2013年10月 3日 (木)

万世特攻平和祈念館

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有名な子犬を抱いた少年飛行兵の写真です。
この飛行兵は荒木幸雄さんという方で
群馬県桐生市出身の陸軍少尉、17歳です。
 

子犬を抱いて、自分の飛行機に爆弾を取り付けている
様子を見ている、といわれています。
 
昭和20年、5月27日
荒木さんはこの写真が撮影された直後、陸軍特別攻撃第72振武隊として
沖縄へ出撃、戦死しました。
(第72振武隊は10名中7名が10代の飛行兵でした)
 

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知覧を訪ねたのなら、ぜひとも万世も
 
知覧の特攻平和会館は実に有名ですが

同じ鹿児島県内に、同様に特攻隊員の遺書を展示した
施設があります。鹿屋(かのや)と万世(ばんせい)です。
今回は、そちらの、あまり知られていない
万世特攻平和祈念館
へ行って参りました。
  
こちらは知覧と比べると規模は小さいのですが
展示内容は決して引けを取らないものです。
 
万世飛行場は吹上浜をならした急造の飛行場で
荒木さんが出撃したのは、この万世飛行場だったのです。
荒木さんの遺書、遺品は二階フロアに展示してあります。

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▲海軍零式三座水上偵察機
本来、海軍の飛行機はここ陸軍の記念館にはミスマッチであるが、
吹上浜の沖から引き揚げられたのでその縁もあり、展示していると、
新人ガイドさんの話。
なお、この機体の搭乗員三名は無事生還、
その経緯も記してあります。

 

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▲慰霊碑自体は沖縄の方角を向いているが
搭乗員は東を向いている。これは再会を誓った九段の方角だという説
もうひとつは鹿児島は日本の西端なので、故郷の方角すべてを
向いているという説があります。
 

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▲ベテランのガイドさんに案内して頂き、飛行場跡へ。
この側溝の板は当時からあり、画面右側が飛行場滑走路跡。
 

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▲駐機場。荒木さんの写真の背景には松林が写っているので、
現在もそのまま松林である、記念館からこの辺りのどこか駐機場で撮影したの
ではないか、
という説があります。
 

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 飛行場跡は直線道路。
 

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特攻隊員の方々が、この神社を通りがかりに
ちょうど桜の花が咲く頃だったので、その枝を持って
コクピットに飾った。その桜の木は今はないのですが、
神社の石柱は当時のまま残されています。 
 

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飛行場跡地の海浜公園から吹上浜を望む。
 
万世特攻平和記念館 アクセス
鹿児島県南さつま市加世田高橋1955-3
大人300円、小人200円
9:00~16:30(閉館17:00)
無休(12月31日~翌1月1日休)

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館

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 海上自衛隊鹿屋航空基地資料館
 
一度は訪れておきたい場所です

  
知覧の特攻平和会館は実に有名ですが
同じ鹿児島県内に、同様に特攻隊員の遺書を展示した
施設があります。鹿屋(かのや)と万世(ばんせい)です。
 
今回は、そちらの、あまり知られていない

鹿屋資料館へ行って参りました。知覧からは鹿児島湾を挟んで
大隅半島側。交通の便が悪いところにあるので
なかなか見学者が来ないのかもしれません。

 
しかしながら、こちら鹿屋も
決して知覧に引けを取らない資料館です。
 
鹿屋は海軍の特攻基地として
もっとも多くの海軍特攻機が出撃しました。
二階フロアには鹿屋から出撃した
海軍搭乗員の遺影(集められる限り全て)と遺書が展示してあります。
 
敷島隊から梓特別攻撃隊、神雷部隊「桜花」、宇垣中将の特攻まで
資料、展示も充実しています。

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▲戦艦「比叡」の錨、海上自衛隊のUS-1A(おおとり)
紫電改、天山のプロペラなど、屋外展示も多数。
なお資料館二階には吹上浜沖から引き揚げられたゼロ戦五二型が
展示されています。なお、

世界唯一の二式大艇はここにあります
 
余談
敷地内の食堂で食べられる「鹿屋海軍カレー」がとても美味しくて
びっくりした。おすすめです!
 
