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2019年5月10日 (金)

平成のおわりに1

平成が終わる。大きなことを言うようだけど
僕がこの平成という時代に、何かひとつ
残せたことが、あるとするならば
恐れ多くも天皇陛下の有名な一枚の報道写真である。
その一枚の写真に至る、僕のシーケンスがある。
 
だから、どうしても、平成の終わりに
これを書きたい。少し前置きが長くなる。
 
17歳ではじめて、カナダへ行った。
一人旅だった。そこではじめて大陸のスケールの大きさに
感動した。同時にカナダは戦前の日系移民が多く、
先人たちの築いたものが目に見えるものとしては
廃墟という形なり、多く残されていた。衝撃的だった。 
 
23歳になって、今度は単なる滞在でなくて、
自転車でアメリカ大陸を横断してみたくなった。
 
バンクーバーからロッキー山脈を越え、
レイクルイーズ国立公園に入ると、300km、
人工物のない補給の無い地帯が続く。
自転車は時速15キロで進んでも休憩なしで
20時間かかる、果てしない地平線。
板チョコレートと水を買い込んで、進むしかない。
街の明かりが見えたときは、安心した。
 
カルガリー(州都)ブルックス、ガルレーク、
ムースジョー、ブロードビュー、ブランドン、
ウィニペグ(州都)サンダーベイ、ホワイトリバー、
スーセントマリー、バリーサウス、
 
観光地から遠く離れた北米大陸の真ん中。
たったひとり、日本人ということで
悔しい思いもしたことも、勇気をもらったことも、
とにかく、書き切れない出来事があって、
日本人として、恥ずかしくないように、どのように
振舞うべきかと考え続けた。
 
町の名前は覚えていないけど、 カナダ側
国境沿いの湖畔の小さな町だった。
 
偶然、会った現地女性と話をすると、
日本人が珍しいらしい。しかし、大陸奥地では
そんなのはふつうである。
 
しかし、そこで話が終わらなかったのは、
  
「私のグランドファザーが日本がカントリーなのよ!
今から呼んでくるからちょっと待ってて!」
 
喜んで会わせてくれたのは、もう歳は90近い、
日系一世のおじいさんだった。
この出会いが人生を変えたというか、
どうにも忘れられない。
 
おじいさんが、ここへ移民したのは戦前らしい。
以来、日本には一度も帰っていない。 
おじいさんは忘れかけた日本語で、ニコニコして
 
「あなたは日本人かね。ずいぶん背が高いな」
 
とポツリと言った。印象的だった。僕は日本人だけど
平均的身長である。
 
でも、おじいさんはとにかく、懐かしそうで、
 
「今、日本はどうなっているのか」
 
たくさんの質問を受けた。
おじいさんと別れ、 
 
トロントから
アメリカ国境を越え、ニューヨークへ到着して
長い旅が終わった。
  
つづく

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