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2016年9月30日 (金)

九九艦爆江草隆繁少佐機の画像を追加

九九式艦上爆撃機 江草隆繁少佐機01

九九式艦上爆撃機江草隆繁少佐機02

Copyright Raimundo79 / Shutterstock.com
マーチフィールド航空博物館2016年3月17日撮影

 
九九艦爆江草隆繁少佐機の画像を購入しライブラリに追加しました。

江草隊長機は陸海軍の中でも派手なペイントを施した事で有名です。
 
もちろんこれは物の九九艦爆でなく、 
例によって、映画の撮影用に作られた米国のBT13を改造し
再現されたレプリカです。米国本土でこうした名機を再現してくださるのは
大変嬉しい事です。我が国でもできれば良いのですが、難しいでしょうね。
 
詳細はこちらです。
江草隆繁少佐の九九式艦上爆撃機

2016年9月29日 (木)

パッションフルーツ

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今年は自宅のグリーンカーテンにトケイソウを選びました。
パッションフルーツの生る植物です。
 
初夏には数十センチの苗だったのがたくましく成長し、
根本は木の幹のように、丈は二階の屋根に届く勢いです。
グリーンカーテンとしては大成功でしたし、
果実も多く実り、南国の甘酸っぱい味を楽しみました。
 
せっかくここまで成長したので、このまま続ければ
もっとたくさんの実が生りそうな勢いですが、
残念ながら冬が来てしまうので、
また来シーズンははじめからやり直しです。
 
また来年も、このパッションフルーツや
他にもある南国の植物を育ててみたいと考えています。

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豪華な食事

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アンガウル島では豪華な食事を作ってもらいました。
自給自足のできないアンガウル島です。
アンガウル海峡は波が高いので漁師はおらず、ペリリュー以北から
魚は送ってもらっています。パンやご飯はコロールからの輸送です。
農作物は三千匹ともいわれるサルに食われてしまうので作れません。
 
そういった具合ですので食材は貴重品なのですが、
歓迎してくれて、貴重な野菜や魚、お肉やパンなど、
豊富な食材で作ってくださいました。デザートまで毎食付けてくれました。
本当に感謝です。

2016年9月28日 (水)

興津の海と鵜原八坂神社

鵜原海水浴場

できれば秘密の場所にしておきたい海がある。
 
鴨川から勝浦に至る、国道は
海岸線を行く車は大方、バイパスを通ってしまうが
廃墟となった行川アイランドから海側の旧道へ入れば
知る人も少ない、そこが興津の海だ。
 
興津には三つの神秘的海岸がある。
この三つの海岸は
西側から興津・守谷・鵜原と呼ばれ
いずれも白砂青松の海岸として名も高い。
 

リアス式海岸をいくつもの古いトンネルが貫いており、
迷路のような複雑な地形を縫うようにしてそれぞれの
海岸へ下りる事ができる。
 
西の興津海岸は興津漁港と海浜公園に隣接した
海岸で、沖合の堤防の関係で波が静かで浅く、小さなお子さんにも
安心で人気の海水浴場。
上総興津駅は小さな駅だが、シーズン中のみ特急列車が停車する。
電車を降りて、浮き輪がぶら下がった風情ある商店の軒先などを抜けて行くと、
青い海が広がってくる。
 
中央の守谷海岸は、沖に浮かぶ渡島と
島に建立された赤い鳥居が特徴の海岸で、三つの海岸の中では最も広い。
平成四年には天皇陛下がご臨席になり
第十二回全国豊かな海づくり大会が開催された。 

鵜原海水浴場

鵜原海水浴場

鵜原海水浴場

東に位置するのが鵜原海岸で、近辺は趣ある民宿街で、
九十九折の小路を波の音が聞こえる方向へ進めば、鵜原海岸が見えてくる。

鵜原海岸には鵜原八坂神社の白く荘厳なる大鳥居があり
海に向かって参道が伸びている。
 
鵜原海岸の東は

鵜原理想郷と呼ばる景勝地で、リアス式海岸の造形美と
エメラルド色の水面が相まって、天国のような景色を拝むことが出来る。

2016年9月26日 (月)

コルセアのドロップタンク

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F4Uコルセアのドロップタンク(戦闘機の外部燃料タンク)です。
パラオ人の方の
庭先に飾ってあったものを撮らせてもらいました。
 
