2016年1月30日 (土)

水野中隊長の初陣

昭和19年、ここはビルマの最前線。 それまで工兵中隊を率いてきた
中隊長の戦死によって、 急遽、派遣された新任の水野中隊長は、
陸軍士官学校を卒業した中尉と雖も実戦経験は無く、
歴戦の部下を指揮しなけらばならなかった。
 
最前線の戦局は士官と雖も解らない。参謀本部からは
「目前の敵を殲滅せよ」 それだけが下令されている。
部下たちは一様に思った。命を預けるには、あまりに頼りない中隊長だ。
それでも互いに命令とあらばやむなし。
真新しい軍服を纏って、水野中隊長の初陣である。
 
やがて戦闘に突入した。 敵から無数の銃弾が飛んでくる。
熾烈を極めんばかりの 修羅場である。中隊は全員、その場に伏せて
反撃の機会を伺う。 その弾幕の中で水野中隊長の部下は我を疑うような
光景を目にした。 水野中隊長が たったひとり、銃弾飛び交う真っ只中に
ヘルメットもせず、あの真新しい将校の軍服で中腰になり、背筋をピンと
伸ばして佇んでいるではないか。 これでは敵の格好の標的である。
 
この奇妙な様子を歩兵中隊で同期の橋本中尉が数十メートル後方から見ていた。
「おい!!水野!なにやってんだ!伏せろ伏せろ伏せろ!!」
助けに行くこともできず、 熾烈な銃声にその声はかきけされた。
 
この戦闘は日本が勝利を収め 奇跡的に水野中隊長も無傷であった。


・・・・・時は経って、平成27年
戦友会でも事ある毎この話題が出て尽きることはない。
 
「昨日のことのように思い出すよ。俺はあのとき水野はもうダメだと思ったよ。
勇敢だったなあ」
95歳になった橋本がコーヒーを片手に語りかける。
 
同じく95歳の水野が答える。
「あのときは戦死した前の中隊長の遺骨を抱いていたから 伏せられなかった
んだよ。でもあれで良かったんじゃないかな。 僕は鉄砲もほとんど撃ったことが
無いのに派遣されてきたばかりだったから部下にどうやって信頼してもらったら
いいか、考えていたんだ。 それで、戦死した前の中隊長の力を借りようと思ってね。
僕の命令なんか聞かなくていいからこの前の中隊長とともにみんな前進してくれ、と
いう思いを込めて遺骨を抱えて最前線に行ったんだよ。」
 
「こっちからの角度じゃ、遺骨を抱えているなんてまったくわからなかったな
何をやってるのか、全然わからなかった」
 
水野中隊はその戦闘以降、部下の信頼が一気にあがり 終戦まで生き残った。
戦友会での会話の一コマである。 これは単なる武勇のエピソードでなく
当時の若者たちがいかに、真面目に、国ために尽くしていたか
それを物語る重要な証言として書いた。 先の大戦で多くの若者が亡くなった。
きっと こういったエピソードは膨大な数が存在するのだろう。 その多くが語り継が
れることなく、命とともに消えて行った。


  
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2016年1月25日 (月)

第343海軍航空隊搭乗員データベース

紫電改
 
検索などで、ここへ辿り着いて欲しいと願い、紫電改の
第343海軍航空隊(剣)搭乗員データベースを作成しました。
記せる限りの搭乗員名を書き出しました。空欄は調査中です。
 
三四三空隊史をもとに
揃う限りの資料(記事の最後参照)を参考にしましたが
食い違いなどがある場合、新しい情報、実際の証言
総合的に信憑性が高いと判断されたほうを採用しています。
 

紫電改

 
第343海軍航空隊「紫電改」搭乗員一覧 
 
戦闘301飛行隊(新選組)[戦死傷者]
機種/紫電改

所属 氏名 階級 期別 発進 概要 日付
戦闘301 菅野直 大尉 海兵70 大村 敵戦爆連合邀撃戦。南西諸島上空戦死 S20.8.1
戦闘301 井上伊三郎 中尉 予11 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S19.3.19
戦闘301 橋本達敏 中尉 海兵72 鹿児島 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 武藤金義 少尉 操練32 大村 艦載機邀撃戦闘。豊後水道上空戦死 S20.7.24
戦闘301 中袴田哲郎 少尉 予13   紫電改空輸のため松山基地着陸時殉職 S19.12.29
戦闘301 指宿成信 少尉 甲2 大村 白菊にて飛行中事故により小倉付近不時着負傷 S20.5.4
戦闘301 武谷繁 上飛曹   紫電改空輸中鳴尾にて殉職 S19.12.20
戦闘301 酒井哲郎 上飛曹 甲10   松山基地にて訓練中殉職 S19.12.27
戦闘301 飯田一 上飛曹 甲10   松山基地にて訓練中殉職 S20.1.1
戦闘301 日光安治 上飛曹 甲10 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S19.3.19
戦闘301 横島敏 上飛曹 乙16   松山基地にて訓練中殉職。 S20.4.10
戦闘301 青山芳雄 上飛曹 甲10 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 新里光一 上飛曹 甲10 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 杉田庄一 上飛曹 丙3 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。離陸中戦死 S20.4.15
戦闘301 起田厚 上飛曹   大村 白菊にて飛行中事故により小倉付近不時着殉職 S20.5.4
戦闘301 桜井栄一郎 上飛曹   大村 白菊にて飛行中事故により小倉付近不時着負傷 S20.5.4
戦闘301 桐山輝雄 上飛曹 甲11 大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4
戦闘301 常石米保 上飛曹 乙17 大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4
戦闘301 佐藤精一郎 上飛曹 甲10   鹿児島上空P-51と戦闘負傷 S20.5.28
戦闘301 見上英司 上飛曹 甲11 大村 敵艦載機邀撃。鹿屋上空戦死 S20.6.2
戦闘301 富杉亘 上飛曹 丙7 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘301 加藤勝衛 上飛曹 甲9 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘301 米田伸也 上飛曹 甲10 大村 艦載機邀撃戦闘。豊後水道上空戦死 S20.7.24
戦闘301 須崎重雄 上飛曹 丙11 大村 敵大小機邀撃戦。九州上空戦死 S20.8.8
戦闘301 久保典義 一飛曹 丙11 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘301 西村誠 一飛曹 甲11 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 大森修 一飛曹 甲11 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 三ツ石幹雄 一飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 浅間六郎 一飛曹 甲11 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘301 清水俊信 一飛曹 丙11 国分 B-29邀撃。出水上空にて戦死 S20.4.21
戦闘301 森山作太郎 一飛曹 丙15 大村 敵戦爆連合邀撃戦。南西諸島上空戦死 S20.8.1
戦闘301 石川武 二飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 富田広利 二飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 〆本俊夫 二飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘301 宮沢豊美 二飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。戦死 S20.4.15
戦闘301 今井進 二飛曹 丙15 大村 艦載機邀撃戦闘。豊後水道上空戦死 S20.7.24

