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2018年12月30日 (日)

呑龍さま(どんりゅうさま)

呑龍さま(どんりゅうさま)
 
群馬県太田市金山町にある大光寺の通称で、戦国時代から
江戸時代前期にかけて実在した浄土宗の僧である。
 
「呑龍」は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを
悲しみ、これらの子供を弟子として引き取って育てたため、
後世の人々から「子育て呑龍」「呑龍さま」と広く慕われた。
現在も子育て祈願の対象として信仰されている。
 
中島飛行機の創業者である中島知久平がプロペラ一本一本を削る
ところから始めた小さな飛行機工場は、この呑龍さまの近くに構え、
周辺住民からは呑龍飛行機工場などと呼ばれた。
 
これが由来して、中島飛行機が大企業に発展した後の昭和
15年、キ49 百式重爆撃機が開発された折、「呑龍」の愛称が
つけられる事になった。

しらすせんべい

Dscn2535_2
年末年始はスタッフも業務メールも来ないので、
集中して本が書けます。
食事と睡眠は充分ですが、陽の光を浴びたいので
31日だけは遊びに行こう!と思ってたんですが
車がパンクしました!なんてこった!
 
それで、しょんぼりしていたら、昨日の夜、友人が
孤独死してないか調べに来てくれました。
それで食糧を置いていってくれました。
本当に有難いことです!
  
「篠原さん、冷蔵庫の中からっぽだそうでー」
 
なぜそれを?
 
「Tさん(スタッフ)が言ってました」
 
ぐはっ!!!恥ずかしい!
心配かけてすいません。いまはもう大丈夫です。
ありがとうございます。

一式戦闘機「隼」型式の違い

Ki43

一式戦闘機「隼」(キ43)は中島飛行機により設計・生産された帝国陸軍を
代表する戦闘機 である。正式採用は昭和16年(皇紀2601年)で
皇紀の末尾を取って正式名称を一 式戦闘機、愛称を「隼」と呼称した。
 
大東亜戦争の開戦と共に大陸戦線、マレー半島 ビルマ等に投入。
連戦、連勝を続けた。映画『加藤隼戦闘隊』で一躍有名となり、
国民から広く親しまれた。一機当たりの価格は当時の金額で
9000円~1万円と伝わる。

Photo 隼の初期型となる一型は二枚プロペラで、火力は胴体に7.7mm
機関銃2挺を装備。零戦と同じ栄エンジン(陸軍名称ハ-25)を搭載した。
陸軍の主力 戦闘機としてアップデートを繰り返しながら終戦まで運用された。
隼は、二型、三型 と進むにつれ、重戦闘機と同様の改造が加えられていった。
総生産機数は5,700機 以上と、陸軍の航空機としては最も多い。
   

1a_2

一型/甲
一式戦「隼」の量産初期型。1型甲では7.7mm機関銃
2挺を装備し、ハ25エンジンを搭載した。
 

1b
1型/乙
1型甲では7.7mm機関銃2挺のみだった武装を大東亜戦争開戦前に
片側のみ12.7mm機関砲に換装したモデル。当初、12.7mmの信頼性が
確立されれおらず、このような措置となった。
 

1c 
1型/丙
1型乙では片側のみだった12.7mm機関砲の信頼性が確保されたため
ようやく両方を12.7mmに換装したモデルとなる。全備重量は2048kg。
最高速度は高度4000メートルにおいて495km/hであった。
 

2a 
2型前期
エンジンを零戦52型と同じ栄二一型(陸軍名ハ115)に換装し1150馬力に
パワーアップ。これに伴い、プロペラが三枚となる。左右翼端を30cmずつ
短くし、全備重量は2590kgとなる。最高速度は高度6000メートルにおいて
515km/h。五重環状骨油冷却器を採用した。1型との最も簡単な見分
け方はプロペラ枚数で、2型から3枚プロペラとなる。
 

2b 
2型中期
五重環状骨油冷却器を撤廃し、代わってエアインテークの
大型化と形状変更を行ったモデル。
 

2c 
2型後期
カウリングを再設計し、前部を絞り込み丸みを帯びた形状となる。
前方や横から見るとデザインの違いが分かりやすい。
また、排気管の形状を僅かに変更しているのも特徴。
 

2d 
2型最終期
エンジン側面の集合排気管を、それまでの円形型からカバーをかぶせた
直線型に変更した。2型としては最も最後に生産された。
エアインテークも若干の変更が加えられている。
 

