2016年5月 1日 (日)

元近衛歩兵連隊、宮城警備のお話し

先日は元近衛歩兵第二連隊で100歳の方にお会いし
インタビューしてきました。
近衛歩兵というのは、天皇陛下の親衛隊です。
当時から皇宮警察はありましたが、それとは別に
日本陸軍二個連隊が宮城の警備を行っておりました。
周知の通り、現在の自衛隊は皇居の警備は行いません。
 
タイトルは「みやぎ」ではありません。宮城(きゅうじょう)と呼称します。
昔の皇居の呼び名です。
 
この方は
先の大戦時にも宮城の警備を担い、終戦の日もクーデター側の

将校から玉音放送のレコード盤を奪還せよとの命令を受け
宮城内を探し回ったと、お話しくださいました。
 
このときは兵卒として上官の命令に従っただけなので、
罪には問われませんでした。クーデター終結し、
戦後しばらくは奥日光の南間ホテルで
皇太子の警備にあたりました。(今上陛下であります)
  
近衛歩兵は通常の歩兵とどう違うのですか?との質問には
訓練内容は通常の歩兵と変わらないが、
ハクをつけるため、戦地(この方の場合は北支)に派遣され
歩哨を行ったとのことでした。
 
近衛歩兵になるには、特に身辺調査が厳しく、
曽祖父の代までさかのぼって、家柄、純粋な日本人であるか、または
知り合いに共産思想の者が居ないか、調べつくされ
合格した者だけがなれました。大変な調査ですから、
一番、手っ取り早い採用方法は土地土地の名家の若者を
選ぶことでした。
 
日本が戦争に敗れ、GHQが新しい日本を作る迄、
元首は天皇と明確にされていました。
現在の日本国憲法でも、建前上
天皇が総理大臣を任命する形にはなっていますが
元首である旨はGHQによって削除されています。
 

この辺りの取材内容も書きたいのですが
仕事の合間にやっているもので、なかなか進みません。
 
いまは来年のカレンダーの製作しております。
デザイン業はかなり先々のものをやるので、季節感が
麻痺します。

百式司令部偵察機(三型)

百式司令部偵察機(三型)

デジラマ撮影しました。

2016年4月30日 (土)

迷彩零戦は存在したか

迷彩零戦

ハセガワから第261海軍航空隊(虎)の迷彩仕様零戦が販売されていたが
実際にこのようなカラーリングが存在したか、考察してみる。
上は完成見本。下に掲載した書物は
『世界の傑作機No.9零式艦上戦闘機22-63型』で、
(平成4年発行。絶版)第261海軍航空隊(虎)、第263海軍航空隊(豹)
零戦にはハセガワの模型と同様に迷彩が施されている。
 
中島飛行機で生産された機体は工場出荷時には単色であったが、
最前線基地であるペリリュー、大宮島(グアム)、サイパン、ヤップへ
派遣された後、激戦地であるが故に迷彩が施された、という推定だ。
 
第261海軍航空隊(虎)はサイパン島、アスリート飛行場を拠点に
そして第263海軍航空隊(豹)は大宮島(グアム)を拠点に連日
激しい戦いを展開し、絶対国防権の死守に努めていたが
マリアナ沖海戦で戦力の大部分を消耗、戦死した。
そこで生存していた僅かな搭乗員はを第201海軍航空隊へ編入。
フィリピンへ後退した。

迷彩零戦

箱絵も迷彩が施されている。

迷彩零戦

この二つの部隊の零戦は、以下の写真を参考にしたと思われる。
 

ゼロ戦鹵獲機

▲アスリート飛行場に残された第263海軍航空隊(豹)の零戦五二型。
サイパン上陸後、米軍が撮影。
 
サイパン島アスリート飛行場には、米軍上陸時、保存状態の良い
ゼロ戦(第261海軍航空隊と第263海軍航空隊所属機)が多数残っており
米軍はこれを鹵獲。戦利品として、米国本土へ
持ち帰ることを決めた。
 
現在、カリフォルニアのプレーンオブフェイムで動態保存されている
ゼロ戦はこのとき持ち帰った第261海軍航空隊のうちの一機というのは
有名な話である。数年前、この零戦が所沢へ里帰りした折に、マスコミから
「あれは誰が乗っていた飛行機か?」と私へ問い合わせがあった。