  
戦闘407飛行隊(天誅組) [戦死傷者]
機種/紫電改

所属 氏名 階級 期別 発進 概要 日付
戦闘407 林喜重 大尉 海兵69 国分 B-29邀撃戦。折口に不時着水。戦死 S20.4.21
戦闘407 林啓次郎 大尉 海兵70 大村 南西諸島上空制圧。同島付近にて戦死 S20.6.22
戦闘407 嶋幸三 大尉 海兵71 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 服部敬七郎 大尉 機関52 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦傷 S20.8.8
戦闘407 大塩貞夫 大尉 海兵72 大村 敵機邀撃。佐世保上空付近にて戦死 S20.8.12
戦闘407 川端格 中尉 海兵72 大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4
戦闘407 会津清吉 中尉 予13 大村 大村基地において試飛行中殉職 S20.7.30
戦闘407 石塚光夫 少尉 操練22 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘407 相沢忠義 飛曹長 乙16 松山 松山基地にて戦闘訓練中殉職 S20.3.16
戦闘407 大原広司 飛曹長 操50   戦傷ののち八月城崎海軍病院にて戦傷死 S20.5.14
戦闘407 中島満夫 上飛曹 乙16 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 石田貞吾 上飛曹 丙6 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 田中勝義 上飛曹 丙3 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 山川市郎 上飛曹   大村 白菊にて飛行中事故により小倉付近不時着負傷 S20.5.4
戦闘407 大関常雄 上飛曹 丙6 大村 敵飛行艇邀撃。対馬南方付近にて戦死 S20.5.16
戦闘407 磯川質男 上飛曹 甲10 大村 艦載機邀撃戦。鹿屋上空にて戦死 S20.5.28
戦闘407 礎未男 上飛曹 乙16 大村 南西諸島上空制圧。同島付近にて戦死 S20.6.22
戦闘407 石井正二郎 上飛曹   大村 九州南方空域において敵戦闘機と交戦。戦死。 S20.7.2
戦闘407 野間清爾 上飛曹 乙12 大村 敵戦爆連合邀撃戦。南西諸島上空戦死 S20.8.2
戦闘407 益本栄 上飛曹 甲10 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘407 久多見政行 上飛曹 甲9 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘407 原田和彦 一飛曹 甲11 松山 松山基地にて戦闘訓練中殉職 S20.3.8
戦闘407 狐塚守雄 一飛曹 甲11 松山 松山基地にて戦闘飛行訓練中殉職 S20.3.10
戦闘407 竹島治彦 一飛曹 甲11 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 四枝一男 一飛曹 甲11 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 宮本清 一飛曹 乙15 大村 敵艦載機邀撃。鹿屋上空戦死 S20.6.3
戦闘407 成瀬一丸 一飛曹 丙15 大村 敵機邀撃。九州南空域にて戦死 S20.7.2
戦闘407 溝口憲心 一飛曹 乙15 大村 艦載機邀撃戦闘。豊後水道上空戦死 S20.7.24
戦闘407 信田時正 二飛曹   松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 羽藤博之 二飛曹   出水 出水基地にて訓練中負傷 S20.1.5
戦闘407 浅井善二 二飛曹 特丙11 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 粕谷欣三 二飛曹 特乙1 大村 B-29邀撃。大分県上空にて戦死 S20.5.5
戦闘407 星野瑛 二飛曹 特乙1 大村 敵飛行艇邀撃。女島付近にて戦死 S20.5.17
戦闘407 西本宣之 二飛曹 特乙1 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘407 久世龍郎 二飛曹 特乙1 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘407 原利治 飛長     紫電空輸中兵庫県山中にて殉職 S20.2.19
戦闘407 斉木世一 飛長 特乙1 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 中谷美弘 飛長   松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘407 松村育治 飛長   松山 松山基地において訓練中負傷 S20.3.28
戦闘407 西鶴園栄吉 飛長 特乙1 鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 小竹等 飛長   鹿屋 九州上空制空戦。喜界島上空にて戦死 S20.4.16
戦闘407 小間孫七 飛長   大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4

