2019年4月26日 (金)

空のカケラ

彼女は、24歳になっても理系大学に残り、
基礎研究を続け、世の中に貢献したいと言っていた。
  
「博士課程を卒業したら、直人くんと結婚するー。」
 
その頃、僕はクロネコヤマトで働いていた。
在学中でもいい、結婚したら、この子を応援すると決めた。
やりたいことをやらせたかった。彼女が好きな事をして、
その話を楽しそうに聞かせてくれる。その顔を眺めているだけで、
僕は幸せだった。
 
だけど、何の前触れもなく、突然、この世から消えてしまった彼女。
あれから、今日に至るまで、悲しくても涙も出ないようになった。
 
棺に納めるものは何もなかった。彼女は東日本大震災の折、
少しでもお金になるようなものはネットオークションで処分し
お気に入りの綺麗な服も全部、売ってしまった。
だから、棺に入れたとき、彼女に着せてやれるのは部屋着の
ようなものしかなかった。
 
見事な最期であった。
 
と、ここまで書いて、実は僕は彼女の最期に立ち会えていない。
これはお母様から聞いた話。
 
事故での急逝だったから、慌ただしく、誰にも連絡せず、
彼女は骨になってしまったから。
 
お葬式が終わって、彼女のバックから出てきたのが
小さなメモ書き。書いてあったのは、父、母、弟、祖父、祖母の連絡先。
そして、メモ書きの一番下に一人だけ身内でない姓の違う人の名があった。
それが僕だった。東日本大震災の折から万が一のことを考えて
ずっと持っていたようだった。
 
火葬して、骨を拾うのは、変わり果てた故人の姿を
目の当たりにして、「諦めてもらう」儀式なのだと、あるご住職から聞いた。
 


でも、僕にはその過程が無い。
 
錯覚なのだろうが、
いまも150cmくらいの、背格好の似た人を人混みで見かけると
空しくも淡い期待を抑えきれずにいる。
 
雨の降る日が好きだった。
雨は車でお迎えの日。大学のゲートの前で
こっちにやってくる人混みの中から小柄な彼女を見つけるのが好きだった。
 
亡くなってしばらく経ってから、お母様と、
「あの子は空や飛行機、戦闘機が好きでしたねー。今頃大好きな
大空で私達を見守ってくれてるのかな」という話題になる。
 
そうだ、彼女はもういないけれど、もう一度、僕一人で、飛行機をやろう。
それで「アトリエ空のカケラ」を作った。

2019年4月23日 (火)

突撃成功せず

昭和17年10月24日の夜、
 
重火器の到着を待たずして総攻撃が開始された。
第一線の第二中隊が月明下の草原を突撃する。
その後を追うように第九中隊が突進する。

 
敵の機関銃が一斉に火を噴き、流れ来る弾丸は曳光の火の
奔流となって突進するわが将兵を薙ぎ倒す。
突っ込んだ将兵は鉄条網の突撃路に届く前に銃弾に倒れ伏す。
 
・・・突撃成功せず
 
この総攻撃に参加した斉藤満寿さんの回想録をみてみよう。
 
総攻撃、夜襲の前、夕闇迫る頃物凄い豪雨があった。
胃袋まで濡れるような雨の中、少しばかり残した乾パンを立ったまま
口にして前進する。すでに暗闇の中を前へ前へと進む。
 
目の前の戦友の姿もさだかでない。
途中兵団長に会った。汚れたタオルで鉢巻した閣下が、
軍旗は前へ出るものではない、との言葉を耳にしたが
誰よりも一番先に敵陣地に突っ込むと口にしていた連隊旗手、
犬塚少尉の耳には入らなかった。
 
突然、迫撃砲の集中を受ける。
連隊旗手犬塚少尉、旗護兵の馬場兵長戦死、大賀上等兵負傷、
井関上等兵と私、斉藤上等兵は幸い無傷だった。
 
敵の砲撃がやんだとき一度、身を起した犬塚少尉が大きな声で
「天皇陛下万歳」と叫んだ。再び万歳を叫んだが、あとは一言も
無く絶命された。
 
・・・・・「天皇陛下万歳」と絶叫されたあの声が、
今でも私の耳の底に残っている。


「天皇陛下万歳」など叫んで死んだ戦友はいない
「おかあちゃん」と絶叫したものだと戦後から現在でもよく口に
されているけれど私は「おかあちゃん」と叫んで死んだ戦友は
ひとりとして知らない。
 
数多くの戦友の死に直面したが「天皇陛下万歳」と叫んだ戦友は
幾人か居るけれど。
 
幾度か、ジャーナリスト取材の座談会にも出席したが
「天皇陛下万歳」を否定する発言者の多いことが納得できない。
敗戦とは、このような大事なことを、真実を
語ってはいけないのだろうか。
 
