紫電改と第343海軍航空隊覚え書き
この頁では主に紫電改の機体そのものと
部隊の運用について記していきます。模型製作等の
参考にしてください。搭乗員のプロフィールについてはこちらを見てください。
第343海軍航空隊全搭乗員データベース
◆紫電改の塗装
紫電改の塗装(カラーリング)は当時の日本海軍機の標準に従い、
機体上面と側面は艶のある暗緑色で塗装されていた。海軍さんから
「塗装はこういう風にやんなさいよ」と、メーカー側に一応に
指示はあるのだが川西航空機、三菱、中島などで、それぞれ
違いが見られるのが興味深い。
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紫電改を製造した川西航空機の暗緑色はやや青みが強いのが特徴だ。
機体下面は機種と尾部以外は地肌のままの無塗装で尾翼下の部分だけ
灰色、またはアルミ色に塗装されていた。無塗装は大戦後期から末期に
見られる塗装で、生産を急ぐため、費用と時間を省くためだったと
伝わる。
◆紫電改の日の丸の描き方
紫電改の日の丸(マーキング)は胴体と両翼に描かれた。
胴体の日の丸は直径85センチ。白フチがあり、白縁の幅は
75ミリであった。戦闘301整備科分隊士亀田金夫少尉の
回想によると、白い縁は日の丸の赤が鮮明に見え過ぎるので
消せという指示が出たことがあるという。
一方、主翼上面の日の丸は直径110センチで
下面は直径1メートル。いずれも白縁は無い。※1
いずれにしても塗装や日の丸のマーキング、カラーリングは
機体によって差があり一様ではないことを断っておく。
◆尾翼の機番号と専用機について
垂直尾翼に描かれた機番号について記す。
第343海軍航空隊では各飛行隊を区別するため尾翼にA、B、Cの
三種類の番号をマーキングした。
Aは戦闘301、Bは戦闘407、Cは戦闘701を意味する。
専用機は原則、飛行隊長と分隊長のみで
それ以外の搭乗員は出撃の都度、あてがわれた飛行機に搭乗した。
鴛淵孝大尉の例を見てみよう。鷲淵大尉は白二本帯の飛行機を
使うことが多かった。戦闘701整備科では鷲淵大尉が出来る限り、
この専用機に搭乗できるよう整備努力した。
戦闘301の佐藤精一郎上飛曹は
「出撃のたびに飛行機が変わり同じ飛行機に乗ったことは一度もなかった」
と戦後回想する。※2
◆機体の帯について
胴体の帯は飛行隊長機は二本、分隊長は一本が入っていた。
昭和20年3月19日の松山上空の大空戦以降
各飛行隊が同年4月10日以降、戦闘301飛行隊長
菅野直大尉の発案によって描かれたようである。
菅野直大尉の帯は黄色であり、これは
機体識別を容易にする目的のほか、菅野大尉は
「黄色を塗れば敵機が喜んで集まってくる。そいつをやっつけるんだ」
と整備科先任分隊士加藤種男中尉(機関53期)に語ったという。※3
戦闘701と戦闘407では白であった
分隊長以外の搭乗員が例外的に帯入りの機体を使ったこともある。
昭和20年5月17日、戦闘407の石塚光夫少尉が
哨戒機掃討任務で戦闘407と戦闘701の12機を率いて出撃したときは
市村分隊長のB-25号機に搭乗している。石塚少尉はこの飛行隊の
指揮官であるし、稼働機の不足により、必ずしも飛行機が
揃わなかったことから許容されたこともあろう。
※4
また、分隊士の本田稔少尉は
「私の飛行機は決まっていて帯が入っていた」
と回想し、戦闘407では少し事例が異なっていた可能性がある。
※4
昨今までプラモデルのパッケージや塗装指示書に鷲淵大尉の機体は
「赤」とされている場合が多いが、赤帯は誤りの可能性が高い。
現在では鷲淵大尉は最後まで「白」だったという説が最有力となっている。
赤帯はどの飛行隊にも存在せず目撃者も居ない。どの段階で
プラモデルのパッケージが赤帯になってしまったのか不可解である。
昭和20年7月24日の豊後水道上空の空戦で米空母
サンテンハシントVF-49戦闘飛行隊のジャック・A・ギブソン中尉が
鷲淵大尉の白一本帯の機体を目撃している。このとき鷲淵大尉は
C-13号機であったが、整備が間に合わず、、分隊長の一本帯の機体に
搭乗した可能性も考えられる。
※5
◆林喜重大尉機(B-30号機)の謎
林喜重大尉のB-30号機については不明確な点がある。
林大尉が昭和20年4月11日、最後の出撃でB-29を撃墜し
、阿久根折口に不時着戦死した際に搭乗したとされる
紫電改はB-30号機といわれているが、翌5月16日の
哨戒機邀撃編成表では戦闘407飛行隊の高木由男飛長が
同じ記番号の紫電改に搭乗している。
通例であれば、飛行隊長と分隊長以外が
林の専用機である白い二本帯の機体を使う事はない。
出撃直前に機体不調等により急遽搭乗を変更する場合など
可能性があるが、真実はわからない。
◆日の丸の中の数字
戦闘301のみ、訓練の際、識別のため
石灰で描かれたというが真相は謎が多い。
菅野直大尉のA-15号機は鹿屋進出時に描かれたもので
最後の出撃となった空戦ではA-24号機に搭乗している。
いずれも黄色のニ本帯の機体である。
◆通信について
源田大佐が飛行機も通信機も良いものを全部持って行ってしまった
との避難もあるが、実際はどうなのか343空では機上無線電話の
改善に力を入れ米軍の交信を傍受できるほど明度が向上していた。
従来の日本機の機上無線は雑音がひどく使い物にならない
