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2015年2月21日 (土)

国家運営の縮図

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写真は世界一田舎といわれるパラオの首都マルキョクにある
国会議事堂。
 
当時はドイツやアメリカへ留学する友人を羨んでいた。

自分は何故こんな場末へ来てしまったんだろうと後悔した。
今はその考えは逆転した。パラオでよかったと。
私はアポなしで大統領に会いに行ったこともある。
小国だからこそ国家の運営に関してほとんど全ての分野ついて
把握することが容易だったし、それは大国の縮図でもあったので
短時間で多くの事柄を学ぶには好都合だった。
アメリカ留学には真似できまいと思った。
 

パラオの人口は現在およそ2万と考えて良いが
そのうち純粋なパラオ人(主としてカナカ族)は
7割で、残り3割をフィリピン人、バングラディシュ人が
占める。パラオ人の年間収入が3万ドルにも満たない家庭でも
フィリピン人のメイドを雇っている。フィリピン人の賃金は安い。
 

パラオの国家財政はアメリカ、日本、台湾(中華民国)から多額の
援助で成り立ち国民の殆どはその金で暮らしている。
 

中国(中華人民共和国)とは仲が悪いので国交が無い。
一昨年、カヤンゲル環礁の北で中国船の密漁船と
銃撃戦をやって双方に死者が出た。
世界でも珍しい軍隊の無い国である。
ただし有事の際の軍備は米軍が担っている。
 

外国人の扱いについて書く。外国人は原則
帰化(パラオ国籍の取得)はできない。たとえば日本人が
パラオ人と結婚しても国籍は日本のままである。
 

現地でビジネスをしようと考えても、外国人が
不動産を所有することは認められていないので
土地や建物の名義人をパラオ人にする必要がある。
だから会社が大きくなってしまったところで
丸々乗っ取られてしまったり、名義を提供するといって
多額の詐欺に遭う事例が殊に多い。一応の
法治国家と雖も、賄賂文化も根強く残っている。
 

一方、労働者はどうか。
外国人の就労ビザは2年単位で発行されるが、これも条件が厳しい。
現地で就職先が決まって、その会社でうまくいけば良いのだが
もし途中で辞めてしまうと、向こう2年は他の会社では働けないという
制限つきだ。(実質、移籍ができない)2年間も無職で過ごさなければ
ならないのは無理に近い。だから大抵は帰国してしまう。
 

ここまで読んで
「すいぶん外国人に厳しいんだなぁ~。だから発展しないんだよ」と
安易に思う人は甘い。この対応は国家として至極当然といえる。
 

人口1万人強しかいないのだから
外国人に利権を与えてしまったら、国家そのものの
乗っ取りなど容易い。乗っ取りを企む第三国が
国策として外国人を送り続けたらパラオ乗っ取りは
赤子の手をひねるようなもので数年もかからないだろう。
 

冒頭にこれは大国の縮図でもあると書いた。だから日本も同じだ。
外国人差別は良くないが、日本は日本人のものであるから
国家主権は是が非でも守らなければならない。
日本もしっかり危機感を持ってほしいと思う。

2015年2月12日 (木)

パラオ戦跡ガイドを発売します(追記)

ペリリュー戦跡ガイド01

ペリリュー戦跡ガイド02

ペリリュー戦跡ガイド03

ペリリュー戦跡ガイド04

ペリリュー戦跡ガイド05

 
パラオ戦跡ガイド刊行のお知らせ

パラオ戦跡(ペリリュー島・アンガウル島・バベルダオブ島等の戦跡を収録)
ガイド本を製作中です。今年の夏までに刊行します。
 
平成27年8月追記
発売しました!
 