アメリカ軍のは頑丈でいいですね。とても70年前のものとは思えません。
 
軽くて水に浮くので、カヤックにくっつけたりして
重宝したそうです。
 
奥にはプロペラも転がってます。

日本の中古車パラオで第二の人生

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パラオで走っている9割の車が右ハンドルの日本の中古車です。
右ハンドルで右側通行はちょっと運転しにくいですが、慣れればまあなんとか。
しかしヘッドライトの光軸も日本仕様のままです。
調整に限度があり、対向車は眩しい状態です。
非常にモンダイです(モンダイはパラオ語で意味もそのまま)
 
興味深いのがナビで、搭載の純正ナビをそのまま使うと
データ横浜付近が表示されます。
こんなジャングルの中なのに不思議です。
 
パラオの東経は134度で、岡山県と同じ辺りですが
北緯は7~8度ですのでこういった現象が起きます。

プロペラを回転させる

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フォトショップ(Photoshop)で飛行機のプロペラに
ボカシをかけてプロペラが回転しているように見せます。
 
最新のCCだと、この回転加工に特化した
「スピンぼかし」という機能があるそうなのですが
CS~CS5には無いので、通常のぼかしで作ります。
 
投げ縄ツールか選択ツールでぼかしたい範囲を選択し、
「メニュー」から「フィルター」を選び、「ぼかし」で
「シェイプ」させ、適度な半径をブレさせます。
その後、ぼかし詳細で形を整えたら完成です。
 
ついでに甲板の継ぎ目を消して、
尾翼の文字も所属部隊が違うので消しておきました。
 
こうした模型の場合、プロペラの回転が可能なら
回しながら撮影した方が手っ取り早いです。
  
飛行機写真を撮影されている方ならよく理解できると思うのですが
プロペラの飛行機を撮影する際、シャッタースピードの関係で
プロペラが回っているよう適度に残像を残す撮影方法は
難しく、速度の速い飛行機をブレなく撮影しようと思うと
プロペラまでピタっと静止してしまうものです。
 
漫画やイラストなどでは回転したプロペラが円として
描かれることもありますが
人間の目で見ていると、ほとんどの場合、円にはならず
三枚プロペラなら三枚ペラの残像が残るだけです。
 
プロペラの残像表現は奥が深いです。

2016年9月20日 (火)

リディアン岬

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グアム島への着陸態勢に入ると、
リディアン岬が見えてきました。
 
リディアン岬はグアム最北端の岬で、
空から見るのは初めてです。 
 
特有の地形と、以前岬の先端まで
車で走ったことがあるので、よく覚えています。
 
こんな感じの場所でした。↓以前、地上から撮った写真。

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観光客はほとんど来ない。
潮流が激しく水際で遊ぶ程度。遊泳は不可。
海は綺麗で透き通っている。
空軍基地の真ん中を抜けて行くので途中まで物々しい雰囲気。

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詳しくはこちら
リディアン岬へ行こう

ファラリョン・デ・パハロス島

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グアムへ向かう飛行機の窓から見えるのは
ファラリョン・デ・パハロス島です。
 
マリアナ諸島最北端に位置する無人島で火山活動が活発。
噴煙を上げる様子が見えます。
古のカロリン島民がこの火山を灯台として利用していたという
伝承が残る島であります。絶海の孤島は

海の広さを実感するともに古代の人々が小さな船で
いかにして大冒険を成し遂げてきたか、想像が膨らみます。
 
経度としては日本の沖ノ鳥島より北にあります。
こうして見ると、日本の領海は実に広い。

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2016年9月19日 (月)

パラオのお葬式

アンガウル島に渡ったら、ちょうどお葬式の準備にぶつかってしまい
島民の方々は忙しい最中でした。そんな中、島民の方々には
本当にお世話になりました。
 
パラオのお葬式は、日本のお葬式とはだいぶ違います。
日本の場合ですと、ご不幸があると
夜中でも電話がかかってきて
翌日か翌々日にお通夜、告別式と、慌ただしく済まされてしまいます。
 
パラオの場合、準備期間が長いのが一番の特徴です。
ご不幸があってから、お葬式まで
短くても数週間から長い場合は2ヶ月もかかります。
この間、街中にお葬式の宣伝ポスターなどを貼ったり
遠方の親戚(グアムなど)に連絡して仕事を休む段取りをします。
もちろん豪華な料理やお酒の用意もします。
 
