2018年10月25日 (木)

桜の紅葉

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庭の桜(ソメイヨシノ)の紅葉です。
最も紅葉の早いのが桜です。
桜も日当たりの良い場所で、寒暖差の幅が大きいと
綺麗に色が出るようです。
 
今日は満月です。

2018年10月21日 (日)

海軍機スケールポスター

海軍機スケールポスター

海軍機スケールポスターが完成しました。
次は陸軍機です。全部描いてあるので、あとは並べるだけです。
それが終わったら自衛隊版に着手します。

海軍機スケールポスターの販売開始されました。
よろしくお願いします。

2018年10月20日 (土)

彩雲

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「我に追い付く敵機無し」
有名な文言です。121空がメジェロ挺身偵察の
帰還後、記したと伝わっています。イラストは創作で、
タービン装備仕様の121空機です。
 
九六式以降大東亜戦争終結までの飛行機、陸海軍機全部描く計画、
あと2機で完了となります。マラソンのように、最後がきついですが
明日には完成させたいです。
 
最後に描く飛行機は「橘花」です。

2018年10月19日 (金)

展示会無事終了

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お陰様で宇都宮ソリッド模型クラブの展示会
(篠原弘道少尉特別展)無事終了しました。
こちらのブログをご覧になり、来て下さった方、ありがとうございました!
 
開催したのが図書館だったので、よかったです。
デジタルになろうと、興味を持ってくれる
子供さんがとても多かったこと、それが一番嬉しかったです!
 
後ほど、他の写真もアップしますが、先ず、
お礼を申し上げます。

2018年10月18日 (木)

名機「瑞雲」

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瑞雲が描き上がりました。
元搭乗員の方のお話しによりますと
剛性のある名機で「彗星」に乗り味が似ていたそうです。
 
例を見ない水上機の急降下爆撃機で
フロートの支柱についているのがダイブブレーキです。

紫雲

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紫雲です。
日本初の二重反転プロペラです。
二重反転プロペラというのは、
飛行機や機械好きならほぼ、200%、垂涎ものの
仕組みであります。
 
横の黒い部分ですが、これは補助フロートです。
飛行時はバルーンのように空気を抜いて
体積を少なし、抵抗を減らしています。
 
総生産機数は数機のみですが
パラオのアラカベンサン基地に配備されています。

自衛隊にご協力とご理解を

私は栃木県防衛協会という会に入って
自衛隊を理解して頂く活動をしています。
 
ざっくりと申し上げれば、
「自衛隊の飛行機が大きな音をたてて申し訳ございません。
皆様の平和を守っていますので、ご理解・ご協力をお願いします」
という活動です。
 
最近、活動の一環として
自衛隊の某基地を訪問し、広報の方に様々な
お話を伺ってきました。
 
広報さんのお話しで興味深かったのは
自衛隊のクレーム対応についてです。
 
「周辺住民から苦情があった場合はどこの部署が対応するのですか」
と尋ねたところ、
 
「本来であれば総務ですが、広報の任務になっています」とのことです。
 
苦情は古くからの住民でなく、
後から引っ越してきた方からの多くを占めるとのことです。 
これはイメージでなく、数字から申し上げています。
 
原則的に「ご理解頂く」という趣旨で、自衛隊がそうした意見に
折れることはありません。
 
さらに、
「理解して頂けない方に、どう対応しているのですか」と尋ねたところ、
 
「そういう方には、こちらから招待して、ヘリで体験飛行して
頂いています。すると、苦情がなくなるか、あってもだいぶマイルドになります」

 
この回答には驚きました。
これを書いて掲載しようか迷いましたが、ハッキリ書きます。
 
自衛隊の言えない事を言うのが民間である私の立場ですし、
仮にこの記事を見て悪千恵を働かせて一時的に良い思いしても
最終的にはロクなことはありませんので。
悪しからず、お願い致します。
 
最後にもう一度、お願いを申し上げます。
自衛隊にご協力とご理解をお願い申し上げます。

松本強少佐

松本零士さんのお父様が
陸軍の戦闘機パイロットで、
松本零士さんが作品に大きな影響を受けたことは
ファンの間では有名です。
 
松本零士さんのお父様は
松本強少佐といいます。
 
最近、伊勢剛さんが書かれた良い記事がありました。
こちらです。
https://withnews.jp/article/f0180830002qq000000000000000W07f10101qq000017888A
 
松本少佐はフィリピンへ派遣され
生還していますが、部下の半分を失っており、
戦後、戦死した部下のお母様が訪ねてきて
「なぜ、せがれを連れ帰ってくれなかった」
といわれて「すまん」と頭を下げ、辛そうにしていたと書かれています。
 
詳しい内容は記事をご覧頂くとして
松本少佐の部隊について、『陸軍航空の鎮魂』から
少し書いておきます。
 
松本強少佐の率いる部隊は第32教育飛行隊という戦闘機隊です。
教育飛行隊と名がつけられていますが、実際はフイリピンへ派遣され
九七式戦闘機(あるいは隼かもしれません)で
米機動部隊の邀撃を行っていますので、実戦部隊と変わりありません。
これは他の教育飛行隊も同じです。
 
第32教育飛行隊
隊長・松本強少佐
 
昭和19年2月25日、加古川において編成。
同年4月6日加古川出発。4月19日ネグロス島ファブリカ到着。
同地にて幹候、特操一期生の基本戦技教育を実施。
7月19日、ラカルロタに移駐。教育を実施。
9月12日、九七式戦闘機25機で米機動部隊を邀撃。
10月、空中部隊はクアラに移駐。
地上人員は12月8日、マニラに集結。
20年1月10日、バンコク到着。
1月31日部隊復帰。ネグロス残置隊は現地で作戦参加。

2018年10月17日 (水)

アンガウル島日本統治時代旧地名・陣地名称

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パラオ本第二版作業を進めております。
こちらはアンガウル島の日本統治時代の名称です。
いかにも栃木なまりが聞こえてきそうです。
宇都宮連隊の歴史に興味を持ってもらえたらと思います。
 
これと同じく、ペリリュー島も高崎湾や水戸山などの名称が
ありますので、作成して参ります。

2018年10月16日 (火)

土田喜代一さん亡くなる

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ペリリュー島のラストサムライ、
土田喜代一さんが昨晩亡くなりました。
心よりご冥福をお祈りします。
 
友軍に背後から撃たれるかもしれないリスクを背負って、
34人を救った土田さん、勇敢だった、勇敢だった土田さん、
ありがとうございました。
  
土田さんがお話ししてくださったことを、後世まで残していきます。
  
土田さん、もう一度お会いしたかった。
悲しいです。