彼女は、24歳になっても理系大学に残り、
基礎研究を続け、世の中に貢献したいと言っていた。
「博士課程を卒業したら、直人くんと結婚するー。」
その頃、僕はクロネコヤマトで働いていた。
在学中でもいい、結婚したら、この子を応援すると決めた。
やりたいことをやらせたかった。彼女が好きな事をして、
その話を楽しそうに聞かせてくれる。その顔を眺めているだけで、
僕は幸せだった。
だけど、何の前触れもなく、突然、この世から消えてしまった彼女。
あれから、今日に至るまで、悲しくても涙も出ないようになった。
棺に納めるものは何もなかった。彼女は東日本大震災の折、
少しでもお金になるようなものはネットオークションで処分し
お気に入りの綺麗な服も全部、売ってしまった。
だから、棺に入れたとき、彼女に着せてやれるのは部屋着の
ようなものしかなかった。
見事な最期であった。
と、ここまで書いて、実は僕は彼女の最期に立ち会えていない。
これはお母様から聞いた話。
事故での急逝だったから、慌ただしく、誰にも連絡せず、
彼女は骨になってしまったから。
お葬式が終わって、彼女のバックから出てきたのが
小さなメモ書き。書いてあったのは、父、母、弟、祖父、祖母の連絡先。
そして、メモ書きの一番下に一人だけ身内でない姓の違う人の名があった。
それが僕だった。東日本大震災の折から万が一のことを考えて
ずっと持っていたようだった。
火葬して、骨を拾うのは、変わり果てた故人の姿を
目の当たりにして、「諦めてもらう」儀式なのだと、あるご住職から聞いた。
でも、僕にはその過程が無い。
錯覚なのだろうが、
いまも150cmくらいの、背格好の似た人を人混みで見かけると
空しくも淡い期待を抑えきれずにいる。
雨の降る日が好きだった。
雨は車でお迎えの日。大学のゲートの前で
こっちにやってくる人混みの中から小柄な彼女を見つけるのが好きだった。
亡くなってしばらく経ってから、お母様と、
「あの子は空や飛行機、戦闘機が好きでしたねー。今頃大好きな
大空で私達を見守ってくれてるのかな」という話題になる。
そうだ、彼女はもういないけれど、もう一度、僕一人で、飛行機をやろう。
それで「アトリエ空のカケラ」を作った。