私が代表代行をさせて頂いております、もうひとつのほうの
戦友会なのですが、3月いっぱいで閉会することにしました。
「やめないでほしい」との要望沢山頂いたのですが、高齢化には
勝てません。決まった以上、なんとか説得して回っております。
最終回のパーティーの調整を行っております。
往復はがきを出すのですが、
「不参加」で「体調不良」などと添え書きしてあると
辛いものがあります。
年に一度の例大祭がありますので、こちらは
可能な限り続けて集まってもらいます。
厚生労働省へ遺骨収集の打ち合わせに行って参りました。
今後は厚労省が社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会に
事業を全て委託し全戦域での収集となります。
社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会は出来たばかりの組織ですので
暫くは今まで通り、戦域ごとの戦友遺族会の協力が不可欠です。
私は水戸歩兵第二聯隊・ペリリュー島慰霊会の一員として参加させて
頂きます。
中には「定年後の受け入れ先」
みたいに考えている方もいるそう
なのですが実際の仕事は過酷
です。
私はずっと、若い現役世代の活躍
を求める旨、提言しております。
大学生ボランティアか定年退職後
の年配者しか参加者がいないのが
現状です。
集団埋葬地等「ここを掘れば出て
きますよ」という場所、全てお膳立て
してからでないとボランティアの受
け入れが難しいのです。
大学生は一度限りで、卒業してしま
うし、現役世代の体力のある方が
洞窟やジャングル踏破して調査できないと先へ進みません。
現状では、最低でも9日間、仕事を休んで海外派遣に参加するのが一
般的ですが、これだと現役世代の参加は無理です。せめてこれが
5日間程度にできないか、ずっと言い続けてます。
私はできると思います。
会の仲間は
アメリカ本土の海兵隊基地へ資料収集へ行っております。
ペリリュー島の埋葬場所を調べる為です。たぶん今頃、膨大な量の
写真や資料を探してくれています。
飛行第244戦隊で行われていた無線通信をエースコンバット風に
再現してみました。前半は実際の符号を用いたもので、後半は解説です。
声優さんに依頼するお金がないので自前です。
無線交信の例は櫻井隆著『飛燕戦闘機隊』23頁より出典。
巡洋艦「摩耶」で機関兵を務められた方へ
お話をお聞きしてきました。
こちらの方はもともと4年ほど横須賀の海軍工廠のドックで
激戦から帰った航空母艦、戦艦、巡洋艦などの艦船の
機関室の修理を行っていた経験から、
海兵団に志願し海軍機関科へ。
海軍入隊後は横須賀で
巡洋艦「摩耶」の機関科へ配属され、大湊、占守島を経て
アリューシャンへ出撃。キスカ撤退作戦で兵員輸送を行います。
レイテ海戦前に肺炎により、一旦艦を離れたことから命が助かり
その後、今度は艦船の電気系統を学ぶため
海軍機関学校へ進み、在籍中に終戦を迎えられたというこです。
艦船の修理で印象深かった出来事としては
機関室内部のファンからカラコロと音がして、原因不明だったのが
戦死した水兵の顎の骨が引っかかっていた、というお話でした。
横須賀から大湊への航行中には、一名の行方不明者が出て、
過酷な勤務から逃れる為、夜中に甲板から身を投げたのではないか?