  
戦闘701飛行隊(維新隊) [戦死傷者]
機種/紫電改

所属 氏名 階級 期別 発進 概要 日付
戦闘701 鷲渕孝 大尉 海兵68 大村 敵機邀撃戦。豊後水道上空にて戦死 S20.7.24
戦闘701 松崎国男 大尉 海兵71 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘701 木下一周 大尉 予備10 大村 P-51と交戦。西彼杵半島上空にて戦死 S20.7.5
戦闘701 上島逞志 大尉 海兵72 大村 敵大型機邀撃。哨戒中B-24と交戦戦死。 S20.7.9
戦闘701 渡部幸博 中尉 海兵72 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘701 保井博久 中尉   大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4
戦闘701 岸本操 少尉   松山 松山基地にて訓練中負傷 S20.3.5
戦闘701 松場秋夫 少尉 操練26 松山 敵艦載機邀撃。空戦により負傷 S20.3.19
戦闘701 石川広 上飛曹   松山 松山基地にて戦闘訓練中殉職 S20.3.1
戦闘701 石川菊一 上飛曹   松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘701 遠藤司郎 上飛曹 甲7 松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19
戦闘701 広留四郎 上飛曹 丙12 大村 敵飛行艇邀撃。女島付近にて戦死 S20.5.17
戦闘701 山田武夫 上飛曹 甲10 大村 艦載機邀撃戦。鹿屋上空にて戦死 S20.5.28
戦闘701 船越二郎 上飛曹 乙14 大村 敵艦載機邀撃。鹿屋上空戦死 S20.6.2
戦闘701 柳沢孝 上飛曹 甲9 大村 南西諸島上空制圧。同島付近にて戦死 S20.6.22
戦闘701 佐久間昂 上飛曹 甲10 大村 九州南方空域において敵戦闘機と交戦。戦死。 S20.7.2
戦闘701 高橋斌 上飛曹 甲11 大村 P-51と交戦。西彼杵半島上空にて戦死 S20.7.5
戦闘701 豊原清志 上飛曹 丙12 大村 P-51と交戦。西彼杵半島上空にて戦死 S20.7.5
戦闘701 初島二郎 上飛曹 甲9 大村 艦載機邀撃戦闘。豊後水道上空戦死 S20.7.24
戦闘701 駒走俊雄 上飛曹   大村 大村基地にて試飛行中殉職 S20.7.31
戦闘701 吉岡資生 上飛曹 甲10 大村 敵戦爆連合邀撃戦。南西諸島上空戦死 S20.8.1
戦闘701 田浦与樹男 上飛曹 丙10 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘701 横堀嘉衛門 上飛曹 甲10 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘701 村山力 一飛曹   松山 敵艦載機邀撃。空戦により負傷 S20.3.19
戦闘701 箕浦信光 一飛曹 丙15 大村 敵飛行艇邀撃。宇久島付近にて戦死 S20.5.15
戦闘701 土屋進 一飛曹   大村 南西諸島上空制圧。同島付近にて戦死 S20.6.22
戦闘701 吉田広義 二飛曹 丙15 鹿屋 敵艦載機邀撃戦。喜界島上空戦死 S20.4.12
戦闘701 藤木喜久男 二飛曹   大村 索敵制空任務中、喜界島上空で空戦。戦死 S20.5.4
戦闘701 森川勝 二飛曹   大村 敵艦載機邀撃戦。鹿屋上空にて戦死 S20.5.28
戦闘701 村元幸雄 二飛曹   大村 敵艦載機邀撃戦。都城上空にて戦死 S20.6.10
戦闘701 佐藤輝一 二飛曹 丙16 大村 P-51と交戦。西彼杵半島上空にて戦傷 S20.7.5
戦闘701 油田末治 二飛曹 特乙1 大村 敵機邀撃。九州上空にて戦死 S20.8.8
戦闘701 和木逸夫 飛長   松山 敵艦載機邀撃戦。瀬戸内海西部戦死 S20.3.19

 
偵察第4飛行隊(奇兵隊)[戦死者]
機種/彩雲

所属 氏名 階級 期別 発進 概要 日付
偵4 高田満 少尉 乙6   哨戒中敵大編隊に遭遇。敵機に体当たり戦死 S20.3.19
偵4 遠藤稔 上飛曹 甲10   哨戒中敵大編隊に遭遇。敵機に体当たり戦死 S20.3.19
偵4 景浦博 上飛曹     哨戒中敵大編隊に遭遇。敵機に体当たり戦死 S20.3.19
偵4 土居定美 一飛曹   松山 飛行訓練中殉職 S20.5.8

 
戦闘第401飛行隊(極天隊) [殉職者]
機種/紫電

所属 氏名 階級 期別 発進 概要 日付
戦闘401 村田義雄 少尉   徳島 徳島基地にて飛行訓練中殉職 S20.4.15
戦闘401 山口米夫 飛曹長   松山 鳴尾へ要任務飛行中道後付近にて不時着殉職 S20.5.18
戦闘401 菊地暹 上飛曹   徳島 徳島基地にて飛行訓練中殉職 S20.4.3
戦闘401 中根明雄 一飛曹   松山 松山基地にて飛行訓練中殉職 S20.6.8
戦闘401 吉川由夫 二飛曹   徳島 徳島基地にて飛行訓練中殉職 S20.4.16
戦闘401 白浜勝 二飛曹   徳島 徳島基地にて飛行訓練中殉職 S20.4.27
戦闘401 吉田政雄 飛長   松山 松山基地にて飛行訓練中殉職 S20.3.25

