今日は「彗星」の搭乗員で元海軍少尉の田中三也さんに
インタビューさせて頂きました。田中三也さんは
二式艦偵(彗星偵察機)に搭乗し、あ号作戦で三度の
挺身偵察を成功させた方です。
挺身偵察とは「強行偵察」のことです。彗星の機動力を活かし、
敵基地港湾に進入。熾烈な敵艦船の弾幕の中を超低空で突っ切り、
敵艦の写真を撮りまくりながら、追尾して来る敵戦闘機を振り切るという
凄まじいお話でした。
田中さんは昭和20年には343空で彩雲にも搭乗されておりますが
「私は彩雲と彗星、どちらの飛行機がいいかと聞かれたら、
彗星がいいですねえ 小回りも利くし、良い飛行機でした」
と仰っていました。
また、田中さんは南太平洋海戦では重巡「利根」乗組みで
索敵機で空母ホーネットを発見した、そのご本人でもあります。
このお話も少しずつ書き起こして参ります。
私が代表代行をさせて頂いております、もうひとつのほうの
戦友会なのですが、3月いっぱいで閉会することにしました。
「やめないでほしい」との要望沢山頂いたのですが、高齢化には
勝てません。決まった以上、なんとか説得して回っております。
最終回のパーティーの調整を行っております。
往復はがきを出すのですが、
「不参加」で「体調不良」などと添え書きしてあると
辛いものがあります。
年に一度の例大祭がありますので、こちらは
可能な限り続けて集まってもらいます。
厚生労働省へ遺骨収集の打ち合わせに行って参りました。
今後は厚労省が社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会に
事業を全て委託し全戦域での収集となります。
社団法人日本戦没者遺骨収集推進協会は出来たばかりの組織ですので
暫くは今まで通り、戦域ごとの戦友遺族会の協力が不可欠です。
私は水戸歩兵第二聯隊・ペリリュー島慰霊会の一員として参加させて
頂きます。
中には「定年後の受け入れ先」
みたいに考えている方もいるそう
なのですが実際の仕事は過酷
です。
私はずっと、若い現役世代の活躍
を求める旨、提言しております。
大学生ボランティアか定年退職後
の年配者しか参加者がいないのが
現状です。
集団埋葬地等「ここを掘れば出て
きますよ」という場所、全てお膳立て
してからでないとボランティアの受
け入れが難しいのです。
大学生は一度限りで、卒業してしま
うし、現役世代の体力のある方が
洞窟やジャングル踏破して調査できないと先へ進みません。
現状では、最低でも9日間、仕事を休んで海外派遣に参加するのが一
般的ですが、これだと現役世代の参加は無理です。せめてこれが
5日間程度にできないか、ずっと言い続けてます。
私はできると思います。
会の仲間は
アメリカ本土の海兵隊基地へ資料収集へ行っております。
ペリリュー島の埋葬場所を調べる為です。たぶん今頃、膨大な量の
写真や資料を探してくれています。
飛行第244戦隊で行われていた無線通信をエースコンバット風に
再現してみました。前半は実際の符号を用いたもので、後半は解説です。
声優さんに依頼するお金がないので自前です。
無線交信の例は櫻井隆著『飛燕戦闘機隊』23頁より出典。
巡洋艦「摩耶」で機関兵を務められた方へ
お話をお聞きしてきました。
こちらの方はもともと4年ほど横須賀の海軍工廠のドックで
激戦から帰った航空母艦、戦艦、巡洋艦などの艦船の
機関室の修理を行っていた経験から、
海兵団に志願し海軍機関科へ。
海軍入隊後は横須賀で
巡洋艦「摩耶」の機関科へ配属され、大湊、占守島を経て
アリューシャンへ出撃。キスカ撤退作戦で兵員輸送を行います。
レイテ海戦前に肺炎により、一旦艦を離れたことから命が助かり
その後、今度は艦船の電気系統を学ぶため
海軍機関学校へ進み、在籍中に終戦を迎えられたというこです。
艦船の修理で印象深かった出来事としては
機関室内部のファンからカラコロと音がして、原因不明だったのが
戦死した水兵の顎の骨が引っかかっていた、というお話でした。
横須賀から大湊への航行中には、一名の行方不明者が出て、
過酷な勤務から逃れる為、夜中に甲板から身を投げたのではないか?
