2019年5月10日 (金)

ミリオンフィルム

古の美しい街並みが残る、
栃木市へ写真愛好家のIくんと写真を撮りに行った。
 
Iくんはポートレート(人物写真)撮影の天才である。 
 
風景写真もそこそこに、
Iくんは古い玩具屋を見つけて、入って行く。
店主のおばちゃんに声をかけて、
写真を撮らせてほしいとお願いする。
おばちゃんはものすごく照れて、
 
「いやだわー。こんなオバチャン撮ってもしょううがないでしょ
若い女性撮ったらいいでしょ」
 
と、押し問答が続く。写真の
可否はともかくとして、かれがカメラを持って
街を歩くと、どんどん、人をドンドン笑顔にしてゆく。
 
懐かしい、ソフトグライダーが置いてある。
20円である。翼がオレンジ色のゼロ戦だ。
ぼくは、それを手に嬉々としていると、Iくんは
 
「篠原さん、それ買ってあげますよ、買ってあげますよ」
 
「いいって、いいってば」
 
またも押し問答が続く。
 
結局、かれはおばちゃんの最高の笑顔をファインダーに収め、
気付くと、ぼくも買ってもらったソフトグライダーを
組み立てていた。
 
公園にやってきて
手に持っているソフトグライダーをどうしても
飛ばしたくなる。力を込めて放り投げると
ソフトグライダーは予想しない方向へクルクル飛んでゆく。
 
ぼくは急いで追いかける
 
二度目は、少し力を抜いて投げることを覚える。
さっきより少しだけうまく飛んだ。そんなことを繰り返す家に
公園中を走り回っていた。

普段から、無愛想なはずのぼくを、 
すっかり子供に戻ってしまったぼくを
Iくんは、次々写真に収めていった。
全然、撮られても悪い気がしない。
いつの間にか時間を忘れて遊んでいた。
 
ふと、気を取り直して、グライダーを拾ったまま、
立ち止まり、
「こんな人がもっとたくさんいればいいのに」
と、かれのほうを向いた。
 
その瞬間、かれはシャッターを切った。

2019年5月 6日 (月)

本を出すまで死んでたまるか!

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戦争証言の莫大な情報を編纂して、12月に単行本で出します!
 
取材メモに目を通し、整理していきます。
本編はICレコーダーで録音しているので、それの頭出し用のメモの数々です。
 
死んでたまるか!この戦友の方々の想いを世に送り出すまでは
本にするまでは、私は死ねません!
 
幸運なことに、素晴らしいスタッフに恵まれています。
スタッフのサポートを受けながら、頑張っていきます!

田中三也さんよりお見舞いを賜る

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「彗星」搭乗員で数々の挺身偵察を敢行し
特攻隊にも一度は選ばれ343空で終戦を迎えた田中三也少尉。
 
その田中三也さんよりお見舞いのお花を頂戴しました。
涙が止まりません。

「助けて」と言えなかった

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5日間、寝ずに仕事してました。
(正確には不眠症こじらせて眠れないので仕事をする)
すると、まず、言語中枢に障害。言葉が出てくなくて、
頭の中が壊れ始めて、心臓が止まりそうになって、
親しい人の顔も思い出せなくなって、簡単な計算もできなくなって
はじめて気が付いたんです。
 
いままで、無理しても、ずっとなんとかなってきました。
だから「もうダメだ」と思ったときには手遅れなんですね。
 
ご迷惑をかけたくない、変なプライド、相手に悪い気がする、
「助けて」というのが恥ずかしい。そんなつもりでいました。
でも、今回、手遅れという言葉がをリアルに実感を増して、
気付いたら死神がそこまで迎えに来ている。死はこんなにあっけなく
やってくるものか。
やっと恥ずかしさを捨てて助けを求める術に至ったのでした。
 
今回、助けてくれた人、本当にありがとうございました。

2019年4月30日 (火)

雷電(青木中尉機)

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雷電青木中尉機完成しました。
 


YouTube: 勇者の雷鳴 The Hero's thunder

2019年4月27日 (土)

4月29日、永井敬司さん聴講会

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4月29日は東京・浅草でペリリュー島生還者最後のおひとり、
永井敬司さん聴講会です。
(笹幸恵さん主催の近現代史研究会です)
  
※お写真右側が永井さん。
左は去年亡くなった土田さんです。
 
高齢なので、当日キャンセルとなる
場合がございますが、ひとまず開催決定です。
http://www.panda1945.net/
 
茨城から東京まで1時間半の
運転手を仰せつかったわたくし。
永井さんは何度かお会いし、インタビューもしてますが
サムライの中のサムライという方なので
とても緊張します。

