
はじめてのコストコ
はじめてコストコへ行ってきました。
後で知ったのですが、コストコは会員制で、購入はもちろん、
会員証を入場口で提示しないと店の中にさえ入れないらしいです。
そんなことを全然知らず、普通にスルーして他のお客さんに混じって
入ってしまいました。広い店内を一巡ましたが
けっこうな混雑だったので流し出されるように
一度出口から出てもう一度入口から入ってみようとしたところ
チェックの人に止められた次第です。
二度目に入ろうとして止められたときはかなり恥ずかしかったです。
田舎者で何も知らないもので、ごめんなさい。
でも、店内を一通り見て、売ってるものとか雰囲気は掴めました。
人によるかもしれませんが、
外国のスーパーみたいで、いきなり英語で話しかけられたら
どうしようとソワソワしてしまって、落ち着きませんでした。
女性のお客さんがたくさんいて、でっかいカート押して突撃してくるので
ちょっと怖かったです。
地元にないので年会費を払って行きたいか、悩むところです。
余談なんですが、知人のお母さんが
自宅から2分のところに大型ジャスコ(イーオン)はあるのですが
それでも、一ヶ月に一回、栃木の田舎から
2時間かけて埼玉のコストコまで仲間数人で出かけて行って
たくさんの買い物をしてくるという話を聞いていたので
魅力あるところなんだな、と自分も想像していました。
栃木では「今度、栃木にもコストコができるらしい!」という
噂が広まっています。
それは凄いものでインターネット全盛の世にも関わらず
間違った情報が口コミで瞬く間に広がり、
鉄腕ダッシュのチェーンメールの如く、何年経っても
根強く生き続けています。
もちろん嘘です。
栃木にコストコ出店の予定は今のところないようです。
(鹿沼の出店予定も中止になりました)
Alastair Wallace / Shutterstock.com mandritoiu / Shutterstock.com
ペリリュー戦と中川大佐を扱ったフジテレビのドラマ
金曜プレステージ終戦記念スペシャルドラマ
『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』
を見ました。非常に残念な内容でした。
ペリリュー戦の大義「生きて戦え」
ペリリュー玉砕戦の大義とは何か。
それは「生きて戦うこと」です。
米軍の本土進攻を一日でも食い止めるため、
バンザイ突撃など、玉砕を戒めるようペリリュー島の
守備隊全軍に通達がありました。それは飲み水も無く
じっと耐え忍ぶほかなく、死ぬよりつらいことだったでしょう。
ちょうど裏番組でやっていた「硫黄島からの手紙」で
栗林中将演じる渡辺謙は次の如く名セリフを残しています。
「我々の子供が日本で一日でも長く安泰に暮らせるならば、
我々がこの島を守る一日には意味があるんです」
この僅かなセリフが全てを説明してくれています。
ペリリュー戦でも同じです。玉砕を認めないという
硫黄島の戦法はペリリューを踏襲するものでありました。
戦後主観のストーリーへすり替わってしまった
それがテレビドラマでは
「個人個人の命は大事だから生き残ろう」という戦後主観の主旨に
見事すり替わっていました。歴史的背景、戦史戦術の面からも
否、全てにおいておかしいのです。
非常に残念な結果となりましたが
パラオのペリリュー島を周知するという意味では
プラスだったのかな、と思います。
毎回、パラオを訪れた際は
ここへお参りします。
以前、プロペラが一本盗難に遭い、心配していましたが
私がご遺族をお連れして、テレビ放映されたのをきっかけに、
地主の方が以来、気にかけてくださっています。
本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
除草作業も行われています。
戦死された吉田久光飛長に合掌。
吉田機不時着、戦闘の経緯はこちら
流星を描きました。
逆ガルの翼が優美な日本海軍最後の攻撃機です。
連合軍では
その名もGrace(グレース)
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これから、戦車や大和、武蔵の作業に取り掛かります。


▲坊津・丸木浜
鹿児島県・坊津(ぼうのつ)へ行ってきました。
海の美しさは沖縄と比べても遜色ないものでしょう。
上画像は「丸木浜」です。
こちらは、さらに奥へ行ったところにある
「馬込浜」です。砂のきめ細かさは屈指です。
穏やかなので小さな子供を連れての海水浴にも最適です。
戦艦大和と坊津
坊津といえば、戦艦大和が沈んで2日後くらいから
大勢の水兵の遺体が流れ着いたと伝わっています。
現地民が浜に埋葬し、階級章からわかった氏名をもとに
墓標をつくり戦後数十年は立っていたのですが、現在ではその位置も
わからなくなってしまいました。
米軍のパイロットの遺体も多く流れ着いて埋葬されたそうです。