ゼロ戦鹵獲機

▲アメリカの軽空母に搭載され本土へ運ばれる第261海軍航空隊と
第263海軍航空隊の零戦五二型。

ゼロ戦鹵獲機

▲尾翼の番号(テールレター)の頭文字が8と刻まれているのが
263空で、61が261空の所属機。

ゼロ戦鹵獲機

ゼロ戦鹵獲機

こうして観察してみると、迷彩塗装が施されたゼロ戦のようにも見えるが
翼の日の丸に注目してほしい。モノクロ写真であれば、日の丸の
赤は、もっと濃い色に映る筈だ。そして、胴体の日の丸とは
濃さが違っている。
 
ここの海域は日米双方にとって、最前線であり、いつ奇襲を受けるか
わからない。敵味方の識別が現代のように出来なかった時代、
高高度から見れば、甲板にズラリと並んだゼロ戦、これは
まるで日本の空母である。誤爆でも受けたらたまらない。米軍は
大急ぎで鹵獲機の日の丸をシンナー等の溶剤で落としたのではないか?
だから日の丸が白く写っている。
 
そして、脱色した後、米軍の星のマークを描き入れたのだと思う。
もちろん、溶剤は日の丸だけでなく、機体の色も落とす。

よく観察すると、機体の迷彩というかマダラは
この溶剤がタレて、滲んでいるようにも見える。
(ならば、必要のない尾翼のほうにもなぜ溶剤をかけるのか?
これはこれで謎だが)

 
そして、日本側パイロットの証言だが
第263海軍航空隊で開隊から終焉まで戦った
笠井智一さんによれば、特に迷彩塗装は施されていなかった、
とのこと(篠原インタビューによる)
 

迷彩零戦


そういった具合で、第261海軍航空隊第263海軍航空隊

迷彩仕様の零戦は存在したのか?実際のところはわからないが
以上のように、証明するものがないし、矛盾点が存在することも確かである。
 
最後に申し上げたいのは
歴史の考察には色々な意見があるから面白いと思う。
そして、模型を作る際には、色々想像しながら楽しくやろう!
 
結論!自分の好きな色で塗ればいいと思う!!
 
 

記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

  
戦史 ブログランキングへ

2016年4月27日 (水)

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学

零戦と秋水

三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室で
零戦(ゼロ戦)と秋水を見学したので簡単にレポートする。
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、
名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、
三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。

 
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も

月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
 

名古屋の零戦と秋水

 
ここは観光施設でない。老若男女、国籍年齢を問わず
見学は可能であるが、あくまで三菱さん
のご厚意で
見学させてもらっているので、困らせるようなことや、我儘を言ってはいけない。
それでも電話対応から見学に至るまで、
三菱さんは
誠に丁寧に対応してくださり、頭が下がる一方であった。

 
史料室は格納庫一ヶ所をまるまる使っていて、
ゼロ戦と、秋水、MU-2の三機が展示されている。
 
まずは零戦から見学する。
 

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

 
もともと、この零戦はヤップ島に残されていた機体で、欠損していた部品は
ニューギニア等から回収してきたものと合わせてニコイチサンコイチで
復元された機体である。

 
ヤップ島、ということは
第261海軍航空隊(虎)第263海軍航空隊(豹)
第265海軍航空隊(雷)、第343海軍航空隊(隼)あたりが拠点にしていた
飛行基地であるので、ベース機は、このいずれかの航空隊の機体で
ある可能性があると小生
は推測する。展示機尾翼の機番号は未記入。
 
他の方のブログなどを拝見すると、
見学者が少ないときはコクピットに座らせてもらえるらしい。だが
この日はなんと、隣接する小牧基地でX-2(神心)の初飛行の前日だったので
見学者が多く、言い出せる雰囲気になかった。訪問日時を調整できる人は
暇そうな時期を狙うべき。
 
そういった事で、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
ゼロ戦はコクピットに座らせてもらえる日本で唯一の零戦。
三菱に感謝。もし、マナーの悪い者がいれば即座に中止になりかねない
極めてデリケートな計らいであるから、今後も続けてもらうべく、
着座の際は係員の注意をよく聞き、マナーに充分気を付けたいところ。
  
余談だが映画のセット(永遠のゼロで使用したもの)でよければ
大分県の宇佐に保存してあるので、こちらも検討されては如何だろう。
座って記念撮影もできる。詳しくはこちらの記事で→宇佐市平和資料館
零戦巡りの旅をしていて方々で零戦を見てきたが、この他には
海上自衛隊鹿屋航空基地資料館では座らせては貰えないが、
かなりコクピットまで迫れる上、係員が代わってコクピットの
操縦桿などを動かしたり、ラダーなどを動かしてくれた。

