前回からの続き
落語「彦六伝」で8代目林家正蔵、のちに彦六となる師匠の伝記
の中の小噺です。彦六伝は新作落語ですが、古典のように
アップデートが繰り返されています。
以下、彦六伝より抜粋
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「お前は戦争で捕虜になったことがあるか?」
「いや、ないんですけど」
「ロシアというのはひどい国で、捕虜になると、飯に固い固い
パンが出るよ。その半分ぐらいのパンの、中身ほやわらかいほうを食べるか、
外側の固い皮(ミミ)を食べるか、お前はどっちを選ぶ」
「どちらかというと、やわらかいほうを食べたいですね」
「ああ、それが間違いだ。そこがパンの秘密だな」
「はあ、秘密ですか」
「捕虜仲間が中身のやわらかいほうをわけてくれるんだ
すると、貰ったほうは感謝するな。
ああ、美味しい譲ってくれて、自分は不味いところを食べて
この人は人格者だなと。
よく考えてみな。やわらかいほうはすぐに腹が減ってしまう。
固いほうは、噛んでも噛んでも、固い。なかなか腹が減らないな。
したがって生き残るのは固い方だ。
捕虜になったときのためによく覚えておきな」
「はあ、弟子に捕虜になったときのことも考えてくれて
ありがとうございます」
YouTube: 麦と兵隊 ザ・ドリフターズ
ドリフターズが歌う『麦と兵隊』
ドリフのアレンジが素晴らしいんです。
哀愁漂いつつも、こんなに力強く、勇ましい歌は
他にないと思っております。
戦争経験者のおじいちゃん方が集まるでしょう。
少しお酒を飲んだりして、盛り上がってきた頃に
戦争の話になる、そして、あの頃の歌を「歌え唄え!」という雰囲気になる。
指名されたおじいさまは何度か「いやいやいや私はいいですよ」と
数回断ったうえで、照れながら、
「えー、それじゃ、ご指名ですので、誠に僭越ながら」
と、断りを入れつつ、シッカリ歌い上げるのです。
おじいちゃんたちにとって軍歌はイデオロギーでもなく、
なんでもなく、ただ懐かしい思い出そのものなのであります。
戦後、こうしたものをタブー視する傾向が強くなりつつあります。
素敵なおじいさま方と共に過ごしてきた
最後の世代としましては、ぜひともこうした事実を
残したいと考えておるわけですが
なかなか、難しいのであります。昨今は
「ナニ?軍歌?けしからん!軍国主義の再来だ!」
となるわけです。
私は軍歌・戦中・戦後歌謡を通じた時代背景解説本を一冊
書きたいくらいなんです。たとえば
『轟沈』
「青いバナナと一緒に積んだ可愛い魚雷が」
このひとつの文言で、全てが表現されており、あとはオマケみたいなものと
言っても、言い過ぎでない、秀逸な文句であります。
内地からシンガポールを経由して、青いバナナを積んだ。
それが、もう今はインド洋にいる。
そして日本海軍は酸素魚雷だから、メンテナンスにかける
手間とぜひとも戦果をあげねばならぬという思いが
伝わってくるのであります。
『誰か故郷を想わざる』
こちらの記事で少し書きました。英軍が作戦に使う程の
郷愁を誘う歌でした。
英軍からの出前寿司
一気に時代を進めまして、戦争が終わりまして、とっても有名な
『青い山脈』は作ってる途中で軍歌になってしまったんですね。
そして、純粋な歌謡曲としては
昭和22年
『港の見える丘』
戦争直後につくられた歌。戦争直後と思えない程
ロマンチックなんです。そして同時期に流行したのが
解り易い『りんごのうた』です。
YouTube: りんご娘 「リンゴの唄」 2007.5.5
『りんごのうた』は青森のご当地アイドル
りんご娘がカバーしてます。私が実現したいコンテンツは
これに近いのかもしれません。
次世代への継承はアレンジが必須。
しかし、まだ外地では抑留が続いており、社会問題化。
『あゝモンテンルパの世は更けて』が昭和27年です。
私が子供の頃は、こうした戦争の話題も
タブー視せず、ユーモアを交えてお話しするおじいちゃんたちが
数多くいらっしゃいました。戦争は悲惨、悲惨といって
なにもなくなってしまうくらいなら、
エピソードを伝えるために、かくあるべきと思う訳です。
次に「パンの秘密」を紹介して終わります。
新作紫電改コクピットTシャツ出来上がってきました。
展示館館長が以前より所望されていたもので、
ようやく形になりました。少しは期待にお応えできたかな?という
感じです。嬉しいです。
水彩画風のイラストは
カノナリ氏による絵柄です。
これから袋詰め作業をして、
5月連休より、紫電改展示館にて限定販売となります。
よろしくお願い致します。
故郷の女学生(鐵ハヤテさん)より慰問袋を戴く。
最近特に、篠原が元気ないのを知って、
中身は元気がなくても食べやすいお菓子類、料理不要の缶詰だったり、
目薬にホットアイマスクと、不眠症をこじらせた僕のために
入眠サプリドリンク。ハヤテさんの大切なコレクションも
分けてくださった。
あれもこれも、とやっているうちに、きっと箱がいっぱいになって
二つに分けられていたのが、泣けてきます。
本当に、ありがとうございます。
インターネットやっててよかった。
僕以外にも篠原弘道さんの研究者がいて、
空のカケラの記事がきっかけで知り合って、
来週、弘道さんのお墓参りに一緒に行くことになった。
ロシア側の知人や情報も多いらしく、今後の
展開が大いに期待されます。
篠原弘道は日本のトップエースでありながら、
本に書いてある事とは正反対の悲劇的な最期を迎えているんです。
これを近いうちに証明したい。
篠原弘道少尉。陸海軍通して、今まで記録を破られていない
最強の戦闘機パイロット。戦勝国なら、
雀宮駅前に立派な銅像建っていると思う。
篠原「あのー」
アシスタント「なんですか?」
篠原「1時間半ばかり、お花見に行ってきてもいいでしょうか?」
アシスタント「たまには休んだほうがいいですよ。1時間半と言わず、
ゆっくりしてきて下さい」
篠原「ありがとうございます!行ってくるであります!」
日曜日の講演会に、どうしても人出が足りなくて、
ライブに行く予定だった、アシスタントを
動員してしまった。彼女はその場でチケットを
キャンセルしてくれて、ライブにそれほど
乗り気でなかった理由と、キャンセルしたお金で
欲しいものが買えることを話してくれた。
出掛けて、一人になって考えた。
・・・あれは後から考えた理由だよな。
優しい人に恵まれて、もう感謝しかない。
神社の境内でしゃがみこんで、シャッタースピードを
多めに取って風を待った。桜の淡い色と、水色の空と、
欲張って躍動感も出したい。
木の反対側ではレジャーシートを敷いて
花見に賑やかなおばちゃん二人組がいる。
うららかなる陽光。
おばちゃんたちの、お重箱のおむすびがいくつか消えた頃、
望んでいた風がやってきて、桜の梢を揺らした。
僕はスローシャッターを切った。
ごゆっくりどうぞの言葉が有難い、
平成最後の花見であった。
次の日曜日は、いよいよ東京の綾瀬で吉岡少尉の講演会です!
司会は私です。お目にかかれることを心待ちにしております!
描きかけのコンテンツも月曜日から逐次仕上げていくよ!
4月も突っ走るよ!