この間、ご遺体は病院の冷蔵室で保管されています。
 
なぜ、こんなにも準備期間をとるのか、それは
一人でも多くの参列者を集めるためで、すなわちお香典の額を
少しでも増やしたいという思いからです。パラオでは
お香典の習慣と金額が兎角、重視されています。
 
お香典は受け取るや否や早速開封され、
その場で発表されます。ラジオでも大々的に放送されます。
高額なお香典を出した方は評判が上がります。

良いとか悪いとか、言いたいのではなくて、そういう文化なのです。
 
お葬式では大音量で音楽を流し、お酒や料理が
振舞われます。はじめて目にした方は
それがお葬式だとは気付かないと思います。
 
パラオは女系社会ですので、
結婚の際は男性側が女性のお家へ多くの贈り物を
する習慣があります。とにかく結婚するとなると
男性側の負担は大きく、それをお葬式のお香典で取り返そう、
という考えもあります。
故人が生前の借金をお香典で返済した
という話も聞きます。

2016年9月18日 (日)

中国の影響著しいパラオ

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パラオ・コロールの街がチャイナタウンのようです。(平成28年9月中旬に撮影)
街も殺到する中国人観光客であふれ、パラオ特産の
シーフード(特に蟹)も全て中国系レストランが
買い占めてしまうため、価格が高騰し品薄状態になっています。
 
どこへ行っても中国人のお客さんが多い!
 
バベルダオブ島には次々中国資本によるコテージが
建設されています。
 
また、バベルダオブにはこれまた中国資本がゴルフ場を建設予定で、
パラオに大きな変革の波が押し寄せてきています。
 
パラオと中華人民共和国は国交がありません。パラオは
台湾(中華民国)を国家と認め、親密な関係を築いてきました。
 
数年前、中国の密漁船とパラオ沿岸警備隊による
銃撃戦により双方に死者が出ており、関係は
冷え込んでいましたが、経済的な結びつきは
増加の一途です。
 
パラオは外国人の土地の所有は認められていませんが
地主や地方政治家に多額の金額を提示し土地の供与で
開発を推進しています。

 
これに危機感を持って接するパラオ人も多いのですが
お金に目がくらんで前が見えなくなっているパラオ人も
多いのも然りです。
 
純粋なパラオ人の人口は一万人。世界の規模から
考えれば、経済的面から乗っ取ってしまうのは簡単なのです。

あるパラオ人は言いました。
「大きな建築物が見たいなら、日本でもアメリカでも行けば良い。
ここはパラオ。ありのままの大自然が一番の観光資源だと、
全然わかってない。みんなお金大好き。だから私、ゴルフ場建設と
徹底的に戦います」
 
美しい海と緑さえあれば、観光客のわがままに
媚びる必要は無いのです。パラオ本来の良さがどんどん失われている。

パラオ人はどうか目を覚ましてほしいと思います。

2016年9月16日 (金)

パラオ遺骨収集 第二次調査派遣隊

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パラオ第二次調査派遣隊は、
水戸二連隊ペリリュー島慰霊会が主体となり
平成28年9月5日から14日迄の10日間
の日程を消化し無事帰国しました。
 
今回はペリリュー島・アンガウル島の両島へ分散して会員が
派遣されました。ペリリュー島は本隊4名で、厚生労働省職員が3名
随行、このほか現地の通訳1名、パラオ共和国文化省芸術文化局の職員1名。 
アンガウル島は本隊2名、通訳1名、厚生労働省職員なし、
文化省芸術文化局の職員1名の合計四名でした。
 
私はアンガウル隊でした。アンガウルは29年振りの遺骨収集となりました。
 
なお、水戸二連隊ペリリュー島慰霊会では
こうした遺骨帰還事業に参加頂ける方を募集しております。
もちろん旅費は日本国政府が負担します。
 
今後、遺骨収集の事業は新法人に移行しますが、
実際に派遣されるのは、それぞれの戦域でノウハウを持つ
戦友遺族会会員がメインとなるでしょう。
  
派遣先は、先ずは硫黄島となります。硫黄島で経験を積まれた方を
選抜し、外地(パラオ)へ派遣しております。
 
日本国を代表して行くので、気合が入ります。
今回は、島北西部の複郭陣地における
遺骨調査を実施しました。

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複郭陣地へのアクセスは、ジャングル内の道路を通行可能にする
ところから始まります。頻繁に現れる倒木を一本一本切断し
道を通行可能にしていきます。島民の方々の協力が必要です。
 