という結論に至ったそうです。横須賀の海兵団時代も首を吊った戦友が
居たそうです。
最北端の拠点である占守島では上陸が許可され、士官引率のもと
島を見物したのが思い出、その後、キスカ撤退作戦では
天皇陛下からお預かりした小銃を捨ててまで撤収してきた
多くの陸軍さんを摩耶に乗せた、とのお話しでした。
機関科の仕事
どんな船でも機関(エンジン)が必要です。
それを動かすのが機関科の仕事でした。
船を走らせるには
重油を燃やし、ボイラーから発生させた蒸気でタービンを回し
それをスクリューを回す軸(巡洋艦摩耶でいえば4軸)に伝達するという仕組み
ですが、このボイラーの調整を当時は機関室内で全て人の手で
行っておりました。映画などでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
艦橋(機関長)から伝声管で船底の機関室へ指示が飛んできます。
それに従い、ボイラーのバーナーを調整(回す)して火力を調整します。
時折、艦橋にも上がりました。
艦橋の後方に煙突の煙を観測する部屋があり
そこで煙の様子を見ていました。
艦船の煙突は、格子で区切られていますが
それが何番のボイラー管から発した煙なのか、一目でわかるような
仕組みになっています。ボイラーが不完全燃焼だと黒い煙が出ます。
ボイラーは停泊中でもひとつかふたつは作動させておきます。
全速航行時は、全てのボイラーを全開にします。
機関室内は暑く、褌一枚で作業することもありました。
機関科は死んでも持ち場を離れない
船のエンジンは最も船底にありますので、機関科の戦死率は
最も高いです。凄惨なのは船が沈む時です。
軍艦の構造は蜂の巣のように細かく区分けされております。戦闘で
被弾、被雷した際には、被害を最小限に留め、沈没を防ぐため
隔壁を閉鎖、あるいは船のバランスを保つために
バラストに注水といって、区画を閉鎖し、海水を流し込むよう
出来ています。
戦闘でどれだけ被弾しても、
機関を止めるわけにいきませんので、閉じ込められてもなお
船を動かすために、持ち場を離れず働くという事になります。
機関科の宿命です。
いよいよ、駄目だと、「総員退艦」の命令が出る頃、
甲板上で機銃を撃っていた兵科の水兵はそのまま海へ
飛び込めば助かるかもしれません。
しかし機関科は閉じ込められ、脱出不可能なケースが多く、
ほとんどの場合、船と運命を共にします。
「レイテで多くの戦友が摩耶と共に沈んだ。
多くは20歳そこそこの若さだった。それまでの訓練で
日常的に殴られ、自殺者が出るような過酷な勤務
の連続、その辛さが最後まで報われることなく、みなレイテで沈んでしまった。
自分だけ生き残って、申し訳ない気持ちで95歳までずっと生きてきた。春に、
はじめて靖国神社へ行って戦友に会ってこようと思う」
そう、仰っていたのが印象的でした。
一般ライターさんの募集は一旦終了させて頂きました。
たくさんのご連絡を頂き本当にありがとうございました!
旧軍の用語に詳しい方に限りまして募集を継続させて頂きます。
ぜひよろしくお願い致します。
戦争証言のテープ起こしを継続的にお願いできる方を探して
おります。音声ファイル1時間につき5000円程度でお願いできる
方を探しております。素起こし(ケバ取りなし)となります。
少し旧軍の言葉遣いが多いので、サンプルをご用意しました。
お聞きになって出来そうという方がいらっしゃいましたら
ぜひご検討・ご連絡お待ちしております。なにとぞよろしくお願い致します。
サンプル音源
http://www.youtube.com/watch?v=wlIeR2a3AZs&feature=youtu.be
▲テキスト入力例
落下傘降下するのを落とすってことはまずないですね。
武士で言えば万歳、片落ちですよ。武士道に反する。したらそういうことで、
それがね、みんな武士道に反するというけど私はわかるんですよ。
自分らの一番尊敬する5000メーター上空にいた一番の一番機を
私らが落としているから。
本日は東京都内にて午前中、
四式戦闘機パイロットの方のインタビューをさせて頂き
午後は恒例の戦友会の司会を行いました。
明日は厚生労働省で遺骨収集の打ち合わせです。
都内のホテルが満室で取れなかったので
帰ってすぐ寝てまた早朝に出発します。今から寝る為だけに帰ります。
しんどいですがやりたいことやれて幸せです。
3月12日に東京で開催される「東京とびもの学会」にサークル参加
させて頂きます。
東京とびもの学会とはどんな催しかというと、
以下公式サイトより抜粋します。
----------
東京とびもの学会は、空や宇宙に関する事で有れば基本的にどのようなものでも
対象にする自主企画展示・同人誌即売会を中心としたアマチュアファンイベント
です。
中心は、飛行機(航空機)、ロケット、人工衛星など、通称「航空宇宙または宇宙
航空」とよばれるジャンルです。
大規模オールジャンル系の即売会では、航空宇宙関連の参加者は、メカ・ミリタリ
ー、評論、アニメ、SF、さては旅行に写真系に創作分野まで分散しています。
東京とびもの学会は、取り扱い範囲をいわゆるメカミリ系同人誌のみにとどめず、
旅行記、航空祭レポートや写真集、大学等の活動案内、手持ちのグッズや情報
の集中展示に実演パフォーマンスなどまでを含め、航空宇宙に興味がある人が
楽しめるモノであれば広く募集し、そういった中であたらしい出会いや楽しみを
見つけ育むためのイベントです。
----------
以上です。
アマチュアもプロの方も多く集まります。もちろん
出展せず、見に来るだけでもOKです。
また、販売以外でも自身の模型を展示したりと、航空宇宙ファンには
盛り上がる事間違いなしのイベントです。
雷神風神図を萌えキャラ女神仕様に致しました。
とびもの学会にてクリアファイル配布予定です。
普段、無骨なものばかりなので、たまには柔らかいことやりたいんです!
