尾崎伸也(大尉) 水上戦闘機出身。零戦戦搭乗員
へ移動しパラオ諸島全体の防空任務にあたる。
※昭和38年にグアムで発見され、浜松広報館に展示中の零戦(43-188号機)は
この尾崎大尉の機体と推測される。
昭和19年6月、第51航空戦隊、第203海軍航空隊で北海道各地の基地
を渡り千島列島の警備にあたる。
7月24日、飛行中事故死。
甲種予科練2期。真珠湾制空隊。
ミッドウェイ海戦ではプロペラと翼タンクに13mm三発被弾も
小攻4(内共同2)、大攻3(内共同2)を撃墜。
赤城を失ったのち、空母飛龍に着艦。
昭和17年8月24日
翔鶴戦闘機隊(指揮官新郷英城大尉)
2番機として母艦翔鶴の直掩にあたり交戦
自爆戦死
江馬友一(飛曹長)ベテランゼロ戦搭乗員。
最後は敵編隊第四波を休みなしで迎え撃って帰らなかった。
操練22期。第254海軍航空隊ほか
操練43期、零式戦闘機搭乗員
昭和16年12月、真珠湾攻撃に於いて赤城制空隊として出撃。
ポートダーウィン爆撃制空隊、コロンボ制空に参加。
ミッドウェー海戦。4時20分、第三直掩隊として発艦。
交戦後、行方不明。同日付戦死と認定。
千早少佐とともに強行偵察の功労者。
零戦隊を率いてマリアナ沖へ出撃。未帰還。平成12年
ペリリュー派遣隊
海兵59期、ゼロ戦搭乗員-のち航空自衛隊ジャット戦闘機パイロット。航空自衛隊トップ
空母翔鶴飛行隊長として活躍。ヘンダーソン飛行場攻撃で
被弾不時着。一命をとりとめる。
戦後は航空自衛隊に入隊。ジェット戦闘機パイロット。
空将-航空総隊司令部幕僚長。
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