 
戦闘301,401,407,701,偵4飛行隊 [生存者または安否不明者]

所属 氏名 階級 期別 発進 概要
戦闘301 松村正二 大尉 海兵71    
戦闘301 中西健造 中尉 海兵72    
戦闘301 磯崎千利   操練19    
戦闘301 沢田壮児 中尉 予13    
戦闘301 馬渕良作 中尉 予13    
戦闘301 田中弘 中尉 予13    
戦闘301 柴田正司 飛曹長 甲3    
戦闘301 笠井智一 上飛曹 甲10    
戦闘301 佐藤精一郎 上飛曹 甲10    
戦闘301 桜井栄一郎 上飛曹 甲10    
戦闘301 浜崎勇 上飛曹 甲10    
戦闘301 増田富雄 上飛曹 甲10    
戦闘301 宮本芳一 上飛曹 甲10    
戦闘301 村木一郎 上飛曹 甲10    
戦闘301 田中安太郎 上飛曹 甲10    
戦闘301 田中昿 上飛曹 甲10    
戦闘301 亀井鉄心 上飛曹 甲10    
戦闘301 依田興一 上飛曹 甲11    
戦闘301 大坪通 上飛曹 甲12    
戦闘301 原田英次 上飛曹 甲12    
戦闘301 大西秋義   甲14    
戦闘301 堀光雄 飛曹長 乙10   戦後全日空機長
戦闘301 近藤福吉   乙12    
戦闘301 野口八郎   乙12    
戦闘301 西岡俐   乙12    
戦闘301 藤井実   乙16    
戦闘301 宮崎勇 飛曹長 丙2    
戦闘301 鹿野至 上飛曹 丙3    
戦闘301 駒場三郎 一飛曹 丙13    
戦闘301 沖本堅 一飛曹 丙14    
戦闘301 山田牧一 一飛曹 丙15    
戦闘301 吉原真人 一飛曹      
戦闘301 有馬潔      
戦闘301 半田正一      
戦闘301 吉田健一      
戦闘301 横山友一 上飛曹 丙12    
戦闘301 今村末治 飛長 特乙1    
戦闘301 伊沢秀雄 飛長 特乙1    
戦闘301 田村恒春 飛長 特乙1    
戦闘301 仲睦愛 飛長 特乙1    
戦闘301 姫井治 飛長 特乙1    
戦闘301 深山喜一 飛長 特乙1    
戦闘301 桜井和彦 飛長 特乙1    
戦闘301 中川外喜雄 飛長 特乙1    
         
所属 氏名 階級 期別 発進 概要
戦闘407 光本卓雄 大尉 海兵70    
戦闘407 市村五郎 大尉 海兵71    
戦闘407 速水経康 大尉 海兵71    
戦闘407 服部敬七郎   機関52    
戦闘407 成瀬二郎 中尉 予13    
戦闘407 山田肆郎 中尉 予13    
戦闘407 高牟礼春雄 中尉 予13    
戦闘407 沢田万吉   操練56    
戦闘407 島川正明   操練56    
戦闘407 本田稔 少尉 甲5    
戦闘407 篠田英悟   甲8    
戦闘407 高橋弘 上飛曹 甲10    
戦闘407 伊奈重瀬 上飛曹 甲10    
戦闘407 森正 上飛曹 甲10    
戦闘407 中尾秀夫 上飛曹 甲10    
戦闘407 中野敏 上飛曹 甲11    
戦闘407 松井秀雄 上飛曹 甲11    
戦闘407 平山成徳 上飛曹 甲11    
戦闘407 久保久市 上飛曹 甲11    
戦闘407 山本富夫 上飛曹 甲11    
戦闘407 田中利男 上飛曹 乙11    
戦闘407 下鶴美幸 上飛曹 丙2    
戦闘407 小高登貫   丙10    
戦闘407 石井正臣   丙12    
戦闘407 青柳茂 一飛曹 丙15    
戦闘407 大沢重久 一飛曹 特丙11    
戦闘407 松本美登 一飛曹 丙15    
戦闘407 大東好美 飛長 特乙1    
戦闘407 高木由男 飛長 特乙2    
戦闘407 蓮井光義 飛長 特乙2    
戦闘407 来本昭吉 飛長 特乙2    
戦闘407 松村育治 飛長 特乙2    
戦闘407 山口伯三郎 飛長 特乙2    
戦闘407 井上修 飛長 特乙2    
戦闘407 谷口実徳   予生1    
         
所属 氏名 階級 期別 発進 概要
戦闘701 山田良市 大尉 海兵71    
戦闘701 向井寿三郎 中尉 海兵72    
戦闘701 大村哲哉 中尉 海兵72    
戦闘701 藤田征郎 中尉 海兵73    
戦闘701 松場秋夫 少尉 操練26    
戦闘701 坂井三郎 少尉 操練38    
戦闘701 岡野博 飛曹長 操練54    
戦闘701 松本安夫   操練55   202出身
戦闘701 岸本操   予13    
戦闘701 瀬木春雄   予13    
戦闘701 佐々木原正夫   甲4    
戦闘701 塩野三平   甲7    
戦闘701 小野正盛 上飛曹 甲9    
戦闘701 小野正夫 上飛曹 甲10    
戦闘701 高橋良生 上飛曹 甲10    
戦闘701 古積康雄 上飛曹 甲10    
戦闘701 三宅淳一 上飛曹 甲10    
戦闘701 渡辺久光 上飛曹 甲11    
戦闘701 藤田宏治 上飛曹 甲12    
戦闘701 村中一夫 少尉 乙6    
戦闘701 鹿島考幹 上飛曹 乙16    
戦闘701 村山力   乙17    
戦闘701 開出正憲   乙17    
戦闘701 福長薫   乙17    
戦闘701 杉滝巧 上飛曹      
戦闘701 中村佳雄 上飛曹 丙3   302空より
戦闘701 安楽光男 上飛曹 丙4    
戦闘701 八木隆次 上飛曹 丙6    
戦闘701 木村勉 上飛曹      
戦闘701 栗田徹 一飛曹 丙15    
戦闘701 西元久男      
戦闘701 丹羽良治 二飛曹 特乙1    
戦闘701 菊地道治 二飛曹 特乙1    
戦闘701 杉田寿男 二飛曹 特乙1   B-29邀撃落下傘降下
戦闘701 田代政行 二飛曹 特乙1    
戦闘701 山田稔彦 飛長      
         