といいつつ、雷神風神という選択が既に無骨という枠から全然
出てないのですが。
イラストはTeaPM様の作画であります。(背景除く)
元祖の風神雷神図はこちらです↓
どうぞよろしくお願い致します。
紙飛行機屋さんの新作です。
1/48スケール、零戦21型の紙飛行機販売開始しました。
待望の零戦21型。空母瑞鶴搭載機です。
当キットは、製作者である紙飛行機おじさんが設計デザインをはじめ、
何度も試作を重ね精度を高めておりますので、
とても作りやすいキットとなっております。
素晴らしい3D造形は模型として飾っても
満足いただける仕上がりです。
子供さんから大人まで幅広くお楽しみ頂けます。
1袋に2機入っておりますので、失敗しても安心です。(2袋で送料無料となります)
ぜひこの機会にお求めください。
※空母は付属しません
販売ページへ
※1パッケージに2機入り、内容物見本。
完成例見本
ミュージアムショップ様向けに卸売も可能ですのでロッド数をご相談ください。
好評頂いている中島飛行機ステッカーを補充しました。
微細なデザインなので、ひとつひとつ手作業で製作しています。
スバル車オーナーの皆様、いかがでしょうか。
中島飛行機ロゴについてはこちらの記事もご覧ください。
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径86ミリ×1ホワイト)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ブラック)
中島飛行機ステッカー販売中(直径43ミリ×2ホワイト)
スマートフォン向けページの修正を行いました。
これでたぶん、パソコンと同じように閲覧できるはず・・・ですが
スマホを持ってないので確認できず、すみません。
不具合などありましたらお知らせ頂けましたらありがたいです。
スマートフォン用メニュー
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/1999/01/post-c7e8.html
長寿訓というのがマイブームなので、掛け軸風にデザインしてみました。
(と言っても背景は買ったものですけど)
こういった日本の古きものが大好きです。
◇還暦(かんれき) 六〇歳でお迎えが来たら「只今、留守」と言え
◇古希(こき) 七〇歳でお迎えが来たら「まだまだ早い」と言え
◇喜寿(きじゅ) 七七歳でお迎えが来たら「急ぐな老楽はこれから」と言え
◇傘寿(さんじゅ) 八〇歳でお迎えが来たら 「何の、まだまだ役に立つ」と言え
◇米寿(べいじゅ) 八八歳でお迎えが来たら「もう少し米を食べてから」と言え
◇卒寿(そつじゅ) 九〇歳でお迎えが来たら「そう急がず共、良い」と言え
◇白寿(はくじゅ) 九九歳でお迎えが来たら「こちらからボツボツ行く」と言え
まだまだ続きがあります!
百寿(ひゃくじゅ)=100歳
茶寿(ちゃじゅ)=108歳
皇寿(こうじゅ)=111歳
大還暦(だいかんれき)=120歳
同じ用途の飛行機でも、アメリカとロシアではまったく形が違うのは
なぜか。それは進化の歴史が土台から違うからです。
写真はロシア空軍の哨戒機ツポレフTu-95です。外国軍機が
頻繁に日本の領空へ来襲し、航空自衛隊機がスクランブルを行っていますが
この飛行機がその、ひとつの正体です。Tu-95は
もともとソ連時代に設計された戦略爆撃機で
ロシア語でТу-95トゥー・ヂヴィノースタ・ピャーチと呼称します。
(この機体は二重反転プロペラ機です。
二重反転プロペラについてはまた別に書きます)
この飛行機を見て、日本人は変わった形をしているなあ
と思うかもしれません。
別々の進化を遂げてきた東西の機体は、現在においても
世界各地でライセンス生産等が行われ、アメリカ側とロシア側の
二大勢力となっています。
アメリカが組長の親分だとすると、その手下に日本、韓国などがあり
同じ戦闘機を使っています。
一方、ロシア親分は手下に中国軍、北朝鮮軍などがおり、
いずれもスホーイなどをベースに少し劣化した飛行機を
使っています。
ヨーロッパ組は少し事情が変わっているので、ここでは割愛します。
古くはロケット開発で顕著に見られた、東西の違いは
セルゲイ・コロリョフ(ソ連)と、ヴェルナー・フォンブラウン(アメリカ)
の二人の偉大なるパイオニアが存在したことから
別々の道を辿ることになります。
科学は突き詰めてゆくと大概同じような形になりますが
それまでの積み重ねがあってのことで、ロシアとアメリカは
例えるならば、二つの巨大な塔を建設する目的は同じでも
基礎から違っているので、てっぺんでは全然別の形のものが出来上がって
