2013年10月 1日 (火)

今治造船とバリィさん

Imgp5483

 
今治造船の艤装工場です。
今治造船は国内トップを誇る造船会社で、ここ今治のほか
伊予西条と丸亀にも工場があります。
大型船を多数、建造しています。
 

Imgp5581

Imgp5478

Imgp1857

Imgp5579

船を造っています。
後ろの高架は来島海峡大橋です。ここから広島の尾道まで通じています。
 
そしてこちらは今治のローカルキャラクター
「バリィさん」です。
 
2011年、ゆるキャラグランプリにて、クマモンに敗れ2位に甘んじる
2012年、ゆるキャラグランプリにて、ついに優勝を獲得。
2013年、PRに十分な知名度を得たとして不出馬を表明。
 
身長150cm、体重150kg、胴回り150cm
性格はのんびりしているが、今治弁を話すせいで少しきついイメージがある。

今治名物の焼き鳥がモチーフで 
頭に乗っているのは来島海峡大橋、
ハラマキは名産の今治タオルを表したもので、持っているのは船。
 
ゆるキャラが生まれた背景には、今治でなければならない理由がありました。
今治は名産品が多く、瀬戸内海に面しており、とても良いところです。


Photo

2013年9月29日 (日)

素晴らしい四国

Imgp2391

 
高知竜馬空港周辺の掩体壕を見たついで、西へ10km走り
桂浜から土佐湾を望みます。
 

四国は素晴らしいところでした。何と言っても
人柄が素晴らしい。お遍路さん文化があるのか
どこへ行ってもあたたかいおもてなしを
受けることができました。お遍路さんといえば
心に傷を負っている人も少なくない。そんな人たちを
あたたかく迎え入れてくれる精神は素晴らしいです。


ただ、唯一、残念だったことがあります。
香川のウドンを食べ損ねたことです。


わが栃木も世界遺産だと喜んでいるけれど、
きちんとお客さんをおもてなしできているのか疑問です。
どうもおごりがあるように感じます。四国を見習うべきです。

 

Imgp2387_2

Imgp2394_2

Imgp2128

Imgp2047

Imgp2042

高知航空隊の掩体壕

Imgp2349

Imgp2354

Imgp5654_2


 
海軍高知航空隊が使った掩体壕が多く残されています。

 
※掩体壕(えんたいごう)
飛行機を敵の爆撃から守るためのコンクリート建物。
盛り上げた土にコンクリートを直接流し込んで作った。
模型は松山の第343海軍航空隊のもの。

Imgp2368

Imgp2378

Imgp5726

Imgp2374_2

▲大型掩体壕

Imgp2381

Imgp5719

Imgp5723

Imgp5709

Imgp5713

Imgp5714

Imgp5705_2

掩体壕は現在の高知竜馬空港周辺に点在しています。

第343海軍航空隊(剣)松山航空基地跡

第343海軍航空隊(二代目・剣)の基地は愛媛県の松山市にあり
拠点を鹿児島の鹿屋、国分、長崎の大村に置いた。
松山基地は現在の松山空港である。

Imgp5597

Imgp1865

▲松山空港
 

Imgp1868

▲掩体壕
 
掩体壕(飛行機を爆撃から守るコンクリートの建物)
ご主人の許可を頂いて写真を撮らせてもらった。
掩体壕が車庫として利用されている。
現在は、住宅地やコンビニとなっているが
当時はこの辺りまで飛行場の一部だったことがわかる。
 
紫電改や彩雲が格納されたのだろうか。
 

Imgp1876

Imgp1879

▲掩体壕
 
こちらは納屋として利用されている。
コンクリートの建物、しかも掩体壕ともなれば相当頑丈であるので
解体は容易ではない。

そういえば、以前、桜花の発射基地跡
訪ねたときも、コンクリートのカタパルトの土台はそのまま残されていた。
※桜花の基地を建設する際、軍に土地を接収され、戦後は返還されたものの
土地の境界線が有耶無耶になり、コンクリートの解体作業を自治体へ要請するも
資金を出し渋っているそうだ)
 

Imgp5607

こちらも掩体壕。分厚いコンクリートと
飛行機を収納していた形がはっきりわかる。
 

Imgp5654

 

250kg爆弾を模した敷島隊の碑

初の神風特別攻撃隊である「敷島隊」五名の慰霊碑が
隊長の関行男大尉の出身地である、伊予西条市の楢本神社にある。
 
この衝撃的な慰霊碑は、五名がゼロ戦に抱いて飛び立った
250キログラムの爆弾そのまま模している。

Imgp5454

Imgp5458

Imgp5432

Imgp5463_3

Imgp5433

Imgp1773

左側は戦艦「大和」の砲弾、右は「三笠」 
 
なお、境内には神風特攻隊記念館もある。
入場は300円。
 
私は以前、敷島隊の五機を整備した元整備兵の方に
お話を聞いたことがある。あわせて谷暢夫(たに のんぷ)一飛曹の
回想も少し書いた。
 
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」

伊予西条に慰霊碑があると聞いたので、以前から訪ねたいと
思っていたのが、ようやく、お参りができた。
 
関さんは、軍神として、またこのような形で顕彰され
関さん自身、それが嬉しいことなのかどうか、私には
知る術もないけれど、今日の日本のために命を奉げたことには
心から感謝します。
 
