シャッターを閉めるとき怪我してしましました。
単なる突き指ですが、1~2日くらい何もできないのが悔しいです。
痛み止め飲めばとりあえずは仕事はできますが、
これはかえって長引きますかね。
こんなイージーミスで!
悔しい!悔しい!悔しい!
負けないぞー!
せっかくなので単独のページを用意しました。
P-51D ジョージ・プレディ少佐
ジョンC.メイヤー将軍より「彼は完璧な戦闘機パイロットだった」
と賞賛される米国空軍のトップエース。ノースカロライナ州グリー
ンズボロ出身。少佐はもともとは「納屋のパイロット」だった。
(農薬散布の自家用飛行機のパイロットの意)
当初海軍のパイロットを志したが、身体的理由で三度落選。
その後、空軍のパイロットを受験して合格。
初陣となるダーウィン空襲邀撃で2機の日本海軍機を撃墜した。
その後、P-74とP-51を交互に飛ばしながら
欧州戦線の第352戦闘隊に転属となり
ドイツ空軍と空戦を行う。その間にもスコア(撃墜数)を
重ねつつあったがドイツ降伏の直前となる12月25日
友軍の誤射によって戦死した。
東京ローズ (B-29/F-13のパーソナルネーム)と
P-51D、ジョージ・プレディ少佐機を描きました。
P-51D ジョージ・プレディ少佐機
ジョンC.メイヤー将軍より「彼は完璧な戦闘機パイロットだった」
と回想される米国空軍のトップエース。ノースカロライナ州グリー
ンズボロ出身。少佐はもともとは「納屋のパイロット」でした。
(農薬散布の自家用飛行機のパイロットの意)
当初海軍のパイロットを志しましたが、身体的理由で三度落選。
その後、空軍のパイロットを受験して合格。
プレディ少佐は初陣となるダーウィン空襲邀撃で
2機の日本海軍機を撃墜しました。
その後、P-74とP-51を交互に飛ばしながら
欧州戦線の第352戦闘隊に転属となります。
欧州戦線ではドイツ空軍と空戦を行います。
その間にもスコア(撃墜数)を重ねつつありましたが
ドイツ降伏の直前となる12月25日、友軍の誤射によって
戦死しました。
B-29(F-13)TOKYO ROSE
このB-29は19年11月に初めて帝都上空の単機侵入を敢行した機体で
厳密には偵察機型であるF-13Aと呼ばれる型式で第3写真航空群の
機体番号42-93852、後に「トーキョーローズ」の
パーソナルネームで勇名を馳せた機体です。
B-29(F-13A)はサイパン島のアイズレイ(イスレイ)飛行場を
早朝に離陸。13時頃、房総南端に現れました。日本側の電波
警戒機は機影をこれをキャッチしていましたが、
今までしばしば南方から帰還する海軍の哨戒機があったので
それと思い込んでおり、対応の遅れを招きました。
14時、帝都上空に侵入したB-29(F-13A)は
高度9800メートルから写真撮影を開始。
第10飛行師団はただちに在空警戒中の武装偵察機および
戦闘機隊に出撃させましたが、届かず
B-29(F-13A)は千葉から東京、川越、太田を経て利根川を下り
九十九里浜から南方に退去。
好天で1000枚以上の写真を持ち帰りました。
後の関東地区の空襲に寄与する大戦果でした。
機長のラルフ・ステイークリー大尉とその部下は
その功績を称えられるとともに、新聞で大きく報道され
英雄となりました。(写真あり)
日本が帝都上空への敵機侵入を許したのは昭和17年4月の
ドゥーリットル空襲以来でした。
「東京ローズ」は機体のパーソナルネームとなります。
命名の由来は米軍向けの英語プロパガンダ放送をしていた
日本人女性アナウンサーの存在です。ノーズアートにも
想像図が描かれています。
彼らは、その美しい声の女性に「東京ローズ」と名付け、
日本を占領した暁には、この女性アナウンサーに会えると
考えていたそうです。
東京ローズを竹田大尉が飛燕で追撃したエピソードは
こちらの本も書いています。
どんど焼きの片付けです。
燃え残った金属類や陶器を取り除いていきます。
こちらが、お焚き上げ前の状態です。
なるべくビニールを剥がして、金属類を取り除いていきますが
とても量が多く、確認作業が追い付かないので、お焚き上げの前には
各ご家庭で分別をしてくださると、とても助かります。
特に小さなお守りのビニールや鈴を取る作業が困難なので
これだけでも取り外してもらいたいです。
お餅はパッケージ、中身ともにダメなのですが
預かった袋の奥深くに入ってるとわからない(T_T)
古雑誌や普通のゴミ類、クリスマスリースまで出てきました。
一番分別してて危なかったのは割れた蛍光灯と電池です。
だるまさんは、底が鉄製の重りになっているので
ハンマーで取り除きます。この作業は危ないのでご家庭では
無理の無い範囲で大丈夫です。
陸軍機スケールポスター / クリアファイルが完成しました。
コミティアで頒布予定です。
海軍はこちらです。
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2018/10/post-645c.html
これでペアになりました。一応、ノモンハンから大東亜戦争末期までの
機体はほとんど書きましたが、どこまでカテゴライズするか、これ以上はそう
いった問題になってきます。
今回は、高速研究機「研三」、鍾馗二型丙、特殊攻撃機「剣」、キ115、キ109、
萱場ラムジェット戦闘機「かつをどり」、試作ジェット戦闘機「火龍」
桜弾機、九八式直協機、九七偵察機(朝日新聞の神風号)
飛燕二型改、Bf-109ドイツ技術供与機、そして幻の計画に終わった
隼の四型を描きました。「富嶽」も架空です。
次いで、大きさ比較の為、B-29と鹵獲機B-17、P-51Dも描き込みました。
昨夜も一睡もできなかった。
夜、副交感神経を優位にしようと思って色々工夫するのですが
次々アイディアが出てきて眠れなくなる。
仕事が山積みであります。
今、書いてる本が終われば少しは楽になるだろうか。取材している方が
いずれもご高齢だからお元気なうちに何としてでも監修をお願いして
完成させたい。少しも待ってはくれない状況。
もう少しの辛抱かな。
たまにこのまま死んでしまうかもー、と思うこともありますが
北米大陸自転車横断のときもそうでしたけど、
「もうやめたい」「どうしてこんなに辛いのだ」「やめたい」「やめたい」
と何度考えてことだろうか。ロッキー山脈越えでは凍死しそうなったことも
ありました。でも、コツコツやれば必ず完遂する、
という経験を何度もしているので途中はしんどいのですが、
ゴールのイメージができるので、そこは強みかなと思います。
諦めないで最後まで。
もう少し、もう少しで楽になれる。
今週はラジオ深夜便で午前2時頃に
『楢山節考』(ならやまぶしこう)の朗読を放送してるんです。
今夜が最終回。朗読は美川憲一です。
小説を自分で読むのも良いのですが
朗読に込められた魂ってすごい。
美川さんは60%の出来と仰っていて
まだまだ完成度を上げていきたいとの由。
お話しそのものは悲しいのですが
つい聞き入ってしまいます。