2018年3月 2日 (金)

カーチスSB2Cヘルダイバー

汝の敵を愛せよシリーズ。紫電改の好敵手
カーチスSB2C「ヘルダイバー」艦上爆撃機であります。
紫電改VS空母シャングリラ隊との交戦が有名であります。
 
ヘルダイバーは 
最も多くの日本海軍艦船を沈めたドーントレスの後継機にあたり、
レシプロ機としての完成形に近く、ドッシリとした大きな垂直安定板が
特徴であります。F4U、F6F戦闘機も有名ですが、この
ヘルダイバーもそれに並ぶ名機です。
 
※こちらは最近購入した画像です。
米軍機も好きでちょっとずつ集めてます。

2018年2月28日 (水)

北京-東京 3時間15分

百式司令部偵察機(キ-46-IV)

百式司令部偵察機(キ-46-IV)
昭和20年2月28日、午前10時
片倉少佐の操縦する百式司令部偵察機(キ-46-IV)
が北京・南苑飛行場を離陸した。※1
目的地は陸軍航空審査部のある
東京・福生飛行場(現在の横田基地)である。
 
片倉少佐機は離陸後、偏西風を利用し、
北京から東京までの2,250kmを平均速度700km/h強で飛行し
3時間15分の記録を樹立した。
(現在のジェット旅客機でも離陸準備を含めると、
北京-東京間は3時間30分かかる)
 
その後、片倉少佐の操縦する百式司令部偵察機は、
海軍の鹿屋基地へ進出。米軍機の待ち構える
沖縄方面への偵察をのべ12回にわたり敢行し生還している。
百式司令部偵察機はF6F戦闘機より高速で、その追撃を許
さなかったとされる
 
※1
この時飛行した百式司令部偵察機は二機で
片倉機に続き、鈴木准尉の百式司令部偵察機が30分遅れで
南苑を離陸し、片倉機の後を追っている。鈴木機は信州上空で
片倉機に追い付き、以後は編隊飛行で福生へ向かった。
 
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先の大戦で最も優秀な飛行機をひとつだけあげるとするならば
文句なしに陸軍の百式司令部偵察機だと思う。
 
信頼性の高いエンジンに加え、当時では画期的だった
流線型のフォルムで高速性能を誇った。
 
百式司令部偵察機の完成は意外に早く、
海軍の零戦と同じ年の皇紀2600年にあたる。零戦は末尾をとって
零式戦闘機としたけれども、百式は三桁で百式と名付けた。
支那戦線では、大陸奥地まで高高度で偵察飛行を行い
その後の作戦・戦略におおいに活用された。
 
百式司令部偵察機は二人乗りの、空飛ぶ作戦司令室である。
その高速を利して、単機ゆうゆうと敵陣上空を
飛び回り、敵戦闘機の追随を許さず帰還した。
少年飛行兵出身のベテランパイロットが操縦し
後ろの席には戦略分析に長けた将校が乗るケースが多かった。
一万人、二万人といった、一個師団単位の歩兵を動かす重要作戦に
あたっては、適地奥地まで入念な偵察が不可欠となる。
 
その活躍は大戦末期においても衰えることなく、米F6F戦闘機の
追撃も振り切った。
 
敵機を振り切ったエピソードといえば「我に追い付く敵機(グラマン)なし」
と打電した彩雲が有名だが、故障が多く、登場も大戦末期だった。
百式司令部偵察機の活躍は知られていない。
   
出典
航空ファン1982年1月号に掲載の内容を
『世界の傑作機-百式司令部偵察機』20頁の改訂版。

2018年2月22日 (木)

鹵獲P-51によるアグレッサー隊

P51c_2


P-51の鹵獲機(戦利品として得た兵器)を描きました。
 
P-51鹵獲の経緯
このP-51は、昭和20年2月、支那戦線で鹵獲された機体で、
パイロットは第51戦闘航空群第26戦闘飛行隊所属の
サミュエル・マクミランJr少尉とされる。
少尉はこの日、蘇州の日本軍飛行場攻撃任務中、対空砲火で被弾。
不時着したところを日本兵に囲まれ捕虜となった。
少尉は捕虜として日本へ移送され、終戦後、釈放され帰国している。
 
復元修理
P-51は復元・修理が行われ、飛行可能な状態となる。
同年3月、機体は米軍機の国籍標識を日の丸に塗り替えられ、
北京、南苑を経由して、東京・福生の陸軍航空審査部へ空輸された。
機体塗装は、日の丸を上描きしただけで、シャーク・マウス(機首に
描かれたサメの歯デザイン)は鹵獲時のままだった。
  
Fw190、P-40、P-51、飛燕、疾風、5機による性能テスト
福生の陸軍航空審査部では、入念に機体調査を行ったのち
ドイツから輸入したFW190、同じく鹵獲機のP-40、
三式戦闘機飛燕、四式戦闘機疾風の五機による性能比較試験が
行われた。
 
スピード競争では、上空で五機を一斉にスタートさせた。
まず、瞬発力に優れたFw190が飛び出したが、
三分後にP-51Cが追い抜き、五分後には圧倒的性能で引き離した。
Fw190と四式戦がほぼ互角で争い、次に三式戦、最後が
P-40という結果に終わった。
 
鹵獲P-51によるアグレッサー部隊
その後は、硫黄島基地から来襲するP-51戦闘を想定し
航空審査部のエースで飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)飛行隊長も務めた
黒江保彦少佐がP-51Cに搭乗し各地の防空戦闘機隊を巡回。
 