楢本神社
住所:愛媛県西条市大町1138
 
国道11号線から住宅街へほど500メートル入ったところにある。
慰霊碑と鳥居の前が駐車場。
隣が緑色の外装をした畳屋さん。

戦艦大和と宿毛湾

Yamato_trial_1941

戦艦大和が全速27ノット(時速50km/h)で試験航行した際の
有名な写真です。この写真は、昭和16年10月30日
宿毛湾沖の沖の島-鵜来島間で撮影されたものです。
 

Imgp2022_3

▲宇和海展望タワーより撮影。沖ノ島-鵜来島間を戦艦大和は全力で航行試験を
行った。手前が紫電改の着水した久良湾。
 
宿毛市の宇須々木海軍基地
大正10年に戦艦「長門」が寄港して以来、昭和17年頃まで
艦隊の停泊地として利用され、宇須々木は
休養の為の宿舎や病院、各施設がありました。
 
またワシントン軍縮会議で廃艦が決定した戦艦「土佐」はここ
宿毛湾沖に沈められています。
そして太平洋戦争末期には特攻艇「震洋」の基地にもなりました。
 
現在は弾薬庫、飛行艇の係留場(およびスロープ)、誘導灯、防空壕などが
僅かに残っています。
 

Imgp2008

▲スベリと呼ばれる飛行艇揚陸スロープ
 

Imgp2012

▲魚雷艇整備壕

伊方原子力発電所

Imgp5612

Imgp1887

愛媛県、佐田半島の伊方原発です。
道の駅「観光物産センターきらら館」併設の四国電力広報施設に
展望台があり、望むことができます。
 
奥の筒状の建屋が一号機、手前の丸い建屋が二号機、
そして森林に隠れていますが、三号機があります。
 
広報施設は広くすこぶる綺麗で、
原発マネーの力を感じました。
 

Imgp5622

 

九軍神と三机湾

Imgp1902

 
九軍神の訓練が行われた三机湾
ここは愛媛県瀬戸町。佐田岬の伊方原発を過ぎて西へ10kmほど走ったところに
三机湾と呼ばれる静かな湾がある。 

三机湾は東洋の真珠湾と呼ばれ地形が真珠湾に似ていたことから、
特殊潜航艇「甲標的」で出撃した10名(内9名が戦死しのちに九軍神と呼ばれた)
の訓練が行われた場所である。
 

Imgp1897

Imgp5632

Imgp5629

須賀公園内にある「九軍神の碑」


慰霊碑の近くでバーベーキューをしていた中年男性のグループがいて
私たちが熱心に慰霊碑の写真を撮っていると
それまでは興味はなかったのだろうけど、近づいてきて

「へ~っ、真珠湾の攻撃訓練したのか」と頷いていた。

Imgp5628

 

Imgp5627


こちらは何故か夜間戦闘機「極光」のプロペラらしいが
説明書きが読めない。
 
極光とはオーロラの意で「銀河」の夜間戦闘機型。
 
住所:愛媛県瀬戸町三机
須賀公園

2013年9月28日 (土)

敵機に体当たりした「彩雲」 ~三魂之塔

四国カルスト天狗高原より夕日を望む

Imgp2401

 
経緯

昭和20年3月19日 午前7時45分頃
第343海軍航空隊の三人乗り偵察機「彩雲」が 飛行中、
エンジントラブルから敵機に捕捉される。
 
離脱は不可能と判断した彩雲は、この上空で敵編隊に突入、体当たりを
敢行したものである。 搭乗員は機長、高田満少尉、操縦、遠藤稔上飛曹、
電信、影浦博上飛曹の三名で 全員が戦死。四散した機体の破片は三つの
峰に散らばったが 遺体は墜落する様子を目撃していた住民によって収容された。
 
現在も「彩雲」の主脚、片方が残されている。
「三魂之塔」と刻まれた慰霊碑であるが
その経緯などは一切記されていない為 、偶然訪れた者は、
何の慰霊碑かわからないだろう。
 
場所
高知県高岡郡津野町芳生野、
四国カルスト天狗高原、天狗荘から県道48号線を
およそ5.5km下ったヘアピンカーブの内側にある。
狭く急勾配の道の途中にあるので 訪れる際は注意が必要。
 
探していたらすっかり暗くなってしまった。
 

Imgp2402 

2013年9月27日 (金)

今治造船西条工場

今治造船西条工場です。

Imgp2425