名古屋の零戦と秋水

美しいフォルムである。
 
零戦は三菱製と云われているが、厳密にいえば
三菱が機体を設計製造、エンジンを中島飛行機が設計製造した。

当時の日本の二大航空機メーカーだが、マスプロ力(総合生産力)に優れていた
中島飛行機は
三菱から設計図をもらって、ライセンス生産を行った。
 
海軍さんの命令によって、
三菱と、中島飛行機、両方の飛行機会社で造られたということになるのだが
結果的に終戦迄に中島飛行機がより多くの零戦を製造した。

 
ここにあるのはもちろん三菱製であるので
三菱製零戦の特徴がはっきりわかる。三菱製と思われる零戦は
靖国神社遊就館にある零戦と、大刀洗平和祈念館の三二型
浜松、あれも三菱製であるが、その他日本に現存する零戦は
ぜんぶ中島飛行機製のカラーリングだ。
 
塗装に関しても、当然、海軍さんから
「ゼロ戦の色はこの色で、こういう風に塗んなさいよ」と指示が
あったはずだが、こうして見比べるとケッコウ違いがあるのが興味深い。
  
以下は小生が解る範囲で描いた絵。
 

ゼロ戦のカラーリング表(中島と三菱の違い)

 
  
機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い

 
いずれにしても、史料室の方は皆、とても良い方なので、
ゼロ戦マニアの方、あまり意地悪な質問はしないように!
見学態度は常に紳士的であれ。
 

画像使用についてのお願い

次に、秋水を見学する。

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

世界でたった一機の秋水。
 
秋水は国産初のロケット戦闘機で、機体、エンジンともに
三菱独自で開発したもの。よく秋水はドイツのMe163コメートのコピーだとか
云われるが、それは誤りで、ドイツ様からロケットエンジンの技術供与は
成功したものの、設計図をドイツから日本に持ち帰る途中、潜水艦とともに
沈んでしまったので、三菱の日本人技術者がイチから開発した。
 
唯一、参考にしたといえば、潜水艦が沈む前に先に飛行機で日本に
持ち帰られた
三面図のみ(単なるスケッチ)で、これをもとに
「ロケット戦闘機というものは、たぶんこうじゃ!」と独自に
三菱がエンジンから機体から全て開発してしまったのである。
この辺りの説明は、係員の方がよーくしてくれる。

 
B-29を撃墜すべく、開発された秋水。
ロケットエンジンなので、どんなに空気が薄くても

推進力が落ちず、高高度まで僅かな時間で上昇できる。
B-29の直上より一撃を加え、離脱するのだ。
 
ただし、秋水の燃料は3分で尽きるので、その後はグライダーとなり
基地まで滑空する。その間は、
もっとも脆弱になるのでゼロ戦が護衛
するのだ。秋水はゼロ戦とセットでの運用が不可欠であった。

 
小生は、この秋水の開発と初飛行に携わった元整備兵の方とご縁があり
当時の思い出を多く聞いていた。犬塚大尉のこと、初飛行で
支えていた翼を離して滑走路を飛び立っていったときのこと・・・
ここに少しだけ書いてある。昔書いた三流小説というか、
作文みたいなものなので稚拙で申し訳ない。
それでもぜんぶノンフィクションなので参考になれば幸い。
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」中野整曹の回想

 

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

 

犬塚大尉の搭乗した試作秋水は試作機カラーのオレンジ色(あるいは黄色)
だった。これは実戦機を模して塗装されているが、格納庫の蛍光灯との

兼ね合いもあり、写真ではなかなか再現できない色だ。展示機の秋水は
黄緑色に近いが・・・・とにかく実際に見学してほしい。
 

名古屋の零戦と秋水

名古屋の零戦と秋水

コクピットは外側から見学するのみ。
パイロットは酸素マスクをして乗り込む。
 
あの日の追浜飛行場、ロケットエンジンの陽炎と、
犬塚大尉の面影を感じる!