2e 
2型(改)
エンジンとカウリング形状はそのまま、それまでの集合排気管を廃止し
この時期の陸海軍機全般にみられる、推力式単排気管を採用した
モデルとなる。3型との見分け方は排気管の本数と形状。
 

3a  
3型甲
エアインテークをより大型化し、エンジンはハ115二型を搭載。
最高速度は高度5850mにおいて560km/h。ただし航続距離は機内
燃料600km、落下タンク装備で1360kmに低下した。
 

3b 
3型乙
20mm機関砲2門を搭載した隼の最終型。試作のみに終わる。
4型も検討されたが(4型は二千馬力の誉【ハ45】エンジンの搭載が検討された)
四式戦闘機「疾風」生産に集中するため、陸軍における隼の歴史はここに終わった。
  
以上

2018年12月29日 (土)

隼が完成

Photo

隼のレイアウトができました。
ゼロ戦と並ぶ陸軍の名戦闘機です。
実はゼロ戦が国民に広く知られるようになったのは
戦後の戦記ブームの頃で、戦時中は断然、隼が有名でした。
    
デジタルにくたびれたら、蛍光ペンと黒のマーカーで
裏紙に適当な絵を描きます。

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寒いのでペンギンを描きました。素晴らしい仕上がりです。
完成した後、画像検索で正しいペンギンを調べましたが
これよりだいぶスタイリッシュでありました。

鍾馗さん

中国の民間伝承に伝わる道教系の神。
 
日本では、魔よけとして、像を屋根の上に像を載せたりする。
京都などで「鍾馗さん」と呼ばれて親しまれているが、
陸軍は二式戦闘機の愛称として用いた。
 
開発者の一人、糸川英夫は鍾馗戦闘機開発の経緯を回想し
「私の史上最高傑作は隼でなく、鍾馗だ。これが飛
んだら死んでもいいと思った」と記している。

コバルト

Ko_2

元素記号Co。陸軍では「コバルト色」のように色の名称で使われた。
陸軍機は中隊ごとに尾翼のシンボル、胴体帯、スピナー等が色分け
されており、モノクロ写真からは推定するしかないが、関係者の
証言を照合すると、同じコバルトの呼び名でも、部隊によって水色
に近い色から、群青に近い色まで多様だった。
 
一例として加藤隼戦闘隊(飛行第六十四戦隊)の第一中隊の矢印の
縁取りは水色との証言がある一方で、飛行第六十六戦隊の
戦隊マークやスピナーは紺色に近いブルーを用いた。

隼二型改と三型

23

隼の2型改と3型では排気管の位置が違うので
ここだけ描き直します。

平成も残りわずか

Dscn2533

畏れ多くも陛下の御真影が表紙の本です。
平成も残り僅かとなりまして、
毎日、見ています。ムック本は絵や写真が多くて
わかりやすくてとてもいいですね。

Dscn2531 
神武から今上の天皇陛下まで全てが載っています。
私はコンプリートものが好きです。
イラストレーターさんが頑張ってぜんぶ描いたんだろうな~と
考えながら拝んでいます。

慰霊祭の写真届く

Dscn2530

勤労感謝の日に茨城県護国神社で行われた水戸歩兵第二連隊並びに
ペリリュー島守備部隊合同慰霊祭の写真と茨城の新聞の記事が届きました。
参加者には全員届いていると思います。
 
この集合写真を撮るのが毎年、私の仕事になっています。
毎年仰せつかり、幸せです。
 
撮影のお手伝いをしてくださった
Iさんには本当に感謝です。

九九式双発軽爆撃機

Photo_2●九九式双発軽爆撃機
「金魚」「おたまじゃくし」と呼ばれ親しまれた。キ番号は48。
機体は川崎航空機製で、エンジンは中島製。
 
一型は零戦と同じハニ五(海軍名「栄」)二型はハ一一五を採用。
陸軍の傑作機で、二千機以上が生産された。
 
通常四人乗り。航続距離は二千キロ以上、爆弾搭載量は軽爆として
申し分ない四百キロであった。速度と運動性が良好で、
急降下爆撃機が可能。宙返りを行ったパイロットもいた。
支那事変から大東亜戦争初期に活躍したが、徐々に旧式化。
在支米軍戦闘機に苦戦を強いられるようになると、友軍戦闘機の
護衛不十分なままに進攻作戦・敵飛行場撃滅に従事。
多くの戦場は敵地上空のため、被弾しても不時着は不可能であり、
自爆、未帰還となった。

