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2013年6月28日 (金)

パラオ大空襲

パラオ大空襲
1944年(昭和19年)3月30日-31日
 
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パラオ大空襲は昭和19年3月30日から31にかけた
米機動部隊大編隊による大空襲。この空襲により
コロール市街地、パラオ軍港、艦船は甚大な被害を受け
また迎撃した海軍航空機と多くの搭乗員を失った。
 
一日目は合計十一波攻撃
のべ456機の艦載機が来襲、二日目は150機以上がコロールを銃爆撃し
街は焦土と化した。この邀撃戦により日本海軍戦闘機隊は敢闘するも
多くの航空機と搭乗員を失った。 なお、空襲前日、連合艦隊旗艦で
虎の子「武蔵」を含め艦船はパラオ港外へ退避し
司令長官の古賀峯一も空襲の合間を縫って飛行艇でダバオへ逃れることとなる。
(途中、低気圧に巻き込まれ行方不明となった)
 
パラオでは戦跡としてこのパラオ大空襲の傷跡を見ることができる。
 
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▲パラオ本島、アルモノグイの丘陵地帯に眠る零式戦闘機。
3月31日、パラオ大空襲邀撃戦において被弾不時着した
第261海軍航空隊所属の吉田久光機と判明した。

 
戦闘概要
 
■米機動部隊が攻めてくる
 
昭和19年2月、トラックを空襲により無力化された
日本海軍と連合艦隊司令部はパラオに拠点を後退させた。
3月中旬ごろ マーシャル諸島方面に数十隻から成る米機動部隊西進の報せがあり
東カロリン、マリアナ方面の警戒を厳にしていたところ
 
3月27日、8日ごろには「数十隻の機動部隊がウエワク北方200浬の海上を
三隊となって西進中」という報せがもたらされた。
 
3月28日早朝、南雲中部太平洋方面艦隊は「カロリン方面第一警戒配備」を下令。
増援部隊の要請を行い、各地航空戦力をペリリューに集結させた。
 
■連合艦隊司令部のコロール上陸
「武蔵」を逃がせ!空襲前夜
 
29日
10時46分、ペリリュー発進の索敵機より
パラオ南東380浬に米機動部隊の西進が確認された。
 
このとき連合艦隊旗艦「武蔵」ほか第四戦隊、第五戦隊、第二水雷戦隊、第十七駆逐隊
その他、附属艦船と輸送船十数隻がパラオ港コロール泊地に投錨中であった。
古賀大将は「明朝、空襲の公算大なり」と布告、14時、武蔵を降り、
連合艦隊司令部を コロールに上陸させ指揮をとることとなる。
 
一方、虎の子の「武蔵」は大急ぎでパラオ港外へ逃れる。
パラオ港外へは狭い西水道を通過しなければならず、巨大な武蔵が
座礁せずに退避できたのは、まさに神業であった。無事、外洋に出た武蔵で
あったが、待ち構えていた米潜水艦の雷撃により、小破。
損傷は軽微であり、速力を落とさず内地へ帰還する。
 
■敵艦隊への先制攻撃失敗 
 
30日黎明(れいめい)
ペリリューの海軍航空部隊は陸攻機を用いて
米機動部隊に黎明(明け方)攻撃をかけるべく準備したが
午前3時00分、第761海軍航空隊の一、二番機が過重により離陸に失敗。
椰子林に突っ込んで炎上してしまった。
 
それどころか、先にやってきたのは米軍機だった。 テニアンから増援された
陸攻機も12機が銃撃を受け炎上、 順次発進を準備していた艦爆隊も
この奇襲により発進できずに終わった。
 
■敵大編隊!空襲警報発令
戦闘機隊、邀撃発進
 
5時30分、基地見張りから空襲警報発令。
これを受け、第201海軍航空隊のゼロ戦20機、第501海軍航空隊から
戦闘機5機を含む12機が邀撃に発進。 空襲の合間を縫って第121海軍航空隊(雉)
1機ほかが索敵に発進し、ペリリュー沖合の米機動部隊を発見した。
 
■米大編隊11波攻撃
456機による大空襲
 
米機動部隊の艦載機は第11次攻撃まで実施し朝6時から夕方まで、のべ
456機でパラオを襲った。 201空のゼロ戦は、邀撃した20機中、自爆未帰還9機、
大破9機、不時着2機と 消耗は甚大であった。501空は12機内、自爆未帰還が5機、
炎上7機 九九艦爆9機が焼失した。
 