いままでこのようなガイドブックはありませんでした。
(ほんの少し紹介されているものはあるのですが間違いが多く、
実用にたえうる代物ではありませんでした)
 
写真・イラスト、わかりやすい地図等を満載
イラスト、写真等のビジュアルを満載しわかりやすく、
また、島の詳細な地図を載せますので、これひとつあれば
現地の戦跡を巡れるように作り込んであります。
 
現在パラオでは戦跡が単なる見世物と化し、また戦跡ツアーのガイドも
付け焼刃な案内しかできずに、正確な情報が伝わっていないことを
由々しき事態と考えました。
 
詳しい戦闘経緯の解説
しかし、この本では、戦跡に付随する逸話を詳しく明記しています。
たとえばこの戦車がどのような戦いを繰り広げたのか、
あるいはトーチカに立て籠もって戦った若き士官の人物像など、
多くの証言や記録から得た情報をもとに、戦いの実態に迫ります。
 
パラオ玉砕戦 生還者による監修
監修役に各専門家とパラオのペリリュー島・アンガウル島玉砕戦の
元日本兵で生き残りの倉田洋二先生、またペリリュー島でも
生還者の方の協力をいただきました。
 

A4

A4f

A4d 
現在と当時の写真を掲載し戦闘の模様を想像し易くしました。
多くの時間とお金をかけて調べ尽くしたものです。

パラオの旅行ガイドブックは
『るるぶ』と『地球の歩き方』の二種類が刊行されていますが
その中でパラオ戦跡・戦争に関する扱いはほとんどなく
るるぶでは4分の1ページがペリリュー島の戦跡ツアーについて
触れてあるだけです。

この本は戦跡案内に特化したものですので、パラオ旅行、
ペリリュー島慰霊を検討中の方、
ぜひ、お求めください。発売日が決まり次第お知らせします。
画面は製作途中のものです。
 
平成27年8月追記
発売しました!

2015年2月11日 (水)

ペリリュー戦の生き残り

パラオ・ペリリュー戦の生き残りの方で
新たにお一人を探し当てました。
未だどこのメディアにも出ていないので

当サイトで初めての公開となります。
どんなお話が聞けるか、行ってきます。
 
一方で、アンガウル島の生き残りは
どんなに調査してもお一人しかご存命の方はおらず
その方とは5年くらい前からのお付き合いで
色々とお話を聞いて
情報収集に努めています。
 
最近は報道関係の方から
「生き残りの方を紹介してください」とよく電話やメールがきます。
ですが、玉砕戦の概念を理解していない記者の方が多いです。
パラオ、ペリリュー・アンガウルの戦いは玉砕戦ですので
原則、生き残りはいないものとお考えいただき、
捕虜という言葉を容易に使わないでほしいとお願いしています。
 
生き残ったというより、「死に損なった」という表現が近いです。
価値観が違い過ぎて現代を生きる我々には到底理解できない
悲しみを、どなたも持っています。
 
ある方は「自分だけ生き残って申し訳ない。靖国神社の戦友に顔向け
できなくて一度も行ったことがないんだ」と言います。
 

F4Uコルセア

2015年2月10日 (火)

硫黄島

硫黄島01

硫黄島04

01

 

02

硫黄島の風景(摺鉢山を望む)です。
 
まだまだ掲載していない戦跡や写真が多くあるのですが
仕事の合間に作業していると時間があっと言う間です。
 
これも以前、二、三年前に描きかけて放置状態だった硫黄島の地図です。
掲載できる部分は限られるのですが、グーグルマップと米国の戦跡ツアー
向けガイドブックを
参考に描きました。飛行場の位置を簡単に記してあります。
戦後70年の節目にもあたり、今一度、太平洋の防波堤となった
硫黄島将兵の功を日本人として心に刻んでおきたいものです。
 
硫黄島は殺風景なイメージがあるかもしれませんが
初めて訪問した際、緑が多く、群青色の海も相まって
美しい島という印象を受けました。
 
硫黄島は半砂漠でその割合は図で示した通りです。 
砂浜は黒く、海は一気に深くなっています。
栗林中将が最後に居た壕は島の北東部にあたります。

硫黄島地図

以下にもレポートと写真を掲載しましたのでご覧ください。

硫黄島/蒼穹の旭日旗

硫黄島 遺骨収容

摺鉢山の星条旗

硫黄島を守備する自衛隊員

硫黄島帰還報告・英霊に奉げ銃

硫黄島遺骨収集記/19歳大学生の回想

硫黄島 海軍医務科壕と白旗を掲げた軍医

第一御楯隊、第二御楯隊の碑-硫黄島摺鉢山山頂

硫黄島・栗林壕(兵団司令部壕)

北硫黄島

南硫黄島

硫黄島へ行くには