日
 
(1)熊谷陸軍飛行学校
(2)昭和10年12月1日
(3)熊谷
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)宇都宮陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和19年10月
 
(1)大刀洗陸軍飛行学校
(2)昭和15年10月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年2月
 
(1)岐阜陸軍飛行学校
(2)昭和15年8月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和18年4月1日
 
(1)下志津陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)千葉県千葉郡都村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校
(2)大正13年5月17日
(3)三重県度会郡明野村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)明野陸軍飛行学校分校
(2)昭和18年8月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)浜松陸軍飛行学校
(2)昭和8年8月1日
(3)静岡県浜名郡神久呂村
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)白城子陸軍飛行学校
(2)昭和14年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)鉾田陸軍飛行学校
(2)昭和15年12月1日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和19年6月20日
 
(1)水戸陸軍飛行学校
(2)昭和13年7月1日
(3)茨城県那珂郡前渡村
(4)
(5)昭和18年10月9日
 
(1)陸軍航空技術学校
(2)昭和10年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和19年10月10日
 
(1)陸軍航空整備学校
(2)昭和13年7月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和18年8月1日
 
(1)立川陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)福生
(4)
(5)昭和19年6月30日
 
(1)所沢陸軍航空整備学校
(2)昭和18年8月1日
(3)所沢
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)岐阜陸軍航空整備学校
(2)昭和18年4月1日
(3)岐阜
(4)
(5)昭和20年2月25日
 
(1)陸軍航空通信学校
(2)昭和15年8月1日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年5月3日
 
◆教導飛行師団

(1)教導航空軍司令部、靖第19500
(2)昭和19年8月8日
(3)東京
(4)
(5)昭和19年12月26日
 
(1)下志津教導飛行師団、下志津陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)下志津
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)明野教導飛行師団、明野陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)浜松教導飛行師団、浜松陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)宇都宮教導飛行師団、宇都宮陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)鉾田教導飛行師団、鉾田陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)常陸教導飛行師団、常陸陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月20日
(3)前渡
(4)
(5)昭和20年7月10日復帰
 
(1)教導飛行師団、風第1000
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
◆教導飛行隊
 
(1)第一教導飛行隊、明野飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)明野
(4)
(5)昭和20年8月29日、明野
 
(1)第二教導飛行隊、常陸飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)常陸
(4)
(5)昭和20年8月29日、新田
 
(1)第三教導飛行隊、鉾田飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)鉾田
(4)
(5)昭和20年8月29日、那須
 
(1)第四教導飛行隊、浜松飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月29日、富山・三国
 
(1)第五教導飛行隊、下志津飛行隊
(2)昭和20年7月24日
(3)
(4)
(5)昭和20年8月29日、壬生
 
(1)第六教導飛行隊、宇都宮飛行隊
(2)昭和20年7月16日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年8月29日、宇都宮
 
(1)立川教導航空整備師団、立川陸軍航空整備部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)福生
(4)
(5)昭和20年8月29日、福生
 
(1)水戸教導航空通信師団、水戸陸軍航空通信部隊
(2)昭和20年5月3日
(3)水戸
(4)
(5)昭和20年8月29日、水戸
 
(1)加古川教導航空通信団、加古川陸軍航空通信部
(2)昭和20年5月3日
(3)加古川
(4)
(5)昭和20年8月29日、加古川
 
(1)三方原教導飛行団、三方原陸軍飛行部隊
(2)昭和19年6月30日
(3)浜松
(4)
(5)昭和20年8月28日、浜松
 
(1)陸軍電波兵器練習部、東部第92
(2)昭和19年2月
(3)立川(多摩研)
(4)
(5)昭和20年8月29日、小平
 
◆航空廠
 
(1)陸軍航空本廠
(2)昭和10年8月1日
(3)東京
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)立川陸軍航空支廠
(2)昭和10年8月1日
(3)立川
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大刀洗陸軍航空支廠
(2)昭和13年7月1日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)平壌陸軍航空支廠
(2)昭和11年4月1日
(3)平壌
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)?東陸軍航空支廠
(2)昭和12年4月1日
(3)?東
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)満洲陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)帯広陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)帯広
(4)
(5)昭和17年5月31日
 
(1)宇都宮陸軍航空支廠
(2)昭和16年6月1日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)大阪陸軍航空支廠
(2)昭和16年8月1日
(3)大阪
(4)
(5)昭和17年10月15日
 
(1)東京陸軍航空補給廠、師第34208
(2)昭和19年10月20日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月14日、立川
 
(1)大阪陸軍航空補給廠、師第34209
(2)昭和19年10月20日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪
 
(1)関東軍航空廠、羽第16680
(2)昭和20年5月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)立川陸軍航空廠、師第34202
(2)昭和17年10月15日
(3)立川
(4)
(5)昭和20年11月4日、立川・分廠の所在地柏・成増・相模・出張所の所在地熊谷
 
(1)各務原陸軍航空廠、師第34203
(2)昭和17年10月15日
(3)各務原
(4)
(5)昭和20年11月14日、各務原・分廠の所在地浜松・亀山・小牧
 
(1)大阪陸軍航空廠、師第34204
(2)昭和17年10月15日
(3)大阪
(4)
(5)昭和20年11月14日、大阪・分廠の所在地八日市・伊丹・加古川・出張所の所在地京都・明石
 
(1)大刀洗陸軍航空廠、師第34205
(2)昭和17年10月15日
(3)大刀洗
(4)
(5)昭和20年11月14日、大刀洗・分廠の所在地芦屋・下関・菊地・新田原・防府・福岡・知覧
 
(1)宇都宮陸軍航空廠、師第34206
(2)昭和17年10月15日
(3)宇都宮
(4)
(5)昭和20年11月14日、宇都宮・分廠の所在地八戸・出張所の所在地大田・新田・太田南
 
(1)平壌陸軍航空廠、師第34207
(2)昭和17年10月15日
(3)平壌
(4)
(5)昭和20年8月15日、平壌・分廠の所在地咸興・郡山・京城
 
(1)?東陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)?東
(4)
(5)昭和19年10月25日
 
(1)満洲陸軍航空廠
(2)昭和17年10月15日
(3)奉天
(4)
(5)昭和20年5月1日
 
(1)マニラ陸軍航空廠、威第15311
(2)昭和18年8月15日
(3)マニラ
(4)
(5)昭和20年3月現地復帰
 
(1)奉天野戦航空廠
(2)昭和13年7月
(3)奉天
(4)
(5)昭和15年4月1日
 
(1)第七野戦航空廠
(2)昭和15年4月1日
(3)威興
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第八野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)奉天
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第九野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)楡樹屯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十野戦航空廠
(2)昭和15年8月1日
(3)佳木斯
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十一野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)四平
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十二野戦航空廠
(2)昭和13年9月1日
(3)ハルピン
(4)
(5)昭和16年7月31日
 
(1)第十五野戦航空廠
(2)昭和13年5月15日
(3)北京
(4)
(5)昭和19年2月
 
(1)第十六野戦航空廠
(2)昭和16年4月12日
(3)広東
(4)
(5)昭和17年5月30日
 
(1)第五野戦航空修理廠、誠第19023
(2)昭和19年10月25日
(3)?東
(4)
(5)昭和21年3~21・12復員
 
(1)第六野戦航空修理廠、鏑第19250
(2)昭和17年5月31日
(3)帯広
(4)
(5)昭和20年8月15日
 
(1)第七野戦航空修理廠、靖第8316
(2)昭和16年7月31日
(3)咸興
(4)
(5)昭和20年10月7日、仙崎
 
(1)第八野戦航空修理廠、隼第8331
(2)昭和16年7月31日
(3)蘭崗
(4)
(5)昭和21年2月24日、佐世保

教導飛行師団データベース

下志津教導飛行師団
下志津陸軍飛行学校を改編、司令部、第一~第四教導飛行隊、教導整備隊、通身隊からなる。
19年11月以降特別攻撃隊(石腸隊、進襲隊)編成出陣、
20年5月海燕隊、北辰隊編成出陣、
20年7月第一、第二独立飛行隊編成
歴代師団長
古屋健三少将
 
明野教導飛行師団

明野陸軍飛行学校を改編、19年10月第三十戦闘飛行集団司令部、第二百戦隊編成出陣。
20年7月決号作戦準備のため第二十戦闘飛行集団司令部、第百十一。第百十二戦隊を編成
歴代師団長
青木武三少将、今川一策少将
  

400hamamatu 
浜松教導飛行師団
浜松陸軍飛行学校を改編、司令部、教導第一隊、教導第三隊、研究飛行隊を基幹とする、
19年10月教導第一隊から富嶽隊、第二独立飛行隊、教導第三隊から飛行第百十戦隊の作戦部隊を編成
歴代師団長
星駒太郎少将
 
宇都宮教導飛行師団

白城子陸軍飛行学校を改編、司令部、教導飛行隊、教導航測隊、教導整備隊からなる
歴代師団長
小川小二郎少将
 
鉾田教導飛行師団
鉾田陸軍飛行学校を改編、司令部、教導飛行隊、教導整備隊からなる。
19年10月21日陸軍最初の特攻隊、万朶隊を編成
歴代師団長
高品明少将
 
常陸教導飛行師団
明野陸軍飛行学校分校を改編、司令部、第一、第二教導飛行隊、教導整備隊からなる。
20年4月司令部は前橋、教導飛行隊は新田に移駐
歴代師団長
加藤敏雄少将

2017年12月14日 (木)

