2016年2月13日 (土)

Me262 Lorin ラムジェット搭載機

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Me262 Lorin ラムジェット

Photo_2

洗練するドイツ製ジェット戦闘機
Me262 Lorin ラムジェット機は、1945年

オイゲン・ザンガー博士によってデザインされた
ドイツ空軍、Me262のアップデートモデル。
本機は世界発のジェット戦闘機であるMe262のjumo004エンジン
に加え、翼上に直径1.15m、全長5.9mのローリンラムジェットを搭載した
4発機である。
 
スタンダード機であるMe262が高度6000における
最高速度が870km/hだったのに対し
Lorin ラムジェット搭載機は1万メートル迄
僅か6分(Me262は26分)で上昇し1070km/hの最高速度
が可能な設計であったが、ドイツの敗戦とともに幻の怪鳥となった。
  
日本製ジェットエンジンの黎明
その頃(1945年/昭和20年)、日本では、ドイツ本国から
ジェットエンジンの設計図と部品を持ち帰るべく
出港した潜水艦の到着を待ちわびていたが
いずれも撃沈され、最後まで日本に到着することはなかった。
 
そのため、中島飛行機小泉製作所(群馬県)では
100パーセント純国産のジェットエンジン「ネ-20」を開発していた。
このジェットエンジンを搭載した新型機を海軍では「橘花」
陸軍では「火龍」と称し、橘花は、終戦の数日前
木更津飛行場で初飛行に成功していた。
 

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2016年2月10日 (水)

ディアゴスティーニの紫電改がちょっと違うかも

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2月9日に創刊されたディアゴスティーニ「第二次世界大戦傑作機」
初回は紫電改ということで早速購入しました。しかし資料集を見てみると
鴛淵孝大尉の機体
(343-45号機)の帯が赤になってます。
この件は、だいぶ前に定説が覆されており
鴛淵機の帯は白だったという説が有力です。
合わせて元来、赤い帯は存在しなかったといいます。
 
プラモデルのパッケージもそうなのですが

大方、赤で塗られてしまっています。
 

第343海軍航空隊の戦闘機隊は戦闘301、戦闘407、戦闘701と
3つの飛行隊から編成されていました。(このほかに彩雲を用いた
偵察第4飛行隊と、紫電で成されたの訓練部隊
401飛行隊があります)
 
戦闘301飛行隊の菅野直大尉の機体(343-A15と343-A24号機)は
ともに黄色の帯で有名ですが、同じ飛行隊の列機まで黄色だったかと
問われると、ちょっと確証がありません。
戦闘407飛行隊の林喜重大尉は白で間違いなさそうで、
そして件の鴛淵飛行隊長の戦闘701飛行隊のみ、少し
マーキングの例が変わっていたようです。
 
歴史は様々な考察あって然りですし、
模型は気に入った好きな色で塗装するのが一番なのですが
参考になればと思います。
 

Photo_3_2


第343海軍航空隊全搭乗員データベース
 

 

 
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2016年2月 7日 (日)

Photo

 

零戦の新バージョンを描いています。(五二型甲)
下描きが出来てこれから着色なのですが、シルクスクリーンの
特性上、一色~二色で表現しなければならないので
せっかく描き込んだ細部が見えなくなってしまい惜しい
ところです。時間が許すならばリアルな絵をじっくりと描きたいです。

昭和14年 横浜-パラオ間に実在した空の定期便

1

  
昭和14年、パラオはサイパンとともに

最も早く内地からの定期航路を結びました。
運航スケジュールはこちらの記事で書いた通りです。
  
昭和14年といえば77年も前のことです。
旅客船と比べれば運賃は割高でしたけれど、一般のお客さんも
この飛行艇に普通に乗れたのです。
どれだけ壮大な事を実施していたか、
ビジュアル化しました。
 
この飛行艇は
海軍では九七式飛行艇ですが、民間での名称は
川西式四初飛行艇と言いました。運用したのは大日本航空株式会社です。
カラーリングはジュラルミン剥き出しの銀色で
「綾波」号など、パーソナルネームが存在しました。
開戦とともに、飛行艇は海軍に事実上徴用され、運命を共にしますが