所属 氏名 階級 期別 発進 概要
戦闘401 豊田光雄 中尉 操練12    
戦闘401 普川秀夫   操練    
戦闘401 淺川正明 大尉 海兵69    
戦闘401 豊田光雄 大尉 操練12    
戦闘401 加藤忠 中尉 海兵73    
戦闘401 外海信雄 中尉 海兵73    
戦闘401 五十嵐準一 中尉 海兵73    
戦闘401 狭間俊雄 中尉 海兵73    
戦闘401 伊藤暢英 中尉 海兵73    
戦闘401 宮本幸久 中尉 海兵73    
戦闘401 新井田真 中尉 海兵73    
戦闘401 伊藤貞勝   予13    
戦闘401 伊勢芳美   予13    
戦闘401 新藤馨   予13    
戦闘401 塙明次郎   予13    
戦闘401 水田明友   予13    
戦闘401 山本一好   予13    
戦闘401 由本栄作   予14    
戦闘401 稲垣次男   15志    
戦闘401 呉林俊男   17志    
戦闘401 林俊治   16徴    
戦闘401 土山牧群   甲9    
戦闘401 糸井邦男   甲10    
戦闘401 丸谷益 上飛曹 甲11    
戦闘401 寺崎溢男 上飛曹 甲11    
戦闘401 岩本宗一 上飛曹 甲12    
戦闘401 内田陽樹 上飛曹 甲12    
戦闘401 上山高義 上飛曹 甲12    
戦闘401 中山義雄 上飛曹 甲12    
戦闘401 村上徹夫 上飛曹 甲12    
戦闘401 田誠之 上飛曹 甲12    
戦闘401 新谷悟 上飛曹 甲12    
戦闘401 東芳夫 上飛曹 甲12    
戦闘401 岡井玄房   乙16    
戦闘401 唐沢重善   乙16    
戦闘401 井上義明   乙17    
戦闘401 山崎岩敏   乙17    
戦闘401 井上悠雄   乙18    
戦闘401 小関武夫   乙18    
戦闘401 原文雄   乙18    
         
所属 氏名 階級 期別 発進 概要
偵4 橋本敏男 大尉 海兵66    
偵4 伊奈達郎 上飛曹 甲10    
偵4 井手今爾        
偵4 井上保郎        
偵4 飯塚英三        
偵4 伊藤三郎        
偵4 小倉啓志        
偵4 及川喜久男        
偵4 小沼洋        
偵4 川浪重年        
偵4 田中三也 飛曹長      
偵4 綱島正二        
偵4 安岡豊松        
偵4 松村雄        
偵4 福井正        
偵4 桜井良作        
偵4 結城幸志        
偵4 宮尾幸夫        
偵4 妹尾義人        
偵4 鈴木茂男        
偵4 鈴木保男        

 
343空の猛者たち
時間の許す限り調べて書いていきます。
 

◆久保典義一飛曹
丙種予科練11期
マリアナ沖海戦の生き残り。
第261海軍航空隊所属、ゼロ戦でパラオ大空襲のさい
(昭和19年3月)ペリリュー邀撃戦等、サイパン・アスリート基地を
拠点とし
マリアナ方面の戦いで活躍。あ号作戦を戦い抜き、
第261海軍航空隊解隊とともにフィリピンの第201海軍航空隊を
経て、第343海軍航空隊へ編入。
紫電改搭乗。
昭和20年3月19日敵艦載機邀撃戦で瀬戸内海西部戦死
 
松場秋夫少尉(343空指導的搭乗員)
紫電のエース。
大正三年生まれ。三重県出身。操練26期。
昭和11年空母「加賀」乗り組み、翌12年、日華事変勃発。
上海上空の空戦で
ダグラス偵察爆撃機を初撃墜。空母「龍驤」乗組みのち
内地勤務、横須賀鎮守府
直属301空戦闘601「雷電」搭乗。
(藤田怡与蔵大尉指揮)に所属。硫黄島進出の折、ゼロ戦でF6Fを
6機撃墜。
「紫電」の戦闘701所属後、台湾沖航空戦では紫電で
F6Fを4機撃墜。フィリピンの戦いに
参加。マバラカットに残る最後の
紫電4機のうちの
一機。ツゲガラオに移りリンガエン湾出動を経て
輸送機で台湾、そして第343海軍航空隊へ。このとき31歳。
飛行時間は3,700時間で、戦時において10年以上。
石塚少尉と並び飛びぬけた飛行経験を積んでいた。
源田大佐に見込まれ、着任後間もなく、全搭乗員を集め
2時間の講義を行った。
のち中尉。
 