※空戦戦没者後記載
 
そのほか在ペリリューおよびマリアナの陸攻隊は
機動部隊に対し強襲を仕掛けるが米記録によれば戦果はなかった。 (後述)
  
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▲ロックアイランドに沈む零式戦闘機(水深3メートル) 素潜りで撮影
(搭乗員名不明)  

 
■マリアナの戦闘機隊へ増援要請
 
30日午前、空襲の報せを受け、サイパン、アスリート飛行場展開中の
第261海軍航空隊(虎指宿正信大尉指揮 ゼロ戦32機と、グアム展開の
第263海軍航空隊(豹) 重松康弘大尉指揮 ゼロ戦25機 が合流し
パラオへ向け発進した。
 
なお、この際、敵艦隊に一矢を報いるべく
第523海軍航空隊の彗星強襲隊を12機を伴ったが
263空の戦闘機隊がグアム離陸の遅れにより(後述) 彗星隊とバラバラとなり、
同隊は護衛なくグラマン戦闘機の奇襲を受け 9機が未帰還となり、ペリリュー
到着したのは3機のみであった。
 
261空と263空の連合零戦隊は1機がエンジン不調でグアムへ引き返し、
さらに1機は ヤップに不時着(さらに一機がペリリューに到着していないが状況不明)
両隊はこの日は敵と遭遇せず、19時、ペリリュー基地へ到着した。
なお、着陸時爆弾孔により8機が破損した。
 
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▲現在のペリリュー飛行場。かつては東洋一の航空基地であり
多くの海軍機が離発着した。
 

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▲ペリリュー飛行場脇のタロイモ畑に残る零式戦闘機

■翌31日も度重なる大空襲
邀撃戦闘機隊の敢闘
 
6時20分頃、空襲警報が発令され
前日到着していた261空のゼロ戦28機、263空のゼロ戦15機が邀撃に発進した。
 
グラマン150機以上が来襲。
14時頃、艦載機の空襲は終わり 261空はグラマンF6Fを18機(うち不確実3機)を
撃墜したが未帰還20機、 重軽傷者4名、機材大破4機、炎上4機
(未帰還機を含め28機)の損害を受けた。 263空はF6Fを5機撃墜したが
未帰還15機、炎上2機、大破1機の損害を受け 一航艦戦闘機は全機を消耗した。
 
※空戦戦没者後記載
 
この空襲により、コロール市街地および パラオ港湾施設、艦船、陸上部隊、航空隊は
甚大な損害を受けた。 (後述)
 
■飛行艇で逃げる長官
 
31日
19時、まだ空襲の炎が揺れる中、 大型飛行艇2機がアラカベサン飛行艇基地
着水した。 古賀長官と幕僚および連合艦隊司令部ダバオへ逃がすため
準備された機体である。
 
同機はサイパンから急遽派遣されたの第802海軍航空隊所属の
二式大艇であった。※また、ダバオに待機中の第851海軍航空隊所属の
二式大艇1機もパラオへ向け離水準備を行っていた。

21時30分、ふたたびパラオに空襲警報が発令された。
二式大艇の機長は燃料補給を強く要請したが、参謀二人が

「その必要は無い。出発急げ」

と譲らなかったため、大急ぎで 離水準備が行われた。
21時35分、一番機に古賀長官、二番機に福留参謀長ら幕僚を乗せた
二式大艇はパラオ・アラカベサン水上基地を離陸した。
 
これが「海軍乙事件」である。二機はダバオへの飛行中、低気圧に
巻き込まれる。 古賀長官座乗の一番機は行方不明、
福留参謀長座乗の二番機は不時着水し 参謀長は命を繋いだものの、
フィリピンに上陸後、現地ゲリラに捕えられ 機密文書を奪われる運命となった。
 
福留参謀長の救出と機密文書の奪え返すため フィリピンの
陸軍一個大隊が動員される。福留は救出され戦後まで生きのびたが
最後までこの事件について語ることはなかった。
なお、古賀長官座乗の一番機は発見できず、のちに殉職とされた。
 
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▲アラカベサン島に残る飛行艇基地跡のスロープ。飛行艇を
「スベリ」と呼ばれる斜面へ陸揚げし、整備した。当時は屋根付き格納庫があった。
 