九六式艦上戦闘機パイロット北沖道行さんのお話し

Dscn0959
九六式艦上戦闘機のパイロットで、支那事変を戦われた
北沖道行さんのお話しを伺いました。
 
北沖さんは愛媛県出身で、佐世保海兵団へ入隊後
軽巡洋艦「川内」乗艦。信号兵となります。巡洋艦からの
カタパルト射出を見て飛行機に憧れていた北沖さんは
飛行機乗りを志願し、合格。霞ヶ浦海軍航空隊へ入隊し
操縦練習生(53期)となりました。ご自身は艦上攻撃機を
志望されたのですが、戦闘機に敵性ありと見なされ、戦闘機搭乗員に。
元山海軍航空隊に配属されました。
 
まだ零戦が採用される前のお話しです。九六式艦上戦闘機で
漢口から宜昌へ進出し、南京爆撃の中攻(九六式陸上攻撃機)の
護衛任務に就きます。九六戦は、南京までの航続距離が足らないので、
中攻隊の護衛は途中までしかできませんでした。
ゼロ戦が登場するまでは、随分、中攻隊に被害が出たとのお話しです。 
それでも、中攻隊の先陣を切って、超低空で編隊を組み、
わざと、敵に見つかるよう、威嚇をしながら燃料の続くところまで
飛んで行ったそうです。
  
「戦闘機の護衛がついているぞ!」という示唆なのであります。
すると、敵兵が森の中でのろしを上げて、空襲を知らせるのでした。
 
ゼロ戦に機種転換をする際の訓練中、負傷したため
そのまま終戦を迎えます。九六戦とゼロ戦の違いを訪ねると
 
「私は九六戦のほうが好きでしたね。キビキビ思ったように動く。ゼロ戦はどうも
動きがやわらかいといいますかね」

とコメントされておりました。
なお、このときの分隊長は黒沢丈夫大尉。
JAL123便墜落時に上野村の村長だった方です。

2017年11月 9日 (木)

青空は入っていません

Dscn0730


A4

紙飛行機おじさんことブンドド先生と新作の打ち合わせです。
 
ブンドド先生「パッケージを一新しましょうか。背景の空母をもう少し
目立たせると格好良いですね」
 
私「そうですね。でも『空母は入っていません』と注意書きしないといけませんね」
 
ブンドド先生「青空も入ってないですよ」
 
私「えー、そんなこと言いだしたら注意書きだらけになってしまうじゃないですか。
『青空が入ってなかったぞ!』なんて言う人、いないでしょう」
 
スタッフ「いますよ!実際にそういう人!私、前の会社でそういうクレーム受けました」
 
私「ひえええええ」
 
ブンドド先生「ですから『零戦が一機入っています』とだけ書いてあるんです」
 
私「はー、胃が痛くなります」

2017年11月 3日 (金)

赤松機彩色完了

Photo 
赤松機の彩色完了しました。
少し昔のアニメイラスト風になりました。

航空母艦搭載機ステッカー




  

試験販売を開始しました。
一枚一枚、ピンセットとデザインナイフを駆使した巧が
作製しております。

冬コミ当選しました

65168715_p0
3日目、東地区V-17aであります。
なんと、こがしゅうと先生のお隣であります。

2017年10月30日 (月)

ステンシル切り文字ステッカー

Dscn0729

ステンシル切り文字ステッカーの見本が完成しました。
画面には写ってませんが伊400と信濃もあります。
 
リクエストありましたらぜひ。
  
近日発売!

2017年10月23日 (月)

彗星完成

2

彗星が完成しました。
続きまして、陸軍機も描いていきます。

2017年10月17日 (火)

フィリピン航空作戦図進捗

Photo_3


フィリピン航空図
だんだん形になってきました。
 
一応、飛行場のマークはあっても
それがクラークのような大航空基地だったり、
わずか1000メートルの急造の滑走路で
ゲリラに占拠されている可能性のある危険飛行場だったりと
様々なので、その辺りの区分けをしていくと
もう少し時間がかかりそうです。
 
大野さんのお話しによると
フィリピンの飛行場は主に三つに分類されていました。
 
1、着陸しても問題ないメイン飛行場
2、一応、滑走路はあるが、着陸に交戦地域に近く、注意を要する飛行場
3、もしかしたら既に敵の手に落ちているかもしれない
最前線あるいは孤立した飛行場。要注意。
 
不時着の際、いちかばちかで、3の要注意飛行場にも何度か
降りたことがあったそうです。
 
フィリピンは特異な戦場で元来、多くの部族が対立する地域に加え
アメリカ側に協力的な現地ゲリラ(敵性ゲリラ)と
日本側に協力的なゲリラに分かれており、ここからが敵、味方と
地理上、線引きをするのは非常に難しいのです。
 
こちらの図は日本がフィリピン全土を掌握し
リンガエンに米軍が上陸する直前の昭和19年(1944)後半までの
状況としました。




2017年10月11日 (水)

第一御楯隊の黒い零戦

Photo_2

第一御楯隊の零戦を描き直しました。
 
真っ黒の零戦。
文献によれば、日の丸と識別を残して真っ黒に塗ったと
記されているので、塗り方は想像ですが、
 
実在した機体です。
 
第一御楯隊は
夜の闇に紛れてマリアナを強襲。
B-29を焼き払った後、洋上へ不時着し
潜水艦で脱出するという、生還を前提とした作戦でしたが
結果としては、全員が戦死されました。(作戦機中、一機のみが
強襲後、不時着に成功しましたが潜水艦に救助される前に戦死されたとのことです。
 
この部隊の錬成に岩本徹三があたったのは有名な話です。
 
模型で作ったら格好良さそうですが、
画像検索しても、誰も作ってないみたいです。
 
硫黄島に慰霊碑があります。
詳しくはこちら。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2013/07/post-9999.html

2017年10月 8日 (日)

零戦全型式ポスター

B3

以前より要望を頂いておりました
零戦全型式クリアファイルとB3ポスターが販売開始になりました。
 
発売までとてつもない時間がかかったのは、
細かい修正点を調べつくして修正する作業が
非常に大変だった為です。
 
買って頂けると、取材費用の足しになります。
どうぞよろしくお願い致します。

クリアファイル(3枚入り)販売ページ
  
ポスター(B3版)販売ページ

2017年10月 7日 (土)

八九式重擲弾筒

八九式重擲弾筒

八九式重擲弾筒


八九式重擲弾筒(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)の図解。
パラオで玉砕されたある少尉さんのご遺族より拝受しました。
 
外見のみ描かれた図は数多くありますが、内部構造まで
描かれたものは初公開かな?と思います。
 
八九式重擲弾筒は歩兵の分隊単位で配備されました。
いわゆるグレネードランチャーで、八九式榴弾と呼ばれる
専用の弾薬か、手榴弾に噴進器と呼ばれるアタッチメントを
取り付けることで、手投げよりも遠くに打ち出すことのできる
ポピュラーな火器です。
 
こうして拝受した資料が我が家に数多く眠っているのですが
なかなか整理できず追いつかない状況にあります。
 
この書類の残された少尉さんは兵隊叩き上げの少尉でした。
現在でいうところのベテランの中間管理職であります。
火器の扱いはもちろん、
飯の炊き方から、洗濯の仕方、新兵の教育方法など
多岐に渡りマニュアルがあります。
陸軍の小隊単位での運用方法が実に細部まで書かれていて、
時間をかけて研究したら、斬新かつ、素晴らしいものができそうです。
私は今のところ、手一杯ですので、
研究したい方がいましたらぜひお問い合わせください。

2017年10月 4日 (水)

パラオ・ゼロファイタープロジェクト

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久しぶりに訪れたペリリュー島では、島中に、水色の自転車が
行きわたっていました。
それに跨ってやってきた島民の小さな女の子が
ニコニコしながら、こう言うんです。
 
『チャイナ・バイシクル!チャイナ・バイシクル!』
 
中国から貰ったんだそうです。
もとより、中国とパラオは国交がありません。
パラオは台湾(中華民国)を国家と認めているため
中国とは絶縁状態です。しかしながら、経済の力は大きく
中国は金の力でパラオに進出しつつあります。
そしてパラオの広大な領海に侵入し密漁を繰り返しております。
沿岸警備隊のないパラオ政府はこれに対抗できる術はなく
死者が出たことは以前にも述べた通りです。
 
私は、日本として出来ることはないかと考えました。
そうだ、自分のところのTシャツを配ろう。

ペリリュー、アンガウルの子供たちは、想像以上に、貧しい!
服が一枚あれば、しばらくしのぐことができます。
 
最初は日本とパラオの国旗をプリントしたTシャツにしようかと
考案していましたが、定番すぎる。もうひとひねり欲しい。
ただの零戦Tシャツというのも押し付けがましい。
 
そこでこのようなデザインを考案しました。
 
我が国は、支配をしない。我が国と太平洋アジア各国の
歩むべき道は、それぞれの独立と共存共栄。
そこが中国との大きな違いであります。  
二つの国家のシンボルの融合。
極めて扱いが難しいのでありましたが、昭和19年、
多くのパラオ人の協力があって、米軍進攻を阻止し、
本土の防波堤となることができたのだから、これはありだと
私は考えています。パラオ玉砕がもっと早ければ
本土進攻を許し、泥沼の日本本土決戦、
そして北海道と東北地方はソ連軍に分割統治されていたかもしれません。
 
そんなことを考えながら、一晩でこのデザインを描きあげました。
  
1,700円以上の出資でお名前(企業様でしたらロゴマーク等)を
Tシャツに入れさせて頂いております!
どうぞよろしくお願い致します!

