
▲九七艦攻(吉岡さん搭乗機)の模型を制作された小島さんと
まだら迷彩のマーキングについてお話しされるご様子。
▲おひとりおひとりに丁寧にサインをされる吉岡さん
▲講演会終了後、順番待ちをされる方、おひとりおひとりと
お話しをされる吉岡さん。全ての方が、ご理解くださいまして
吉岡さんのご負担を軽くできるよう、お話を短めに済ませてくださいました!
自然と整列してくださったのは感激です。感謝を申し上げます。
講演会その後の様子につきまして
真珠湾攻撃隊員で海軍少尉の吉岡政光さん講演会、
その後の報告です。
吉岡さんは101歳と超ご高齢なので、ご自宅に送迎後
さすがにお疲れになった様子でしたが
その後、お元気にお過ごしです。
何より、皆さまが真剣に講演を聞いて下さったこと、
そして感想文を書いてくださったことが大きな
吉岡さんへの応援になったと思います。
皆さまから頂戴した吉岡さんへの感想文は
読みやすいよう、文字を大きく活字に打ち直したものと、
原文のものを同封し、本人にお渡し致しました。
ありがとうございました!
そして、なんとなんと!
吉岡さんは、元気だったら「二回目をやりたい」と仰ってます!
ぜひとも各位の応援を賜りますよう、
よろしくお願い致します。
さて、吉岡さんのお話しで一番印象に残った、
ミッドウェイのお話しを少し書きたいと思います。
質疑応答のコーナーで「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
との質問が最も多く、実は私は大いに苦しかったのです。
一度、個人的に同じ質問をしていましたから。しかし、腹を決めて
読み上げました。なお吉岡さんはコロンボ空襲ののち蒼龍から
一旦地上に降りて、作戦そのものには不参加です。
とはいっても多くはミッドウェイで散った方々の多くは
古くからの戦友です。
篠原「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
吉岡さん
「ミッドウェイは話したくないんです!
本に書いてあるのと同じですから、本を読んでください!
本に書いてあるのとほとんど同じですから!生き残った人も
みんな話さないと思います!機関科の人はほとんど残らなかった!
(戦死)
吉岡さん
「俺だけ生きているよ、と言いたくないんです!」
私は、
この言葉で十二分に、渾身の回答になったと感じております。
以上、今後ともよろしくお願い致します。