それが実に興味深いという話を此処で楽しみたい訳です。
もとはナチスドイツでV2ロケット(核ミサイルの原型)を開発していた
フォンブラウン博士は、アメリカへ亡命し、その技術を生かして
サターンロケットを開発し、やがて月へ到達します。
一方、ロシアのコロリョフ博士は人類(ガガーリン)を初めて宇宙に
送ったソユーズロケットの父で、ソユーズは現在でも
ほぼ同じ形で現役。スペースシャトルの退役した現在、
アメリカに代わり、国際宇宙ステーションへのメインの
宇宙船として忙しく働いています。
ソユーズは見た目は変わりませんが、
中身はアップデートが繰り返され、別物と云われております。
ロシアという国はハードを長く使う傾向にあるようで、
その完成度の高さは凄いです。
そういった具合だったのですが、宇宙開発という分野では1975年7月に
アメリカの「アポロ18号」とソ連の「ソユーズ19号」がそれぞれ
打ち上げられ、宇宙でドッキングし、
「もうこれからはお互い仲よく協力してやりましょう」といって
アメリカとロシアが協力関係になりましたので終わったのです。
かくして宇宙から国境が無くなりました。
ところが地球上ではそううまくいかなかった。冷戦が終結しても
戦争はなくならないし、それに伴って、東西の兵器は
別々に進化を続けています。
アメリカ親分の戦闘機はFシリーズといって
古くはF4FからF6Fなどのレシプロ戦闘機からはじまって
F4、F15、F16、F35などのジェット戦闘機が開発され
子分である日本にも劣化バージョンが送られてきました。
▲アメリカ軍原型のFシリーズ
もとをたどれば、ソ連との国境線にあります、我が日本は、冷戦時代に
アメリカだけでは極東の防衛が難しくなったので、航空自衛隊を発足し
「忙しいんだから、お古の戦闘機をくれてやるから日本はこれで
新しく軍隊を作って戦いなさいよ」
とアメリカ親分にもらったものですが。
一方、中国、北朝鮮など共産・社会主義各国はロシア(ソ連)親分に
お古の戦闘機をもらっていました。
アメリカではFシリーズにあたるメインの戦闘機が
スホーイ(su)シリーズとなります。
▲ロシア軍原型のスホーイシリーズ。
見た目が全然違います。
このページの最初でツポレフを掲載して、なんでロシアの飛行機は
変わっているのか、という話をしましたが、当然、ロシア組長から
見ればアメリカ組長の飛行機は「ケッタイな格好している」という感想を
持つに違いないでしょう。
政治的なお話は抜きにして考えることにしたいです。
航空ファンは、純粋にメカの進化という視点から見れば、
とても興味深く話が尽きないです。
ドイツと日本も戦中は独自に、優秀な飛行機を開発していたのですが
終戦に伴うアメリカの進駐とともに、ドイツも日本も、
技術はぜんぶアメリカのものになりました。
フーゴー・ユンカース博士の技術も中島飛行機の糸川英夫博士の技術も
ぜんぶです。悔しいですが、戦争に負けるとはそういうことです。
中島飛行機出身の糸川博士は
戦後宇宙開発に携わりますが、その話も今度したいですね。
こういう話題を話せるオタク仲間が近くにいないので、
少しだけここに書きました。
画像購入先 Shutterstock
膨大な量の取材の録音データなのですが
悩んだ末、プロにテープ起こしをお願いすることにしました。
1時間1万5千円~2万円ほどかかるのですが、
効率化を図る為、決断しました。
ここまで来るのに多くの方々の尽力を賜っております。
日頃から私のコーディネートをしてくださっているY氏などは
寝る間を惜しんで、私の取材が円滑に進むよう、戦友会など
あちこちに出向いては、根回しや交渉をしてくださっています。
そういった方の気持ちを背負っているので、期待は裏切れないのです。
これでなんとか、書籍化に一歩、前進です。
『陸海軍航空戦記』(仮)の出版予定ですが
なんとしてでも今年中に出版できるよう頑張ってくれ、と
コーディネーターの方から励ましのメールがありました。
こうした作業はもちろん仕事の合間にやっています。
膨大な取材音声の書き起こしがなかなか終わらない状態でして
それが終わったら今度は資料との照らし合わせる作業、校正などがあり
ますが、今年中に出せるかどうか、体が三つくらいあれば良いのですが
なかなか厳しいです。
しかし、「やればできる」と言われておりますので
より一層の奮励努力でこれを頑張ります。
年末の改修工事で行った作業のひとつが
サイトのモバイルフレンドリー化(スマートフォン対応)でした。
いまは殆どの方がスマートフォンでご覧になるので
スマートフォンで見やすいように改修工事を致しました。