2017年10月 3日 (火)

ヤングアニマル

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今週のヤングアニマルをぜひ買ってください。
連載中の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』ですが
いよいよ、物語の核心部分に踏み込みました。
 
ペリリュー戦では民間人の集団疎開に成功し、一人も犠牲者が出ていないと、
インターネット等で美談になっておりますが、私は現地で取材して、
また日本、パラオ双方で直接の証言を聞いて、それは嘘だと
ずっと唱え続けてきました。拙著に記した通りです。
  
「民間人犠牲者の存在に言及されているのは篠原さんの本だけだった」
 
そう言って
武田一義先生から連絡を頂いたのは第三巻が発売されたときのことです。
 
この話に、良いも悪いも無い。
武田一義先生とありのままを描かねばならないと
いうことで意見が一致し、そうした証言を集めてきたわけです。
 
日本が勝手に始めた戦争で
多くのパラオ人に迷惑をかけた、これは事実です。
ペリリューの戦いを、日本人の一方的美談にするなど、
驕りも甚だしいと感じておりました。
我ら誇り高き大和民族の末裔なら、
そうした主張は控えるべきであります。
 
青年誌なので、立ち読みはできません。540円です。
ぜひ、買ってください。収入が武田先生の応援に繋がります。

2017年9月19日 (火)

篠原弘道少尉のお墓

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私は間違っておりました。ノモンハンのエース
篠原弘道少尉のお墓が宇都宮市内に存在することがわかりました。
それを知って早速、篠原少尉のお墓参りに行ってきました。
 
以前、私は篠原少尉のお墓は無いと書きましたが
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2015/03/post-e10c.html
遺族ではない、ある方がお墓を建ててくれていたのです。
  
こうしてお目にかかれるとは
感激感涙であります。
 
当時、国民的英雄だった篠原の戦死の報せが日本中にメディアで伝わり、
普段、停車しない雀宮駅に特急列車が停車しました。
あれから78年、すっかり風化してしまったものと思っていましたが
こんなにも立派なお墓が、ある方によって、残されていました。
 
詳しくは、後ほど記事を加筆修正します。

2017年9月18日 (月)

もうすぐ完成、タイトル募集

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もうすぐ完成する、竹田五郎さんの本です。
 
この物語は、戦時中は勿論、終戦とともに翼を失った旧陸海軍のパイロット達が
焼野原から再起して航空自衛隊を築き上げる記録であります。
 
記述は支那事変までさかのぼり、
桂林爆撃と在支米軍フライングタイガースとの空戦、
トーキョーローズ追撃、高度1万メートルB-29邀撃戦、飛燕戦闘機隊の戦友の思い出
震天制空隊、喜界島上空迄の特攻機掩護、五式戦対コルセア
 
竹田さんは終戦ともに全てを失い、バラック小屋で寝起きをし、
進駐軍相手に商売をしておりました。元陸軍大尉と雖も、貧困を極め
その日暮らし、もうだめかと思うことが何度もありましたが、
遂に日本空軍復活の報せを聞いて真っ先に手を上げたのでした。
 
航空自衛隊黎明期には
旧陸海軍パイロットが大勢登場します。隼のエース
黒江さん、ブルーインパルスの創設者の長澤さん、月面着陸を見て
月に行きたいと言った稲田さん、ジェット戦闘機の黎明期に殉職された
小林さん、天野さん、指宿さん、中村さん
東京オリンピック、はじめての超音速飛行、米ソ冷戦、国境線での凌ぎ合い
ミグ戦闘機函館へ強行着陸、ベレンコ中尉亡命事件、雫石事故
基地司令官時代、過激派左翼との戦い、統合幕僚長時代、
などなど、
 
ほとんど取材が終わっていて、いま最後の文章をまとめる作業なのですが・・・
仕事と同時並行なので、なかなか進まず、それでもなんとか
飛燕復活の来年3月には発売したいと考えています。
 
肝心のタイトルが思いつかないので募集します。
こちらにアップしたビジュアルと「蒼穹の燕」は仮のものです。
 
「永遠のゼロ」「君の名は」的なシンプルかつ
ヒットが見込まれそうな文言を、ぜひお願い致します。
よろしくお願い致します。
 
 
現在までにお寄せ頂いた候補
 
『敗者の空』トボトボ機械様
『蒼空の防人』ふらんか~様
『テイクオフ』ふらんか~様
『暁への離陸』T.K様
『碧空』siesta(シエスタ)様
『折れない翼』神長勇次郎様
『銀翼の足跡』金澤様
『荒鷲からイーグルへ』金澤様
『蒼い空 守る翼 はばたく想い』トシ様
  
ありがとうございます。
まだまだ募集中であります。

新元号に関して

降っては沸くグッドアイデアに押し
つぶされそうな今日この頃であります。
やりたいことは山ほどあるのですが、
形にする金が無い!万年モットーです。
 
さてさて、
2019年から元号が変わるのはご承知の通りと思います。
カレンダー業者さんは
 
「早く元号を発表してくれないと印刷できない!」
と怒ってますが・・・
 
我がアトリエでも、年度カレンダーというのを作成中です。
平成30年4月はじまり、元号が変わりXX元年3月終わりなので
どのように記載しようか迷ったのですが、ここはあえて、糸川博士から
教わった逆転の発想。空欄にしておけばいいのです。
 
結論!各々、書けばいいじゃない。
 
手書きすれば、漢字も覚えるし、元号が変わったと実感できるし
節目の年が、記憶にも残る。いいことばかりです。デメリットなんてひとつもない。

2017年9月17日 (日)

零戦スケールモデル比較図

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スケールモデル比較写真を作成しました。
  
1/18 エリートフォース製
1/32 ハセガワ製新金型零戦52型丙
1/48 零戦52型261空仕様
1/72 零戦52型谷水機
1/100 童友社翼シリーズ(
1/144 ウイングクラブコレクション赤松機
 
モデル/みけくん
撮影/Y.NAMIKI
企画/空のカケラ

蒼空はるか新デザイン

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蒼空はるか、新しいイラストです。

2017年9月12日 (火)

航空母艦デッキクルー整備小隊つなぎ

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空母のデッキクルー風つなぎ服デザインの草案であります。
毎日の仕事をちょっとだけ楽しく。
 
機体シルエットを21型に変更して「赤城」や「加賀」も作成予定です。
海軍の整備兵のように白色のほうが、リアル感が出るかな?
などなど色々考えています。
ぜひご意見をお寄せください。

2017年9月 5日 (火)

T-6 テキサン

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所沢航空発祥記念館常設展示の
ノースアメリカンT-6テキサン練習機。
航空自衛隊の練習機として使用されました。  
先日撮影してきました。名機です。 
 
映画『トラ!トラ!トラ!』では 
このT-6テキサン練習機を零戦そっくりに改造したレプリカ機で
撮影がされました。
 
アメリカ本土では現在も飛行可能でありまして
そのレプリカ零戦が、航空ショーに登場します。
 
航空ショーは毎度、ちょっとしたお芝居というか、
シナリオが用意されていて、お客さんはこれを楽しみにしています。
 
最初に悪役である日本の零戦が奇襲攻撃をかけます。そこへ
正義のアメリカ軍の飛行機(P-51やF4Uなど)が駆けつけて
全て撃ち落して(この場合、零戦が煙を吐くという演出がされます。下の画像参照)
めでたしめでたし、といったストーリー構成となっています。
 
日本の水戸黄門とか暴れん坊将軍と同じ、毎度おなじみの展開です。
黄門様が斬られることが絶対ないのと同様に、零戦が勝つことは絶対に無いので
アメリカの方々は安心してご覧頂ける内容となっております。
 
零戦は悪役ではありますが、アメリカの方々は、胴体に描かれた日の丸には 
最大限に敬意を払ってくれています。あくまでショーなのです。
 
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九九式艦上爆撃機江草隆繁少佐機02

Copyright Raimundo79 / Shutterstock.com

2017年8月28日 (月)

奥只見の歴史を巡る

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▲鱒沢林道(福島県南会津群旧舘岩村)
 
栃木県から福島県へ。
日光市湯西川からダート(砂利道)15km。
栃木県側は安ケ森林道、海抜1,000メートルの峠を越えると
福島県に入り鱒沢林道と呼び名が変わります。
 
大雨の際などは土砂崩れが多く、荒れるのでので
出来れば四輪駆動車で。携帯電話は圏外。GPSがあると良いです。

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▲国道352号線を桧枝岐村方面へ。(ドライブレコーダーの画面を切り取り)
山の天気は変わりやすい。桧枝岐村方面へ国道を走ります。
 

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▲南会津最後の給油所。ここから桧枝岐村までガソリンスタンドはありません。
 

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▲目を引く看板。国道289号線沿いにあります。
 

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▲大桃の舞台(南会津町)
 
大桃の舞台。南会津町。
駒獄神社の境内にあります大桃の舞台は
江戸時代、幕府の直轄地(天領)であった頃
農民歌舞伎が行われていた舞台です。
地域毎に歌舞伎一座を持ち、それぞれが技や衣装を
競い合っていました。大桃の舞台は兜造りと呼ばれる茅葺屋根であります。
地芝居として行われたのは明治40年に上演されたのが最後で
現在では年に一度、8月に大桃の夢舞台が開かれています。
https://youtu.be/-mlb7kL2bXc
 
この舞台は一度火災で焼失したのちの、明治28年の再建であります。
見学は自由。無料です。
 

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▲桧枝岐村から魚沼市へ抜ける国道352号線(樹海ライン)を行く。
1時間以上対向車なし。携帯電話は圏外。GPSがあると便利です。
 

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▲山を縫って行く。
  

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▲「洗い越し」と呼ばれる、道路の構造です。
沢の水を直接道路の上を通すようになっています。
交通量が多い道路でしたら橋をかけるのでしょうけれど、
自然保護とコストの面から、このような構造になっていて
樹海ラインにはこの「洗い越し」が20-30個所あります。
降水量が規定値に達すると通行止めとなります。
 
清らかな雪解け水は長い時間をかけて下流まで
流れていきます。開けた窓から聞こえるせせらぎ気持ちが良いです。 
  
グミ沢トンネルを抜けます。グミ沢って名前が可愛い。
トンネル内に照明はありません。
 

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▲奥只見湖と残雪を望みます。
 

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ガードレールはありません。運転に注意。
よく見ると湖畔に道があります。これからあそこまで降りていきます。