アクセス 海上自衛隊鹿屋航空基地資料館
鹿児島県鹿屋市西原3丁目11−2
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
年末年始(12月29日~1月3日)を除く毎日開館
入館無料
個人でも申し出ればガイドが案内します

ゼロ戦、二式大艇など各種グッズを扱った土産物店、
海軍カレーが食べられる食堂あり

零戦雷電震電

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烈風(改)戦闘機紫電改

神雷部隊「桜花」別杯の地

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海上自衛隊鹿屋航空基地から少し離れたところに
神雷部隊「桜花」の碑がある。
 
慰霊碑には山岡荘八の書で神雷部隊「桜花」別杯の地、である旨と
建立の経緯が記されている。なお、ここから近くの
鹿屋航空基地資料館には神雷部隊「桜花」に関する遺品、資料が数多く
展示されている。
   
 
アクセス
鹿児島県鹿屋市野里町4219
朝日神社となり

大刀洗平和記念館

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マーシャル諸島タロア島より帰還した零戦三二型
大刀洗(たちあらい)平和記念館のゼロ戦です。

マーシャル諸島タロア島から里帰りし修復された機体です。
珍しい三二型。
 
大刀洗~陸軍の特攻基地としての歴史
ここ大刀洗は陸軍の航空基地があり

戦争末期には特攻隊が出撃した地でもあります。
館内にはここ大刀洗から出撃した特攻隊員の方の遺書、遺影などが
展示されています。
 
幻の戦闘機「震電」
また、九州飛行機が製造した幻の戦闘機「震電」が終戦直前に
蓆田飛行場
(現在の福岡空港)で飛行した経緯もあり
「震電」の展示に力を入れており
資料も豊富でした。
 
B-29のオブシェ
ゼロ戦の上、天井に金網のようなものが見えますが
これはB-29のシルエットのオブシェです。翼とエンジンの形がわかるでしょうか。
大きさ比較のためだそうです。

なお、館内は撮影禁止
ただしゼロ戦のみ撮影可能で九七戦闘機は禁止。
ゼロ戦も九七戦闘機も区別つかない人が多いのに
これは混乱すると思う。
 

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▲現在も残る営門と、道路を挟んだ反対側はユニークな大刀洗駅。

大刀洗平和記念館アクセス
福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1
 
入場料
大人500円 高校生400円 小中学生300円
入館時間、午前9時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日は年末年始 (12月29日~1月3日)
 
各種ゼロ戦グッズの売店あり
 
館内撮影禁止
(ただしゼロ戦のみ撮影可能。九七式戦闘機は禁止)

大村海軍航空隊跡

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大村海軍航空隊の跡地です。

掩体壕が公園の遊具となって残っていました。
ここ大村海軍航空隊は海軍屈指の大航空隊で、空技廠があり
また、松山の第343海軍航空隊(剣)の拠点でもありました。
 

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司令部壕は現在慰霊塔となっています。

 

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沖合に浮かぶ長崎空港です。
海軍大村航空隊の飛行場跡地は現在の海上自衛隊大村航空基地です。
長らく民間と共用でしたが、現在、民間機の滑走路は全て沖合に移転し
民間機独自で運用されています。
 
長崎空港という名称ですが大村市にあります。
長崎県は縦に長い県ですので、地元の人は「大村の空港」とか呼びます。


2013年10月 2日 (水)

永遠の0ゼロ(映画のセット)

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大分県宇佐市がこのたび開設した
「宇佐市平和資料館」で映画永遠の0(ゼロ)の撮影に使われた
ゼロ戦(レプリカ)が見学できます。
 
このゼロ戦は、映画の撮影が終了した後、宇佐市が1000万円で
購入し、ここに展示しているものです。
 
鉄板を貼り付けたレプリカなので、実物のゼロ戦と比べると
ずいぶんと重い質感がありました。

入場は無料。

宇佐市は旧海軍宇佐航空隊の掩体壕などが現在でも残り
戦跡を観光の目玉にして行く構えの様です。
 
展示のほとんどは映画のセットですが
桜花の風防ガラスなど、一部だけ貴重な資料もあります。
レプリカ機の尾翼番号(第721海軍航空隊)は神雷部隊のものです。
 

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これは映画の撮影に使われたコクピットのセットです。
「岡田くんの汗が染みこんでいるから、
ファンの女性は喜ぶんじゃ
ないでしょうかね!うへへへへ」と、市の担当者。
 
アホか!