これを知ったアメリカ人は感涙したそうですが
現地民にしてみればとにかく腐敗臭がひどく、
埋めるしかなかったと、いった理由からでした。
馬来丸慰霊碑
上は陸軍の兵隊が乗っていた輸送船「馬来丸(マレー丸)」の慰霊碑です。
坊津沖で被雷し、沈没。山岡少佐以下37名は自力で泳ぎ
ここへ上陸しましたが、力尽きました。
恵比寿様の埋葬跡
砂浜近辺の茂の中には、祠(ほこら)のようなものや
四角く結界を張った跡など昔、兵士を埋葬したと思われる
痕跡が残っています。
水死体はその姿から恵比寿様と呼ばれ
発見した漁師さんや地元の方々が埋葬してくれたのでした。
流れ着いたご遺体の数は相当なものだったでしょう。
しかし今や過疎化が進み、当時を知る方は
ほとんどいません。
折口の浜に眠る林喜重大尉の紫電改
鹿児島県阿久根市折口浜の浅瀬に一機の紫電改が眠っています。
第343海軍航空隊、林喜重大尉の機体です 。
林大尉最後の戦い~B-29へ捨て身の攻撃
昭和20年、4月24日、B29の編隊が阿久根を空襲。
余勢をかって、ここ折口まで 爆弾を投下しました。
現在、折口駅がありますが ちょうど線路を挟んで南にあたる
阿久根側は焼けたのですが 折口側は無事だったのです。
折口だけが焼けなかった理由
B-29が折口の爆撃進路に入ったとき
一機の紫電改が突っ込んできました。343空、林大尉の機体でした。
林大尉はB-29直上より、一撃攻撃を加えると、さらに反復して執拗に
食いつきました。 これにひるんだB-29は爆弾を全て捨てると、
遁走にかかりました。
林大尉の紫電改も被弾し、満身創痍でしたが
B-29に最後の一撃を加えると、ついにB-29は煙を吐きました。
おかげで折口の町はは焼けなかった。
「だから、わしらは林大尉は神様だと思っている」
住民はそう語り、そのとき林大尉が放った薬莢を
大切に持っていました。
増槽タンクが落ちなかった
林機は増槽タンクが故障により切り離せず、つけたまま戦ったそうです。
空戦後、大尉は沖へ不時着を試みましたが増槽タンクが抵抗となり
着水と同時に おおきく前のめりに突っ込み、頭がい骨骨折により
戦死しました。 この慰霊碑は林大尉を荼毘に付した場所に建てられています。
この話は鹿児島在住の私の友人が折口で取材して まとめた話です。
ある日、戦史研究者がやってきて、この話をしたそうです。
そして、特に許可した覚えはありませんが、この話ほぼそのままの形で
雑誌「丸」に掲載されました。 器の大きい友人は「まあ、よか」ということに
して、特に何も言いませんでした。
林大尉の慰霊碑へ
野球場のフェンス奥へ入っていきます。
見えてきました、地元の有志が清掃してくれていて
綺麗です。
林喜重大尉(戦死後少佐)碑文
松の梢よ 磯吹く風よ
お前は覚えているか
あの雲の彼方に
散っていった戦友のことを
心あるなら伝えておくれ
私の故郷鎌倉の海のような
美しいこの折口の浜で
心ゆくまで語ろうではないか
▼再現作画(推測)
天狗鼻望楼台へ
薩摩川内市の天狗鼻にある
天狗鼻望楼台(てんぐばなぼうろうだい) へ行ってきました。
かなり外れた場所にあるので時間がかかりますが見る価値は充分にあります。
川内原発からさらに西へ、 車一台がやっと通れる細い林道を走ること30分
車をとめて、さらに山道を20分歩きます。
この望楼台には歴史の重みがあります。
ここから対馬沖へ向かうバルチック艦隊を監視
ここから北上するバルチック艦隊を監視していたのですね。
その後、有名な日本海戦で東郷元帥率いる連合艦隊と
対峙します。
保存状態の良い110年前の建造物!!
それにしても、明治33年に完成、運用されたということは
110年以上前の建造物ということになりますが
レンガ造りの望楼台はこんなにも頑丈で、感動しました。
木も腐らないんですね。
展望がよく気持ちが良いです。猫の横顔に似た岩があります。
こちらは潜水艦に似た岩。岩場で漁をしています。
薩摩川内市・天狗鼻望楼台(てんぐばなぼうろうだい)概要
ここ天狗鼻は、北は天草、南は野間岬、西は甑島(こしきじま) が望める
見晴らしの良い場所で、江戸時代にも見張り台が置かれていたと
いわれています。明治28年(1895)の日清戦争終了後に日本海軍は
国内の要所に沿岸防備のための望楼台 を設けました。
ここ天狗鼻に設置されたのもそのひとつで 日露戦争時には海軍兵が常駐し、
バルチック艦隊の北上を監視していました。 鹿児島県内には
ここ天狗鼻(常設)、下甑島の釣掛崎(仮設)佐多岬(常設)三か所設置され、
現存するのはこの天狗鼻のみです。 また国内で現存するのは、
ここ天狗鼻と北海道宗谷岬の大岬旧海軍望楼台の2ヶ所のみです。
竣工明治33年3月30日、運用開始同年8月20日 廃止明治38年10月19日
(日露戦争終結による)佐世保鎮守府所属 海上監視、通信、気象観測を担う。
望楼手ほか4人(戦時中増員)