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▲米戦闘機の銃撃により沈んだ、第30根拠地隊附所属の零式三座水上偵察機と
天然の洞窟格納庫
(ハンガーケーブ)  カヤックツアーで見学可能
 
■海軍航空隊戦没者
 
■第201海軍航空隊(戦斗305飛行隊)
3/30、パラオ大空襲邀撃、20機出撃内9機未帰還
戦死者
 
林茂生中尉(海兵70),山下小四郎少尉(操17),鈴木新一上飛曹(操45)
國廣治雄上飛曹(甲6) 加藤定信一飛曹(甲8),深川隆義一飛曹(甲8)
和田正男一飛曹(甲8),服部一夫飛兵長(丙10) ほか一名
 
第261海軍航空隊
3/31、パラオ大空襲邀撃、28機出撃内20機未帰還
戦死者
 
岡佐古昌人中尉(海兵70),渋谷正雄少尉(学生11),二本森憲二上飛曹(操45)
大塚明一飛曹(甲8),井竜憲一二飛曹(乙15),古賀他四郎一飛曹(乙11)
高坂三郎一飛曹(甲8),林茂一飛曹(操55)児島猛二飛曹(丙11)
岩田増雄二飛曹(乙15),閏野護二飛曹(甲8),貝原良兼上飛兵(特丙11)
吉田久光上飛兵(丙11)
 
安否不明者
藤川史雄二飛曹,長谷登太郎飛長,中山正次二飛曹,杠勇男飛長,大谷敏男二飛曹
中尾隆美飛長,岡田盛樹飛長,紀田四郎二飛曹,興津健市飛長
 
第263海軍航空隊
3/31、パラオ大空襲邀撃、18機出撃内15機未帰還
戦死者
 
武藤陳彦大尉(海兵70),島田義人予備少尉(学生11),西本彰吉上飛曹(乙10)
栗田勝司上飛曹(甲6),菊池武一飛曹長(甲1),長瀬正郎飛曹長(甲1)
芳野定俊一飛曹( ) 田渕武夫一飛曹(甲8),植田正治二飛曹(乙15)
矢鍋幸男上飛兵( ),小野敏春上飛兵(特丙11) 横池武治上飛兵(丙12)
下瀬卓上飛兵(丙12),神田秀雄上飛兵(丙12),進藤勝治上飛兵(丙12)
以上
 
■第501海軍航空隊(戦斗351飛行隊)
戦死者
 
山口友次郎大尉(海兵69),ほか四名
 
以下戦闘詳細
1944年(昭和19年)3月中旬ごろ マーシャル諸島方面に数十隻から成る
米機動部隊西進の報せがあり 東カロリン、マリアナ方面の警戒を厳にしていたところ
 
3月27日、8日ごろには数十隻の機動部隊がウエワク北方200浬の海上を三隊となって
西進中という報せがもたらされた。 28日早朝、中部太平洋方面艦隊は
「カロリン方面第一警戒配備」を下令。 翌朝からのパラオ、メレヨン方面に対する空襲を
予測し、トラック、メレヨンを 基地とする索敵攻撃を指示するとともにマリアナ所在
航空兵力(陸攻)のペリリュー 増援を措置した。 当時、当該方面の海軍航空隊は
東カロリンおよそ180機 西カロリン(ペリリュー)約60機。 水上部隊は連合艦隊
旗艦「武蔵」ほか第四戦隊、第五戦隊、第二水雷戦隊、第十七駆逐隊
その他附属艦船と輸送船十数隻がパラオ港に停泊中であった。
 
■3月29日 空襲前日
【1046】頃、ペリリュー発進の索敵機よりパラオ南東380浬に米機動部隊の
西進が確認された。 連合艦隊は29日までの敵情により「機動部隊の攻撃は
30日に開始されるであろう」と判断したが 本攻撃が単なる機動空襲であるのか、
本格的攻略戦であるのか、判断は明らかでなかった。 連合艦隊は14時頃、司令部を
コロール陸上に移して作戦指揮をとるとともに 「武蔵」以下全艦隊を港外に退避させ、
また南西方面航空部隊および シンガポール方面の第三艦隊飛行機隊の比島、
西武ニューギニア方面集中準備を命じた。 パラオの第二十六航空戦隊は
29日米機動部隊に対し第一撃(薄暮攻撃)を加えた。
 
