ペリリュー戦の生き残り
パラオ・ペリリュー戦の生き残りの方で
新たにお一人を探し当てました。
未だどこのメディアにも出ていないので
当サイトで初めての公開となります。
どんなお話が聞けるか、行ってきます。
一方で、アンガウル島の生き残りは
どんなに調査してもお一人しかご存命の方はおらず
その方とは5年くらい前からのお付き合いで
色々とお話を聞いて情報収集に努めています。
最近は報道関係の方から
「生き残りの方を紹介してください」とよく電話やメールがきます。
ですが、玉砕戦の概念を理解していない記者の方が多いです。
パラオ、ペリリュー・アンガウルの戦いは玉砕戦ですので
原則、生き残りはいないものとお考えいただき、
捕虜という言葉を容易に使わないでほしいとお願いしています。
生き残ったというより、「死に損なった」という表現が近いです。
価値観が違い過ぎて現代を生きる我々には到底理解できない
悲しみを、どなたも持っています。
ある方は「自分だけ生き残って申し訳ない。靖国神社の戦友に顔向け
できなくて一度も行ったことがないんだ」と言います。
私の父は第30海軍指令部第30建設部施設課としてマラカル島に海軍技術大尉として、その後パラオ本島大和村のジャングルで終戦をむかえたようです。現在は98歳で元気ですが、同じパラオで終戦をむかえ生きている方はいらっしゃるのでしょうか?
投稿: 大冨晴彦 | 2020年1月28日 (火) 19:10