2018年12月28日 (金)

年末はやぶさ祭りと各進捗

Photo

▲はやぶさ型式一覧、作業中です。
あとは並べて校正なので、もうすぐ終わります。

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▲こちらはコミティア127のサークルカット。
絵を見て欲しいのに、熱が入りすぎて
字だけになってしまいました。
記載の通り、陸海軍の飛行機はほとんど書いているのですが、
キャプション(説明書き)とレイアウトが追い付かずにおります。
それで、いま隼に着手しているところです。
 
飛行機くんたちはーみんな完成してパソコンの中に居ります。
「はやく外に出してー」と言っているのが聞こえます。
 


YouTube: TVアニメ『荒野のコトブキ飛行隊』第1弾PV

 
▲正月からテレビアニメ『荒野のコトブキ飛行隊』というのが
始まります。ガルパンを作った人が製作したそうです。
楽しみです。音楽が壮大で素敵です。
最初は零戦と隼と鍾馗と紫電が活躍するようです。
アニメをきっかけに小さなお友達(大きなお友達も)が
きっかけを持ってくれるのは嬉しいです。Kaga02 
▲こちらは砲雷撃戦!よーい!のデザインです。
100枚だけ作ります。
 
ネイビーといえば、海上自衛隊の被レーダー照射の動画見ました。
海上自衛隊、JAPAN NAVYとコールしていましたね。
JAPAN NAVYですごくしっくりきました。いいと思います。
 
これが終わったら、自衛隊黎明期の記事の執筆です。スタッフが休みの
年末年始の静かな7日間で書けるところまで一気に書きます。
 
年賀状は22日には出しました。
 
27日にお誕生日メールくださった方、ありがとうございます!
心よりお礼を申し上げます!
 
蒼空はるか第6話、製本中です。
もう少しお待ちください!コミティア126で出します。
  
3月3日の飛びもの学会では第7話出します! 
   
帝国陸海軍機総覧の第二版は
商用誌になるかもしれません。夏コミで
買ってくださって応援して下さった方
本当にありがとうございます。
同時並行で間違ったところは随時、直してます。
 
コミケ95は休みます。
 
お借りした本や資料を早く返さなければなりません。
スキャンと接写してしまいたい資料が多くあるのですが
長い事お借りしてて、どなたも
「大丈夫ですよ」とは言ってくださるのですが、早くお返ししたいです。
 
もう一度、年明けの予定を貼っておきます。
 
どんど焼き
1月14日(成人の日)
  
砲雷撃戦!よーい!四十六戦目
2019年1月20日
東京ビッグサイト
艦これオンリーイベント
 
COMITIA(コミティア)127
2019年2月17日(日) 11:00~16:00
有明・東京ビッグサイト西1・2ホール
創作オンリーイベント 
 
東京とびもの学会
2019年3月3日
東京都板橋駅前ハイライフプラザいたばし
航空宇宙系オンリーイベント

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これがその、365日、飛行機のことだけしか考えてない
中の人になります。泥沼でありますが、そんな泥沼から生まれる
様々なコンテンツで楽しんでくれたら、笑ってくれたら
本当にありがたいと思って日々を過ごしています。
 
平成ももう終わるんですね!

2018年12月27日 (木)

だるまさんの目入れ式

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今日は一年間の空の安全と、事業の一年間無事終了を記念致しまして
だるまさんの目入れ式を行います。年末年始のちょっとした期間だけ
だるまさんが両目になります。新しい年を迎えたら
新しいだるまさんをお迎えして、気持ちを一新して、
また一年間地道に頑張るのであります。
  
恒例の護国神社のどんど焼きは1月14日となります。
去年の様子

2018年12月26日 (水)

日光安治上飛曹

A4 
北海道、北見出身の紫電改のエース、
日光安治上飛曹(甲10)です。こちらの写真は343転勤前の
昭和19年2月15日、263空(豹部隊)において撮影。
(背景は零戦のようです)
 
