2021年5月 8日 (土)

都城飛行戦隊

飛行第102戦隊

飛行第102戦隊(飛行第百二戦隊)は都城飛行場を拠点とした
四式戦闘機部隊。
 
昭和19年7月、戦闘機隊の総本山、明野の分教飛行場である北伊勢飛行場にて
編成が開始された、飛行第101戦隊、102戦隊、103戦隊の全て疾風を主力とする
三個飛行戦隊から成る、同時に誕生した三兄弟の戦隊で都城を拠点に
九州全域の飛行場を移動し、本土防空戦、沖縄方面への強襲、制空戦闘、
喜界島を拠点とした特攻機の護衛に従事。稼働機が尽きるまで制空権を失い
熾烈極まる沖縄本島への反復攻撃を繰り返した。

零戦四二型 / 零戦42型

零戦四二型、零戦42型

◆存在したゼロ戦42型
零戦42型は一言で述べるならば、21型が52型にアップデート
される際に製造された21型と52型を繋ぐ為の試作機である。
 
52型の試作機が42型で量産型を52型と呼称する。21型と42型が
同じ製造番号で存在し52型が量産体制に入った頃には42型という
名称は抹消されている。これには諸説あるが、以下の図面記した
ように、42型と52型はデザインが異なるので、前例通り単純に
モデル番号を変更した説と量産機が42型では語呂が悪いので
52型と改めた説がある。
 
しかし乍ら、彗星艦爆などは43型が存在するし、試作・計画機とは
いえ紫電改は42型が存在する。 海軍機は僅かなデザインの変更でも
型式番号を変更していることから、零戦42型がそのまま量産機名称
となったと仮定しても不思議ではない。

零戦四二型、零戦42型◆なぜ零戦42型は完成機であるにも関わらず抹消されたのか
もちろん、零戦21型に次ぐ代表的なモデルである52型が仮に
42型として大量に投入された場合、連日の空戦で命のやり取りを
している搭乗員からは、語呂が悪いからやめてくれ、とクレームが
来ることは容易に想像がつくことも理解できるが。
 
次に、零戦42型とはどんな構造の機体だったのについて
述べて行こう。先だって、この記事に関しては調べるきかっけを
くださり、出典元を教えて下さった144ヒコーキ工房様に心より
御礼を申し上げます。ありがとうございます。
 
◆零戦42型のデザインについて
大きな変更点としては22型の翼端を450mm短縮し形成した。
(52型は500mmの短縮)それから、排気管脇の耐熱板が未完成
だった事から本機から採用された推力式単排気管は最下部のみ
機体の炎燃防防の為で80mm延長されている。他にはフラップや
補助翼が変更が繰り返されている。
 
零戦42型については、まだ謎が多い機体なので
この記事もアップデートを前提にご覧いただければ幸いである。

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出典
Scale Aviation Vol.22 / 2011.11
参考
144ヒコーキ工房

2021年5月 6日 (木)

中島 キ49 一〇〇式重爆「呑龍」

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新鋭高速爆撃機、キ49「一〇〇式重爆(呑龍)」
 
翼面積を稼ぐため、翼の付け根はカウル直前まで
突出している。翼に段差を設けた事で単葉機ながら
複葉機と同様の安定感も生まれた。
 
中島飛行機設計陣の平均年齢は三菱重工より
10歳近くも若く、数々のユニークなデザインが
機体に盛り込まれている。

2021年5月 2日 (日)

キ102 五式双発戦闘機

キ102 五式双発戦闘機

二式複座戦闘機「屠龍」の後継機となる本機は、昭和19年の後半頃に
先ずキ-102乙が五式双発襲撃機として配備開始。次いで排気タービン
を組み込んだキ-102甲がB-29邀撃用の昼間高高度戦闘機として実戦配
備開始。終戦まで邀撃戦に従事した。さらに昭和19年末頃からキ-102
丙と称する高高度夜間戦闘機が二機試作され飛行実験が繰り返された。

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P51

0系新幹線

0系新幹線
戦後、GHQは我が国に航空機の研究と製造を禁止した。
翼を失った飛行機野郎達が再集結して
新幹線を作り上げたのは実に有名な話である。
 
びゅわーんびゅわーん走る。
そう、新幹線こそ当時から現在に至るまで
わが国の繁栄と力強さの象徴である。

2021年4月26日 (月)

夜間戦闘機「極光」(銀河16型)

夜間戦闘機「極光」

川西航空機・夜間戦闘機「極光」(きょっこう/オーロラの意)は
海軍陸上爆撃機「銀河」の派生型で上昇力を活用し高高度邀撃用の
夜間戦闘機に改造された機体である。銀河16型と呼称する例もある。
エンジンは譽の双発から金星に換装された。銀河11型との見分け方は
マフラーの数と形状、さらにカウルング上部のエアインテークが廃止
されている。厚木の第302海軍航空隊、横須賀海軍航空隊に配備され
終戦まで夜間の邀撃戦を行った。

満鉄特急あじあ号(パシナ型蒸気機関車)

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大戦機以外にも当時の先端技術や戦後に受け継がれたメカをテーマに
描いて掲載していきます。

満鉄特急あじあ号(パシナ型蒸気機関車)
あじあは、南満州鉄道(満鉄)が昭和9年から18年まで大連駅から
新京を経てハルビン駅間の約950kmを結んだ特急列車である。
超特急とも呼ばれた。
 
列車は流線形のパシナ型蒸気機関車と専用固定編成の
豪華客車で構成される。そのほとんどすべてが日本の技術によって
設計・製作されており、当時の日本の鉄道技術水準を示すものとして
重要である。超特急「あじあ」は最高速度130 km/hで大連-新京間
701 kmを所要8時間30分で結び、平均速度は82.5 kmに達した。
 
これは、当時内地の鉄道省で最速の特急だった「つばめ」の最高
速度95 km/h、平均速度69.55 km/hを大きく凌ぎぐものであった。

2021年4月23日 (金)

Stuka!Stuka!Stuka!

Stuka

Junkers Ju 87 Stuka

2021年4月21日 (水)

キ201「火龍」

キ201火龍

キ201「火龍」(かりゅう)は日本陸軍が開発・試作が行われた
ジェット戦闘襲撃機である。海軍のジェット特殊攻撃機「橘花」と
異なり、機体デザインは中島飛行機が担当し、Me262を参考に
三角形の胴体断面を採用したがMe262よりさらに一回り大きい。
  
「火龍」のエンジンは静止推力908kgの石川島飛行機製作所
(のちの石川島播磨重工、現IHI)ネ130を二基搭載し
最高速度は852km/hで航続距離は、980km(なおMe262は最高
速度869km/hと殆ど同速度、航続距離は1,050kmである)
 
武装は ホ5機関砲20mm二門とホ155-Ⅱ機関砲30mmを二門の
合計四門であった。全備重量は7,000kgで実用上昇限度は
12,000メートルであり、大口径の火力を用いてB-29を撃破する
目的が主となる運用計画とした。
 
試作機1号機は昭和20年12月に完成予定で群馬県の中島飛行機
太田製作所で制作が進められていたが、完成の雄姿を拝む事なく
終戦を迎えた。