第二十九連隊『五中隊戦史』(五中隊会印刷)21頁より
記述はガダルカナル島丸山道において。
第二十九連隊は左翼連隊(第二歩兵団長)
那須弓雄少将(26日戦死)の指揮下にあった。

伝家の宝刀

靖国神社。例大祭が無事終わり、
帰りにソフトアイスでも食べようと、M陸軍大尉とともに
参道脇の休憩所に腰を下ろす。
 
桜はすっかり散って、いまは萌木である。
心地良い風が時折通り抜ける。
 
M大尉は、大鳥居を仰ぎながら、
ひとつ、ふたつ、思い出したことを話し始める。
 
「僕が陸軍士官学校を出て、新品の少尉だった頃ね、
軍刀とか、拳銃とか、そういうのは、みんな自腹で
買わなきゃいけなかった。
その店が、この近くにあったんだけど・・・。」
 
「だから少尉なりたては貧乏だったね。歌の文句にもあるよね」
 
♪大佐中佐少佐は老いぼれで、
といって大尉にや妻があり
若い少尉さんにや金がない
女泣かせの中尉どの
 
「で、そこの店でボクも軍刀を買ったんだけど、質が悪くてね、
その頃には上等な刀なんてなかった。2,3人斬ったらおしまいだ。
・・・僕も白兵戦では斬ったんだけどね・・・。
だからね、あれはほとんど将校さんの飾りだね。」
 
「家がいいとこの奴は、出征するとき、伝家の宝刀持ってくるんだ。
軍刀はみんな私物だったね」
 
「戦争でいい刀が随分失われたんじゃないかな」
 
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これとはまた、別の話であるが、
T陸軍大尉、少尉に任官したてで白兵戦となった。
部下は歴戦の猛者である。
 
夜間の切り込みである。
いよいよ、というとき、少尉の銃剣が月の光を
帯びて光った。
 
「いけません!少尉殿!銃剣を着けては敵に居場所が知れます!」
 
そう言うと部下はニッコリ笑って
 
「少尉殿は初陣で緊張されている。ここは自分たちが行きます!」
 
そういって、闇へ消えて行ったのである。
T大尉は終戦まで、命を繋いだが、白兵戦の数は13回を数えた。
勿論その頃には、最前線で部下を率いていた。 
 
最近、飛行機ばかり書いているが、
歩兵の方から聞いた話も話もたくさんあるので、
できる限り、残していきたい。

2019年4月22日 (月)

UH-60 館山基地所属/硫黄島分遣隊

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海上自衛隊の救難ヘリUH-60です。
硫黄島分遣隊のUH-60、2機は原隊が千葉県の館山航空隊であります。
硫黄島で働く全ての自衛官は館山に籍があり、
硫黄島勤務は原則、2年間の任期となっております。

帝国海軍航空母艦クリアファイル製作中

Photo

COMITIA128にて先行頒布致します。

2019年4月21日 (日)

今年はさくらんぼ狩りに行きたい!

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さくらんぼ狩りの季節がやってきた!
さくらんぼ狩りは、一年でもっとも
テンションのあがるイベントである!!
 
行きたいと言ってるだけで、まだ行ってない。
まだ「サクラ」だから。「ンボ」はもう少し経ってから!
写真は過去のもの。たぶんおととしの5月??
 
サクランボ狩りへ行ったら、
ついでにほうとうを食べて帰るのが定番。
  
いつの間にかみさか路の「ほうとう屋敷」がなくなっていて、
西に会うべき親友をなくしたような気分でとても寂しい。
しかし社長はたくましく、「元ほうとう屋」というツイッター
アカウントで元気そうだった。
 
新しい店を探さねば。上の写真は「小作」という古民家を改造した店。

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薫風ただよう、甲府盆地へ降りて行く!
 
我が国の偉大なる先人たちは、
山があればトンネルを掘り、
谷があれば橋をかけてきた。
 
リニアがやがてアルプスを貫くとき、
私は生きているのだろうか。
しかしそんなことは想像はするまでもない。
 
たとえばそう、
西へ向かうのぞみ号、わたしは
心地良いまどろみのなか、時速300キロで走る。
紙コップのコーヒーは揺れない。
先人たちの眠る大地を静かに駆け抜けて行く。
 
かれらに報いる唯一の術は
私もいつか眠る、そのときまで
手を休めず、働き続けることだけである!
 
汗をぬぐうせつな、ほほにあたる風があれば
それを幸せと呼ぶことにしようではないか。
 
だから5月はさくらんぼ狩りに行こう!