◆石塚光夫少尉343空指導的搭乗員)
大正二年生まれ。操練22期。343空最年長格。
横須賀海兵団入団後、戦艦金剛乗り組み。機関員を務める。
操練卒業後「鳳翔」乗組み。霞ヶ浦海軍航空隊
教員-大村空-九六艦戦で
上海空輸任務従事。
14空-一空曹として広東攻略作戦参加-鈴鹿空
教員-
ゼロ戦でハノイ、昆明進出、敵戦闘機十数機を撃墜。
15年矢田部空-17年大分空-大井空-19年-神ノ池空-最後の艦隊航空隊
601空戦闘106飛行隊。
343空に編入した際は32歳。
愛称は「チャン」で隊員のお父ちゃんとして慕われた
飛行場に出没する野良犬を大事にし、虐めるととても怒った。
とても優しいお父ちゃんだったという。
昭和20年8月8日熊本上空で戦死。
 
◆指宿成信少尉(343空指導的搭乗員)
甲飛予科練2期出身。鹿児島県出身。
在フィリピンの戦闘401「紫電」隊基幹搭乗員であったが
第343海軍航空隊へ抜擢後、戦闘301飛行隊中隊長にして
指導的立場を担いつつ
紫電改で数々の空戦を戦う。
数名で白菊に乗り合い、紫電改を受領途中
事故により小倉付近へ不時着負傷。その後の安否不明。
兄は同じく海軍で戦闘機搭乗員の指宿正信大尉(赤城-261空-201空、
終戦時横須賀海軍航空隊で少佐)
兄弟揃って紫電改で実戦を戦った。
唯一の例である。
 
◆大原広司飛曹長(343空指導的搭乗員)
在フィリピンの戦闘401「紫電」隊基幹搭乗員。
第343海軍航空隊へ抜擢後、戦闘301飛行隊
指導的役割の搭乗員となる。
 
◆本田稔少尉(343空指導的搭乗員)
別記する。
 
◆下鶴美幸上飛曹(343空指導的搭乗員)
台南空(ラバウル進出前)-空母瑞鳳艦載機搭乗員。
南太平洋海戦に参加。
 
◆田中利男上飛曹(343空指導的搭乗員)
204空ブイン上空で被弾落下傘降下。瀕死の重傷を負い
漂流するも生還。
 
◆宮崎勇少尉(343空指導的搭乗員)
大正八年、香川県出身。丙2。水兵として艦隊勤務後、飛行練習生を
志願
卒業。252空ラバウル進出-343空。252空時代、空戦後に
手負いのヘルキャットを(VF-10フレッチャー・ジョーンズ少尉)
を発見したが反撃不可能とみてこれを逃したエピソードが残っている。
 
◆堀光雄飛曹長
乙10-
台南空(在ラバウル)-582空教員配置ののち
大村空-海南島三亜空で南寧攻撃に参加。
高雄空で台湾沖航空戦に参加。終戦までに飛行時間1700時間
撃墜11機。戦後全日空機長。
 
◆杉田庄一飛曹長(343空指導的搭乗員)
別記。
 
◆磯崎千利大尉
大正二年愛知県生まれ。四等水兵から大尉まで叩き上げで昇進した
人物。龍驤-加賀-12空-台南空-大村空-251空-204空-201空
302空-343空分隊長。飛行時間は4,000時間以上。
戦後、松山市でうどん店経営。
 

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紫電改
 
 
出典
『三四三空隊史』戦友遺族による手記
『源田の剣改訂増補版』ヘンリーサカイダ・高木晃治共著
『日本海軍のエース』ヘンリーサカイダ著
『海軍戦闘機隊史』零戦搭乗員会
『日本海軍戦闘機隊改訂増補版』
『第三四三海軍航空隊戦闘詳報』防衛省所蔵

 

零戦雷電震電

Photo_13

烈風(改)戦闘機紫電改



2016年1月20日 (水)

本の売り上げ

ニッチな市場ですが、奮戦していると感じます。
地元の本屋さんに置いてもらった拙著ですが

平均して1~3冊売れています。
   
仮の話なのですが、 
TSUTAYAさんが全国におよそ1400店舗あるので
もしTSUTAYAさんが置いてくだされば、
ざっくり計算して、3000冊近くの売り上げとなります。
これをご覧になっている本屋さんの関係者の方々
ぜひ、ご検討をよろしくお願い致します。
通信販売では最近は一日1冊のペースです。

在庫も残り僅かとなりましたが、すぐには
増刷できません。というのは
第二版は資料を再度精査し、新たに加わった
情報を追加しなければならないと感じているからです。
本を出してから多くの方から連絡を頂戴し
新たに分かったことが数多くあります。
これらをぜひ盛り込みたいのです。 
 
本を買ってくださった方、また宣伝してくださった方、
興味を持ってくださった方、本当にありがとうございます。
心よりお礼を申し上げます。

2016年1月19日 (火)

1/144「飛龍」製作記(2)

1/144飛龍

1/144「飛龍」に戦闘機隊を搭載しました。
これから彗星、九九艦爆と、九七艦攻を揃え、
最後にそれぞれの搭乗員名を記した銘板を作成します。

2016年1月18日 (月)

艦載機量産中

Imgp0685

 
コツコツ買い集めた1/144スケール食玩のゼロ戦を量産しています。
完成次第、甲板に並べていきます。
 
最近は寒くて塗装ができないので、 彩色済みのキットを
組み立ててみました。 定番の1/48ゼロ戦は トミーテック製の
スケルトン機です。 かなりのクオリティでおすすめのキットです。
そのまま組んでも簡単でそれなりのものが出来上がりますし、
エナメルでウェザリングを施せば、かなりリアルな作品が出来上がります。