 

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▲銀山鉱跡。
 
樹海ラインの途中、銀山跡と供養塔が残されています。
 
大福銀山跡(新潟県魚沼市)
 
寛永18年(1641年)折立村のお百姓だった源蔵さんという人が
只見川(赤ノ川)へ鱒漁に行きました。
そのとき音無せ淵付近の崖で、光る石を見つけました。
この石を大沢村の鍛冶藤右衛門(かじとうえもん)さんに
精錬してもらっところ、銀であることがわかりました。
 
二人はこの出来事を、越後の高田藩に報告しました。
高田藩は幕府に報告すると同時に、試掘を行い
沢山の銀鉱石があることがわかりました。
これを機に幕府から本格的に採掘の命令が下るのでした。
 
ところが、これを知った会津藩は
「そこは会津の領地だから採掘をやめよ」
と強硬に言ってきたのです。
 
国境線は枝折峠だと主張する会津側の主張と、
只見川の流心と主張する越後側の争いは
幕府の裁定に委ねられ、4年後に越後側の全面勝訴となりました。
 
明暦3年(1657年)越後高田藩は
山の神様「十二山神社」を祀って、最大なお山始め(現在の起工式)
を行い、この山を大福銀山と名付け、本格的採掘を開始しました。
 
元禄二年(1689年)銀山は幕府の直営となり
鉱夫数千人とその家族で賑わう最盛期を迎えました。
 
寛永3年(1706年)
銀鉱石を掘りつくしたと判断した幕府は鉱山を閉鎖しました。
 
以来、ふたたび大自然に戻り、眠っていた銀山でしたが
幕末の嘉永3年(1850年)今度は、鉛の採掘が
始まり、槌音(つちおと)が鳴り響きました。
 
断続的ながら、200年以上続いた
銀山は、今は奥只見ダムの完成と共に湖底深くに沈み
今は見ることができるのは一部のみです。
さて、この供養塔の由来ですが 
 
野州は佐野天明町(栃木県佐野市)の鋳物師兼鉱山師だった
正田利右衛門は、安政3年(1856年)
銀山の安泰と、犠牲者の冥福を祈るため、そして銀山発見者の
源蔵さんの子孫となる星源蔵(ほしげんぞう/襲名)を世話人として
買石原というという場所にこの供養塔を建立しました。
供養塔の周囲には数十の墓石が建てられました。
この供養塔とお墓は、ダムに水没する前、移設されました。 
 
買石原は水没しましたが、この場所は
買石原を見下ろす地点にあります。
 
今は再び、自然に戻り静かとなった銀山跡は、
樹海ラインの途中に残されて、このお話を
利右衛門の末裔である
遠藤康次という人が記録していたので、ここに
史跡として大切に残されています。
 
なんだか、もっともらしく書いていますが
説明書きの看板があったので、文言をやさしくして
少しだけ調べて書いただけです。
 

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▲銀山平へ到着。
 
福島県側からの観光客は皆無で
ほとんどが新潟県側からの車です。
 

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▲銀山平の尾瀬三郎房利の像
銀山平には尾瀬三郎房利の像があります。
 
銀山平の尾瀬三郎房利の像
 
尾瀬三郎房利(おぜさぶろうふさとし)
いまから遡る事およそ800年前、
長寛年間(1163-1165年)
平清盛が急激に頭角を表し、藤原氏や院政(天皇)に迫りつつありました。
 
第78代二条天皇の時代、左大臣藤原経房の次男、尾瀬三郎藤原房利は
時の美しい妃に深い思いを寄せていました。病を繰り返していた
二条天皇は在位6年、わずか22歳で崩御しましたが
残された若き妃は、才色優れ、美しく、宮廷の内外問わず、例を見ないほどでした。
 
(二条天皇と藤原経房の年齢から算出して
次男尾瀬三郎房利が天皇の后と恋仲になるのは
無理があるので創作と思われます)
 
尾瀬三郎は絵もよくたしなんだと伝わっています。
ある日、妃の絵を描き、見つめていると、絵筆の先から
胸のあたりにポタリと滴が落ちてしまいました。
 
同じく妃に恋をしていた平清盛は
「ここにほくろがあることまで知っていたとは!」と、言いがかりをつけ
尾瀬三郎房利を越後へ追い払ってしまいました。
 
恋仇清盛に敗れた尾瀬三郎房利が京を去る際、妃に
虚空蔵菩薩の尊像をたまわります。尾瀬三郎房利は
この像を片時も離しませんでした。
 
尾瀬三郎房利は侍従とともに越後へと行くのですが、
そこへ至る山の険しさに、尾瀬三郎房利自ら
枝を折って先へ進んだという説、子供たちがあらわれて
枝を折りながら、道案内をした説などがあり、この辺りの
枝折峠(枝折村)という呼び名が名付けられたと伝わります。
 
そして、ここ銀山平を本拠として、
藤原家再興すべく、戦に備えていましたが
ついには、この地で力尽き、尾瀬家は滅亡しました。
妃よりたまわった虚空蔵菩薩の尊像は本尊となって、
その本尊の化身は、牛に乗って川を下りましたが、
浪拝の岩場(なみおがみのいわば)で牛は無念にも
最期をとげました。この場所を牛淵と呼びます。
 
本尊の化身はしばらくの間、この岩壁で休んでおりましたが
さらに下って、北之岐川との合流点に達したとき、蛇を呼び
今度はその蛇に乗って川を下りましたが、両岸はうっそうとした
断崖迫り、昼でも暗く、見るものとては「ただ、ただ川ばかり」
ゆえに只見川「ただみがわ」と呼ばれるに至ったというお話しです。
 
化身はさらに下って、会津柳津にとどまると
後に祀られて、柳津虚空威尊(ふくまんこくぞうそん)となりました。
福満虚空蔵尊圓蔵寺。福島県柳津町にあるお寺です。
 
尾瀬三郎房利の石像が建てられたのが昭和40年のことで
この地域の人々に親しまれています。
  
※魚沼市公式ページの見解の文言を私的見解で極力現代風に直したもの。
 
  

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▲シルバーライン銀山平入口
 
シルバーラインを経て奥只見ダムへ行きます。
ダムまでは10km以上のトンネルです。二輪車は通行禁止。
 

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▲奥只見ダム 
 
シルバーラインの長い長いトンネルを抜けると
奥只見ダムです。
 
奥只見ダムは福島県南会津郡檜枝岐村と新潟県魚沼市に跨る
重力式コンクリートダムであります。
水力発電所としての発電量は日本第一位!
 
少し横道に逸れますが
ダムの役割と水力発電の位置付けについて書かせて下さい。 
 
我が国の主な電力エネルギーは
原子力・火力・水力の三つから成ります。
水力発電は電力のベストミックスに寄与しています。
 
電気は貯めておくことができません。そこでまず、
最もパワーのある原子力発電がベース電源といって
一番たくさんの電気を作ります。原子力発電はパワーに優れた反面
最大のデメリットがあります。出力の微調整がきかないことです。
そこで、昼夜共に同じパワーで発電し、
 
微調整を火力発電所が担当します。
我が国の火力発電所は最も発電効率が良く
最も少ない燃料で最もたくさんの電気を作り出すことができます。
火力発電はボイラーですので調整がききます。
 
それでも貯めておくことのできない電気
暑い日、寒い日があります。電力の使用量が
急に増えたり減ったりすると、停電の恐れが発生します。
これが電力の最も困難な課題であります。
 
福島の原発事故が発生する前のデータですが、我が国における
電源安定供給率が出ています。それぞれのご家庭において、
一年間で停電する平均時間は11分でした。
こんな国は世界中どこを探してもありません。
 
水力発電所は、簡単に言えば高いところから水を落下させて
その水流で歯車を回して発電するのですが・・・
それだけなら、火力発電で間に合っています。
なぜ水力発電が必要か、それは、楊水力による還元が可能だからです。
 
夜間、原子力発電所が作ったたくさんの電気、夜間はみんな寝ていますから
電気が余ってしまいます。そこで
その余った電気で水力発電所のポンプをフル稼働させて下流の水を
吸い上げています。その吸い上げた水を、昼間のピーク時に
一気に放流して、電気を作る仕組みです。
貯めておくことは出来ないけれど、こうして保持・調整することができる。
それが水力発電所が必要な理由であります。
 
原子力・火力・水力を組み合わせたもっとも
効率の良い発電、これをベストミックスと呼びます。
 

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送電施設です。
 

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魚沼市まで下ってきました。
ピッカリヒッカリコシヒカリ
これが魚沼産のコシヒカリであります。
黄金色の稲穂は富の象徴ですね。
  

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▲冬に備える除雪車
  
新潟県は日本屈指の豪雪地帯です。
特に山間部の冬は厳しいものです。
 
日本列島改造論で有名な越後出身の総理大臣  
田中角栄は次のような有名な言葉を残しています。
 
「岡山出身の君にとって、雪はロマンの対象だよな。
川端康成の雪国のように、あくまで叙情的な世界だよ。
だけど、俺にとって雪は生活との戦いなんだよ。
一極集中を排除しなけらばいかんと言っている発想の
原点は雪との戦いなんだ。君が雪をロマンの対象と
見ている限りは俺とは本質的に違うな」
 
鈍色の空のもと、田中は演説を始める。
 
「幸薄かった新潟の皆さん!
新潟と東京を隔てる山々を崩しましょう!そうすれば
新潟に雪は降らなくなり、乾いた空気が通るでしょう。
なに、心配はいりません。その工事で出た土砂を
日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればいいんです」
 