資料整理しておりましたら日記
(ご遺族の許可を得てコピーし若干数製本されたもの)と
お写真が見つかりました。(写真はもう一枚あります)
戦死されるまで非常に細かく日記を書いてらっしゃるんですね。
ご縁のある方、または研究されている方のお役にたちたいと思い
アップしました。内容は263時代のものが多いです。
パラオ-フィリピンでB-24と数多くの空戦を展開しています。
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偉大なる初の逆ピッチプロペラ

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関口英二氏(元日本国際航空工業取締役技師長。栃木県出身。)
の資料をお借りした。資料を提供してくださるK様、
いつもありがとうございます。心より御礼申し上げます。
(画像は当該資料でなく、キ84の取説) 
 
関口氏は先日記載した、疾風のラチェ式プロペラ「ペ32型」について
偉大なる功績を残されているが、ほとんど資料が残されていない。
これが、どれだけすごいことなんだか、ここにひとまず
アーカイブしておかねばなるまい。
関口氏自身が書かれた実験資料の概略は、次の通り。
 
関口英二『最初の逆ピッチプロペラ』より
  
初の逆ピッチプロペラ
日本国際航空工業の可変ピッチはラチェ式を採用していたが
当初、変節速度が毎秒一度以内で、遅すぎて戦闘機には使用できないと
軍側で決定されたので会社は危機に立った。そこで
変節機構を改善し、伝道効率の向上に成功。毎秒十五度という
驚愕の成果をあげた。軍の試作番号は「ペ三二型」と命名された。
ただし、変節速度があり過ぎるので従来の180ワットの電動機を90ワットと
半減し、変節速度も七度以内とし、「疾風」に正式採用された。
なお、アメリカのカーチスは90ワットの電動機で変節速度は
一(コンマ)二度であった。
 
この変節速度の大きいのを利用し着陸距離を短縮してはと
陸軍のプロペラ担当官の松村大佐と相談し、実験に着手した。
 
「鍾馗」の滑走距離短縮実験
「鍾馗」は着陸距離が長いことが欠点として指摘されていた。
変節には180ワットの電動機を、まず運転台上で実験に着手。
すなわちペラは角度零度で抵抗が減り、吸収馬力が非常に減少するので
発動機が過回転になりはせぬかと案じられたが、運転の結果、過回転を
起さなかったので、飛行実験に着手することになった。
この実験は昭和18年3月に陸軍で実施された。
 
実験結果
一、
車輪ブレーキなし1,140メートル(71秒)
車輪ブレーキ使用550メートル(35秒)
 
二、
プロペラ制動使用(車輪ブレーキなし)
ただし接地と同時に負角にし、スイッチを切り、プロペラは風車状態に
空回転。
 
負角5度、837メートル
負角10度、730メートル(50.6秒)
負角15度、606メートル(46秒)
 
三、
二、と同じく、ただ発動機は接地と同時に全開。
 
負角5度、500メートル
負角10度、300メートル(18秒)
負角15度、307メートル(16秒)
 
この実験を総合してみると
プロペラを負角にすると、発動機を空転させて
車輪制動のときと同じく、全開にすれば車輪制動のほぼ半分の
滑走距離になることである。
 
この実験中にある操縦者が独断で飛行中に負角にしたので、きりもみに入ったが
無事着陸した。
 
この「ペ三二」は疾風に採用されたが
右のような事故があると困るし、またアメリカでさえ使用していないから
というので、負角にならぬよう止金をつけた。
 
また、海軍でもこの実験を重要視し
当時、住友金属製以外のプロペラは使用せずとの鉄則を破り
海軍航空廠のプロペラ担当増本技師ほか多数の技術者が平塚の
国際航空の工場に来場し、「ペ三二」に地上運転や製造過程を見学して帰廠された。
のち陸軍の了承を得て「ペ三二」を納入し、実験に着手。
主要目的は着艦時の使用と急降下爆撃時の制動にあったが
戦争末期のため実用に至らず終わった。
 
以下、篠原の解説
 
飛行機マニア以外にはわかりにくい内容なので、解説します。
結論から言えば、後世の残すべき偉大なる功績です。
 
理論上、陸軍機、それも重戦を海軍の空母に降ろせます。
「アメリカでさえ使用していない」というのは本当に
おかしく勿体ない理由ですね。
 
ここまで書いたところで眠くなってきたので次回、続きを書きます。

2018年12月25日 (火)