2016年1月16日 (土)

1/144飛龍

1/144空母「飛龍」

 
こだわりの1/144スケールで半分だけ試しに印刷して みました。
食玩の模型がそのまま使えます。 零戦を大量に組み立て、
ミッドウェイの 大ジオラマを製作中です。
まだまだ定数に足りませんが、 逐次続きをアップしていきます。
 
大人万歳。

2016年1月 5日 (火)

輸送船五隆丸

五隆丸。マーシャル諸島はヤルート島に残されている

 

マーシャル諸島、ヤルート島に残された輸送船五隆丸です。
慰霊の旅へ行った友人S氏より提供頂きました写真です。
とても珍しいものなので、事情を話してお借りしました。
写真は2015年に撮影されたものです。
 
これは日本軍の輸送船のようですが、グーグルで調べました。
以下は戸田S.源五郎様の記事に依りますと
http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/index.html
http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/322/322_006.htm

 
昭和15年に竣工した五隆丸は、
昭和16年に徴傭され佐世保鎮守府管轄となり、戦時体制、艤装工事完了とともに
連合艦隊(第三艦隊)所属、特設運送船(乙)となります。
 
フィリピン、パラオ、トラック、マーシャル等を 艦船に随行し転戦。
給水作業に従事します。 真水は最も重要な物資でした。
 
昭和18年、11月21日、米第58機動部隊艦載機による空爆を受け
右舷機関長室、一機室に直撃弾、沈没を予期し 擱坐(島へ乗り上げ)しました。
 
乗り上げたときの様子が生々しく残っており、また
堡礁の内外の違いがよくわかります。

2015年12月30日 (水)

飛龍

飛龍のイラスト

飛龍のイラスト

 
「飛龍」を描きました。
最終艤装でミッドウェイ海戦時のものです。
 
イラストを描いたので
少し飛龍の話を書いておきます。飛龍といえば真珠湾から
ウェーキ島攻略、印度洋、パラオ寄港など多くのエピソードが残されていますが
その中でも最後の奮戦、ミッドウェイ海戦でのお話です。 
 
飛龍ハ健在ナリ

ミッドウェイで「蒼龍」乗り組みのゼロ戦隊だった原田要氏によれば
(蒼龍といってもミッドウェイ海戦は殆ど飛龍で戦ったのは次に記す通り)
  
原田氏の蒼龍ゼロ戦隊は機動部隊を護衛し、水面を飛来する雷撃機を
次々撃墜した。 アメリカの雷撃隊は多大な犠牲を被ったが、 ガラ空きだった
上空より、ドーントレスが現れ 瞬く間に「赤城」「加賀」「蒼龍」に向けて
急降下爆撃を開始。 機動部隊上空を飛行する原田氏の目には
めらめらと炎を上げる三隻の母艦が認められた。
 
飛龍への着艦と再出撃
原田氏は 4隻の空母のうち唯一健在の「飛龍」に着艦した。
飛龍で燃料補給と再出撃を求めたが、ゼロ戦は被弾が著しく 海に
投棄されてしまう。乗る飛行機が無くなってしまった原田氏は飛龍の甲板上で
飛行作業を手伝う事となるが、このとき 友永丈市大尉の雷撃隊発艦を
見送った。雷撃隊には原田氏と同年兵の 大林行雄一飛曹も居り
 
 「俺は行く。もう帰らないと思う」
 
と告げた。 その言葉通り大林一飛曹は帰ってこなかった。
被弾したまま発艦した友永大尉率いる九七式艦攻雷撃隊は
ヨークタウンと刺し違える形で雷撃を敢行し、撃沈したが 未帰還となった。
 
飛龍に残された最後のゼロ戦
 
「ゼロ戦が一機だけ飛べる!原田!お前が上がれ!」
 
飛龍に出撃可能なゼロ戦が一機だけ残されていた。
滑走距離は僅か50メートルほどで、通常の離艦より遥かに前であったが
やるしかない。氏は整備兵に尾翼を押さえてもらい、プロペラが
フラッター(振動)を起こして 湾曲するほど目いっぱいエンジンをふかすと
ブレーキをはずして 一気に発艦を試みた。ゼロ戦は海面すれすれまで
落ちたものの、なんとか 飛龍から飛び立った。発艦した。
その十数秒後、たったいま飛び立った飛龍から 大きな爆発音が響き、
後ろを振り向くと艦影が確認できない程の煙が上がっていた。
 
その後燃料が続く限り護衛を続け、海上に不時着する。
やがて日が暮れ、暗闇の中 運よく駆逐艦「巻雲」に救助された原田氏は
「巻雲」艦上で「飛龍」の最期を見た。
 
飛龍の最期
飛龍に接舷した巻雲は、飛龍の生存者の救出にあたった。
原田氏によれば飛龍の最期は次の通りである。
 
山口多聞少将と加来止男艦長の二人は飛龍艦橋脇の甲板上で
参謀らと水杯を交し、最後の訓示を行うと、艦橋へ上っていった。
艦橋へ消えてゆく山口少将の後姿がとても寂しそうだった。
その後、艦橋から拳銃の音が聞こえた。
駆逐艦へ移った飛龍乗り組み員によれば 山口少将と加来艦長に
 
