松本強少佐
松本零士さんのお父様が
陸軍の戦闘機パイロットで、
松本零士さんが作品に大きな影響を受けたことは
ファンの間では有名です。
松本零士さんのお父様は
松本強少佐といいます。
最近、伊勢剛さんが書かれた良い記事がありました。
こちらです。
https://withnews.jp/article/f0180830002qq000000000000000W07f10101qq000017888A
松本少佐はフィリピンへ派遣され
生還していますが、部下の半分を失っており、
戦後、戦死した部下のお母様が訪ねてきて
「なぜ、せがれを連れ帰ってくれなかった」
といわれて「すまん」と頭を下げ、辛そうにしていたと書かれています。
詳しい内容は記事をご覧頂くとして
松本少佐の部隊について、『陸軍航空の鎮魂』から
少し書いておきます。
松本強少佐の率いる部隊は第32教育飛行隊という戦闘機隊です。
教育飛行隊と名がつけられていますが、実際はフイリピンへ派遣され
九七式戦闘機(あるいは隼かもしれません)で
米機動部隊の邀撃を行っていますので、実戦部隊と変わりありません。
これは他の教育飛行隊も同じです。
第32教育飛行隊
隊長・松本強少佐
昭和19年2月25日、加古川において編成。
同年4月6日加古川出発。4月19日ネグロス島ファブリカ到着。
同地にて幹候、特操一期生の基本戦技教育を実施。
7月19日、ラカルロタに移駐。教育を実施。
9月12日、九七式戦闘機25機で米機動部隊を邀撃。
10月、空中部隊はクアラに移駐。
地上人員は12月8日、マニラに集結。
20年1月10日、バンコク到着。
1月31日部隊復帰。ネグロス残置隊は現地で作戦参加。
最後は第ニ七錬成飛行隊だったとの情報を目にして漁っていたら戦友会のデータベースに載っていました。
第ニ七錬成飛行隊 松本部隊
スンゲバタン
こうなると戦後レンバン島に居たというのも納得がいきます。
投稿: 暇人 | 2020年12月 9日 (水) 18:47