十四年式拳銃

Type14

資料整理していましたら、拳銃の図面が出てきました。
14年式拳銃。ぜんぶスキャナーか接写をかけてデジタル化
しているのですが、全然間に合わないのであります。
 
本来ならば、国立のアーカイブスが予算と人員を確保して
どんどんデータベース化すべき事業であります。
アメリカもロシアもそうでしょう。きちんとした国立の
アーカイブスが機能しており、国民は自由に閲覧する権利があります。
時代背景の評価は別、過去の資料はきちんと残すことが
重要ですが、我が国はそれを個人の犠牲に頼り過ぎています。

2019年4月20日 (土)

講演会感想メッセージ

皆さまからお預かりした講演会の感想メッセージです。
全て吉岡先生にお渡しいたします。
 
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富山県・W様
 
お元気でお過ごしください。
 
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栃木県・I様
  
JYMA日本青年遺骨収集団執行部役員のIと申します。
貴重な御話をありがとうございました。
私どもも精一杯遺骨収集を行って参ります。
大戦初期の勝ち戦を知る戦友の方の話は現在、
大変貴重かつ重要です。
また吉岡さんの講演会がありましたら是非お伺いいたします。
本日は誠にありがとうございました。
 
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東京都・S様
 
大変興味深く、また勉強になるお話を頂きありがとうございました。
 
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東京都・H様
 
本日は貴重な時間、そして貴重な話をありがとうございます。
今や宝石よりも貴重になってしまった旧海軍搭乗員の話を聞ける機会が
あると知って大変楽しみにしていました。
本などで全体的な状況はわかりますが、
実際に戦っていた人の話はなかなかなく、
しかも本人から生で聞けるのはこれからの人生においても
宝物になると思います。ありがとうございました。
 
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東京都・Y様
 
貴重なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
小さいころに祖母から聞かせてもらった空襲の話を思い出しました。
お体にお気を付けください。
また機会があれば、真珠湾攻撃のほか戦闘時以外のお話を聞いてみたいです。
 
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岐阜県・K様
 
今日は貴重なお話をありがとうございました。
戦争について当事者の方からお話を聞く機会がほとんどないので
とても勉強になりました。
「戦争をしない国」を作っていくのは私たち
(私は現在25歳です)若い世代だとおもうので
頑張ってそのような未来を作りたいです。
 
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千葉県・M様
 
言いづらいことも言ってくださいましてありがとうございました。
今日の経験は一生忘れません。
 
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埼玉県・K様
 
私自身あまりこういうことに詳しくなかったため、
今回の講演会では初めて知ったことや驚いたことが
多かったです。特に分隊についてのお話は興味深く、
かなり細分化されているというのがわかりました。
また、開戦から終戦まで搭乗員として生き抜かれた
先生であるからこそ「平和は大事です」という言葉
にはとても重い意味を感じ取りました。
今回の講演会は非常に貴重な体験となりました。
ありがとうございました。
 
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東京都・S様
 
素晴らしいお話ありがとうございました。
 
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東京都・N様
 
本日は貴重なお話ありがとうございました。
これからもお元気でお暮しください。
 
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埼玉県・K様
 
本日は貴重なお話ありがとうございました。
いつまでもお元気で。
 
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東京都・T様
 
僕は近現代史に興味があり、関連書籍を読んだりして勉強
しているのですが今回吉岡先生から真珠湾攻撃に関することを
はじめ貴重な戦争体験のお話を聞いてとても感銘を受けました。
さまざまな苦労、思われることもあるかと思います。
戦死された戦友さんのことも、思い起こされる気持ちも
伝わってきました。今は戦争のない平和な国ですが、
これからも平和な世界を作っていけるよう
先生の思いを引き継いでいきたいです。
 
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東京都・E様

本日は貴重なお話をありがとうございました。
戦争時の生々しいお話から、
現在の平和な日本があるのは
改めて先の戦いに命を懸けてくれた方々のおかげだと痛感いたしました。

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東京都・H様
 
真珠湾攻撃のお話をいただけて感無量です。
息子に伝えます。素晴らしいお話を本当にありがとうございます。
ペリリュー島の話が大変興味深かったです。
 
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静岡県・K様
 
私も数人真珠湾攻撃のお話をお聞きしましたが、
航空機のお話は初めてで平成が終わるこの時に貴重で
素晴らしいお話をお聞きでき大変感激しました。
とても若々しくしっかりしたお話で真珠湾攻撃と
戦争の真実を伝える立派な講話でした。
真珠湾は戦争の始まりであり、先生が戦争のことを
話してくれたことは戦争が本当にあったことを伝える、
そして平和が続いていくために
私たちが考えていく大切な経験になりました。
静岡から参加するのは2回目ですが、
来たかいのある素晴らしいものでした。
ありがとうございました。
 