関東地区では244戦隊、17戦隊、70戦隊、51戦隊、52戦隊
次いで中部地区の明野飛行教導師団、関西地区の56戦隊、256戦隊へ
赴き戦技指導を行った。
 
P-51の燃料は高オクタン価ガソリンであり、当時の陸軍には超希少品であったが
あらかじめ巡回先の飛行場へ鉄道で運ばれた。
昭和20年7月、黒江少佐のP-51Cは256戦隊の戦技指導中に 
オルタネータ(発電機)故障により、飛行不能となった。
代替の部品を国産でまかなおうと努力が重ねられたが、見つからないまま
終戦を迎えた。
  
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こちらの本に、P-51の何枚か写真が載っています。
より正確なものを知りたい方はぜひご購入下さい。
 
出典・参考
『日本軍鹵獲機秘録』

2018年2月21日 (水)

はやぶさまつり開催中

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はやぶさまつりを開催中です。
引き続き、陸軍の飛行機を次々描いていきます。

2018年2月15日 (木)

飛行戦隊尾翼マーク一覧表@暫定2018/2/15

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少しずつ描いてきました。
もう少しで全部揃います。

2018年2月 6日 (火)

関西出張

7日から9日まで関西方面出張にて
パソコンのメールは連絡が取りにくい状況となります。
何かありましたら携帯電話の方へお願い致します。

2018年2月 5日 (月)

単語の登録機能

Photo
▲専門的な事柄を扱っていると
パソコンで打ちこんでも出てこない単語が多くあります。
そういうときは画面右下のお道具箱のようなアイコン
「ツール」から「単語の登録」を選びます。

11 
ここに、覚えてもらいたい単語と、読み方を入力し登録をクリック。
 
すると、パソコンくんは次から、その単語を覚えてくれて、
打ちこむ都度ちゃんと出て来てくれます。
 
地名や専門用語はもちろん、
間違えると大変な人の名前など、フルネームで登録しておくと
非常に便利です。

2018年2月 4日 (日)

働き方改革

人生、何か楽しみが無いと、働く気にならないと思うのです。
きつい仕事でも休みがあればそれなりに頑張れるはずで、
日本人はまじめで、うまく休みをとる、ということが苦手なのだと思います。
 
戦友会で水野元陸軍大尉に聞いた話を紹介します。
 
昭和20年8月、終戦。
サイゴン(現・ホーチミン)に戻ってきたフランス軍が、ふたたび威勢を張っていた。
フランス軍は連合軍と雖も、とても弱いので、ベトナム解放軍の襲撃を恐れ
サイゴンの中心地に司令部を置き、その外側をグルリと日本軍守備隊が
フランス軍を守る配置となった。とても変な恰好である。
この辺りの経緯は以前、こちらに書いた。 
 
水野大尉の中隊は、フランス軍によって武装解除を受け、
復員を待つ間、ゴムの積み込み作業を強いられた。いわゆる強制労働である。
 
ひっぺがした廃材のゴム資源を、ひたすら船に積んでゆく作業なのだが
日本軍の指揮はあがらず、ダラダラと一向に進まない。
フランス軍指揮官が檄を飛ばすが、全く効き目が無い。
これを見かねた水野大尉がフランス軍指揮官に進言した。
 
「お前ら、日本人の使い方を知らねえんだよ。鞭で叩けばいいってもんじゃない。
俺を指揮官に一任してくれたら、お前らが7日間と見込んでいる納期を
5日で終わらせる自信がある」
 
これをフランス軍指揮官は承諾し、以後、水野大尉の指揮によって
作業が進められることになった。水野大尉は、一日分の作業目標を細かく設定し、
作業は順調に進んだ。すると、作業は僅か3日間で終わってしまった。
水野大尉はこれをフランス軍指揮官に伝えると、こう付け加えた。
 
「ほらみろ。3日間で終わったぞ。
5日間もらったから、残り2日間は休みだ。いいな」

2018年2月 3日 (土)

飛行戦隊のシンボル全部描く

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飛行戦隊のシンボル全部描いてます。
飛行戦隊は第1戦隊から第248戦隊まで。
欠番もあるので、実在するのは100くらいでしょうか。
これに加え、錬成飛行隊と独立飛行中隊、教導飛行師団などを合わせると
200個くらいになるでしょうか。あと半分です。

2018年1月31日 (水)

くにかぜ B-65P

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Photo_101_3 
「くにかぜ」という飛行機をご存知でしょうか。
国土地理院の測量用航空機です。
 
この写真は初代の「くにかぜ」(以下くにかぜ)で、戦後、日本全国を飛び回り、
上空から写真を撮影して、現在の日本の地図を作りました。くにかぜは
海上自衛隊岩国教育航空隊が国土地理院から写真測量業務を受託し
飛行していました。
 
この飛行機に搭乗していたのが田中三也さん(元海軍少尉)で、
田中さんは彗星での三度の挺身偵察や343空彩雲隊での活躍ののち
終戦を迎え、戦後は海上自衛隊へ入隊されました。田中さんは
海軍時代に身に着けた技術と知識を発揮し、「くにかぜ」とともに
日本の地図製作に尽力されました。
 
カーナビやスマホの地図アプリ等、我々は当たり前のように利用していますが
全てはこの小さな飛行機と元海軍ベテラン飛行士によって、
戦後コツコツと築かれてきた賜物なのであります。
 
くにかぜは現在三代目が運用されていますが、
こちらの初代くにかぜは
現在、つくば市の地図と測量科学館に保存されています。
現役時代の写真は無かったので紹介させて頂きました。