素敵なクリスマスを

年の瀬の迫ったある日の事、
僕は東北新幹線に乗って東京に向かっていた。
車内は混雑していて座る場所はなかったので
デッキに立って、外の景色を眺めていた。
反対側のドア付近では、座り込んだ若い男性が
ノートパソコンをカタカタと打っている。
 
突然、客室のドアが開いて五十年配の男性(以下オッサン)が
デッキに出てきた。千鳥足。泥酔している様子。
 
そしてなにやらビニール袋をごぞごそと探ると
  
「おい、にーちゃん、飲め」
 
僕に差し出されたのはペッドボトルのお茶だった。
遠慮できぬまま受け取ってしまう。 

同様に反対側のパソコン男性にもそれを押し付ける。
「いや、いいです」男性はモニターに目を落としまま、それを断る。
関わりたくないのだろう。うまいこと断ったなあ。
  
「ああん!?毒はんて入ってねえから!、飲め飲め!」
 
オッサン、僕にそういうので
僕は間髪入れずにペッドボトルの封を切り、一気に喉に流し込んだ。
 
「ほらな。はいってねえだろ」
 
「はい。ありがとうございます。丁度喉が渇いていましたので」
  
「はああ、そりゃあよかった」
 
オッサン、満面の笑みを浮かべる。
すると今度はオッサンちょっと泣きそうな顔になって
 
「1号車のババアどもがよーーーー!うるせえんだよ!
だから、このお茶を配って雰囲気よく静かにしてもらいたかったんだけどよ!
いぶかしがるばっかりでナ!!!俺はぁ!!!怪しいもんじゃねええ!!!」
 
いや、オッサン、怪しいよ。
そりゃそうだ。おっさん。悪いけど。
 
僕は腹を決めて東京に着くまでこのオッサンに寄り添うと決めた。

「にいちゃん、どこから乗った???」
 
「宇都宮です」
 
「あああ、じゃあ俺と同じだな!」
 
嘘だ。このオッサンはすでに乗っていた。
東北のどこかだだろう。 
 
「オッサン、今日は新幹線でどこへ?」
 
するとオッサン、またニッコリしてこう言う。
 
「息子に会いに行くのよ」
 
「それは楽しみだな。しばらく会ってなかったんかい」
 
「あああ・・・・それはもう・・・上野で降りるよ」
 
「上野?あそこのホームは地下4階だから、
その足じゃ・・・エレベーターを使うと良いよ」 
 
「なああああ???大丈夫だあああ。俺は何回も上野行ってんだ。大丈夫」
 
「それならいいけど。エレベーター使ってよ」
 
「ああ、大丈夫、大丈夫」
 
間もなく上野に着く。
 
オッサン、たくさん買い込んでしまったお茶を
袋から取り出し、戻しを繰り返している。
 
「これ、どうすっかな」
  
「全部、貰うよ。喉が渇いてたんだ」
 
「ああ、そう、じゃあ貰ってくれる?」
 
オッサン、ニッコリ笑うと袋を渡してくる。
それをぜんぶ受け取る。
 
上野駅に着いてドアが開く。
 
「じゃあ、世話になったな」
 
「息子さんも喜びますよ。気を付けてね」
 
「あんたに会えてよかったよ」
 
「僕もです」
 
「じゃあな、メリークリスマス!」
 
「はい。素敵なクリスマスをお過ごしくださいね」
 
ドアが閉まって、オッサンはすぐに見えなくなった。
 
オッサンから貰った大量のペッドポトルのお茶を
鞄につめ先を急いだ。
 
僕のクリスマスの実話である。

2018年12月23日 (日)

天皇陛下85歳のお誕生日

天皇陛下85歳のお誕生日、心よりお祝い申し上げます。
陛下の常に国民に寄り添い続けるお姿と、戦没者慰霊、
ならびに恒久平和への願い、皇后様を労うお言葉に
感涙致しました。私は日本人に生まれて幸せです。
 
友人の伊牟田氏は一般参賀に参りまして
朝5時半から並んで最前列を確保したそうです!
凄い!!