(旧バージョンはパソコンの画面と同じように表示されていたので
不便だったと思います)
でも私はスマートフォン持っていないので
どのように見えるかわかりません。見やすいといいんですけれど・・・。
74式戦車シルエットのフリー素材できました。
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2016/10/10-232e.html
さっそくステッカーの試作を行いました。
履帯のギザギザ部分がカッターの刃がひっかかりやすく
苦労しましたが調整してなんとか出力できました。
あとは90式戦車が揃えば陸上自衛隊の戦車はコンプリートです。
頑張ります。
お陰様で今年も無事に一年間を過ごすことができました。
これも日頃よりお世話になっている皆々様方の
お力添えあっての事です。心より感謝申し上げます。
来年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
本日12月31日、ブログの大幅改修を実施中です。
各コンテンツはそのままですがサイドバーやリンクのレイアウトが
変更となります。作業中は記事の表示がやや不安定になりますが
ご容赦ください。ブログタイトルも新年より
『南溟の桜』より『空のカケラライブラリ』に変更させて頂きます。
内容は航空関係、戦記がメインですが、来年からはそれ以外にも
様々なジャンルに渡って記事を書いていきます。
皆様、よいお年を!
零戦パイロットの藤本速雄さんが
12月28日にご逝去されました。
本日30日が告別式の予定ですが、
どうしても松山市まで足を運ぶことができず
最後のお別れが出来ないのが残念でなりません。
最後に藤本さんにお会いしたのが、つい先々週の事でした。
笑顔で手を振ってくださったことを思い出します。
そのご様子から察するにもう長くはないのかもしれない、と
覚悟はしていたのですが、本当に辛く悲しく耐えがたい気持ちです。
心よりご冥福をお祈り申し上げるとともに、靖国神社で
戦友の方々と再開されることを願っております。
たくさんの誕生日お祝いメールありがとうございます。
必ずお返事します。
安倍晋三首相の真珠湾慰霊の旅でここ2、3日大ニュースになってますね。
全然時事問題に触れないブログで申し訳ありません。
真珠湾関連の記事があるためか、ここ数日、ブログの
アクセス数が4~5倍に跳ね上がってびびっております。
特に安倍さんが飯田房太大尉の慰霊碑を訪れたことが
大きかったようです。
おとといも報道各局から電話が
リンリンリンリンかかってきて
「真珠湾攻撃の生き残りがいたら紹介してください」だそうな。
数年前に製作した「晴嵐」の洋上迷彩バージョンです。
クレオスのミスターカラーからF-2用の洋上迷彩カラーセットが
発売されておりますのでそれを使いました。
艶消しの吹き具合でだいぶ色合いが変わるので
気を付けました。日の丸は手抜きでデカール。
だから説明書きはちょっと嘘というか、架空戦記になってますね。
これしかなかったので、すみません。
また面白い写真出てきたらアップします。
Amazonで購入したこちらの品物は
アメリカ軍でも使っている軍用耳栓。(ナスカーって書いてあるけど)
普通の耳栓より格段に性能が良いそうです。
硫黄島派遣の際に、航空自衛隊のC-1かC-130に乗るのですが
耳栓必須です。その上、自衛隊の宿舎での共同生活で
避けられないのがイビキの問題です。イビキの大きい人だと
睡眠不足で困っていたのですが、これで大丈夫です。
戦友のイビキで睡眠不足になったら満足に戦えませんもんね。
さすが、アメリカ軍の備えは完璧でした。
この耳栓に加え、ダメ押しでノイズキャンセラーヘッドフォンを併用すると
ほぼ無音になります。寝返りを打てないのが欠点ですけど。
さすがに軍用は手に入らないので、民間用最高品質のオーディオテクニカです。
この組み合わせは最強でサーキットの撮影でも使っています。
サーキットの爆音も、耳栓とヘッドフォン越しに聞こえる事は聞こえるのですが
だいぶまろやかになりますので、リラックスして撮影できます。
オーディオテクニカといえば、ノッチホンですね。
先日の戦友会では、ささやかなクリスマス会を行いました。
有志の方が有名なケーキ店のケーキを並んで買ってきてくれたのです。
それをみんなで食べて、年末に備え英気を養いました。
クリスマスというと、敵性文化のように思われるかもしれませんが
昭和19年公開の映画『加藤隼戦闘隊』をご覧ください。
総員食事のシーンで、食堂内に煌びやかなクリスマスツリーが
鎮座しております。
映画にならって、