という結論に至ったそうです。横須賀の海兵団時代も首を吊った戦友が
居たそうです。
最北端の拠点である占守島では上陸が許可され、士官引率のもと
島を見物したのが思い出、その後、キスカ撤退作戦では
天皇陛下からお預かりした小銃を捨ててまで撤収してきた
多くの陸軍さんを摩耶に乗せた、とのお話しでした。
機関科の仕事
どんな船でも機関(エンジン)が必要です。
それを動かすのが機関科の仕事でした。
船を走らせるには
重油を燃やし、ボイラーから発生させた蒸気でタービンを回し
それをスクリューを回す軸(巡洋艦摩耶でいえば4軸)に伝達するという仕組み
ですが、このボイラーの調整を当時は機関室内で全て人の手で
行っておりました。映画などでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
艦橋(機関長)から伝声管で船底の機関室へ指示が飛んできます。
それに従い、ボイラーのバーナーを調整(回す)して火力を調整します。
時折、艦橋にも上がりました。
艦橋の後方に煙突の煙を観測する部屋があり
そこで煙の様子を見ていました。
艦船の煙突は、格子で区切られていますが
それが何番のボイラー管から発した煙なのか、一目でわかるような
仕組みになっています。ボイラーが不完全燃焼だと黒い煙が出ます。
ボイラーは停泊中でもひとつかふたつは作動させておきます。
全速航行時は、全てのボイラーを全開にします。
機関室内は暑く、褌一枚で作業することもありました。
機関科は死んでも持ち場を離れない
船のエンジンは最も船底にありますので、機関科の戦死率は
最も高いです。凄惨なのは船が沈む時です。
軍艦の構造は蜂の巣のように細かく区分けされております。戦闘で
被弾、被雷した際には、被害を最小限に留め、沈没を防ぐため
隔壁を閉鎖、あるいは船のバランスを保つために
バラストに注水といって、区画を閉鎖し、海水を流し込むよう
出来ています。
戦闘でどれだけ被弾しても、
機関を止めるわけにいきませんので、閉じ込められてもなお
船を動かすために、持ち場を離れず働くという事になります。
機関科の宿命です。
いよいよ、駄目だと、「総員退艦」の命令が出る頃、
甲板上で機銃を撃っていた兵科の水兵はそのまま海へ
飛び込めば助かるかもしれません。
しかし機関科は閉じ込められ、脱出不可能なケースが多く、
ほとんどの場合、船と運命を共にします。
「レイテで多くの戦友が摩耶と共に沈んだ。
多くは20歳そこそこの若さだった。それまでの訓練で
日常的に殴られ、自殺者が出るような過酷な勤務
の連続、その辛さが最後まで報われることなく、みなレイテで沈んでしまった。
自分だけ生き残って、申し訳ない気持ちで95歳までずっと生きてきた。春に、
はじめて靖国神社へ行って戦友に会ってこようと思う」
そう、仰っていたのが印象的でした。
一般ライターさんの募集は一旦終了させて頂きました。
たくさんのご連絡を頂き本当にありがとうございました!
旧軍の用語に詳しい方に限りまして募集を継続させて頂きます。
ぜひよろしくお願い致します。
戦争証言のテープ起こしを継続的にお願いできる方を探して
おります。音声ファイル1時間につき5000円程度でお願いできる
方を探しております。素起こし(ケバ取りなし)となります。
少し旧軍の言葉遣いが多いので、サンプルをご用意しました。
お聞きになって出来そうという方がいらっしゃいましたら
ぜひご検討・ご連絡お待ちしております。なにとぞよろしくお願い致します。
サンプル音源
http://www.youtube.com/watch?v=wlIeR2a3AZs&feature=youtu.be
▲テキスト入力例
落下傘降下するのを落とすってことはまずないですね。
武士で言えば万歳、片落ちですよ。武士道に反する。したらそういうことで、
それがね、みんな武士道に反するというけど私はわかるんですよ。
自分らの一番尊敬する5000メーター上空にいた一番の一番機を
私らが落としているから。