2019年5月18日 (土)

丸い虹の話

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田中さん
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました。それが見たくて飛行機乗りを志したんです」
 
篠原
「それで、見ることはできましたか?」
  
田中さん 
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」

追記

なんでいきなり特攻隊の話を書いたかというと、仕事しながら
画面は見れないんですけど、Huluで映画を音声だけひたすら流してるんですけど、
『俺は君のためにこそ死にに行く』という映画をはじめて観て
びっくりしたんです。すごくサムライの映画だなと思いまして。
なんで今までこれ知らなかったんだろうと。 
 
新渡戸稲造『武士道』の中で
「日本人は欧米人から見たら感情の無い冷酷な民族とみられるのか」
と書いていますけれど、この映画を観て、
それを強烈に思い出したんですよ。

それから、
知覧に映画で使われた隼がありますよね。あの、 
片翼に増槽、もう片翼に250キロ爆弾、
あれ見てるだけで、泣けてくるんですよ。
飛行機はいろいろありますけど、
私は、あの仕様がもう悲しくて悲しくて
しょうがないんです。
 
ただ、私は飛行機が好きなだけなんですけど
どうしても、戦争の主役になってしまうことが
悲しいのですけれど、書かずにはいられないのであります。
 
田中さんも飛行機乗りを志した理由が
「丸い虹が見たかった」という理由だったんですよね。
以前、ここでも書きましたけど

田中三也さんのお話

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田中三也さんの
特攻隊を任命された前夜のお話。
  
(写真はトラックで、特攻でなく、ただし決死の作戦の前日に撮られた写真。
バレーボールで汗を流した後で、みんなニッコリしている。この中で生きて
終戦を迎えたのは、確か、2人か3人だったと思う。)
 
周りは宴会をして大賑わいで送り出そうとして
くれていた。田中さんは(大騒ぎは)「やめてくれ!」と
思った。一人静かに過ごしたかった。
しかし田中さんの思いとは逆に軍歌、軍歌で
盛り上がりは止まらない。
 
その中で、ひとりだけ、「ふるさと」を唄い始めた。
それが田中さんの心に今でも残っている。 
 
「だから、今でも私は『ふるさと』だけは聴けません」
 
床に就いたが眠れない。
そこへ夜間の奇襲爆撃があった。
田中さんは、もう、翌朝はどうせ死ぬものと、
防空壕へは行かずそのまま寝ていた。
 
飛行場が激しく爆撃されている。
自分たちが寝ていた宿舎は無事だった。
 
爆撃の中、ペア(操縦員)の佐藤武平(写真左下。挺身偵察で
サラトガの横っ腹をかすめて飛んだ戦友。のち戦死)が
飛行場から、こちらへ走りながらやってきて
 
「バンザーーーーーイ!!!!!!」
 
と叫んでいる!
 
飛行場へ行ってみると、翌朝、自分たちが搭乗予定だった
特攻機の彗星艦爆が木っ端みじんになって燃えていた。
 
・・・彼は確かに万歳と言った。
 
後にも先にも、自分らの飛行機が破壊されて
喜んだ人を知らない。
 
それで命が長らえたが、
一度、特攻隊を拝命した以上、その思いは
つきまとって離れない。代わりの飛行機さえ
届けば、いつでも行かされるだろう。
 
特攻隊の任を背負ったまま、出撃の命令なく
343空、騎兵隊へ転勤となる。
 
田中さんは、そのころのご自身を、特攻隊のことが
頭から離れず、
「髪も伸ばし放題で態度が悪かった」と回想する。
 
ある日、源田実司令が自らやってきて
「貴様が田中飛曹長か」と言う。
 
「そうです」と答えると
 
無理やり床屋へ引っ張っていかれこう告げられた。

源田司令
「貴様の特攻は私が預かる」
 
田中さん
「源田さんから、その言葉を言われた瞬間にそれまで重しだった
ものがスーッと消えてなくなりました」
 
田中さんは、その後、彩雲隊で通常の偵察任務で飛び、
終戦を迎えた。
 
源田司令も評価の分かれる人物であるが
こうした事実もある。このサイドストーリーを
それを志賀飛行長の証言をもとに漫画にしてある。
こちらを合わせてご覧いただければ、田中さんの
証言とつながる部分もあるのではなかろうか。

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2019年5月17日 (金)

仮の結線でこれを打っています。
 
今日は、隼でB-29を撃墜した経験を持つ
パイロットの方に取材でした。撃墜した場所は
シンガポールからマレー上空というので
成都へ進出を始めたころのB-29飛行隊だと思います。概略は
拙著「飛行戦隊の本」に載ってますが、撃墜されたご本人が
ご健在だったとは。ですから、もう少し掘り下げます。
 
篠原
「隼でB-29撃墜例はほとんど聞きませんが」
 
隼パイロットの方
「うん、わたしも知らない」
 
この話は、ほかにもB-24等の米爆撃機撃墜後、
連れて行かれた捕虜の話に及びます。
取材を続けます。
 
そうだ、靖国神社、みたままつりの献灯(大きな提灯のほうです)
今年も早々に申し込み完了です。日本一早い盆踊りです。
名義は今年も「アトリエ空のカケラ 篠原直人」です。
 
去年は献灯したけれど多忙で行けなかった。
友人に写真を撮ってきてもらいました。
   
ことしは、行けたらいいな。綺麗なんですよね。
わたしの心は恐れ多くも多くの御柱(みはしら)と
ともにあるなあ、という穏やかな気持ちがいたします。

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2019年5月15日 (水)

いまからパソコン交換します

いま仕事で使っているメインコンピュータが
ブルースクリーン頻発(HDの寿命)で
急遽、新しい機体に交換することになりました。
 
2、3日程度、お返事が滞るかもしれません。その折はお気軽に
お電話ください。よろしくお願い致します。

2019年5月13日 (月)

拙著「DIVE!」より

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先日、多くリツイートを頂いたイラスト(三枚目)ですが、
拙著「DIVE!彗星搭乗員・大野氏インタビュー」(1、2枚目)を
もとに作画しました。一部を掲載します。対空砲火の凄まじさは、
決して大袈裟な描写ではありません。
目に見えているのは三発に一発の曳光弾です。
 
この中で、大野氏は、対空砲火について
「雨の日の高速道路でフロントガラス当たってくる雨粒」
と表現されています。

吉岡政光さん講演会 その後報告(お元気です!)