2018年12月22日 (土)

蒼空はるか第6話 コミティア127頒布

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蒼空はるか第6話!コミティア127にて頒布予定です!
ダイジェストその2

2018年12月17日 (月)

紫電改ワッペン再デザイン

紫電改記念館限定販売のワッペンの再デザインを行っております。
今回はバイクやジャケット好きの方の意見を取り入れましたので
良い仕上がりになったと思います。
なんと四種類!来年の発売となります。

2018年12月14日 (金)

パラオ戦跡本進捗

Zero

本をお預かりしております方、時間がかかって申し訳ございません。
パラオ戦跡本、少しずつですが、進めております。
現在は、このようなビジュアルを加えております。
 
追伸
これにぴったりな曲があります。
千葉和臣(海援隊)の『パラオゼロファイター』という曲です。    

砲雷撃戦!よーい!四十六戦目

Photo

砲雷撃戦!よーい!四十六戦目
2019年1月20日
東京ビッグサイト
艦これオンリーイベント
 
サークルカットできました!
よろしくお願い致します。

2018年12月12日 (水)

有川覚治大尉インタビュー

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飛行第20戦隊中隊長で
戦闘機「隼」「鍾馗」
「疾風」操縦士だった
有川覚治大尉へインタビューに行って参りました。
 
戦後は航空自衛隊の黎明期を築きました。
黎明期にあってはジェット戦闘機パイロット志願者の多い中、
有川氏は当時、見向きもされなかった
ヘリコプターパイロットを熱望。
 
「ヘリコプターは私の念願だったのですよ。多くの戦友が
フィリピンの海へ落ちて戦死しました。その時からずっと
パイロットレスキューをやりたいと思っていました」
 
バートル操縦を最後に空将で退官。

2018年12月10日 (月)

2019年初めイベント予定

砲雷撃戦!よーい!四十六戦目
2019年1月20日
東京ビッグサイト
艦これオンリーイベント
 
COMITIA(コミティア)127
2019年2月17日(日) 11:00~16:00
有明・東京ビッグサイト西1・2ホール
創作オンリーイベント 
 
東京とびもの学会
2019年3月3日
東京都板橋駅前ハイライフプラザいたばし
航空宇宙系オンリーイベント
 
直近では以上、3つのイベントでサークル参加を致します。
いずれも新刊を用意してお待ちしております。
 
お知らせ
コミティア127に関しましては、
売り子さんを募集しています。手が足りないので
ぜひ、よろしくお願い致します!搬入物が重いので
男性の方歓迎です!

OPTION1月号に掲載されました

Dscn2516

疾風のプロペラ設計技師の関口博士が願った平和

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Imgp5793 四式戦「疾風」のプロペラを持たせてもらいました。
ズッシリ重いです。これを2000馬力のエンジンで四枚回すのですね。
色も当時のままです。 
  
なぜ、疾風からプロペラの構造を変えたのか?
少しだけ専門的なことを書きますが、
なるべくわかりやすく説明したいと思いますので
よかったらご覧ください。
 
零戦など、日本機のほとんどは「ハミルトン式」という
プロペラを使っていました。故障も少なく構造も
シンプルで非常にすぐれたプロペラでした。
 
ところが、「疾風」のプロペラの主任技師だった関口博士という方は
疾風から「ラチェ式」という新しい電動の制御方法に変更することを
提言したのです。ハミルトン式でも充分な性能を得られたといいますが
なぜ、リスクとコストをかけて新しい技術を導入したのでしょうか。
 
関口博士は、現在当たり前に行う旅客機の着陸時の逆噴射(ブレーキ
の代わりとして、疾風のプロペラを逆方向に回転させ、
制動距離を短くする設計思想を実現に向けたわけです。
ハミルトン式はプロペラを反対に回す技術が
未熟でしたが、ラチェ式はそれが可能でした。
 
関口博士は
戦争が終わって、将来の民間航空の実現を既に
視野に入れていたのです。
 
大勢の乗客を乗せて飛ぶ旅客機は着陸したとき、重いので
なかなか止まりません。ですから長い滑走路が必要になります。
そこで、プロペラを逆に回してブレーキをかける必要があるのでした。
 
飛行機屋は純粋です。
軍から言われたことをやるだけです。
戦争したいと思う人など誰一人いないでしょう。
だから関口博士も今は戦闘機を作っているけれど、
あえて、面倒なラチェ式を採用したのは、それを応用して
いつかは、誰もが平和な大空を飛べる時代が来る、
そう思っていたのかもしれません。

キャラクター14

14

14_2_3

Photo 
新規キャラクターを作画しました。
キャラクターイラストにつきましては
「pixiv」にて公開していますので、ご覧になりたい方は
そちらをフォローお願いします。
ここで紹介していないキャラクターも
たくさん掲載しています。
https://www.pixiv.net/member.php?id=1114405

