2017年3月18日 (土)

筑波海軍航空隊記念館

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水足さんの親友だった富安中尉の展示があると聞いて
一目見たいと、やってきました。筑波海軍航空隊記念館。
 
あれあれ・・・なんだか疲れてるのかな。
赤で書かれた文字がどうしても読めない。
 
ホームページで事前に確認はしていたのですが、イレギュラーな
臨時休館のようです。

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それで、今日は映画かドラマの撮影をやっているようです。
大きな照明が見えます。入口からはスタッフさんが慌ただしく
出入りしていました。

 
中には入れないけど、外観だけ見て帰ろう。
 

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マスコットキャラクターの空くんが案内してくれています。
ふむふむ。南側が滑走路だったのか。
富安中尉もここから飛び立ったのかな。
 
敷地の奥に慰霊碑があるようなので
お参りだけでもできないか、行ってみます。
 

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この場所は、戦後は病院だったそうです。
筑波海軍航空隊司令部の建物も病院の施設として利用されていました。
司令部以外の建物は戦後増築されたものです。
 
現在は廃病院となっています。
長い渡廊下を歩いて行きます。
 

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こっちであってるのかな?
 

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無事到着。
殉職された方々の供養塔です。
綺麗に保たれてます。お参りします。

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戻ってきました。
次は中が見たいです。

2017年3月16日 (木)

ヒロポン錠

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紙飛行機屋さんことブンドド先生が
「眠らなくても疲れない薬」を処方してくださいました。
大好評につき生産が追い付かない状況だそうです。
  
クッピーラムネマイボックス
http://my-box.cc/large/

2017年3月 6日 (月)

彗星(二式艦偵)

彗星艦上爆撃機(二式艦偵)

この週末は大阪と東京でそれぞれ
彗星の搭乗員だった方、お二人にお目にかかってきました。
そのときお借りした写真ですが、
(昭和18年頃、ラバウル基地にて出撃前)
 
着色して、お渡ししたら喜んでくれるかな・・・と少し考えて
ざっくり染めてみたところです。よりリアルに
するため、細部の塗り分けをしますので、
もうちょっと時間がかかります。
 
ところで、今月いっぱいをもちまして、
こちらのブログの契約が終了となりまして、
更新継続するか否か、検討しています。
サーバーのレンタル費が年間5万円ということもあり、最近は
体調も芳しくなく、ゆっくりした時間もあまり取れず、
更新もできないので、継続するか悩ましいところです。

2017年2月27日 (月)

一式陸攻搭乗員髙石さんインタビュー

一式陸攻

▲一式陸攻
 
先日は、一式陸上攻撃機の搭乗員(搭乗整備兼射撃員)だった

髙石近夫さんにインタビューさせて頂きました。
 
以下、少し書きます。
 
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◆水面スレスレの雷撃敢行

髙石さんの初陣は昭和19年10月。
レイテ沖の輸送船団に雷撃を敢行した。この頃になると雷撃は専ら
単機、夜間の攻撃だった。初陣の緊張は相当なもので、緊張の余り
キンタマが内臓を這いあがり、喉から出てくるような感覚だった。

 
気を落ちつけようと、機内でチューブに入った羊羹などを

食ってはみたものの、なかなかこれが喉を通らなかった。
操縦員の二名は肝の据わったベテランだったのが幸いだった。
 
一式陸攻は凄まじい対空砲火の中を、水面スレスレを全速で
突っ込んで行った。

 
一式陸攻は、いったん雷撃進路に入ると、魚雷を投下する迄、一直線で

あるため、殆どが撃墜される。陸攻の戦友は出て行ったきり、ほとんどが
帰ってこなかった。お国の為に死ぬことに何の躊躇いもなかったが
初めて体験する対空砲火の雨に、驚愕した。
 