田中は公約通り、谷川岳を貫通する関越トンネルを掘削し、
東京と新潟へのアクセスを改善。青函トンネルが完成するまでは
世界一の長さを誇るトンネルでした。鉄道では
上越新幹線が開通します。
 

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▲国道252号線は六十里越え
 
新潟県魚沼市から只見、会津若松へ至る国道252線
六十里越え(ろくじゅうりごえ)の峠です。
 
 

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▲スノーシェッド
  
スノーシェッドは断崖に沿って走る道路に多数みられる建築物で、
土砂崩れや雪崩を予防し、除雪の手間を省く役割があります。
 

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▲昆虫採集に関する注意喚起
 
昆虫捕獲に関する注意喚起。
ライトトラップとは光りに集まる虫の習性を利用した捕獲方法で
強力なライトで白い幕を照らし、クワガタ虫などの飛来を促すものです。
 
各々、趣味で採取するならよかったのですが、
最近はペット業者のクワガタ乱獲が甚だしく、こうした問題になっています。
黒いダイヤと呼ばれておりまして、大きいものなどは数十万円の値段がつきます。
困ったものです。

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こちらはルールに乗っ取って採取した会津産ミヤマクワガタくん。
 
標高の高い、深い森に生息することから、漢字では「深山クワガタ」と書きます。
ミヤマくんは、摂氏25度以下でした生きられないため、お家で飼育する場合、
室内で冷房つけっぱなしが基本です。
ノコギリクワガタは30度でも平気ですけれど。
    

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Imgp1857 
▲田子倉ダム
 
マタギの集落が沈む田子倉ダム
 
福島県南会津群只見町の田子倉ダムです。重力式コンクリートダムで
その規模を示す単位を、堤体積(ていたいせき)と呼びますが
水を堰き止めるために積み上げられたセメントの量は
セメント袋に換算して積み上げた場合、富士山の311倍の高さになります。
このように、見えているコンクリートは氷山の一角です。
 
ダムは同時に水力発電所でもあります。
こちらの田子倉ダムの田子倉水力発電所は
日本第二位の水力発電所です。
 
湖底にはマタギ(狩人)の集落が沈んでいます。
 
田子倉ダムは
終戦から4年後の昭和24年、地質調査が開始されましたが
湖底に沈む住民との補償問題で長期化しました。
完成したのは着手から11年後の昭和35年でした。
この間に起こったダム建設関係者と住民と争い、そして人間模様を描いた小説、
『無名碑』曽野綾子著、『黄金峡』城山三郎著などがあります。
 
千葉県の国立民俗博物館では田子倉ダムに水没する前の村の
ジオラマを見ることが出来ます。
 
多大なる犠牲を払ったダム建設でしたが、
国鉄只見線と国道252号線の開通にも大きく寄与しました。
国鉄只見線は乗降客数の少ないローカル路線ですが
国土の重要拠点を貫く最重要インフラとして
災害、有事の際、大きな役割を果たすことになります。
 
国道252号線は六十里越え(ろくじゅうりごえ)と呼ばれる峠は
新潟と会津若松を結ぶ唯一の道路であります。

 

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瀧神社
水の神様・瀬織津姫を祀った只見川流域安寧祈願の神社

 
只見駅を降りてすぐ裏手ありますのが瀧神社です。
瀧神社は新編会津風土記によると治承4年(280年)勧請とあります
ご神体は金幣であるといわれております。
 
只見川は古来から暴れ川で氾濫によって毎年のように
住民を苦しませてきました。
 
享保年間(1716-1738年)も洪水に悩まされ
当時唯見村熊野神社の神職であった
赤塚伊勢伊直は、只見川の鎮撫を祈願してきましたが
熊野の祭神スサノオは戦神のためか
水害に効き目なく、遂に上の原の地(現在の只見駅前付近)に
瀧神社を建立しました。
 
瀧神社には水神であります瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)を祀って
荒れ狂う只見川を鎮めて村民の安穏を願ったのでありました。
 
明治30年に只見駅前辺りから現在の場所に
100メートルほど移築され、鳥居は大きさこそ違いますが、
両部鳥居といって厳島神社と同様の形であります。
 
社殿には、巧な彫り物がされております。
地方の神社でこれほどまで彫り物が多い神社は非常に珍しく
貴重なものです。
 

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▲廿三夜の月待ち塔。
  
月待塔(つきまちとう)
神社裏に廿三夜(にじゅうさんや)の月待塔。
月待塔とは、主に文化・文政時代に流行した
月待行事の名残です。月待行事とは特定の月齢の夜
村の仲間が集う行事です。月待信仰とも呼びますが
そうしてお月様を拝んで、村の安寧を願ったり、
月の下で宴を催したりして過ごしました。
 
廿三(二十三夜)は明け方にのぼる月です。
二十二夜は女性だけの集いで、二十三夜は男性だけの集まりとされる
など、地域によって違いますが、月齢で異なりました。
 
この月待塔は大きく、文字も迫力があります。これは初めて見ました。
とてもとても珍しいものです。これが京都など都市にあるなら
たちまち柵で囲まれてしまうでしょうけれど、地方には
こうして手付かずで残っているんですね。感激です。
ずっと、この綺麗な状態のまま後世まで残りますように。 
 

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▲只見線橋梁
 
鉄道ファンに人気の只見線会津塩沢駅付近の橋梁。
左のお山は戸屋山です。 
 

Akabe

▲『あかべえ』は福島県の赤ベコをベースとした町おこしキャラクターです。
可愛いです。ゆるキャラグランプリにもエントリーしています。
 
福島県には美しい自然に歴史に、魅力がいっぱい。
 
頑張っぺ!福島!
   

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福島の旅は続きます

2017年8月26日 (土)

「飛燕」パイロット×現役空自戦闘機パイロット対談

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竹田五郎氏(元統合幕僚議長・飛燕パイロット)と
航空自衛隊で現役戦闘機パイロットの玉川氏で
対談企画を実施しました。
 
玉川氏は、航空自衛隊の戦闘機で20年間も日本の防空の最前線におられた
大ベテランであります。
 
一般人の方は、三次元の空間を充分に理解せずに飛行機を語りがちです。
私もそうした描写において、竹田氏からも、随分とご指導を頂きました。
 
パイロット視点でインタビューして頂くことで、
一気に立体感と臨場感が増したと感じました。
こちらの内容も少しずつ、書かせて頂きます。
 
それにしましても、ここに居てパイロット経験がないのは私だけです。
一度、自分の操縦で大空を飛んでみたいと、切に願う今日この頃です。

The Paradise of Phantoms 百里基地 F-4 & RF-4 3飛行隊

 
先日、ご一緒した航空自衛隊戦闘機パイロットの方が
この 動画の中で飛んでいます。綺麗な動画です。
撮ってくださった人、ありがとうございます。
百里基地のフェンス越しには、すごい望遠レンズを持っている人が
たくさん居て、その様子はコクピットからも目立つのだとか。
 
F-4(あるいはRF-4)戦闘機はフラップの反応が神経質で
低速域ではほとんど反応しないのが、高速になると突然暴れ出すそうです。
だからF-4は、F-15やF-2と比べたらとても重く操縦が難しい戦闘機。
航空自衛隊のパイロットは老練の技術を持っています。

武田一義先生と意見交換

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漫画家の武田一義先生と意見交換を実施しました。
 
武田先生はヤングアニマルで大人気連載中であります
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者です。
 
先生は漫画を通して、ペリリュー戦という戦争が
どうしたら読者に伝わるか。
そして、描くならばありのままを、真実に近いものをと、
意見が一致したところであります。
今回、お話しした内容は誌面に反映していきたいと
話されておりました。
 
いよいよ、物語はいよいよ玉砕というところになってきました。
今後展開される最終局面に驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが
私はとても期待しております。
 
28日に発売になったばかりの単行本三巻より
少しだけ紹介させて頂きます。 
 
「幼き頃より覚悟ある武人の死は美しいものだと
思っていた。だが今、間近に来て知る死というものは
実に汚らしく、おぞましく、無残な悪臭を放つ
ならば、言葉だけは美しくーーーー」
 
ありのままを大切になさるお気持ちを
一番に私も取材協力して参ります。
   
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
ヤングアニマルで連載集&単行本全三巻、全国書店にて販売中。

武田一義公式ページ 
http://144takeda.blog.fc2.com/

公式ツイッター
https://twitter.com/144takeda
 
 
なお、筑波海軍航空隊記念館では
現在、武田一義先生の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
原画展を開催しております。
  
また、茨城県各地で『追憶』の映画上映を行っております。
こちらの映画は私も製作に携わりました。ぜひご覧ください。
 
筑波海軍航空隊記念館公式ページ
http://www.p-ibaraki.com/tsukuba
 
『追憶』茨城県内縦断上映会
7月28日(金)
茨城県県民文化センター小ホール
10時30分、14時00分、19時00分の三回上映。
14時と19時の回終了後には武田先生のトークセッションあり。
 
8月26日(日)
常陸大宮市ロゼホール
13時30分
 
9月9日(土)
大子町まいんホール
10時30分、14時00分、19時00分の三回上映。
 
8月1日(火)~連日
笠間市地域交流センターともべ
10時00分、13時00分、16時00分、19時00分
 
最新情報は主催者発表のものと照合ください。
以上、よろしくお願い致します。

映画『追憶』上映後トークショー

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8月5日、映画『追憶』と『ペリリュー 楽園のゲルニカ』
コラボ企画としまして
 