戦争が始まるまでは南洋の楽園と内地を結ぶ夢の定期便だったのです。

1/700「蒼龍」

Dsc_0377_2a

Dsc_0375_2

Rさんが製作しました「蒼龍」です。
Rさんは私の模型の師匠でもあります。
 
以前、このサイトの素材に使わせてもらうということで
千葉県の工房まで撮影に参りましたが、その際に
公開しなかった画像を、せっかくなので公開します。
 
全長30センチくらいです。
1/700でここまで精巧に出来るのは
凄いことです。これだけの仕事をこなす集中力を
保てるのは才能としか呼べません。
 

Dsc_0385_2

Dsc_0380 

こうやって切り取って背景と重ねていきます。このようなコンピューターを
使ったジオラマ手法を「デジラマ」というそうで、最近は専門の雑誌もあります。
主にガンダムなどを高層ビルの間に立たせたりする技術などが紹介されています。
私の場合は大戦機をカラーで蘇らせることを目標としています▼
 

Dsc_0385_2_3


2016年2月 6日 (土)

重責

昨年は戦後70周年ということもあり、講演会など
お呼びがかかり、お話をさせてもらいました。
本当は喋るのは得意ではないんですけれど、ぜひ伝えたいことが
あるので拙いながらお話しさせてもらっています。
 
会場の舞台には
「篠原直人先生による講演」などど大きな
垂れ幕が準備してあって、本当に恐れ入ります。
大きな催し物だと、控室にお茶淹れ等、お世話をしてくれる人まで
付くという丁寧な対応に、感激していました。
 
控室には、国会議員の先生や自治体の長も来ていました。
控室に居ても、私はお茶汲みにしか見えません。
 
それで思ったのですが、
腰の低い人ほど、ベテランの議員さんが多いです。
もちろん政治手腕と選挙上手は全くの別物であることを
断っておかねばなりませんが、
お茶汲みでも、分け隔てなく気さくに
声をかけてくれる政治家はやはり、大物であり
連続当選している人物です。
 
新人政治家の方は名刺を交換してから漸く、
「いや~今日、講演される先生でしたか。失礼しました。
お茶を淹れてくれる人だと思っていました」
とあまりに露骨な言われよう、変わりようだったので
驚いてしまいました。

そういう人はほとんどが初当選の政治家で
先生、先生と呼ばれることで浮世を忘れてしまうのかもしれません。
本来、政治家というものは我々が選挙で選んでいるので
あまり偉そうにしてはいけない気もするのですが・・・。
 
さて、
先生と呼ばれる人にはいくつかの種類があり、その役割も多様です。
学校の先生、お医者さん、弁護士、政治家などが挙げられます。
どれも大変なお仕事ですが、最も重責を担い、失敗の出来ないのが
時代劇に登場する先生です。「先生、お願いします」と担がれ、
用心棒や刺客として、おおむね物語のクライマックスに登場します。
斬られたら終わりですから、とても重責です。
 
政治家の方々にもこれくらいの心持で職務を全うしてほしいと
心から願っています。
 
P.S
私はどこでも私は喜んでお話しをしに参ります。
ブログに書けない話ができます。

2016年2月 5日 (金)

紫電改は王道というか、やはり人気の飛行機ですので、押さえておかねばならない点ですが
私が本当に書きたいのは「雷電」でして、現在は「雷電」について元雷電搭乗員の方に
フォーカスして取材しています。

紫電改と第343海軍航空隊覚え書き

紫電改
 
この頁では主に紫電改の機体そのものと
部隊の運用について記していきます。模型製作等の
参考にしてください。搭乗員のプロフィールについてはこちらを見てください。
第343海軍航空隊全搭乗員データベース
 
◆紫電改の塗装

紫電改の塗装(カラーリング)は当時の日本海軍機の標準に従い、
機体上面と側面は艶のある暗緑色で塗装されていた。海軍さんから
「塗装はこういう風にやんなさいよ」
と、メーカー側に一応に
指示はあるのだが
川西航空機、三菱、中島などで、それぞれ
違いが見られるのが興味深い。
 