魚雷を投下すると、機体は雷跡を追い越して、
敵艦船のマスト直上を通過する。このとき対空砲を撃つ
敵兵の顔が見えるような

距離だった。
 
あとは敵弾を回避すべく機体はジグザグ運動で離脱を開始する。
操縦桿を使って旋回している余裕はない。フットバーを押し込んで
空中分解覚悟で機体を横滑りさせるのだという。
 
戦果を確認しようと10メートル近い機体の後部の窓まで
走ったが、転倒して辿り着くことが出来なかった。
 
こうして奇跡的に生還したが
基地で機体を確認してみると多数の弾痕が残されていた。
 
◆沖縄爆撃と機長のN大尉

昭和20年、5月、米軍に奪われた沖縄、伊江島の飛行場を
爆撃せよとの命令が下る。陸攻は60キロ爆弾を12発搭載して
鹿屋を出撃した。今度の機長は経験の浅いN大尉だった。

 
ところが発動機が不調で、吹かしても4000メートル迄しか
上昇できない。これでは敵対空砲火の中に突っ込むだけだ。
目標に近づけないままでいると、突然、爆弾投下用の
雷管が炸裂する音が聞こえた。N機長は
 
「間違って爆弾を投下してしまった」

と言った。爆弾が無いのなら帰るだけだ。
機首を鹿屋へ向けた。

 
一瞬、唖然とした。
こんなことをしていいのか・・・軍法会議ものだぞ。
 
しかしそれと同時に、
「助かった!死なずに済んだ!」
と、安堵の気持ちを覚えたのも確かだった。

 
帰途、エンジンを吹かしすぎたのと、航法の誤りで
不時着水を余儀なくされた。
 
N機長とはその後もまた、伊江島の爆撃に出撃したが
その時も目標手前で爆弾を捨てて帰ってきてしまった。
 
搭乗員7名、誰もこれを咎める者はいなかった。
 
N機長は言った。
「俺には女房と子供が居る。女房と父は折り合いが悪い。
だから俺が死ぬわけにはいかないんだ」
 
髙石氏は不時着水したとき、海水が目に入り、結膜炎にかかった。
機長は「ゆっくり治せ。長引かせれば出撃せずに済む」と言った。
 
N機長は願い叶って、前線を離れることになった。

よかったですね、と言うと、機長はニコっと笑った。
 
その機長も、試験飛行中に墜落して死んだ。
終戦の2、3日前だった。
 
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少しずつ続きを書いていきます。

2017年2月26日 (日)

226事件の記憶

226事件の回想。
戦友会で伺った水足さんの回想を少し書きます。
 
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雪が降る、静かな日だった。
僕は家が向かいでポン友の富安と学校へ向かった。
しかし市電は止まっている。仕方がないので
学校まで雪の中を歩いた。
 
何時間も歩いて学校へ到着したが、なんと休校だという。
あんまり大きな声じゃ言えないが、僕と富安は大喜びして

家に帰った。
 
思い返せば、家に帰る途中、静かな街の中を
騎馬将校が伝令に駆け回っていた。それが青年将校の決起だと
聞いたのは後になってからだった。
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ここで言う富安というのは後にエンタープライズに突入した
富安俊助中尉のことです。この時はまだ中学生(旧制)でした。 

2017年2月17日 (金)

飛燕の新作

Hienn

要望のあった新作「飛燕」Tシャツデザイン出来ました。
244戦隊仕様です。
シルクスクリーンだと使える色は1色~2色だけなので
表現が難しいですが、それがまた楽しいです。
 
こちらはただいま販売に向け準備中です。
 
地道に戦車も描いております。90式戦車出来ました。
これで現用の陸上自衛隊の戦車はコンプリートです!