「私達二人が責任を取るから君たちは退艦しなさい」
 
と強く 説得され、涙ながらに退艦したという。
飛龍は夜が明けると巻雲の魚雷によって処分された。
  
 
出典 原田要著『零戦老兵の回想』 桜の花出版
篠原直接のインタビューほか
 

零戦

原田要さんの話(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
原田要さんの話(2)南京攻略とパネー号事件

原田要さんの話(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
原田要さんの話(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦

原田要さんの話(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗ってみて
原田要さんの話(6)関行男大尉の教官を務める
原田要さんの話(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

 

2015年12月11日 (金)

ペリリュー島のラストサムライ(1)

ペリリュー島のラストサムライ
永井敬司さんのお話(1)
 
今回は水戸歩兵第二連隊の元軍曹の永井敬司さんにお話を伺った。
永井敬司さんは昭和19年9月のペリリュー島で上陸戦から
昭和22年まで終戦を
信じず戦った。
 
何回かにわけて書くことにします。永井敬司さんは93歳。
水戸歩兵第二連隊第二大隊(富田少佐指揮)本部付。
一万人の将兵が玉砕したペリリュー島で生還した
日本軍
正規兵34名の中の一人。
 

Q.篠原
ペリリュー島の戦いについてお伺いします。

A.永井さん
私は昭和19年の9月15日の上陸戦から
その前から随分艦砲射撃はあったんだけども、
いわゆる中川州男大佐が戦死したとされる11月24日までと、
その後、終戦を信じず、昭和22年までペリリュー島で
戦いました。生き残ったのは我々34名だけです。

Q.篠原
戦友の最期の姿は覚えていらっしゃいますか。

A.永井さん
みんな真面目に死んでいきましたよ。
それこそ純粋な気持ちでね。「天皇陛下万歳」といってね。

Q.篠原
最期は「お母さん」と叫んだのではないのですか。

A.永井さん
そんな女々しいのはいなかったですよ。いないいない。
そんなのいないかんね。嘘だかんね。私らの第二連隊は
よく訓練されていたから。少なくとも私の見た限りはね。
最後はやはり「天皇陛下万歳」です。
だいたい、22歳から23歳くらいの年の兵隊が多かった。
年長者でも25歳くらいです。そういう若い人たちが大勢、大勢
本当に真面目に死んでいったんです。太平洋の防波堤たれということでね。
あなたはその年齢で、そういうことが出来ますか。


Q.篠原
富田少佐の最期は自決だったのですか?

A.永井さん
自決じゃないですよ。富田少佐の最期は突撃です。
私は大隊本部にいたから見ていました。
一日目のイシマツ、イワマツ陣地(オレンジビーチ)の戦いで、
二日目に私らが到着したときは、死体が累々だった。
米軍の死体もね。南地区隊の高崎連隊の千明大隊長が頑張ってくれて、
大打撃を与えたんですね。

当初は富田大隊長が自決しようとしたんですけど、
周りが止めたんです。「大隊長、自決より突撃をしましょう」とね。
それで、富田大隊長は軍刀をスっと抜いてね、
「それでは」と言って敵陣に斬り込んで行きました。
それが大隊長を見た最後でした。

同時に無傷だった天山の砲兵陣地から掩護射撃がありました。
富田大隊長は、その友軍の援護射撃の中を突っ込んでいきました。
もしかしたら、その爆風でやられたかもしれない。熾烈なものでした。
それが二日目の夕方くらいだったかな。

Q.篠原
国の為に真面目に死んでゆく、という概念が
我々戦後世代にどうやったら少しでも理解できるでしょうか。

A.永井さん
こればっかりは当時を生きていないと難しいんじゃないですか。
私は昭和22年まで終戦を信じず戦いました。

そのことを某新聞社が「手を上げて投降した」と書いたんです。
そこで私はその新聞社と大ゲンカになりましてね、
最後まで記事を取り下げなかった。
これは私だけの問題ではないんですよ。
真面目に死んでいった戦友たちの名誉の問題でもあるんです。

死んだ戦友たちの・・・名誉の問題なのですよ。

昭和22年に澄川少将の命令解除を受けて
我々はようやくジャングルから出てきました。

そこでアメリカ軍の司令官が言ったんです。
「あなた方は捕虜ではありませんよ。捕虜というのは
戦争中に捕まった兵隊を指すのだから、もう戦争が終わって
立派に任務を遂行したではないですか」と
アメリカ軍の司令官がそう言ってくれたんです。

それなのに某新聞社は手を上げて
捕虜になったなどと・・・・私らは、死んだ戦友は
国のために最後まで戦ったんです。

Q.
アメリカ軍と戦って、アメリカ兵に
どういった感情を持っていましたか。

A.永井さん
憎らしいということはなかったですね。アメリカ兵の
死体を見ると、みんなまだ若いんですよ。私らと同じようにね。
この人たちにも祖国アメリカには恋人や奥さんや、家族がいる。
そう思うと、かわいそうになりましてね。
だけど、やらなきゃやられてしまうから戦いました。

 
つづく
 

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2015年12月 7日 (月)

『緑の島のお墓』をミシェルさんに歌って頂きました

私のサイトをご覧くださり、歌ってくださいました。
嬉しい限りです。募集内容はこちらです。
まだまだ多くの方が歌ってくださることを願っています。
 
今回の唄はプロ歌手のミシェルさんです。
よろしければお聴きください。
 


YouTube: 緑の島のお墓/ミシェル~天草の海辺より

▲ミシェルさん歌唱

緑の島のお墓 
YouTube: 緑の島のお墓
 
▲ピアノソロ・久保亜未
こちらは伴奏用です。ぜひ唄をつけてお送りください。