2018年12月 9日 (日)

筑波海軍航空隊地下戦闘指揮所の発掘作業

Dscn2495

筑波海軍航空隊飛行場跡地の地下に在るといわれる
戦闘指揮所(地下壕)の発掘調査を実施しました。
 
今回は、飛行場跡地にお住まいの方から
庭の草むしり中に陥没したという報告があり
(とはいっても腰くらいの深さで怪我はなかったそうです)
許可を頂いてお庭の試掘に至りました。
 
ユンボ(重機)でおおまかに掘ったところ、
何やら、木片が出てきました。
ここからは手掘りです。
 
つづく

2018年12月 7日 (金)

伊藤美紗一尉(松島美紗二尉)リスペクト / オリジナルキャラ)

松島美紗二尉リスペクト(オリジナルキャラ)


2018年、航空自衛隊に初の女性戦闘機パイロット誕生。
伊藤美紗一尉(松島美紗二尉)に敬意を込めての制作です。
空のカケラ中の人Cによる作品。
 
!キャラクターは架空です!

2018年12月 3日 (月)

Amazonで販売開始

『蒼空はるか』第一巻(増加試作版)
をAmazonで増加試作版を
先行販売開始しました!
  
  
---------商品説明より-----------
宇都宮市の女子高生五人組
ある日、彼女らは裏山の洞窟で古びた飛行機を発見する。
飛行機は大戦中の戦闘機「疾風」だった。
彼女らはふたたび「疾風」を宇都宮の空へ飛ばそうと、
ここを秘密基地にして、修復を開始する。
  
同人誌版から応援してくださった皆様の力添えで
ついに単行本化。(商用誌デビュー決定)
増加試作版としてAmazonにて先行発売です。
 
エピソード1
「疾風を宇都宮の空へ」
エピソード2
「私達の秘密基地」
エピソード3
「宇都宮航空祭」
エピソード4
「五人目のつばさ」
エピソード5
「コンタクト」
 
巻末特別読み物
「大谷地下空間に存在した戦闘機『疾風』工場と秘密基地計画」
 
以上を収録した126ページ
 
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なお、
エピソード6は年内に、
エピソード7は年明けに発表となります。
第二巻は2019年5月発売予定です。
 
応援してくださった方に厚く御礼申し上げますとともに
これからもよろしくお願い致します。

2018年12月 2日 (日)

航空公園の清掃

2

毎年恒例の北宇都宮の航空公園の清掃。
桜の落ち葉を掃き集めた後、機体磨きを実施します。
F86Fの翼を磨いていきます。

Dscn2412 
日の丸を磨いて苔を落とします。

Dscn2416 
野ざらしなので限度はありますが、だいぶ綺麗になりました。

Dscn2415

飛行機は大きいので全部磨くのは時間がかかります。
また来年もやります。(たぶん11月)参加者大募集です。

LAV

Lav3
LAVを作画しました。国際貢献仕様です。
戦争で荒れた大地やインフラを復旧させる平和部隊であります、
陸上自衛隊は現地ではたいへんな人気があります。
 
LAV(ラヴ)
Light Armoured Vehicle~ライトアーマードヴィークルの略称。
陸上自衛隊での正式名称には軽装甲機動車。

2018年12月 1日 (土)

ホルテンHo229

Ho229_2ホルテンHo229を作画しました。
   
ホルテン Ho229は、第二次世界大戦後期(~1945年)
ドイツにてホルテン兄弟が開発した全翼型戦闘爆撃機である。
ジェットエンジンで推力を発生させ、塗料には炭素粉を
使用するなどステルス性も備えており、当時としては非常に
先進的な機体であり世界初のレーダーステルス機といえる。

ナショナル・ジオグラフィックは2009年、
本機を復元する特別番組を制作。ノースロップグラマンの協力により
本機の設計図を元に、レプリカを作製してステルス性を検証し、
当時のイギリス軍レーダー網に対する十分なステルス性を確認した。

※イラストは技術供与で日本空軍に供与されたと架空したデザイン。

乗員:1名
全長:7.47 m
翼長:16.76 m
全高:2.81 m
自重:4,600 kg

動力:ユンカース Jumo 004B-1
ターボジェットエンジン(推力900kg ×2)

最高速度:977 km/h
航続距離:1,300km
上昇限度:16,000 m