難しいことは抜きにして楽しめることは楽しむのがモットーであります。
私が代表代行を務めます、師団の戦友会を来年で
閉会することとなりました。ここ数年で、戦友会員がお亡くなりになったり、
体調不良につき、外出ができなくなったりということが重なり
参加者が減ってきていたのです。
しかし、有志の協力でお陰様をもちまして当初の
お約束通り、最後の一兵まで頑張り抜きました。
本当に最後の一兵まで頑張ったので、
走り切った感じもしますが、高齢化には勝てずやはり悲しいです。
ひとつの時代がこうして終わっていくんだなと、感じます。
松山滞在最終日、飛行機まで少し時間があったので
松山在住の友人の車でしまなみ海道を行けるところまで行ってきました。
写真は(夏の写真ですが)来島海峡です。
画面奥が今治です。造船所のクレーンがあります。
真ん中の島が馬島。出入り口がありますが島民専用です。
右奥の島が小島。以前、見学した小島要塞です。
今治からですと、この先、大島を過ぎて、次の島が
伯方島。有名な伯方の塩の産地です。
次が大三島、生口島まで行ってきました。ここから先は広島県でしたが
時間切れでUターンしてきました。次は呉まで行きたいです。
昭和18年9月20日の航空記念日
所沢の陸軍飛行学校にて撮影された写真です。
写真の左端が遠藤三郎陸軍中将で航空士官学校長の
御令嬢、その左、頭にリボンを着けているのがヒラセンレースの
御令嬢で、その左側が老舗デパートの御令嬢です。
取材した詳細なメモが年末のゴタゴタで埋もれてしまい
出てきたらちゃんと書きます。
この写真そのものは遠藤中将の御令嬢より頂戴して掲載許可を頂いた
ものです。もう一枚、お嬢様方を正面から写した写真もありますので
今度またスキャンしておきます。
パイロットの方々は、陸軍士官学校の空勤者と思われますが
詳細はわかりません。中将のお嬢様おっしゃるに、おそらく後の
振武隊(特攻)で戦死されたのではないかということでした。
興味深いのがお召し物です。手前の御三方はワンピースでスカートです。
戦時中と雖も、華やかです。とても貴重な資料写真です。
私は、戦時を経験された女性に
「いつ頃からモンペに変わったんですか?」と尋ねるのですが
具体的に記憶されている方は少ないです。
この写真は昭和18年の9月20日です。和服の左側のお嬢様は
セーラー服ですけどスカートです。
女性の装いが簡素化して
いよいよ戦況切迫してきたのが昭和19年の中頃といえます。
サイパン玉砕からが特に顕著です。
比較的裕福な家庭とはいえ、世間体がありますので
公の場所でスカートは履けないと思いますが、どうでしょうか。
中将のお嬢様も「昭和19年後半からいよいよだと思った」
という印象だったと語られております。
私はNHKの朝の連続ドラマなどを見て、時代考察が
どうだったのかとかよく考えてます。
現代の物差しではかっていないか、超越的でないか、など。
時代考察がきちんと行われていない作品だと
昭和17年代なのに、都市部で超質素な暮らしをしている等
テキトーです。
この場所は現在の所沢航空記念公園です。
個人ブログの衰退が著しい。
その最たる要因はSNSの台頭である。
以前は個人ブログを書いていた人たちも殆どが閉鎖して、
ツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどに移行している。
SNSに投稿された記事や画像は、他人のタイムラインに表示され
それが興味があっても無くても、とりあえずは他人の目に触れることになる。
これにイイネを押すかどうかはまだ別の問題であるが、
今日、何を食べたとか、どんな些細な事でも、強制的に目に触れるので
「注目されている」「読まれている」「繋がっている」といった
満足感が得られるのである。老若男女、かまってちゃんと言ったら悪いけど
仮にも一億総芸能人時代の到来である。
個人ブログが衰退したもう一つの大きな要因としては、こうしたSNSに
投稿された記事や画像が、キュレーションサイト(まとめサイト)に
吸い上げられてしまって、見る方も、投稿するほうも、それが楽チンであり
第一次情報を発信しようという気概が失せてしまったのか、と私は考えている。
そんな時代に、こんな個人ブログをやっているのは何者なのか。
自分でもよくわからないが、どうぜ個人研究をするなら
ノートに書いてしまっておくより、誰かの役に立てれば良いと
思ってとりあえず惰性で公開を続けている。
事実、このブログには一日に数千から多い時には一万以上のアクセスがある。
多くは検索エンジンからの訪問となっているが、どんな人が見ているのか、