■3月30日
大空襲当日
【0300】 ペリリューより 761空、陸攻隊(接触3機、雷撃8機)過重により発進失敗。
1,2番機、椰子林に突入炎上、黎明攻撃出来ず。その他陸攻隊も発進前敵機動部隊の
奇襲を受け、艦爆隊の攻撃も 実施不可能となり、戦闘機は邀撃戦闘に転換。
26航戦の在ペリリュー兵力は46機を失った。 テニアンから増援の陸攻全機(12機)も
銃撃を受け炎上。
【0530】 基地見張りから警報 201空ゼロ戦20機、501空からは戦斗351飛行隊の
ゼロ戦5機含む 12機が発進、邀撃したが、逐次消耗。 この間、121空の艦偵1機、
751陸攻2機が索敵に発進。 (陸攻は0525)艦偵は0540敵機動部隊
「ペリリューノ210度40浬」と報告。 751空陸攻地上炎上5機 陸攻撃1機は発進後被弾、
ダバオに待避、他の一機は消息不明となる。
【0600-1730】 敵機動部隊による空襲 11次にわたり、のべ456機が来襲。
201空ゼロ戦、邀撃の20機中、自爆未帰還9機、大破9機、不時着2機 全機消耗。
戦果はF6Fを15機撃墜(内不確実3)TBF2機撃墜であった。 501空は12機内、
自爆未帰還5機、炎上7機、九九艦爆9機が焼失。 戦果は4機撃墜(内不確実2)であった。
【0910】テニアンより艦偵2機が索敵発進。
【0930】アスリートより261空32機(指宿隊)が発進 523空彗星隊12機が発進、グアムへ。
【1050】 261空、ゼロ戦隊グアムに到着(着陸時2機破損)直ちに燃料補給を行いこの間、
彗星は1時間待ち合わせた後、1220戦闘機隊の離陸を認め 進撃を開始。261戦闘機
30機、263戦闘機25機(重松隊)は1330集合。 遅れた理由は滑走路工事中のところへ
陸攻が突っ込み どけるのに時間を要した為。 彗星隊とは一時間の差があり、戦闘機隊
との合流はできなかった。 彗星隊は索敵中ペリリューの170度120浬においてグラマンの
奇襲をうけ 3機自爆、6機不時着未帰還、ペリリューに到着したのは3機で内1機は
着陸時破損、もう1機は漏洩燃料に着火焼失し、1機のみが残った。261空と263空の
ゼロ戦隊は1機がエンジン不調でグアムへ引き返し、さらに1機は ヤップに不時着
(さらに一機がペリリューに到着していないが状況不明) 索敵を実施したが会敵せず、
1900ペリリューに到着、着陸時爆弾孔により8機が破損 稼働機は全部で44機となった。
先行した艦偵は1801三群の米機動部隊発見を報告。 1機のみペリリュー到着。
もう一機は未帰還と推測される。 761空、陸攻隊の2機(1130)および横空の6機
(1215)がテニアンを発進。 内1機はエンジン不調となりペリリューへ向かったが
同地が炎上中のため ダバオへ不時着、他の一機は1925ペリリューの120度
125浬で雷撃、巡洋艦に命中 のちペリリューに帰着した。 755空の陸攻隊8機が
(接触2、雷撃6)が1230グアム発進。 1720、接触機が「空母2、戦艦2ソノ他十数隻
ヨリ成ル大部隊ヲ発見」と報じ 更に1850「空母ヲ含ム敵部隊見ユ」と報告したが二機
とも消息不明となった。 雷撃隊はペリリューの135度90浬の米機動部隊を1735発見
1835から単機ごとに 攻撃実施。巡洋艦一隻轟沈、戦艦一隻に魚雷一本命中、
その他一隻を炎上させたものと 認められたが、指揮官機以下3機未帰還となり、
3機がペリリュー、メレヨンに帰着した。 ※米記録によれば戦果なし
横空陸攻8機は1845米機動部隊を発見。1900攻撃開始。 大型船一隻炎上、
他の一隻に相当の損害を与えたものと認められたが 指揮官機が未帰還となり、
他はペリリューへ帰着した。 30日夜、ペリリューには別に横空陸攻10機、
523空彗星2機、121空艦偵1機が到着していた。
 
