我に追い付く敵機なし~彩雲偵察機
我に追い付く敵機なし
彩雲の挿絵ができました。彩雲の戦記を書いています。
昭和19年8月、硫黄島からサイパンに挺身偵察に飛んだ
広瀬正吾飛曹長は高度8000メートルでP-38の
追撃を受けた。双発でターボチャージャーを備えた
米空軍の最高速を誇るP-38ライトニング彩雲・広瀬機の後方300メートルまで
迫ったとき、広瀬機はブースト(スーパーチャージャー)をいっぱいに
吹かして増速。引き離されたP-38が雲間に消えたとき、彩雲・広瀬機は友軍基地へ
次の如く打電した。
「我に追い付く敵機なし」
出典
秦郁彦著・『太平洋戦争航空史話下巻』
その後、挺身偵察で名を馳せた121空(雉部隊)に彩雲が
実戦配備されると、飛行隊長の千早猛彦少佐、
第一分隊長、長嶺公元大尉
をはじめとした搭乗員はメジェロ・ウルシー等の単機挺身偵察を敢行。
この電文の発信者には諸説あるが、彩雲の韋駄天ぶりを
証明する著名なエピソードである。
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さて、高速の彩雲、すなわち誉エンジンが
その実力を発揮した経緯を技術面からも記載したい。
出典
前間孝則著・『悲劇の発動機「誉」』301頁より
(私が指折りに数える名著です。
技術者もそうでないひともぜひ読んでほしい)
小型軽量にして2000馬力を発生する「誉エンジン」
東京帝大航空学科原動機専修で、中島飛行機に入社した
中村良夫博士(のち陸軍技術中尉)は米国から入手した
「ライトR-3350サイクロン18(B-29搭載エンジン)」
について次のように述べている。
「エンジン全体の技術がきわめて常識的で無理をしていない。(中略
外径をコンパクトに小さくまとめてあった。その分しわよせが
ベアリングにきて軸の径が小さくなるので、日本のようなケルメット軸受
では面圧がもたない。だからアメリカ本土から大西洋を越えて
インドまで飛んで、成都経由で日本まで飛んでこれたわけです」
中略
「我々の誉は、依然として未だ試作の域であって実用化に達していない
こういうエンジンはアメリカでできても日本ではできない」
以下、篠原。
名機と云われる誉エンジンは
ひとつひとつ、職人が仕上げたものであれば
最高のポテンシャルを発揮した。
誉を積んだのは紫電改、疾風、流星、銀河、烈風、
そして「彩雲」である。
しかし、量産となれば、それは違う。
わが国では量産が不可能であった。その肝は特にベアリングにある。
量産品でなく、職人が作った初期ロッド生産の誉エンジンであれば
最高の馬力を発生し、米軍機よりも速く飛んだ。
B-29が関東地方へ飛来し、最も最初に
焼き払ったのが武蔵野製作所
ベアリング工場だった。
※英訳は適切でしょうか。もしよろしければ、どなたか教えてください。
私は毎年、特別な用事が無いかぎり3月19日には供花、御神酒もって三魂の塔にお参りに行ってます。毎年のことですが早春、早朝の山中の神聖な空間で〇十年前の今時分、御国をまもる為に壮絶な戦いをしてくれた3名のことを思うと、胸が熱くなり、有難うございました、安らかにお眠りくださいと念じて帰ってきます。誉エンジンさえ好調ならF6Fを振り切って松山まで帰還できただろうに、、、、。
投稿: ちえこ | 2019年5月 9日 (木) 20:16
素晴らしいです
投稿: 広瀬正悟 | 2020年7月13日 (月) 15:57