帝国海軍航空母艦クリアファイル

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帝国海軍航空母艦総覧クリアファイル完成しました。
5月12日のCOMITIA128で頒布します。300円です。
当方スペースは「あ08a」です。

今年の夏は

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夏コミで陸海軍機総覧を出します。
もうサークルカットに書いてしまったので
男として、後に引けないのであります。
全ての派生型と型式を網羅。
 
たとえば雷電二一型は書いてますが、
三二型は書いてません。そんな感じでちょこちょこと
マイナーチェンジした機体を全部描いて、コンプリート本を。
 
どれくらいの時間で描けるのか、そして
スケジュールの合間を埋めて行く。
 
とりあえずカレンダーの裏紙にコンプリートプランを書いてみる。
「風たちぬ」に出てきたでっかい九二重爆。この子も側面図と小型機と
比較のためのスケッチを描きます。これは昔の所沢飛行場のジオラマです。
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2019年4月26日 (金)

僕には宝物がふたつある(1)

僕には宝物がふたつある。
 
そのうち、ひとつの話をしようと思う。
僕が小学生の頃、幕張メッセで「アメリカ博」
という大きな催し物が開催され、両親に連れて行ってもらった。
 
僕がそこで一番見たかったのは、アポロ11号の司令船だ。
アポロ11号は人類ではじめて月に行った宇宙船だ。
当時の僕は、宇宙に対する興味や憧れがとても大きかった。 
もちろんいまでもそうだ。 
 
展示会場の真ん中にアポロ司令船は置かれていた。
円錐形の司令船は、大気圏突入の摩擦熱で
真っ黒になって、それに付随した鮮やかな三つの
パラシュートがとてもとても印象的だったことを
憶えている。
 
会場の一角にはお土産売り場があった。
そこで、僕はどうしても欲しくなってしまったものがあった。
 
本物の宇宙ロケットの破片である。僅か数センチの正方形に切り取られ
アクリルに封入された金属片のオブジェには英文でこう書かれている。
 
「アトラスAC-67号機。1987年3月26日打ち上げ。
打ち上げから54秒後に閃光と共に砕け散る」
 
当時は英文読めなかったのだけれど(打ち上げ失敗しているとは
知らず、だけど、この金属片が遥かなる宇宙を目指したことに
変わりはない。)ただ、ただ、宇宙ロケットのパーツが手に
入るなんて夢のようで、目をキラキラさせてどうしても欲しくなった。
金属片には焦げ目がついていて、打ち上げの火力が想像できる。
普段、滅多に物をねだらない僕だったけど
母に欲しいと言った。値段はたしか6000円だったと思った。
 
考えようによっては、というか、大方ただの鉄屑である。
母もそう思っていたらしく、むなしくも却下された。
 
しょんぼり帰ろうとしていたとき、父が言った。
「僕の来月の小遣いがあるから、それで買ってやってよ」
 
当時の父の6000円の小遣いは大金のはずである。
父は、後にも先にもこの件で恩着せがましいことを口にすることはなかった。
 
僕はとても喜んで、包みを大切に持って帰って、家の棚の
一番目立つところに飾って、宇宙への想いを馳せた。
 
あれから30年。父に買ってもらった
宇宙ロケットの破片は、変わらず、僕のアトリエの
一番目立つところに飾ってある。最初も今も、宝物には
変わりないが、当初は物としての価値であった。最近は、
そのときの父とのエピソードが形となり残る、大切な物である。
 
わが屋号
アトリエ「空のカケラ」の由来である。

僕には宝物がふたつある(2)

僕には宝物がふたつある。
 
そのうち、もうひとつの話。
 
それは名前。
 
「直人」という名前は父がつけた。
 
僕はこの名前がとても気に入っていて
父にはとても感謝している。
 
ぼくはこの名前に今まで何度も何度も助けられてきた。
 
道に外れそうになったとき、挫折しそうになったとき、いじめられて
泣きそうになったとき、悪いことに誘われそうになったとき、
その都度、名前に恥ずかしくない生き方を選ぼうと
思いを改めることができた。
 
お天道様が見てるからね。真っ直な人でありたい。
そう、いたってシンプルにとらえている。
 
僕はそうやって、小さいころから名前に助けられて、
これからも助けてもらって生きて行くんだ。
  
「直人くんて名前通りの人だね。直人くんの彼女になれて幸せ」
彼女がそんなことを言って勇気づけてくれたのは
亡くなる、数か月前のことだった。
 
だから、名に恥じるようなことはできない。
僕はこの宝物を最後まで携えていくんだ。