関連記事
ゼロ戦の塗装はこちら
 
紫電改を製造した川西航空機の暗緑色は
やや青みが強いのが特徴だ。
機体下面は機種と尾部以外は地肌のままの無塗装で尾翼下の部分だけ
灰色、
またはアルミ色に塗装されていた。無塗装は大戦後期から末期に
見られる塗装で、
生産を急ぐため、費用と時間を省くためだったと
伝わる。
 
◆紫電改の日の丸の描き方
紫電改の日の丸(マーキング)は胴体と両翼に描かれた。
胴体の日の丸は直径85センチ。白フチがあり、白縁の幅は
75ミリであった。
戦闘301整備科分隊士亀田金夫少尉の
回想によると、
白い縁は日の丸の赤が鮮明に見え過ぎるので
消せという指示が出たことがあるという。
一方、主翼上面の日の丸は直径110センチで
下面は直径1メートル。いずれも白縁は無い。※1
いずれにしても塗装や日の丸のマーキング、カラーリングは
機体によって差があり
一様ではないことを断っておく。
 
◆尾翼の機番号と専用機について
垂直尾翼に描かれた機番号について記す。
第343海軍航空隊では各飛行隊を区別するため尾翼にA、B、Cの
三種類の番号をマーキングした。
Aは戦闘301、Bは戦闘407、Cは戦闘701を意味する。 
専用機は原則、飛行隊長と分隊長のみで
それ以外の搭乗員は出撃の都度、あてがわれた飛行機に搭乗した。
鴛淵孝大尉の例を見てみよう。鷲淵大尉は白二本帯の飛行機を
使うことが多かった。戦闘701整備科では鷲淵大尉が出来る限り、
この専用機に搭乗できるよう整備努力した。
戦闘301の佐藤精一郎上飛曹は
「出撃のたびに飛行機が変わり同じ飛行機に乗ったことは一度もなかった」
と戦後回想する。※2
 
 
紫電改
 
◆機体の帯について
胴体の帯は飛行隊長機は二本、分隊長は一本が入っていた。
昭和20年3月19日の松山上空の大空戦以降
各飛行隊が同年4月10日以降、戦闘301飛行隊長
菅野直大尉の発案によって描かれたようである。
菅野直大尉の帯は黄色であり、これは
機体識別を容易にする目的のほか、菅野大尉は
 
「黄色を塗れば敵機が喜んで集まってくる。そいつをやっつけるんだ」
整備科先任分隊士加藤種男中尉(機関53期)に語ったという。※3
戦闘701と戦闘407では白であった
分隊長以外の搭乗員が例外的に帯入りの機体を使ったこともある。
昭和20年5月17日、戦闘407の石塚光夫少尉が
哨戒機掃討任務で戦闘407と戦闘701の12機を率いて出撃したときは
市村分隊長のB-25号機に搭乗している。石塚少尉はこの飛行隊の
指揮官であるし、
稼働機の不足により、必ずしも飛行機が
揃わなかったことから
許容されたこともあろう。
※4
 
また、分隊士の本田稔少尉は
「私の飛行機は決まっていて帯が入っていた」
と回想し、戦闘407では少し事例が異なっていた可能性がある。
※4
 
昨今までプラモデルのパッケージや塗装指示書に鷲淵大尉の機体は
「赤」とされている場合が多いが、赤帯は
誤りの可能性が高い。
現在では鷲淵大尉は最後まで「白」だったという説が最有力となっている。
赤帯はどの飛行隊にも存在せず目撃者も居ない。どの段階で
プラモデルのパッケージが赤帯になってしまったのか不可解である。
 
昭和20年7月24日の豊後水道上空の空戦で米空母
サンテンハシントVF-49戦闘飛行隊
のジャック・A・ギブソン中尉が
鷲淵大尉の白一本帯の
機体を目撃している。このとき鷲淵大尉は
C-13号機であったが、整備が間に合わず、、分隊長の一本帯の機体に
搭乗した可能性も考えられる。
※5
 
◆林喜重大尉機(B-30号機)の謎
林喜重大尉のB-30号機については不明確な点がある。
林大尉が昭和20年4月11日、最後の出撃でB-29を撃墜し
、阿久根折口に不時着戦死した際に搭乗したとされる
紫電改はB-30号機といわれているが、翌5月16日の
哨戒機邀撃編成表では戦闘407飛行隊の高木由男飛長が
同じ記番号の紫電改に搭乗している。
 通例であれば、飛行隊長と分隊長以外が
林の専用機である白い二本帯の機体を使う事はない。
出撃直前に機体不調等により急遽搭乗を変更する場合など
可能性があるが、真実はわからない。
 
