呑龍さま(どんりゅうさま)
呑龍さま(どんりゅうさま)
群馬県太田市金山町にある大光寺の通称で、戦国時代から
江戸時代前期にかけて実在した浄土宗の僧である。
「呑龍」は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを
悲しみ、これらの子供を弟子として引き取って育てたため、
後世の人々から「子育て呑龍」「呑龍さま」と広く慕われた。
現在も子育て祈願の対象として信仰されている。
中島飛行機の創業者である中島知久平がプロペラ一本一本を削る
ところから始めた小さな飛行機工場は、この呑龍さまの近くに構え、
周辺住民からは呑龍飛行機工場などと呼ばれた。
これが由来して、中島飛行機が大企業に発展した後の昭和
15年、キ49 百式重爆撃機が開発された折、「呑龍」の愛称が
つけられる事になった。
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