  

名古屋の零戦と秋水

施設内にはお土産を扱う売店がある。
ファンには垂涎に違いないグッズが揃っている。お小遣いが
いくらあっても足りないくらいだ。 

 
この売店は三菱の購買のような感じで、工場に勤める社員さんたちも
買いにきていた。帰省のとき、お土産を
買って帰るらしい。売店の方は
「今来た外国人さんはロッキードの人かな?」と言っていた。
さすが軍需産業。いろんな人が居る。
ここでは零戦はもちろん、なんといっても秋水のグッズ
ここだけだし、MRJのグッズは貴重。
  
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学でした。
 

◆アクセス

JR名古屋駅から「県営名古屋空港行きバス」に乗る。

「三菱重工南」停留所で下車。
片道700円(タクシーだと4000~5000円くらい)運航本数は1時間に
2、3本程度。名古屋高速の混雑状況に依るが約20分程度。
 
正門をくぐって
守衛さんの要るゲート方面へは進まず、正門入って右側の
「史料室」と書かれた
看板のある方へ進むと工場とは別に
史料室への入口があるのでこちらへ進む。
予約者名を伝える。
 

!間違いやすいポイント!
!市営バスではないので注意!
!「県営名古屋空港」は「中部国際空港」とは違います!
!名古屋空港まで行くと行きすぎです。ひとつ手前の三菱重工南で降りましょう!
 

見学申し込み先・電話番号はこちら
名古屋航空宇宙システム製作所史料室

磯部喜一憲兵曹長、最後の講演会のお知らせ

1274284_1005947669488619_2722741125

 
皆様は「憲兵」と聞くとどういった印象をお持ちでしょうか。
元憲兵で、98歳になります磯部喜一さんが最後の講演会を行います。
お話になる内容は以下の通りです。 
 
憲兵の仕事とは?
憲兵は軍事警察官ですので、原則として民間人を虐げるような事は
ありませんでした。
映画などでは「おい!貴様!」と、民間人を
見境なく捕える恐怖の存在として
描かれ、そのイメージがすっかり
定着してしまいました。実際の憲兵の仕事は
むしろ逆です。
軍人が民間人に対し、理不尽な行いをすれば、
その民間人を助ける
立場にあるのです。この、戦後生まれてしまった
大きな誤解を
解きたいと、磯部さんは仰っています。きっと憲兵に
対する
イメージが大きく
変わることでしょう。元憲兵でこれだけ明確に
お話しになれる方は他にいません。最後の機会です。
 
戦地での任務とは
戦地では現地人に変装し、身を挺した情報収集ならびにスパイ活動を
行いました。この辺りも詳しくお話しくださいます。 
 
今回をもちまして、最後の講演会となります。
ぜひ、ご参加ください。磯部さんはこれを最後にしたいと、
資料や話す準備をして待っています。磯部さんは 
一人でも多くの方に聞いて欲しいと願っています。
 
主宰
いむた伸一
 
日時
平成28年5月29日(日曜日)
13時受付開始
13時15分講演開始
 
  
場所
公益財団法人「偕行社」
東京都 千代田区九段南4-3-7 翠ビル
市ヶ谷駅より徒歩5分 
 
参加費
3000円程度(各自飲食等で前後します)
 
お問い合わせ・参加申し込み
篠原迄お願いします。お電話でもメールでもOKです。
電話番号、メールアドレスはこちら
なお、お配りする資料を準備する関係で
事前申し込みをお願いしております。
ご協力お願い致します。

2016年4月23日 (土)

飛燕戦闘機隊々歌完成

05

 


YouTube: 飛行第二四四戦隊歌(飛燕戦闘機隊々歌)

お陰様を持ちまして、
飛行第二四四戦闘機隊歌(飛燕戦闘機隊々歌)が再現完成致しました。
この曲は、昭和20年に古関裕而さんが飛行第244戦隊を慰問された折に
作曲され
隊員の間で終戦迄歌われたものです。終戦間際ということもあり
正確な楽譜が見当たらず、苦労の末、再現したものです。
再生は上記のサムネイルをクリックして下さい。
 
楽曲の再現にあたって、元第244戦隊で実際に飛燕に
搭乗されていた
竹田五郎元大尉に協力を頂きました。
 
歌唱もプロの方にお願いしました。歌は御堂諦さんです。
飛燕が高度一万メートルを飛翔するような躍動感と
迫力、力強い歌声をぜひお聴きください。
 
メロディー再現、および演奏あたっては
音楽家の久保亜未さんにお願い致しました。
 
全ては上の方々の協力の賜物であります。
心より、御礼申し上げます。ありがとうございました。

後世に伝えていければと考えております。 
 
なお、御堂さんが自ら作成された動画には特攻機も映っております。
元来、この曲は
飛行第244戦隊の戦隊歌でしたが、飛行第244戦隊は
知覧へ移動後
特攻機の直掩も行いました。竹田氏は特攻機の直掩に度々出撃し
「喜界島上空で特攻機がバンクを振って別れて行く姿が忘れられない」
とのお気持ちを語ってくださいました。そういった全ての
「飛燕」そのものの歌として、飛燕戦闘機隊々歌として
聴いてくだされば幸いです。
 