といった報告が多かった。重いだけで役に立たないからと
降ろしてしまっていた程だ。
この原因は通信機の性能の問題と言うより
エンジンのスパークプラグにシールド(鎧装)が施されて
いなかったため、空電が発生し雑音のもとになったといわれる。
特に大戦後期の飛行機製造過程においては、無線はもとより
エンジンの電気系統のアース(絶縁)不良が著しく
紙で巻いただけの絶縁がはがれ、電線が短絡(ショート)し
トラブルになったケースが多々ある。343空ではアース(絶縁)から改良し
空対地、空対空ともに電話連絡が良好となった。
空中状態がよければ400キロ離れても交信できた。
無線は原則全ての紫電改に搭載したが
飛行隊長、各区体調のみが送信でき、列記は「受信」固定し
よほどの事がなければ喋らない。
空中で互いに目視できる範囲であれば極力手、指信号を使う。
通信は最も重要な戦法のひとつであるが戦闘中、
上下を問わず喋りまくる米軍と大きく異なるところである。
加筆中。
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出典
※1『源田の剣』605頁より
※2同607-608頁より
※3渡辺洋二『重い飛行機雲』
※4『源田の剣』607-610頁
※5同609頁
紫電改と聞いただけで、343空の菅野直大尉の名前が浮かんでくるほどつとに有名ですね。
強烈な個性の持ち主で、逸話は数えたら切りがなく、不思議に人を魅了する何かをお持ちの方です。
やんちゃ坊主で源田司令のお気に入りでしたね。
文学青年の大尉から、渾名「ブルドッグ」「菅野デストロイヤー」のイメージが湧いてこないのですが、数々の逸話からすると確かにと思います。
それにしても、海軍さんは渾名をつけるのがほんとに上手です。
投稿: 山崎 | 2016年2月 5日 (金) 20:53
山崎様
菅野大尉は練習機のときから勇猛果敢で
教官から恐れられたと聞きます。
紫電改「A-24号機」機番号(343-24)で最後に出撃し
機銃筒内爆発で戦線離脱後、行方不明となりました。
長らく敵機に撃墜されたとの説がありましたが
実際のところ、菅野機の最期を目撃した人物は米軍側にも見当たらず
現在でも謎になっています。
投稿: 篠原 | 2016年2月 6日 (土) 10:59
はじめまして山野ともうします。
紫電改大好きのモデラーですが、343空の紫電改の塗装についての解説(出典などは)詳しく解説されており良く理解できるのですが、戦闘701飛行隊長の機体について一つ教えていただきたいのですが白線2本説はコラムの解説で根拠なども解るのですが、昔から言われていた赤線2本説は
なんの根拠も無く長い間いわれ続けてきたのでしょうか?私はそれなりの根拠が昔存在したのではないかと思っていました。ですから源田の剣でどなたかが回想して白線2本というのは根拠があって
それなりに良いと思うのですがそれだけで赤線説を否定するのは危険ではないかと思うのですが?
やはり否定するのであれば赤線説の根拠も明確にし比較説明をして白線説の方が信ぴょう性が高いというような論法が欲しいと思うのですがいかがでしょうか?
また、紫電改を作っていて私のような素人モデラーで資料があまり手に入らない(せいぜいモデルアt-トとかスケビまたその増刊などが情報源なのですが)人間は活字になったものを信じるしかないのでこの場でもしわかっているなら教えていただきたいのですが、菅野大尉機の15号は写真をよく雑誌などで見て前期型の機体だと解るのですが林大尉の30号機鴛淵大尉機の45号はハセガワのキットなどでは後期型のキットにデカールか入っていますが、この2機が後期型だという根拠は何かあるのでしょうか?菅野大尉機が前期型で他の隊長機が後期型というのもなぜか疑問なのですが
長くなってしまいましたが今後も楽しみに拝見させていただきます。
私にとっても貴重な参考になるページです。
今後のご活躍を期待しております。
投稿: 山野 | 2016年2月27日 (土) 23:49
山野様
はじめまして、コメントありがとうございます。
鴛淵機の赤帯の件ですが、まさに仰る通りです。
私もなぜ、赤帯が一度定説となったのか、疑問に感じていました。
その根拠を探しているのですが、今のところ見つからずにおります。
赤帯を否定するものではありませんし、山野様の仰る通り、
今のところ白帯のほうが信憑性が高いというだけの事です。
むしろなぜ、赤帯がパッケージに描かれるようになったのか?
これは興味深いテーマとして今後も存在し続けることでしょう。
ただ、文章力の乏しい私です。少し誤解を招く書き方だと
改めて感じました。後ほど訂正させて頂きます。
ありがとうございます。
前期後期の違いについてはわかりません。
確かに当たり前のようになっていますね。
投稿: 篠原 | 2016年2月28日 (日) 00:35
篠原様。
ご丁寧な回答ありがとうございました。
やはり、前期型、後期型の件は不明ですか?
源田の剣この辺にも言及してくれたらよかったですね。
鴛淵大尉機の赤帯説の根拠がはっきりしないのであれば回想にせよ根拠のある白帯説が有力だということですね。
これからも閲覧楽しみにしております。
頑張ってください。
それから前回のアドレス間違っていましたので訂正します。
それではご活躍を期待しています。
投稿: 山野 | 2016年2月28日 (日) 14:07