でも、実際に座れるのは良いアイディアだと思います。もちろん座らせて
もらいました。「思ったより狭いでしょう」と言われましたが、
身長175センチの私の印象では、広くはないけど、狭くもない。
そんな感じでした。
 

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こういった実際に体感できるセットはありがたいです。
隙間をぜんぶ埋めてあるんですね。
 

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宇佐市平和資料館 アクセス
宇佐市大字閤440-5
火曜日定休(祝日の場合はその翌日)および年末年始12/9-1/3
9時~17時(入場は16時30分まで)

老若男女入場無料

宇垣纏 8月15日特攻の碑

昭和20年(1945)8月15日
 
玉音放送の後、ここ大分飛行場より、宇垣纏中将の命により
1番機操縦中津留達雄大尉をはじめとし、宇垣自身を含む
11機、総員23名搭乗の彗星が神風特別攻撃隊として沖縄へ出撃した。
(うち3機は不時着)いわゆる終戦後の「宇垣特攻」であるが
 
彗星隊が飛び立った地に、戦没者全員の名が刻まれた
慰霊碑が残されている。 

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大分飛行場は戦後、民間飛行場を経て
現在は野球場や各種スポーツ設備を備えた
大洲総合運動公園となった。
  
慰霊碑は現在も生花が供えられ
綺麗に維持されている。

 
アクセス:大洲総合運動公園
大分市青葉町1番地
慰霊碑はテニスコート西側、芝生の広場一画にある

中川州男大佐の墓所

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ペリリュー島守備隊長中川大佐のお墓が
出身地である熊本県熊本市にあります。
 

熊本の市街地を見渡せる岡の上に
小さな墓碑群があり
その一角に中川大佐のお墓はあります。
 
また、この辺りは西南の役(西南戦争)で亡くなった著名な方の
お墓もあり、歴史を学ぶ方は一度、訪れておくのもよいかもしれません。
 

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だいぶわかりにくい場所にあり、随分と迷いました。
近くに大型霊園があり、そちらと勘違いしがちです。
中川大佐の墓碑は、そちらの大型霊園とは別の場所にあり
霊園の名称等は特にありません。
 
お墓は地元の方が、定期的に清掃をしてくださっているようで
とても綺麗になっていました。 
 
中川州男大佐(戦死後中将)墓所
アクセス
熊本県熊本市立田山貯水池付近
住所、墓所名は不明
 
立田貯水池入口に駐車し(車はここで行き止まり)奥へ歩くと
墓碑群が見えてくる。急な階段(を下りずに)手前を右へ折れ
20メートルほど歩くと、中川大佐の墓がある。
 
近くに小峰墓地があるが、こちらではないので間違えないようにする。
なお、小峰墓地は、原爆慰霊碑、先の大戦の慰霊碑ほか西南戦争の
戦没者が眠っている。
 

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中川大佐自刃の地・ペリリュー島ラストコマンドポストへの旅
はこちら

2013年10月 1日 (火)

芸予要塞

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国家存亡の危機を迎えた明治の日本
十九世紀末、西欧諸国の植民地拡大競争は激しくなり
その矛先は世界各地に向けられた。 日本にとっての最大の脅威は
帝政ロシアだった。ロシアは冬でも凍らない港をと、南満州へ進出し、旅順に
軍港を築くとともに極東艦隊を派遣、黄海を手中に収めた。
 
ロシア海軍の進出は、いよいよ直接日本に向けられることとなった。
そして、まさにここ瀬戸内海は要衝であった。 いよいよ日本は国家存亡の
危機を迎え ここ小島に、芸予要塞の一端を構築する。
 
極めて保存状態の良い110年前の戦跡
明治35年(1902)に完成した要塞であったが
明治38年(1905)年、日本は旅順攻略ならびにバルチック艦隊を撃滅し
日露戦争に辛勝。 結果的に小島の要塞が役立つことはなかったが、
要塞に据え付けられていた28cm榴弾砲、2門が旅順攻略戦に
持ち出され、活躍した。現在も非常に保存状態がよく、100年以上前の
戦跡としては極めて稀である。
 
28cm榴弾砲
小島には6門が据え付けられたが
明治37年(1904)日露戦争の勃発により うち2門が旅順要塞の攻略に送られた。
この28cm榴弾砲は NHKドラマ「坂の上の雲」で撮影に用いられたセットで、
撮影終了後 松山市が譲り受け、しばらく松山城で展示されていたが
現在は今治市が譲り受け、ここ小島に渡った。▼
 