90_3

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2017年2月16日 (木)

パラオに眠る零戦、足跡たどる遺族の旅


パラオに眠る零戦、足跡たどる遺族の旅 投稿者 samthavasa

2017年2月14日 (火)

バレンタインデー

今日はバレンタインデーですね。私は今日は朝早く起きて
全国の麗しき女性からチョコレートが次々届くのを
心待ちにしていたんですが・・・その惨澹たる結果、
なんということでしょう。
 
最近発見したんですけれど、グーグル(youtube)アカウントで
ファンの性別・年齢層が閲覧できるのですね。はじめて知りました。

Photo_2  
チョコレートといえば、
戦後日本を象徴する出来事として
GHQの米兵がチョコレートをバラ撒いて
それを大喜びで拾い集める子供達、というシーンが有名ですが 

作家の野坂昭如さんはどんなに空腹でも頑なに
米兵からの菓子は受け取らなかったそうです。
子供心乍、物乞いは恥という概念でしょうか。
全ての子供がアメリカ万歳と喜んでチョコレートに群がった、
というのは偏向的かもしれませんね。

2017年2月12日 (日)

九九式襲撃機パイロット上野さんのインタビュー

今日は陸軍の九九式襲撃機のパイロットだった
上野辰熊さん(元陸軍伍長)にお話を伺ってきました。
お話は主に特攻に行かれた戦友の方のお話が主になりますが、
先ずは、九九式襲撃機という飛行機について一寸触れます。
以下、上野さんのお話です。 
  

「隼など戦闘機は超低空では高度50メートルが限度でしょう。
我々九九式襲撃機(九九襲)は武装して20メートル以下での
高度持続が可能でした。
九九襲は両翼毎にスロットル調整が
できるので
安定した飛行が可能でした。」
 
「訓練では、超低空を這って敵陣に侵入する戦法をやりました。
川面に沿って超低空で飛行するんです。
これで機影は堤防の下に入ってしまうから見えない。
エンジンの音も堤防が壁になって上に吹き抜けてしまいますから、
敵に察知されず敵陣を強襲できるわけです。」

  
以下、上野さんの著書より抜粋。
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各務原飛行場を飛び立ち、木曽川上流の恵那峡で低空に入り
川面を下る、日本ラインを超低空で這い下り、鵜沼の鉄橋(犬山橋)で
急上昇して犬山城上空で、左翼端下に天守の人の顔が見える
くらいに接近して
旋回、その後、濃尾平野を超低空で飛び回り着陸した。
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九九式襲撃機は陸戦での支援に特化した航空機でした。
現代で例えるならA-10でしょうか。配備当初は
主に大陸戦線で、歩兵連隊の火力支援航空機として
敵陣の撃破を行いました。
  
これが昭和19年頃より艦船攻撃に対応すべく
洋上での急降下攻撃訓練が始まります。
そして、特攻機となっていくわけです。
  
こちらの内容も少しずつ進めて参ります。
 
  
※画像は九九式襲撃機洋上迷彩仕様。同型機であるがマーキングは異なる。
http://cs.finescale.com/fsm/m/online/1233987.aspx

2017年2月10日 (金)

日系一世との出会い

11年前、カナダを約一ヶ月間旅行した。
カナダ人は心の底から優しく、おおらかで旅行者や外国人に優しい。
それが故に、アメリカとは少し違った形で多くの移民を受け入れてきた。
  
旅行者は稀であろう国境沿いの小さな町で90歳くらいの日系一世の男性と
出会った。男性は久し振りで日本人に会ったことを大いに喜んでくださり、
もうほとんど 忘れてしまった日本語を、英語なまりに、ひとつひとつ
振り絞るように 一生懸命、懐かしそうに話してくれた。
 
だから私も最近の日本の様子をあれこれ伝えた。男性はとても驚いていた。
移民してから一度も日本へ帰ったことがなく 戦前の頃の記憶しか
ないのだから。男性にとって、日本を離れたときから
時間は止まったままなのだ。
 
そして男性はこう言った。 「あなたはずいぶん背が高いですね」
 
誰が想像したであろう。カナダやアメリカと肩を並べるほど成長した
日本を。 カナダには、こうして移民してきた我々の先輩が大勢いて
多くはカナダの土に眠っている。
 
私はこの出会いによって
かつての日本に思いを馳せるきっかけとなる。