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青池側からのアクセスは特に困難を極めました。
台風に伴う倒木によって、日当たりがよくなったジャングルは
草が急激に成長し、茂みが深く深くなる為です。これらを蛮刀で
伐採して進むのですが、1分間で2、3メートル前身するのが
やっとの状態です。

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ガジュマルの根を切断して先へ先へ進む様子です。
ジャングルの踏破は、経験したものにしか理解できない
難しさがあります。地図上では僅かな距離も、時間がかかる上、
真っ直ぐ進むことすらままならない。こうした地形は
迂回するうちに方向がわからなくなります。GPSとコンパスを
確認しながら進みます。

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不発弾を踏まないように注意して進みます。
艦砲射撃で不発だった、巡洋艦クラスの砲弾。
こういった物が数多くあります。 

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地表骨は落ち葉が蓄積し発見は不可能なので、
岩場の窪みなどを重点的に捜索します。
 
ジャングルではアカムシと呼ばれるダニが棲んでおり、
これが地面から靴をつたって這い上がってきて主に足を刺します。
実はこれが一番厄介なやつです。
 
経験上、このアカムシにはある程度の潜伏期間があり、刺された直後は
なんともないものの、数日経過してから猛烈な痒みが発症し、
体質にもよりますが2週間ほど、痒みが残り、跡も消えません。
 
蚊のように目に見えるものでないので、
虫よけスプレーが必須ですが、それでも刺されます。
雨だったり、湿地帯で足を濡らしたりすると刺される確率が
さらに高くなります。
 
パラオではマラリアは確認されていませんが、デング熱があるので
注意は必要です。特に免疫が弱くなっているときは
リスクが大きくなります。
 

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青池からの進入が難しかったので、今度は反対側(海側)からの
進入を試みます。二荒山の麓から、山へ入っていきます。

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ここから入っていけそうということで
割合、高低差の少ない個所を選びます。

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先程のような茂みは少ないものの、
隆起珊瑚岩が剃刀のようにシャープです。
叩くとカンカンと高い音がする。
 
数年前、足を踏み外して、この隆起珊瑚岩に刺さり、
頸動脈を切って大出血した方がいるという事故の報告も
聞いています。血が全然止まらず、傷跡は消えません。
足を踏み外さないよう特に慎重に進みます。
 

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二荒山の陣地近く。
登ったり降りたりしながら複郭陣地内部へ。
 
地表骨は少ないので、
洞窟を探します。洞窟であれば、骨はそのまま残っている
可能性が高いので、今回の目標は先ず、洞窟を見つけることでした。

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左で駄目なら戻って右へ進みます。山岳部は三次元の大迷路で、
ルートを選ぶセンスがあるとのこと。
この辺り、パラオ人の現地ガイドはさすがであります。  

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隆起珊瑚岩は内陸部へ進むにつれて尖った部分が風化し
丸くなってきます。とはいえ油断は禁物であります。

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多くの場所にクレバス(大穴や亀裂)があります。
深さは数メートルから十数メートルにも及び、これを茂みが覆い
隠していることもありますので、よく見て足場を確認します。

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ガジュマルを足場に岩場を上り下りします。
 

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ようやく開けた場所に出ました。
ここが複郭陣地内部です。遺留品が多く、戦闘した形跡があります。
玉砕地点も近く。
大小の洞窟も発見し、中を捜索します。

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ここが二荒山鍾乳洞か?
大きな洞窟は何か所かあったのですが、
どれが二荒山鍾乳洞か、特定はできませんでした。
 
二荒山鍾乳洞とは、パラオ人の民間人が身をひそめていた洞窟で
最後の玉砕前、そのパラオ人たちが日本軍守備隊に
 
「我々も戦わせてほしい」と
願い出たという逸話が残っている事で有名です。
主にインターネットなどでは
ペリリュー島での出来事として語られていますが、それは誤りで
もともとは、ここアンガウルであったお話しです。
そして残念ながら、パラオ人の犠牲者もペリリュー島、
アンガウル島ともに出ています。
 

