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九七式司令部偵察機。
陸軍、海軍、民間と、用途別に派生型が存在するのが当時を知る上で
非常に興味深い。元来、空中偵察に着目したのは陸軍だった。
「大規模な師団を無駄なく動かすために空の目が必要だ」と敵の発見
より自軍の把握に重きを置いた。重ねて述べるが数万の歩兵を
動かすのだから、一兵たりとも無駄には出来ない。
「天皇の赤子(せきし)」である。とは言ったものの、歩兵は歩兵で
自らを皮肉って「一銭五厘」と言う。招集にかかった葉書代である。
余談であった。
そのころ、海軍は南方戦線で
二式陸偵が「鈍重で使い物にならない!」と、試しに
信頼性が確立されていた九七司偵を借用。すこぶる好調だったことから
これを陸軍から買い求め、八九式陸上偵察機として運用する。
二式陸偵察機はアップデートし、後に夜間戦闘機「月光」となる。
ブルーに旭日の塗装は民間機、朝日新聞神風号である。未だ航空機の
黎明期とよべる時代に各国は競争を繰り返していた、朝日新聞社は
陸軍からこの飛行機を買い求め(不良品だったものを安く買い求めた)
長距離飛行用に改造。東京-ロンドン間を飛行し、我が国の国威を
内外にアピールした。
朝日新聞神風号は台湾で墜落。イメージダウンを危惧した同社は
これを隠蔽し同じ塗装の2号機を製造した。
◆存在したゼロ戦42型
零戦42型は一言で述べるならば、21型が52型にアップデート
される際に製造された21型と52型を繋ぐ為の試作機である。
52型の試作機が42型で量産型を52型と呼称する。21型と42型が
同じ製造番号で存在し52型が量産体制に入った頃には42型という
名称は抹消されている。これには諸説あるが、以下の図面記した
ように、42型と52型はデザインが異なるので、前例通り単純に
モデル番号を変更した説と量産機が42型では語呂が悪いので
52型と改めた説がある。
しかし乍ら、彗星艦爆などは43型が存在するし、試作・計画機とは
いえ紫電改は42型が存在する。 海軍機は僅かなデザインの変更でも
型式番号を変更していることから、零戦42型がそのまま量産機名称
となったと仮定しても不思議ではない。
◆なぜ零戦42型は完成機であるにも関わらず抹消されたのか
もちろん、零戦21型に次ぐ代表的なモデルである52型が仮に
42型として大量に投入された場合、連日の空戦で命のやり取りを
している搭乗員からは、語呂が悪いからやめてくれ、とクレームが
来ることは容易に想像がつくことも理解できるが。
次に、零戦42型とはどんな構造の機体だったのについて
述べて行こう。先だって、この記事に関しては調べるきかっけを
くださり、出典元を教えて下さった144ヒコーキ工房様に心より
御礼を申し上げます。ありがとうございます。
◆零戦42型のデザインについて
大きな変更点としては22型の翼端を450mm短縮し形成した。
(52型は500mmの短縮)それから、排気管脇の耐熱板が未完成
だった事から本機から採用された推力式単排気管は最下部のみ
機体の炎燃防防の為で80mm延長されている。他にはフラップや
補助翼が変更が繰り返されている。
零戦42型については、まだ謎が多い機体なので
この記事もアップデートを前提にご覧いただければ幸いである。
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出典
Scale Aviation Vol.22 / 2011.11
参考
144ヒコーキ工房