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▲芸予要塞(げいよようさい)小島(おしま)へはフェリーで渡る。

フェリーは今治の波止場を出港すると、瀬戸内海に点在するいくつかの島を
巡り、ふたたび今治の波止場へ帰ってくる。
背景は今治造船
 
乗客は、我々のほかには釣り人が数人と、郵便屋さんが
乗っていた。郵便屋さんのフットワークはどこへ行っても軽い。
通勤電車のような感覚のこのフェリーにひょいっと乗り、あっという間に
島の港へ接岸すると、のんびり釣竿を背負った人たちを追い越して
幸先よく手紙を配って行く。
 

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▲探照灯(サーチライト)跡。
戦跡巡りの権威である、S方氏の案内で小島芸予要塞を巡る。
島は周囲3キロほどなので、2時間もあれば全部見学できる。
島には画像のような周回歩道があり、潮の香りと風が心地よい。
釣り人が目立つ。
 

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▲円形の基礎は砲台の跡
放射線を描いて着弾するので、海からは見えない構造。
 

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要塞は役目を終えた後、爆撃演習の標的として
利用された。その際の爆撃で崩れた跡が残る。

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若い人は皆、島を出て行ってしまったのか、民家には空き家が多い。
島の人口は30人。遠くに望む、近代的な来島海峡大橋。
 

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弾薬庫
 

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これは「ハンミョウ」という昆虫。いままで
図鑑でしか見た事がなく、珍しかったので撮った。
瀬戸内海の島々に生息しているようだ。
人が道を歩いていると、進行方向を促すように飛翔するので
別名「道教え」とも呼ばれる。 

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海を見ながら波止場へ戻る。
110年前の歴史を感じ、また自然も素晴らしく綺麗な島だった。
 
芸予要塞小島(げいよようさい・おしま)
アクセス
愛媛県今治市波止浜観光港より
小島行きフェリーで5分。

紫電改~最後の戦闘機

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愛媛県愛南町の「紫電改」を見学しました。
 
一見した感想は「大きいな」と感じたことです。
ゼロ戦より一回り、大型で迫力があります。重戦闘機紫電改。
昭和20年、この紫電改もB-29やグラマン戦闘機と大空戦を
繰り広げていたのでしょう。思いを馳せました。紫電改を知っている方も
知らない方も一見の価値あり。
 
この紫電改は
昭和53年11月に、久良湾に沈んでいるのが発見され
翌年引き揚げ作業が
行われました。館内にはこの機体の搭乗員だったと
推測される第343海軍航空隊(剣)、
六名についての展示があります。

 

紫電改の沈む久良湾

▲紫電改が沈んでいた久良湾です。
南レク宇和海展望タワーより撮影。 
 
※碇義朗著『紫電改の六機』によれば、着水時の状況、
座席の位置などから考えて小柄な、米田伸也上飛曹か、とくに可能性の高いのは
武藤金義少尉と推測されているが、確定的な証拠が無いかぎり、
状況推測だけで断定することは避けねばならないと記されている。
 
※また、当該機体を「撃墜した」と証言する元米海軍戦闘機搭乗員
アプルゲート(アップルゲート)氏の主張であるが、
紫電改で戦った戦友たちによれば

「武藤少尉がまともに空中戦を行って、負けるはずがない」
「もし、落とされたとするなら、流れ弾か機体トラブルによるものであろう」
との見解もある。
 
「紫電改展示館」見学は無料。紫電改を見学できるのは、日本ではここだけ。
紫電改関連グッズを豊富に取りそろえた土産物店があります。
 

第343海軍航空隊

▲松山基地を再現したジオラマです。
なお、松山空港周辺には343空の使った掩体壕が残っており
そちらも見てきました。第343海軍航空隊航空基地跡
 

 

▲紫電改展示館の屋外にはこのような遊具もあり
尾翼には343と刻まれています。それにしてもF-4に似ている。
 

▲これは見なかったことに・・・。

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愛南町も素晴らしい目玉があるのですから、もっと町おこしに利用すれば
よいと思います。 まずは熟練ガイドの養成は必須。
 

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アクセス
紫電改記念館(南レク内)
住所:愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城689−1  馬瀬山頂公園内
 

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空母信濃に着艦した艦上戦闘機「紫電改」
 


零戦雷電震電

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烈風(改)紫電改