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ジャングルから出てきました。
これは米軍が建てた「解放記念碑」
 
残忍な日本軍によって戦争に巻き込まれ、
虐げられたパラオ人が、正義の米軍によって救出された、
という場所を記念するものであります。
 
正義とは、長い歴史の中で常に戦勝国によってのみ
作られ、語られてきました。
 
真実はどうだったかというと、
戦後、ペリリュー島、アンガウル島にも
米軍が進駐。アメリカ領土となります。ところが、アンガウルの島民議会では
「日本時代のほうが良かった。日本の統治に戻してもらおう」
という決議が下された事実があります。
 

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アンガウル滑走路を走って宿泊地に戻ります。
 
今回は多くの遺骨を発見したほか、
個体性のあるご遺骨として頭蓋骨も見つかりました。
今後の帰還事業に繋げたいと考えております。
ご遺骨の写真掲載は控えますが、日本へ帰ることを
願って、七十年以上も我々を待っていた戦没者の姿は
涙なしには語れません。
 
拙い文章で恐縮です。南方における遺骨収集がどんなものか
写真だけでも内容が伝われば幸いです。

2016年9月 4日 (日)

アンガウル島へ行ってきます

9月5日より15日まで
遺骨収容隊でパラオ・アンガウル島へ行って参ります。
政府派遣の為の先遣調査隊となります。

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今回は遺骨収容と呼ぶより、写真をご覧の通り、
通路の開墾作業隊といったところでしょうか。 
島の奥には複郭陣地と呼ばれる数百に及ぶ
洞窟が存在しますが、多くは木々や草に埋もれている状態で、
草木の伐採、それらの洞窟を把握し、
おおまかな地図を作らねばなりません。
 
今回は政府(厚労省)の職員は同行せず、
日本人は私と仲間の二人だけです。
これに通訳と、現地の作業員が雇えるかどうか、
はっきりしませんが、
洞窟さえあれば、ほぼ中にご遺骨はあると思って
間違いないでしょう。
 
今回の派遣で、新たに道路を作って、洞窟の入口を多く見つければ、
受け入れ態勢も順次整えて
学生のボランティアや遺族も参加できるようになるかもしれません。
 
島は水不足で
およそ一週間、シャワーの無い生活かもしれないと
通達がきましたが、辛抱です。
 
ネット環境はありません。
お返事は15日以降に必ずさせて頂きます。

 
アンガウル島の写真を少し掲載します。
ぜんぶはこちらの記事でご覧ください。 

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▲アンガウル飛行場と小型機

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▲アンガウルの波止場と放棄されたM4戦車

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▲第二の人生を送る日本車たち

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▲日本時代に建てられたアンガウル灯台跡

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▲米海兵隊が飛行場近くに放棄したF4Uコルセア機。

2016年9月 1日 (木)

紫電改パイロットのお孫さんにお目にかかる

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大阪で第343海軍航空隊の搭乗員のお孫さんにお会いしてきました。

おじいさんは紫電改のパイロットで、中尉さんだったそうです。
ご本人は十数年前に亡くなっているのですが、このお孫さん(三十代)は
小さいころから、おじいちゃんに戦争の話をよく聞かせてもらったそうで、
実に細かいところまで覚えてくださっていて
大変興味深く聞かせて頂きました。
 
特に特攻直掩の話は、
「直掩隊で引き返すとき、特攻機のコクピットを直視できなかった」
など、感極まるものがあり、
よくぞ、覚えていてくれた!という印象であります。
※特攻直掩は343以前の航空隊かもしれません
 
上官にも嫌われるのを覚悟で積極的具申を行い、
たいへん部下に慕われたそうです。
終戦直後には自決しようとする部下を必死で制止し
「若い自分たちが日本を立て直すんだ」ということを真剣に解かれたそうです。
 
こうした話が若い世代に伝わっていくことを期待しています。
その他にも、軍隊ならではの笑い話なども多くありました。
パイロットといっても様々で、
おじいさんはざっくばらんな方だったようです。
 
本当は機体に撃墜マークを描きたかったが、紫電改が共有機だったのと
海軍の慣例に基づいて、控えていた・・・などなど、
たくさんのお話を伺ってきました。
 
またお会いして続きを伺いたいと思います。