作曲:古関裕而/作詞:南郷茂宏(昭和20年)
歌唱:御堂諦/編曲演奏:久保亜未(平成28年)
 
特別協力:竹田五郎元大尉(244戦隊飛燕隊)
企画:篠原直人
 
平成28年10月19日追記
飛行第244戦隊歌(飛燕戦闘機隊々歌)は
昭和20年2月10日、古関裕而氏が飛行第244戦隊を
慰問した折、
作曲し贈られたもので、隊員の間で広く親しまれ、
NHKでも放送された。(放送日時不明)
 
飛燕が高度一万メートルを飛翔する姿を表現した
明るく力強いメロディーが特徴である。
なお、作詞は川崎航空機社員、南郷茂宏氏によるものである。
 
戦後、飛行第244戦隊出身者は、航空自衛隊
第一航空団初代飛行隊長小林照彦をはじめ、6名以上が
航空自衛隊で活躍。その黎明期を支えた。ゆえに
当楽曲は航空自衛隊とは極めて縁が深い。
 
譜面、歌詞の再現および保存は、飛行第244戦隊出身で
第14代航空幕僚長兼第12代統合幕僚会議議長である
竹田五郎氏協力のもと行った。
 
竹田五郎さんのお話し
高度1万メートルの戦い(2)


2016年4月22日 (金)

笠井智一さんへのインタビュー

Photo_2

 
今週は第三四三海軍航空隊で紫電改に搭乗されていた

笠井智一さんにインタビューをさせて頂きました。
 
こちらです
 
笠井さんは同期のみならず、戦友の方々の思い出をとても

大切にされており、お話の中で多くの戦友が登場しました。
戦友との思い出がメインですが、紫電と紫電改、乗り比べた
感想など、パイロット視点でのお話しも合わせて書いていきます。 
 
何篇かに分けて少しずつ書かせて頂きます。

拙サイトのようにアマチュアで零戦搭乗員の記事を書いている者も
少ないと思います。御見苦しい点などあるかと思いますが、
当時の若者が身を挺して日本の為に戦った事実を知ってほしいと
願っています。本に書いていない話もありますのでぜひご覧ください。
 
こちらです

2016年4月18日 (月)

涼風花先生

Imgp8882 
当方も応援しております、栃木県出身の書道家、涼風花先生が
シャンプーのイメージキャラクターをなさっています。普段はお仕事柄
和服が多いのですが、お洋服をお召しになったお姿もレアでまた麗しい。 
このシャンプーが置いてあるドラッグストア等で拝めます。
地元出身ということで、これからも応援して参ります。
 
以前、無理に頼み込んで「零戦」と「紫電改」の文字を書いてもらった
のは宝物です。

Project_zero 
私は明日から零戦搭乗員の取材で
名古屋と大阪へ行って参ります。

2016年4月16日 (土)

熊本大地震

この度の大地震で被災されました方々へ心より
お見舞い申し上げます。また亡くなった方に
ご冥福をお祈りいたします。
 
東日本大震災の際もそうだったのですが
何か自分にできることはないかと考えるのですが
テレビの前で見守る事しかできません。自衛隊や消防の方々の
活躍を見守りつつ、我々は通常通り、仕事をこなし、
何かできることがあれば
協力していきたいと考えております。

2016年4月 7日 (木)

ちょうど去年の今頃

ちょうど去年の今頃、桜が咲いてから、雪が降りましたね。
そのときの撮影した写真です。

Imgp8667 
今年は割合に温かい日が続いています。
 

Imgp8679 
最近では、空母瑞鶴の零戦隊でマリアナ海戦を戦い、生還された
藤本速雄さんにお会いしお話を伺いましたほか、
零戦で本土防空戦
(対B-29)を戦った中島又雄さんのお話なども伺いました。

記事をまとめていますので、もうしばらくしたらアップできると思います
 
依然、あちこち、取材に飛び回っております。