笠間市地域交流センターともべ「トモア」にて
水戸二連隊ペリリュー島慰霊会事務局長影山氏とともに
トークショーを行いました。
 
ペリリュー戦の経緯、映画の補足、戦後の取り組み等につきまして
お話しさせて頂きました。
 
本来であれば、ペリリュー戦生還者の永井啓司さんがお話しする
予定でありましたが、体調のご都合によりお休み。永井さんの
ピンチヒッターを努めた次第であります。
 
質疑応答のコーナーでは
ご遺族や興味を持ってお越し下さった方々の質問に
お答えしました。
 
ペリリューの戦いをはじめとした戦争の記録を
お伝えするために、こうした取り組みを「わかりやすく」をモットーに
今後とも続けて参ります。
 
お越し下さった方々、また関心を持って下さった方へ
心よりお礼申し上げます。

2017年8月25日 (金)

御巣鷹の尾根へ

日本航空123便の墜落事故から32年目の夏、そして33回忌となる今年8月12日、
御巣鷹の尾根へ慰霊登山へ参りました。
当時、私は2歳でしたが、ブラウン管に写る光景が忘れられません。
既にカラーテレビでしたが、事故現場を映した画面はモノクロのような、殺風景で、
ジャンボジェット機の大きなギア(車輪)が逆さまになって転がっていました。
隣で一緒にテレビを見ていた父が「飛行機が墜落したんだよ」と教えてくれました。
 
御巣鷹の尾根へ慰霊へ行く際に感じたことと、その記録を記します。 

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Photo

御巣鷹へのアクセス
御巣鷹の尾根へのアクセス(行き方)は交通手段が乏しいので
ほとんどの場合、車を使います。
 
一応、最寄りの駅は群馬県側は、上信電鉄下仁田駅。
埼玉県からのアクセスであれば秩父鉄道秩父駅ですが
駅レンタカーはありません。レンタカー利用の際は高崎駅あたりで借りる
必要があります。
 
最寄りのインターチェンジは上信越道下仁田・南牧IC。
インターを降りてから、下仁田の市街地を経て、
上野村の中心地までがおよそ1時間。
上野村の中心地に追悼施設「慰霊の園」があります。
ここには事故で最後まで身元が不明だった方々のご遺骨を納めており
追悼式もここで開催されます。御巣鷹の尾根まで登ることができない
方々は、こちらで献花します。
 
上野村の中心地を走る国道299号から県道124号線に入り、
およそ3キロ。御巣鷹の尾根への分岐道路が見えてきます。
 

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▲ここを曲がります。

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御巣鷹の尾根への道は、ナンバリングされておりません。
ここから先は、上野ダム管理用の林道で道幅は狭くなっています。
 
ここから先は携帯電話は圏外となるので、注意です。
なるべくコンパクトな自動車で行った方が良いのですが
  
見通しの悪いカーブの先から
報道関係者の大型バンが猛スピードで突っ込んでくるので
正面衝突にならないよう注意します。

Dscn0033 
▲A地点。
 
登山口まで舗装道路が続いていますが、8月13日は遺族の登山者と
報道関係者の車が多いため、行けるのはここまでです。
「ご遺族以外の駐車はご遠慮ください」と注意書きがあります。
我々は、ここに駐車して、登山口までの3.4キロを歩くことにします。

Dscn0036 
▲B地点。旧登山口。観
さきほどのA地点から歩いて2キロほどで
旧登山口駐車場に到着する。音菩薩像とトイレがあります。
昔は、ここが登山口で、ここで自動車を降りて御巣鷹の尾根の昇魂碑まで
は2キロ以上を歩かねばなりませんでした。
 
現在はもう少し先まで舗装道路が延伸されています。
この駐車場も8月13日は、遺族と報道関係者専用となります。
 
アスファルトの道を、さらに先へ歩きます。

Dscn0138 
みかえり峠を通過します。遺族が慰霊登山を終えて、下山する際、
この峠を境に御巣鷹の尾根が見えなくなります。ここで
後ろを振り返って「また来年も来るからね」と山を拝む場所です。
旧登山道がそのまま保存してあります。

Dscn0137 
登山口駐車場に到着。ここも当然遺族と報道関係者専用ですが
8月13日以外の日であれば、空いていると思います。
 
ここから先が御巣鷹の尾根への登山道となります。
昇魂碑までの全行程は距離800メートル。高低差は180メートル。
簡単そうに思えますが、お亡くなりになった方々の
お墓は昇魂碑よりさらに上に多くあり、できるだけ多くのお墓に
手を合わせることを考えると距離はずっと伸びます。
余裕を持った登山計画を実施する必要があります。
 

Dscn0038 
ここが登山口です。
 

Dscn0042

杖を貸してくれます。一人一本。借りたら返します。

Dscn0046 
カウンターが設置されているのでこれを、一人一回押します。
 

Dscn0049 
前を行くのはナビゲーターのK氏です。
御巣鷹の尾根と123便の事故に詳しく今回、案内して頂きます。
 

Dscn0050 
登山道はよく整備されていて歩きやすいのですが
山は山です。特に雨天時はよく滑ります。
 
昨年には、登山道の整備中だった日本航空社員が
滑落事故を起こし、亡くなっています。
事故当時も遺族の対応にあたり、ずっと御巣鷹の尾根を
整備し、慰霊に身を捧げていた方でした。残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。

Dscn0052 
さっきお借りした杖で熊よけの鐘を鳴らしながら進みます。
 

Dscn0056 
前を歩いていたグループがぬかるみに足を取られて
転倒し、腰を強打していました。
一歩、一歩、慎重に歩きます。
人間の手と足はそれぞれ合わせて4本あるので、
 
そのうち3本が安定した状態で地面を捕えていれば
安全です。動かして良いのは残りの一本だけです。
高所作業の仕事をしていたとき、現場でよく注意されました。

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中間付近。
手すりを使って歩きます。
この手すりは、8月13日を前にボランティアが乾いた雑巾で
丁寧に吹き上げています。

Dscn0060 
山小屋へ到着。山小屋は二カ所あって、
下側の山小屋が遺族専用で、一般の登山者は上側の小屋で
休憩することができます。
 
ここで冷たい麦茶が配られていました。有難く頂戴し喉を潤しました。

Dscn0061 
山小屋を過ぎて間もなく、すげの沢と山頂への分岐点に差し掛かります。
機首が激突したのが山頂、すげの沢は衝撃で居れた機体の一部が
滑落した場所です。すげの沢は比較的原型をとどめたご遺体が多く
生存者4名もここで発見されました。こちらも帰りにお参りすることにして
先ずは山頂を目指します。

Dscn0062 
お墓の目印となる案内板があります。
この辺りから、亡くなった方のお墓が山肌に点在するようになってきます。
お墓はご遺体が発見された場所に基づいて建てられています。
 

Dscn0063 
勾配がきつくなってきます。
既に標高は1,300メートルを越え、目指す昇魂碑は1,359メートル地点です。 

Dscn0064 
山頂までの道が分かれています。急な坂道とゆるやかな道が選べます。
ゆるやかな坂を選ぶと、遠回りとなりますが、歩きやすく無難と思います。

Dscn0065 
さっきまで木洩れ日があったのですが、急にガスが出てきました。
 

Dscn0073 
昇魂碑に到着しました。全てのお墓は
まわりきれないので、ここで520名のお亡くなりになった方の
ご冥福を祈ります。
 
陸上自衛隊の救助ヘリが降りたのも、この辺りです。
少し平坦になっています。
 

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Dscn0068

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山は涼しいです。この日は摂氏20度。
 

Dscn0078 
昇魂碑より、さらに登って行きます。
ここには遺品が埋葬されています。
黒澤丈夫さんは事故当時、上野村の村長さんで
現場を指揮し、救助と遺体収容に最も尽力された中のお一人です。
黒澤村長は元海軍少佐で実戦経験豊富なゼロ戦パイロットでした。
 
現場でご遺体の収容に尽力された
陸上自衛隊隊員も、この時代には
旧陸軍出身で戦場経験のある隊員が居りました。
こうした方々は、惨状にも動じず、着実に遺体を収容し
若い隊員が食事が喉を通らない中、
黙々と飯を食べたと記録が残っています。 

Dscn0080 
御巣鷹茜観音と、亡くなられた方々のお名前が刻まれた石碑です。

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こちらの中には亡くなった方の、遺品、そして数多くのお写真が置かれています。
小さい子供さんの写真などは、本当に辛いものがあります。 
 
さらに上を目指します。
 

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斜面を踏み外さないよう、歩きます。
亡くなった方のお墓が続きますが、多くは急斜面にあり
前を通りがかった折には必ず立ち止まって合掌を致しますが
全員の方は不可能です。せめて前を通った方だけでも。

Dscn0087

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ガスが濃くなってきました。出来るだけ多くの方のお墓に手を合わせたいのですが
安全が優先です。
 

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事故の衝撃でなぎ倒された大木と、その後植林された若い樹木です。
 

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こちらも、前を失礼致します。
さらに上に登っていきます。
 

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「沈黙の木」事故の炎で黒く焼け焦げた気がそのまま残っています。
山頂付近。なお、ここは御巣鷹の尾根ですが
便宜上、昇魂碑の場所と、機首の激突した近辺を
山頂と呼ぶことにします。
 

Dscn0100

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この辺りは、ジャンボジェット機の機首の方に乗っていた方のお墓です。

Dscn0103 

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根元から折れた大木を何度も見ます。
 

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バツ地点。当時、捜索救助の起点として書かれたバツ印が残っています。
 

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高濱雅己機長、佐々木祐副機長、福田博航空機関士、三名の
ご遺体発見場所。
 
高濱機長のご遺体は顎の骨が見つかっただけだそうです。
 
高濱機長は海上自衛隊出身のベテランパイロットで
日本航空入社前は海上自衛隊のYS-11を操縦していました。
 
全ての油圧系統が失われたとなったボーイング747型機は 
アンコントローラブル(操縦不能)を宣言しました。
「油圧系統オールロス」すなわち尾翼のフラップ操作が
不能となれば、上昇、下降は出来ません。
このような前例はありませんでした。
 