書いている本人にはサッパリわからない。
こんなに見てる人がいるのに、イイネ!もコメントも殆どつかない。
SNSとは雲泥の差である。
たぶん、「オッケー、グーグル!」で気軽に調べてここへやってきて、
見て、情報が得られたら、それで満足しておしまいなんだと思う。
「オッケー、グーグル!」で来た人へ。あなたの顔を私は知らない。
保証の限りではないけれど、見てくれてありがとう。
孤独といえば孤独だけど、自分にはこれが合っているし
これで良いんじゃないかなと考えている。
西開地重徳(にしかいちしげのり)一飛曹(戦死後少尉)
米国では最も有名なゼロファイターである。
今回は今治市で西開地少尉のご遺族である、実の弟さんに
お目にかかり様々なエピソードを伺った。写真はお墓参りの様子。
昭和16年12月8日、
西開地一飛曹は真珠湾第二波攻撃で空母「飛龍」より飛び立ったが
戦闘中に被弾。帰還の見込みを絶たれる。
「被弾して機動部隊に帰還できる見込みが
無くなった場合ニイハウ島に不時着せよ」
真珠湾攻撃参加のパイロットには、あらかじめ以上のような
取り決めが成されていた。そしてニイハウ島には搭乗員救助の為の
潜水艦が浮上する計画であった。
西開地一飛曹はこの約束に従って、被弾したゼロ戦を
操りニイハウ島への不時着を成功させる。
ここで潜水艦を待つはずが、待てど暮らせど、潜水艦は来ない。
これが後に
「ニイハウ島事件」と呼ばれる、現地住民を巻き込んだ
不幸な事件に発展してゆく。
ニイハウ島事件に関しては様々な説があるので、ここでは割愛する。
真珠湾攻撃前、西開地一飛曹は佐伯へゼロ戦を空輸する際、
ちょうど波止浜(現・今治市)の上空を飛行し、
実家の上空で旋回したが、これが最後の別れとなった。
西開地重徳、米国では最も有名なゼロファイターである。
現在、西開地の零戦は、真珠湾フォード島のアメリカ海軍基地内にある
「太平洋航空博物館」内に展示されている。
ガールズ&パンツァーで有名になった大洗町視察の第二回目です。
感想を一言で言うと
こんな凄い町おこし見たことない!
です。びっくりしました。
今回はガールズ&パンツァーの博士であるH氏にガイドをお願いして
見学致しました。
まず、鹿島臨海鉄道大洗駅へ向かいます。
大洗駅到着。
まずは、駅舎内にある観光案内所を訪ねます。
観光案内所は午前九時にオープンしますので、ガイドのH氏は
早朝に自宅を出発し、9時ちょうどに到着するよう段取りして
くださいました。午後になると人も多くなってくるのでなるべく早めに
到着するのがおすすめです。
観光案内所にはこのような地図が掲示されております。
拡大してご覧ください。
大洗町商店街にはガルパンのキャラクターが勢揃いであります。
全60か所以上!
それぞれのお店ごとに担当キャラクターがあるのです!
お店にはキャラクターの等身大パネルが設置されており、メインキャラクターから
名前のはっきりしないマイナーキャラまで揃っています。
これを参考にして好きなキャラクターの居るお店を回る訳です。
一日かければ、全てをコンプリートすることも可能かと思います。
そして、それぞれキャラクターの居るお店では
担当キャラクターのオリジナルグッズやノベルティが置いてあります。
大洗町の町興しの凄いところは、これだけの
お店が全て協力体制にあり、店主のおじいちゃんおばあちゃんまで、
積極的に参加しているところです。
これなら引きこもりの人も、健康的かつ社交的になって
出掛けてみようという気概が生まれます。
ガルパン大洗町最大の工夫は、
そのお店の普通の商品を買い求めることによって、
グッズが貰えることです。例えば、文房具屋さんなら鉛筆、
乾物屋さんなら干物などを買い求めて、オマケとしてお目当てのキャラの
グッズを貰う、といった具合です。
もちろん、お店によってはガルパンそのもののグッズを置いている
ところも多いです。
※地図には劇場版の知波単学園と継続高校が未掲載ですが
デジタルの地図には表示されております。
上記の例にならって、
スルガヤ薬局さんで買い物して貰った風紀委員@後藤モヨ子のポストカード。
これをもらう為に、スルガヤ薬局さんで何か購入するのですが、
それは何でも良いんです。それで店内を探していたら、
店番のお母さんからにこやかに
「無理して高いもの買う必要ないかんね」
とのお言葉を頂き、一安心。
こちらはキャラクターの個人名刺。
こちらは購入しなくてもお店の人に「名刺交換してください」と
丁寧にお願いすれば貰えるそうです。
こちらの商品はカチューシャの担当店で、酒屋さんの
サカゲンさんで買い求めたプラウダ・ウォッカ。2800円くらいかな?