■3月31日
索敵機逐次発進
【0545】 761空、索敵機逐次発進。
【0550】空母を含む部隊をペリリューの61度100浬に発見した報告があったが
このとき攻撃兵力は523空の彗星1機のみで攻撃実施できなかった。
【0920】 第二索敵機は「ヤップ空襲ヲ受ク」と報じる。 第四索敵隊は
1000ヤップの150度80浬進行方向北の 米機動部隊を報告したが、第六索敵機
とともに未帰還となった。
【1220】および【1443】 761空陸攻2機は接触の為テニアンを発進。一直接触機は
1730 「ヤップノ205度163浬ニ於イテ空母ヲ基幹トスル大部隊進行方向西一八節」と報
【1320】および【1415】 横空陸攻は(接触2機、雷撃6機)テニアンを発進。
敵を発見せず4月1日 0040までにテニアンに帰着した(1機は未帰還) 一方、
グアムを基地とする755空も夜間攻撃を企図、一機が「1855空母ヲ含ム 敵部隊見ユ
空母2隻其ノ他ヤップヨリ20度160浬進行方向西」と報告
【1810】グアムを発進した755空(K701)接触機は「2110機動部隊ヲエウ島
(ウルシーの東8浬)ノ 320度145浬ニ発見」と打電、更に「敵ノ西ニ吊光照明弾ヲ
投下ス」と発信したがその後 消息を絶った。このほかに755空(K706)の雷撃隊も
攻撃に至らず引き返したものと 推定されたが一機は未帰還となった。 前日攻撃終了後
ペリリューに着陸した陸攻6機は (横空5機、761空1機)は未明テニアンに向け
出発したが 横空陸攻1機は敵戦闘機と交戦、自爆、その他2機は小破しテニアンに帰還した
 
■空襲、戦闘隊の邀撃
【0620】頃、空襲警報が発令され、前日到着していた 261空の甲戦28機および
263空の甲戦18機は邀撃に発進。 邀撃戦闘の状況は資料なく判然としないが
おおむね午前中には消耗したものと思われる。 この間、501空の彗星4機および
751空の陸攻4機がダバオからペリリューへ進出したが 彗星1機は着陸時破損、
1機は焼失した。
【1440】頃、艦載機の空襲はおわり 261空はF6Fを18機(うち不確実3)を撃墜
したが未帰還20機、重軽傷者4名、機材大破4機、炎上4機 (未帰還機を含め28機)の
損害を受けた。 263空はF6Fを5機撃墜したが未帰還15、炎上2機、大破1機の
損害を受け 一航艦戦闘機は全機を消耗した。
 
■空襲終了後の被害状況
第30根拠地隊戦闘概報によると 施設焼失73棟、倒壊7棟、半壊20棟、一部焼失1棟、
計101棟
 
人員被害、附属艦艇、地上部隊総計、
戦死70名、重症65名、軽傷93名、行方不明18名、計246名
 
艦船沈没18隻(77,144総トン)、座礁3隻(6,832総トン)
その他兵器弾薬食糧等焼失,西水道およびパラオ港内に機雷投下
 
参考 海軍乙事件(吉村昭) 出典 戦史叢書13巻中部太平洋陸軍作戦、P78-80
戦史叢書マリアナ沖海戦 P203-209 戦闘機隊戦没者名は、日本海軍戦闘機隊
改訂増補版、海軍戦闘機隊史 (零戦搭乗員会編)防衛省戦史室所蔵各
戦闘機隊戦闘行動調書より作成。

コメント

私は、現在CALIFORNIA,SACRAMENTO 在住です。父が1943年3月からパラオに送られていたので(第23野戦防疫給水部)2003年より今迄パラオの事を日米両国から調べてきました。倉田さん宅にも何度かお邪魔しています。

10月25日から11月20日迄、バリ島で仕事してますが11月23日の水戸の慰霊に参加する為東京に行きます。11月22日から2泊水戸に泊まる予定です。

パラオの戦時の情報をキチンと整理したいと考えています。貴方とコンタクトがとれれば幸いです。

P.S.東京には12月7日迄滞在予定です。

YUKIE YOSHIDA様


以前お書きになった記事を拝見しております。
23日、お目にかかるのを楽しみにしております。

また、戦時の情報は
水戸の事務所で管理しておりますので
何かありましたらお問い合わせください。

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