そこで高濱機長と佐々木副機長は、エンジンの推力コントロールのみによって
上昇、下降(失速)操作を試みました。
ジェットエンジンは馬力はありますが、プロペラ機と違い、レスポンスが悪く
自転車で例えるなら、一番重いギアでゆっくりゆっくり増速するような
例えをすれば良いでしょうか。目の前に山があっても、それを飛び越える為に
スロットル全開にしても、それが反映されるのは長い時間の後です。
大型機なら尚更です。
 
失ったフラップの代わりにギアダウン(格納した車輪を出す)
して、フラップの代わりにしよう、という手段を思いついたのが
福田博航空機関士でした。
この様子、ボイスレコーダーにも残っています。
 
「あのー、ギアダウンしたらどうでしょうか?」
  
高濱機長の言葉は
「もうだめかもわからんね」と「どーんというこや」という二つだけが
切り取られ、報道されたので、大きく責任を問われました。
ところが、ボイスレコーダーの全編を聞いてみると、
油圧系統オールロスで32分間機体を操り、最後まで諦めなかったことが
理解できます。
 
高濱機長は最後の瞬間まで冷静で
乗客の命を救う事を考えていました。
 

Dscn0114

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美谷島健くんのお墓。
当時9歳。PL学園の試合を観戦に、一人で東京から甲子園に行く予定で
飛行機に乗っておりました。ご遺体は足だけが見つかりました。
本によっては靴だけと書いてあります。
(K氏が素通りしているような写真に見えますが、拝んだ後です)
 
事故後、絶望しかない遺族の中で、
もっとも最初に立ちあがったのが健くんのお母様でした。
残された我々は、生きて前を向いて歩いて行かなければならない、と
8.12連絡会(遺族の会)を結成したのです。健くんのお母様は
それ以来、ずっとこの会の運営を行い
遺族のサポートとケアを続けてきました。
   

Dscn0117 
高濱機長のお墓を頂点として、山頂付近で亡くなった方々のお墓をお参りし
今度は、すげの沢へ降りて行きます。
 

Dscn0131 Dscn0118 
すげの沢分岐点まで戻り、谷底へ下っていきます。
すげの沢は生存者4名の発見された場所です。
 
ジャンボジェット機747型機は巨大です。
機首は岩肌に突っ込むように衝突しましたが
機体後部付近は折れ曲がって分離し、すげの沢に滑落していきました。
 
生存者の証言によれば 
事故直後には4名以外にも、息のある方が居たそうです。
会話をしたり、荒い息をしたりする様子があったということです。
こう言っては誠に申し訳ないのですが、
こちらでは、人間の形をした、ご遺体が多く発見されました。

Dscn0119 
すげの沢の対馬祐三子さんを中心とした3名のスチュワーデスのお墓。
対馬祐三子さんの冷静なオペレーションの様子はボイスレコーダーに残っており、
乗客も比較的大きなパニックを起こすことなかったと、伝え聞いております。
対馬さんは新婚でした。そして当日39度の熱が
ありましたが乗務し、任務を全うして
亡くなりました。

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そろそろ下山しないといけません。

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谷口正勝さんは、
きりもみ状態で降下する飛行機の中で遺書を書いた方です。
谷口さんのことは、ご存知の方も多いと思います。他でも多く
書かれています。
 
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山を下っていきます。
下りには杖が重宝します。有難い。
下りが危ないのです。上りより何倍も慎重に歩きます。
 
以上、御巣鷹の尾根への慰霊登山の平成29年の記録でした。 
 
事故で亡くなった方々にご冥福をお祈り申し上げますとともに
二度とこのような事故が繰り返されないことを、祈願致します。
 
      
免責事項
当記事に記載しました内容は2017年(平成29年)8月時点のものであり
状況は変化します。また、あくまで一個人の記録としてご覧頂き
登山、お参りされる際は各位の責任のもと実施されるようお願い致します。
 
興味本位の陰謀説やオカルトの対象としてのコメントは
控えて頂きますようお願い致します。

湯西川ダム建設中の記録

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▲ダムに沈む予定の旧道(下)と建設された新道(上)

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▲沈下が想定される一帯は樹木を伐採し流木を防ぐ。
 

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▲湯西川ダム本体工事個所。
画面手前が上流(沈む地域)で、奥が下流側になる。
主に首都圏で利用される水になる。
 
この写真はいずれも過去に撮影したもので
現在、全て湯西川ダムの底です。

2017年8月20日 (日)

旧軍から自衛隊へ入隊した場合の階級(資料)

航空自衛隊は航空要員の充足計画として
航空準備室においては昭和29年度航空自衛隊定員6,738名の
充足計画を作成した。警備隊からの転官および一般公募によることとし
その基本計画は次の通り。
 
転官はパイロットの充足に重点を置き
保安隊から幹部650名、陸曹等2,500名、警備隊から
幹部160名、海曹等400名計約3,700名とする。
 
航空準備室では陸海からの転官希望者各個人に
綿密な検討を加え、特に士補等は各職種の定員を充足させることに
主眼をおいて選考を進め、昭和29年6月31日迄には一応の
転官要員3,717名を決定した。
 
陸からの転官については終始順調に進捗し
計画通り行われたが、海からの転官は海上自衛隊自体の
航空要員充足の必要性もあり、計画の約60%に
過ぎなかった。
 
昭和29年度末までの転官状況は次の通り。
保安隊(陸上自衛隊)から
幹部559名、空曹等2,574名、計3,133名
 
警備隊(海上自衛隊)から
幹部85名、空曹等253名、計338名
 
転官者以外に一般公募を行い、幹部570名、
空曹等約2,000名を補充する。
 
隊員の募集は
保安隊が担当し、幹部520名、空曹500名、空士1,500名を
採用することにした。主な募集条件、応募状況は次の通り。
 
一般公務員に準じた資格のほかに次の資格が定められた。
 
◆二佐
国家公務員11級、同相当者、旧軍において概ね
昭和17年12月1日以前の少佐任官者
 
◆三佐
国家公務員10級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の少佐任官者
 
◆一尉
国家公務員9級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年6月10日以前の中尉任官者
 
◆二尉
国家公務員8級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年8月1日以前の少尉任官者
 
◆三尉
国家公務員7級、同相当者、旧軍において概ね
昭和20年7月31日現在の見習士官、準士官
 
◆空曹
短期大学卒業者、旧軍の判任官
 
◆二士
昭和4年10月9日-11年10月1日出生者
 
◆部隊職員
3級-10級
  
出典
自衛隊十年史(1961年)

2017年8月18日 (金)

零式艦上戦闘機デザインデータ集発売

7販売開始しました。ぜんぶで60パターン以上の零戦の
イラストや写真が入っています。デジタルデータ集です。
商用と非商用の二種類があります。
 
中身はこちらです。
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2017/08/post-67ed.html

商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TWFVGP

非商用バージョン購入ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B074TVT9DC

2017年8月11日 (金)

零式艦上戦闘機データ見本

ダウンロード 販売ページ
 
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利用規約
 
【通常ライセンスでご利用頂ける範囲】
〇SNS、ブログ・ウェブサイト素材としての利用
〇動画素材としての利用
〇教育・講演、プレゼンテーション
〇書籍(同人・商用問わず)資料・デザイン・表紙等への利用
〇プロモーション・宣伝・広告・チラシ等の利用
 
【商用ライセンスでご利用頂ける範囲】
●デザインそのものを販売する企画全般
●グッズ製作(例:Tシャツ・マグカップ等)
 
◆その他注意事項
×データの二次配布は一律禁止とさせて頂きます。
 
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コンピュータの環境をご確認の上、ご利用ください。
 
ai型式データ(ベクターデータ)について
動作環境はアドビ社・イラストレータCS4以上推奨です。
ソフトや操作方法についてのサポートは行っておりませんので
ご了承ください。
 
購入はこちらからお願いします。

2017年8月 9日 (水)

疾風うちわ

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Hayate宇都宮限定の疾風うちわです。
護国神社の盆踊りで配布致しました。
涼しく洋上迷彩のお色となっております。

疾風

先日、飛行22戦隊の戦友会(解散しました)を
支えてこられた方とお会いしまして、お話しを伺いました。
飛行22戦隊は4名しか生き残りがいなかったそうです。
菊水のシンボルが有名な戦隊です。
このご縁を機会に、22戦隊も描いています。
 
専門家の方に色を監修してもらっています。
 

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持ち出し用掩体壕

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出前持ちのおかもちをヒントに作成しました。
模型持ち出し用の梱包です。
 
模型作品を家に飾っておくより多くの方に見て頂きたいがモットーです。
講演会などで積極的に持ち出します。 元パイロットの方も模型を
ご覧になると、「懐かしいのう」と、昔の記憶をいろいろ思い出して
くださるのです。二次元のイラストとは雲泥の差があります。
先日お目にかかった大野さんも
「ほとんどこの通りだった」と懐かしそうに仰っておりました。
 
梱包は干渉に気をつけながら、機体そのものは浮かせることで
破損を防ぎます。掩体壕のような形になりました。
現地でそのまま展開し取り出し、収納が可能です。 
 
掩体壕の中身は1/48の彗星。

比叡山延暦寺と桜花発射基地

先日の関西方面旅行で
比叡山延暦寺をお参りしました。
比叡山は仏教天台宗の総本山です。
 
実は延暦寺というお寺そのものはありません。
延暦寺という呼び名は比叡山に並ぶお寺の総称であります。
比叡山は京都府と滋賀県の県境に位置し、琵琶湖を一望、
東塔(とうどう)と、西塔(さいとう)に分かれてお寺が建てられています。
お寺が建つのはいずれも滋賀県側です。 
 