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▲九七艦攻(吉岡さん搭乗機)の模型を制作された小島さんと
まだら迷彩のマーキングについてお話しされるご様子。
 

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▲おひとりおひとりに丁寧にサインをされる吉岡さん
  

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▲講演会終了後、順番待ちをされる方、おひとりおひとりと
お話しをされる吉岡さん。全ての方が、ご理解くださいまして
吉岡さんのご負担を軽くできるよう、お話を短めに済ませてくださいました!
自然と整列してくださったのは感激です。感謝を申し上げます。
 
講演会その後の様子につきまして
 
真珠湾攻撃隊員で海軍少尉の吉岡政光さん講演会、
その後の報告です。
  
吉岡さんは101歳と超ご高齢なので、ご自宅に送迎後
さすがにお疲れになった様子でしたが
その後、お元気にお過ごしです。
 
何より、皆さまが真剣に講演を聞いて下さったこと、
そして感想文を書いてくださったことが大きな
吉岡さんへの応援になったと思います。
皆さまから頂戴した吉岡さんへの感想文は
読みやすいよう、文字を大きく活字に打ち直したものと、
原文のものを同封し、本人にお渡し致しました。
ありがとうございました!
 
そして、なんとなんと!
吉岡さんは、元気だったら「二回目をやりたい」と仰ってます!
 
ぜひとも各位の応援を賜りますよう、
よろしくお願い致します。
 
さて、吉岡さんのお話しで一番印象に残った、
ミッドウェイのお話しを少し書きたいと思います。
 

  
質疑応答のコーナーで「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
との質問が最も多く、実は私は大いに苦しかったのです。
一度、個人的に同じ質問をしていましたから。しかし、腹を決めて
読み上げました。なお吉岡さんはコロンボ空襲ののち蒼龍から
一旦地上に降りて、作戦そのものには不参加です。
とはいっても多くはミッドウェイで散った方々の多くは
古くからの戦友です。
   
篠原「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
 
吉岡さん
「ミッドウェイは話したくないんです!

本に書いてあるのと同じですから、本を読んでください!
本に書いてあるのとほとんど同じですから!生き残った人も
みんな話さないと思います!機関科の人はほとんど残らなかった!
(戦死)
  
吉岡さん
「俺だけ生きているよ、と言いたくないんです!」
 
私は、
この言葉で十二分に、渾身の回答になったと感じております。
 
以上、今後ともよろしくお願い致します。

九二式重爆撃機

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映画『風立ちぬ』にも登場する巨人機。
 
原型はドイツ・ユンカース社が開発し昭和4年に初飛行した
「ユンカースG.38」という旅客機である。
四発エンジン、全幅は44メートルで
当時としては陸上機最大。前方に展望席を設けた構造。
 
陸軍はこれを爆撃機として転用すべく
ユンカース社よりライセンス権を購入。
三菱重工が生産を行った。キ番号は20。
(ドイツ軍もこれにさきがけ爆撃機に転用し、名称を
ユンカースK.51としている。)
 
昭和6年に各務原で初号機が完成したが
最高速度が200キロと鈍重で時代遅れとなっていたことから、
実戦には投入されず わずか6機で生産は打ち切りとなった。
 
しかし、九二式重爆が残した功績は大きく、航空技術黎明期にあった
我が国、および三菱重工は、大型機および金属機のノウハウを蓄積する。
また、巨大な機体は見るものを圧倒することもあり、宣伝目的で
1機は所沢の航空記念館に終戦時まで保管されていた。

2019年5月12日 (日)

コミティア128ご来場ありがとうございました!

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コミティア128にご来場くださいました皆様、
ありがとうございました!
 
※佐藤ヤスがイベント前日に完徹して描き上げた色紙です。

出荷作業遅れてすみません

Amazon空のカケラ店の
出荷作業が追い付かない状況であります。
 
ありがとうございます。買ってくださって
本当にありがとうございます!
 
でも、遅くなってすみません。本当にすみません!!!!
自社出荷ぶんに関してはひとつひとつ、切手貼って、
梱包して発送しているのですが
アシスタントさん休みの時などは、
ぜんぶ一人でやっているので、
(2日以内に出荷しないとAmazonから
ペナルティくらってしまう(T_T)
 
ほかにも
JANコード発行、エクセルでの在庫管理等々、
  
この事業を切り離して、描く(書く)のに専念したいので
譲りたいのですが、ある程度、仲の知れた人でないとと思うと
非常に難しいです。最近は全然絵の描くスピードが遅くなって
メールの返信したり、電卓弾いてばかりになってしまいました。
   
脱サラとはいかなくても、副業くらいから
できる人がいればいいのですが。
  
いい人が見つからなければサッパリやめてもいいかな!
こんなこと書いてしまって申し訳ないですが
小売りをやめてしまって、今後は
地方の限定商品だけで卸売だけやっていければ
私の目指す地方創生的な考えで、すごく理想的です。
 
このままだと体力的にもう限界を迎えるのは予想つくので
ご心配おかけしないよう、倒れる前に、小売業(お店)はやめます!
倒れる前に、というのが骨身にしみて学習したところです!