白と銀のラインが描かれ、青いストーンが付いた綺麗なボトルです。
購入したので、カチューシャのバッジを貰いました。(左下)
こちらの食堂は、アニメにも出てくる、さおりん(武部沙織)の肉じゃがが
有名なカワマタさん。H氏、お目当てのお店。早く来ないと売り切れる!
とのことで早朝に出発したわけですが。
無事、ミッションを達成したH氏。その場で一個、お土産用に一個を購入。
今度は、大洗ホテルのロビーにやってきました。
こちらはあんこうチームの天才操縦士、冷泉麻子が居ます。
35番、大久保酒店、阪口桂利奈。桂利奈酒を販売しています。
H氏、今回の最大の目標、50番、新屋酒店へ突撃。
いわゆる推メンの山郷あゆみはうざぎさんチーム。
オリジナル商品「山郷のしずく」(梅酒)をゲットしてミッション達成。
山郷あゆみバッジを貰っていました。
ガソリンスタンドにある巨大パネル。
55番、いそやさんに併設の休憩所に貼られた各種グッズ類。
大洗磯前神社へ。
こちらはガルパンと艦これの両方のファンが聖地巡礼に必ず訪れる
スポット。もちろん作品にも登場します。
境内の絵馬が凄い。
マリンタワーにあるガルパンカフェに移動して昼食。
早く来たので空いていました。
ガルパンカフェのトイレから望む絶景。
奥が大洗サンビーチ、手前が波止場。
ふたたび大洗駅に戻り、ガルパンのラッピング列車を見学します。
H氏はこのナースの絵柄が見たかったらしい!因みに
ナースバージョンのグッズは献血しないと貰えないので
なかなかハードルが高いです。
そんな訳で、大洗の視察報告でした。
これらのグッズはあくまで参考資料として購入しました。
決して欲しくて買った訳ではありません。決して。
アンツィオ模擬戦のぴよぴよステッカーどこに貼ろうか悩むなあ・・・。
ぜんぶ見られなかったから、また視察に行かなくては。
つづく。
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最近在日米軍機の事故で大きな話題になっているので少し書きます。
先週は米海兵隊のFA18パイロットの方と航空自衛隊の同じくF-4の
パイロットの方と同じ場所でお話しする機会がありました。
領空侵犯機への対応など色々な事柄をお聞きしました。
パイロットは例外なく勇猛果敢であり、広い広い視野を持っておられます。
日米、双方の意見として
「戦死者が出るからやめろ?何をバカなことを言ってるんだ」
との由。航空自衛隊に関して言えば、世界一の整備水準を誇る為、
航空機の事故は少ないです。またそれらを扱うオペレーターの技術も
非常に高いです。
一方、米海兵隊の機体は意外とボロボロでオイル漏れが放置されていることも
多いです。だから局地的な戦闘においては日本が優れる場面も多いのです。
簡単に言えば少数精鋭です。
しかし、これが大局的観点からすると、実に脆弱でして、
10対10の戦いに於いてクオリティの差で圧勝したとしても
後ろに100の敵増援部隊が控えていたとしたらどうでしょう。
時間・兵站・情報などあらゆる場面から判断したらどうでしょう。
勝てるでしょうか。一人の軍人の戦死者を出さない為に、100人の
民間人死者が出たらどうでしょうか。
戦争に巻き込まれたという場面を考えるならば
もっと広い視野で物事を考えなければならないと感じます。
それには過去から現在、未来という時間軸の中で広いスパンをとって
考えなければならないと感じます。有事と平時の境界線など実に曖昧なもの
だと思います。
※画像はイメージです。
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