京都市内とは全く雰囲気が違い、ここはとても静か。
観光客は指で数えるほどしかおりませんでした。

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西塔にあります、弁慶のにない堂です。
双子のような造りになっていて、
かの弁慶が双方の屋根にまたがった、という言い伝えが残されております。
 

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苔が神秘的でありました。
 

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こちらは延暦寺のオフィシャルカーです。
消防車も自前でありました。
  
「桜花」発進基地としての比叡山
近現代史では、ここ、比叡山は房総半島とともに、ロケット特攻機
「桜花」の発射カタパルトとレールが配置されました。従来「桜花」は
一式陸攻の腹下に吊り下げて出撃していましたが、終戦間際
比叡山の上に設けたレールから射出する方式に変更したのです。
 
エンジンも従来の火薬ロケットからジェット推進に換装され、
航続距離は大阪湾よりはるか洋上の機動部隊を殲滅(せんめつ)
が可能とされておりました。
 
それらは使われることなく、本土決戦を前に終戦を迎えましたが
元パイロットの方に、当時の訓練の様子をお聞きしておりました。
比叡山を上り下りして、来たるべき決戦に備えていたそうです。
 
桜花の戦跡は撤去され残っておりません。 

蒸気機関車は走る

いよいよ、8月10日、東武日光線でSL「大樹」が走る。
SLが走る路線は全国でも数えるほどしかないので大いに期待歓迎している。
 
数年前、東海地方の市長が
町おこしでSLを復活させる取り組みに着目し
 
「宇宙船が飛ぶ時代、SL(蒸気機関車)を修復するくらい容易い筈だ」
 
と発言し、話題になった。
この発言に対するアンサーは技術的観点からすれば「とんだ見当違い」である。
SLの復活は大変な困難を伴う。
部品の規格が現在と違うし、それを作れる職人がもう居ないので、
少しでも機械をかじったことのある者なら、手間が何重にもなるのは
痛いほど理解できる話だ。
 
市長の発言は、結果的に批判を招いたが 
工業遺産伝承の諸問題を周知出来た、という点では
大きな一歩と感じる。
  
そうして大変な困難を乗り越え復元されたSLは、昨今、子供達や家族連れに大人気で
憧れ、優美さ、ノスタルジーという視点で語られがちだが
一部年配者は顔をしかめ、 
 
「あんなもの復活されても、戦後の貧しく苦しかった思い出しかない」と語る。
 
万人に受け入れらるのものなど存在しない。
 
されど、機械は機械である。
技術者の視点では、機械というものは
常にニュートラルな存在である。ゆえにひたむきになれる存在なのだ。
これを、女性に説明するのは非常に非常に難しい。
 
失われかけた工業遺産を残してゆく。
100年後、200年後においてどう扱われるか、わからないけれど、
ただ、ひたむきに、機械と向き合う人たちがいる。
そうした人たちは市長や妻や年配者の発言にも負けずに
工具を持った手を休めず、きっと、こう言うのだ。
 
「それでいい」と。
 
蒸気機関車は走る。

2017年8月 8日 (火)

ゼロ戦の増槽大研究

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零戦のイラストを全種類描くにあたって
増槽も描いています。
 
増槽(ぞうそう。陸軍名称は落下タンク)
は長距離を飛行する際に取り付ける外部燃料タンクで、
中身が空っぽになったら、切り離し捨ててしまうタンクです。
 
増槽は型式が存在せず、機種によってバラバラなのです。
これだけ零戦がブームなのですが、増槽は
全然研究がされておりません!
専門書などを見ても多くが割愛されております。
 
私も本物をほとんど見たことがありません。増槽だけ展示してあるのは
万世特攻平和祈念館と筑波海軍航空隊記念館くらいでしょうか。
使用後捨ててしまうものですから、残っていないのは仕方ないのかもしれません。
図面も機体の一部としては見なしていないようです。
 
材質・塗装・形状・取り付け場所・支柱、すべてが
年代や機種によって全く、あるいは微妙に異なります。
 
全部は描ききれないので、まず、ゼロ戦に限って描くことにします。
ゼロ戦だけで主に三種類あります。このほかに現場で小加工して取付したり
したケース等、たくさんのパターンがあります。 
 
◆初期型胴体下330リットル(海軍機専用)
もっとも有名なのは真珠湾などで使用した21型の初期型。330リットル。
(彗星艦爆と兼用です。彗星艦爆は翼下に二個装着できます)
支柱にカバーが装着されています。主に52型で見られます。金属製。
 
◆後期型胴体用320リットル(海軍機専用)
次に後期型。形状がかなり細長くなります。主に52型甲以降に見られます。
「雷電」などにも同じものが使われています。
材質は木製に変更され、支柱も剥き出しになっています。
 
◆陸海軍統一型二型落下増槽200リットル×2
翼下に二個取り付けるタイプで「隼」「飛燕」「疾風」など
陸海軍で同じものを使っていました。
ゼロ戦は62型以降の零爆で胴体下に爆弾を取り付けた場合
翼下に二個となります。木製。

2017年8月 1日 (火)

二式飛行艇・九七式飛行艇パイロット吉田氏による操縦解説


 
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの動画出来ました。
よろしければご覧ください。
 
吉田重次さん
山形県出身。昭和15年12月、第15期乙種海軍飛行予科練習生。
昭和17年11月、水上機操縦専修。零式三座水偵等の操縦を経て、
昭和18年8月、詫間海軍航空隊に配属。九七式飛行艇および二式
飛行艇操縦習得。館山海軍航空隊を経て、昭和19年3月、第90
1海軍航空隊へ転属。昭南島、サイゴン、フィリピン、インドネシ
ア等へ飛行、主として船団護衛を務める。昭和20年6月、横濱海
軍航空隊転属。内地とラバウルを往復し、傷病者、薬品の空輸を行
う。総飛行時間1,000時間以上。
 
第901海軍航空隊 一番機 KEA83号機(ハセガワ模型のパッ
ケージイラストのモデル)操縦。
 
音声修正・ノイズ除去/CREA SOUND WORKS
http://crea.serveblog.net/crea/index.html
  
撮影協力/宇賀神綾香 インタビュー/篠原直人
  
二式大艇・九七式飛行艇パイロット吉田さんの講演会のお知らせ
吉田さんの講演会が10月15日に茨城県小美玉市で開催されます。
飛行艇の話はなかなか聞けないと思います。ぜひお越しください。
同日、彗星(二式艦偵)の田中三也さんもお話しになります。
またブログ内でお知らせします。
 


2017年7月28日 (金)

鶉野飛行場と資料館グッズ

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兵庫県加西市にかつて鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)という
飛行場がございました。
 
ここには川西航空機の分工場があり、紫電や紫電改を飛ばしていました。
現在も滑走路や掩体壕などはそのまま残っています。
滑走路脇には資料館も開設されております。 
 
そうした歴史を保存する会「鶉野飛行場未来プロジェクト」のメンバーの方
にお目にかかりまして意見交換会を実施致しました。
 
この会には素晴らしいデザイナーさんがいらっしゃって
これらのオジリナルグッズを購入することができます。
 
一番右は紫電改/紫電Tシャツ。2,500円。
キャラクターはオジリナルマスコット「鶉野少尉」であります。
クリアファイルやステッカー、ポストカードも100~200円と
手頃な価格で手に入ります。売上金は資料館の運営資金となります。
何卒ご支援、よろしくお願い致します。
 
問い合わせ先:鶉野飛行場資料館
http://www.uzurano-hikoujou.com/
 

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遊就館の撮影規定改正

靖国神社の遊就館ですが
今までゼロ戦とSLのあるエントランスホールのみ撮影が可能で
展示フロアは一切撮影禁止でした。
 
それがこのたび、大展示場の撮影が許可されました。
朗報です。
彗星や桜花の展示してある大きなフロアです。
  
日本の博物館や資料館は撮影禁止のところが多いですが
残念なことです。元来、日本人の感覚からすれば、
撮っていいものと、いけないものの区別はつくはずです。
 
一般的な展示は撮影しても、
遺影や遺書を撮るということは躊躇いますし、何よりも
他の来館者の邪魔になるような迷惑行為は当然しない。
 
それを漢字二文字で「配慮」と言います。
本来の言葉の使い方です。 
 
撮影の可否を来館者のモラルやマナーに任せられるなら
こんなに理想的なことはありません。
 
しかし乍、その区別ができない人が増えたから、不本意乍
一様に禁止!としてしまう、そういった事例が多いと思います。
 
義務を果たさず権利ばかりを主張する人が増えました。あくまで
「撮らせて頂く」という気持ちを忘れずにいたいものです。
 
靖国神社遊就館においても然りです。

蒼空はるかメイキング

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Photo 
キャラメイキングです。
左側が下絵、真ん中が着色してすっぴんの状態です。
これにアクセサリーを加えた状態が右側になります。
別パターンも作成中であります。

2017年7月27日 (木)

ベクターデータの販売

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2

イラストデータのライセンス販売を始めます。
 
今までは主に自分でグッズを製造していましたが
一度に数十万~百万単位でかかるので
マイナー機などはグッズ化にも相当な費用と覚悟が要りました。
大量のダンボールに囲まれて
袋詰めや在庫管理などで日が暮れてしまいます。
 
そこでベクターデータ(編集可能)のライセンスを販売して
自由に使って頂こうと考えています。 
 
見本を少しアップしました。販売するのは
今まで描いた飛行機と艦船全てです。
零戦は全ての形式が揃っています。
編集可能なので、カスタマイズやカラーリング、
自由なデザインが出来ます。
 
取材で全国各地に行くのでお金がかかります。
クラウドファンディングが流行ってますが、
どうしても身動きが不自由になりますし、責任の所在が曖昧となります。
今のところ、必要なお金は自分で調達するがモットーです。



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