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広島県・O様
 
拝啓吉岡政光様、この度は貴重な体験をお話して頂き
ありがとうございました。昨年九月の講演会で聞くことが
出来なかった昭和19年から20年にかけての苦しい時期の
お話が聞けてうれしかったです。上層部の書き込みとは裏腹に
現場では機材や燃料が無く戦う以前の問題で苦しむ様子は
やるせなさか組織の根の深い問題を感じました。
私は数年前から戦場へ赴いた方へ当時の話を伺っています。
もしよろしければお話を伺いたいとかんがえておりますので
ご検討宜しくお願いします。わたしはいつでも駆けつけます。
私は吉岡先生の幼いころの思い出や講演会では話すことのなかった
小さなお話や戦後から今日にいたるまでの出来事を伺いたいです。
敬具
  
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東京都・K様
 
貴重なお話をしていただきどうもありがとうございました。
これから日本を担う人へのメッセージということで
自衛隊を軍隊にして日本を守ってもらうことが必要だと
いうお言葉がとても印象に残りました。
これからもお身体に気を付けてお元気にお過ごしください。
またお話を聞ける機会があることを願っております。
 
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埼玉県・T様
 
貴重なお話ありがとうございました。
自衛隊に勤めるものとして資とさせていただきたいと
思っております。先生のおっしゃる
「竹の柵ではなくコンクリートの壁」
となれるよう励んでまいります。
 
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東京都・N様
 
本日はありがとうございました。
私は今年ようやく20歳を迎えたところになります。
戦争は教科書などで触れるに留まり
なかなか感じる機会がありませんでした。
貴重な経験として、今後なにかに活かしていきたいと思います。
 
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神奈川県・W様
 
昨年10月に浅草で開催された際に、蒼龍新聞のコピーを
持参したものです。前回に引き続き、貴重なお話を伺う
ことが出来、ありがとうございました。祖父は九州の航空隊で
事務をし、復員しましたが祖父の弟は中国で戦死し、母の兄も
海軍を志願し戦死していることもあり生きていればいろいろ
やることが出来たと思いますと戦争は無いに越したことは
ないと思います。お聞きしたいことを微力ながら伝えて
いけたらと思います。
 
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栃木県・K様
 
本日は貴重なお話をありがとうございました。
私は赤城急降下爆撃隊の飯塚德治さんを存じ上げて
おりました。本日蒼龍雷撃隊のお話を頂いて、真珠湾攻撃隊の
姿が鮮明になってまいりました。私の父は志願して陸軍騎兵に
なりその後戦車兵に転じて中国、仏領インドシナ、ビルアを
転戦満州の四平戦車学校で特別見習士官の助教をしていました。
母もその学校で軍属をしていました。
父はシベリアに2年余り、母も朝鮮経由の引き揚げ者です。
2人は他界しましたが、よくあの困難な時代を
生き抜いてくれたと感謝しています。
吉岡様にも同様の感謝の念を感じております。
本日はありがとうございました。
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ブログでは初めて書きます

飛行機関連本が新しくできると、私は
昔の恋人のお墓参りに行きます。
 
彼女は飛行機が大好きで、いつも空を見上げていました。
 
下ばかり見ていた歩いていた私に、
空を見上げるきっかけをくれたのが彼女でした。
 
彼女は特に大戦機に傾倒していて、私に
紫電と紫電改の違いを教えてくれたり、
二重反転プロペラの素晴らしさを語ってくれたり
していました。
 
彼女が飛行機好きだったから、私も好きになり
現在に至ります。
 
彼女が突然の事故でこの世を去ってしまったのが、
数年前です。まだ20代でした。
死ぬとわかっていたなら、もっと優しい言葉をかけていたのに、
とか、後悔は絶えません。
 
一人、残された私は、彼女の空への想いを
ひとつ、ひとつ拾い集めるように、生きてきました。
二人で飛行機の話ができないのは寂しいです。 
悲しさも限界を過ぎると、感じる事が鈍くなる代わり、
心から嬉しいと思えることも、
少なくなったような気がします。
 
置いてけぼりにされた、一人の時間が
とても長く、辛いのです。
 
受け継いだ飛行機を描く(書く)執念や楽しさはありますが
生きる事への執着が薄いのも、同時にあらわれる気持ちです。
 
こんなことを言うのはいけないとわかっているのですが
40歳まで生きるとして、それでも
一年、一年が、とても長いんです。
早く会いたいんです。
 
生き残った者の使命とか仰る方もあるでしょうけど
まだ数年しか経ってないので
毎日、強い孤独感と戦っておりまして、
この戦いに負けないように、ただただ耐えて
頑張る最中なのであります。

2019年4月15日 (月)

空母あるある大図鑑

『空母あるある大図鑑』18日水曜日に全国書店で発売です。
掲載イラストは表紙が佐藤、空母30隻+艦載機+航空戦艦「日向」
潜水空母「伊400」断面図などを桜井と篠原で描いています。
 
インタビュー記事は原田中尉、増山大尉、吉岡少尉の三名です。
本文解説は稲葉義泰さんです。
どうぞよろしくお願い致します。