◆日の丸の中の数字
戦闘301のみ、訓練の際、識別のため
石灰で描かれたというが真相は謎が多い。
菅野直大尉のA-15号機は鹿屋進出時に描かれたもので
最後の出撃となった空戦ではA-24号機に搭乗している。
いずれも黄色のニ本帯の機体である。
 
◆通信について
源田大佐が飛行機も通信機も良いものを全部持って行ってしまった
との避難もあるが、実際はどうなのか343空では機上無線電話の
改善に力を入れ
米軍の交信を傍受できるほど明度が向上していた。
従来の日本機の機上無線は雑音がひどく使い物にならない
といった報告が多かった。
重いだけで役に立たないからと
降ろしてしまっていた程だ。

この原因は通信機の性能の問題と言うより
エンジンのスパークプラグにシールド(鎧装)が施されて
いなかったため、空電が発生し
雑音のもとになったといわれる。
特に大戦後期の飛行機製造過程においては、無線はもとより
エンジンの電気系統のアース(絶縁)不良が著しく
紙で巻いただけの絶縁がはがれ、電線が短絡(ショート)し
トラブルになったケースが多々ある。343空ではアース(絶縁)から改良し
空対地、空対空ともに電話連絡が良好となった。
空中状態がよければ400キロ離れても交信できた。
 
無線は原則全ての紫電改に搭載したが
飛行隊長、各区体調のみが送信でき、列記は「受信」固定し
よほどの事がなければ
喋らない。
空中で互いに目視できる範囲であれば
極力手、指信号を使う。
 
通信は最も重要な戦法のひとつであるが戦闘中、
上下を問わず喋りまくる
米軍と大きく異なるところである。
 
加筆中。
 
搭乗員のプロフィールについてはこちらを見てください。
第343海軍航空隊全搭乗員データベース
 

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出典
※1『源田の剣』605頁より
※2同607-608頁より
※3渡辺洋二『重い飛行機雲』
※4『源田の剣』607-610頁
※5同609頁

2016年2月 3日 (水)

1/144空母ジオラマ「飛龍」

1/144空母ジオラマ「飛龍」

▲1/144飛龍(ミッドウェイ海戦)が完成しました。 
170センチ×36センチの巨大な紙にインクジェットで印刷し
甲板の質感を出すため、マットラミネートでコーティングしました。
最後にコツコツ集めた食玩のゼロ戦(1/144ウイングクラブと
ウイングキットコレクションシリーズ)を固定して完成です。
 


▲プリントアウトする前のイラストはこちらです。
  

1/144空母ジオラマ「飛龍」

九九艦爆も並べてみましたが、真珠湾時の塗装であることと
数が多すぎてゼロ戦の滑走距離が足りないので
今回は二種類のみとしました。
  
甲板の半分も並べると目が回ります。
数が多ければいいというものでもないと
解りました。直掩中ということにして
ゼロ戦隊のみでもバランスよかったかな?と思います。

 
今後はイベント等で機会あれば展示しようと思います。
 
 

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1/144「飛龍」試験販売中!
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鴛淵孝大尉機の間違い

鴛淵孝大尉機




鷲縁孝大尉機のマーキングについて、わたくし今まで
間違ったイラストを公開しておりました。鴛淵機の帯は
赤ではなく、白が正しいです。プラモデルのパッケージ
など、あまりにも間違ったほう(赤)の絵が多いため
そちらが定説になってしまっていたようです。
 
申し訳ございません。
つきましては、新しいイラストに差し替えるとともに
新しい情報は以下の通りです。
 
『源田の剣』によりますと
赤い帯を描いた紫電改を見たという者は誰もいない
そうで、白が正しいです。出回っているプラモデルのパッケージが
赤だったら間違いだと思って白で塗装してあげてください。
 
こういったことは逐次訂正し、信頼性を高めて参りますので
ご協力、よろしくお願い致します。